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第2章 人が嫌いだった
#25
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✳︎
「そっかー。日菜が辞めちゃうのは寂しくなるなぁ」
「まだ決定じゃないよ。そういう可能性が高いかもって話。佳苗が誘ってくれた職場だし、変なお客さんもたまに来るけど、佳苗と一緒に働くことが出来なくなるのは私も寂しいからさ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん。けど、いいんだよ。日菜がしたいようにするのがいちばん良いことなんだから」
この前ニケさんが言ってくれた提案をそのまま伝言のように佳苗に伝えた。佳苗は肯定してくれているけれど、佳苗は嘘をつかない。寂しいと言ってくれているし、私も佳苗と離れるのは正直とても辛いし後悔する気がする。現時点では、私自身もどうしようかと迷っているのが現状だ。
「しゃいませ」
「いらっしゃいませー!」
私が佳苗と喋っていると、目の前に足音を立てずには私と同じくらいの年齢の男性客がスマホを見ながらレジの前に立っていた。条件反射のように佳苗が声を出したのに続き、私も驚いたのが相まって大きめの声を出してその客が持ってきた商品のバーコードを通した。今日の店内はいい感じに客数が少なく、考え事をしてしまう時間が多くなりそうな予感がした。
その予感は見事に的中し、8時間勤務が倍の16時間勤務ぐらいに長く感じた。いや、流石に倍は言い過ぎか。まぁどちらにせよ、長かった。
「お先に失礼します」
「はーい。2人とも今日もありがとう。お疲れ様でした」
北山さんには背を向けられながら挨拶を済まされ、私と佳苗は店を後にした。接客を終えて商品を整理している時に話しかけたタイミングも良くなかったとは思ったけれど、目も合わされずに挨拶を済まされるとさすがにいい気はしない。隣でスマホを触っている佳苗がそんな風には考えていないとは思うし、そういうことを気にしない人は気にならないだろう。けれど、私はそういうことに反応してしまう。ましてや、あの喫茶店のあの2人の優しさに触れた次の日にそんなことをされると余計に色々と考えてしまう。心の中がもやもやしながら私たちは帰り道を歩いた。激しく炎が燃え上がっているように見える17時半過ぎの真っ赤な空は、何かが起こる前触れのように思えるほど不吉な空模様に見えた。
✳︎
「そういえば日菜、最近あのバンド風イケメンとは会ってるの?」
「バンド風? あぁ、佐藤さん? しばらく会ってないな。2ヶ月くらい経ってるんじゃないかな。ぼんやりしか分からないけど」
「てかさ、こうやって一緒に電車に乗って帰るの久々じゃない? なんだかんだ、最近あんまりシフト被んなかったよね」
「確かに。言われてみればそうだね。前は一緒に帰った時、それこそ佐藤さんとかそのお友達の大きい人とかと初めて接客してその話題を出してた頃だったよね」
「お友達の大きい人って。ざっくり呼ぶなぁ」
「だって大きいじゃん。あの人。名前知らないし」
皺でクタクタのスーツを身に纏ったサラリーマン風の男の人が1人、座席が空いているのに吊り革に捕まって窓の外を眺めているのがやたら視界に入る。ほぼ貸切状態で終電の電車に乗り込んだ私たちは、さっきまでファミレスでしていた話を掘り返しながら笑い合う。以前と同じように佳苗と他愛のない話をして笑い合う。それでも以前よりも体全体の力を抜いて喋っているからか、今日の私はいつもよりリラックスした状態で佳苗と話をしている。これは間違いなくニケさんと優子さんのおかげだ。体と一緒に心も軽い。
「心境の変化とか、他にあった? 日菜の最近」
「心境の変化……。うーん、そうだなぁ、これは変化にはなるかなぁ」
話題が変わった瞬間を知らせるように電車がガコンガコンと、鈍く大きな音を立てて車輪がテンポを刻む音が変わった。
「何事にも力まずにいるように自然体でいようっていう意識がついたというか。常に全力で人と関わろうとすることをやめたかな。分かりづらいかもだけど、簡単に言ったら良い意味で力を抜いて過ごそうって思うようになったって感じかな」
佳苗は何も言わずに喋り終えた私の目をじっと見つめている。何かを言いたそうに口を開けたり唇を少し舐めたりしている。
「伝わってなかったらごめんね」
「いや、伝わってるよ」
佳苗は表情ひとつ変えずにその大きな目で応えるように私の目を見つめている。その流れで佳苗の口が再び開いた。
「今日の日菜、いつもより落ち着いてたし声が小さかった。もちろん良い意味でね。私よりも静かだったんじゃない? 良い意味でね」
「良い意味でって言いたいだけでしょ。佳苗は」
「ううん。そうじゃない。まぁ確かに前みたいに大きな声を出して明るい笑顔を向けて全力で接客をするのがスポーツショップの定員であるべき鑑なのかもしれないけどさ。私たちだって人間じゃん? 気を抜く時間だって必要なんだよ。しかもその方が人間らしくて私は好きだね」
「あら珍しい。佳苗から好きって言われちゃった。今日はいい日だ」
「もう終わっちゃうよ。いい日」
「あはは、本当だ。あと10分もしたら電車も着いちゃうなぁ」
「そうだねぇ。やっぱり今日もあの店行ったら良かったんじゃないの」
「ううん。今日は佳苗と2人で話したかったからいいの」
「まぁ、それならいいけどさ……。私の話、面白かった?」
「うん。何ならもっと聞きたいよ」
「はは。調子いいなぁ、日菜」
そう言って自分のカバンをごそごそと探る佳苗。握られている手には目薬があった。佳苗はその流れで目薬を慣れた手つきで両目に差していく。潤っているその目を見ていると佳苗が涙を我慢しているようにも見えた。
そういえば佳苗が泣いているところなんてもう随分と見ていない。記憶にあるのは小学2年の頃、遠足でお菓子を食べようとして中身が粉々に潰れてしまっているのを見た時の大泣きをしている頃だったから、かれこれ15年以上は前の記憶だ。そう思うと、時間が過ぎていくスピードは恐ろしいほど早い。何だか急に怖くなった。
「あ、そういえば、わりと日菜がびっくりしそうなことあったわ」
「えー、なになに? 聞かせてよ」
「小早川さんから連絡先教えてもらった」
「小早川さん? 誰だっけ?」
「さっき言ってた佐藤さんのお友達の大きい人だよ」
「え!? マジで? さっき、ファミレスで言ってよ!」
「うん。マジで。ごめん。言うタイミング探ってた。てか声でか」
思いの外大きな声が出たのか、つり革を握って窓の外を見ていた男の人の視線が私の方を向いていた。私はわざと大きめの咳払いをしてごめんなさいを言ったつもりでその人に背を向けて再び日菜の大きな目を見つめた。
「公共の場で今日イチ大きい声出たね」
「佳苗が急にそんなこと言うからじゃん。いつ教えてもらったの?」
「先月ぐらいかな? 日菜がバイト入ってない日に小早川さんが店に来たんだよね。その時に私が連絡先を聞いたら教えてくれた」
「そ、そうなんだ……。連絡取ってるの?」
「うん。毎日少しずつだけど取ってるよ。たまに電話も」
「そ、そうなんだ。佳苗、ガチで気に入ってるんだね」
「気に入ってるっていうか好きだよ。普通に」
声を出せない状況ということを理解した私は、今言った佳苗の言葉に対してなるべく抑えて反応しようとしたけれど、やっぱり無理だった私は、縦に指が5本全て入りそうなくらい大きく口が開いた。そのまま歌を歌ったら良い声が出そうなくらい開いている。
「どこで覚えてきたんだよ。その変顔」
「変顔のつもり無いんだけど。声が出せないからなるべく落ち着いたリアクションをしようとしたつもりなんだけど」
「いやいや全然落ち着いてない。むしろ笑わせにかかってるでしょ」
「いやいや全然そんなつもりないから」
私たちは声と口を押さえながら笑い合う。電車の動いている音でいい具合に私たちの声はかき消されているようだ。ちらっとさっきの男の人を見ると、もう私の方を見ていなかった。やっぱりずっとつり革に捕まっている。
「てかさ、自分にそういう気持ちないと普通、連絡先とか聞かないでしょ」
「まぁ、確かにそうか……」
「でさ、晴樹さんがさ、あ、その人、名前は晴樹って言うんだけど。私、いつもそうやって呼んでるから晴樹さんで覚えて」
「あ、あーうん。そういえば佐藤さんが名前は言ってた気がする」
「晴樹さんがね、もっと私のこと、もっと知りたいって言ってた」
「へ、へぇー! そうなんだ」
無表情でそんなことを話す佳苗だけれど、よく見ると頬がほんのり赤くなっているように見えた。佳苗は感情を表には出さないけれど、気持ちが昂るとこうやって体に反応が露骨に出る。昔から知っていることだけれど、佳苗の顔が赤くなっているのは久々に見た。それこそ高1ぶりとかになるだろうから、かれこれ8年ぶりくらいだ。佳苗のこういうツンデレな反応が本当に可愛くて愛おしい。まぁ、それを言うと佳苗はムスッとして機嫌が悪くなるから決して言わない。けれど、やっぱり見れば見るほど可愛い。
「でも、珍しいね。佳苗ってさ明るい人苦手な方だったよね?」
「うん。今でも苦手だよ」
「え? でも晴樹さんって明るい部類じゃない?」
「あー、あの人はね、明るいっていうか馬鹿な部類だね」
「馬鹿な部類?」
「なぜか憎めない人っていうか、天然っていうか。まぁ簡単に言えば色々考えたりしない人なんだよ。頭で思ったことがそのまま声や態度に出る人ってこと。あの人には表裏なんか無いね。間違いなく。そういうところも好きな1つなんだ」
「なるほどなるほど。こんな素直に好きって言ったのだいぶ久しぶりじゃない?」
「そうかもね。まぁあと、顔もぶっちゃけタイプだし」
「うん。それはすぐに分かった。あぁいう凛々しい顔、好きだもんね」
「うん。めっちゃ好き」
「これからどうなっていくか、また聞かせてもらうね」
「いいよ。普段通りで何もないだろうけどそれでも良いなら」
「何もないことはないでしょ」
幸せそうに話す佳苗を茶化し終え、電車が着いてからも普段通りの会話をしてから今日も佳苗と分かれた。それにしても、あの2人に進展があったのには驚いた。特に晴樹さんの方。今度、晴樹さんに会った時は今の彼の心境を聞こうと私は密かに考えていた。梅雨入りを知らせるような雨のにおいと、今日の私を労ってくれるような優しい雨の音が6月の訪れを教えてくれた。
「そっかー。日菜が辞めちゃうのは寂しくなるなぁ」
「まだ決定じゃないよ。そういう可能性が高いかもって話。佳苗が誘ってくれた職場だし、変なお客さんもたまに来るけど、佳苗と一緒に働くことが出来なくなるのは私も寂しいからさ」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん。けど、いいんだよ。日菜がしたいようにするのがいちばん良いことなんだから」
この前ニケさんが言ってくれた提案をそのまま伝言のように佳苗に伝えた。佳苗は肯定してくれているけれど、佳苗は嘘をつかない。寂しいと言ってくれているし、私も佳苗と離れるのは正直とても辛いし後悔する気がする。現時点では、私自身もどうしようかと迷っているのが現状だ。
「しゃいませ」
「いらっしゃいませー!」
私が佳苗と喋っていると、目の前に足音を立てずには私と同じくらいの年齢の男性客がスマホを見ながらレジの前に立っていた。条件反射のように佳苗が声を出したのに続き、私も驚いたのが相まって大きめの声を出してその客が持ってきた商品のバーコードを通した。今日の店内はいい感じに客数が少なく、考え事をしてしまう時間が多くなりそうな予感がした。
その予感は見事に的中し、8時間勤務が倍の16時間勤務ぐらいに長く感じた。いや、流石に倍は言い過ぎか。まぁどちらにせよ、長かった。
「お先に失礼します」
「はーい。2人とも今日もありがとう。お疲れ様でした」
北山さんには背を向けられながら挨拶を済まされ、私と佳苗は店を後にした。接客を終えて商品を整理している時に話しかけたタイミングも良くなかったとは思ったけれど、目も合わされずに挨拶を済まされるとさすがにいい気はしない。隣でスマホを触っている佳苗がそんな風には考えていないとは思うし、そういうことを気にしない人は気にならないだろう。けれど、私はそういうことに反応してしまう。ましてや、あの喫茶店のあの2人の優しさに触れた次の日にそんなことをされると余計に色々と考えてしまう。心の中がもやもやしながら私たちは帰り道を歩いた。激しく炎が燃え上がっているように見える17時半過ぎの真っ赤な空は、何かが起こる前触れのように思えるほど不吉な空模様に見えた。
✳︎
「そういえば日菜、最近あのバンド風イケメンとは会ってるの?」
「バンド風? あぁ、佐藤さん? しばらく会ってないな。2ヶ月くらい経ってるんじゃないかな。ぼんやりしか分からないけど」
「てかさ、こうやって一緒に電車に乗って帰るの久々じゃない? なんだかんだ、最近あんまりシフト被んなかったよね」
「確かに。言われてみればそうだね。前は一緒に帰った時、それこそ佐藤さんとかそのお友達の大きい人とかと初めて接客してその話題を出してた頃だったよね」
「お友達の大きい人って。ざっくり呼ぶなぁ」
「だって大きいじゃん。あの人。名前知らないし」
皺でクタクタのスーツを身に纏ったサラリーマン風の男の人が1人、座席が空いているのに吊り革に捕まって窓の外を眺めているのがやたら視界に入る。ほぼ貸切状態で終電の電車に乗り込んだ私たちは、さっきまでファミレスでしていた話を掘り返しながら笑い合う。以前と同じように佳苗と他愛のない話をして笑い合う。それでも以前よりも体全体の力を抜いて喋っているからか、今日の私はいつもよりリラックスした状態で佳苗と話をしている。これは間違いなくニケさんと優子さんのおかげだ。体と一緒に心も軽い。
「心境の変化とか、他にあった? 日菜の最近」
「心境の変化……。うーん、そうだなぁ、これは変化にはなるかなぁ」
話題が変わった瞬間を知らせるように電車がガコンガコンと、鈍く大きな音を立てて車輪がテンポを刻む音が変わった。
「何事にも力まずにいるように自然体でいようっていう意識がついたというか。常に全力で人と関わろうとすることをやめたかな。分かりづらいかもだけど、簡単に言ったら良い意味で力を抜いて過ごそうって思うようになったって感じかな」
佳苗は何も言わずに喋り終えた私の目をじっと見つめている。何かを言いたそうに口を開けたり唇を少し舐めたりしている。
「伝わってなかったらごめんね」
「いや、伝わってるよ」
佳苗は表情ひとつ変えずにその大きな目で応えるように私の目を見つめている。その流れで佳苗の口が再び開いた。
「今日の日菜、いつもより落ち着いてたし声が小さかった。もちろん良い意味でね。私よりも静かだったんじゃない? 良い意味でね」
「良い意味でって言いたいだけでしょ。佳苗は」
「ううん。そうじゃない。まぁ確かに前みたいに大きな声を出して明るい笑顔を向けて全力で接客をするのがスポーツショップの定員であるべき鑑なのかもしれないけどさ。私たちだって人間じゃん? 気を抜く時間だって必要なんだよ。しかもその方が人間らしくて私は好きだね」
「あら珍しい。佳苗から好きって言われちゃった。今日はいい日だ」
「もう終わっちゃうよ。いい日」
「あはは、本当だ。あと10分もしたら電車も着いちゃうなぁ」
「そうだねぇ。やっぱり今日もあの店行ったら良かったんじゃないの」
「ううん。今日は佳苗と2人で話したかったからいいの」
「まぁ、それならいいけどさ……。私の話、面白かった?」
「うん。何ならもっと聞きたいよ」
「はは。調子いいなぁ、日菜」
そう言って自分のカバンをごそごそと探る佳苗。握られている手には目薬があった。佳苗はその流れで目薬を慣れた手つきで両目に差していく。潤っているその目を見ていると佳苗が涙を我慢しているようにも見えた。
そういえば佳苗が泣いているところなんてもう随分と見ていない。記憶にあるのは小学2年の頃、遠足でお菓子を食べようとして中身が粉々に潰れてしまっているのを見た時の大泣きをしている頃だったから、かれこれ15年以上は前の記憶だ。そう思うと、時間が過ぎていくスピードは恐ろしいほど早い。何だか急に怖くなった。
「あ、そういえば、わりと日菜がびっくりしそうなことあったわ」
「えー、なになに? 聞かせてよ」
「小早川さんから連絡先教えてもらった」
「小早川さん? 誰だっけ?」
「さっき言ってた佐藤さんのお友達の大きい人だよ」
「え!? マジで? さっき、ファミレスで言ってよ!」
「うん。マジで。ごめん。言うタイミング探ってた。てか声でか」
思いの外大きな声が出たのか、つり革を握って窓の外を見ていた男の人の視線が私の方を向いていた。私はわざと大きめの咳払いをしてごめんなさいを言ったつもりでその人に背を向けて再び日菜の大きな目を見つめた。
「公共の場で今日イチ大きい声出たね」
「佳苗が急にそんなこと言うからじゃん。いつ教えてもらったの?」
「先月ぐらいかな? 日菜がバイト入ってない日に小早川さんが店に来たんだよね。その時に私が連絡先を聞いたら教えてくれた」
「そ、そうなんだ……。連絡取ってるの?」
「うん。毎日少しずつだけど取ってるよ。たまに電話も」
「そ、そうなんだ。佳苗、ガチで気に入ってるんだね」
「気に入ってるっていうか好きだよ。普通に」
声を出せない状況ということを理解した私は、今言った佳苗の言葉に対してなるべく抑えて反応しようとしたけれど、やっぱり無理だった私は、縦に指が5本全て入りそうなくらい大きく口が開いた。そのまま歌を歌ったら良い声が出そうなくらい開いている。
「どこで覚えてきたんだよ。その変顔」
「変顔のつもり無いんだけど。声が出せないからなるべく落ち着いたリアクションをしようとしたつもりなんだけど」
「いやいや全然落ち着いてない。むしろ笑わせにかかってるでしょ」
「いやいや全然そんなつもりないから」
私たちは声と口を押さえながら笑い合う。電車の動いている音でいい具合に私たちの声はかき消されているようだ。ちらっとさっきの男の人を見ると、もう私の方を見ていなかった。やっぱりずっとつり革に捕まっている。
「てかさ、自分にそういう気持ちないと普通、連絡先とか聞かないでしょ」
「まぁ、確かにそうか……」
「でさ、晴樹さんがさ、あ、その人、名前は晴樹って言うんだけど。私、いつもそうやって呼んでるから晴樹さんで覚えて」
「あ、あーうん。そういえば佐藤さんが名前は言ってた気がする」
「晴樹さんがね、もっと私のこと、もっと知りたいって言ってた」
「へ、へぇー! そうなんだ」
無表情でそんなことを話す佳苗だけれど、よく見ると頬がほんのり赤くなっているように見えた。佳苗は感情を表には出さないけれど、気持ちが昂るとこうやって体に反応が露骨に出る。昔から知っていることだけれど、佳苗の顔が赤くなっているのは久々に見た。それこそ高1ぶりとかになるだろうから、かれこれ8年ぶりくらいだ。佳苗のこういうツンデレな反応が本当に可愛くて愛おしい。まぁ、それを言うと佳苗はムスッとして機嫌が悪くなるから決して言わない。けれど、やっぱり見れば見るほど可愛い。
「でも、珍しいね。佳苗ってさ明るい人苦手な方だったよね?」
「うん。今でも苦手だよ」
「え? でも晴樹さんって明るい部類じゃない?」
「あー、あの人はね、明るいっていうか馬鹿な部類だね」
「馬鹿な部類?」
「なぜか憎めない人っていうか、天然っていうか。まぁ簡単に言えば色々考えたりしない人なんだよ。頭で思ったことがそのまま声や態度に出る人ってこと。あの人には表裏なんか無いね。間違いなく。そういうところも好きな1つなんだ」
「なるほどなるほど。こんな素直に好きって言ったのだいぶ久しぶりじゃない?」
「そうかもね。まぁあと、顔もぶっちゃけタイプだし」
「うん。それはすぐに分かった。あぁいう凛々しい顔、好きだもんね」
「うん。めっちゃ好き」
「これからどうなっていくか、また聞かせてもらうね」
「いいよ。普段通りで何もないだろうけどそれでも良いなら」
「何もないことはないでしょ」
幸せそうに話す佳苗を茶化し終え、電車が着いてからも普段通りの会話をしてから今日も佳苗と分かれた。それにしても、あの2人に進展があったのには驚いた。特に晴樹さんの方。今度、晴樹さんに会った時は今の彼の心境を聞こうと私は密かに考えていた。梅雨入りを知らせるような雨のにおいと、今日の私を労ってくれるような優しい雨の音が6月の訪れを教えてくれた。
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