秘密のビーフシチュー

やまとゆう

文字の大きさ
18 / 53
第2章 人が嫌いだった

#18

しおりを挟む

            ✳︎

 「こんにちは」
 「あ、い、いらっしゃいませ……!」

有線放送のバラード曲が、誰かに聞いてほしそうにその綺麗な歌声を静かな店内に響せる。昼過ぎのゆったりした店内に一際大きな体つきの男性が声をかけてきた。佐藤さんが言っていた名前は確か、晴樹さんだっただろうか。今日も相変わらず大きい。縦にも横にも。威圧感があるのは変わらないけれど、以前のようなグイグイと言葉を投げかけてくるような雰囲気ではないような落ち着いた様子だった。

 「お久しぶりです。1ヶ月ぶりくらいですかね?」
 「そ、そうですね。おそらくそれぐらいだと思います」
 「そっか。時間が経つのは早いですね。前回は桜井さんを困らせるようなことを言ってしまってすみませんでした。僕の気持ちを一方的に押し付けるように伝えてしまったなと反省しました」
 「い、いえ……。とんでもないです」

佐藤さんが晴樹さんに何かを伝えたのか、まるで人が変わったように控えめな様子で目線を下の方に下げている。情が湧いたりすることはないけれど、ここまで落ち込んでいるようにされていると流石に良い気はしない。私は話題を変えようと頭を回転させた。

 「あ、あの……!」
 「はい。何ですか?」

何の迷いも無いような真っ直ぐな視線を私に向ける彼に焦らないように平常心を保つように意識する。じっとりと手のひらに汗が滲んだ。

 「お客様ご自身は競技されているんですか?」

私の問いを聞いた彼は、その質問を待っていたと言わんばかりに口角が上がった。そして再び私の方を真っ直ぐな目でじっと見つめている。

 「はい。バレーボールの社会人プロリーグがありまして、そこのトップグループの上位チームに所属しています。ちなみにキャプテンです」
 「そ、その体格ですもんね。それで、私の親友もここで働いているんですけれど、その子がお客様が現役のスポーツ選手なら実際にプレーしている姿を見てみたいって言っていました」
 「うん。なるほど」

丸太のように太い腕を組みながらゆっくりと首を縦に振る晴樹さんが少しずつボディビルダーに見えてきたのは気のせいにしておきたい。日焼けをしたのか、彼の肌が黒くなったのも気のせいにしておきたい。

 「直近で試合の予定はありますか?」
 「直近で言ったら3週間後にありますね。名古屋市の体育館でやる予定です」 
 「分かりました。その試合の情報が決まったら教えていただけませんか?」
 「もちろん。多分、よっぽどの理由がない限りはもう決定だと思うんですけどね。また情報が確定したら桜井さんに伝えますね」
 「わかりました。ありがとうございます」
 「ちなみにその店員さん、今日はいないんですか?」
 「今日はいないんですよ。いたら隣にいさせるつもりだったんですけど」
 「はは、お気遣いありがとうございます。またその店員さんにも会えるのを楽しみにしてますね」
 「は、はい! お待ちしております!」
 「ありがとうございました。また近いうちにお邪魔します。失礼します」
 「あ、ありがとうございました!」

のしのしと大きな歩幅で歩いて店を出て行く後ろ姿は、人間ではない大型動物のような背中に見えた。終始落ち着いた様子で帰っていった晴樹さんを見送ったあとは、ビックリするぐらい時間が過ぎるのが遅かった。客が来なさすぎるのも正直疲れる。来たら来たで鬱陶しいことを言ってきたり、鼻につく態度をしてくる客も少なくないからそっちも疲れるけれど。永遠にも感じた今日の8時間勤務を乗り越えて店を出た。
 少しずつ日が長くなってきているのか、17時を過ぎて店を出てもまだ太陽が沈んでいなかったことに驚きながら上着のポケットからイヤホンを取り出し、私と密接しているこの世界から自分を遮断するように耳にそれをつけた。帰り道にはスローテンポなバラードをゆっくり聴くのに限る。スマホの画面を開き、SNSを見てみると早乙女達月さんが今日も呟いていた。

 『自分の世界を他の誰かに吐露することはとっても勇気のいることだと思う。それは言う方も然り、聞く方も然り』

約2時間くらい前に投稿されていたその呟きには多くのリツイートや「いいね」がつけられている。私はあえてそれらをせずにしばらくその呟きを眺めていた。私は無意識のまま、足をあの場所に動かしていた。
 10分ほど歩き、目的地に着きドアを開けると、ちりんちりんといつもの可愛らしい音が私を迎えてくれるように鈴が鳴る。

 「いらっしゃいませ。あら、桜井さん。少し久しぶりですね」
 「こ、こんばんは。そうですね大体1ヶ月ふりくらいかな。ちょっと最近、バタバタしててようやく今日ここに来れました。あ、というか名前覚えていただいてありがとうございます。嬉しいです」
 「ふふ。可愛いお客様はすぐに覚えますよ。お好きな席へどうぞ。お手拭きと水をお持ちしますね」
 「ありがとうございます」

いつも座っている佐藤さんの作業スペース(勝手に私がそう読んでいる)が寂しそうに空いていたものだから、私はそこを選んでゆっくり腰を下ろした。客も2組しかいないゆったりとした店内は、BGMもゆったりと心の落ち着くスローなテンポでピアノが演奏されている。その音楽を聞いていると、私の体からは今日溜まっていたストレスがみるみる減っていくように思えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

見上げた空は、今日もアオハルなり

木立 花音
青春
 ──私の想いは届かない。私には、気持ちを伝えるための”声”がないから。  幼馴染だった三人の少年少女。広瀬慎吾(ひろせしんご)。渡辺美也(わたなべみや)。阿久津斗哉(あくつとおや)。そして、重度の聴覚障害を抱え他人と上手くうち解けられない少女、桐原悠里(きりはらゆうり)。  四人の恋心が激しく交錯するなか、文化祭の出し物として決まったのは、演劇ロミオとジュリエット。  ところが、文化祭の準備が滞りなく進んでいたある日。突然、ジュリエット役の桐原悠里が学校を休んでしまう。それは、言葉を発しない彼女が出した、初めてのSOSだった。閉ざされた悠里の心の扉をひらくため、今、三人が立ち上がる!  これは──時にはぶつかり時には涙しながらも、卒業までを駆け抜けた四人の青春群像劇。 ※バレンタイン・デイ(ズ)の姉妹作品です。相互にネタバレ要素を含むので、了承願います。 ※表紙画像は、ミカスケ様にリクエストして描いて頂いたフリーイラスト。イメージは、主人公の一人悠里です。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...