秘密のビーフシチュー

やまとゆう

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第2章 人が嫌いだった

#24

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 「完璧な人間なんていないし、何も出来ない人間もいない。オレたちは今日を生きてるだけですごいことを毎日繰り返してるんだ。だから苦しい日もあれば楽しい日だってある。笑っている日もあれば泣いてる日もあるんだ。だから辛いことがあっても気にすんな。そのうち楽しいって思える日が来る」

ニケさんはひとつひとつの言葉を丁寧に読み上げるように不意に言葉を口にした。ニケさんの言ったその言葉には、何か不思議な力が宿っている気がした。それは優しくもあり現実的でもあり、悲哀も感じる。それでいても私のことを見捨てはしない。そう感じさせるものがあった。

 「僕の好きな言葉なんだ」

ニケさんがへらっと笑ってそう言った。

 「ニケさんの好きな言葉……」
 「うん。師匠がよく言っていたんだ。あんまり何回も言うものだから、いつの間にか僕の頭の中にも刷り込まれてるんだ。よくムカつくことを言ってきたり、わざと僕を怒らせようとしたりする師匠だったけど、師匠の言葉には何か不思議な力があるように思えたんだよね」
 「うん。なんか……、良い意味で頑張らなくていいんだって思えるって言うか、無理はしなくていいのかなって思えた」
 「ふふ。そうそう、私たちって昔は少しでも師匠の役に立ちたいとか、他に働いている人たちの足を引っ張りたくないって気持ちが強くて毎日気を張りつめて働いていたんだと思うんだけど、そんな私たちを見た師匠が笑いながらそう言ってくれた時は、何だろう。風船を膨らませすぎなくてもいいんだって思えたっていうか……。少し余裕があった方が柔らかくてか割れにくくなるし。まぁあんまり上手くは言えないけど脱力することも大事なんだって思えたんだ」

ものに例えて話すのって難しいんだよね、と言って笑う優子さんの顔を見てニケさんもつられて笑っている。この2人の関係性を素直に素敵だと思ったし羨ましく思った。

 「私、今の風船の例え、好きかも」
 「ほ、ほんと? ちゃんと伝わったかな?」

照れながら頬を指で触る優子さんを見ていると、私もニケさんと同じように頬が緩んだ。本当にこの人は可愛くて素敵な人だ。顔はもちろん可愛いけれど、雰囲気といい仕草といい、まるでアニメやマンガに出てくるヒロインのようだ。むしろ、ヒロインよりも可愛い。

 「そういえば師匠も、ものに例える時よく風船を使ってた気がする」
 「そうだっけ? 無意識に考えて咄嗟に出たんだけどな」
 「それだけ優子さんも師匠のことが好きなんだね」
 「……ふふ。そうなの」

私たち3人の笑い声が響く空間は、私の冷え切っていた心を本当に暖かくしてくれた。まるで新しい自分が、この瞬間に生まれたような気にさえ思えた。私たちは眠くなるまでテーブルを3人で囲んで語り明かした。ただ、2人の話によく出てきた「師匠」は今どこにいるのかは最後まで聞くことが出来なかった。聞かないのが正解なんだとも思ったし、何となく想像はつく。そういう考え方が出来るようになっている自分に驚きながら私は2人が用意してくれた布団の上で目を閉じた。
 私の右側にはニケさんが寝転がっていて、左側には優子さんが寝転がっている。あまりの心地よさと暖かさと嬉しさで、私は少し泣きそうになりながら目を閉じた。両側から聞こえた「おやすみ」という声が毛布よりも私を心地よく包み込んでくれた。

             ✳︎

 「お邪魔しました」
 「またいつでも泊まりに来てね」
 「僕らはいつでも日菜ちゃんを歓迎してるから」
 「うん。ありがとう……」

久しぶりにぐっすり寝ることの出来た私は、2人に挨拶を済ませて背を向けた。いざ外に出ようとドアノブに手を伸ばした瞬間、私は昨日の夜3人で過ごしていた時間を思い返して手が止まった。それがあまりにも楽しかったものだから、私はつい、よからぬことを考えてしまう。私は欲張りだし自分勝手なんだ。以前より自分のことが少しだけ分かったと同時に、以前より少し自分の嫌なところも分かった。動きが止まっていると、背後から聞こえた2人の笑い声を聞いて、私はたまらず後ろを振り返った。

 「日菜ちゃん、帰りたくないんでしょ」
 「何かもう、背中から伝わって来てたよ。帰りたくないなって心の声。昔のニケさんみたいに分かりやすい背中だった」

心の声が2人に聞かれたのかと思うほど、見事に心の中を言い当てられてしまった私は、フグみたいに頬を膨らませて誰にも見せたことのない表情を2人に向けた。

 「何で分かったの……?」
 「やっぱり日菜ちゃんはね、僕らに似てるんだよ」
 「だから、何を考えてるかとかも大体分かっちゃう。昨日話していて、それがよく分かったしね」
 「わ、私なんかが2人に似てるわけないじゃん……」

独り言で呟いた一言にもニケさんは「似てるんだって」と笑いながら拾い上げてくれた。私はどんどんよからぬことを考える。この人たちに迷惑がかかることを考えている。

 「日菜ちゃん」
 「なに?」

ニケさんの優しい目が私を見つめる。そして、何だか申し訳なさそうに眉毛をひそめて笑顔を向けた。

 「他の場所で働いて、自分の家で生きている日菜ちゃんにいきなり言うのは違うのもしれないけれど。日菜ちゃんさえよかったら、ウチに来て働かない? もちろん、今すぐにとは言わないし、日菜ちゃんの気が向いたらでいい。僕は昨日の夜にキミと話していたりしているうちに友達になりたくなった。あ、昨日の時点でもう友達とは思っていたけどね」
 「と、友達……」
 「私もニケさんと同じ意見。似たもの同士って言ったらおこがましいかもしれないけれど、話しているうちにどんどん日菜ちゃんのことが知りたくなっちゃった。部屋もひとつ空いているし、今日からでもいいよ」

私を友達と言って笑ってくれる2人を見ていると、私の目からは久しぶりに、それはもう本当に久しぶりに涙が溢れた。2人に見られないように慌てて顔を隠すと、優子さんとニケさんが私を包み込むように優しく抱きしめてくれた。2人の服から香る香ばしいコーヒーの匂いと、石けんのいい匂い。私の涙腺が壊れたのかと思うほど、涙は止まることなく流れ続けた。流れ出る涙を、優子さんが優しく抱きしめながら拭いてくれた。こんなに優しい人になるのは難しいかもしれないけれど、私も本心から人に優しく出来るといいなと思いながら私はその温もりに包まれた。
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