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愛と優しさ
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愛と優しさ
山に囲まれた自然豊かな土地に優は暮らしている。高校まで自転車で三十分掛る。家族はサラリーマンの父親の和男、役場に勤めている母親の早苗、小学五年生の弟の洋介の四人家族であったけれど、そこに今ではロボットが加わっている。優の祖父、それは父親の父親ではなく母親の父親である、和男は養子で母親の実家で暮らしていて、祖父はロボット工学の天才で地元の工業大学の名誉教授でもあった。別にマッドサイエンティストではなく普通の人で優と洋介を大変かわいがった。その祖父も優が中二の時に病気で亡くなった。病院に入院している時、二人の孫がお見舞いに来るととても喜んだ。
「優ちゃんと洋ちゃんにプレゼントがあるぞ、今ではないけれど」
「え、なになに? 」
「もうすぐだ、もうすぐ」と祖父は言っていたけれど、まったくプレゼントらしいものはそれからなかった。
高校二年になった春の土曜日のお昼すぎ、優は大好きな昼寝をしていると玄関のチャイムが鳴った。パパは洋介の野球の試合を観に行き、ママは婦人会の花見で家には優一人だった。寝起きで皮膚が乾燥して喉が渇いていた。時計を見るとまだ一時間しか眠っていない。いつも二時間は眠っているのにもう昼寝だから二度寝は出来ない。それが不服で時計を名残惜しそうに見ながらも玄関に行った。
「はい? 」と言った。
「どうも」
「何ですか? 」
「今日からやっかいになります」
「は? 」
優はまだ寝ぼけている頭で、寝ぼけている事を自覚しながらドアをそっと開けて見ると寿司屋の源さんだった。山に囲まれた街にある寿司屋の源さんは大きな街の有名な店の名人のもとで厳しい修行をした。その名人と言われた名人に源は俺を超すだろう、いや、もう越しているかも知れない、と周りにもらしたほどで、体裁がある周りの弟子達はそんな事はないです。確かにいい腕ですがまだまだですとあわてさせたぐらいの腕があり、実際はもうその名人を越していた。その事を源さん自身は十分自覚していたけれど、優しい性格だから、まだまだです、とうぬぼれる事はなかった。山の街、つまり地元に帰って店を開く事を名人は大変惜しんだけれど、源さんは帰って店を開いた。店は繁盛した。優の祖父も源さんの寿司が大好きで源さんをかわいがった。優も祖父に店に連れて行ってもらい大好きなかんぴょう巻きと太巻きを食べた。祖父が亡くなってからはあまり源さんの店には行かなくなったけれど優とは知り合いである。出前も源さんはやらず、お手伝いのおばさんが軽自動車でやっている。だからここに源さんがいる事を不思議に思う。何か用でもあるのだろうか? と源さんだからとドアを開けて気づいた。違う。源さんではない。源さんに似ているけれど、源さんよりも若く背が高い。優は寝ぼけていたけれどハッキリと眼覚めてドアを持ったまま足を引いていつでも相手の急所が蹴れる体制になった。
「誰ですか? あなた」と優は怒りを込めて言う。お客さんかも知れないから、まだ怒りの感情を出すべきではないけれど、自然と沸いた。
「名前はありません」完全に頭がおかしい! 大きな声も出さなければダメだ。
「何の用ですか?」冷静にならなければならないと思いながら聞いた。前の道路を自転車をこいでいる男の子が通った。知り合いではなかった。知り合いだったら声を掛けていたのに! いや、知り合いでなくても声を掛けるべきだった。
「今日からこの家にやっかいになります」
「何を言っているのですか!」そんな話は聞いていない。下宿なんてする場所でもない。家を間違っているのかしら? と少し冷静になった。
「間違ってるんじゃないですか! ここは岡村ですよ」
「そうです、岡村さんです。優さんでしょ」
優は歯を喰いしばった。少女と大人が混ざりスーと細長い美しいラインの顔と瞳と楯につりあがる眉で険しい顔になる。じっと見詰めているのは怒りの対象者である。時間を気にする。いったい何分経ったのだろう? 男も優も動かない。優は男が行動するのを待っている。いきなりさすがに相手の急所を狙う訳にはどうも行かないのだ。いや、そんな無駄な時間を過ごす訳には行かない。
「今、一人なんです。両親は留守ですから帰って下さい!」長いにらみあいが冷静にさせたつもりが逆だった。今、一人だと答えてしまった。男はふっと笑って優を見下したのだ。優は力強く拳を握った。
「大丈夫です、私があなたを守りますから」変態だ。ストーカーだ!
「帰って! 帰らないと大声出しますよ」
「それは困りますよ、だって大声出すと大騒ぎになるでしょう、それに帰るってどこへ?」
「どこへってあなたの家でしょ」
「私の家は今日からここなんです」
「やりますよ、女だからってなめてたら」男は黙って優を見ている。
「帰って、帰って、帰れ!」
「嫌です」
優はもう仕方ないと言う気持や状況よりも先に手が出た。正拳突きが見事に相手のみぞおちに決まった。その服やシャツを通しての感覚は今までは空手の胴着やシャツ、素肌に直接拳が触れて慣れて分っているけどその中の男の筋肉の固さに驚いた。こんなに固い腹筋は初めてである。優は手を放して男を見上げて確認する。男は平然としている。やばい! アスリートかも知れない。しかも相当な強者だろう。優は自分の正拳に自信があった。と言うのは、デブの大島さんという会社員の人と組手をやって分厚い脂肪に正拳を突いた時、デブで脂肪に守られているはずなのに、大島さんが顔をゆがめてお腹を押さえた程であった。優はそうだ、外に出ればいいんだ、と男と玄関の隙間からさっと外に出た。男は優を眼で追っていた。優は最悪中に入られてもいいけれど、この体制なら逃げる事も出来るし、身体の自由が効いて思い切り戦う事も出来ると考えた。優は男性に正拳を連打した。男性は平然としている。優はそれならばと引いて前蹴りをお腹に入れた。男性はまったく表情を変えない。おかしい! さすがに優はあせり、さらに引いて得意のジャンプで膝を顎に入れた。けれど男性は困った顔で立っている。優は急所を蹴り上げた。たまに練習で男の子の急所に蹴りが入ると男の子は悶絶する。ところが男性は平気だ。優は膝を狙い蹴った。でも平気だ。ダメだ。優はパニックになってせっかく外に出ていたのに警察を呼ぼうと中に入ってドアをしめようとした。すると男性が閉るドアに指を入れた。優の素早い行動でドアは閉まろうとして男性の指をその間に挟んだ。優はさすがにあっ! と思うが、男性は普通、痛がって指を抑えると思うのだけれど、男性はそこからドアを開けた。優は震えた。声も出ない。とにかく電話をしようと玄関をあがろうとしたら、後ろのシャツを持たれて引っ張られた。すごい力で優は退いた。きゃ! と悲鳴を上げた。これが男性の力なのか! 優はプロレスラーのどんぐりヤマダを見た事がある。どんぐりはバラエティー番組にも出る人気者でプロレスラーとしては背は大きくない方で太っている。よくアイドルの女の子にたたかれたりもしている。優は実際見た時、あれぐらいなら私だって勝てると密かに思ったけれど、やっぱりどんぐりヤマダもすごいんだとこの切羽詰まった状況で思い、さらに優しい男だけれど実際に女性と二人切りになったら豹変するだろうとどんぐりヤマダが豹変した顔を優しいどんぐりヤマダには悪いけれど勝手に想像した。男性は自分のジャケットの内ポケットから封筒を出した。優はこれで叩かれるとひやっとした。でも冷静に考えたら薄っぺらい封筒である。よく見ると、優へ! と書いてある。優は息を乱しながらその封筒を男を見ながら受け取る。男は優を見て頷いた。手紙が入っていた。なんと祖父からだった。それは祖父が優にプレゼントがあると言っていたプレゼントそのものであった。男はロボットであり、祖父が可愛がっていた源さんをモデルにしてあるとも書かれていた。ロボットは優と洋介の命令は何でも聞くと書いてあった。
「あんた、ロボットなの!」
「はい」とロボットはにっこりと笑った。
ママが帰って来て、ママに事情を説明した。優は納得がいかなかった。パパと洋介も帰って来て、リビングで家族会議が開かれた。
「あれがロボットなんて信じられる!」と優は怒った。
「しかし、お義父さんが手紙でそう書いているんだから、そうだろう、お義父さんはロボット工学の天才だったんだから、それに源さんにそっくりじゃないか」とパパはロボットを受け入れるような事を言う。そのロボットはリビングの外の廊下に突っ立っている。
「あんなの嫌よ、どうするの? 食事とか寝るとことか」と優は露骨に言った。ロボットにも優の言葉は聞こえていて、ロボットは瞼を一重にして聞いている。
「食事はロボットだからいらんだろ。それに寝るのもああやってずっと立ってられるんだからどこでもいいだろ」とパパ。
「三年経って今頃来られてもねえ、住民票とかどうするのよ」とママ。
「ロボットだからいいだろ、でも近所には説明しないとな」とパパ。
「嫌よ、倉庫にでも入れておいたら、ロボットなんだから」と優は激しく否定する。ロボットは廊下で聞いている。
「それは不気味よ」とママ。
「スイッチ切っておけばいいじゃん」と優。
「スイッチなんてあるの? ひょっとしてガソリンとかで動くの? 車二台あってガソリン代かかるじゃない」とママ。
「だから動かさなければいいのよ」と優。大人しくソファに座っていた洋介が立ち上がり廊下に出てロボットを見上げた。ロボットは洋介を上から見下した。
「洋ちゃんダメよ、こっち来なさい」とママに言われ洋介はリビングに戻った。
「とにかく私は嫌、あんな不気味なの、みんなに笑われるわ、私言ってくる」と優は立ち上がり廊下に出てロボットの前に立った。
「あんた、私の言う事何でも聞くんでしょ」
「そうですよ」とロボットは優を見下して答える。
「じゃあ、今すぐ元いたおじいちゃんの研究室に帰ってスイッチをオフにして寝てなさい、もう起きて来なくてもいいから」
「それは嫌です」
「何で! 」
「それは寂しい」
「あんたロボットでしょ、ロボットのくせに変な感情持たないでよ」
「いや、私は感情を持ったロボットなんです。博士がそのように作った。優さんや洋介君とともにいろんな体験をして成長するように作られたスーパーロボットなんです」
「いいわよ、成長なんかしなくってもロボットなんだから、さ、早く出て行って、命令よ」
ロボットはギクッとなる。今更研究室の暗い部屋の箱の中に戻って動かなくなるのは嫌だ。
「それはもう出来ないのです。一度スイッチがオンになるともう優さんと洋介さんを守るためにずっと近くにいるように出来ているのですから」
「じゃあ、あんたいつまでここにいるつもりなのよ」と優は驚いた。
「さあ、任務が終わるまででしょう」
「任務って何よ」
「優さんと洋介さんを守る事です」
「守る! 誰から守るのよ、私は悪の組織に狙われてでもいるの? 何で狙われてるのよ」
「さあ、そこまでは」
「いい加減な事言わないでよ」
リビングで優とロボットの様子をパパとママは聞いている。洋介はロボットを心配している。それにしてもこれほど歓迎されていないとはとロボットは弱った。優は長く興奮して鼻から荒い息を吐いた。力強くリビングに戻って勢いよくソファに座った。隣のパパが浮くぐらいだった。優はパパとママに何とか言ってよ、と文句を言うが、パパもママも困った。ロボットはその様子を見て、どうなるのだろう? と心配する。本当に素晴らしい最新型のロボットであるのにこんなにも興味を示さない事にロボットは驚いた。でも、一人興味を持っている洋介がこっちを見ているので、ロボットは愛想よく笑うと洋介も笑った。部屋の時計は九時をまわった。
「あのちょっといいですか」とロボットがリビングに入ろうとする。優はそれに気づいて入るな、と命令した。ロボットは足をリビングにつけるギリギリで浮かせて停まってその体制のまま立っている。
「あの私、食事も水も入りません。と言うのは太陽エネルギーで動いていますから、晴れた日に充電すれば大丈夫です。ま、と言っても、普通に外を歩いているだけで充電になるから心配ないです、それと力があります。タンスなんか余裕で運べますよ、それに疲れませんからね、とても便利だと思いますよ。どうぞ」
「何がどうぞよ」とロボットの言い分に優はイライラする。
「でも、いても、農家とかやってるならイロイロお手伝いやってもらって便利だろうけれど、これと言ってないから、優や洋介が学校に行ってる間どうするの? 家でゴロゴロしてちゃロボちゃんみたいなじゃない」とママ。
「ロボちゃんですか?」とロボットは考える。ロボちゃん? 何だろう? 多分、自分と同じロボットで多分それは漫画でアニメになり子供にすごい人気で映画化もされている人気者であろうと、まったくぴったりの正解をはじき出した。
「冗談じゃないわ、学校から帰ったらこんなのが私のそばにいつもいるの。きもいじゃない」と優。
家族会議は続いた。夕食は外食の予定だったけれど、ママと洋介がスーパーに行っておかずを買って来た。結局、結論は出ず、曖昧になり、なんとなくロボットはこの家に暮らす事になり、ロボットは迷惑を掛けないようひっそりと暮らしていた。優には徹底的に無視され傷付いた。けれども洋介は興味津々で遊んだ。ロボットと外で遊んでいると友達が誰? と聞いた。洋介は親戚と答えた。みんなとも仲良くなった。
「あの人なんて呼べばいいの」と洋介はママに聞いた。
「呼び名か、そうだなあ」と残業で夜遅く帰って来たパパが一人で食事をしながら考えた。空手の稽古から帰って来てお風呂に入り上がって牛乳を飲もうと冷蔵庫を開けている優がロボットの呼び名を話題にしている事に気づいて、いつの間にか家族の一員のようにこの家で暮らしているロボットに腹を立てていた。
「あんなのロボットでいいわよ」と優は言いグラスに牛乳を注いでリビングに行った。リビングではロボットはソファに座って社会勉強としてテレビを観ていた。優が来ると気を使って立ち上がってソファの後ろに立った。テレビはニュース番組をやっていたけれど優はすぐにドラマにチャンネルをリモコンでかえた。ロボットは初めて人を憎み殺してやりたいと思った。
最近、岡村さんの家に源さんよく行くのねえ! と寿司屋の客が源さん本人に言った。
「いや、行ってないよ。出前も俺は行かないから」
「あ、そう、人違いかな」とこんな会話がたまに寿司屋の客と源さんの間であった。
それでやはり、隣の立花のおばさんが庭で洋介と男性が遊んでいて、よく見ると源さんなので声を掛けた。
「こんにちは。珍しいわね。源さん」ロボットは動きを止めて立花のおばさんの顔をじーと見る。立花のおばさんもロボットを見る。おばさんはあ、似てるけれど違う! 源さんよりも若くて背が高いと気づいた。
「洋ちゃん、親戚の方?」
「ううん、違うよ、ロボットなんだ」
「ロボット?」
「うん、おじいちゃんが作った」
「ああ、あ、そう、そうなのすごいわね」
山に囲まれ田畑があり自然豊かな土地である。近くにはやがて大きい川になる小川も流れていて上流に行けばその幅は狭くなって行く。そのずっと先には鯉の養殖場があり近所の小さい子供達は鯉を見にやって来る。養殖業をやっている正野のおじさんは優しい人でやって来た子供達を優しく見守り気をつけて帰るようにとたまに声を掛ける。優が小さい頃は祖父母、両親によく連れて来てもらい、友達とも来たし、洋介を連れて来た事も何回もあり一人でも来た。たまに最近、一人で来る事もある。高校生で一人で来るのは優ぐらいである。鯉が泳いでいる水槽には黒い水に金色や赤やオレンジ、白などカラフルな鯉が泳いでいる。もう、夕暮れで山の近くに太陽が沈んでいる美しい時間である。夏ならばやっと暑さが引き秋冬春ならオレンジ色が暖かい心地にさせてくれる。優は一人歩いて家に帰った。庭ではまだロボットと洋介が遊んでいる。この自然豊かで時間のゆっくりと流れている土地には世界でも最も優れ時代を超越しているロボットは不釣り合いである。家に帰った時洋介とロボットはまだ庭で遊んでいた。その姿をリビングの窓から見ている。立花のおばさんはあの博士が作ったのだから理解出来た。それにしても人間そっくりなのには驚いた。それから噂は流れて近所から、地域にまでひろがった。有名な博士であったかたら素晴らしいロボットを作った事は不思議ではないけれど実際見に来た人は普通の人間じゃん! とさすがに驚いた。なんせ、まだテレビで観るロボットはこの間まで子供だましの犬みたいなぎくしゃくしたロボットでの二足歩行でもギクシャクしてこっちが気を使う程であり、顔なんかはいわゆるサンバイザーをおもいきりかぶったおばさんみたいにつるんとしている。一方ではあまり動きはないけれど、人間が喋った言葉にちゃんとアンサーを出すロボットは制服なんぞ来て顔も一瞬見たら人間そっくりと驚くぐらいのロボットもいて、それはたいがい女性でダッチワイフみたいな顔をしていてでもやはりよく見るとロボットなのであるが、源さんはまったくの人間であり、本物を見た人は映画や漫画で描かれたサイボーグ人間と変わらないと思うのである。
橋本のおじいちゃんは一人暮らしで農業をやっている。子供達は家を出て都会で暮らしていてたまに長女の夫婦が様子を見にやって来るぐらいだ。ある日、農作業を終えて家に帰ろうと軽トラックをバックさせていると謝って畑に後ろから落ちた。橋本のおじちゃんは動きが取れなかった。もう外はうす暗い。携帯も持っていない。周りは田んぼや畑だらけであまり車も人も通らないのである。そこへ中学生の智也が通った。中学校のサッカー部の帰りでさらに友達の家で遊んでいて遅くなってたのだ。自転車のライトが周りを灯していて、田んぼに車が落ちているのを見て驚いた。誰もいなくてトラックだけあるのかな、と見てみるとおじいちゃんがいるのでびっくりした。話掛けると元気だった。どうやら、ドアも引っ掛って開かないみたいだ。智也も携帯を持っていないので、すぐに人を呼んで来ますから、と言うと橋本のおじいちゃんは中から優しく頷いた。こりゃ、大変だと智也は急いだ。するとすぐに人が見えた。洋介とロボットだった。
「ああ、洋介!」
「智也君」智也と洋介は仲が良い。同じサッカークラブの先輩と後輩の間柄で智也は洋介をよくかわいがった。洋介はロボットと遊んでいて帰りが少し遅くなったのだ。
「大変だ。橋本のおじいちゃんが畑に車ごと落ちたんだ」
「え! おじいちゃんが」
「俺、人呼んで来るからお前ちょっとここにいて見ててくれよ」
「うん、分かった」と言い、智也はそのまま自転車をこいで行った。洋介とロボットは走った。洋介は畑に落ちているおじいちゃんの車を見つけ近づいて窓を見た。するとおじいちゃんは洋介に気づいて笑った。おじいちゃんは腰がまがりいつも畑で農作業をやっている。長い白いシャツと帽子をかぶっている。細い身体で顔にはしわが何本もある。田んぼも畑もやってない岡村家によく野菜を持って来てくれる。さつまいもも作っていていも堀を保育園でやらせてもらった事もある。青白くなった空には虫がとんでいる。
「ロボちゃんどうする?」と洋介はまだ声変わりしてない幼い声で言った。と言うのは洋介はおじいちゃんが心配でなんとかしたいと言う気持があるけれど、自分はまだ子供だし、ロボットは見かけが大人で大人一人の力ではなんともならないだろうと思うのだ。
「この車を上げればいいんでしょう」
「そうだけど、上がるの?」
「上がりまさあ」とロボットは優がいたら激しく冷たい眼で見られるような少しふざけたでも余裕綽々のセリフを言った。
「気をつけてよ、中におじいちゃんいるんだからね」と洋介は言った。ロボットはなんと、自分の身体を青色発光ダイオードみたくいや、まさにそれなんだけれど発光させると畑に飛び降りた。
「あ、ちょっと、待って」と洋介は青色に輝いたロボットに驚きつつ、やれるんじゃないか、と思う。
「おじいちゃん、今からこのロボットが車を持ち上げるから気をつけてね」と大きな声で洋介は言った。おじいちゃんは優しく頷いた。後ろには大きな里芋の葉が優しい風で揺れている。ロボットはトラックの後ろに回ると持ち上げた。そのまま、前に押し上げるのかと思っていたら、ロボットの身体からキュイーンとモーター音が聞こえた。大丈夫か! と洋介は心配したが、ロボットはそのまま軽々とトラックを道路に押し上げた。洋介はおじいちゃんを見た。おじいちゃんは笑った。トラックから降りて来て、洋介とロボットにお礼を言った。智也が車に乗って大人を連れて来たけけれどもうトラックは畑から出ている。周りにはおじいちゃんと洋介と青色発光ダイオードを発していて虫が身体じゅうにたかっているロボットしかいないので、驚いた。おじいちゃんは身体を少し打ったが平気だった。翌日の朝早くおじいちゃんはお礼に野菜をたくさん持って来た。その話はゆうべ洋介が自慢して話していたからママも聞いていた。ロボットにそんな能力があるとは知らなかったからパパもママもよく褒めた。優だけ冷ややかに無関心を装っていた。問題は加速する。その事が話題になり地元の新聞で取り上げられた。優の通っている学校で話題になり、優はロボットの存在を知らなかった連中、それは生徒だけではなくて先生にまで聞かれてうんざりした。さらに地元のテレビ局の取材、ネットから全国放送のテレビまで取り上げられた。
「まさか、これほど人間と変わらないロボットが開発されているなんて驚きです」と女性のリポーターが岡村家にやって来てロボットを紹介しながら言った。優はとても頭のいい犬を飼っている家族みたいに紹介されるのが嫌で一人だけ遠くにいた。洋介は仲良くロボットと取材を受けている。祖父の教え子であったロボット工学の第一人者の東教授も取材を受けた。テレビの影響はすごく、岡村家は観光地になったみたいに家にロボットに会いに来た。優は優で学校で大人気漫画のロボちゃんみたいに勉強手伝ってくれるの? みたいな下らない質問をされてうんざりした。家に帰るとロボットは見学に来た人との触れ合いが終ってリビングで胡坐をかいてテレビを観ていた。それを見て優は腹が立って腹が立って仕方なかった。けれど、まったくロボットが人間と変わらないので、会いに来た人も普通の人に会いに来ているのと同じ感覚になりそれがネットなどで伝わって一か月で人は来なくなった。
優はその間貯まったストレスはもっぱら空手道場での稽古で発散した。サンドバッグに突きや蹴りを激しく入れていると後ろから声が掛った。
「最近すごいな」と声を掛けたのは深沢良だった。一つ上で智也のいとこである。優は昔から良が好きであり王子そのものだった。その憧れの良にはかわいい美郷という恋人がいる。だから一方的な片想いであるが、その熱はまったく冷めない。子供の頃から知り合いで小さい頃はよく話をしたが好きと言う感情が起ってからは緊張してあまり喋れなくなっている。汗をたくさんかいている自分が汗臭くないか心配になった。良とはこちらからは何も喋れず愛想笑いだけだった。家に帰ると汗を早く流したくてお風呂に入ろうと思った。
「今、洋ちゃんとロボちゃんが入っているわよ」とママに言われ、汗が引いて冷たくなっていた身体がだんだん、怒りで中から熱くなって来るのを感じた。なんでロボットのくせにお風呂に入ってるのよ! と血流が熱くなり、血圧なんか気にする年齢ではないのにものすごく上っていた。鏡を見ると怒りの表情の自分が映っている。お風呂に入る事を指摘した事があった。
「ええ、大丈夫なんです。水陸両用なんです」と答えた。ママの所に行った。
「もう空手から帰ってすぐにお風呂に入りたいの分かってるでしょ」と優はママにあたる。
「そう言ってるけど洋介がロボちゃんと入りたがって、ロボちゃんも今お仕事しているから」
ロボットは何もしないでいるのも変だからと最近では近くの人手が足りない場所でお手伝いをしている。そこでは安い賃金だけれど給料ももらっている。
「なんでお風呂に入るのよ。汗かかないのに」
「私に怒っても」とママは困惑する。実際、ロボットは汗もかかず、疲れないので、手伝いに行くととても感謝されていろんなところから手伝いに来てくれと言われている。洋介とロボットがお風呂から出て来た。
「お帰りなさい」とロボット。優は何も言わず怒りの表情でロボットを見る。
「あんたさあ、私が空手で汗かいて帰って来てすぐにお風呂に入りたいの分かってるでしょ」
「すいません、残業して遅くなってしまったもんですから」
「知らないわよ。汗かかないんだからお風呂入っても意味ないんだからお風呂入らないでよ」
ロボットはこの数か月常に特に優に対しては笑顔であったけれどその笑顔もゆるみ真顔になっている。
「私も労働してまして汗はかかないけれど汚れますもんで」
「服だけ洗ってあとはさ、雑巾で拭くとか庭の水で洗えばいいじゃない」
「そんな犬っころじゃあるまいし、通った人が驚きますよ」
「驚かないわよ。有名ロボットなんだから」と優は嫌味。
「でもやっぱり湯船につかりたいんです」
「疲れないんでしょ」
「気分の問題です」
「気分!」優の身体に電気が走った。ロボットはそれに気づいて二重が一重になる。二人の空間に緊張が走る。洋介が牛乳をグラスに注いでいる。優はそれを奪ってロボットにぶっかけてやろうかと思った。廊下にある鳩時計が鳴った。
その日の優のたまにしか書かない日記には殺という文字が何度も書かれていた。
夏の始まり頃、期末テストが終わると高校はテスト休みに入る。去年友達はみんな旅行に出掛けていて遊べなかったのでいろいろと遊びたいと思う。そんな中幼馴染の美沙が海に行こうと誘って来た。行くのは美沙、恵、華の仲良し四人で遊ぶ時はいつもこの四人である。ママに言うと、変な男に軟派されて、ついて言っちゃダメよ、と注意されたけれど、許可が出た。美沙のママとママは幼馴染で仲が良い。ママは美沙の母親の所に電話した。
「そうねえ、高校生だからいいんじゃない、私達も行ったじゃない」
「そう、りっちゃんがクジラに噛まれて」
「クラゲよ」
「ああ、クラゲか、泣いちゃって、海の家の優しいお兄さんに手当してもらってその人に告白したら彼女がいてまた泣いて」
ママが電話しながらケラケラ笑っているのをロボットは一重で聞いている。
「でも、怖いのはみんなかわいい子ばかりでしょ、だから美沙なんか、軟派されるとほいほいついて行きそうで」
「優がいるから大丈夫よ。空手やってるから」
「そりゃ、咄嗟の護身術にはなるけれど、悪い男ってのは優しい顔して近づいて来るから、これで妊娠でもしたら家のおじいちゃんどうなるか、美沙の事がかわいくてかわいくてしようがないんだから」
「妊娠ねえ、谷口さんも海の妊娠で高校辞めたじゃない」
「そうよ、結局産んで男は働きながら育てるとかいいながら他に女作ってさ、養育費なんて入れてもらえず、街出たり戻って来て仕事して育てながら今でも苦労してるんだから」
ロボットは話が長いな、と思う。
「優なんかどこか浮かれるとふわふわふわふわする事があるから」
「優ちゃんって処女?」
ロボットは聴力機能を上げた。
「処女、処女、ボーイフレンドは中学生の時いたけれど手繋いだり、キスぐらいじゃない、だって良君の事が未だに好きなんだもの」
「ああ、空手やってるイケメンね」
「そう以外と純だから、で、美沙ちゃんは?」
「うちのも処女、興味はあるみたいだけど」
「でも、いいのよ、まだで、そんな若い頃からやりまくっても」
「だから、海に行くのが怖いのよ」
「そうか」
ロボットは腕を組んだ。
「じゃあさ、うちのロボちゃんを監視役としてつけるってのはどう?」
「ああ、あのロボットのロボちゃん、でも、嫌がるんじゃない、特に優ちゃんが」
「そうなの、一緒に行くと言うと怒るから、優達には内緒でつけさせるの」
「ばれないかしら?」
「大丈夫よ、動きは早いからそれにいろんな機能がついて消えたり出来るから」
無理無理忍者じゃないんだからとロボットは首を振る。
「ああ、でもそうしてもらえると安心だわ」
帰って来たパパと相談したママはロボットを呼んだ。
「分かりました、引き受けましょう、何か危険な事があれば守ればいいんですね」とロボットは先程の処女という言葉を言いそうになり、パパの眼を見て止めた。話は決まった。
優は美沙と恵と自転車で水着を買いに行った。華は海に行かない、と断っていて三人で行く事になっている。それぞれ流行りの水着をイロイロ迷って選んで決めて買った。
ロボットはテレビをよく観る。それと眠らないのでずっと洋介が眠っているベッドの隣で図書館で借りて来た本を読んでいる。いつも五冊借りていて夜中じゅう読んでいる。ロボットは洋介が眠ったから辞書で処女という言葉を調べた。パソコンでも調べた。よく手伝いに行っている工場の野辺というやつにも聞いた。
「処女? そりゃ、処女はいいよ、俺はやった事ないけれど、一っぺんでいいから経験してみたいな」どういう事だろう、経験とは? 自分が処女になるって事だろうか? そのへんを詳しく素直に聞いた。
「違う、違う、処女の女とエッチをやってみたいって事さ」
「その何か得があるの?」
「そりゃ、初めての男性になるから記憶に残るじゃん」
「記憶ねえ、じゃあ処女は男女にとっていいの?」
「いいさ、中には面倒だ、なんていかにもプレイボーイみたいな事言うやつがいるけれど、内心いいと思ってるんだぜ、けがれてないってのがいいじゃない」
ロボットは野辺が言った事を仕事の帰りに本屋によって見つけた小説家山川キブンのデビュー作を読みながら考えていた。
「つまらない、小説だ」と一度も処女らしき女性が出て来ず、あほらしい事しか書いてない小説だった。そりゃ、そうだ、単純に処女作と帯に書いてあり処女とはまったく関係がないのだから。
朝になり、ママが隣の優の部屋で何か言っているのが聞こえた。もうロボットは準備は出来ている。昨夜から優は熱があるみたいな事を言っていた。優はベッドから起き上がるが頬は赤くなっていた。その前日、優は空手の稽古から帰る時雨が降り濡れて帰っていた。昨日は少し鼻声でうがいをしていた。けれど、やはり風邪をひいたらしい。優は行くと言ったけれど、ママが叱った。ママが部屋から出て来た。ロボットはそこで会った。
「どうしたんです?」
「風邪、熱が三十八度もあるわ、赤い顔して、それでも行くって言うから冗談じゃないって」
「で、どうするんです?」
「優は仕事に行く前に病院に連れて行くから、それで美沙ちゃん達にはこれから電話して確認するから待ってね」とママが下に降りて行った。ロボットは閉まっている優の部屋のドアを見た。
ママが美沙の母親に連絡すると、いったん電話を切り、今度は美沙の母親からママの所に電話があった。来週にでも延ばす? とママが言ったけれど、美沙も恵も予定があるので、せっかくだから二人だけでも行くと言う。ママは了解した。もちろん、ロボットが分からないようについて行く事を美沙の母親には伝えた。
「ロボちゃん、二人だけで行くって言うから気づかれないように着いて行ってあげてよ、もしもの事があったら、お願いね」とママに言われ、ロボットは了解した。洋介が起きてラジオ体操に行った。ロボットはその部屋に行き、用意していたサングラスとキャップをかぶって部屋から出た。優の部屋を見た。ドアが閉まっていた。階段を降りるとパパが車で少し早いけれど送って行くと言う。ロボットは平気だったけれどせっかくなので、車に乗って行った。外はいい天気だ。
駅に着くと切符を買い、ホームに行った。ホームにはもうおしゃれをして水着が入ったバッグを持った美沙と恵が待っていた。早朝のホームにはクラブ活動で高校に行く生徒や仕事に行く人達がいた。二両の列車が来るとみんな乗り込んだ。もうロボットとは顔見知りの二人だけれどまったくロボットには気付いていない。ロボットは離れて斜めの席に座る。二人はドアの隣の二人掛けの横椅子の席に座った。ロボットは四人掛けの席に老婆と太った男性、それに中年の女性と座っている。列車はガタンゴトンとゆっくりと各駅に停まりながら進んでいる。青空で陽射しはきつく、畑に咲いている大きなひまわりを照らしている。
優はママの車に乗って病院に行き一人で降ろされた。手には保険証とお金がある。まだ診察の九時前であるがもうお年寄りや額に熱を冷ます冷却シートを張り母親に抱っこされた小さい女の子などがいた。優はのどがとても痛く、熱もあって、ぼうとしている。とてもじゃないけれど、海に行けないと病院の冷たいソファに座ってもたれながら思っていた。
ロボットは海を実際見るのは初めてだった。青い、それが少しだと思っていたらずっと先まで続いている風景を見て感動して美沙と恵をほっといて走って見に行った。よく晴れていて上も空も青く美しい。風が身体にあたる。なるほど、海岸には海の家が並んでいて水着を着た人達がたくさんいる。美沙と恵は笑顔で海の家に行き着替えて水着になった。ロボットは水着姿の二人を見て見失わないようにと思う。それ以外の事は何にも感じない。
優は喉を開けて医者に平べったい銀のヘラで舌を押されてウエッとなり瞳に涙があふれた。
「腫れてるわね」と女性の先生に言われた。薬をもらい、外に出た。暑く熱もあってだるい。つらかった。それでもスーパーまで歩いて行って、栄養ドリンクとポカリスエットとCCレモンを買い、スープと天ぷらとねぎと七味がついたうどんとさらにねぎとコロッケ、さらに天丼、バニラアイスを買ってバスに乗って帰った。家に着いてだるい身体にうどんを作る。キーンコーンカーンコーンと洋介が通っている小学校のチャイムが鳴った。高校はもうテスト休みだけれど小学校は夏休みではない。まだ十時過ぎである。うどんを鍋で温め、レンジで天丼を温める。リビングにお盆でそれらを持って行きテレビをみながら食べる。テレビでは海水浴場が映し出されて天気予報をやっている。
ロボットはジーンズの裾を上げて裸足になり海に足をつけた。なるほどこれが海か! ジーンズにTシャツ姿なのはロボットだけ周りはみんな水着である。ロボットは泳ぐつもりはないのでそのまま後ろに下がり遠くから美沙と恵を監視するつもりだ。おや、と思う。黄色い帽子をかぶり日に焼けた筋肉の肉体の男性をずっと見る。ライフガードの男性である。ロボットはその男性をずっと見ていた。
優はお腹いっぱいになり、薬を飲みさらに栄養ドリンクを飲むと歯を磨いてうがいを何度も繰り返した。自分の部屋に行くのは面倒なので、タオルケットを持って来てクーラーの効いたリビングのソファでテレビを観ながら横になった。眠くなり眼を閉じて眠った。
遠くには島が見える。小さい女の子が浪打際に立ち波が来ると奇声をあげて喜んでいる。美沙と恵は泳いだりして遊んでいる。持って来た大きなサングラスを掛けてシートを砂浜にしいてそこに寝転がった。ロボットは遠くから汗もかかず、二人を気にしながら周りも見ている。そばにはいい身体をした女性も男性も通るけれどロボットは男性を見ている。高性能の体内にあるメモリー装置を動かした。美沙と恵は海の家に戻りラーメンを食べた。さっきいけてない三人組の若い男性に軟派された事をおかしく話した。
優はソファで眠っている。優しいクーラーの風が吹いている。
二人が海に戻るとまた声を掛けられたがおじさんだったり、太った男性で聞くと大学の相撲部だった。ロボットは二人から離れて歩いた。ライフセーバー達はもちろん、彼女と来ているイケメンや家族で来ている男性でもかっこよくたくましい身体の男性を撮影していた。サングラスを掛けた男性二人が砂浜に寝転んで日焼けしている女性二人に声を掛けた。背が高く肉体もすらっとしている。女性二人が身体を起こして声を掛けられた事に喜んで二人して顔を合わせて笑った。男性二人がサングラスを取るとすごいブサイクで、女二人は余計に笑い、手を叩いて爆笑した。男性二人は顔を合わせて歩いて行った。ロボットもなんだ! ブサイクか! と通り過ぎた。カッコイイ、ライフセイバーを見つけて、ロボットはその男性を見ていた。美沙も恵も声を掛けられているけれど、大丈夫! 二人はしっかりしていて軟派される事を楽しんでいるだけだと思っていた。キャーと悲鳴が上がった。すると見ていたライフセーバーが走って沖合の方に行った。ロボットは望遠機能で悲鳴があった方を見た。すると頭が海に浮いている。ライフセーバーは浪打際を波しぶきを上げながら走り泳いで、浮いている頭の所へ行った。するとその頭を持ち上げると髪の毛だけだった。それはカツラでそばにはげたおっさんが来て謝りながらカツラを持ってあわててどこかへ行った。ライフセーバーは立ったまま苦笑いした。ロボットはなんだ! と思う。美沙と恵のところへ戻るといない。海で遊んでいるかな、と思って探したけれど、いない。あわてて海の家に行ったけれどいない。もう帰ったのか? と階段を上がるとなんと着替えて服を着た恵と美沙がイケメンの二人と歩いているのが遠くに見えて、ありゃ、と思っていると、二人はイケメンの車に乗って行った。やばいな、とロボットは走り出した。走ると言ってもロボットなのでめちゃくちゃ早い。ばあさんなんか早すぎてかまいたちが通ったと勘違いするほどだ。それでも走るのにはスピードの限界があるので、バイクに変化する。それは可能なのだけれど、服を脱がなければならない。ロボットは服を脱いでリュックに閉った。トランクス一枚になったけれど夏でしかも海の近くでよかった。海水浴客と周りは思ってくれるからだ。でも、歩道で急に男性がうつぶせになってそれからバイクのように走り出したのを見れば誰でも驚くであろうが幸い周りに人はいなかった。だけれど無人のバイクが走っているので運転している人は驚いて二度見する。信号でも律儀に停まっていてなんじゃろか、と車の中から家族で見たり、トラックの運転手は疲れているんだと自分を慰めた。バイクは車に追いついてでもばれないように距離を保って着いて行った。車は大きな屋敷に入った。門が自動で閉るほどだ。ロボットはバイクから人型にもどり木陰でリュックから服を取り出して来た。さらに本も取り出した。本屋で買った、本である。経験! と言うペーパーブックで、男の子に知って欲しい! 処女から大人へ、実例集、とサブタイトルみたいに入っている。中には写真もあって、若い女の子のヌードもある。それをもうロボットは何度も読んでいるけれど改めて確認する。
二十歳、学生、Aちゃんの場合。
「私が処女を失ったのは高二の夏でした。お決まりの海です。友達はほとんど彼がいて経験しちゃってる子が多いけれど私は自分で言うのもなんですが、友達の中で一番の美人ですが、なぜか彼が出来なくてそれどころか、告白もされた事がなかったんです。友達が言うには、美人過ぎて彼がいると思われたり、告白してもどうせ俺みたいなのと男性は思っているのよ、と言うのです。それに両親がとても厳しくパパが口うるさいので、私も奥手だったのです。それで海に行けば軟派されて、恋になるかもよ、と言われて海に親には内緒で行ったんです。私は本当はどっちでもいいや、と思っていたんです。ところが海に行くと次々に声を掛けられるんですが、それは私にではなくて友達ばかりです。私はいいや、と思っていると友達が軟派され一緒に遊ぶ事になりました。友達二人には彼がいるのにです。相手も三人で二人はイケメンで一人はかわいい顔をした太っちょの人でした。私は顔はかわいいけれど太っちょは嫌です。でも友達二人はイケメンと盛り上がり私は太っちょを相手にしなければなりません。それで太っちょが言うには自分は二人に無理やり連れて来られた。というのはずっと恋人がいなくて彼女を作る目的で海に来たのだけれど、やはり盛り上ってるのは二人で僕はどうも、と性格も情けない事を言うのです。それで話す話題もなく二人でシートの上で三角座りをして海を見ていました。でもなんとかしなければと気をつかい彼は趣味とか聞いて来ました。私の趣味はピアノです。彼はプロレスです。私はプロレスに興味なんかありません。でも、話相手になってやろうと聞きました。すると、いろんなプロレスの歴史から始まり、カリスマ、団体など、調子に乗って喋ります。団体同士の確執、同期で嫉妬、本当は実力ナンバーワンは誰々で、猛獣戦士の趣味は編み物なんだ、って知らないわ! と私はうざくなって嫌な顔をしました。彼はそれに気づき、自分を改めて大人しくなりました。私は彼を傷付けたかな、と思い、それでやりました。やると太っちょは調子に乗ってむしゃぶりついて来てさりに重いので、私は泣きそうになりました。それから何人もの男性とやりましたが、痩せている男性よりもでも今ではふとっている方が心地いいと思うようになり、今ではふとっちょが大好きです」
二十七歳、OL ピンクさんの場合。
「友達の誕生日パーティーに行った短大の頃です。バンドをやっている彼女の彼がメンバーを連れて来ていて、へヴィメタル系のビジュアル系でみんないろんな色に髪を染めてピアスもいろんな所に刺していて当時十九で処女だった私はまじめだったから嫌だな、と避けていました。背が高いのにロンゲをスプレーで逆立てている人なんか立つたびに天井に髪が当たっていました。流れている音楽はへヴィメタルばかりで頭が痛くて早く帰りたくなりました。ジャンケンで負けた人がビールやお菓子を買って来る事になり、私が負けてしまい、まあ気分転換になっていいや、と思って外に出ると友達の彼が出て来ました。彼は髪は黒のロンゲで色白だけど唇にピアスをしています。彼が言うには俺が欲しい物があるからそれに重いだろ、たくさん買うんだから、車で行こうと言うので、彼の車の助手席に乗りました。すると近くのコンビニがあるのに少し遠回りして、いきなり車を停めそこでいきなりキスされて、やられました。私はピアスの冷たい金属の感覚が皮膚に残っていました。私は泣きました。友達はその時は何も言いませんでしたけれど、ばれていました。私は彼とは一回きりで、ハッキリ言って嫌な想い出だけど、それからセックスがとても好きなのでそれは彼のおかげかな、と思っています、でも、やっぱり最初は優しく好きな人とやりたかったな」
十八歳、大学生、レモンティーちゃんの場合。
「私は十五歳の時です。受験で当時付き合っていた彼のT君と自然の流れです。それまではキスは何度もしたり、お互いの裸はよく見ていましたけれど、高校に合格するまでは止めとこうと決めていました。それでお互いが励みになっていました。けれど冬になり私の部屋で炬燵に入って勉強をしていると彼がずっとこっちを見ている視線に気づきました。あの時のT君の野獣のような眼付が忘れられません。どうしたの? と聞くと、もう我慢出来ないと言うのです、ダメよ、約束だよ、でもダメなんだ、じゃあ、キスでいいじゃん、とキスを何度もしたけれど、やっぱりおさまりきれなくて、私に見せるのです。私はそれでも約束だからと裸を見せると余計興奮して、だから手で、と彼を制止ましたが勢いは止まらず、結局やりました。すると何度も何度もやりました。温泉をほりあてたように出て来て、それからはほぼ毎日やりました。T君とは別れましたけれど、今でもたまに会ってやっています。あの頃を思い出すとふと笑ってしまいます。お互い初めてでうぶだったけれどよかったと思うのです」
美沙と恵は二階の部屋に入ると驚いた。いや、リビングではなくて部屋に入った時、いや、もっと言うならば車に乗った時から、お互いやばいのではないかな、と思っていた。美沙は初めてで、どう思っているのかな? 車中では音楽が流れ会話を楽しくやっていて、楽しんでいるから、雰囲気を壊すのは、どうかな、それを彼女は期待している部分もあって、と恵は美沙の心を探っていて、美沙は美沙でこの雰囲気を台無しにしたらどうしよう、恵に言うと、バカにされるのではと不安だった。それでも二人のイケメンは優しいのである。だから、もう流にまかせようと考えていた。ロボットはロボットで二人はどう思っているのか? と考えあぐんでいた。と言うのは、ママに見張り役で派遣されているのだけれど、お互い盛り上がっていて、それをぶち壊してまで止める勇気はない。それに単に部屋に案内されて楽しんでいるだけかも、それに彼女達の意見もある、それを望んでいるかも知れないのだ。ダメが本当はいいって事もある。人間は本当の事を言わない場合がある、のだ、と産みの親の博士が自分を作りながら聞かせてくれ、さらに本やドラマでも得ている知識だ。だから、ロボットは慎重に実例集などを思い出しながら考えていた。つまり、この場合彼がいる恵は別で処女である美沙は処女を失ってもいい、経験をしたいと考えていて、その親はダメ例え相手がイケメンで美沙が望む相手だとしても、とそこまで思っているだろうか? もし、その場合今から自分が突っ込んで台無しにされたら一生彼女に恨まれるだろう、それこそ優にも恨まれさらに優も美沙にロボットが余計な事してくれたと恨まれては大変なのであるから、本当に難しい所であるとロボットはイヤー装置の音量、それは人間の何倍も聞き取りたい音を聞く事が出来る装置のボリュームを大にして屋敷の外で壁にもたれて聞いていた。美沙達が開けたドアにはなんと男性が三人もいて座っていたのである。そう言えば車に乗り込んだ時、運転しない一人が外で携帯で電話していた映像が恵の頭に浮かんだ。三人の男達はビールを飲みながら、お、来たな、という感じで美沙と恵を見た。男達のそばには大きなベッドが二つ並んである。美沙と恵は背筋が凍りついた。
昼寝から眼が覚めると優はベッドに寝転がったまま唾を飲んだ。お、痛くないぞ、でも違和感があるような、ないような? ともう一度はっきりと確かめたくて飲んだ。やはり、まだ痛い。でも少しましになり、熱も下がった気がする。でも身体はだるい。カーテンが閉っているけれどその隙間を見るとよく晴れている。暑いだろう。こんな日は絶好の海水浴日和だろう。ゆっくりと起きて階段を重い足どりで降りて行き、トイレに行ってからキッチンで買って来たアイスを食べる。ファミリーサイズのバニラでスプーンを持ってポカリスエットとドーナツと医者でもらった薬を持ってリビングに行きテレビを観ながらドーナツを食べてから薬を飲んだ。錠剤と粉薬でまず錠剤を二種類飲んで、その後に粉薬を飲んだ。苦味が残りすぐにポカリスエットを飲んでからお楽しみのアイスを食べた。冷たくて甘くて喉の痛みを少し忘れる事が出来た。
三人の男性はみんなブサイクだった。まだ若いけれど美沙と恵を軟派して連れて来た男性よりも年齢は上だと分った。この三人のために連れて来られたのだな、と恵は理解した。美沙も恵も日焼けして肌が赤くなっている。それは優や華に自慢しようと思っていたけれどその痛みがこの状況にあってひりひりとする。三人のうち真ん中の男性は短髪でサングラスを掛け長袖の白いシャツをボタンを留めないで着ている、一人はロンゲでシルバーのアクセサリーを身につけピアスもしている、もう一人はデブだ。軟派したイケメンの一人が後ろから現れてビデオカメラを持っている。かわいい女の子だね、とロンゲが言った。真ん中のサングラスが笑った。俺はあの純粋そうな方がいい、とデブは美沙の事を言った。サングラスはフン! と笑った。美沙は怖くて恵すら見る事が出来ない。泣きたくなるけれど涙すら出ない。部屋は大きくアンティークな時計とか置物が置いてある。サングラスがビールをグラスに注いで飲み干した。セミの声が聞こえている。男はグラスを木のテーブルにコトリと乾いた音を立てて置いた。グラスには残った泡が上から下にゆっくりと流れている。
「お前達にしたら、今日は上出来だな、いつもブサイクとかイケイケの女ばかりだもんなあ」とサングラスが言うと、ケケケとロンゲが笑い。デブもニヤついた。
「そりゃ、ないっすよ」と美沙と恵のそばに立っている男の一人が笑いながら答えた。
「さ、始めるか」とサングラスは立ち上がりシャツ脱いでベッドに投げた。白いタンクトップでタトゥーが背中から腕に掛けて入っている。美沙のそばにいた若い男二人がカメラをそれぞれ美沙と恵に向けた。美沙は泣きそうな顔である。
「待って下さい。帰して下さい」と恵が答えた。
「何言ってんだ。俺達じゃ、不満かよ、でも、俺達が終ったらそこのイケメン達とやらせてやるから、やりたかったんだろ、そいつらと」とロンゲが言った。
「そんなつもりじゃないんです」と恵。
「じゃあ、どういうつもりで来たんだよ」
「その、バンドやってて自分達の映像があってアイス食べながら観ようよって言われたから来たんです」
「ふふ、まさか、それだけのつもりじゃないでしょ。そのあとどうなるか分ってるくせに。バンドなら二人ともやってるわよ、その映像もあるんじゃない、だから、あとで家の方に送ってもらってさ、二人でいくらでも観ればいいじゃない」
美沙は恵を見た。もう半泣きである。恵は深く眼をつぶった。その前ではサングラスの男が怖い顔をして黙って立って美沙と恵を見ている。ズボンの下の足は裸足で大きな足でその指は長く指の間が手の指みたいに離れている。
陽射しが屋敷の木々の木漏れ日からさして黒とそれ以外のコントラストを強くしている。通る車は影と陽射しを浴びている。リュックを背負った男の子二人は汗をかきながらそれでも元気よく走っている。壁にもたれているロボットに対して首をひねったけれどそのまま通り過ぎた。セミの声がうるさいくらいに暑さもそれを維持している。ロボットは腕組みをしてどこかをにらんでいる。
「すいません、お願いがあります、この子は勘弁してあげて下さい、私はどうなっても構いませんと恵は言った。美沙は驚いて恵を見て、首を振った。恵は美沙を見て頷いた。
「何言ってんだよ。てめえ、そんなの、彼女だって嫌だろ、その間見て待ってるのかよ」とビデオカメラで撮影しているイケメンの一人が言った。
「彼女はそのまだ経験がなくて、だから」
「ほう、そりゃ、ますますいいや、俺大好き」とデブが喜んだ。
「お願いします。警察に言いませんから」
「警察? そんなの当たり前だろ、てめえ、終わったあと、警察に言うつもりかよ、バカだなあ、そんな事したら、そこのカメラで写した映像全国にばらまいてやるからな」とロンゲは少し苛立って言った。デブは笑った。
「警察に言わなかったら、俺が観るだけだから、心配するなよ」とデブが笑って言った。美沙は後ろに後ずさった。恵は美沙の手首を握り逃げようとした。すると撮影していた一人がさっとドアの前に立ってそれを防いだ。
「何、逃げれるとでも思っているの? 」とロンゲが笑った。恵はそれでもドアノブに手を廻して行こうとした。それを撮影している一人が恵の腕をつかんだ。それを恵は振りほどこうと抵抗するがダメだった。
「もういい、やるぞ」とサングラスが近づいて来た。デブは後ろから迫ってくる。
「やめて下さい」と恵は大きな声で叫んだ。それで抵抗してドアから逃げようとする。美沙も逃げようとする。乾いた音がした。恵は持っていた水着が入ったバッグを落とした。サングラスの男が恵に近づいた時。ドアが開いた。勢いドアの前に立っていた男が倒れた。ドアが開いて立っていたのはキャップをかぶりサングラスを掛けたロボットだった。
「なんだ! てめえは」とロンゲの男が驚いて言った。ロボットは美沙と恵を見た。
「この子達の保護者だ」
優はテレビでリポーターがカフェで出している大きなサイズのかき氷を見ていた。イチゴ味に練乳がたっぷりかかっているのをリポーターの女性が美味しそうに食べている。優はソファに横になっている。ドアがガチャリと開いてランドセルを背負った洋介が汗をかいてリビングに入って来て、扇風機の前に立った。
「シャワー浴びたら」と優は洋介に言った。
「うん、でも、これから遊びに行くから」と洋介は言いリビングを出て階段を勢いよく上って部屋にゲームを取りに行って戻って来るとグラスにポカリスエットを注いで来て優のそばに立って飲んでいる。テーブルの置いている薬が入った袋を見た。岡部優様と書かれている。
「お姉ちゃん風邪?」
「そう」
「ふうん、だから、海行かなかったんだ」
洋介はポカリスエットを飲み干すとグラスをキッチンに持って行ってそのまま外に遊びに行った。優はガチャリと勢いよく閉ったドアの音を耳にしてソファの上でごろりと背もたれの方をエビのように丸くなったけれど、すぐにまた仰向けになり、テーブルの上にあるリモコンでクーラーのスイッチを切り、洋介がそのままにしている強風の扇風機を弱にして自分の方に向けた。
ロボットはやはり強かった。相手の攻撃をなんとも感じなかった。恵と美沙は誰だろう? と思っていたけれど、ロボットがどんなに殴られても平気な顔をして相手をやっつける姿を見てやっと優の所のロボットだと気づいて安心した。ロボットはデブを軽々と持ち上げて叩きつけた。
海からは遊びに来ていた若者達が帰っている。混雑していた海の家も人が少なくラーメンやかき氷を残りの客が食べている。海の近くの駅にはバッグを持った美沙と恵が立ちロボットがそばに立ってホームで列車を待っていた。列車では四人掛けのボックス席に美沙と恵が並んで座りロボットが窓際に座った。海が見えていて、美沙はうつむいているが恵は窓の外の海を見て、ロボットも見ていた。
優は起き上がるとまだそのままソファでクーラーを浴びながらテレビを観ている。すると洋介が帰って来て、冷凍庫を開けた。
「お姉ちゃん、このアイス食べていい?」と元気よくやって来て洋介が聞いた。
「小さい方ならいいわよ」と優は答えた。汗をかいて埃っぽい洋介がそばに来てアイスをスプーンで食べている。優はリビングから出てみた。ムッとした。これほど暑いのかと思う。それでも玄関でサンダルを履いてドアを開けると風が吹いてちょうどよく感じた。
駅に着いた。美沙と恵は元気なくホームからゆっくりと他の乗客達と同じように歩いている。もう夕方だけれどまだ外は晴れていて暑い。ホームからは線路が何本も通っている。もう乗っていた列車は行ってしまった。恵と美沙は疲れていて先程までの出来事を忘れたい気持が強すぎて深く深く眠っていたけれどやはりダメなようだ。冷たいコンクリートの階段を降りて行く。ぞろぞろと通路を歩く。改札口を出て駅も出る。外にはタクシーやバスがいて、家族を迎えに来た車が停まって待っている。
「お腹減ったでしょう、どうです、あそこの店でハンバーガーでも食べませんか? 私がおごりますよ」とロボットは二人に声を掛けた。恵は後ろのロボットを見て、うつむいている美沙を見た。
「美沙、どうする? 」
「あまり食欲ない」
「ジュースでも飲まない? 」と恵が言うと美沙は頷いた。これから本格的な暑さが続く。夕方でも昼間上がった温度はなかなか下がらず汗が出る。運動部の生徒が練習を終えショルダーバッグを肩に抱えて友達二人、うちわで自分を扇ぎながら並んで歩いている。二人とも短髪の女の子でよく日に焼けている。ハンバーガーショップに入ると恵と美沙はオレンジジュースを頼んだ。
「ロボさんはいいの? 」と恵が聞いた。
「ええ、私はいっさい食べたり飲んだりしないんです」
奥の席にジュースを恵がトレーに乗せて行く。店内ではサラリーマンがアイスコーヒーを飲みながら携帯を掛けてたり、ソフトリームを食べながら楽しそうに会話をしている高校生のカップルなどがいる。恵はLサイズだけれど美沙はSサイズで恵はストローを挿したけれど、美沙はそのままで手をつけようとしない。ロボットはキャップをかぶったままそんな美沙を気にしながら窓の外を見ている。恵はストローで氷をかき混ぜてジュースを飲んだ。
「ねえ、もうすぐ美沙のママ仕事終わるでしょ、迎えに来てもらう? 」と恵が言った。美沙は顔を上げて首を振った。
「バスで帰る。このままじゃ、何かあったと思われるわ」
ロボットは美沙の方を向いて、キャップを脱いで隣の空いている席に置きサングラスは外してテーブルの上にコトリと乾いた音をさせて置いた。美沙が雨に濡れたような感じで重い髪と頭を上げてロボットを見た。
「私は今日、初めて海を見たですよ感動しました。あんなに青くてあんなに遠くまで続いているなんてあんなに先まで何かを見たのは初めてです。いやあ、良かった」と言いロボットはフンと鼻で笑った。ロボットがにやにやしているので恵と美沙は不安になった。
「いや、優さんてあれだけ楽しみにしていたのに、風邪ひいちゃって、熱があってふらふらしてるのに行くって騒いでたんですよ。ママにすっごく怒られて、ふだん、私の事、いじめてるから天罰が下ったんだと思いましたよ。出る時見ましたが赤い顔してました。ほんとに」とロボットは一人笑っていて、美沙と恵は黙っている。恵はストローでジュースを飲んだ。
「ねえ、ロボさん、今日の事は秘密にして欲しいの」と恵が言った。
「ええ、もちろんです」
「美沙のママにも優のママにも、それに優にも」
「もちろんです」
「ロボさんて優の命令は絶対なんでしょ、大丈夫? 優が隠してる事があったらぜったいに言いなさいって言われたら、喋っちゃわない? 」
「ああ、それは、大丈夫ですよ、そりゃなんか催眠術みたいなのがあってですよ、それで勝手にしゃべってしまう、みたいな事はないです、そりゃまあ、一応優さんと洋介君の命令を第一に聞くって事にはなってますが口約束ですから、そこは臨機応変に出来ますよ」
「そう、じゃあ、お願いね、三人だけの秘密にして欲しいの」
「もちろん、私ロボットですから、人間みたいに秘密を誰かに話したいって事はないですから」とロボットは笑顔で言った。美沙はロボットを見た。
「ええ、それに私、洋介君やパパ、ママの事は大好きだけど、優の事はそれほど、昨日の夜なんかね、夜一人で、水着に着替えてカーテンを開けた暗い窓に自分を映してて、それで空手の型をやってたんですよ、バカだなこの女って思いましたよ、おっぱいも小さいじゃないですか、自分でもんでましたよ」
恵と美沙は苦笑いした。
「この間も、アイツくしゃみして鼻から鼻水が飛び出て思わず汚な! て言ったら鼻たらしたままうつむいた顔で私をにらんでティシュで拭いたら飛び蹴りを私にしましたからね、痛くないけど、腹が立つでしょ」
「へー、優って暴力振るうの? ロボさんに」と恵。
「そうですよ、気に入らない事があったら私に八つ当たりするんですから、フン、この間、畑に自転車でこけた時、どれだけうれしかったか、誰も見てないと思ってキョロキョロしながら自転車起こしてましたよ、普通、落ちないですよ、畑に、あんなの」
恵も美沙も笑った。
「よく食べるしね、パパもママもあの女の食費のために仕事してるようなもんですよ、この間も洋介君の野球の試合にパパとママが行ってる時、あいつ一人でご飯二合も炊いておかずはないのか、味噌汁と漬物と最初は卵掛けご飯でしょ、次に醤油だけ掛けて食べて、最後には味噌汁を掛けた猫まんまで食べてましたから、それで私がそれをちらっと見ただけでしょ、そりゃ誰だって見るでしょ、何見てんのよだって、家に米泥棒が入ったんじゃないかってぐらい食べるんですからね、また米が大好きなんですからねえ、もう、食べ終わったらお腹アマガエルぐらい膨れてるんですから」美沙は笑った。恵も笑った。
「ほんとに、私の事嫌ってるくせに、私がお土産でもらった饅頭とか持って帰るとみんなと一緒に食べるんですから、この間も塩大福もらったのむしゃむしゃ食べてましたよ。お礼とかあいつだけ言わないんだ! それで温かい茶飲んでましたよ」恵も美沙もロボットが優に対してかなりストレスが溜まっているのが分かった。
「ねえ、ロボちゃん、ほんとに約束ね」と美沙は言った。
「ええ」とロボットは小指を出した。美沙は恵を見た。
「人間は約束をする時、指切りするんでしょ」とロボットは言った。美沙は少し笑顔で小指を出してロボットとし。、ロボットは恵とも指切りをした。
「私お腹減った、ハンバーガー食べたい」と美沙は言った。
「ああ、いいですよ。私は働いてお金もらってますからこれでもお金持なんですから遠慮しないでたくさん食べて下さい」とロボットが言うと三人はカウンターに行き、美沙は照り焼きバーガーのセット、恵はフレッシュバーガーのセットを頼んだ。美沙は大きな口を開けてハンバーガーにかぶりついた。部活動の練習が終わり列車で家に帰る女子高生がソフトクリームを食べているのを見て、二人は食べたくなって頼んだ。食べ終わるとバスに乗って帰った。
ママが帰って来た。
「どう? よくなったの」と優に聞いた。
「うん、だいぶましになった、今日何?」
「肉じゃがよ」
ママがキッチンで料理を始める。お腹が空いた優は夕飯が楽しみでキッチンのテーブルの椅子に座りそばにある小さいテレビを観ている。ジャガイモが煮られているなんとも言えぬ美味しそうな匂いが鼻に届いた。
「美沙ちゃんから連絡あった?」とママが聞いた。
「いや、もう帰ってるでしょ」と優。ママはまだロボットが帰ってないから遅いな、と心配した。
扉が開いてロボットが帰って来たのが分かった。
「ロボちゃんそのサングラスと帽子どうしたの?」と玄関で洋介が聞いたのを優は耳にした。ロボットが入って来た。
「ただいまです」とロボットはママにあいさつした。
「お帰りなさい」とママは言った。ロボットが行ったその後で優は砂が落ちている事に気づいて立ち上がり、玄関に行った。ロボットの大きな靴を持ち上げて裏を見ると砂が滑り止めの溝に砂があるのに気づいた。ふーとため息をついた優は料理をしているママの背中をドアの外から見ていた。ロボットは洋介とリビングにいた。
「どうだった海?」と優はロボットに聞いた。
「え?」とソファに座っていたロボットは優の方を見た。
「え、ロボちゃん海に行ったの?」と洋介。
「海? 海なんか行かないですよ。私」
「ママが頼んだんでしょ、さっき言ってたけれど」
「はあ? なんで私が海に? ママに何を頼まれたんです? 」とロボットがかまをかけても上手くかわすので優はやるな! といささか関心する。
「私達の監視でしょ、ま、私は行けなくなったけれど、美沙と恵の」
「ああ、そんな事言ってましたけれど、断りましたよ。仕事で忙しいんでね」
「うそ、じゃあ、何そのキャップとサングラス」
「これはもらったんです。仕事先の人に」
「じゃあ、砂は何なの、さっきから随分とこぼれているわよ。それに靴の裏にも」
ロボットは優の奴め随分とやるじゃないか! と思う。
「これは仕事先でね、砂の上に座ったりしてたから」
「今日は何の仕事よ?」
「板谷さんのとこの工場の仕事ですよ。大変危険な外での仕事ですから、手伝ったんです」
「誰それ?」
優はロボットは完全にしらを切るつもりだと悟って引いた。ママが自分達に監視をつけた事に腹を立てて問い詰めようと思ったけれど、まだ少し身体もだるく思った以上に肉じゃがが美味しかったので、気持が萎えて止めた。それに美沙や恵に知らせると嫌がりママや多分美沙の母親も絡んでいるだろうから、美沙の母親と美沙がもめるのも嫌なのでこれ以上はやめておこうと思った。
ロボットはママに別に何もなかったと報告した。ママは優が自分の部屋に行った時に美沙の母親に電話して何もなかったと報告した。優はだいぶよくなったのどをそれでも意識しながらベッドに横になり風邪薬を飲んだせいで眠くなっていていつもより早く眠った。
夏休みに入り優はコツコツと勉強をしたり本を読んだり音楽を聴いたりテレビを観たりして過ごしている。高校野球の地方予選を一人でテレビで観ている。パパとママは仕事、洋介はプール、ロボットは手伝い、今回は塗田さんとこの工場に行っている。野球は好きでも嫌いでもない。どっちが勝っても関係ない。自転車が停まる音が聞こえ、玄関のチャイムが鳴った。誰だろう? と玄関に行くと美沙だった。
「どうしたの?」
「遊びに来たのよ」
美沙は地元の横野和菓子店のマシュマロ饅頭の菓子折を持っている。優は好きだけれどどこかに行く時にお土産として持って行ってついでに食べたり、誰かが買って来てくれてその時食べたりするぐらいで滅多に食べない。
「マシュマロ饅頭? それ」
「うん、家にお土産でもらったけれどみんな食べないから持って来たの」と美沙はサンダルを脱いで上がる。
「そう、私好きよ」
「私も」
優はオレンジジュースをグラスに注いでリビングに持って行った。美沙が持って来たのは十二個入りで、プレーン、マスカット、桃が四つずつ入っている。美沙は汗を白いハンカチで拭きながら扇風機の風をあてている。リボンのついたカンカン帽はソファにおいていて、ワンピース姿である。優は半ズボンにTシャツで長い髪はいつものようにポニーテールだ。
「随分と焼けたじゃない、白い肌の方がいいのに」
「そう思ったんだけど、たまにだからいいかなって、焼いちゃったけれどやっぱり焼かない方がよかった」
「そうよ、恵はイメージに合ってるけれど美沙と華はねえ」
「優はどうなのよ?」
「私はどっちでも、ま、あまり焼きたくないけれど」
優はプレーンに手をのばして包を開けて食べる。美沙はオレンジジュースを飲む。セミの声が聞こえる。テレビから金属バットでボールを打った心地いい響きが聞こえそれがタイムリーヒットになりアナウンサーが伝えていてヒットを打った方の高校のチアリーダーが喜んでいる。
「親戚の家に行ってたんでしょ」
「そう、いろいろ行っていとこに子供がいるから遊んでた」
優はオレンジジュースを飲む。優はずっと家にいて、同じような毎日を過ごしているけれど、それがともて好きだ、なんていいんだろうと思っている。でも、子供の時のように家族でどこかに出掛けたり、祖父の学会について行ったり、大学に遊びに行ったりするのも良かった、と思う。
「ロボちゃんは?」
ロボット? 話題としてロボットの事を聞いたのかしら? そう美沙は知らないと思うけれど、お互いのママがロボットを探偵みたくして尾行させていた事を知ったら怒るだろう。
「塗田さんとこの工場の手伝い」
「毎日働いているの?」
「まあ、土日以外は、土日も働く事があるけれど」
「へー、偉いね」
「偉くないわよ、そんなあんなの家にずっといられても気味が悪いだけじゃない、漫画みたいに敵がいて闘う訳じゃないんだから、だから、私地雷とか埋められている地域があるでしょ、そこに行ってくればいいのよって言ってやったのこんなに喜ばれる事ないじゃない、そうしたら不服そうな顔してたわ」
「そんなかわいそうじゃない」
「どうして? ロボットよ」
美沙はオレンジジュースを飲んだ。優はマスカットを食べ、桃も食べた。桃が一番好きだと分っているけれど、マスカットもいいと改めて気づいた。野球はお互いのピッチャーの好投が続いて展開が変わらない。美沙は扇風機を強から弱にしている。優は饅頭の包の紙を開いて読んでいる。マシュマロ、トレハロースなどと原材料を読み、会社名の横野和菓子店や所在地まで見ている。
「私、ロボちゃんに感謝しているの」
「感謝? なんで?」
美沙は優に問われ、見られ、固く口を閉じた。優は露出した美沙の日に焼けた細い腕を見る。中学時代は美沙と恵はバスケットをやっていたけれど、高校に進学すると二人とも運動部には入っていない。美沙も恵も背が高く一七〇近くあるけれど、優と華は一六〇ぐらいだ。
「ロボちゃんから何も聞いてない?」
「聞いてないわよ、何かあったの? ひょっとして海の事」
「うん」
「やっぱりアイツ海に行ってたんだわ。サングラスとキャップなんかフダンしないのに掛けてしかも砂がついてたから海に行ったな、と思って聞いたら、行ってないって、ウソついて」
「ええ! ほんと」
「そうよ、ママ達が仕組んだのよ、それはママには言ってないけれど」
「ロボちゃんて優しいのね」
「なんで!」
「だって、ウソまでついて私と恵との約束を守ってくれたんですもの」
優は嫌な顔した。あのでかいロボットを思い浮かべ洋介に慕われ、仲良く遊んでいる姿が想い浮かびそれを嫌な心地で見ている自分がいて余計、嫌な気分になる。
「約束って何? 何があったの」
「うん、ロボちゃんが海があった事優に言わないって、それで、軟派されて、しつこい二人で恵と困ってたら助けてくれたの」と美沙は本当の出来事は言わずに優に伝えた。ソファに置いてあるカンカン帽を見て、そのピンク色のリボンがまだ美沙が幼いと彼女には思える。それになんだ、そんな事か! もし自分がそこにいたならば、ハッキリと断るし、文句も言うだろう、それでもしつこいならば蹴りや突きで追い払う。それに美沙と恵だけでロボットがいなくても他のイケメンが気づいて助けてくれて、そこから恋が生まれていたかも知れない、それが夏の恋じゃなくって、と優は思うのだ。優は胡坐をソファの上でかいてそのまま針で急所を突かれたみたく静かにソファに横に倒れた。
「だから、ロボちゃんにお礼言いたくて」
「いいんじゃない、ママ達がそのために送り込んだんだから、それにもうその時お礼言って約束までしたんでしょ、もう充分よ」と優は肘をついて横顔を乗せ、美沙を見る。美沙は風を切った。扇風機を停めたのである。じっと優を見る美沙。
「私、ロボちゃんの事好きよ」ふうん、あ、そと優はベーと舌を出したい気分だ。洋介みたいにアイツの事が好きで、じゃあ、たまに遊びに来て公園でお得意のバスケットでもやったら、バスケットゴールあるんだからさ、と優は冷たい眼で美沙を見る。美沙はロボットと約束を交わした自分の小指を見ている。優はそんな美沙を見て少しボウとしている。
「ロボちゃん好きな人いるのかなあ」
優は足で足を掻いた。テレビの高校野球では満塁のチャンスになっていて内野手がピッチャーの所に集まりベンチから伝言を伝える選手も来て笑顔で伝えていて、みんな笑顔でそれぞれのポジションに戻るピッチャーはロージンを手につけそれをそばに投げてセットポジションから投げた。見事打ち取ってダブルプレーになりピンチを救った。
「私、ロボちゃんと付き合いたい」優は起き上がり、また元のような態勢になって、マシュマロ饅頭に手を出した。マスカットと思っていたらプレーンだったけれど別に良い、何といってもこの軽さと食べやすさがいい、横野の主人も地元のテレビに出た時にそう言っていた。付き合いたいだって、付き合えばいいじゃん、独身だし、彼女もいる訳がない、ロボットだから、うん? 付き合いたいとはどういう事だろう? 相手はロボットなのだ。チェンジになってピッチャーがマウンドに向かう。背が高くイケメンで日に焼けている。持てるんだろうなあ、とピッチング練習をしている姿を見て思う。応援席のチアガール達が映ると彼女達は彼と付き合いたいと思っているだろう、ピッチャーの顔を見ると少し冷たい眼をしていて感情がないように見えるまるでハンサムなマネキン人形だ。それがいいのかも知れない。いや、美沙は何を言っているのだろう?
「は、付き合うって、どういう事? ロボットだよ」
「うん」
ロボットと付き合う、どういう事だろう? デートしたり、一緒に歩いたり、ペットロボットは最近いるけれど外でその犬型のロボットを散歩させたりしている人は見た事がない。でもアイツは人間に近いからそういう事は出来るだろう、つまり手をつないだり、キスしたり、セックスしたり! それはない。ああ、つまりプラトニックな恋か、高校生だから、ちょうどいい、美沙は付き合った事がないから、初恋の相手としてロボットはいいわよ。ダメダメ! 友人として絶対にダメ!
「そんなのダメよ」
と優は冷静につぶやくぐらいの小声で言った。
「どうして?」
「相手はロボットよ。恋は人間同士でやるものなの。だって、車が好きだからって車と結婚出来ないし、アニメのキャラが好きだからって恋愛は出来ないでしょ」
「ロボちゃんは車でもアニメでもないわ。人間みたいなロボットよ」
人間にかなり近いけれど人間じゃないじゃない! と優はこんがらがって来た。
「反対なの?」
「反対って、反対も何も変だって言われるの、美沙が廻りからバカにされるのよ」
「そんなみんなロボちゃんは愛されてるわ。だから、手伝いに来てくれって言われてるんでしょ」
「意味が違うわ、あなたは恋愛をしようとしてるんだから、とにかくさ、好きって言うのはいいけれど、付き合いたいとかそういうの言うの止めて!」
美沙は不服そうに優を見る。もうオレンジジュースはほとんど美沙のグラスにはない。テレビの野球も終わりに近づいている。マシュマロ饅頭は優一人が四個も食べていて、箱がその部分だけ空いていて、残りはきちんと並んでいる。外から補助輪をつけた自転車の音が聞こえて通り過ぎた。
「優、ロボちゃんの事好きなんだ?」
「は?」どういう事だろう? 恋は盲目というけれど根本的に真ん中の部分が抜けている。
「私に取られたくないから、私と付き合うと私の家にロボちゃんがいつも来るようになってそれが嫌だから」
優はあきれてクッションを腿の上に置いて抱いて前のめりになっていたけれど、そのまま背凭れに背中をつけた。もう、そこまで言うのなら勝手にやってもらってもいいと思うけれど親友が廻りから白い眼で視られるのは心が痛む。こっちは冷静だから、よくここは話をして説得しなければならないと思う。
「あのねえ、もう一度言うけれど相手はロボットなの、犬が好きで犬と付き合いたいと言ってるのと変わらないのよ」
「犬と散歩したりいろんなとこに一緒に行ったり触れ合ったりしてるじゃない」
試合は終った。勝ったチームの校歌が流れて整列した選手達が歌っている。優は疲れて美沙が帰ると昼ごはんを食べるとすぐにベッドで昼寝をした。起きて下のリビングに行くと洋介が友達を連れて来てテレビゲームをやっている。優は固まった筋肉をキッチンでストレッチをやって伸ばした。喉はクーラーの効いた部屋で眠っていたから乾いてないけれどキッチンはむわっと暑くオレンジジュースを少しだけグラスに注いだ。冷蔵庫の中にはマシュマロ饅頭の箱がある。夕方になり、ロボットが仕事から帰って来た。ロボットを見た。ママやパパが仕事から帰って来た感じとは違う。体力的な疲れというものがないからであろう。ママが帰って来た。スーパーで買い物をして来ていて、キッチンをのぞくとエコバッグから牛乳、ジュース、レタス、ピーマン、しいたけ、豚バラ、ポン酢を取り出して冷蔵庫に閉っている。
「あら、マシュマロ饅頭があるじゃない、どうしたのこれ?」
「美沙がくれたの、美沙の家では食べないからって、お客さんからもらったんだって」と優はクーラーが効き始めたキッチンの扉のそばに立って言った。ゆっくりと階段を上って行く。自分の部屋に入るとさきほどまで涼しかったけれど廊下と変わらない。すぐにクーラーをつけて扇風機を廻す。隣ではロボットがいるのが分る。夜は図書館で借りて来た本をずっと読んでいる。だからほぼ毎日、仕事の帰りに図書館に行っているのだ。今日も何か借りて来ていた。ロボットのくせに図書館で本を借りる事が出来るのだ。なんちゅうロボットだ! と優はこの街のロボットに対する優しさに憤る。たまに洋介の部屋のドアが開いていて中を見るとロボットが部屋の隅に立って本を持って読んでいる事がある。パパやママにその事を言うと、ロボットはパパとママに以前、私は疲れないから立って読む事があるんです。気分の問題です。と言ったと言う。外はまだ昼間みたいだ。カーテンを直射日光を入れて温度が上がらないよう夏の間はほとんど締め切っている。美沙の事をロボットに言っておかなければならないと思う。もし、ロボットが振ったみたいになると私がロボットに命令して振らせたみたいに言われても困るから、よく言わなければならないと考える。部屋を出て洋介の部屋の前に立った。ノックをする。
「入るよ」と優はドアを開けた。ロボットは洋介の勉強机に座っていた。本でも読んでいるのかな、と思うけれど、あわてて何かを片付けている。よく見ると水着の写真が見えた。
「あんた!」と優は素早くロボットから写真を取り上げた。ロボットは怯えた顔をして優から写真を奪い返そうと手を伸ばすが優がその手を払う。水着姿の美沙と恵が写っている。望遠で撮ったような写真だ。これは、とんでもない事だ。まさか、ロボットが変態だとは思わなかった。大変なことだ。ロボットの装置の中には何があるか、優もあまり知らない。多分カメラ機能もあるだろう。携帯でもあるくらいだ。だとしたら、盗撮なんかも普段から余裕で出来る訳だ。これはもう、何とかしなければ、大問題になる。
「何よ、これ、あんた、盗撮じゃない」と優は怒りを込めてロボットを激しく睨んだ。ロボットは首を横に振り無実を訴えた。
「いやらしいロボットのくせに!」と優に言われロボットは悔しくて上唇をぐっと噛んだ。普通は下唇を噛むけれど、ロボットは間違えたのだ。それにしてもロボットに性的傾向があり女性に興味があるとは思わなかった。おじいさんもここまでリアルにするなんてとんでもないロボットを作ったものだと優は思う。これで美沙の事を言うとロボットは興味を示して付き合いたいと言いかねない。そんな事になったら恥だ。優はロボットの肩をグンとハンマーパンチで叩いた。
「何を考えているのよ!」と優は怒鳴った。これはもうゼッタイに美沙と関係をもたせてはいけない。ロボットは首を垂れて深く反省している。
「女性に興味があるなんてとんでもないロボットね」
「違います、違います」とロボットは否定した。
「何が違うのよ、水着の美沙と恵なんか撮っちゃって、あ、ホームで列車を待ってる二人や列車の二人もいるじゃない」
「違うの、これは二人の想い出として配ろうと思って今整理してたの」
「あんた、まさか、フダンも女性のスカートや胸とか撮ってんじゃないでしょうね」
「そんなのしてない!」とロボットは訴えた。優はまだある机の上の写真を取り上げる。どれだけ撮っているのだろう。トランプぐらいある。
「それはダメ!」とロボットは激しく言うが優はきつく叱った。海が写っている。砂浜の砂、海の家、海水浴客。浪打際の波とロボットの素足。それから、やはりまた水着の女性。今度は男性だ。男性、男性、やたらと男性が続く。しかもイケメンで、身体のかっこいい、ライフガードや鍛え上げられた男性の写真ばかりが続く。さらにその男性達の割れた腹筋、おしり、背中、股間、ふくらはぎ、腕などもある。
「な、何これ!」ロボットは深く眼を閉じている。
「何これって聞いてるんでしょ」と優は写真を持ったまま激しくロボットの肩を揺さぶった。ロボットはそれでも深く眼を閉じ固く口を閉ざしている。
「優、ご飯よ!」とママが下から呼んだ。
「ちょっと後で行くから」と優は大きな声を出して、写真を持ってロボットを睨んだ。ロボットは眼を開けた。
「お願い、みんなには言わないで!」とロボットは訴えた。
「言わないでってだから何なのよ」
「何なのよって分るでしょ」と弱弱しいロボット。優は先程からのその言葉使いにも気づいた。そういえば、ロボットは敬語ばかり使うけれど、たまに女性言葉を使う事がある。ひょっとして、と優は股間の写真を見て思う。
「だから、何よ」
「だから、私、男の人が好きなの」とロボットは言い机の上に腕を乗せて顔を伏せた。優はロボットが顔を伏せて泣いている後頭部を見てあきれて腹が立ち殴った。
「あんた男でしょ」と優が腹立たしく言うとロボットは顔を上げて斜め下を見る。
「ロボットに男とか女とかあって! 私、博士が寿司屋の源さんみたいに作ったけれど心はずっと女性だったの」優は興奮してロボットの背中をバチバチと叩いた。ロボットもそれを嫌がり女の子みたく手のひらで優の叩いてくる手を叩いた。
「もうっ!」と優は腹を立てていると、階段を洋介が駆け上がっている音が聞こえた。ドアが開いた。
「ご飯だよ」
「分ってる。行くから」
「お姉ちゃんまたロボちゃんをいじめてるの。やめなよ」
「違う。いいから早く降りなさい」と優が腹立たしく苛立って言うと洋介はすねて降りてった。
「私、男の人が好きなの。男の人に興味があるの。それに心は女性だからかわいい服を期待し、メイクもしたいし、髪もこんな短くじゃなくもっともっと伸ばしたいの」
「うるさい!」と優は激怒して頭がくらくらする。これでこんな大男のロボットが女装すれば近所のいい笑い者である。ロボットはみんなが食事中はいつもリビングでテレビを観ている。
「またロボちゃんいじめてたんだ」と洋介がママに告げ口をする。ママは優を冷たい眼で見る。優はかったるい。
「いじめてないわよ」
「うそ、すごくロボちゃん困ってたじゃないか。お姉ちゃんえらそーにそばに立ってさ」優はため息をついた。
「ロボちゃんお風呂入ろうよ」と洋介はリビングのロボットを誘った。
「今日は私はいいわ」
「え、なんで?」
「うん、いいの。入りたくないの」
「なんかロボちゃん女性みたいな言葉使いになってるよ。お姉ちゃんにいじめられたから?」
優は電気を消した暗い部屋のベッドの上で仰向けになって音楽を聴いている。隣の部屋ではベッドでもう洋介が眠りそのベッドの隣の下ではロボットが本を暗い部屋で読んでいる。私、男の人が好きなの、男の人に興味があるの、とおっさんの姿をしたロボットがマジで言ったのを思い出して優は悲しい音楽が流れているのに思わず笑った。それが可笑しくておかしくてふふふふふふふふ、と優は一人笑い続けた。
美沙にはロボットがオカマだったとはまだ言ってはいない。オカマと言うとロボットは怒った。ママとパパもロボットがオカマだともう気づいた。だけれど肉体は源さんをモデルにしただけで心は女性なだけ、とロボットは家族の前で主張する。それをオカマって言うの! と優は言ってやるとロボットは悔しがった。ママが優にもうオカマとは言わないように、と注意した。じゃあ、なんで今まで隠してたのよ、と優が問い詰めるとロボットは何も言えない。
「まあ、もういいじゃないか」とパパに言われて、優はロボットに興味がない、それに関わりたくないからと思う。
夏休みが終わり秋になった。お風呂から上がって階段を上がって部屋に戻ろうとリビングの前を通るとパパはウイスキーを飲み、ママはシャインマスカットを食べている。そばにはロボットがいる。最近、外では相変わらずのロボットだけれど、中ではもう常に女性言葉で身体もなよっとさせている。今時の若い女性でもしないような態勢だ。
「私今度思い切って女性用の洋服とカツラも買ってみようと思うの。それとメイク道具も」
「いいわね。きりっとした顔立ちのハンサムだからキレイな女性になると思うわ。ねえ、パパ」
「ああ、そうだな」とパパはどうでもいいや、と内心思いながら言う。優はやってらんない、と階段を上がる。
日曜日に美沙がやって来た。あれからも遊びにやってくるけれどロボットとは二人切にさせないように恵や華を呼んだり、ロボットは洋介と遊びに行かせるようにさせている。ロボットはパパとママと洋介の三人で街中に出掛ける予定である。美沙は最近では優に会いに来るのではなくロボットに会いたいのだ。優は美沙がロボットを呼べとうるさいので、どうでもいいわ、とロボットを呼んでやった。
「美沙ちゃん。こんにちは」とロボットは部屋に来た。もうすっかりロボットはオカマ口調だけれど美沙はまったく気づかない。
「ロボちゃん座ったら私の隣に」とベッドに座っている美沙がその隣を軽く叩く。優は疲れるのでもう好きにしたら、と部屋を出た。空手の稽古で左足を痛めて引きずっている。ロボットは部屋を出て行く優の後ろ姿を見ている。ドアが静かに閉った。
「ロボちゃん。やっと二人切だね」
「え、うん。そうね」
「あの時はありがとうね」
「いいえ」
「写真もありがとう」
「いいえ」
「ロボちゃんって何歳?」
「私はゼロ歳」
「え、ウソ!」
「だって。この間眼ざめたばかりだから」
「ああ、そうか、そうね」美沙が笑った。ロボットも笑う。
優はゆっくりと壁に手をついて階段を降りた。空手の稽古で左足を痛めひきずっている。外ではパパが自動車を洗車している。リビングでは掃除を終えたママが紅茶を飲みながらテレビを観ている。洋介は野球の練習に行っている。
「美沙ちゃん来てるんでしょ」
「ロボットの事が好きなんだってだから。私が邪魔みたいだから二人切にしてあげたの」
優は足をひきずりながらソファに座る。日曜日の午前中は友達と約束がない時は優はのんびりとリビングでテレビを観て過ごす。洋介の野球の試合があるとパパかママがついて行ったり、パパは釣りやパチンコが趣味なので洋介を連れて釣りに行ったり、一人でパチンコに出掛けたり、ママは掃除をしたり、庭のガーデニングをしたりしている。パパ、ママ洋介は買い物やドライブに出掛ける事もある。優も中学一年生ぐらいまでは家族とドライブや買い物に出ていたけれど、最近は出掛けなり遠くまでドライブに行く時以外は一人で留守番するか友達と遊んでいる。ドドドと階段をいきおいよく降りて来る音が聞こえた。振り向くともう美沙が立っていて、優を睨んだ。
「優のバカ! 」と美沙が怒るとそのままいきおいよく玄関に行き外に出た。ママは驚いて優を見た。優は立ち上がった。何で私がバカなのよ! と美沙に言いたくて痛めた左足を引きずりながらそれでも早く動いて外に出て美沙に追いつき自転車にまたがり出発しようとした美沙の自転車の荷台をつかんだ。パパは優と美沙を車を洗いながら見ている。
「なんで。がバカなのよ! 」
「卑怯よ、私の事あきらめさせるためにさ、ロボちゃんにオカマになれって言ったんでしょ。ひどすぎるわ」優は疲れがどっと出た。自分で処理しろよ。あのバカロボットとはらわたが煮えて来る。
「違うわよ」と優は覚めてだるい感じで言う。言いながらこれが女子高生の会話か! とあきれる。ロボットとかオカマとか、普通の恋愛では出て来ないフレーズだ。普通は先輩とか、略奪とか、二股とかそんなフレーズだろう。
「嘘よ。あんなに男らしかったロボちゃんが急にオカマになる訳ないじゃない。私が好きだから、優が命令してあんな風にして、オカマだったらあきらめるだろうって、いくらロボちゃんがロボットでもかわいそうじゃない! 」
「あのねえ、本当にあのロボット本人が自分から言い出したの、それにこの間、海水浴の写真もらったでしょ、あの時、あのロボット何枚も男性の水着の写真撮っているのよ」
「それが何よ」
「イケメンの写真ばかりよ。男に興味があるからじゃない」
パパは二人はもめているのだと思う。でも、幼馴染だからそんな事もあるだろうと思う。ホースから出ている水で車を洗っている。美沙を自転車から降ろして再び家に入れると、ロボットは困ってリビングにいるママに相談していた。優はロボットを呼び写真を用意するようにと言い、三人で上に上がった。優の部屋に再び集まるとロボットは洋介の部屋の引出に隠していたイケメン達の写真を見せた。美沙はそれを見た。中には水着を着ているが局部の写真もある。ロボットは後ろでもじもじしている。
「うそ! 」と美沙は写真を持ったまま優を見上げて言った。
「ウソじゃなわよ。じゃあ、なんでこんな男ばっかり写っているのよ。完全に盗撮じゃない。女性だったら」
「ロボちゃん本当なの? 」と美沙は悲しい声で聞いた。ロボットは女性らしく頷いた。
「これから洋介が帰って来たらパパとママの三人で街に何しに行くか言いなさいよ」と優は言った。ロボットは優をチラッと見てから美沙を見た。
「これから、買い物に行くの。何を買うかって言うと私の女性用の服や靴を買ったり、メイク道具やカツラも買うの」
美沙は黙って階段を降りて行くとそのまま何も言わず帰って行った。優はベッドに座っていた。左足はまだ痛い。写真を閉ったロボットがやって来た。
「いいのかしら? 」とロボットは優に聞いた。
「いいも悪いもあんたそうするんでしょ」と優は冷たく言った。
洋介が帰って来ると車で優を残し出掛けた。優はいつもの日曜のお昼みたいに一人で好きな物を食べるけれど、いつもならコンビニまで行って弁当やカップ麺、サンドイッチを食べるけれど左足が痛いから出掛けるのが面倒でご飯を炊いてチャーハンを作った。二合炊いた。具はベーコンで卵とねぎだ。二合の炊いたお米を炒めるのは重いけれど食べごたえがある。スープも作ってテレビを観ながら食べた。
ショッピングセンターの近くにあるゲームセンターでパパと洋介は遊んでいる。ママとロボットはその間に買い物に行く。恥ずかしがるロボットを連れてママは婦人服売り場に行った。女性の店員はてっきり奥様の付添のご主人かと思っていたら、この大男が着ると言うので度胆を抜かれたけれどそこはプロで冷静にそういう趣味の人なのだと理解する。奥様の方がロボットなんです、と教えてくれ、ああ、噂になったロボットか、と納得したけれど、逆に、え、なんでロボットが女性の服なんて買うのだろうとますます頭が混乱した。ロボットは近所のイロイロな場所で働いていてお金はたくさん持っている。秋物のニット、シャツを買った。
「スカートを買わなきゃね」とママに言われ、ロボットは照れる。店員は大柄なロボットに合うスカートを探した。試着室のカーテンを開けて見せると、フワッとしたスカートが軽やかに動く。
「いいじゃない! 」と褒めるママ。店員はオッサンがスカートをどう見たってはいているのでお世辞にもいいとは言えず黙っていた。そばにいたおっさん、それこそ本当に奥さんの付添で来ている本物のおっさんは試着室にオッサンがいてそのオッサンがスカートを履いているので動揺した。ロボットはスカートも買った。次はレディスシューズだ。そこにはスカーフを首に巻いたカッコイイ女性店員がいて後輩や同僚、お客から信頼が厚くよく靴を売りカリスマ店員と呼ばれている。そのカリスマは動揺する事なくロボットに合うサイズの靴を持って来てどんどん履かせた。
「どうでしょう。お客様はお足が大きいのでブーツなんかお似合いだと思うのですが、この秋いやこれからずっと履いて行けるブーツでございますよ」
「あ、いいわ、それ」とカリスマ店員が進めるロングブーツを見てママが言った。色はホワイト、茶、ブラックがある。ロボットはブラックを選んだ。なんて履きづらいのかしら、とロボットは思うけれど、履いてみるとなるほどカッコイイ。
「お客様は背がお高いでからとてもお似合いですわ」とカリスマ店員の目がキラーンと光った。彼女のメイクは濃い。メイクを落としたすっぴんの顔も濃い。男性にもてる。すれ違う男性のほとんどが振り向く。振り向かない男性がいるとあら? どうしたのかしら、よっぽど考え事に集中しているのね、と自分で思うぐらいだ。カリスマ店員はいい仕事をしたわ、とブーツが入った袋をロボットに渡す。
「あ、あの、ママ、ママよかったら私からのプレゼント、ママもブーツ買って私黒だから茶色がいいと思うの」
「え! ロボちゃん」とロボットからの思わぬ提案にママは喜んだ。カリスマ店員も喜んだ。ママも試に履いて買ってロボットに袋を渡した。二人が店を出て歩いている姿を後ろからお辞儀をしながらカリスマ店員はずっと笑っていた。心の中でずっとWピースをやっていた。
カツラも買った。長い茶色の髪だ。早速、買ったカツラをかぶって化粧品コーナーに行く。度のきつい黒縁メガネをかけた女性店員にメイクをやってもらった。驚く程に変わり、オッサンがキレイな女性に変った。メガネの店員はやりおえてずれていたメガネを指で上げた。久し振りに手ごわい相手だった、とどっと疲れた。
家の中で優は鏡で自分の顔を見ている。濃い眉、細くてすっきりとしたフェイスライン、くっきりとした二重瞼。長く黒い髪はだいたいいつもシュシュで後ろでまとめている。肌は白い。中学の時同じ班のパンちゃんとあだ名されていた今でも太っている石野さんが優の顔をジーと見て、岡部さんアイドルみたい、アイドルになればいいのに、と言った事があった。パンちゃんとは友達と言う訳ではない、だから、優は石野さん、と呼んでいて、ほとんど話をした事がなかった。その石野さんに言われたので自分でも驚いた。小さい頃から祖父にかわいい、かわいいと言われて育った。近所のおばさん達からもかわいい、かわいい、と言われていた。自分でも客観的に見てかわいい、と思う。けれど自分はいも姉ちゃんだと自覚もしている。将来はぼんやりしている。祖父は自分と同じ理系の大学に進んで欲しかったみたいで、そろばんを教えられパソコンも小さい頃から買ってもらっていた。そのおかげが理数系は得意だ。勉強は好きだけれど身体を動かす事も好きである。高校を卒業したら一応進学するつもりである。多分理数系の大学に行くのだろうけれど何を選ぶかはまだ何も決っていない。進学すれば一人暮らしになる。大学を卒業したらそのまま一人暮らしを続けるのか、それとも戻って就職するのか、分らない。良の顔が浮かんだ。良君は大学を卒業したら戻って来るのだろうか、でもお兄さんがいるからどうなんだろう?
「岡部さんの事男子みんな好きだと思うよ」と体育祭の大きなポスターを一緒に描いている時にパンちゃんが言った。
「そんな事ないよ」と優はさすがにそこまではと心から否定する。
「いや、男って顔だから顔で好きになるのよ。岡部さん、アイドルみたいな顔してるじゃない、だから絶対に好きだよ」
「そんな事ないよ。好みがあるからそれに上杉なんかと私仲悪いよ」と優は筆を持って言う。
「男子って自分のまわりにはあいつ嫌いだとかうそをつくのよ。上杉君なんて岡部さんの事絶対好きよ。だって、いつも岡部さんの事見てるんだから」
優は苦笑いだけれど本当にそれはないと確証しての余裕も含まれた笑いで首を横に振った。
「ないない。一年の時も同じクラスだからよく分かるもん。上杉は遠藤さんの事が好きなの」
「うん、もちろん、遠藤ちゃんも好きだよ。でも私が言っているのはそういう事じゃなくって、岡部さんが男子全員の一位じゃないけれど好きだって事」
「そんな事ないよ。だって私の性格が嫌だって男子が言ってたって恵が言ってたよ」
「そう言うんだって、ウソつくの、子供だから」
「でも、恵に言ったんじゃなくって恵の彼に言ったのよ」
「うんうん、そうなの、女子は女子同士だと本当の事を言うよ。でも男子はあいつ嫌いだとか本当は好きなのにウソをつくの」
パンちゃんの言う事は当たっていた。優はそれから一年たって上杉から告白されて付き合った。
車の音が聞こえて昼寝をしていた優は気づいて眼が覚めた。ママに頼んでおいた松井のパン屋のマウンテンパンを食べようと思う。松井のパン屋の名物でおにぎりぐらいのドーナツにチョコとホワイトチョコがコーティングされていて中にはホイップクリームが入っている。これが完成した時、地元の名物を模索していた商店街の会長もでかした! と褒めた程だ。随分と昔の話で優が生まれる随分と前の話であって、確かに地元の名物にはなったけれど地元以外の人はまったくご存知ないパンだ。でも、味は抜群で、優は子供の頃から大好きで学校の帰りに買って来てよく食べる。三つは食べられるけれど、ママに一つだけと注意されている。優は階段を降りた。ママや洋介が入って来た。あ、キレイな女性のお客さんも連れて来たのね、と優がまだ寝ぼけた頭で判断する。あ、と優は階段を降り切り、その大きくてキレイな女性が玄関を上がった時に眼が合い分かった。ロボットじゃん! 優は思わず後ずさりする。何をやってくれたのだ。
「お姉ちゃん、ロボちゃんだよ」と洋介が笑顔で言った。
優はマウンテンパンをむしゃむしゃ食べ牛乳を飲みながらママに文句を言う。ママはロボットにブーツを買ってもらい上機嫌だ。
ロボットが女性化した事により、優の機嫌は悪化したがそれを冷ますように夕食はホットプレートでのヤキニクである。
「ロボちゃんに名前つけようよ、ロボちゃんじゃ、変だよ」と洋介が言った。優は肉を返して、さらにさつまいもを箸で刺してそれをたれにつけて食べる。ロボットは食べないけれど長い髪で一緒にテーブルに座っている。
「そうね、どんな名前がいい、ロボちゃん自分で気に入った名前なんてある? 」
「そうですね、私、女優の泉咲樹が好きだから咲樹ってどうでしょう、実は私ずっと自分の事を先樹、咲樹って心の中で呼んでいるのです」
何が!ねえ、何がよ。調子に乗ってる! と優は大好きなピーマンを皿からホットプレートに乗せて焼き、もうすでに焼けているピーマンをたれにつけて食べる。パパもママも洋介も浮かない顔をしている。それは泉咲樹のイメージとロボットが会わない感じがするのだ。ロボットは家族の様子に気づく。
「あの、みなさんはどんな名前がいいと思います? 」とロボットは聞いた。
「そうねえ、背が高くて外国の人みたいだから、ジュディってどう? 」とママが言った。ジュディ! あのねえ、元々源さんだよ、と優はどうでもいいと無関心を装いながら焼けた輪切りのたまねぎを食べつつも心はみんなの話題に入っている。
「僕は男でも女でも通じる名前がいいと思うんだ」と洋介が言った。
「ああ、いい事言うわね」とママが褒めた。
「で、リョウっていいと思う、モデルやアイドルにリョウっているし、それにかっこいいじゃん」
洋介! リョウって良君と同じになるじゃないと優は洋介をあからさまに睨んだ。
「ああ、リョウっていいかも」とロボットは言った。優がロボットを殺意のある眼で睨む。
「リョウはダメよ。良君がいるから」とママが言った。
家族が黙り肉を焼く音が聞こえる。優は一人ずっと同じペースで食べ続けている。換気扇が廻っている音も聞こえる。ソーセージには切れ込みが入っていて焼けるとそこからはじけて開いていて美味しそうだと食欲が沸く。優が食べようと思っていたそのよく焼けたソーセージを洋介が食べた。優はニンジンを取ってたれにつけて食べる。まだ半生だった。いろいろママと洋介が名前をあげた。リンダ、マイヤー、ケイト、シェリイ、とママは外国人の名前を挙げ、洋介は華、美沙、恵、あや、すみれ、と知り合いの女性の名前ばかりを挙げた。優は生のキャベツをかじった。ロボットはロボットよどんな名前をつけたって! と優は一人覚めている。
「パパはどうなの? 」とママが聞いた。パパはビールをゴクリと飲んだ。
「そうだな、愛がいいな」とパパが言うとママ、洋介、ロボット、優はパパを見た。静かになり、肉を焼く音と換気扇の音だけになる。優は焼けたカルビをたれにつけて食べる。
「愛ね。いいじゃない」とママ。
「愛ちゃんていいと思うよ。僕」と洋介。
「私も愛がいいです」とロボット。
愛か、愛ねえ、と優は心の中で繰り返しながらパパを見る。
「じゃあ、愛でいいじゃん」とパパが言って決まった。
ヤキニクをお腹いっぱい食べたけれど優はまだマウンテンパンを持って二階に上がりベッドに寝転がった。マウンテンパンを机の上に置いた。やはり今日はもうよそう、とベッドに寝転がる。
「優、お風呂」と下からママの声がしてマウンテンパンを持って階段を降りて冷蔵庫にしまうと歯をよく磨いた。
美沙は美しい女性がロボットだと聞いて驚いた。優を責めた。
「なんでここまでやらせるの。ロボちゃんがかわいそうじゃない! 」
「あ、今日から愛になりましたので、愛と呼んで下さい」とロボット。
「自分がやったのよ。ここまで私がやらせる訳ないじゃない」
ロボットの説明で美沙は納得せざるを得なかった。美沙は自転車で帰って行った。その姿を優は二階の布団を干しているベランダから見ていた。
夕暮れだった。アスファルトに写ったロボットの姿には長くなった髪も影となって映っている。美沙は女になったロボットと女友達として仲良くなり、恵と華とも仲良くなった。優はそれが気にくわないけれど受け入れるしかない。華の家にロボットと遊びに行ってその帰り軽自動車が前から来た。車が近づいて来るとその車が良の兄の悟の運転する車だと分りさらに助手席に良も乗っていると分って優はドキドキする。悟は地元の大きな街の大学に通って一人暮らしをしているけれど、大学が休みの日の週末や祝日などの休みにはこっちに車で帰って来ている。車は優達に気づいて停まった。
「やあ、優ちゃん」と悟が言った。悟がまず空手をやっていて、小さい頃から知り合いである。悟は美しいロボットを見て緊張して、挨拶をする。
「こんにちは」とロボットは笑顔で返した。良もあいさつした。良にもロボットは返して動きがぎこちなくなった。
「こちらは? 」と悟が聞いた。
「あのう、ロボットです」
「え! あのロボット」と悟は美しい女性がロボットと分かりがっくりする。ロボットはジーと良を見ている。
「じゃあね」と悟は車を発車させた。優は普通のスピードで自転車を漕いでいる。それをさも歩いているかのようにロボットは着いて来ているけれど足はすごいスピードで動いていて、競歩をやっている人みたいになっているがロボットはロボットなのでまったく疲れないのである。
「ねえ、優さん、あの二人は? 」
「友也君ているでしょ。友也君のいとこで車を運転していたのがお兄さんの悟君で大学生、弟が良君で高校三年生よ」
「良君か」とロボットが言った。優はチラッとロボットを見る。優は人間みたいに走ればいいのに、上半身はほとんど動かさず、下半身だけものすごい動きをしていて隣にいるのが恥ずかしい。
日曜日に恵と美沙が遊びに来てロボットと四人で麻雀をやった。
「愛ちゃん。ひょっとして良君の事好きになった? 」と美沙が聞いた。
「うん」とロボットが素直に頷いた。
「優、ライバル出現じゃん」と恵がからかった。優は気にしない。
「でも、私ロボットだから」とロボットは白をつもって指で牌列を整えた。
「そんなの関係ないわよ。ロボットと人間の恋愛だってありだと思うわ」と美沙が言った。
「またトンチンカンな事言って」と優が言った。
「美沙は恋愛をした事がないから」と恵が笑う。
ロボットが牌をつもりながら美沙を見る。美沙は牌をつもりそれを加え他の牌を捨てて、じっと正面の恵を見る。
「恋愛経験があるとかないとかそんなの大事な事かしら? 」と美沙は自分の牌を睨みながら言う。優は牌をつもって牌列をじっと見ている。
「そりゃそうよ。いろんな人と恋愛を楽しんでさあ、自分に合う人、将来結婚する人はこんな人だって分るんじゃない! だからいいのよねえ、優」と恵。優はまだ牌を持っていてそれを指で転がして悩んでいる。優の動きが停まっていて他の三人もそれに合わすように停まっている。美沙が優をうかがう。
「恋愛をたくさんしなくてもシアワセな結婚をしている人はたくさんいるわよ」と優は言って持っていた牌を入れて他の牌を捨てた。
「そんな人いる? 」と恵。
「いるよ」と美沙。
「誰? 」と恵。優、恵。
「誰って」と美沙。優、美沙。恵。
「いるの? 」と恵。
「いるよ、私の叔父さん。叔父さんと叔母さん、高校の先輩と後輩で今でも仲良いよ」
ロボットが上った。たいした手ではない。役満のテンホーだった優はロボットを睨む。四人の手でがしゃがしゃと牌をかき混ぜる。下には誰もいない。パパと洋介はキャッチボールに出掛けママは美沙の母親とドライヴに出掛けている。誰もいないリビングの時計の秒針がフツウに時を刻んでいる。
「古いよ。それは昔の人だからよ」と恵は牌を混ぜながら言う。
「失礼ね、叔父さんも叔母さんもまだ若いよ」
「いくつ? 」
「五七ぐらい」
「古いよ」
近くを流れている川では小さい男の子と若い父親が川に入って小魚を取っている。父親はジーンズの裾を膝の上まで上げている。川面にはよく晴れた空が写っている。
「あのねえ、美沙、あんたキレイなんだからいっぱい恋愛した方がいいよ」
「そんな好きでもない人と付き合いたくないわ」
「ちょっとでもいいと思ったら自分からアプローチすればいいのよ。相手に付き合っている人がいなかったらアンタなら絶対振られないから」と恵は牌を積み込みながら言う。優は恵を見る。
「そんな事ないよ」と美沙。
「大丈夫よ。ねえ、優」
「まあ、大丈夫よ」と優。美沙、優を上目使いで疑い深く見る。
「でも特別に好きでもない人と付き合いたくない。私はあなた達と違ってまだキレイな身体なの、大切な身体なのよ」
「何言ってるの。子供っぽい事言って」
ロボットはあなた達と違って、と美沙が言った事に気づいた。それは恵は当然だけれども優も含まれている、と分る。
「私はもっと深く深く大切にしたいの。それは心の問題でもあるのよ」と美沙が言うと恵は嫌な顔をする。優はいきなり良い手でどらを含んだ七対子のテンホーで機嫌が良くなった。
「じゃあ、なんで、この間海水浴なんか行ったのよ。いい男だったら失う気充分だったんでしょ」と優がにこやかに言うと、それまでむしろ恵の側にいたのにその恵の表情も変わり、美沙も固まった。ロボットも優を少し冷たい眼で見る。
「おっさんにしつこいナンパされてロボットに助けてもらったんでしょ」と優は笑いながら言った。美沙と恵とロボットは黙っている。何よ! 急にそんなに触れちゃいけない事なの! と優はすごく激変した空気になった事に戸惑う。ロボットがリーチをした。優もリーチをする。二人は捨てられている牌を見ながら牌を積もる。結局、恵が上がった。
「私、もう恋愛はいいの、大学生になってからと決めたの。それで好きな人が出来てさ、卒業と同時に結婚するから、それまで未来のダンナさんに純粋な身体をとって置くの」と美沙が言った。
「何よ。まるで処女じゃない私達が純粋じゃないみたいじゃない、ねえ」と恵が優に同意を求める。
ロボットはハッとする。処女じゃない私達! じゃあ優はもうキズモノって事、と驚いて優を見る。正面のロボットがすごい眼差しで自分を見ている事に優は気づいてなんじゃ! と思い眼をそらす。
「あんたみたいにそうやって処女じゃないとかいつまでもこだわっている人間の方がある意味純粋じゃないわ」
「どうしてよ? 」
「じゃあ、たくさん子供を産んでいる母親は悪なの。良い母親ってたくさんいるじゃない」
「そりゃあ、そうだけど、子供を産むとまた違うの」
「訳分んない。こういうのがさ、好きな人が出来るともう前が見えなくなって暴走するのよ」
「そんな事ないもん」
「ふふ、そうかも、だって、美沙、ロボットの事が好きだって言ってたのよ」
「ええ、愛ちゃんの事」と恵は驚く。ロボットは長い髪ではあるがメイクはしていないけれどすっぴんの美人になっている。と言う事は源さんも髪を長くしたらこんな美人なんだ、とみんな思っているけれど、ロボットはひげはまったくないけれど、源さんはひげがとても濃く、ひげをそった顎も緑茶ぐらい濃い。
「いいじゃない。愛ちゃんイケメンなんだから」
「女じゃん」
「今はでしょ。この間まで男だったんだから」
牌を並べてみんな牌をつもって行く。優は身体を左右に動かしている。
「とにかく恋愛しなさいよ。じゃあ」
「恋愛すると変わるよ」と優が言った。
「何よ。自分だって恋人いないくせに」
「私はいいの。良君一途なんだから」と優が少し照れて言った。ロボットはこの間あったあのイケメンの顔を思い出した。
「何言ってるの。上杉と付き合ってたくせに! 」と美沙が言った。ロボットは驚いて優を見た。優はロボットの異常な眼差しに気づいてうっとうしく睨み返した。
「良君っていいながら、他の人を好きになるって信じられないわ」と美沙。
「だって、良君は彼女がいるんだもの」
「だからって、上杉と付き合うなんて」
「いいじゃないねえ、未経験の人に言われたかないわよねえ。優」
「フン! 変な人と経験するよりは未経験の方がいいわよ」
ロボットは牌を持ったままでいた。
「愛ちゃんよ」
「あ、すいません」
パパと洋介が帰って来た。パパがシュークリームを買って来て下から呼んだ。優が取りに行った。
「すいません、さっきの話なんですが、優さんて処女じゃないんですか? 」
「ええ、付き合ってたからねえ。ま私達も現場を見た訳じゃないけど、間違いないでしょ」
「いつですか、それ! 」
「いつって、中二の頃じゃない」
「うん」
「ヤングセックス! 」とロボットが思わず口にした。
「ヤングセックス! 」と恵が驚いて美沙と顔を合わせた。
「それで相手は誰ですか? 」
「上杉っていうま、普通の男よ。高校は私と一緒だけど」と恵。
「今でも付き合っているんですか? 」
「もう別れたわよ。やっぱ良君だって」
「良君て、悟君て言うお兄さんがいるイケメンですよね」
「そうそうそうそう」
ロボットは下唇を噛んだ。
優が戻って来てシュークリームを食べ、麻雀の続きをやって夕方に恵と美沙は帰った。優の部屋には誰もいない。カーテンは閉まっていて夕日が隙間から入って来ている。さっきまでマージャンをやっていた裸の炬燵とその上に緑色のテーブルが置いてある。ママも戻って来て、家族で夕食を食べに車で出掛けた。ロボットは食事はしないけれど外食の時はついて行くけれど今回は断り、近所を歩いた。山の影がこの周辺をより一層暗くしているのかもしれない。ロボットはゆっくりと歩いている。まさか、処女じゃないなんて! とその事ばかり考えていた。風が吹いてロボットの長い髪を流した。昼間はその影が地面にくっきりと写って少し自慢で、なびくたびに誇らしげに見ていたけれど、今はそれほどでもなかった。
夜、洋介が寝ている時、ロボットは図書館で借りて来た昔の小説を読んでいた。
「前からあんたの事が好きだったんだ、なあ」
「いや、来ないで! 」とかすみは今にも襲い掛ってきそうなオオカミみたいな伝助に身構えた。
「分ってくれ、もう我慢出来ないんだ、俺は男だよ」伝助はかすみを後ろから抱きしめた。
「いやいや」とかすみは暴れながらも強くしっかりとした伝助の身体の激しい温かさを感じていた。
「前からさ、前からなんだよ。ずっとかすみとこうなりたかったんだ」
「言わないで、私の身体はのぶきさんだけのものなの。のぶきさんだけに捧げると決めているのよ」とかすみはにげようと伝助の腕の中で暴れる。伝助は我を忘れて力を入れている。
「一回でいいんだ。一回で」二人はお互いの力を振り絞って逃げよう、放さないようにしている。伝助は思わず、かすみの頭を何度もはたいた。かすみは屈辱だった。かすみは伝助と向き合った。
「いい加減にしろよ、この家にはお前と俺しかいねえんだぞ、じゃあなんで二人切になったんだ」
かすみは伝助と口づけを交わした。かすみは伝助と口を合わせながらのぶきの事を思った。伝助は一度唇を放した。
「俺をのぶきと思えばいいだろ」と伝助が一瞬獣から優しい眼で言った。あ、そうか、とかすみは素直に思って伝助に操を捧げる事にした。すると伝助の身体のぬくもりがとても心地よく感じた。
ロボットは本を閉じた。隣のベッドでは幼い顔をした洋介が眠っている。隣の部屋では優がベッドの上で身体をエビのように丸めて眠っている。ロボットは天井をじーと見ている。優さんは良君に操を捧げず、上杉と言う同級生にやられたんだ! ロボットは頭の後ろで腕を組み隣の部屋の方のかべを見ながら、ふふ、と笑った。
ロボットは女性になるのを止めた。ママが自分とパパと優の弁当を作っている時に元の姿になって来たロボットを見て驚いた。
「どうしたの愛ちゃん? 」
「ええ、藤本のおばあちゃんや森本社長などは言わないけれどやっぱり違和感を感じているのがとてもよく分かるんです。私も一度やってもう満足です。それにメイクも服もめんどくさい。外見で女性になるのは止めますけれど心は女性ですから」
外ではキャップをかぶった男の子が柴犬を散歩させていて、そのそばを新聞配達のバイクが通り各家に新聞を入れている。
ロボットは仕事を増々張り切ってやった。みんなとても喜んだ。
体育の日には洋介の通っている小学校で運動会が行われる。二日前には激しい雨が降り、その翌日の午前中も雨が降り続いていたけれど午後から晴れた。当日の朝からは教職員とPTAの連中がグラウンドに来て準備をやっている。グラウンドには白線が何本も敷かれその上空には児童達が作ったいろんな国の国旗が飾られている。
ママは早く起きて朝から太巻きを作っている。かんぴょう、ホウレンソウ、おぼろ、卵焼き、キュウリを巻く。ロボットも弁当作りを手伝っている。おかずは洋介の好きなソーセージ、から揚げ、マカロニサラダだ。さらに梨もカットされている。出来上がった太巻きが何本もあり、呉服屋の反物みたいに重なっている。太巻きは祖父が大好きで小学生だった優の運動会の時には太巻きと足が速くていつもリレーの選手に選ばれていた優の走る姿を見るのが楽しみであった。ママは重ねた太巻きとその中の具を見ながら自分の父親であり優の祖父が他の選手をどんどん抜いて走る優を見て立ち上がって興奮していた姿が想い浮かんだ。そんな想い出もある。橋本のおじいちゃんもママの作る太巻きが大好きで、いつも一本運動会に行く前におじいちゃんの家に寄ってあげる。パパもいつもの休日よりも早く起きてキッチンに来た。洋介はまだ眠っている。隣の部屋では眼を覚ました優がウォークマンで音楽を聴きながらベッドに寝転んでいる。カーテンの向こう側では良く晴れているのが分っている。パパは運動会で走る事になっていてジャージに着替えてこの日のために買ったスニーカーを箱から出して履いた。外に出るとストレッチをやってからジョギングを始めた。優はイヤホンをはずしてそのまま音楽を停めないで立ち上がったので音が漏れている。
柔軟体操をやっているパパに隣の立花のおばさんが声を掛ける。
「晴れて良かったねえ」
「ええ」
「走るの? 」
「そう、僕は足が遅いから。嫌なんだけどね」
パパは笑顔で走り始める。洋介はまだベッドで眠っている。優はずれたスエットのズボンを挙げて洋介の部屋のドアを開けてのぞいた。ベッドの横にはロボットが図書館で借りて読んだ本五冊が積まれている。キッチンではロボットが太巻きを正確に切っている。ママは朝食用のおにぎりをにぎり洋介の好きななすの味噌汁を作っている。優の髪は乱れていてだらしなくスエットのズボンに両手を入れて階段をゆっくりと降りている。このスエットのズボンゴムがもうゆるいなあ、と思っている。でも、それは優がしょっちゅう手を入れているからゴムが伸びるのだ。パパは少し空気が冷たい朝の空気を感じながら優しい陽射しを浴びて走っていて、前から来た若い男性と小さい女の子が走っていてすれ違った。トイレから出て来た優は朝から揚げ物を揚げている音が聞こえているキッチンに入る。
「また手を入れて伸びるでしょ」と優はママに注意された。おかずはもうほとんど出来ていて、ママはから揚げや天ぷらを揚げている。さらにこの間橋本のおじいちゃんからもらったさつまいもをママは素揚げしていて、それを銀のボウルにさっと入れ、そこに水あめとはちみつを入れてさらに黒ゴマを振り掛けた。大学いもだ! と優は甘い香りをかぎながら椅子に座って様子を見ている。洋介はまだ眠っている。川にも優しい陽射しが映っている。小学校ではもう準備が整えられていてグラウンドではキレイな白線が何本も敷かれている。小学校のそばを犬を連れたおじいさんが通りフェンスの外から中を覗いている。ママは出来立ての大学いもを一つつまんだ。ホクホクと熱い。すぐにアイスティーを飲んだ。甘くて美味しい。優もやって来てつまんだ。熱くてアイスティーを冷蔵庫から出してグラスに注いで飲んだ。熱いから余計にこりゃ美味しいとまたつまんだ。
「もうそんなに食べない」と優はママに怒られた。
パパは汗をかいていて走るのを止めて歩き始めた。
高校のグラウンドには誰もいない。その近くの公園ではキャップをかぶりダボダボの服やズボンをつけた男女五人が朝から音楽を流してヒップホップダンスをやっている。
ある家の前にはハイブリット車が停まっている。白いまだ新しい車だ。玄関のドアが開き若い女性が出て来た。すると運転席のドアが開いて若い男性が出て車のそばに立った。若い女性は出掛けるおしゃれな格好をしていて、その後からその母親が出て来た。男性は母親にあいさつをした。女性は笑顔で男性を見るとそのまま助手席のドアを開けて乗り込んだ。
「それでは行って来ます」と男性は女性の母親に言うと運転席に乗り込んだ。母親は車のそばまで来た。女性がシートベルトをつけて窓を開けると母親に行ってくるね、と言い車が動き出すと手を振った。母親も手を振り車を見送った。その家のリビングのカーテンが少し開いていてそこから女性の父親がその様子をじっと見ていた。
パパは公園のベンチに座り休んでいる。近くから音楽が聞こえ男女が踊っている姿が見える。
お重には太巻きがぎっしりと詰められ、他の段には、ソーセージ、マカロニサラダ、天ぷらが並べられ、もう一つの段には大学いもとカットされた梨が並んでいる。それをママが丁寧に重ねて一番上に蓋をして風呂敷で包んだ。その横には太巻きが二本睨んでいて、おかずや梨もあり、おにぎりと大学いもも少しある。洋介はまだ眠っている。
ある家のリビングでは初老の男性がテレビをつけたまま熱心に新聞を読んでいる。洗面所に男性の妻が行くとお風呂場からシャワーを浴びている音が聞こえる。妻がリビングにやって来た。
「ちょっともうそろそろ速人を起こして来てよ」と妻が言った。男性は新聞を閉じて立ち上がると階段を上がり部屋のドアを叩いた。反応がないのでドアを開けるとベッドで掛布団をはいでうつぶせになりロッククライミングをやっているみたに足を開いてTシャツが少し上がり背中が見えている寝相の悪い自分の二十歳になる息子がいる。
「おい、もうそろそろ準備しろよ、なあ、おい、起きろよ」と父親が言うと、うん、と眠い重たい声が帰って来た。男性はドアを閉めて階段を降りているとシャワーを浴びた娘に会った。父親と娘はぎこちなく何も言わなかった。
パパが帰って来た。汗をかいていてシャワーを浴びに行った。ロボットが二階に上がり洋介の部屋に入るとまだ眠っている洋介に声を掛けた。洋介はパッと眼を覚ますとずっと起きていたかのようにそのまま階段を降りて行った。リビングでは優がテレビを観ている。小学校のグラウンドではキャップをかぶった若い男女の先生が立ち話をしていて笑っているとそこへ荷物を持った男性が現れて、もう席を確保していいだろうか? と聞いたので、男女の先生は顔を見合わせ、はあ、いいですよ、と男性が答えると男性は青いビニールのシートが敷かれてグラウンドとの境のためロープがある前の場所を靴を脱いで荷物を置いて確保した。誰もいないので腕時計を見るとそのままその場所に仰向けに寝転がった。
公園では四人の眼の前で一人の女性がダンスのお手本を見せながら説明していて他の四人は熱心に見ている。
台所では母親がキレイにサバ寿司を並べている。このサバ寿司は源さんの店で作ってもらい昨夜届けてもらった。母親はお吸い物を作っている。お吸い物の中には近所の人からお祝いにともらった松茸が入っている。美雪がやって来た。
「うわー、美味しそう、いい香り、これ松茸のにおい? 」
「そうよ、横野さんが山で採って来てお祝いにってくれたのよ」
「へえ、源さんとこのサバ寿司美味しいそう」
「あんまり食べちゃ打掛切れなくなくなるわよ」
「はーい」
父親がやって来て、テーブルの椅子に座った。さらに寝癖がついてひげを伸ばしているまだ寝ぼけた顔をした速人がやって来た。
「あんた、ひげ剃りなさいよ」と母親が言った。
「分ってるよ」と速人は言った。
ママが作ったおにぎりをママ、パパ、洋介、優がリビングでテレビを観ながら食べている。優は味噌汁を飲み、キュウリの浅漬けを食べている。
「美味しい」と美雪はサバ寿司を食べて言った。速人は姉を見ながら松茸のお吸い物を口にした。
「あちぃ」と舌をやけどすると美雪は笑った。
青空。小学校の校門には小学校大運動会と書かれた看板が立てられている。洋介は体操服を着てリュックを背負うと玄関から勢いよく出て行った。外に出ると友達の富士雄と守が待っていた。三人は元気よく学校へ駆けて行った。優はリビングでテレビを観ている。
純とさつきは純の運転する車で楽しそうに会話をしている。洋介が通っている小学校の前を通ると運動会の準備が出来ている。
「運動会なんだね」とさつきが言った。
「そうみたいだね」と純は言った。
ロボットは散歩をしていて顔見知りがいるとあいさつをする。洋介の小学校には続々と児童が集まっている。
食事を終えた美雪が洗面所の大きな鏡の前で自分の顔を見ながら歯を磨いている。速人がやって来て自分の歯ブラシを取りはみがきをつけて隣で洗面所におしりをつけ鏡の方に背を向け歯を磨き始めた。美雪は嫌な顔をして速人に肩を少しぶつけた。
パパはリビングで新聞を読んでいる。そのそばでは優がテレビを観ている。ママは寝室でメイクをしている。ロボットは長谷のおばあさんの家の庭の木の椅子に座り縁側に座った。おばあさんと話をしている。
公園でダンスの練習をやっていた若者達はコンビニに行ってあくびをしながらそれぞれパンやサンドイッチやジュースを買っている。中年の男性が入って来てかごを持ち入荷したばかりのおにぎり、弁当、おかず、お茶、ジュースをかごに入れている。
速人はうがいをした。美幸はまだ歯を磨きながら嫌な顔をする。歯ブラシをしまって立ち去ろうとする速人の顎を姉は指でちょんと突き上げた。速人は何するんだよ、みたいな感じで右の眉を上げた。
ロボットは長谷のおばあさんと大笑いしている。その家の前を近所の家族が荷物を持って運動会に行っていておばあさんにあいさつをした。ロボットは立ち上がり家に帰った。
純が運転する車は高速道路に入った。さつきはその横でゆっくりとカーブを曲がって上がっている重圧を背中で受け止めながら純と楽しそうに話をしている。
コンビニから出て若者達はそれぞれの家に帰る。自転車に乗り音楽を聴きながらパンをかじって行く。
父親はテレビを観ている。美雪がやって来てそのそばに座った。
パパは汗で汚れたジャージを脱いで別のジャージに着替えている。ママが階段から降りて来た。
「優、運動会に行かないの? 」とママが聞いた。
「行かない」と優は答えた。玄関のドアが開いてロボットが帰って来た。
「愛ちゃんもジャージに着替えたら」とママが言い、ロボットは洋介の部屋に行った。ママは台所へ行って橋本のおじいちゃんに持って行く太巻きとおかずを持って出掛けた。
純の運転する車は高速道路を走っている。サービスエリアに入るとその駐車場には車が多く観光バスも停まっている。二人は車から降りると身体を大きく伸ばして空気を吸った。お互い眼が合って笑った。
ママが橋本のおじいちゃんの家の引き戸を開けて声を掛けるとおじいちゃんが出て来た。ママが太巻きが入った袋を渡すと喜んだ。二人で天気と運動会の話をした。小学校のグラウンドの観客席には児童の家族が集まって椅子に座ったり青いビニールシートで場所を確保している。青空である。
母親は電話をしていて受話器を持ったままおじぎをしている。父親は天気予報を観ている。テレビでは大きな街の空模様が映し出され全国的に晴天で絶好の運動会と行楽日和であると告げた。
玄関ではパパが新しいスニーカーを履き、ジャージに着替えたロボットが荷物を持って立っている。リビングでは優がテレビを観ている。ママが戻って来て優に声を掛けた。優はテレビを観ながら返事をした。ママが外に出るとパパとロボットが待っていて三人で小学校で出掛けた。立花のおばさんが庭いじりをやっていたのでママが声を掛けた。
「晴れて良かったねえ」とおばさんは言った。
「ほんと、じゃあ、行って来ます」とママが答えて行った。小学校の上空に飛行機が通り飛行機雲が出来ている。教室から出て来た児童達がそれを見つけ、うれしそうに空をみんなで見ていると、ぱんぱんと花火が上がって煙が空中に残った。
車は梨園に着いた。農園の入り口の看板には梨狩り千五百円と書いてあり、車から降りた純と彼さつきが手をつないでやって来た。
速人は自分の部屋で椅子に座ってインターネットをやりながら電気カミソリでひげを剃っていると母親がドアを開けた。
「もうそろそろお姉ちゃんをホテルに送ってってよ」
「分ったよ」
下のリビングでは父親と美雪がテレビを観ている。母親が降りて来ると、美雪がトイレに行った。トイレから戻って来ると速人がパーカーを頭からかぶりそのポケットに両手を突っ込んでゆっくりと階段を降りていて、美雪が階段の下に立って弟を見上げた。
「ちょっとここで待ってて」
「は? 」
「いいから」と美雪が言うと弟は理解してふっ、と笑った。美雪はリビングに行って、母親と父親にあいさつをした。
「今まで育ててくれてありがとう、じゃあ、行ってくるね」と美雪は照れて言った。父親は照れ臭そうに笑った。速人が階段を降りてリビングを覗いた。美雪が出てくると、ニヤついた。美雪はまた速人の顎、それはキレイにひげを剃った顎をちょんと指で突き上げた。
グラウンドには全校児童が集まり台に上がった校長先生のあいさつを聞いている。
「それでは第一種目のラジオ体操を始めます。児童のみなさんは準備をして下さい。関係者のみなさん、ご家族の皆様をご参加下さい」と放送委員の男の子がアナウンスする。児童達が幅を取ってひろがり、テントや観客席にいる人達も立ち上がっている。ラジオ体操の音楽が流れた。
速人の運転している車の助手席に美雪は乗っている。車内は速人の吸うたばこの煙が漂っている。前の台に置いている速人の携帯が鳴った。
「ちょっと出てよ」と速人は言った。
「どこ? 」
「右側」と速人が答えると美雪は手を伸ばしてパーカーのポケットから携帯を出して出た。
「はい」
「あ、あれ? 速人じゃない」
「美雪だけど悟君? 」
「あ、どうも、」
「今、ホテルに向かっているの。速人の車で」
「あ、そうなんだ、いや、美雪ちゃんが結婚するって言うんで、よろしくって伝えてもらおうかなと思って電話したんだ」
「そう、それはわざわざありがとう」
「いえ、じゃあ、あらためておめでとうございます」
速人は煙草をくわえている。
「ありがとう」
「おシアワセに」
「どうも、速人と話す? 」
「あ、ちょっとだけ」美雪は速人の横顔に携帯をつける。速人は嫌な顔をする。
「にゃに? 」とタバコをくわえているのではっきりと喋れない。
「今日、飲むかなと思って」
「ああ、いいにょ」
「なんだよ、へんな喋り方して」
「てぃやばきょ、吸ってんだにょ」
「じゃあ、夕方電話するから」
「ああ」と速人は答えると美雪が電話を自分の耳につけた。
「ありがとう、じゃあね、悟君」と美雪は言って電話を切った。隣の速人はたばこを加えたまま煙を吐いた。
優はソファに寝転がってテレビを観ている。
「続いての競技は五年生による徒競走です」と放送委員の女の子が言った。入場門には五年生の児童が集まっている。その中に洋介、富士雄がいて違うクラスの守もいる。観客席ではパパがビデオカメラを持っている。音楽とともに五年生が駆け足でグラウンドのスタート地点へやって来た。
「パパ、洋介よ」とママが言った。ロボットが嬉しそうな顔をする。最初の選手の四人がスターとラインに並ぶと先生が火薬の入ったピストルを上に向けパンと打った。青空に煙が残る。洋介は次の組で座って待っている。一位で澤本という児童が圧倒的にゴールをした。
「やっぱ澤本速いな」と洋介の隣に座っている守が洋介につぶやいた。次の組になり守と洋介が並んだ。パパがカメラをセットする。ロボットも体内に内臓されているカメラで洋介を追う。スタートを切ると一位で洋介が走っている。
「ぎゃー、すごい、洋介君がんばって」とロボットが興奮している。そのまま洋介は一位で駆け抜けた。ギャー、ギャーとロボットはうるさい。
「ちょっと愛ちゃん、興奮しすぎよ」とママがたしなめる。周りの家族は笑っている。
「パパ、撮れた? ねえ」とロボットはパパの身体を揺する。
「あの子は速いねえ、どこの子だろう」とロボットの近くにいるおばあさんが嫁に聞いた。
「うちの子ですよ、おばあさん」とロボットが図々しく言った。
「ほう、あんたのお子さんか? 」
「いえ、私の主人の一人です」
「は? 」
「すいません、私の子です」とママがロボットの口を押えながらおばあさんに言った。おばあさんはママの子供で、口を押えている男性と再婚して男性の子ではないのだな、それで血は繋がっていないけれど初めての子供の運動会で興奮しているのだな、と理解した。
梨園ではさつきと純が梨をもいでいる。手に持ったかごにはたくさんの大きな梨が入っている。
「すごい取れたね」とさつき。
「うん、俺、梨ってフルーツの中で一番好きなんだ」と純。
「私もよ。桃とメロンの次に好き。あ、イチゴも好き。イチゴの次かなあ、マンゴーも好きだから、マンゴーの次ね」
「俺はスイカや柿よりも好き」
「そうね。私もスイカや柿も好きだけどスイカや柿よりも好き」と言うと二人は笑った。
優はゆっくりと階段を上がっている。すたすたとスリッパの音。途中で停まった。じーとスリッパを履いた足を見ている。
ホテルの親族の控室には燕尾服を着た父親がいる。そこには親族が集まっていて、その中にはドレスを着た華と中学生の妹の桃が大人達に混じって大人しく座っている。華が席を立って外に出ると桃もついて行った。ロビーの喫煙席ではスーツを着た速人が一人だけいて、タバコを吸いながら大きいソファに座り手すりに両手を置いている。
「あ、こんなところにいた」と華が速人を見つけて言った。速人は煙草をくわえたまま睨んだ。
「お、来たな、バカ姉妹」
「ひどい」と華が言い、桃と速人のそばに立った。
「お兄ちゃん、ネクタイしてない」と桃が言った。
「おめえもしてないじゃないか」
「私ドレスだもん」
「いいんだよ、ドレスなんて、ガキなんだから制服で、おしゃれしやがって」
「いいじゃんねえ」と華が桃に言う。桃頷く。
「貧乏なくせに、今日はあの、いっぱい喰って帰れよ。それが目的なんだろ」
「うるさい。もう」
「ほんと私達二人でピアノ弾くんだから」と桃が言った。
「いいよ。弾かなくて」
華と桃は速人を睨んでいるがその場から行こうとはしない。
「続きまして父兄の皆様によるリレーです。みなさんしっかり応援して下さい」と放送委員の女の子のアナウンスが流れた。入場ゲートにはパパが赤い鉢巻をして他の親達と並んで待っている。先生を先頭に音楽と笛に合わせて大人達が掛けて来る。みんなほとんどおっさんとおばさんなのでその足取りは重く、砂煙がすごい。
「ああ、パパよ、パパ」とロボット。
「分ってる。分ってる」とママがカメラを構えている。リレーが始まる。運動不足のおっさん、太ったおばさん、足が速いおじさんといろいろいてバトンを渡している。
「きゃー、パパよ」とロボットが興奮してママの肩を揺する。
「うるさいな、分ってる」とママはカメラを向けてパパを撮影している。パパが走り出す。遅い。でも周りもこけたり、バトンを落としたりしている。観客席は盛り上がり大いに笑っている。一生懸命走っているパパは廻りの若い父親や母親の選手に抜かれている。
「きゃー、パパ何やってるの! 」とロボットママの肩を揺する。
「ちょっと手振れがひどい、愛ちゃん! 」
パパはやっとバトンを次の選手に渡すとコースから外れ、ぜいぜいと息をして両膝に両手をつけて息をしている。
優はベッドに寝転がって本を読んでいたけれど眼がトロンとしていて本を置くとそのまま眠ってしまった。
ホテルの教会では神父がウエディングドレス姿の美雪と新郎の前で説教をしている。後ろには父親、母親、速人がいてその後ろには華と桃も立っている。
テーブルに座りカットした梨をさつきと純が食べていると小さい男の子がやって来たのでさつきがいる? と細長くカットした梨を渡すと頷いてそれを持って行った。その子の両親が気づいて、お礼のあいさつをすると、さつきと純は笑顔で頷いた。
「おいしいね。この梨」とさつき。
「うん。サイコー」と純。さつきと純、カットした梨を食べている。
「お昼になりました昼食は観客席か体育館、教室でお願いします。それでは午後のプログラムが始まるまでゆっくり休んで下さい」と放送委員の女の子が言うと観客席の家族が立ったり、児童達がそれぞれの家族の元に走ったり友達と喋りながら歩いている。洋介がパパ、ママ、ロボットの所へ来るとみんなで体育館へ行った。中でシートを敷いて座りそこへママとロボットが作ったお重を出して開ける。朝詰めた太巻き、おかず、梨などの豪華な弁当だ。ママはウエットティシュを洋介とパパに渡した。みんな手を拭いた。洋介は早速大好きな太巻きをほうばった。その後ろで父親がコンビニで買って来た弁当やおにぎりを袋から父親と四年生の女の子が出していて、そばにはその妹の一年生が立っている。小さい女の子は立って父親の背中に抱きついた。父親は注意せずコンビニのおにぎりをほうばっている。女の子は洋介達の豪華な弁当を覗いた。父親が開けてやったおにぎりを後ろの女の子に渡すと女の子はそれをほうばった。ロボットは食べないで正座している。小さい女の子と眼が合うと笑った。女の子も大きく口を開いておにぎりを食べながらロボットを見て笑った。
橋本のおじいちゃんは畑から帰って来ると手を洗いテレビをつけて油揚げの味噌汁を温めた。テレビの前のテーブルの上に冷蔵庫から持って来たママが作った太巻きなどの弁当を持って来て開ける。味噌汁とお茶も用意した。太巻きをそのまま手でつまんで食べた。外は青空が続いている。
優は眼を覚ますと、そのまま下に降りてキッチンに行き、冷蔵庫からママが作った太巻きやらおかずを出した。お湯をやかんで沸かしてカップヌードルを出すと蓋を開けてお湯を注いだ。リビングに太巻きなどを運んでテレビをつけて時間を確認してカップヌードルの蓋を開けると箸で麺をほぐしながら食べ始めた。太巻きを口に入れ、梨を食べジュースを飲んだ。
結婚披露宴が始まり、華は末席にいる。同じ席の美雪の父親のまわりには近所や会社関係の人が来て父親にビールを注いでいる。速人は華を見た。
「おい、華、肉食べるか? 」
「え、お兄ちゃんいらないの? 」
「ああ、朝、サバ寿司食べ過ぎた」
「サバ寿司作ったの? 」と華の母親が美雪の母親に聞いた。
「ううん。源さんとこに頼んでおいたの。あの子サバ寿司好きだから」と母親は言いながら壇上で大人しくウエディングドレスを着て座っている美雪を見た。そばでは新郎の会社の同僚達がマイクの前に立って新郎の話をしている。華は桃と速人からもらった肉を食べている。ホテルマンが来たのでオレンジジュースを頼むと桃も頼んだ。
「いいねえ」と華が飲み放題のオレンジジュースをグラスに注ぎながら言った。
「いいねえ」と桃もグラスに注ぎながら言うと二人は笑った。
さつきと純は車に乗っている。後部座席には梨狩りで採った梨がかごに入ってたくさんある。二人は笑いながら話をしていて、カーナビが目的地に着いたと報告する。
「あ、あったあのレストランよ」
「結構停まってるね」と純は駐車場に多く停まっている車を見て言い車を入れる。二人は車から降りてレストランに入って行く。
優は玄関に座って靴を履いている。立ち上がるとドアを開けて鍵を閉めて歩き出した。よく晴れていて静かだ。いつもの休日ならば子供達のはしゃぐ声が聞こえている。そのままぶらぶら歩いて、橋本のおじいちゃんの家の前を通った。大きな庭にある柿の木の柿をおじいちゃんが手を伸ばしてはさみで切って採っている。
「優ちゃん、これ、太巻きのお礼だよ」とおじいちゃんは言った。
「ありがとう」と優は言い庭に入った。
「とても美味しかったよ」
「それは良かった」
「運動会はもう終わったのかい? 」とおじいちゃんは言いながら優に甘くて大きくて濃いオレンジ色した柿を二個渡す。優はその輝いている大きな柿をそれぞれ両手に持った。いつも柿はもらっていて甘くて美味しい。ずっしりと重い。
「まだじゃない、私は行ってないの」
「そう」
優は柿のお礼を言ってまた歩き出した。
ロボットは大人達に混ざってグラウンドの中にある。借り物競争に出るのだ。ロボットはスタート地点に立つとピストルが鳴り他の選手と共にいっせいに走った。封筒を取ると中を開けた。動物と書かれている。
「動物なんていないわ」とロボットはキョロキョロとあたりを見廻した。他の選手は小さい子供や果物を持っている。
「誰か動物! 動物よ」とロボットは叫んだ。
「あっちにうさぎとかにわとり飼ってるよ」とおばさんが言った。ロボットが行こうすると、観客席からミニチュアダックスを連れて来ていて貸してくれた。ロボットはそれを受け取ると犬は吠えた。噛みつこうとしたのでロボットは思わずよけると犬が逃げ出した。その犬をロボットは追いかけると先にゴールしてロボット捕まえようと後から入った。観客は大いに笑った。ロボットは結局最下位になって悔しがった。
テーブルでは父親が美雪を見ている。立ち上がった。
「どこ行くの? 」と母親が聞いた。
「トイレ」
「兄さん大丈夫?強くないんだから」と華の母親が言った。
「大丈夫よ」と母親が言った。
「ええ、続きまして新婦のいとこにあたられます華さん桃さんの姉妹によりますピアノの演奏です、ここで新郎新婦のお二人は最後のお色直しに向かわれますので皆様拍手でお送り下さい! 」と司会が言うと拍手が起こり新郎新婦の二人が立ち上がって行った。華と桃が並んで座りピアノを弾いている。父親が戻って来た。娘を確認しようとするといない。そのまま席に座った。招待客達は食事をしたり酒を飲んだり談笑している。華と桃の弾くピアノの爽やかな音楽が流れている。
レストランの駐車場から純の車が出て来る。さつきも純も食事には大満足だった。
「ああ、食べ過ぎちゃったよ、梨も食べてるから」
「ほんと、純のお腹出てるよ」とさつきは運転している純のお腹をさすった。さらにその手は純の太ももの上に置かれてときどきさすった。
川を優は橋の上から見ている。陽射しは温かい。流れている水は透明で底までずっと見えている。自転車のブレーキの音がして振り向くと良だった。
「やあ、今日は洋介君の運動会じゃないの? 」
「うん」
「観に行って来たの? 」
「ううん」
「なんだ。じゃあ、一緒に観に行こうよ」
「え、良君、運動会観るの? 」
「ああ、面白いじゃないか、優、行かないのか? 」
「ううん。行く」と優は笑みがこぼれるのをこぼれすぎるので抑えた。まさか、良と出会い二人切で歩けるなんてうれしくてたまらない。
「今日は良君、友也君のところへ? 」
「いや、ずっと勉強してたよ。受験生だからね」
「あ、そうか」
「それで小学校で運動会をやってるんで気晴らしに観に行こうと思ってさ、優は何やってたの? 」
「ずっとテレビ観てた」
「いいな、それが一番だよ」
優は苦笑いをした。ゆっくりと自転車を濃いでいる良の隣を歩いて行く。美郷さんとはデートじゃないの? とか浮かんだけれどせっかくの二人なのにと思って止めた。
運動会では綱引きが行われていて、ロボットは当然、洋介のチームを応援していて力が入っている。けれど相手チームに引きずられて負けた。ロボットはハンカチを噛み引っ張って悔しがる。
「もうパパなんで? 」と隣であぐらをかいているパパの肩を揺らした。
「知らないよ」とパパは迷惑そうに答えた。
車はラヴホテルの横を通りすぎようとしている。さつきと純は二人ともホテルをチラッと見ながら通り過ぎた。
結婚式の会場は暗くなっていて金屏風の前にだけスポットライトがあたり、着物姿の美雪と新郎それにお互いの両親が並んでいて、マイクの前に立った美雪が手紙を読み始めた。速人は大きなあくびをした。華と桃が速人を見た。前では父親と母親が鼻をすすり眼の涙をハンカチで抑えている。速人が従業員を呼び、コーヒーと言った。華は速人を見た。コーヒーが速人の前に運ばれて来た。手紙を読み終わると会場は明るくなり、拍手に包まれた。美雪と新郎がお互いの両親に花束を渡している。速人はスプーンでコーヒーをかき混ぜるとそれを飲んだ。華と桃が不満そうに速人を見ている。速人は二人に気づいて顔を近づけた。
「なんだよ。バカとアホ」と速人が言った。華と桃は顔を合わせて憤慨した。
小学校の前まで良と優は来た。フォークダンスの音楽が流れて中では児童がフォークダンスを踊っている。
「今日は兄貴の友達のお姉さんの結婚式でさ、兄貴はその人の事がずっと好きだったんだ。俺もあった事あるけどキレイな人なんだ。だから兄貴は朝からずっとウイスキーを飲んでるよ」
「へー、私の友達も結婚式に出てるの。いとこのお姉さんの結婚式で妹とピアノを弾くって言ってたよ」
二人はフェンス越しから中を見た。輪になった児童達が照れながら踊っている。良は自転車を止めると中に優と入った。ブランコやジャングルジムには児童の弟や妹の小さい子供達が遊んでいる。観客席の外のまわりでは小さい輪が出来ている。
「あれ、優とこのロボットじゃない」優は瞼が重たくなった。ロボットが小さい子供達と輪を作ってフォークダンスを踊っているのだ。
ホテルエレガントの駐車場には純の車があり、その後部座席には二人が狩った梨が置かれてあり、前の席には誰もいない。
披露宴では新郎と父親があいさつをしている。
「つまんねえだろ、どうせ、近くに住むのに、よくやるよな」と速人。
「うるさい」と華。
「俺が面白い話してやろうか」
華は嫌な顔をして桃に同意を求めると桃も頷いた。
「ちょっとアンタ達静かにしなさい」と華の母親が注意した。速人舌を出して華と桃を見る。華と桃嫌な顔をする。
児童達が男女手をつないで退場している。それを見ながら良と優はブランコのそばに立っている。近くではロボットが小さい子にくっつかれて遊んでいる。
「優はどうするの? 進学」
「進学」
「じゃあ、高校卒業したら家を出るんだ、で、その後は帰って来るつもり、それともそのまま就職? 」
「そんなのまだ分らないわ」
ブランコに乗っていた男の子が降りてブランコだけがキーキーと揺れている。
「良君は? 」
「俺は兄貴がいるからね、兄貴がこっちで就職するから、多分、こっちには帰って来ないと思う、でも、美郷は市役所にもう決まってるから、美郷と続いてたらどうなるか分らないけど」
二人ともグラウンドの方を見た。良の口から美郷という彼女の名前が出て優は寂しくなった。グラウンドでは先生がリレーのコースの白線を引きなおしている。優はパパとママの後ろ姿を視ている。そこへ子供達から解放されたロボットがやって来た。優の顔が厳しくなった。入口から橋本のおじいちゃんが入って来た。優が気づいた。おじいちゃんだ! と優は心の中で叫んだ。
「次はチーム対抗リレーです」男子児童の放送委員。
「各チームから選ばれた男女各学年の選手が次々にバトンを渡して行きます。最終種目なのでみなさんしっかりと応援しましょう」と放送委員の女子児童。入場門を通って各色の鉢巻をした男女の児童が駆け足で入って来た。
暗い駐車場では純とさつきが車に乗ってシートベルトをつけている。エンジンが掛り車がゆっくりと動いて外に出て来る。純とさつきはそこでぶちゅとキスをした。
ホテルの喫茶室では親族が集まっている。大人同士は話をしていて華と桃はそれをジュースを飲みながら聞いている。向かいには速人がいる。
「あー、腹減った」と速人が言う。
「だってさっきほとんど食べなかったじゃない、サバ寿司食べたからって」と華。
「それもあるけど、姉ちゃんとダンナがせこいから安いコースにしたんだよ。お前らも物足りないだろ、あれ、俺が言ってやったんだよ、もっと高いコースにして美味しい物食わせろよって、そしたら、姉ちゃん激怒しやがって、案の定これだよ」
「美味しかったよ。ねえ」と華は桃に同意を求めると桃は頷く。
「うん。デザートのメロンも美味しかったよ」と桃。
「メロンぐらいで満足しやがって貧乏な子供は単純でいいなあ」と速人はコーヒーを取っ手ではなくダイレクトにカップを持ちそのままゴクリと飲んだ。
「失礼ね」と桃怒る。
「この上のコースだとメロンにメロンケーキにメロンパンにメロンジュースまでついてるんだぞ」
「そんなに食べきれないよ」
「速人君の結婚式期待してるから、すごく高いヘウエディングケーキや美味しい料理食べさせてよ」
「もちろんさ、ま、でもお前らは呼ばないけど」
華と桃が怒っているのを速人は笑いながらコーヒーを飲んだ。
「お、洋介君、青チームの選手じゃないか、もっと前に行こう」と良に言われ、優はついて行った。観客席の後ろに並んで立っている。近くには橋本のおじいちゃんが少し曲がった腰に両手を添えて立って見ている。ロボットはそわそわしていて後ろを振り向いたら優がいてなんとその隣に良がいるのを見て、カーとなった。なんで、良君と一緒なの! とロボットは思いつつグラウンドの方を向いた。パン! とピストルが鳴り赤、青、黄、緑の鉢巻を巻きその色のバトンを持った一年生の女の子がスタートするとロボットはグラウンドの方を見た。
純が運転する車の横ではさつきが眠っている。純はガムを噛んでいてさらにまた新しいガムを口の中に入れた。
着替えた速人は階段を降りてキッチンに行き冷蔵庫からコーヒー牛乳をパックごと出してポテトチップスののりしおを持ってリビングに行きテレビを観ながら一人で食べている。母親と父親が帰って来た。
「今日の晩御飯なんだよ」と速人。
「お茶漬けでいいんじゃない」と母親。
「お茶漬け、冗談じゃねえぜ」
「私もパパも疲れてて、いいわ」
「じゃあ、俺は勝手に喰うからいいよ」と速人は言いテレビの方を向いてポテトチップスののりしおを食べ汚れた手でパックを持ちコーヒー牛乳をごくごくと飲んだ。父親は着替えて二階から降りて来るとキッチンに行ってコーヒーを作った。テーブルの椅子に座りまだ熱いコーヒーをゆっくりと飲んだ。どっと疲れているように椅子の肘掛に両肘を置いている。
ロボットは興奮している。洋介の青チームは最下位だ。
「何やってるの! 」とロボットは観客席とグラウンドを仕切っているロープをつかんで揺らすのでママが止める。四年生の男子から五年生の女子にバトンが渡る。四年生までは一人五十メートルであるが五年生からは一人百メートルになる。洋介は自分のチームの女子がバトンを受け取ると立ち上がった。背中に手を当てて閉じた唇をゆがめて見ている。ドキドキしている。隣には同じような藤本がいる。藤本の赤チームは三位だ。順位はかわりそうもない。一位の緑と二位の黄色が近づいて来た。五年生の緑と黄色の選手がバトンゾーンに入った。二人は先にバトンを受け取って走りだした。藤本と洋介も入った。
「洋ちゃんよ、洋介君よ、立派になって」とロボットは興奮してパパに言う。パパはカメラを洋介の方に向けている。
「お、エース登場だな」と良が隣の優に言った。
赤の女子が藤本にバトンを渡した。すぐに青の女子が洋介にバトンを渡そうとする。
「はい」と女子は大きな声を出してバトンを洋介に渡す。洋介は走り出した。半回転しているジェットコースターに乗っているみたいに何も考えず周りの景色が眼に入って来て身体が勝手に動いている。ただ、手を思い切り振ろう、と走る前に考えていてその通りになっていると自覚している。藤本や周りの観客や児童が見えた。藤本と洋介は速かった。すぐに緑と黄色を追い抜いて差をつけた。
「キャー! 」とロボットは興奮する。ママはロボットがうるさいので耳をふさいでさらにロボットのおしりをたたいた。青と赤の児童達は洋介と藤本をそれぞれ応援している。藤本の背中を見ている。洋介は抜ける! と確信した。もうバトンを受け取る六年生の女子が待っているのが見える。カーブを曲がる時、藤本がこけた。その瞬間抜いた洋介は思わず立ち止まり藤本を起そうとしてハッとして先に進んだ。早く! 何やってんだ! と青チームからの声が聞こえた。後ろから黄色と白が来ていた。洋介はすぐに走り出してバトンを渡した。
洋介は待っている六年生の男子に文句を言われた。ドキドキしていた。三角座りをしながら藤本の血が出ている砂混じりの膝を見ていた。結局、六年生の女子抜かれ青は二位になり、赤は三位だった。
「あーあ、なんで! 」とロボットはすねた。
優は橋元のおじいちゃんを見ていた。農作業用のキャップをかぶり少し曲がった背中に手を合わせて置いてずっとリレーを見ているおじいちゃん。
「おしかったなあ」と良が言った。優は良を見た。良は笑っている。リレーの選手達が駆け足で退場している。グラウンドには白線が消えて誰もいない。
「優しさが出ちゃったな」と良が言った。優は誰もいないグランドを見ながら、バカねえ! と心の中で言った。
さつきが眼を覚ましたので純は音楽を掛けた。
「晩御飯何がいい? 」と純。
「純の好きな物でいいよ」とさつきが言ったので純はヤキニク屋に行こうと思った。
全校児童が入場門に集まっている。成績がもう出ていて、一位は黄色、二位は青、三位が赤、四位が緑だった。洋介はぼうとその成績を見ていて先生に注意された。全校児童が再びグラウンドに集まった。
部屋のベッドで眠って起きた。ポテトチップスを食べてお腹は少し油で持たれているけれど空腹だった。部屋を出ると姉の部屋を覗いた。ダンナと住むマンションに荷物を持って行っていて持って行った場所に空間が出来ているけれどあまり変わっていない。下に降りるとキッチンでは両親がお茶漬けを食べていた。速人はコーヒー牛乳を冷蔵庫から出してリビングに行きながら飲んだ。携帯が鳴ったので出た。悟からだった。
「どうだった? 」
「別に、普通だよ」
「そうか、なあ、晩御飯は? 」
「おお、まだだ、ヤキニク行こうぜ」
「いいけど、俺、ちょっと酔ってるから運転頼むよ」
「ああ、じゃあ、迎えに行ってやるよ」
「悪いな、じゃあ、俺がおごるから」
「結構喰うぜ。俺は飲まないから」
「ああ、いいさ、これからも頼むぜ」
「何が? 」
「いいんだよ、じゃあ、迎えに来てくれよ」
「もう行くか」
「まだいい、もうちょっと」
「そうだろ」
「うん。まだだ」
「じゃあ、一時間後に行くから」速人は携帯を切ってリビングに座った。
優は良と帰った。川の橋の上に来た。
「じゃあ、ここで」と良が言った。
「うん。さようなら」と優が言うと良は手を振って自転車で帰って行った。優は一人残り橋の上から川を見た。足音が聞こえて見ると橋本のおじいちゃんだった。
「洋介君、速かったなあ」とおじいちゃんが笑顔で言った。優は笑った。おじいちゃんと帰って別れた。家にはまだ誰も帰っていない。リビングのソファに座りリモコンでテレビをつけた。
夕暮れは短くすぐに夜になった。家々の台所には電気がついている。いったいどんなご馳走を食べているのだろう?
純とさつきは少し早めの夕食を大きなヤキニク屋ですませると大きな駐車場に置いている車に乗り込んだ。駐車場にはこれから夕食をここで食べようと家族連れやカップルの車があり、また新たに入ろうとしている。ライトをつけた純の運転する車がその車と入れ替わるように出て行った。
悟は車で速人を迎えに行った。両親は外出していて良もいたので一緒に行く事にした。大きなヤキニク屋に行こうと悟は行ったけれど速人は小さくて美味しいヤキニク屋があるのでそこに行こうと大通りにある大きなヤキニク屋の前を通りすぎて小さいヤキニク屋に行った。
リビングには洋介、ママ、パパ、優、ロボットが集まっている。
「洋介君、あそこで止まらなければよかったのに! 」とロボットが笑顔で言った。
「バカ! 」と優がロボットに言った。ロボットは自分の言葉が洋介を傷付けたと分ってすぐに両手で自分の口をふさいだ。洋介は落ち込んでソファに座っている。
「じゃあ、洋介の大好きなヤキニク屋にでも行こう」とパパが言い立ち上がった。
「私は残ってますから」とロボットが言った。家族は立ち上がり玄関へ行く。優がロボットを睨みながら玄関へ行った。ロボットは優の厳しい眼を避けながらも気にしている。優は靴を履くとさっとリビングの方を見るとロボットはさっと隠れた。みんな出て玄関のドアが閉まった。リビングからはテレビの音が聞こえている。
速人と良は肉をたくさん食べている。悟は畳の席で壁にもたれてビールを飲み、酔っぱらっている。
大きなヤキニク屋は混んでいた。店員に案内されて席についた。藤本が家族で来ていた。両親と祖父母と妹だ。
「藤本君じゃない」とママが洋介に言った。
「うん」と洋介は恥ずかしそうに藤本の家族の方を見ないように反対の席に座った。優はパパに言って好きな肉を注文した。
ロボットは橋本のおじいちゃんの家にいた。おじいちゃんはママからもらった残りのおかずと魚を焼いて食べている。ロボットはそばに座りテレビを一緒に観ている。
藤本の家族が乗った車が駐車場から出て行った。優は肉をバンバン食べている。洋介も藤本の家族が行ったとママから聞いてからいつものように大好きな肉をたくさん食べ始めた。
さつきを家まで送った。さつきは車から出てドアをバタンと閉めて純に手を振った。純がクラクションを鳴らして帰って行った。さつきはドアを開けて家に入った。
速人は悟と良を家まで送った。悟は赤い顔をして眠っていて良に起こされ担がれて車を出た。良はお礼を言い中に入った。速人は手をにやりと笑って車を動かした。暗い車内で一人タバコを吸いながら音楽を聴いた。大きなあくびが出た。
鉄板の上にはまだ肉が数枚焼かれている。それを食べるのは洋介だ。優達はお腹いっぱい食べて休んでいる。優は窓の外を見ている。大通りをこれからまだ出掛けるのかそれとももう家に帰るのかたくさんの車が通っている。優は片肘ついて顎を乗せている。ガラス窓には自分の姿も見えているけれど見ているのはライトをつけた車の流れである。店の外には大きな看板があり店はライトアップされている。駐車場にはもうほとんど出来上がった七並べみたいに車が並んでいる。そこにはまた車が入って来た。
よく熟された柿が木に残っている。渋柿も熟されると甘くて美味しい。渋柿のほとんどは皮をむいて干されて干し柿になる。ススキを揺らす微風でさえ肌に触れると冷たく感じるようになった。女の子達はスカートに生足なのにマフラーを巻いている。もうそんな季節だ。土曜日の午後家の前にタクシーが停まって白髪でスエードのジャケットを着た男性が降りて来た。タクシーは行った。表札を確認するとインターホンを押した。
「どうも東です」
「ああ、先生お久ぶりです、さ、どうぞ」とママが言うとすぐに玄関のドアが開いてママが顔をのぞかせた。
優の部屋では優が椅子に座りそばのベッドには美沙が寝転がって雑誌を読んでいる。ドアをノックする音が聞こえる。トントン。
「はい? 」と優が答えるとドアが開いた。
「優、ちょっと愛ちゃん呼んで来てよ」
「何で? 」と優は嫌な顔をする。
「東先生がいらっしゃったの、速く」洋介は野球の練習でパパはゴルフだ。
「どこにいるのよ」と優は不服そうに回転しながら立ち上がり半回転したその椅子を美沙が見ていた。
「島本さんの畑の手伝いをやっているわ」
「もう」と優はぷりぷりしながらドアまで行く。
「これで饅頭でも買って来てよ」
「余ったお金で私達のお菓子も買うからね」
「うん、いいから早く、それと愛ちゃんは先に帰らせてね」
ドアが閉まり優とママが階段を降りて行った。美沙はベッドから起きて音楽を聴き始める。窓のそばに行って下を見ると優が自転車に乗って出掛けている姿が見えた。机の引出を開けるとミニアルバムがある。それを開けると自分や恵、華と撮った写真や、空手の胴着を来た優の写真があり、後半はほとんど良の写真ばかりで美沙はふと笑った。
周りの田んぼはもう新米が刈り入れされている。住宅が並んでいる所に島本さんの畑があり、サツマイモの葉が並んでいる。それを島本の両親と祖母、それに島本と妹が収穫していてロボットも手伝っている。自転車が停まる音に気付いたのは島本だけれど気づいてすぐに顔を下げた。島本と優は同じ小学校、中学校の同級生で高校は違う。
「あら、優ちゃんこんにちは」と母親が言った。
「こんにちは」
「愛ちゃんに手伝ってもらってるのよ」
「ええ、ちょっとそのロボットに用が出来まして」
「あら、そう、ちょっとミキちゃん愛ちゃん呼んで来て」と言うとロボットと母親の中間にいた小学四年生のミキは走ってロボットの所に行った。島本はずっと下を向いてさつまいもをいじっている。ロボットとミキが走ってやって来た。
「あら、優さん何か? 」
「いいから、速く家に帰ってママが呼んでるから」
「え、ママが何かしら、分りました、すいませんけど、みなさん帰ります」
「ありがとう、助かったわ。お礼は後で届けるから」
「いいです。いいです」とロボット。
「ええ、いいです」と優。
「お姉ちゃん」とミキは人懐っこく言った。島本は背中を優の方に向けている。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんだよ」とミキが言った。妹に言われ島本は振る向かざる得なかった。
「島本君元気? 」
「ああ」と島本は顔を赤らめて答えた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんの事好きなんだよ。机の引出に卒業式で撮ったお姉ちゃんの写真入れてんだよ」と妹が言ったので島本は顔を真っ赤にした。
「違うよ、みんなで写した写真だろ、バカ! 」
ロボットは道路に上がった。
「じゃあ、途中ですがすいません。帰ります」とロボットは言って走って帰った。
「じゃあ、すいません」と優は挨拶をしてロボットと反対の方向に行った。その後ろで島本の妹の大きな泣き声が聞こえた。
ロボットは玄関に革靴があるのを見てすぐに来客だと分った。リビングを覗くとママが東と話をしていた。
「やあ、久し振りだね」と東はにこやかに言った。東は祖父の教え子で国立大学のロボット工学の有名な教授であり、祖父がロボットを作っている時、何回が来ていてロボットとは顔見知りで、祖父からロボットのメンテナンスを任されてもいる。優しい人であるがロボットは嫌な気がした。
夕飯はゴルフから帰って来たパパがママとコロッケを作った。東はロボットを少し診察しただけで帰って行った。パパはコロッケが得意でひき肉と玉ねぎをたっぷり入れて、小さい俵型にして何十個も揚げる。優も洋介もそのコロッケが大好きで翌日の朝もたくさん食べる。洋介は翌日の朝はそれをトーストに挟んで食べようと夜食べながら考えた。優は夕飯のコロッケをお腹いっぱい食べてお風呂に入った。東のために買って来たシュークリームの他にチーズケーキも買って美沙と食べた。それでもまだチーズケーキとシュークリームは残っているからシュークリームを食べようと思うのだ。お風呂から上がって牛乳パックとシュークリームを持って二階の自分の部屋に行った。椅子に座り美沙が置いて行ったファッション雑誌を置いて音楽を掛けてシュークリームを食べ牛乳を飲みながらページをめくる。牛乳が冷たかった。引出の中を開けてアルバムを出した。そこから良の写真を一枚取り出してジーと見てからチュッとキスした。それをティシュで拭いてしまうとアルバムをめくった。中学の卒業写真だ。自分と華と太って人気のあった男子の森野と島本と四人で写した写真があった。島本はフツーの生徒だった。容姿も成績も運動もフツーである。文化祭の実行委員に選ばれみんなが勝手にお喋りしてまとまらない時、赤い顔して大声を出していたのを想い出した。昼間畑でずっと丸い背中をこっちに向けていた。写真をしまうとシュークリームを全部食べて牛乳を一気に飲み干した。口の中が牛乳臭かった。
ロボットは一人ずっと湯船につかっていた。いつもより長かった。
秋祭りになった。神社の境内には出店が並んでいる。お小遣いをもらった洋介はロボットと神社に行ってタコ焼きを買ったりアメリカンドッグを買って食べた。ロボットはスパーボール救いに夢中になった。ママはスーパーでサバ寿司をたくさん買って来て、茶碗蒸しやお吸い物など他のおかずは自分で作る。パパは町内会で集まり昼間からお酒を飲むのだ。優の部屋には恵、美沙、華が集まってテレビゲームをやっている。ロボットにりんごあめを買ってもらいそれをなめながら洋介はロボットと帰った。優の友達が来ているのが分ったのでそのままバスケットボールを持って公園に行った。橋本のおじいちゃんの家の前を通ると車がやって来て庭に入った。車かの後ろの席から若い女性が二人降りて一人は赤ちゃんを抱いていた。さらに運転席から初老の男性と助手席から初老の女性が降りて来た。
「あら、洋介君よ。岡部さんとこのあなた達会うの久し振りじゃない? 」と初老の女性が言った。
「ほんとだ、随分と大きくなったのねえ」と赤ちゃんを抱いた女性がいた。洋介はリンゴ飴を持っている自分が恥ずかしくなった。
「今、何年生? 」ともう一人の若い女性が聞いた。
「五年生」
「五年生か前会った時、まだ三歳ぐらいじゃかったかしら、美人のお姉さんは元気? 」
「はい」と洋介は美人の姉と言われて確かにそうだけれど弟ながら中身はひどいと思っているので戸惑った。洋介は初老の女性はたまに夫婦でやって来るおじいちゃんの娘で二人の若い女性はその娘で確かに小さい頃遊んでもらった事を覚えている。女性が抱いているのはその子供でおじいちゃんのひ孫になるのだろう、と分った。あの二人とは優と庭でバトミントンをやり手作りのドーナツを食べさせてもらったのを覚えている。女性二人はまだ大学生と高校生ぐらいでその時はよくやって来ていたけれど最近はまったく来てなくて会っていなかった。
「そばにいる方は? 」と赤ちゃんを抱いている女性が母親に聞いた。
「お寿司屋の源さんよ」
「ああ、あそこのお寿司美味しいのよね、おじいちゃんに食べに連れてってもらったわ」
「どうも」と二人の女性はロボットにあいさつをして玄関に行った。洋介は歩きながら赤い飴を歯でかじった。甘くて口のまわりに飴がつきねちょねちょして気色悪かった。やっとリンゴを食べるとすっぱかった。
家に帰ると美沙、恵、華が優と先に昼食を食べていた。恵は洋介がかわいいから、からかった。
洋介は橋本のおじいちゃんの家に来客があった事を告げた。
「ああ、美代さんの娘の真由ちゃんと桜ちゃんよ。真由ちゃんが結婚したって言ってたからその赤ちゃんじゃない」とママが言った。洋介はタコ焼き、アメリカンドッグさらにリンゴ飴まで食べているのでお腹が充分であまり食べれなかった。
「そんなに食べたの? 」とママが驚いた。
「やっぱまだ子供だねえ」と恵が笑った。
「子供、子供」と優は冷たく言いサバ寿司を箸でつまんでいるのを見て、さっき赤ちゃんを抱いた女性が美人のお姉さんと優の事を褒めた事を想い出して嫌な気分になった。
夕飯はカレーだ。サバ寿司がまだ残っていて洋介はそれも食べた。パパはまだ木原さんの家で飲んでいて、電話があった。酔いつぶれているから迎えに来て欲しいそうだ。優がロボットを連れて迎えに行った。木原さんは橋本のおじいちゃんの家の隣である。橋本のおじいちゃんの家の前を通ると庭にたまに来る夫婦の車があり、いつもは暗い家に電気がついている。玄関の引き戸が開きそこから赤ちゃんを抱いた女性ともう一人の若い女性が出て来て、さらに夫婦とおじいちゃんも出て来た。赤ちゃんを抱いていない女性が車のドアを開けて赤ちゃんを抱いた女性が先に後ろの席に乗り込んだ。
「じゃあね、おじいちゃん」と赤ちゃんを抱いていない女性がおじいちゃんに言って車に乗り込むと車は動き出した。おじいちゃんは曲がった腰に両手を重ねておいて車を眼で追っている。ライトのまぶしい光が優のそばを通った。おじいちゃんはその場から動かずにいる。優とロボットはおじいちゃんを気にしながら隣の家に行った。
「もう、パパ酒臭い」と優。パパはロボットにおんぶされている。さっきまで多くついていたおじいちゃんの家の電気はいつもみたいにおじいちゃんがテレビを観て生活している居間だけになっていた。
街の商店街にもクリスマスの雰囲気が漂い始めている。パン屋やケーキ屋、靴屋、洋服屋などの各店の窓にはサンタクロースの絵やクリスマスのデコレーションがなされ音楽も聞こえる。歩いている人、自転車に乗っている人の多くがマフラー、手袋、ニット帽をかぶっている。ロボットは夏でも冬でも関係ないけれどファッションにはうるさい性質なので七色のボーダーのマフラーを巻き、ニット帽をかぶっている。洋介のクリスマスプレゼントは何にしようか? と考えながら本屋に寄った。まだ五時を過ぎたばかりなのにあたりは暗い。図書館では相変わらず本をほぼ毎日五冊借りているけれど、雑誌は本屋やコンビニで立ち読みしたり買う事もある。買った雑誌はママや優が読み、さらに美沙達にあげたりしている。人気女性雑誌の最新号が出た。
特集! セックスよりもキスの時代! ロボットは驚愕した。特集インタビュー人気俳優浜田誠也また一つキスが増えた。人気女優、有本理沙ファーストキスの想い出。キス! キス! キス! ロボットはドキドキした。自分はロボットである。キスはまだやった事がない。セックスも! ただ自分はロボットであるからセックスは出来ない。やれたとしてもペッティングまでだ。ペッティングは身体を触り続ける事、相手は終わりがあるけれどこちらには終わりがない。もしどスケベな女性とそういう関係になったら、自分は心は女性であるから男性に抱かれたい、けれどそれは無理だろう。だから女性とやったらなんか自分がバター犬になったみたいで精神的にとてもまいるのではないかと恐れるのだ。だから、キスはいいと考えていた。だから、サイコーのキスをしたいと憧れていたからセックスよりもキスの時代と書かれたこの雑誌はぜったいに買うと決めた。その手を伸ばした瞬間だった。
「愛ちゃん! 」ロボットは手を素早く引っ込めた。振り向くとマフラーと手袋をした学校帰りの華だった。
「そんなに驚かなくても! 」と華は困惑した。
「学校の帰り? 」
「そうよ、クラブのね」華はワープロ部にいる。当然、ブラインドタッチが出来よそ見しながら異常な速さで打つ事が出来るけれど、癖でそこにパソコンがなくてキーボードを打つマネをすることがあり、自分が頭の中で思いついた言葉さえも指を動かしている事がある。
「何読もうとしてたの? 」
「ABAB」とロボットは恥ずかしかったけれど華には正直に言った。華はABABを見た。
「やだ、キス大特集だって」ロボットは恥らった。でも、華のそういった話は今まで聞いた事がないから恐らく経験はない筈、それに優とは違ってとても心優しい女性なので、一番、性の悩みとかを相談する事が出来る相手なのだ。
「そっかあ、愛ちゃんもキスした事ないんだもんね」
ロボットは廻りに誰かいて聞かれていないかキョロキョロする。
「やだ、華ちゃんだってそういう経験まだでしょ」とロボットは華に顔を近づけて言った。
「ううん」と華は首を横に振った。
「うそ! 処女じゃないの! 」とロボットは声を荒げた。分らないものだなあ、女性って、派手な女性が一途だったり、大人しい子が遊んでたり、とやはり見た眼とは違うのだ。華はロボットの頭をこつんと叩いた。
「声が大きいい! 」
「ごめん、だって」
「私処女だけどキスはあるのよ」とロボットに耳打ちして顔をはなして少し自慢するようにロボットを見た。
「え、誰と? 」
まさか、ロボットが聞き返してくるとは思っていないので華は動揺する。というのは、ファーストキスの相手は角田孝太という同級生だけれどそれは実は小学一年生の時でお互いふざけていてぶつかり唇と唇が重なっただけで、性に目覚めてから意識的にやったキスではないのだ。フダンから美沙、恵、優の仲良しから自分だけはあまりそういった話には触れない。処女である美沙は逆に恵と優に突っ込まれ美沙自身もそれに反抗するように言い返したりしているけれど、自分に対しては触れちゃいけないみたいに気を使われているのが少し気にかかっていたからロボットに対しては見栄を張ろうと思ったのだ。
「倉田孝太」
「え? 」
「倉田元気」と華はとっさについたウソをさらに訂正した。倉田孝太はいない。倉田元気はいたけれど中学二年の時に転向して行った。でもやばいと思った。イケメンで女子から人気がありとても仲が良かったけれど実は恵の初めての彼であった。この事がロボットからばれて恵に伝わるとかなりやばい、それに美沙と優にもバカにされる。
「まあ、知らないけれど、同級生? で、いつ? 」
「それはあの中学二年生でもう彼は転校したの、ねえ、愛ちゃんことのとは絶対にみんなに言っちゃダメよ」と華はロボットのコートの腕の部分を引っ張って言った。
「え、どうして? みんな知ってるんでしょ」
「知らない。知らない。彼は実は恵と付き合っていた初恋の人だから、ばれると殺されちゃうの」と華は半眼になってロボットに言った。耳元から離れた華とロボットはそれこそ唇と唇が重なるぐらいの距離である。ロボットは驚いた。分らないもんだなあ~、キスももうやっていてしかもそれが恵の元彼だったとは見た眼とは違うのだと思う。
「お願いよ、絶対」と華はこんなうそをつくんじゃなかったと後悔しながらとてもきつい眼でロボットを威嚇するように見る。
「それは大丈夫よ、じゃあさ、これ買って来てよ」とロボットはABABをパッと取って華に渡した。
「え、私が? 」
「うん、もちろんお金は私が払うよ。だって、おっさんが恥ずかしいじゃない、なんだったら華ちゃん。他に買いたい本があれば買ってあげるから」ロボットと華はお互い細めで牽制しながら相手から離れた。華はABABをパッと持つと、さらに歩いてて漫画を持って来た。
「これいい? 」と華はロボットに見せた。ロボットは頷いた。財布からお金を出して華に渡した。華はペロンと舌を出してそのままレジに行った。袋を分けてもらいABABをロボットに渡した。ロボットはドキドキしてそれを重たく思った。外に出ると寒かった。前を華と同じ制服で同じようにマフラーをして手袋をした女子高生がライトをつけた自転車で通った。通りを挟んである弁当屋に仕事を終えた作業服を着た男性が軽自動車を前に停めてポケットに手を入れながら注文している。華は自転車に買ってもらった本を入れた。
「ねえ、やっぱりキスっていい? 」とロボットは聞いてみた。
「そりゃ、いいわよ」と華は絶対確実な想像で答えた。
ロボットは華と別れると猛スピードで走って帰る。その姿は人間みたく上半身を動かす訳ではなく下半身だけが異常に動き走っている表現の漫画みたく視えるから初めて見た人はびっくりするのだ。
優は学校から帰るといつものように少し昼寝をしてから空手に行く。玄関で靴を履いているとドアが開いた。ロボットだった。ロボットは、あ、と声に出した。
「何があ! よ」と優は少しあわてているロボットに突っ込みを入れた。
「いや、別に。空手ですか、行ってらっしゃい」とロボットは冷静に答えた。優はロボットが抱えている雑誌に気づいた。たまに買ってくるファッション雑誌だろう、あとで読もうと思いつつ出掛けた。
洋介は自分の部屋で宿題をやっている。ママは仕事から帰って来て夕食の準備中だ。ロボットは優の部屋で雑誌を読もうとしている。いつもなら宿題の邪魔にならないように雑誌はあとで読み、テレビをリビングで読むのだけれどもう我慢出来ないのだ。袋から雑誌を出した。キス! キス! キス! 大特集! ウイーン! とロボットの機械的な音が鳴った。ページを開いた。いきなり浜田誠也が上半身裸で金髪女性とキスをしている写真だった。ウイーン! ウイーン! マイフェイバレットキス! ロボットは記事を読んだ。
この男ほどキスに似合う男もいないのではないか! 十七歳のデビュー作でいきなり人気女優林泉と爽やかなキス! それからも人気女優達と爽やかなキスから濃厚なさまざまなキスをやって来た。とにかく観ている観客をキスだけで納得させ、うっとりさせる俳優もいないだろう。映画、さわやかフルーツジュースで魅せた長くて細いエロティックな指で女優滝沢久美の唇をなぞってからのキスは未だに忘れがたい。キスの名手と言ってもいいだろう。
誠也さんはデビュー作からずっとキスシーンがありますね。
「ハハハ、僕が頼んでキスシーンを撮ってもらってる訳じゃないですよ。恋愛物が多いんで自然にそうなっちゃうんです」
キスシーンはずばり好きですか?
「嫌いじゃないですよ。だってキレイな女優さんとキス出来る訳ですからね。でも歯を磨いたりガムを噛んだりと気はとても遣いますね」
今までいろんな女優さんとキスをやってますけれど一番良かった人、印象に残っているキスは誰ですか?
「そんな優劣なんてないけれど、やっぱりデビュー作の泉ちゃんとのキスは印象に残ってますよ、。僕も彼女も震えちゃって、テストから本番まで何回もやったなあ。撮影が終って試写会で会った時、隣に座っている彼女が僕にぼそっと告白したんだ。誠也君が本当に初めてのキスだからねって、あ、これ言っていいのかな」
へー、そうなんですか、それはすごいですね。
みなさんご存知の通り、ずっと純情なイメージで人気女優になったけれど、その後、俳優の空田カツオとの不倫で清純なイメージが崩れ、医者と結婚して引退したけれど離婚して復帰するも人気が戻らず、いろんな俳優や男性とのうわさが絶えず、ボロボロであったけれど、それが逆に自由な生き方として同年代の女性から支持を受けて人気を取り戻しつつある。その彼女もインタビューで想い出の映画としてさわやかフルーツジュースを上げており、プライベートも含めてのファーストキスだと彼女は言っていないけれど、浜田誠也とのキスシーンが一番印象にあると語っている。
やはりプライベートと映画やドラマのキスとは違いますか?
「そりゃ、違いますよ」
具体的には?
「ま、スタッフの前で自分の意思とは関係なくやりますから、プライベートだといろんなバリエーションがあるでしょ、チュッとしたり、チュ、チュ、チュと何度も小刻みにしたりそれこそ激しいのだったり」
キスの延長線上にセックスがあると思いますか?
「イヤ、僕はやっぱりキスはキスだと思うね。キスだけで相手を満足させる事もある訳だから」
やはりプレイボーイは違う。
ロボットは何度も興奮してそのあとうっとりとした。左眼が勝手に重くなり閉じたり開いたりする。そして何度も浜田誠也とキスをしている妄想をした。それが良に変わって行く。
「洋介ご飯よ」とママの声。洋介がドアを開けて階段を降りている音が聞こえた。
次のマイファーストキス! と言う読者の投稿欄を読む。
彼と初デート! 中二の夏、二人で映画に行って周りが席を立って帰っている時二人だけ残ってキスしちゃった。掃除の人が入って来てドキドキ! 二十四歳、OL。中三の冬休み、友達の家でみんな集まって勉強してて好きでも嫌いでもないちょっと不良の男の子に二人切に偶然なった時に奪われました。気持良かったけれど、未だに腹が立って許せない。私のファーストキスを返せ! 三十歳、主婦。高一の時、金持のおじさんと知り合って食事奢ってもらって料理の個室でその時食べた豚肉のにんにく味がして臭くって最悪! でもご飯が美味しくて良かった。三十八歳、フリーター。
まだキス! 未経験のあなたへ極上のキスを経験していないあなたへ! キス大研究! と特集ページをロボットはめくる。これよ、これ、これ! とロボットは興奮する。
具体的にはみかんがいいでしょう。この場合、白い繊維はキレイに取るとより本物の唇に近づきます。柔らかくてフレーバーもいいです。夏ミカンやはっさくでもかまいませんが、房が大きすぎて唇とあまり感じが出ないのでやはりみかんがお勧め、その房を二つ重ねて取り薄皮と薄皮の間にベロを忍びこませる。この時、房が離れてしまわないように優しくするのがポイントです。文字通りたらこ唇が好きな人はたらこがお勧めです。あまり大きいのはいびつですから形の良い小さい物を選びましょう。辛子明太子は辛いのでお勧め出来ません。やはりたらこがいいです。みかんと違ってしょっぱいですがみかんよりもやわらかく形状が変化しやすいので便利です。もちろん、たらこもみかんも使用した後は食べる事が出来るので家族に怪しまれる事はありません。ただ、もちろん、自分で全部食べましょう。さんざん使って冷蔵庫に戻すのはいくら家族でもルール違反です。
ロボットはきれいなモデルの女性がみかんやたらこを唇にあてている写真を見る。みかんとたらこか! たらこは誰も家で食べているのは見た事がないぞ、みかんはこの間みんな食べてたな、とロボットは思い出す。
続けて、有本理沙のファーストキス! という記事をロボットは続けて読んだ。
若い男女に圧倒的な支持を受け今もっとも輝いている女優の一人有本理沙さん。彼女にキスの想い出を聞いてみる事にする。
ファーストキスはいつですか?
「高二の時ですね。うふ、同級生で一年生の時に同じクラスだった男子です」
どうして笑われたんですか? 想い出して?
「いえ、男子って言っちゃたから当然男子ですよね」
なるほど。じゃ、その男子はボーイフレンドだったんですか?
「それが違うんです。私は好意を彼に対して持っていた事は持っていたけれど他に好きな人はいました。A君は普通の生徒でしたから」
では、どういう状況でする事に?
「私、バスケットボール部の選手で新人で期待されてたんですけれど大事な新人戦の前に足をひねって試合に出れなくて松葉杖をついていたんです。とても悔しくて寂しくて中学の頃からずっと続けて来ましたから。それで少し離れた校舎があるんですがその校舎の階段の踊り場に一人で行って佇んでいたんです。悲しくて悲しくて涙さえ出ました。それで帰ろうと松葉杖をついて階段を降りていると電気がついてないもんですからとても暗くてあと少しってところで人が横から入って来たのに驚いて足を踏み外したらその人が受け止めてその時唇と唇が重なっちゃったんです。すぐはなれればいいんだけれどなんだか二人ともそのままで唇と唇を重ね合わせてたんです。私の沈んでいた心も温かく心地良くなって唇もプルプルしてとても心地良かったから」
その時、相手はA君だと分ったんですか?
「後で分りました。離れているけれど周りの声や車の音が聞こえていて、随分と長い間唇を重ねていましたよ」
で、どうなったんですか?
「誰かがこっちに近づいてくる足音が聞こえて離れました。その時、A君だったんだと思いました。A君には次の日私初めてりょ、と方言で言うと僕も初めてりょ、と言いました。私は誰にも言ってないりょわ、と方言で言いました。僕もた、とA君は方言で言いました」
それから二人は付き合ったんですか?
「いいえ、それきりです。卒業式の日、廊下ですれ違った時にお互い笑いましたけれど」
いい想い出ですね。キスだけの関係って。
「そうでしょう。あの時のA君の学生服のざらっとした感じ、胸の厚み、何より柔らかかった唇の感触とかすべて忘れられないです」
今まで印象に残っているキスってありますか?
「彼が生チョコを食べている時にしたキスかな、彼は甘い物が大好きで生チョコを一人で食べてたんです。私も食べたいって手を伸ばすと彼は食べ物に関しては意地汚い所があって、それに意地悪もあって私の手をパチンと叩いたんです。袋に一粒ずつ入っていてその袋ごと遠避けるんです。私も食べたくて意地になって私も食べたいの! って怒ると、いきなりキスされたんです。その時のココアパウダーの粉っぽい感じとチョコの甘さとビターな感じが舌をベロベロと絡ませていたからすごく感じて。さらに彼はチョコを一粒自分の舌に乗せて差し出してそれを渡しは唇で食べました。何粒もそうやって食べました」
ロボットは両眼の瞼が完全に異常になりずっと半開きになっていた。雑誌を読み終わるとリビングに行ってみかんを一つ持ってまた二階の優の部屋に行った。それを丁寧に向きさらに白い繊維も取って何度も何度もキスをした。
空手から優が帰って来るとお風呂に入ってからご飯を一人で食べて二階に上がり洋介の部屋をノックした。洋介はベッドの上で寝転がって漫画を読んでいてベッドの隣にロボットは座ってラジオをイヤホンで聞いている。
「ねえ、さっき買って来た雑誌貸してよ。もう読んだんでしょ」
「え、そんなの、ないわよ」
「うそ、本屋の袋持ってたじゃない」
「それはその」とロボットは困ってベッドの下から雑誌を出した。
「何、これ、こないだ読んだやつでしょ」とロボットがワザとらしい事をするのでエロ本でも買ったのかしらと思う。優に問い詰められて仕方なくABABを出した。
「なんだABABじゃない」と優は受け取った。優は表紙を見てキス! キス! キス! 大特集となっているが表情を変えないで自分の部屋に行って読んだ。なるほど、ロボットめ、これでもじもじしていたんだ、と優は分った。
美沙に学校の帰りに会った。
「愛ちゃん、食事するようになったの? 」と美沙が聞いた。
「ううん、お菓子とか食べないの知っているでしょ」
「そう、じゃあ、買い物頼まれたのね。スーパーで買い物してたから」
「そうなんじゃない、家じゃないわよ。お年寄りとかに頼まれたのかも」
「そうね、みかんとかたらこをたくさん買ってたから」
優は眼が半眼になった。
つづく。
山に囲まれた自然豊かな土地に優は暮らしている。高校まで自転車で三十分掛る。家族はサラリーマンの父親の和男、役場に勤めている母親の早苗、小学五年生の弟の洋介の四人家族であったけれど、そこに今ではロボットが加わっている。優の祖父、それは父親の父親ではなく母親の父親である、和男は養子で母親の実家で暮らしていて、祖父はロボット工学の天才で地元の工業大学の名誉教授でもあった。別にマッドサイエンティストではなく普通の人で優と洋介を大変かわいがった。その祖父も優が中二の時に病気で亡くなった。病院に入院している時、二人の孫がお見舞いに来るととても喜んだ。
「優ちゃんと洋ちゃんにプレゼントがあるぞ、今ではないけれど」
「え、なになに? 」
「もうすぐだ、もうすぐ」と祖父は言っていたけれど、まったくプレゼントらしいものはそれからなかった。
高校二年になった春の土曜日のお昼すぎ、優は大好きな昼寝をしていると玄関のチャイムが鳴った。パパは洋介の野球の試合を観に行き、ママは婦人会の花見で家には優一人だった。寝起きで皮膚が乾燥して喉が渇いていた。時計を見るとまだ一時間しか眠っていない。いつも二時間は眠っているのにもう昼寝だから二度寝は出来ない。それが不服で時計を名残惜しそうに見ながらも玄関に行った。
「はい? 」と言った。
「どうも」
「何ですか? 」
「今日からやっかいになります」
「は? 」
優はまだ寝ぼけている頭で、寝ぼけている事を自覚しながらドアをそっと開けて見ると寿司屋の源さんだった。山に囲まれた街にある寿司屋の源さんは大きな街の有名な店の名人のもとで厳しい修行をした。その名人と言われた名人に源は俺を超すだろう、いや、もう越しているかも知れない、と周りにもらしたほどで、体裁がある周りの弟子達はそんな事はないです。確かにいい腕ですがまだまだですとあわてさせたぐらいの腕があり、実際はもうその名人を越していた。その事を源さん自身は十分自覚していたけれど、優しい性格だから、まだまだです、とうぬぼれる事はなかった。山の街、つまり地元に帰って店を開く事を名人は大変惜しんだけれど、源さんは帰って店を開いた。店は繁盛した。優の祖父も源さんの寿司が大好きで源さんをかわいがった。優も祖父に店に連れて行ってもらい大好きなかんぴょう巻きと太巻きを食べた。祖父が亡くなってからはあまり源さんの店には行かなくなったけれど優とは知り合いである。出前も源さんはやらず、お手伝いのおばさんが軽自動車でやっている。だからここに源さんがいる事を不思議に思う。何か用でもあるのだろうか? と源さんだからとドアを開けて気づいた。違う。源さんではない。源さんに似ているけれど、源さんよりも若く背が高い。優は寝ぼけていたけれどハッキリと眼覚めてドアを持ったまま足を引いていつでも相手の急所が蹴れる体制になった。
「誰ですか? あなた」と優は怒りを込めて言う。お客さんかも知れないから、まだ怒りの感情を出すべきではないけれど、自然と沸いた。
「名前はありません」完全に頭がおかしい! 大きな声も出さなければダメだ。
「何の用ですか?」冷静にならなければならないと思いながら聞いた。前の道路を自転車をこいでいる男の子が通った。知り合いではなかった。知り合いだったら声を掛けていたのに! いや、知り合いでなくても声を掛けるべきだった。
「今日からこの家にやっかいになります」
「何を言っているのですか!」そんな話は聞いていない。下宿なんてする場所でもない。家を間違っているのかしら? と少し冷静になった。
「間違ってるんじゃないですか! ここは岡村ですよ」
「そうです、岡村さんです。優さんでしょ」
優は歯を喰いしばった。少女と大人が混ざりスーと細長い美しいラインの顔と瞳と楯につりあがる眉で険しい顔になる。じっと見詰めているのは怒りの対象者である。時間を気にする。いったい何分経ったのだろう? 男も優も動かない。優は男が行動するのを待っている。いきなりさすがに相手の急所を狙う訳にはどうも行かないのだ。いや、そんな無駄な時間を過ごす訳には行かない。
「今、一人なんです。両親は留守ですから帰って下さい!」長いにらみあいが冷静にさせたつもりが逆だった。今、一人だと答えてしまった。男はふっと笑って優を見下したのだ。優は力強く拳を握った。
「大丈夫です、私があなたを守りますから」変態だ。ストーカーだ!
「帰って! 帰らないと大声出しますよ」
「それは困りますよ、だって大声出すと大騒ぎになるでしょう、それに帰るってどこへ?」
「どこへってあなたの家でしょ」
「私の家は今日からここなんです」
「やりますよ、女だからってなめてたら」男は黙って優を見ている。
「帰って、帰って、帰れ!」
「嫌です」
優はもう仕方ないと言う気持や状況よりも先に手が出た。正拳突きが見事に相手のみぞおちに決まった。その服やシャツを通しての感覚は今までは空手の胴着やシャツ、素肌に直接拳が触れて慣れて分っているけどその中の男の筋肉の固さに驚いた。こんなに固い腹筋は初めてである。優は手を放して男を見上げて確認する。男は平然としている。やばい! アスリートかも知れない。しかも相当な強者だろう。優は自分の正拳に自信があった。と言うのは、デブの大島さんという会社員の人と組手をやって分厚い脂肪に正拳を突いた時、デブで脂肪に守られているはずなのに、大島さんが顔をゆがめてお腹を押さえた程であった。優はそうだ、外に出ればいいんだ、と男と玄関の隙間からさっと外に出た。男は優を眼で追っていた。優は最悪中に入られてもいいけれど、この体制なら逃げる事も出来るし、身体の自由が効いて思い切り戦う事も出来ると考えた。優は男性に正拳を連打した。男性は平然としている。優はそれならばと引いて前蹴りをお腹に入れた。男性はまったく表情を変えない。おかしい! さすがに優はあせり、さらに引いて得意のジャンプで膝を顎に入れた。けれど男性は困った顔で立っている。優は急所を蹴り上げた。たまに練習で男の子の急所に蹴りが入ると男の子は悶絶する。ところが男性は平気だ。優は膝を狙い蹴った。でも平気だ。ダメだ。優はパニックになってせっかく外に出ていたのに警察を呼ぼうと中に入ってドアをしめようとした。すると男性が閉るドアに指を入れた。優の素早い行動でドアは閉まろうとして男性の指をその間に挟んだ。優はさすがにあっ! と思うが、男性は普通、痛がって指を抑えると思うのだけれど、男性はそこからドアを開けた。優は震えた。声も出ない。とにかく電話をしようと玄関をあがろうとしたら、後ろのシャツを持たれて引っ張られた。すごい力で優は退いた。きゃ! と悲鳴を上げた。これが男性の力なのか! 優はプロレスラーのどんぐりヤマダを見た事がある。どんぐりはバラエティー番組にも出る人気者でプロレスラーとしては背は大きくない方で太っている。よくアイドルの女の子にたたかれたりもしている。優は実際見た時、あれぐらいなら私だって勝てると密かに思ったけれど、やっぱりどんぐりヤマダもすごいんだとこの切羽詰まった状況で思い、さらに優しい男だけれど実際に女性と二人切りになったら豹変するだろうとどんぐりヤマダが豹変した顔を優しいどんぐりヤマダには悪いけれど勝手に想像した。男性は自分のジャケットの内ポケットから封筒を出した。優はこれで叩かれるとひやっとした。でも冷静に考えたら薄っぺらい封筒である。よく見ると、優へ! と書いてある。優は息を乱しながらその封筒を男を見ながら受け取る。男は優を見て頷いた。手紙が入っていた。なんと祖父からだった。それは祖父が優にプレゼントがあると言っていたプレゼントそのものであった。男はロボットであり、祖父が可愛がっていた源さんをモデルにしてあるとも書かれていた。ロボットは優と洋介の命令は何でも聞くと書いてあった。
「あんた、ロボットなの!」
「はい」とロボットはにっこりと笑った。
ママが帰って来て、ママに事情を説明した。優は納得がいかなかった。パパと洋介も帰って来て、リビングで家族会議が開かれた。
「あれがロボットなんて信じられる!」と優は怒った。
「しかし、お義父さんが手紙でそう書いているんだから、そうだろう、お義父さんはロボット工学の天才だったんだから、それに源さんにそっくりじゃないか」とパパはロボットを受け入れるような事を言う。そのロボットはリビングの外の廊下に突っ立っている。
「あんなの嫌よ、どうするの? 食事とか寝るとことか」と優は露骨に言った。ロボットにも優の言葉は聞こえていて、ロボットは瞼を一重にして聞いている。
「食事はロボットだからいらんだろ。それに寝るのもああやってずっと立ってられるんだからどこでもいいだろ」とパパ。
「三年経って今頃来られてもねえ、住民票とかどうするのよ」とママ。
「ロボットだからいいだろ、でも近所には説明しないとな」とパパ。
「嫌よ、倉庫にでも入れておいたら、ロボットなんだから」と優は激しく否定する。ロボットは廊下で聞いている。
「それは不気味よ」とママ。
「スイッチ切っておけばいいじゃん」と優。
「スイッチなんてあるの? ひょっとしてガソリンとかで動くの? 車二台あってガソリン代かかるじゃない」とママ。
「だから動かさなければいいのよ」と優。大人しくソファに座っていた洋介が立ち上がり廊下に出てロボットを見上げた。ロボットは洋介を上から見下した。
「洋ちゃんダメよ、こっち来なさい」とママに言われ洋介はリビングに戻った。
「とにかく私は嫌、あんな不気味なの、みんなに笑われるわ、私言ってくる」と優は立ち上がり廊下に出てロボットの前に立った。
「あんた、私の言う事何でも聞くんでしょ」
「そうですよ」とロボットは優を見下して答える。
「じゃあ、今すぐ元いたおじいちゃんの研究室に帰ってスイッチをオフにして寝てなさい、もう起きて来なくてもいいから」
「それは嫌です」
「何で! 」
「それは寂しい」
「あんたロボットでしょ、ロボットのくせに変な感情持たないでよ」
「いや、私は感情を持ったロボットなんです。博士がそのように作った。優さんや洋介君とともにいろんな体験をして成長するように作られたスーパーロボットなんです」
「いいわよ、成長なんかしなくってもロボットなんだから、さ、早く出て行って、命令よ」
ロボットはギクッとなる。今更研究室の暗い部屋の箱の中に戻って動かなくなるのは嫌だ。
「それはもう出来ないのです。一度スイッチがオンになるともう優さんと洋介さんを守るためにずっと近くにいるように出来ているのですから」
「じゃあ、あんたいつまでここにいるつもりなのよ」と優は驚いた。
「さあ、任務が終わるまででしょう」
「任務って何よ」
「優さんと洋介さんを守る事です」
「守る! 誰から守るのよ、私は悪の組織に狙われてでもいるの? 何で狙われてるのよ」
「さあ、そこまでは」
「いい加減な事言わないでよ」
リビングで優とロボットの様子をパパとママは聞いている。洋介はロボットを心配している。それにしてもこれほど歓迎されていないとはとロボットは弱った。優は長く興奮して鼻から荒い息を吐いた。力強くリビングに戻って勢いよくソファに座った。隣のパパが浮くぐらいだった。優はパパとママに何とか言ってよ、と文句を言うが、パパもママも困った。ロボットはその様子を見て、どうなるのだろう? と心配する。本当に素晴らしい最新型のロボットであるのにこんなにも興味を示さない事にロボットは驚いた。でも、一人興味を持っている洋介がこっちを見ているので、ロボットは愛想よく笑うと洋介も笑った。部屋の時計は九時をまわった。
「あのちょっといいですか」とロボットがリビングに入ろうとする。優はそれに気づいて入るな、と命令した。ロボットは足をリビングにつけるギリギリで浮かせて停まってその体制のまま立っている。
「あの私、食事も水も入りません。と言うのは太陽エネルギーで動いていますから、晴れた日に充電すれば大丈夫です。ま、と言っても、普通に外を歩いているだけで充電になるから心配ないです、それと力があります。タンスなんか余裕で運べますよ、それに疲れませんからね、とても便利だと思いますよ。どうぞ」
「何がどうぞよ」とロボットの言い分に優はイライラする。
「でも、いても、農家とかやってるならイロイロお手伝いやってもらって便利だろうけれど、これと言ってないから、優や洋介が学校に行ってる間どうするの? 家でゴロゴロしてちゃロボちゃんみたいなじゃない」とママ。
「ロボちゃんですか?」とロボットは考える。ロボちゃん? 何だろう? 多分、自分と同じロボットで多分それは漫画でアニメになり子供にすごい人気で映画化もされている人気者であろうと、まったくぴったりの正解をはじき出した。
「冗談じゃないわ、学校から帰ったらこんなのが私のそばにいつもいるの。きもいじゃない」と優。
家族会議は続いた。夕食は外食の予定だったけれど、ママと洋介がスーパーに行っておかずを買って来た。結局、結論は出ず、曖昧になり、なんとなくロボットはこの家に暮らす事になり、ロボットは迷惑を掛けないようひっそりと暮らしていた。優には徹底的に無視され傷付いた。けれども洋介は興味津々で遊んだ。ロボットと外で遊んでいると友達が誰? と聞いた。洋介は親戚と答えた。みんなとも仲良くなった。
「あの人なんて呼べばいいの」と洋介はママに聞いた。
「呼び名か、そうだなあ」と残業で夜遅く帰って来たパパが一人で食事をしながら考えた。空手の稽古から帰って来てお風呂に入り上がって牛乳を飲もうと冷蔵庫を開けている優がロボットの呼び名を話題にしている事に気づいて、いつの間にか家族の一員のようにこの家で暮らしているロボットに腹を立てていた。
「あんなのロボットでいいわよ」と優は言いグラスに牛乳を注いでリビングに行った。リビングではロボットはソファに座って社会勉強としてテレビを観ていた。優が来ると気を使って立ち上がってソファの後ろに立った。テレビはニュース番組をやっていたけれど優はすぐにドラマにチャンネルをリモコンでかえた。ロボットは初めて人を憎み殺してやりたいと思った。
最近、岡村さんの家に源さんよく行くのねえ! と寿司屋の客が源さん本人に言った。
「いや、行ってないよ。出前も俺は行かないから」
「あ、そう、人違いかな」とこんな会話がたまに寿司屋の客と源さんの間であった。
それでやはり、隣の立花のおばさんが庭で洋介と男性が遊んでいて、よく見ると源さんなので声を掛けた。
「こんにちは。珍しいわね。源さん」ロボットは動きを止めて立花のおばさんの顔をじーと見る。立花のおばさんもロボットを見る。おばさんはあ、似てるけれど違う! 源さんよりも若くて背が高いと気づいた。
「洋ちゃん、親戚の方?」
「ううん、違うよ、ロボットなんだ」
「ロボット?」
「うん、おじいちゃんが作った」
「ああ、あ、そう、そうなのすごいわね」
山に囲まれ田畑があり自然豊かな土地である。近くにはやがて大きい川になる小川も流れていて上流に行けばその幅は狭くなって行く。そのずっと先には鯉の養殖場があり近所の小さい子供達は鯉を見にやって来る。養殖業をやっている正野のおじさんは優しい人でやって来た子供達を優しく見守り気をつけて帰るようにとたまに声を掛ける。優が小さい頃は祖父母、両親によく連れて来てもらい、友達とも来たし、洋介を連れて来た事も何回もあり一人でも来た。たまに最近、一人で来る事もある。高校生で一人で来るのは優ぐらいである。鯉が泳いでいる水槽には黒い水に金色や赤やオレンジ、白などカラフルな鯉が泳いでいる。もう、夕暮れで山の近くに太陽が沈んでいる美しい時間である。夏ならばやっと暑さが引き秋冬春ならオレンジ色が暖かい心地にさせてくれる。優は一人歩いて家に帰った。庭ではまだロボットと洋介が遊んでいる。この自然豊かで時間のゆっくりと流れている土地には世界でも最も優れ時代を超越しているロボットは不釣り合いである。家に帰った時洋介とロボットはまだ庭で遊んでいた。その姿をリビングの窓から見ている。立花のおばさんはあの博士が作ったのだから理解出来た。それにしても人間そっくりなのには驚いた。それから噂は流れて近所から、地域にまでひろがった。有名な博士であったかたら素晴らしいロボットを作った事は不思議ではないけれど実際見に来た人は普通の人間じゃん! とさすがに驚いた。なんせ、まだテレビで観るロボットはこの間まで子供だましの犬みたいなぎくしゃくしたロボットでの二足歩行でもギクシャクしてこっちが気を使う程であり、顔なんかはいわゆるサンバイザーをおもいきりかぶったおばさんみたいにつるんとしている。一方ではあまり動きはないけれど、人間が喋った言葉にちゃんとアンサーを出すロボットは制服なんぞ来て顔も一瞬見たら人間そっくりと驚くぐらいのロボットもいて、それはたいがい女性でダッチワイフみたいな顔をしていてでもやはりよく見るとロボットなのであるが、源さんはまったくの人間であり、本物を見た人は映画や漫画で描かれたサイボーグ人間と変わらないと思うのである。
橋本のおじいちゃんは一人暮らしで農業をやっている。子供達は家を出て都会で暮らしていてたまに長女の夫婦が様子を見にやって来るぐらいだ。ある日、農作業を終えて家に帰ろうと軽トラックをバックさせていると謝って畑に後ろから落ちた。橋本のおじちゃんは動きが取れなかった。もう外はうす暗い。携帯も持っていない。周りは田んぼや畑だらけであまり車も人も通らないのである。そこへ中学生の智也が通った。中学校のサッカー部の帰りでさらに友達の家で遊んでいて遅くなってたのだ。自転車のライトが周りを灯していて、田んぼに車が落ちているのを見て驚いた。誰もいなくてトラックだけあるのかな、と見てみるとおじいちゃんがいるのでびっくりした。話掛けると元気だった。どうやら、ドアも引っ掛って開かないみたいだ。智也も携帯を持っていないので、すぐに人を呼んで来ますから、と言うと橋本のおじいちゃんは中から優しく頷いた。こりゃ、大変だと智也は急いだ。するとすぐに人が見えた。洋介とロボットだった。
「ああ、洋介!」
「智也君」智也と洋介は仲が良い。同じサッカークラブの先輩と後輩の間柄で智也は洋介をよくかわいがった。洋介はロボットと遊んでいて帰りが少し遅くなったのだ。
「大変だ。橋本のおじいちゃんが畑に車ごと落ちたんだ」
「え! おじいちゃんが」
「俺、人呼んで来るからお前ちょっとここにいて見ててくれよ」
「うん、分かった」と言い、智也はそのまま自転車をこいで行った。洋介とロボットは走った。洋介は畑に落ちているおじいちゃんの車を見つけ近づいて窓を見た。するとおじいちゃんは洋介に気づいて笑った。おじいちゃんは腰がまがりいつも畑で農作業をやっている。長い白いシャツと帽子をかぶっている。細い身体で顔にはしわが何本もある。田んぼも畑もやってない岡村家によく野菜を持って来てくれる。さつまいもも作っていていも堀を保育園でやらせてもらった事もある。青白くなった空には虫がとんでいる。
「ロボちゃんどうする?」と洋介はまだ声変わりしてない幼い声で言った。と言うのは洋介はおじいちゃんが心配でなんとかしたいと言う気持があるけれど、自分はまだ子供だし、ロボットは見かけが大人で大人一人の力ではなんともならないだろうと思うのだ。
「この車を上げればいいんでしょう」
「そうだけど、上がるの?」
「上がりまさあ」とロボットは優がいたら激しく冷たい眼で見られるような少しふざけたでも余裕綽々のセリフを言った。
「気をつけてよ、中におじいちゃんいるんだからね」と洋介は言った。ロボットはなんと、自分の身体を青色発光ダイオードみたくいや、まさにそれなんだけれど発光させると畑に飛び降りた。
「あ、ちょっと、待って」と洋介は青色に輝いたロボットに驚きつつ、やれるんじゃないか、と思う。
「おじいちゃん、今からこのロボットが車を持ち上げるから気をつけてね」と大きな声で洋介は言った。おじいちゃんは優しく頷いた。後ろには大きな里芋の葉が優しい風で揺れている。ロボットはトラックの後ろに回ると持ち上げた。そのまま、前に押し上げるのかと思っていたら、ロボットの身体からキュイーンとモーター音が聞こえた。大丈夫か! と洋介は心配したが、ロボットはそのまま軽々とトラックを道路に押し上げた。洋介はおじいちゃんを見た。おじいちゃんは笑った。トラックから降りて来て、洋介とロボットにお礼を言った。智也が車に乗って大人を連れて来たけけれどもうトラックは畑から出ている。周りにはおじいちゃんと洋介と青色発光ダイオードを発していて虫が身体じゅうにたかっているロボットしかいないので、驚いた。おじいちゃんは身体を少し打ったが平気だった。翌日の朝早くおじいちゃんはお礼に野菜をたくさん持って来た。その話はゆうべ洋介が自慢して話していたからママも聞いていた。ロボットにそんな能力があるとは知らなかったからパパもママもよく褒めた。優だけ冷ややかに無関心を装っていた。問題は加速する。その事が話題になり地元の新聞で取り上げられた。優の通っている学校で話題になり、優はロボットの存在を知らなかった連中、それは生徒だけではなくて先生にまで聞かれてうんざりした。さらに地元のテレビ局の取材、ネットから全国放送のテレビまで取り上げられた。
「まさか、これほど人間と変わらないロボットが開発されているなんて驚きです」と女性のリポーターが岡村家にやって来てロボットを紹介しながら言った。優はとても頭のいい犬を飼っている家族みたいに紹介されるのが嫌で一人だけ遠くにいた。洋介は仲良くロボットと取材を受けている。祖父の教え子であったロボット工学の第一人者の東教授も取材を受けた。テレビの影響はすごく、岡村家は観光地になったみたいに家にロボットに会いに来た。優は優で学校で大人気漫画のロボちゃんみたいに勉強手伝ってくれるの? みたいな下らない質問をされてうんざりした。家に帰るとロボットは見学に来た人との触れ合いが終ってリビングで胡坐をかいてテレビを観ていた。それを見て優は腹が立って腹が立って仕方なかった。けれど、まったくロボットが人間と変わらないので、会いに来た人も普通の人に会いに来ているのと同じ感覚になりそれがネットなどで伝わって一か月で人は来なくなった。
優はその間貯まったストレスはもっぱら空手道場での稽古で発散した。サンドバッグに突きや蹴りを激しく入れていると後ろから声が掛った。
「最近すごいな」と声を掛けたのは深沢良だった。一つ上で智也のいとこである。優は昔から良が好きであり王子そのものだった。その憧れの良にはかわいい美郷という恋人がいる。だから一方的な片想いであるが、その熱はまったく冷めない。子供の頃から知り合いで小さい頃はよく話をしたが好きと言う感情が起ってからは緊張してあまり喋れなくなっている。汗をたくさんかいている自分が汗臭くないか心配になった。良とはこちらからは何も喋れず愛想笑いだけだった。家に帰ると汗を早く流したくてお風呂に入ろうと思った。
「今、洋ちゃんとロボちゃんが入っているわよ」とママに言われ、汗が引いて冷たくなっていた身体がだんだん、怒りで中から熱くなって来るのを感じた。なんでロボットのくせにお風呂に入ってるのよ! と血流が熱くなり、血圧なんか気にする年齢ではないのにものすごく上っていた。鏡を見ると怒りの表情の自分が映っている。お風呂に入る事を指摘した事があった。
「ええ、大丈夫なんです。水陸両用なんです」と答えた。ママの所に行った。
「もう空手から帰ってすぐにお風呂に入りたいの分かってるでしょ」と優はママにあたる。
「そう言ってるけど洋介がロボちゃんと入りたがって、ロボちゃんも今お仕事しているから」
ロボットは何もしないでいるのも変だからと最近では近くの人手が足りない場所でお手伝いをしている。そこでは安い賃金だけれど給料ももらっている。
「なんでお風呂に入るのよ。汗かかないのに」
「私に怒っても」とママは困惑する。実際、ロボットは汗もかかず、疲れないので、手伝いに行くととても感謝されていろんなところから手伝いに来てくれと言われている。洋介とロボットがお風呂から出て来た。
「お帰りなさい」とロボット。優は何も言わず怒りの表情でロボットを見る。
「あんたさあ、私が空手で汗かいて帰って来てすぐにお風呂に入りたいの分かってるでしょ」
「すいません、残業して遅くなってしまったもんですから」
「知らないわよ。汗かかないんだからお風呂入っても意味ないんだからお風呂入らないでよ」
ロボットはこの数か月常に特に優に対しては笑顔であったけれどその笑顔もゆるみ真顔になっている。
「私も労働してまして汗はかかないけれど汚れますもんで」
「服だけ洗ってあとはさ、雑巾で拭くとか庭の水で洗えばいいじゃない」
「そんな犬っころじゃあるまいし、通った人が驚きますよ」
「驚かないわよ。有名ロボットなんだから」と優は嫌味。
「でもやっぱり湯船につかりたいんです」
「疲れないんでしょ」
「気分の問題です」
「気分!」優の身体に電気が走った。ロボットはそれに気づいて二重が一重になる。二人の空間に緊張が走る。洋介が牛乳をグラスに注いでいる。優はそれを奪ってロボットにぶっかけてやろうかと思った。廊下にある鳩時計が鳴った。
その日の優のたまにしか書かない日記には殺という文字が何度も書かれていた。
夏の始まり頃、期末テストが終わると高校はテスト休みに入る。去年友達はみんな旅行に出掛けていて遊べなかったのでいろいろと遊びたいと思う。そんな中幼馴染の美沙が海に行こうと誘って来た。行くのは美沙、恵、華の仲良し四人で遊ぶ時はいつもこの四人である。ママに言うと、変な男に軟派されて、ついて言っちゃダメよ、と注意されたけれど、許可が出た。美沙のママとママは幼馴染で仲が良い。ママは美沙の母親の所に電話した。
「そうねえ、高校生だからいいんじゃない、私達も行ったじゃない」
「そう、りっちゃんがクジラに噛まれて」
「クラゲよ」
「ああ、クラゲか、泣いちゃって、海の家の優しいお兄さんに手当してもらってその人に告白したら彼女がいてまた泣いて」
ママが電話しながらケラケラ笑っているのをロボットは一重で聞いている。
「でも、怖いのはみんなかわいい子ばかりでしょ、だから美沙なんか、軟派されるとほいほいついて行きそうで」
「優がいるから大丈夫よ。空手やってるから」
「そりゃ、咄嗟の護身術にはなるけれど、悪い男ってのは優しい顔して近づいて来るから、これで妊娠でもしたら家のおじいちゃんどうなるか、美沙の事がかわいくてかわいくてしようがないんだから」
「妊娠ねえ、谷口さんも海の妊娠で高校辞めたじゃない」
「そうよ、結局産んで男は働きながら育てるとかいいながら他に女作ってさ、養育費なんて入れてもらえず、街出たり戻って来て仕事して育てながら今でも苦労してるんだから」
ロボットは話が長いな、と思う。
「優なんかどこか浮かれるとふわふわふわふわする事があるから」
「優ちゃんって処女?」
ロボットは聴力機能を上げた。
「処女、処女、ボーイフレンドは中学生の時いたけれど手繋いだり、キスぐらいじゃない、だって良君の事が未だに好きなんだもの」
「ああ、空手やってるイケメンね」
「そう以外と純だから、で、美沙ちゃんは?」
「うちのも処女、興味はあるみたいだけど」
「でも、いいのよ、まだで、そんな若い頃からやりまくっても」
「だから、海に行くのが怖いのよ」
「そうか」
ロボットは腕を組んだ。
「じゃあさ、うちのロボちゃんを監視役としてつけるってのはどう?」
「ああ、あのロボットのロボちゃん、でも、嫌がるんじゃない、特に優ちゃんが」
「そうなの、一緒に行くと言うと怒るから、優達には内緒でつけさせるの」
「ばれないかしら?」
「大丈夫よ、動きは早いからそれにいろんな機能がついて消えたり出来るから」
無理無理忍者じゃないんだからとロボットは首を振る。
「ああ、でもそうしてもらえると安心だわ」
帰って来たパパと相談したママはロボットを呼んだ。
「分かりました、引き受けましょう、何か危険な事があれば守ればいいんですね」とロボットは先程の処女という言葉を言いそうになり、パパの眼を見て止めた。話は決まった。
優は美沙と恵と自転車で水着を買いに行った。華は海に行かない、と断っていて三人で行く事になっている。それぞれ流行りの水着をイロイロ迷って選んで決めて買った。
ロボットはテレビをよく観る。それと眠らないのでずっと洋介が眠っているベッドの隣で図書館で借りて来た本を読んでいる。いつも五冊借りていて夜中じゅう読んでいる。ロボットは洋介が眠ったから辞書で処女という言葉を調べた。パソコンでも調べた。よく手伝いに行っている工場の野辺というやつにも聞いた。
「処女? そりゃ、処女はいいよ、俺はやった事ないけれど、一っぺんでいいから経験してみたいな」どういう事だろう、経験とは? 自分が処女になるって事だろうか? そのへんを詳しく素直に聞いた。
「違う、違う、処女の女とエッチをやってみたいって事さ」
「その何か得があるの?」
「そりゃ、初めての男性になるから記憶に残るじゃん」
「記憶ねえ、じゃあ処女は男女にとっていいの?」
「いいさ、中には面倒だ、なんていかにもプレイボーイみたいな事言うやつがいるけれど、内心いいと思ってるんだぜ、けがれてないってのがいいじゃない」
ロボットは野辺が言った事を仕事の帰りに本屋によって見つけた小説家山川キブンのデビュー作を読みながら考えていた。
「つまらない、小説だ」と一度も処女らしき女性が出て来ず、あほらしい事しか書いてない小説だった。そりゃ、そうだ、単純に処女作と帯に書いてあり処女とはまったく関係がないのだから。
朝になり、ママが隣の優の部屋で何か言っているのが聞こえた。もうロボットは準備は出来ている。昨夜から優は熱があるみたいな事を言っていた。優はベッドから起き上がるが頬は赤くなっていた。その前日、優は空手の稽古から帰る時雨が降り濡れて帰っていた。昨日は少し鼻声でうがいをしていた。けれど、やはり風邪をひいたらしい。優は行くと言ったけれど、ママが叱った。ママが部屋から出て来た。ロボットはそこで会った。
「どうしたんです?」
「風邪、熱が三十八度もあるわ、赤い顔して、それでも行くって言うから冗談じゃないって」
「で、どうするんです?」
「優は仕事に行く前に病院に連れて行くから、それで美沙ちゃん達にはこれから電話して確認するから待ってね」とママが下に降りて行った。ロボットは閉まっている優の部屋のドアを見た。
ママが美沙の母親に連絡すると、いったん電話を切り、今度は美沙の母親からママの所に電話があった。来週にでも延ばす? とママが言ったけれど、美沙も恵も予定があるので、せっかくだから二人だけでも行くと言う。ママは了解した。もちろん、ロボットが分からないようについて行く事を美沙の母親には伝えた。
「ロボちゃん、二人だけで行くって言うから気づかれないように着いて行ってあげてよ、もしもの事があったら、お願いね」とママに言われ、ロボットは了解した。洋介が起きてラジオ体操に行った。ロボットはその部屋に行き、用意していたサングラスとキャップをかぶって部屋から出た。優の部屋を見た。ドアが閉まっていた。階段を降りるとパパが車で少し早いけれど送って行くと言う。ロボットは平気だったけれどせっかくなので、車に乗って行った。外はいい天気だ。
駅に着くと切符を買い、ホームに行った。ホームにはもうおしゃれをして水着が入ったバッグを持った美沙と恵が待っていた。早朝のホームにはクラブ活動で高校に行く生徒や仕事に行く人達がいた。二両の列車が来るとみんな乗り込んだ。もうロボットとは顔見知りの二人だけれどまったくロボットには気付いていない。ロボットは離れて斜めの席に座る。二人はドアの隣の二人掛けの横椅子の席に座った。ロボットは四人掛けの席に老婆と太った男性、それに中年の女性と座っている。列車はガタンゴトンとゆっくりと各駅に停まりながら進んでいる。青空で陽射しはきつく、畑に咲いている大きなひまわりを照らしている。
優はママの車に乗って病院に行き一人で降ろされた。手には保険証とお金がある。まだ診察の九時前であるがもうお年寄りや額に熱を冷ます冷却シートを張り母親に抱っこされた小さい女の子などがいた。優はのどがとても痛く、熱もあって、ぼうとしている。とてもじゃないけれど、海に行けないと病院の冷たいソファに座ってもたれながら思っていた。
ロボットは海を実際見るのは初めてだった。青い、それが少しだと思っていたらずっと先まで続いている風景を見て感動して美沙と恵をほっといて走って見に行った。よく晴れていて上も空も青く美しい。風が身体にあたる。なるほど、海岸には海の家が並んでいて水着を着た人達がたくさんいる。美沙と恵は笑顔で海の家に行き着替えて水着になった。ロボットは水着姿の二人を見て見失わないようにと思う。それ以外の事は何にも感じない。
優は喉を開けて医者に平べったい銀のヘラで舌を押されてウエッとなり瞳に涙があふれた。
「腫れてるわね」と女性の先生に言われた。薬をもらい、外に出た。暑く熱もあってだるい。つらかった。それでもスーパーまで歩いて行って、栄養ドリンクとポカリスエットとCCレモンを買い、スープと天ぷらとねぎと七味がついたうどんとさらにねぎとコロッケ、さらに天丼、バニラアイスを買ってバスに乗って帰った。家に着いてだるい身体にうどんを作る。キーンコーンカーンコーンと洋介が通っている小学校のチャイムが鳴った。高校はもうテスト休みだけれど小学校は夏休みではない。まだ十時過ぎである。うどんを鍋で温め、レンジで天丼を温める。リビングにお盆でそれらを持って行きテレビをみながら食べる。テレビでは海水浴場が映し出されて天気予報をやっている。
ロボットはジーンズの裾を上げて裸足になり海に足をつけた。なるほどこれが海か! ジーンズにTシャツ姿なのはロボットだけ周りはみんな水着である。ロボットは泳ぐつもりはないのでそのまま後ろに下がり遠くから美沙と恵を監視するつもりだ。おや、と思う。黄色い帽子をかぶり日に焼けた筋肉の肉体の男性をずっと見る。ライフガードの男性である。ロボットはその男性をずっと見ていた。
優はお腹いっぱいになり、薬を飲みさらに栄養ドリンクを飲むと歯を磨いてうがいを何度も繰り返した。自分の部屋に行くのは面倒なので、タオルケットを持って来てクーラーの効いたリビングのソファでテレビを観ながら横になった。眠くなり眼を閉じて眠った。
遠くには島が見える。小さい女の子が浪打際に立ち波が来ると奇声をあげて喜んでいる。美沙と恵は泳いだりして遊んでいる。持って来た大きなサングラスを掛けてシートを砂浜にしいてそこに寝転がった。ロボットは遠くから汗もかかず、二人を気にしながら周りも見ている。そばにはいい身体をした女性も男性も通るけれどロボットは男性を見ている。高性能の体内にあるメモリー装置を動かした。美沙と恵は海の家に戻りラーメンを食べた。さっきいけてない三人組の若い男性に軟派された事をおかしく話した。
優はソファで眠っている。優しいクーラーの風が吹いている。
二人が海に戻るとまた声を掛けられたがおじさんだったり、太った男性で聞くと大学の相撲部だった。ロボットは二人から離れて歩いた。ライフセーバー達はもちろん、彼女と来ているイケメンや家族で来ている男性でもかっこよくたくましい身体の男性を撮影していた。サングラスを掛けた男性二人が砂浜に寝転んで日焼けしている女性二人に声を掛けた。背が高く肉体もすらっとしている。女性二人が身体を起こして声を掛けられた事に喜んで二人して顔を合わせて笑った。男性二人がサングラスを取るとすごいブサイクで、女二人は余計に笑い、手を叩いて爆笑した。男性二人は顔を合わせて歩いて行った。ロボットもなんだ! ブサイクか! と通り過ぎた。カッコイイ、ライフセイバーを見つけて、ロボットはその男性を見ていた。美沙も恵も声を掛けられているけれど、大丈夫! 二人はしっかりしていて軟派される事を楽しんでいるだけだと思っていた。キャーと悲鳴が上がった。すると見ていたライフセーバーが走って沖合の方に行った。ロボットは望遠機能で悲鳴があった方を見た。すると頭が海に浮いている。ライフセーバーは浪打際を波しぶきを上げながら走り泳いで、浮いている頭の所へ行った。するとその頭を持ち上げると髪の毛だけだった。それはカツラでそばにはげたおっさんが来て謝りながらカツラを持ってあわててどこかへ行った。ライフセーバーは立ったまま苦笑いした。ロボットはなんだ! と思う。美沙と恵のところへ戻るといない。海で遊んでいるかな、と思って探したけれど、いない。あわてて海の家に行ったけれどいない。もう帰ったのか? と階段を上がるとなんと着替えて服を着た恵と美沙がイケメンの二人と歩いているのが遠くに見えて、ありゃ、と思っていると、二人はイケメンの車に乗って行った。やばいな、とロボットは走り出した。走ると言ってもロボットなのでめちゃくちゃ早い。ばあさんなんか早すぎてかまいたちが通ったと勘違いするほどだ。それでも走るのにはスピードの限界があるので、バイクに変化する。それは可能なのだけれど、服を脱がなければならない。ロボットは服を脱いでリュックに閉った。トランクス一枚になったけれど夏でしかも海の近くでよかった。海水浴客と周りは思ってくれるからだ。でも、歩道で急に男性がうつぶせになってそれからバイクのように走り出したのを見れば誰でも驚くであろうが幸い周りに人はいなかった。だけれど無人のバイクが走っているので運転している人は驚いて二度見する。信号でも律儀に停まっていてなんじゃろか、と車の中から家族で見たり、トラックの運転手は疲れているんだと自分を慰めた。バイクは車に追いついてでもばれないように距離を保って着いて行った。車は大きな屋敷に入った。門が自動で閉るほどだ。ロボットはバイクから人型にもどり木陰でリュックから服を取り出して来た。さらに本も取り出した。本屋で買った、本である。経験! と言うペーパーブックで、男の子に知って欲しい! 処女から大人へ、実例集、とサブタイトルみたいに入っている。中には写真もあって、若い女の子のヌードもある。それをもうロボットは何度も読んでいるけれど改めて確認する。
二十歳、学生、Aちゃんの場合。
「私が処女を失ったのは高二の夏でした。お決まりの海です。友達はほとんど彼がいて経験しちゃってる子が多いけれど私は自分で言うのもなんですが、友達の中で一番の美人ですが、なぜか彼が出来なくてそれどころか、告白もされた事がなかったんです。友達が言うには、美人過ぎて彼がいると思われたり、告白してもどうせ俺みたいなのと男性は思っているのよ、と言うのです。それに両親がとても厳しくパパが口うるさいので、私も奥手だったのです。それで海に行けば軟派されて、恋になるかもよ、と言われて海に親には内緒で行ったんです。私は本当はどっちでもいいや、と思っていたんです。ところが海に行くと次々に声を掛けられるんですが、それは私にではなくて友達ばかりです。私はいいや、と思っていると友達が軟派され一緒に遊ぶ事になりました。友達二人には彼がいるのにです。相手も三人で二人はイケメンで一人はかわいい顔をした太っちょの人でした。私は顔はかわいいけれど太っちょは嫌です。でも友達二人はイケメンと盛り上がり私は太っちょを相手にしなければなりません。それで太っちょが言うには自分は二人に無理やり連れて来られた。というのはずっと恋人がいなくて彼女を作る目的で海に来たのだけれど、やはり盛り上ってるのは二人で僕はどうも、と性格も情けない事を言うのです。それで話す話題もなく二人でシートの上で三角座りをして海を見ていました。でもなんとかしなければと気をつかい彼は趣味とか聞いて来ました。私の趣味はピアノです。彼はプロレスです。私はプロレスに興味なんかありません。でも、話相手になってやろうと聞きました。すると、いろんなプロレスの歴史から始まり、カリスマ、団体など、調子に乗って喋ります。団体同士の確執、同期で嫉妬、本当は実力ナンバーワンは誰々で、猛獣戦士の趣味は編み物なんだ、って知らないわ! と私はうざくなって嫌な顔をしました。彼はそれに気づき、自分を改めて大人しくなりました。私は彼を傷付けたかな、と思い、それでやりました。やると太っちょは調子に乗ってむしゃぶりついて来てさりに重いので、私は泣きそうになりました。それから何人もの男性とやりましたが、痩せている男性よりもでも今ではふとっている方が心地いいと思うようになり、今ではふとっちょが大好きです」
二十七歳、OL ピンクさんの場合。
「友達の誕生日パーティーに行った短大の頃です。バンドをやっている彼女の彼がメンバーを連れて来ていて、へヴィメタル系のビジュアル系でみんないろんな色に髪を染めてピアスもいろんな所に刺していて当時十九で処女だった私はまじめだったから嫌だな、と避けていました。背が高いのにロンゲをスプレーで逆立てている人なんか立つたびに天井に髪が当たっていました。流れている音楽はへヴィメタルばかりで頭が痛くて早く帰りたくなりました。ジャンケンで負けた人がビールやお菓子を買って来る事になり、私が負けてしまい、まあ気分転換になっていいや、と思って外に出ると友達の彼が出て来ました。彼は髪は黒のロンゲで色白だけど唇にピアスをしています。彼が言うには俺が欲しい物があるからそれに重いだろ、たくさん買うんだから、車で行こうと言うので、彼の車の助手席に乗りました。すると近くのコンビニがあるのに少し遠回りして、いきなり車を停めそこでいきなりキスされて、やられました。私はピアスの冷たい金属の感覚が皮膚に残っていました。私は泣きました。友達はその時は何も言いませんでしたけれど、ばれていました。私は彼とは一回きりで、ハッキリ言って嫌な想い出だけど、それからセックスがとても好きなのでそれは彼のおかげかな、と思っています、でも、やっぱり最初は優しく好きな人とやりたかったな」
十八歳、大学生、レモンティーちゃんの場合。
「私は十五歳の時です。受験で当時付き合っていた彼のT君と自然の流れです。それまではキスは何度もしたり、お互いの裸はよく見ていましたけれど、高校に合格するまでは止めとこうと決めていました。それでお互いが励みになっていました。けれど冬になり私の部屋で炬燵に入って勉強をしていると彼がずっとこっちを見ている視線に気づきました。あの時のT君の野獣のような眼付が忘れられません。どうしたの? と聞くと、もう我慢出来ないと言うのです、ダメよ、約束だよ、でもダメなんだ、じゃあ、キスでいいじゃん、とキスを何度もしたけれど、やっぱりおさまりきれなくて、私に見せるのです。私はそれでも約束だからと裸を見せると余計興奮して、だから手で、と彼を制止ましたが勢いは止まらず、結局やりました。すると何度も何度もやりました。温泉をほりあてたように出て来て、それからはほぼ毎日やりました。T君とは別れましたけれど、今でもたまに会ってやっています。あの頃を思い出すとふと笑ってしまいます。お互い初めてでうぶだったけれどよかったと思うのです」
美沙と恵は二階の部屋に入ると驚いた。いや、リビングではなくて部屋に入った時、いや、もっと言うならば車に乗った時から、お互いやばいのではないかな、と思っていた。美沙は初めてで、どう思っているのかな? 車中では音楽が流れ会話を楽しくやっていて、楽しんでいるから、雰囲気を壊すのは、どうかな、それを彼女は期待している部分もあって、と恵は美沙の心を探っていて、美沙は美沙でこの雰囲気を台無しにしたらどうしよう、恵に言うと、バカにされるのではと不安だった。それでも二人のイケメンは優しいのである。だから、もう流にまかせようと考えていた。ロボットはロボットで二人はどう思っているのか? と考えあぐんでいた。と言うのは、ママに見張り役で派遣されているのだけれど、お互い盛り上がっていて、それをぶち壊してまで止める勇気はない。それに単に部屋に案内されて楽しんでいるだけかも、それに彼女達の意見もある、それを望んでいるかも知れないのだ。ダメが本当はいいって事もある。人間は本当の事を言わない場合がある、のだ、と産みの親の博士が自分を作りながら聞かせてくれ、さらに本やドラマでも得ている知識だ。だから、ロボットは慎重に実例集などを思い出しながら考えていた。つまり、この場合彼がいる恵は別で処女である美沙は処女を失ってもいい、経験をしたいと考えていて、その親はダメ例え相手がイケメンで美沙が望む相手だとしても、とそこまで思っているだろうか? もし、その場合今から自分が突っ込んで台無しにされたら一生彼女に恨まれるだろう、それこそ優にも恨まれさらに優も美沙にロボットが余計な事してくれたと恨まれては大変なのであるから、本当に難しい所であるとロボットはイヤー装置の音量、それは人間の何倍も聞き取りたい音を聞く事が出来る装置のボリュームを大にして屋敷の外で壁にもたれて聞いていた。美沙達が開けたドアにはなんと男性が三人もいて座っていたのである。そう言えば車に乗り込んだ時、運転しない一人が外で携帯で電話していた映像が恵の頭に浮かんだ。三人の男達はビールを飲みながら、お、来たな、という感じで美沙と恵を見た。男達のそばには大きなベッドが二つ並んである。美沙と恵は背筋が凍りついた。
昼寝から眼が覚めると優はベッドに寝転がったまま唾を飲んだ。お、痛くないぞ、でも違和感があるような、ないような? ともう一度はっきりと確かめたくて飲んだ。やはり、まだ痛い。でも少しましになり、熱も下がった気がする。でも身体はだるい。カーテンが閉っているけれどその隙間を見るとよく晴れている。暑いだろう。こんな日は絶好の海水浴日和だろう。ゆっくりと起きて階段を重い足どりで降りて行き、トイレに行ってからキッチンで買って来たアイスを食べる。ファミリーサイズのバニラでスプーンを持ってポカリスエットとドーナツと医者でもらった薬を持ってリビングに行きテレビを観ながらドーナツを食べてから薬を飲んだ。錠剤と粉薬でまず錠剤を二種類飲んで、その後に粉薬を飲んだ。苦味が残りすぐにポカリスエットを飲んでからお楽しみのアイスを食べた。冷たくて甘くて喉の痛みを少し忘れる事が出来た。
三人の男性はみんなブサイクだった。まだ若いけれど美沙と恵を軟派して連れて来た男性よりも年齢は上だと分った。この三人のために連れて来られたのだな、と恵は理解した。美沙も恵も日焼けして肌が赤くなっている。それは優や華に自慢しようと思っていたけれどその痛みがこの状況にあってひりひりとする。三人のうち真ん中の男性は短髪でサングラスを掛け長袖の白いシャツをボタンを留めないで着ている、一人はロンゲでシルバーのアクセサリーを身につけピアスもしている、もう一人はデブだ。軟派したイケメンの一人が後ろから現れてビデオカメラを持っている。かわいい女の子だね、とロンゲが言った。真ん中のサングラスが笑った。俺はあの純粋そうな方がいい、とデブは美沙の事を言った。サングラスはフン! と笑った。美沙は怖くて恵すら見る事が出来ない。泣きたくなるけれど涙すら出ない。部屋は大きくアンティークな時計とか置物が置いてある。サングラスがビールをグラスに注いで飲み干した。セミの声が聞こえている。男はグラスを木のテーブルにコトリと乾いた音を立てて置いた。グラスには残った泡が上から下にゆっくりと流れている。
「お前達にしたら、今日は上出来だな、いつもブサイクとかイケイケの女ばかりだもんなあ」とサングラスが言うと、ケケケとロンゲが笑い。デブもニヤついた。
「そりゃ、ないっすよ」と美沙と恵のそばに立っている男の一人が笑いながら答えた。
「さ、始めるか」とサングラスは立ち上がりシャツ脱いでベッドに投げた。白いタンクトップでタトゥーが背中から腕に掛けて入っている。美沙のそばにいた若い男二人がカメラをそれぞれ美沙と恵に向けた。美沙は泣きそうな顔である。
「待って下さい。帰して下さい」と恵が答えた。
「何言ってんだ。俺達じゃ、不満かよ、でも、俺達が終ったらそこのイケメン達とやらせてやるから、やりたかったんだろ、そいつらと」とロンゲが言った。
「そんなつもりじゃないんです」と恵。
「じゃあ、どういうつもりで来たんだよ」
「その、バンドやってて自分達の映像があってアイス食べながら観ようよって言われたから来たんです」
「ふふ、まさか、それだけのつもりじゃないでしょ。そのあとどうなるか分ってるくせに。バンドなら二人ともやってるわよ、その映像もあるんじゃない、だから、あとで家の方に送ってもらってさ、二人でいくらでも観ればいいじゃない」
美沙は恵を見た。もう半泣きである。恵は深く眼をつぶった。その前ではサングラスの男が怖い顔をして黙って立って美沙と恵を見ている。ズボンの下の足は裸足で大きな足でその指は長く指の間が手の指みたいに離れている。
陽射しが屋敷の木々の木漏れ日からさして黒とそれ以外のコントラストを強くしている。通る車は影と陽射しを浴びている。リュックを背負った男の子二人は汗をかきながらそれでも元気よく走っている。壁にもたれているロボットに対して首をひねったけれどそのまま通り過ぎた。セミの声がうるさいくらいに暑さもそれを維持している。ロボットは腕組みをしてどこかをにらんでいる。
「すいません、お願いがあります、この子は勘弁してあげて下さい、私はどうなっても構いませんと恵は言った。美沙は驚いて恵を見て、首を振った。恵は美沙を見て頷いた。
「何言ってんだよ。てめえ、そんなの、彼女だって嫌だろ、その間見て待ってるのかよ」とビデオカメラで撮影しているイケメンの一人が言った。
「彼女はそのまだ経験がなくて、だから」
「ほう、そりゃ、ますますいいや、俺大好き」とデブが喜んだ。
「お願いします。警察に言いませんから」
「警察? そんなの当たり前だろ、てめえ、終わったあと、警察に言うつもりかよ、バカだなあ、そんな事したら、そこのカメラで写した映像全国にばらまいてやるからな」とロンゲは少し苛立って言った。デブは笑った。
「警察に言わなかったら、俺が観るだけだから、心配するなよ」とデブが笑って言った。美沙は後ろに後ずさった。恵は美沙の手首を握り逃げようとした。すると撮影していた一人がさっとドアの前に立ってそれを防いだ。
「何、逃げれるとでも思っているの? 」とロンゲが笑った。恵はそれでもドアノブに手を廻して行こうとした。それを撮影している一人が恵の腕をつかんだ。それを恵は振りほどこうと抵抗するがダメだった。
「もういい、やるぞ」とサングラスが近づいて来た。デブは後ろから迫ってくる。
「やめて下さい」と恵は大きな声で叫んだ。それで抵抗してドアから逃げようとする。美沙も逃げようとする。乾いた音がした。恵は持っていた水着が入ったバッグを落とした。サングラスの男が恵に近づいた時。ドアが開いた。勢いドアの前に立っていた男が倒れた。ドアが開いて立っていたのはキャップをかぶりサングラスを掛けたロボットだった。
「なんだ! てめえは」とロンゲの男が驚いて言った。ロボットは美沙と恵を見た。
「この子達の保護者だ」
優はテレビでリポーターがカフェで出している大きなサイズのかき氷を見ていた。イチゴ味に練乳がたっぷりかかっているのをリポーターの女性が美味しそうに食べている。優はソファに横になっている。ドアがガチャリと開いてランドセルを背負った洋介が汗をかいてリビングに入って来て、扇風機の前に立った。
「シャワー浴びたら」と優は洋介に言った。
「うん、でも、これから遊びに行くから」と洋介は言いリビングを出て階段を勢いよく上って部屋にゲームを取りに行って戻って来るとグラスにポカリスエットを注いで来て優のそばに立って飲んでいる。テーブルの置いている薬が入った袋を見た。岡部優様と書かれている。
「お姉ちゃん風邪?」
「そう」
「ふうん、だから、海行かなかったんだ」
洋介はポカリスエットを飲み干すとグラスをキッチンに持って行ってそのまま外に遊びに行った。優はガチャリと勢いよく閉ったドアの音を耳にしてソファの上でごろりと背もたれの方をエビのように丸くなったけれど、すぐにまた仰向けになり、テーブルの上にあるリモコンでクーラーのスイッチを切り、洋介がそのままにしている強風の扇風機を弱にして自分の方に向けた。
ロボットはやはり強かった。相手の攻撃をなんとも感じなかった。恵と美沙は誰だろう? と思っていたけれど、ロボットがどんなに殴られても平気な顔をして相手をやっつける姿を見てやっと優の所のロボットだと気づいて安心した。ロボットはデブを軽々と持ち上げて叩きつけた。
海からは遊びに来ていた若者達が帰っている。混雑していた海の家も人が少なくラーメンやかき氷を残りの客が食べている。海の近くの駅にはバッグを持った美沙と恵が立ちロボットがそばに立ってホームで列車を待っていた。列車では四人掛けのボックス席に美沙と恵が並んで座りロボットが窓際に座った。海が見えていて、美沙はうつむいているが恵は窓の外の海を見て、ロボットも見ていた。
優は起き上がるとまだそのままソファでクーラーを浴びながらテレビを観ている。すると洋介が帰って来て、冷凍庫を開けた。
「お姉ちゃん、このアイス食べていい?」と元気よくやって来て洋介が聞いた。
「小さい方ならいいわよ」と優は答えた。汗をかいて埃っぽい洋介がそばに来てアイスをスプーンで食べている。優はリビングから出てみた。ムッとした。これほど暑いのかと思う。それでも玄関でサンダルを履いてドアを開けると風が吹いてちょうどよく感じた。
駅に着いた。美沙と恵は元気なくホームからゆっくりと他の乗客達と同じように歩いている。もう夕方だけれどまだ外は晴れていて暑い。ホームからは線路が何本も通っている。もう乗っていた列車は行ってしまった。恵と美沙は疲れていて先程までの出来事を忘れたい気持が強すぎて深く深く眠っていたけれどやはりダメなようだ。冷たいコンクリートの階段を降りて行く。ぞろぞろと通路を歩く。改札口を出て駅も出る。外にはタクシーやバスがいて、家族を迎えに来た車が停まって待っている。
「お腹減ったでしょう、どうです、あそこの店でハンバーガーでも食べませんか? 私がおごりますよ」とロボットは二人に声を掛けた。恵は後ろのロボットを見て、うつむいている美沙を見た。
「美沙、どうする? 」
「あまり食欲ない」
「ジュースでも飲まない? 」と恵が言うと美沙は頷いた。これから本格的な暑さが続く。夕方でも昼間上がった温度はなかなか下がらず汗が出る。運動部の生徒が練習を終えショルダーバッグを肩に抱えて友達二人、うちわで自分を扇ぎながら並んで歩いている。二人とも短髪の女の子でよく日に焼けている。ハンバーガーショップに入ると恵と美沙はオレンジジュースを頼んだ。
「ロボさんはいいの? 」と恵が聞いた。
「ええ、私はいっさい食べたり飲んだりしないんです」
奥の席にジュースを恵がトレーに乗せて行く。店内ではサラリーマンがアイスコーヒーを飲みながら携帯を掛けてたり、ソフトリームを食べながら楽しそうに会話をしている高校生のカップルなどがいる。恵はLサイズだけれど美沙はSサイズで恵はストローを挿したけれど、美沙はそのままで手をつけようとしない。ロボットはキャップをかぶったままそんな美沙を気にしながら窓の外を見ている。恵はストローで氷をかき混ぜてジュースを飲んだ。
「ねえ、もうすぐ美沙のママ仕事終わるでしょ、迎えに来てもらう? 」と恵が言った。美沙は顔を上げて首を振った。
「バスで帰る。このままじゃ、何かあったと思われるわ」
ロボットは美沙の方を向いて、キャップを脱いで隣の空いている席に置きサングラスは外してテーブルの上にコトリと乾いた音をさせて置いた。美沙が雨に濡れたような感じで重い髪と頭を上げてロボットを見た。
「私は今日、初めて海を見たですよ感動しました。あんなに青くてあんなに遠くまで続いているなんてあんなに先まで何かを見たのは初めてです。いやあ、良かった」と言いロボットはフンと鼻で笑った。ロボットがにやにやしているので恵と美沙は不安になった。
「いや、優さんてあれだけ楽しみにしていたのに、風邪ひいちゃって、熱があってふらふらしてるのに行くって騒いでたんですよ。ママにすっごく怒られて、ふだん、私の事、いじめてるから天罰が下ったんだと思いましたよ。出る時見ましたが赤い顔してました。ほんとに」とロボットは一人笑っていて、美沙と恵は黙っている。恵はストローでジュースを飲んだ。
「ねえ、ロボさん、今日の事は秘密にして欲しいの」と恵が言った。
「ええ、もちろんです」
「美沙のママにも優のママにも、それに優にも」
「もちろんです」
「ロボさんて優の命令は絶対なんでしょ、大丈夫? 優が隠してる事があったらぜったいに言いなさいって言われたら、喋っちゃわない? 」
「ああ、それは、大丈夫ですよ、そりゃなんか催眠術みたいなのがあってですよ、それで勝手にしゃべってしまう、みたいな事はないです、そりゃまあ、一応優さんと洋介君の命令を第一に聞くって事にはなってますが口約束ですから、そこは臨機応変に出来ますよ」
「そう、じゃあ、お願いね、三人だけの秘密にして欲しいの」
「もちろん、私ロボットですから、人間みたいに秘密を誰かに話したいって事はないですから」とロボットは笑顔で言った。美沙はロボットを見た。
「ええ、それに私、洋介君やパパ、ママの事は大好きだけど、優の事はそれほど、昨日の夜なんかね、夜一人で、水着に着替えてカーテンを開けた暗い窓に自分を映してて、それで空手の型をやってたんですよ、バカだなこの女って思いましたよ、おっぱいも小さいじゃないですか、自分でもんでましたよ」
恵と美沙は苦笑いした。
「この間も、アイツくしゃみして鼻から鼻水が飛び出て思わず汚な! て言ったら鼻たらしたままうつむいた顔で私をにらんでティシュで拭いたら飛び蹴りを私にしましたからね、痛くないけど、腹が立つでしょ」
「へー、優って暴力振るうの? ロボさんに」と恵。
「そうですよ、気に入らない事があったら私に八つ当たりするんですから、フン、この間、畑に自転車でこけた時、どれだけうれしかったか、誰も見てないと思ってキョロキョロしながら自転車起こしてましたよ、普通、落ちないですよ、畑に、あんなの」
恵も美沙も笑った。
「よく食べるしね、パパもママもあの女の食費のために仕事してるようなもんですよ、この間も洋介君の野球の試合にパパとママが行ってる時、あいつ一人でご飯二合も炊いておかずはないのか、味噌汁と漬物と最初は卵掛けご飯でしょ、次に醤油だけ掛けて食べて、最後には味噌汁を掛けた猫まんまで食べてましたから、それで私がそれをちらっと見ただけでしょ、そりゃ誰だって見るでしょ、何見てんのよだって、家に米泥棒が入ったんじゃないかってぐらい食べるんですからね、また米が大好きなんですからねえ、もう、食べ終わったらお腹アマガエルぐらい膨れてるんですから」美沙は笑った。恵も笑った。
「ほんとに、私の事嫌ってるくせに、私がお土産でもらった饅頭とか持って帰るとみんなと一緒に食べるんですから、この間も塩大福もらったのむしゃむしゃ食べてましたよ。お礼とかあいつだけ言わないんだ! それで温かい茶飲んでましたよ」恵も美沙もロボットが優に対してかなりストレスが溜まっているのが分かった。
「ねえ、ロボちゃん、ほんとに約束ね」と美沙は言った。
「ええ」とロボットは小指を出した。美沙は恵を見た。
「人間は約束をする時、指切りするんでしょ」とロボットは言った。美沙は少し笑顔で小指を出してロボットとし。、ロボットは恵とも指切りをした。
「私お腹減った、ハンバーガー食べたい」と美沙は言った。
「ああ、いいですよ。私は働いてお金もらってますからこれでもお金持なんですから遠慮しないでたくさん食べて下さい」とロボットが言うと三人はカウンターに行き、美沙は照り焼きバーガーのセット、恵はフレッシュバーガーのセットを頼んだ。美沙は大きな口を開けてハンバーガーにかぶりついた。部活動の練習が終わり列車で家に帰る女子高生がソフトクリームを食べているのを見て、二人は食べたくなって頼んだ。食べ終わるとバスに乗って帰った。
ママが帰って来た。
「どう? よくなったの」と優に聞いた。
「うん、だいぶましになった、今日何?」
「肉じゃがよ」
ママがキッチンで料理を始める。お腹が空いた優は夕飯が楽しみでキッチンのテーブルの椅子に座りそばにある小さいテレビを観ている。ジャガイモが煮られているなんとも言えぬ美味しそうな匂いが鼻に届いた。
「美沙ちゃんから連絡あった?」とママが聞いた。
「いや、もう帰ってるでしょ」と優。ママはまだロボットが帰ってないから遅いな、と心配した。
扉が開いてロボットが帰って来たのが分かった。
「ロボちゃんそのサングラスと帽子どうしたの?」と玄関で洋介が聞いたのを優は耳にした。ロボットが入って来た。
「ただいまです」とロボットはママにあいさつした。
「お帰りなさい」とママは言った。ロボットが行ったその後で優は砂が落ちている事に気づいて立ち上がり、玄関に行った。ロボットの大きな靴を持ち上げて裏を見ると砂が滑り止めの溝に砂があるのに気づいた。ふーとため息をついた優は料理をしているママの背中をドアの外から見ていた。ロボットは洋介とリビングにいた。
「どうだった海?」と優はロボットに聞いた。
「え?」とソファに座っていたロボットは優の方を見た。
「え、ロボちゃん海に行ったの?」と洋介。
「海? 海なんか行かないですよ。私」
「ママが頼んだんでしょ、さっき言ってたけれど」
「はあ? なんで私が海に? ママに何を頼まれたんです? 」とロボットがかまをかけても上手くかわすので優はやるな! といささか関心する。
「私達の監視でしょ、ま、私は行けなくなったけれど、美沙と恵の」
「ああ、そんな事言ってましたけれど、断りましたよ。仕事で忙しいんでね」
「うそ、じゃあ、何そのキャップとサングラス」
「これはもらったんです。仕事先の人に」
「じゃあ、砂は何なの、さっきから随分とこぼれているわよ。それに靴の裏にも」
ロボットは優の奴め随分とやるじゃないか! と思う。
「これは仕事先でね、砂の上に座ったりしてたから」
「今日は何の仕事よ?」
「板谷さんのとこの工場の仕事ですよ。大変危険な外での仕事ですから、手伝ったんです」
「誰それ?」
優はロボットは完全にしらを切るつもりだと悟って引いた。ママが自分達に監視をつけた事に腹を立てて問い詰めようと思ったけれど、まだ少し身体もだるく思った以上に肉じゃがが美味しかったので、気持が萎えて止めた。それに美沙や恵に知らせると嫌がりママや多分美沙の母親も絡んでいるだろうから、美沙の母親と美沙がもめるのも嫌なのでこれ以上はやめておこうと思った。
ロボットはママに別に何もなかったと報告した。ママは優が自分の部屋に行った時に美沙の母親に電話して何もなかったと報告した。優はだいぶよくなったのどをそれでも意識しながらベッドに横になり風邪薬を飲んだせいで眠くなっていていつもより早く眠った。
夏休みに入り優はコツコツと勉強をしたり本を読んだり音楽を聴いたりテレビを観たりして過ごしている。高校野球の地方予選を一人でテレビで観ている。パパとママは仕事、洋介はプール、ロボットは手伝い、今回は塗田さんとこの工場に行っている。野球は好きでも嫌いでもない。どっちが勝っても関係ない。自転車が停まる音が聞こえ、玄関のチャイムが鳴った。誰だろう? と玄関に行くと美沙だった。
「どうしたの?」
「遊びに来たのよ」
美沙は地元の横野和菓子店のマシュマロ饅頭の菓子折を持っている。優は好きだけれどどこかに行く時にお土産として持って行ってついでに食べたり、誰かが買って来てくれてその時食べたりするぐらいで滅多に食べない。
「マシュマロ饅頭? それ」
「うん、家にお土産でもらったけれどみんな食べないから持って来たの」と美沙はサンダルを脱いで上がる。
「そう、私好きよ」
「私も」
優はオレンジジュースをグラスに注いでリビングに持って行った。美沙が持って来たのは十二個入りで、プレーン、マスカット、桃が四つずつ入っている。美沙は汗を白いハンカチで拭きながら扇風機の風をあてている。リボンのついたカンカン帽はソファにおいていて、ワンピース姿である。優は半ズボンにTシャツで長い髪はいつものようにポニーテールだ。
「随分と焼けたじゃない、白い肌の方がいいのに」
「そう思ったんだけど、たまにだからいいかなって、焼いちゃったけれどやっぱり焼かない方がよかった」
「そうよ、恵はイメージに合ってるけれど美沙と華はねえ」
「優はどうなのよ?」
「私はどっちでも、ま、あまり焼きたくないけれど」
優はプレーンに手をのばして包を開けて食べる。美沙はオレンジジュースを飲む。セミの声が聞こえる。テレビから金属バットでボールを打った心地いい響きが聞こえそれがタイムリーヒットになりアナウンサーが伝えていてヒットを打った方の高校のチアリーダーが喜んでいる。
「親戚の家に行ってたんでしょ」
「そう、いろいろ行っていとこに子供がいるから遊んでた」
優はオレンジジュースを飲む。優はずっと家にいて、同じような毎日を過ごしているけれど、それがともて好きだ、なんていいんだろうと思っている。でも、子供の時のように家族でどこかに出掛けたり、祖父の学会について行ったり、大学に遊びに行ったりするのも良かった、と思う。
「ロボちゃんは?」
ロボット? 話題としてロボットの事を聞いたのかしら? そう美沙は知らないと思うけれど、お互いのママがロボットを探偵みたくして尾行させていた事を知ったら怒るだろう。
「塗田さんとこの工場の手伝い」
「毎日働いているの?」
「まあ、土日以外は、土日も働く事があるけれど」
「へー、偉いね」
「偉くないわよ、そんなあんなの家にずっといられても気味が悪いだけじゃない、漫画みたいに敵がいて闘う訳じゃないんだから、だから、私地雷とか埋められている地域があるでしょ、そこに行ってくればいいのよって言ってやったのこんなに喜ばれる事ないじゃない、そうしたら不服そうな顔してたわ」
「そんなかわいそうじゃない」
「どうして? ロボットよ」
美沙はオレンジジュースを飲んだ。優はマスカットを食べ、桃も食べた。桃が一番好きだと分っているけれど、マスカットもいいと改めて気づいた。野球はお互いのピッチャーの好投が続いて展開が変わらない。美沙は扇風機を強から弱にしている。優は饅頭の包の紙を開いて読んでいる。マシュマロ、トレハロースなどと原材料を読み、会社名の横野和菓子店や所在地まで見ている。
「私、ロボちゃんに感謝しているの」
「感謝? なんで?」
美沙は優に問われ、見られ、固く口を閉じた。優は露出した美沙の日に焼けた細い腕を見る。中学時代は美沙と恵はバスケットをやっていたけれど、高校に進学すると二人とも運動部には入っていない。美沙も恵も背が高く一七〇近くあるけれど、優と華は一六〇ぐらいだ。
「ロボちゃんから何も聞いてない?」
「聞いてないわよ、何かあったの? ひょっとして海の事」
「うん」
「やっぱりアイツ海に行ってたんだわ。サングラスとキャップなんかフダンしないのに掛けてしかも砂がついてたから海に行ったな、と思って聞いたら、行ってないって、ウソついて」
「ええ! ほんと」
「そうよ、ママ達が仕組んだのよ、それはママには言ってないけれど」
「ロボちゃんて優しいのね」
「なんで!」
「だって、ウソまでついて私と恵との約束を守ってくれたんですもの」
優は嫌な顔した。あのでかいロボットを思い浮かべ洋介に慕われ、仲良く遊んでいる姿が想い浮かびそれを嫌な心地で見ている自分がいて余計、嫌な気分になる。
「約束って何? 何があったの」
「うん、ロボちゃんが海があった事優に言わないって、それで、軟派されて、しつこい二人で恵と困ってたら助けてくれたの」と美沙は本当の出来事は言わずに優に伝えた。ソファに置いてあるカンカン帽を見て、そのピンク色のリボンがまだ美沙が幼いと彼女には思える。それになんだ、そんな事か! もし自分がそこにいたならば、ハッキリと断るし、文句も言うだろう、それでもしつこいならば蹴りや突きで追い払う。それに美沙と恵だけでロボットがいなくても他のイケメンが気づいて助けてくれて、そこから恋が生まれていたかも知れない、それが夏の恋じゃなくって、と優は思うのだ。優は胡坐をソファの上でかいてそのまま針で急所を突かれたみたく静かにソファに横に倒れた。
「だから、ロボちゃんにお礼言いたくて」
「いいんじゃない、ママ達がそのために送り込んだんだから、それにもうその時お礼言って約束までしたんでしょ、もう充分よ」と優は肘をついて横顔を乗せ、美沙を見る。美沙は風を切った。扇風機を停めたのである。じっと優を見る美沙。
「私、ロボちゃんの事好きよ」ふうん、あ、そと優はベーと舌を出したい気分だ。洋介みたいにアイツの事が好きで、じゃあ、たまに遊びに来て公園でお得意のバスケットでもやったら、バスケットゴールあるんだからさ、と優は冷たい眼で美沙を見る。美沙はロボットと約束を交わした自分の小指を見ている。優はそんな美沙を見て少しボウとしている。
「ロボちゃん好きな人いるのかなあ」
優は足で足を掻いた。テレビの高校野球では満塁のチャンスになっていて内野手がピッチャーの所に集まりベンチから伝言を伝える選手も来て笑顔で伝えていて、みんな笑顔でそれぞれのポジションに戻るピッチャーはロージンを手につけそれをそばに投げてセットポジションから投げた。見事打ち取ってダブルプレーになりピンチを救った。
「私、ロボちゃんと付き合いたい」優は起き上がり、また元のような態勢になって、マシュマロ饅頭に手を出した。マスカットと思っていたらプレーンだったけれど別に良い、何といってもこの軽さと食べやすさがいい、横野の主人も地元のテレビに出た時にそう言っていた。付き合いたいだって、付き合えばいいじゃん、独身だし、彼女もいる訳がない、ロボットだから、うん? 付き合いたいとはどういう事だろう? 相手はロボットなのだ。チェンジになってピッチャーがマウンドに向かう。背が高くイケメンで日に焼けている。持てるんだろうなあ、とピッチング練習をしている姿を見て思う。応援席のチアガール達が映ると彼女達は彼と付き合いたいと思っているだろう、ピッチャーの顔を見ると少し冷たい眼をしていて感情がないように見えるまるでハンサムなマネキン人形だ。それがいいのかも知れない。いや、美沙は何を言っているのだろう?
「は、付き合うって、どういう事? ロボットだよ」
「うん」
ロボットと付き合う、どういう事だろう? デートしたり、一緒に歩いたり、ペットロボットは最近いるけれど外でその犬型のロボットを散歩させたりしている人は見た事がない。でもアイツは人間に近いからそういう事は出来るだろう、つまり手をつないだり、キスしたり、セックスしたり! それはない。ああ、つまりプラトニックな恋か、高校生だから、ちょうどいい、美沙は付き合った事がないから、初恋の相手としてロボットはいいわよ。ダメダメ! 友人として絶対にダメ!
「そんなのダメよ」
と優は冷静につぶやくぐらいの小声で言った。
「どうして?」
「相手はロボットよ。恋は人間同士でやるものなの。だって、車が好きだからって車と結婚出来ないし、アニメのキャラが好きだからって恋愛は出来ないでしょ」
「ロボちゃんは車でもアニメでもないわ。人間みたいなロボットよ」
人間にかなり近いけれど人間じゃないじゃない! と優はこんがらがって来た。
「反対なの?」
「反対って、反対も何も変だって言われるの、美沙が廻りからバカにされるのよ」
「そんなみんなロボちゃんは愛されてるわ。だから、手伝いに来てくれって言われてるんでしょ」
「意味が違うわ、あなたは恋愛をしようとしてるんだから、とにかくさ、好きって言うのはいいけれど、付き合いたいとかそういうの言うの止めて!」
美沙は不服そうに優を見る。もうオレンジジュースはほとんど美沙のグラスにはない。テレビの野球も終わりに近づいている。マシュマロ饅頭は優一人が四個も食べていて、箱がその部分だけ空いていて、残りはきちんと並んでいる。外から補助輪をつけた自転車の音が聞こえて通り過ぎた。
「優、ロボちゃんの事好きなんだ?」
「は?」どういう事だろう? 恋は盲目というけれど根本的に真ん中の部分が抜けている。
「私に取られたくないから、私と付き合うと私の家にロボちゃんがいつも来るようになってそれが嫌だから」
優はあきれてクッションを腿の上に置いて抱いて前のめりになっていたけれど、そのまま背凭れに背中をつけた。もう、そこまで言うのなら勝手にやってもらってもいいと思うけれど親友が廻りから白い眼で視られるのは心が痛む。こっちは冷静だから、よくここは話をして説得しなければならないと思う。
「あのねえ、もう一度言うけれど相手はロボットなの、犬が好きで犬と付き合いたいと言ってるのと変わらないのよ」
「犬と散歩したりいろんなとこに一緒に行ったり触れ合ったりしてるじゃない」
試合は終った。勝ったチームの校歌が流れて整列した選手達が歌っている。優は疲れて美沙が帰ると昼ごはんを食べるとすぐにベッドで昼寝をした。起きて下のリビングに行くと洋介が友達を連れて来てテレビゲームをやっている。優は固まった筋肉をキッチンでストレッチをやって伸ばした。喉はクーラーの効いた部屋で眠っていたから乾いてないけれどキッチンはむわっと暑くオレンジジュースを少しだけグラスに注いだ。冷蔵庫の中にはマシュマロ饅頭の箱がある。夕方になり、ロボットが仕事から帰って来た。ロボットを見た。ママやパパが仕事から帰って来た感じとは違う。体力的な疲れというものがないからであろう。ママが帰って来た。スーパーで買い物をして来ていて、キッチンをのぞくとエコバッグから牛乳、ジュース、レタス、ピーマン、しいたけ、豚バラ、ポン酢を取り出して冷蔵庫に閉っている。
「あら、マシュマロ饅頭があるじゃない、どうしたのこれ?」
「美沙がくれたの、美沙の家では食べないからって、お客さんからもらったんだって」と優はクーラーが効き始めたキッチンの扉のそばに立って言った。ゆっくりと階段を上って行く。自分の部屋に入るとさきほどまで涼しかったけれど廊下と変わらない。すぐにクーラーをつけて扇風機を廻す。隣ではロボットがいるのが分る。夜は図書館で借りて来た本をずっと読んでいる。だからほぼ毎日、仕事の帰りに図書館に行っているのだ。今日も何か借りて来ていた。ロボットのくせに図書館で本を借りる事が出来るのだ。なんちゅうロボットだ! と優はこの街のロボットに対する優しさに憤る。たまに洋介の部屋のドアが開いていて中を見るとロボットが部屋の隅に立って本を持って読んでいる事がある。パパやママにその事を言うと、ロボットはパパとママに以前、私は疲れないから立って読む事があるんです。気分の問題です。と言ったと言う。外はまだ昼間みたいだ。カーテンを直射日光を入れて温度が上がらないよう夏の間はほとんど締め切っている。美沙の事をロボットに言っておかなければならないと思う。もし、ロボットが振ったみたいになると私がロボットに命令して振らせたみたいに言われても困るから、よく言わなければならないと考える。部屋を出て洋介の部屋の前に立った。ノックをする。
「入るよ」と優はドアを開けた。ロボットは洋介の勉強机に座っていた。本でも読んでいるのかな、と思うけれど、あわてて何かを片付けている。よく見ると水着の写真が見えた。
「あんた!」と優は素早くロボットから写真を取り上げた。ロボットは怯えた顔をして優から写真を奪い返そうと手を伸ばすが優がその手を払う。水着姿の美沙と恵が写っている。望遠で撮ったような写真だ。これは、とんでもない事だ。まさか、ロボットが変態だとは思わなかった。大変なことだ。ロボットの装置の中には何があるか、優もあまり知らない。多分カメラ機能もあるだろう。携帯でもあるくらいだ。だとしたら、盗撮なんかも普段から余裕で出来る訳だ。これはもう、何とかしなければ、大問題になる。
「何よ、これ、あんた、盗撮じゃない」と優は怒りを込めてロボットを激しく睨んだ。ロボットは首を横に振り無実を訴えた。
「いやらしいロボットのくせに!」と優に言われロボットは悔しくて上唇をぐっと噛んだ。普通は下唇を噛むけれど、ロボットは間違えたのだ。それにしてもロボットに性的傾向があり女性に興味があるとは思わなかった。おじいさんもここまでリアルにするなんてとんでもないロボットを作ったものだと優は思う。これで美沙の事を言うとロボットは興味を示して付き合いたいと言いかねない。そんな事になったら恥だ。優はロボットの肩をグンとハンマーパンチで叩いた。
「何を考えているのよ!」と優は怒鳴った。これはもうゼッタイに美沙と関係をもたせてはいけない。ロボットは首を垂れて深く反省している。
「女性に興味があるなんてとんでもないロボットね」
「違います、違います」とロボットは否定した。
「何が違うのよ、水着の美沙と恵なんか撮っちゃって、あ、ホームで列車を待ってる二人や列車の二人もいるじゃない」
「違うの、これは二人の想い出として配ろうと思って今整理してたの」
「あんた、まさか、フダンも女性のスカートや胸とか撮ってんじゃないでしょうね」
「そんなのしてない!」とロボットは訴えた。優はまだある机の上の写真を取り上げる。どれだけ撮っているのだろう。トランプぐらいある。
「それはダメ!」とロボットは激しく言うが優はきつく叱った。海が写っている。砂浜の砂、海の家、海水浴客。浪打際の波とロボットの素足。それから、やはりまた水着の女性。今度は男性だ。男性、男性、やたらと男性が続く。しかもイケメンで、身体のかっこいい、ライフガードや鍛え上げられた男性の写真ばかりが続く。さらにその男性達の割れた腹筋、おしり、背中、股間、ふくらはぎ、腕などもある。
「な、何これ!」ロボットは深く眼を閉じている。
「何これって聞いてるんでしょ」と優は写真を持ったまま激しくロボットの肩を揺さぶった。ロボットはそれでも深く眼を閉じ固く口を閉ざしている。
「優、ご飯よ!」とママが下から呼んだ。
「ちょっと後で行くから」と優は大きな声を出して、写真を持ってロボットを睨んだ。ロボットは眼を開けた。
「お願い、みんなには言わないで!」とロボットは訴えた。
「言わないでってだから何なのよ」
「何なのよって分るでしょ」と弱弱しいロボット。優は先程からのその言葉使いにも気づいた。そういえば、ロボットは敬語ばかり使うけれど、たまに女性言葉を使う事がある。ひょっとして、と優は股間の写真を見て思う。
「だから、何よ」
「だから、私、男の人が好きなの」とロボットは言い机の上に腕を乗せて顔を伏せた。優はロボットが顔を伏せて泣いている後頭部を見てあきれて腹が立ち殴った。
「あんた男でしょ」と優が腹立たしく言うとロボットは顔を上げて斜め下を見る。
「ロボットに男とか女とかあって! 私、博士が寿司屋の源さんみたいに作ったけれど心はずっと女性だったの」優は興奮してロボットの背中をバチバチと叩いた。ロボットもそれを嫌がり女の子みたく手のひらで優の叩いてくる手を叩いた。
「もうっ!」と優は腹を立てていると、階段を洋介が駆け上がっている音が聞こえた。ドアが開いた。
「ご飯だよ」
「分ってる。行くから」
「お姉ちゃんまたロボちゃんをいじめてるの。やめなよ」
「違う。いいから早く降りなさい」と優が腹立たしく苛立って言うと洋介はすねて降りてった。
「私、男の人が好きなの。男の人に興味があるの。それに心は女性だからかわいい服を期待し、メイクもしたいし、髪もこんな短くじゃなくもっともっと伸ばしたいの」
「うるさい!」と優は激怒して頭がくらくらする。これでこんな大男のロボットが女装すれば近所のいい笑い者である。ロボットはみんなが食事中はいつもリビングでテレビを観ている。
「またロボちゃんいじめてたんだ」と洋介がママに告げ口をする。ママは優を冷たい眼で見る。優はかったるい。
「いじめてないわよ」
「うそ、すごくロボちゃん困ってたじゃないか。お姉ちゃんえらそーにそばに立ってさ」優はため息をついた。
「ロボちゃんお風呂入ろうよ」と洋介はリビングのロボットを誘った。
「今日は私はいいわ」
「え、なんで?」
「うん、いいの。入りたくないの」
「なんかロボちゃん女性みたいな言葉使いになってるよ。お姉ちゃんにいじめられたから?」
優は電気を消した暗い部屋のベッドの上で仰向けになって音楽を聴いている。隣の部屋ではベッドでもう洋介が眠りそのベッドの隣の下ではロボットが本を暗い部屋で読んでいる。私、男の人が好きなの、男の人に興味があるの、とおっさんの姿をしたロボットがマジで言ったのを思い出して優は悲しい音楽が流れているのに思わず笑った。それが可笑しくておかしくてふふふふふふふふ、と優は一人笑い続けた。
美沙にはロボットがオカマだったとはまだ言ってはいない。オカマと言うとロボットは怒った。ママとパパもロボットがオカマだともう気づいた。だけれど肉体は源さんをモデルにしただけで心は女性なだけ、とロボットは家族の前で主張する。それをオカマって言うの! と優は言ってやるとロボットは悔しがった。ママが優にもうオカマとは言わないように、と注意した。じゃあ、なんで今まで隠してたのよ、と優が問い詰めるとロボットは何も言えない。
「まあ、もういいじゃないか」とパパに言われて、優はロボットに興味がない、それに関わりたくないからと思う。
夏休みが終わり秋になった。お風呂から上がって階段を上がって部屋に戻ろうとリビングの前を通るとパパはウイスキーを飲み、ママはシャインマスカットを食べている。そばにはロボットがいる。最近、外では相変わらずのロボットだけれど、中ではもう常に女性言葉で身体もなよっとさせている。今時の若い女性でもしないような態勢だ。
「私今度思い切って女性用の洋服とカツラも買ってみようと思うの。それとメイク道具も」
「いいわね。きりっとした顔立ちのハンサムだからキレイな女性になると思うわ。ねえ、パパ」
「ああ、そうだな」とパパはどうでもいいや、と内心思いながら言う。優はやってらんない、と階段を上がる。
日曜日に美沙がやって来た。あれからも遊びにやってくるけれどロボットとは二人切にさせないように恵や華を呼んだり、ロボットは洋介と遊びに行かせるようにさせている。ロボットはパパとママと洋介の三人で街中に出掛ける予定である。美沙は最近では優に会いに来るのではなくロボットに会いたいのだ。優は美沙がロボットを呼べとうるさいので、どうでもいいわ、とロボットを呼んでやった。
「美沙ちゃん。こんにちは」とロボットは部屋に来た。もうすっかりロボットはオカマ口調だけれど美沙はまったく気づかない。
「ロボちゃん座ったら私の隣に」とベッドに座っている美沙がその隣を軽く叩く。優は疲れるのでもう好きにしたら、と部屋を出た。空手の稽古で左足を痛めて引きずっている。ロボットは部屋を出て行く優の後ろ姿を見ている。ドアが静かに閉った。
「ロボちゃん。やっと二人切だね」
「え、うん。そうね」
「あの時はありがとうね」
「いいえ」
「写真もありがとう」
「いいえ」
「ロボちゃんって何歳?」
「私はゼロ歳」
「え、ウソ!」
「だって。この間眼ざめたばかりだから」
「ああ、そうか、そうね」美沙が笑った。ロボットも笑う。
優はゆっくりと壁に手をついて階段を降りた。空手の稽古で左足を痛めひきずっている。外ではパパが自動車を洗車している。リビングでは掃除を終えたママが紅茶を飲みながらテレビを観ている。洋介は野球の練習に行っている。
「美沙ちゃん来てるんでしょ」
「ロボットの事が好きなんだってだから。私が邪魔みたいだから二人切にしてあげたの」
優は足をひきずりながらソファに座る。日曜日の午前中は友達と約束がない時は優はのんびりとリビングでテレビを観て過ごす。洋介の野球の試合があるとパパかママがついて行ったり、パパは釣りやパチンコが趣味なので洋介を連れて釣りに行ったり、一人でパチンコに出掛けたり、ママは掃除をしたり、庭のガーデニングをしたりしている。パパ、ママ洋介は買い物やドライブに出掛ける事もある。優も中学一年生ぐらいまでは家族とドライブや買い物に出ていたけれど、最近は出掛けなり遠くまでドライブに行く時以外は一人で留守番するか友達と遊んでいる。ドドドと階段をいきおいよく降りて来る音が聞こえた。振り向くともう美沙が立っていて、優を睨んだ。
「優のバカ! 」と美沙が怒るとそのままいきおいよく玄関に行き外に出た。ママは驚いて優を見た。優は立ち上がった。何で私がバカなのよ! と美沙に言いたくて痛めた左足を引きずりながらそれでも早く動いて外に出て美沙に追いつき自転車にまたがり出発しようとした美沙の自転車の荷台をつかんだ。パパは優と美沙を車を洗いながら見ている。
「なんで。がバカなのよ! 」
「卑怯よ、私の事あきらめさせるためにさ、ロボちゃんにオカマになれって言ったんでしょ。ひどすぎるわ」優は疲れがどっと出た。自分で処理しろよ。あのバカロボットとはらわたが煮えて来る。
「違うわよ」と優は覚めてだるい感じで言う。言いながらこれが女子高生の会話か! とあきれる。ロボットとかオカマとか、普通の恋愛では出て来ないフレーズだ。普通は先輩とか、略奪とか、二股とかそんなフレーズだろう。
「嘘よ。あんなに男らしかったロボちゃんが急にオカマになる訳ないじゃない。私が好きだから、優が命令してあんな風にして、オカマだったらあきらめるだろうって、いくらロボちゃんがロボットでもかわいそうじゃない! 」
「あのねえ、本当にあのロボット本人が自分から言い出したの、それにこの間、海水浴の写真もらったでしょ、あの時、あのロボット何枚も男性の水着の写真撮っているのよ」
「それが何よ」
「イケメンの写真ばかりよ。男に興味があるからじゃない」
パパは二人はもめているのだと思う。でも、幼馴染だからそんな事もあるだろうと思う。ホースから出ている水で車を洗っている。美沙を自転車から降ろして再び家に入れると、ロボットは困ってリビングにいるママに相談していた。優はロボットを呼び写真を用意するようにと言い、三人で上に上がった。優の部屋に再び集まるとロボットは洋介の部屋の引出に隠していたイケメン達の写真を見せた。美沙はそれを見た。中には水着を着ているが局部の写真もある。ロボットは後ろでもじもじしている。
「うそ! 」と美沙は写真を持ったまま優を見上げて言った。
「ウソじゃなわよ。じゃあ、なんでこんな男ばっかり写っているのよ。完全に盗撮じゃない。女性だったら」
「ロボちゃん本当なの? 」と美沙は悲しい声で聞いた。ロボットは女性らしく頷いた。
「これから洋介が帰って来たらパパとママの三人で街に何しに行くか言いなさいよ」と優は言った。ロボットは優をチラッと見てから美沙を見た。
「これから、買い物に行くの。何を買うかって言うと私の女性用の服や靴を買ったり、メイク道具やカツラも買うの」
美沙は黙って階段を降りて行くとそのまま何も言わず帰って行った。優はベッドに座っていた。左足はまだ痛い。写真を閉ったロボットがやって来た。
「いいのかしら? 」とロボットは優に聞いた。
「いいも悪いもあんたそうするんでしょ」と優は冷たく言った。
洋介が帰って来ると車で優を残し出掛けた。優はいつもの日曜のお昼みたいに一人で好きな物を食べるけれど、いつもならコンビニまで行って弁当やカップ麺、サンドイッチを食べるけれど左足が痛いから出掛けるのが面倒でご飯を炊いてチャーハンを作った。二合炊いた。具はベーコンで卵とねぎだ。二合の炊いたお米を炒めるのは重いけれど食べごたえがある。スープも作ってテレビを観ながら食べた。
ショッピングセンターの近くにあるゲームセンターでパパと洋介は遊んでいる。ママとロボットはその間に買い物に行く。恥ずかしがるロボットを連れてママは婦人服売り場に行った。女性の店員はてっきり奥様の付添のご主人かと思っていたら、この大男が着ると言うので度胆を抜かれたけれどそこはプロで冷静にそういう趣味の人なのだと理解する。奥様の方がロボットなんです、と教えてくれ、ああ、噂になったロボットか、と納得したけれど、逆に、え、なんでロボットが女性の服なんて買うのだろうとますます頭が混乱した。ロボットは近所のイロイロな場所で働いていてお金はたくさん持っている。秋物のニット、シャツを買った。
「スカートを買わなきゃね」とママに言われ、ロボットは照れる。店員は大柄なロボットに合うスカートを探した。試着室のカーテンを開けて見せると、フワッとしたスカートが軽やかに動く。
「いいじゃない! 」と褒めるママ。店員はオッサンがスカートをどう見たってはいているのでお世辞にもいいとは言えず黙っていた。そばにいたおっさん、それこそ本当に奥さんの付添で来ている本物のおっさんは試着室にオッサンがいてそのオッサンがスカートを履いているので動揺した。ロボットはスカートも買った。次はレディスシューズだ。そこにはスカーフを首に巻いたカッコイイ女性店員がいて後輩や同僚、お客から信頼が厚くよく靴を売りカリスマ店員と呼ばれている。そのカリスマは動揺する事なくロボットに合うサイズの靴を持って来てどんどん履かせた。
「どうでしょう。お客様はお足が大きいのでブーツなんかお似合いだと思うのですが、この秋いやこれからずっと履いて行けるブーツでございますよ」
「あ、いいわ、それ」とカリスマ店員が進めるロングブーツを見てママが言った。色はホワイト、茶、ブラックがある。ロボットはブラックを選んだ。なんて履きづらいのかしら、とロボットは思うけれど、履いてみるとなるほどカッコイイ。
「お客様は背がお高いでからとてもお似合いですわ」とカリスマ店員の目がキラーンと光った。彼女のメイクは濃い。メイクを落としたすっぴんの顔も濃い。男性にもてる。すれ違う男性のほとんどが振り向く。振り向かない男性がいるとあら? どうしたのかしら、よっぽど考え事に集中しているのね、と自分で思うぐらいだ。カリスマ店員はいい仕事をしたわ、とブーツが入った袋をロボットに渡す。
「あ、あの、ママ、ママよかったら私からのプレゼント、ママもブーツ買って私黒だから茶色がいいと思うの」
「え! ロボちゃん」とロボットからの思わぬ提案にママは喜んだ。カリスマ店員も喜んだ。ママも試に履いて買ってロボットに袋を渡した。二人が店を出て歩いている姿を後ろからお辞儀をしながらカリスマ店員はずっと笑っていた。心の中でずっとWピースをやっていた。
カツラも買った。長い茶色の髪だ。早速、買ったカツラをかぶって化粧品コーナーに行く。度のきつい黒縁メガネをかけた女性店員にメイクをやってもらった。驚く程に変わり、オッサンがキレイな女性に変った。メガネの店員はやりおえてずれていたメガネを指で上げた。久し振りに手ごわい相手だった、とどっと疲れた。
家の中で優は鏡で自分の顔を見ている。濃い眉、細くてすっきりとしたフェイスライン、くっきりとした二重瞼。長く黒い髪はだいたいいつもシュシュで後ろでまとめている。肌は白い。中学の時同じ班のパンちゃんとあだ名されていた今でも太っている石野さんが優の顔をジーと見て、岡部さんアイドルみたい、アイドルになればいいのに、と言った事があった。パンちゃんとは友達と言う訳ではない、だから、優は石野さん、と呼んでいて、ほとんど話をした事がなかった。その石野さんに言われたので自分でも驚いた。小さい頃から祖父にかわいい、かわいいと言われて育った。近所のおばさん達からもかわいい、かわいい、と言われていた。自分でも客観的に見てかわいい、と思う。けれど自分はいも姉ちゃんだと自覚もしている。将来はぼんやりしている。祖父は自分と同じ理系の大学に進んで欲しかったみたいで、そろばんを教えられパソコンも小さい頃から買ってもらっていた。そのおかげが理数系は得意だ。勉強は好きだけれど身体を動かす事も好きである。高校を卒業したら一応進学するつもりである。多分理数系の大学に行くのだろうけれど何を選ぶかはまだ何も決っていない。進学すれば一人暮らしになる。大学を卒業したらそのまま一人暮らしを続けるのか、それとも戻って就職するのか、分らない。良の顔が浮かんだ。良君は大学を卒業したら戻って来るのだろうか、でもお兄さんがいるからどうなんだろう?
「岡部さんの事男子みんな好きだと思うよ」と体育祭の大きなポスターを一緒に描いている時にパンちゃんが言った。
「そんな事ないよ」と優はさすがにそこまではと心から否定する。
「いや、男って顔だから顔で好きになるのよ。岡部さん、アイドルみたいな顔してるじゃない、だから絶対に好きだよ」
「そんな事ないよ。好みがあるからそれに上杉なんかと私仲悪いよ」と優は筆を持って言う。
「男子って自分のまわりにはあいつ嫌いだとかうそをつくのよ。上杉君なんて岡部さんの事絶対好きよ。だって、いつも岡部さんの事見てるんだから」
優は苦笑いだけれど本当にそれはないと確証しての余裕も含まれた笑いで首を横に振った。
「ないない。一年の時も同じクラスだからよく分かるもん。上杉は遠藤さんの事が好きなの」
「うん、もちろん、遠藤ちゃんも好きだよ。でも私が言っているのはそういう事じゃなくって、岡部さんが男子全員の一位じゃないけれど好きだって事」
「そんな事ないよ。だって私の性格が嫌だって男子が言ってたって恵が言ってたよ」
「そう言うんだって、ウソつくの、子供だから」
「でも、恵に言ったんじゃなくって恵の彼に言ったのよ」
「うんうん、そうなの、女子は女子同士だと本当の事を言うよ。でも男子はあいつ嫌いだとか本当は好きなのにウソをつくの」
パンちゃんの言う事は当たっていた。優はそれから一年たって上杉から告白されて付き合った。
車の音が聞こえて昼寝をしていた優は気づいて眼が覚めた。ママに頼んでおいた松井のパン屋のマウンテンパンを食べようと思う。松井のパン屋の名物でおにぎりぐらいのドーナツにチョコとホワイトチョコがコーティングされていて中にはホイップクリームが入っている。これが完成した時、地元の名物を模索していた商店街の会長もでかした! と褒めた程だ。随分と昔の話で優が生まれる随分と前の話であって、確かに地元の名物にはなったけれど地元以外の人はまったくご存知ないパンだ。でも、味は抜群で、優は子供の頃から大好きで学校の帰りに買って来てよく食べる。三つは食べられるけれど、ママに一つだけと注意されている。優は階段を降りた。ママや洋介が入って来た。あ、キレイな女性のお客さんも連れて来たのね、と優がまだ寝ぼけた頭で判断する。あ、と優は階段を降り切り、その大きくてキレイな女性が玄関を上がった時に眼が合い分かった。ロボットじゃん! 優は思わず後ずさりする。何をやってくれたのだ。
「お姉ちゃん、ロボちゃんだよ」と洋介が笑顔で言った。
優はマウンテンパンをむしゃむしゃ食べ牛乳を飲みながらママに文句を言う。ママはロボットにブーツを買ってもらい上機嫌だ。
ロボットが女性化した事により、優の機嫌は悪化したがそれを冷ますように夕食はホットプレートでのヤキニクである。
「ロボちゃんに名前つけようよ、ロボちゃんじゃ、変だよ」と洋介が言った。優は肉を返して、さらにさつまいもを箸で刺してそれをたれにつけて食べる。ロボットは食べないけれど長い髪で一緒にテーブルに座っている。
「そうね、どんな名前がいい、ロボちゃん自分で気に入った名前なんてある? 」
「そうですね、私、女優の泉咲樹が好きだから咲樹ってどうでしょう、実は私ずっと自分の事を先樹、咲樹って心の中で呼んでいるのです」
何が!ねえ、何がよ。調子に乗ってる! と優は大好きなピーマンを皿からホットプレートに乗せて焼き、もうすでに焼けているピーマンをたれにつけて食べる。パパもママも洋介も浮かない顔をしている。それは泉咲樹のイメージとロボットが会わない感じがするのだ。ロボットは家族の様子に気づく。
「あの、みなさんはどんな名前がいいと思います? 」とロボットは聞いた。
「そうねえ、背が高くて外国の人みたいだから、ジュディってどう? 」とママが言った。ジュディ! あのねえ、元々源さんだよ、と優はどうでもいいと無関心を装いながら焼けた輪切りのたまねぎを食べつつも心はみんなの話題に入っている。
「僕は男でも女でも通じる名前がいいと思うんだ」と洋介が言った。
「ああ、いい事言うわね」とママが褒めた。
「で、リョウっていいと思う、モデルやアイドルにリョウっているし、それにかっこいいじゃん」
洋介! リョウって良君と同じになるじゃないと優は洋介をあからさまに睨んだ。
「ああ、リョウっていいかも」とロボットは言った。優がロボットを殺意のある眼で睨む。
「リョウはダメよ。良君がいるから」とママが言った。
家族が黙り肉を焼く音が聞こえる。優は一人ずっと同じペースで食べ続けている。換気扇が廻っている音も聞こえる。ソーセージには切れ込みが入っていて焼けるとそこからはじけて開いていて美味しそうだと食欲が沸く。優が食べようと思っていたそのよく焼けたソーセージを洋介が食べた。優はニンジンを取ってたれにつけて食べる。まだ半生だった。いろいろママと洋介が名前をあげた。リンダ、マイヤー、ケイト、シェリイ、とママは外国人の名前を挙げ、洋介は華、美沙、恵、あや、すみれ、と知り合いの女性の名前ばかりを挙げた。優は生のキャベツをかじった。ロボットはロボットよどんな名前をつけたって! と優は一人覚めている。
「パパはどうなの? 」とママが聞いた。パパはビールをゴクリと飲んだ。
「そうだな、愛がいいな」とパパが言うとママ、洋介、ロボット、優はパパを見た。静かになり、肉を焼く音と換気扇の音だけになる。優は焼けたカルビをたれにつけて食べる。
「愛ね。いいじゃない」とママ。
「愛ちゃんていいと思うよ。僕」と洋介。
「私も愛がいいです」とロボット。
愛か、愛ねえ、と優は心の中で繰り返しながらパパを見る。
「じゃあ、愛でいいじゃん」とパパが言って決まった。
ヤキニクをお腹いっぱい食べたけれど優はまだマウンテンパンを持って二階に上がりベッドに寝転がった。マウンテンパンを机の上に置いた。やはり今日はもうよそう、とベッドに寝転がる。
「優、お風呂」と下からママの声がしてマウンテンパンを持って階段を降りて冷蔵庫にしまうと歯をよく磨いた。
美沙は美しい女性がロボットだと聞いて驚いた。優を責めた。
「なんでここまでやらせるの。ロボちゃんがかわいそうじゃない! 」
「あ、今日から愛になりましたので、愛と呼んで下さい」とロボット。
「自分がやったのよ。ここまで私がやらせる訳ないじゃない」
ロボットの説明で美沙は納得せざるを得なかった。美沙は自転車で帰って行った。その姿を優は二階の布団を干しているベランダから見ていた。
夕暮れだった。アスファルトに写ったロボットの姿には長くなった髪も影となって映っている。美沙は女になったロボットと女友達として仲良くなり、恵と華とも仲良くなった。優はそれが気にくわないけれど受け入れるしかない。華の家にロボットと遊びに行ってその帰り軽自動車が前から来た。車が近づいて来るとその車が良の兄の悟の運転する車だと分りさらに助手席に良も乗っていると分って優はドキドキする。悟は地元の大きな街の大学に通って一人暮らしをしているけれど、大学が休みの日の週末や祝日などの休みにはこっちに車で帰って来ている。車は優達に気づいて停まった。
「やあ、優ちゃん」と悟が言った。悟がまず空手をやっていて、小さい頃から知り合いである。悟は美しいロボットを見て緊張して、挨拶をする。
「こんにちは」とロボットは笑顔で返した。良もあいさつした。良にもロボットは返して動きがぎこちなくなった。
「こちらは? 」と悟が聞いた。
「あのう、ロボットです」
「え! あのロボット」と悟は美しい女性がロボットと分かりがっくりする。ロボットはジーと良を見ている。
「じゃあね」と悟は車を発車させた。優は普通のスピードで自転車を漕いでいる。それをさも歩いているかのようにロボットは着いて来ているけれど足はすごいスピードで動いていて、競歩をやっている人みたいになっているがロボットはロボットなのでまったく疲れないのである。
「ねえ、優さん、あの二人は? 」
「友也君ているでしょ。友也君のいとこで車を運転していたのがお兄さんの悟君で大学生、弟が良君で高校三年生よ」
「良君か」とロボットが言った。優はチラッとロボットを見る。優は人間みたいに走ればいいのに、上半身はほとんど動かさず、下半身だけものすごい動きをしていて隣にいるのが恥ずかしい。
日曜日に恵と美沙が遊びに来てロボットと四人で麻雀をやった。
「愛ちゃん。ひょっとして良君の事好きになった? 」と美沙が聞いた。
「うん」とロボットが素直に頷いた。
「優、ライバル出現じゃん」と恵がからかった。優は気にしない。
「でも、私ロボットだから」とロボットは白をつもって指で牌列を整えた。
「そんなの関係ないわよ。ロボットと人間の恋愛だってありだと思うわ」と美沙が言った。
「またトンチンカンな事言って」と優が言った。
「美沙は恋愛をした事がないから」と恵が笑う。
ロボットが牌をつもりながら美沙を見る。美沙は牌をつもりそれを加え他の牌を捨てて、じっと正面の恵を見る。
「恋愛経験があるとかないとかそんなの大事な事かしら? 」と美沙は自分の牌を睨みながら言う。優は牌をつもって牌列をじっと見ている。
「そりゃそうよ。いろんな人と恋愛を楽しんでさあ、自分に合う人、将来結婚する人はこんな人だって分るんじゃない! だからいいのよねえ、優」と恵。優はまだ牌を持っていてそれを指で転がして悩んでいる。優の動きが停まっていて他の三人もそれに合わすように停まっている。美沙が優をうかがう。
「恋愛をたくさんしなくてもシアワセな結婚をしている人はたくさんいるわよ」と優は言って持っていた牌を入れて他の牌を捨てた。
「そんな人いる? 」と恵。
「いるよ」と美沙。
「誰? 」と恵。優、恵。
「誰って」と美沙。優、美沙。恵。
「いるの? 」と恵。
「いるよ、私の叔父さん。叔父さんと叔母さん、高校の先輩と後輩で今でも仲良いよ」
ロボットが上った。たいした手ではない。役満のテンホーだった優はロボットを睨む。四人の手でがしゃがしゃと牌をかき混ぜる。下には誰もいない。パパと洋介はキャッチボールに出掛けママは美沙の母親とドライヴに出掛けている。誰もいないリビングの時計の秒針がフツウに時を刻んでいる。
「古いよ。それは昔の人だからよ」と恵は牌を混ぜながら言う。
「失礼ね、叔父さんも叔母さんもまだ若いよ」
「いくつ? 」
「五七ぐらい」
「古いよ」
近くを流れている川では小さい男の子と若い父親が川に入って小魚を取っている。父親はジーンズの裾を膝の上まで上げている。川面にはよく晴れた空が写っている。
「あのねえ、美沙、あんたキレイなんだからいっぱい恋愛した方がいいよ」
「そんな好きでもない人と付き合いたくないわ」
「ちょっとでもいいと思ったら自分からアプローチすればいいのよ。相手に付き合っている人がいなかったらアンタなら絶対振られないから」と恵は牌を積み込みながら言う。優は恵を見る。
「そんな事ないよ」と美沙。
「大丈夫よ。ねえ、優」
「まあ、大丈夫よ」と優。美沙、優を上目使いで疑い深く見る。
「でも特別に好きでもない人と付き合いたくない。私はあなた達と違ってまだキレイな身体なの、大切な身体なのよ」
「何言ってるの。子供っぽい事言って」
ロボットはあなた達と違って、と美沙が言った事に気づいた。それは恵は当然だけれども優も含まれている、と分る。
「私はもっと深く深く大切にしたいの。それは心の問題でもあるのよ」と美沙が言うと恵は嫌な顔をする。優はいきなり良い手でどらを含んだ七対子のテンホーで機嫌が良くなった。
「じゃあ、なんで、この間海水浴なんか行ったのよ。いい男だったら失う気充分だったんでしょ」と優がにこやかに言うと、それまでむしろ恵の側にいたのにその恵の表情も変わり、美沙も固まった。ロボットも優を少し冷たい眼で見る。
「おっさんにしつこいナンパされてロボットに助けてもらったんでしょ」と優は笑いながら言った。美沙と恵とロボットは黙っている。何よ! 急にそんなに触れちゃいけない事なの! と優はすごく激変した空気になった事に戸惑う。ロボットがリーチをした。優もリーチをする。二人は捨てられている牌を見ながら牌を積もる。結局、恵が上がった。
「私、もう恋愛はいいの、大学生になってからと決めたの。それで好きな人が出来てさ、卒業と同時に結婚するから、それまで未来のダンナさんに純粋な身体をとって置くの」と美沙が言った。
「何よ。まるで処女じゃない私達が純粋じゃないみたいじゃない、ねえ」と恵が優に同意を求める。
ロボットはハッとする。処女じゃない私達! じゃあ優はもうキズモノって事、と驚いて優を見る。正面のロボットがすごい眼差しで自分を見ている事に優は気づいてなんじゃ! と思い眼をそらす。
「あんたみたいにそうやって処女じゃないとかいつまでもこだわっている人間の方がある意味純粋じゃないわ」
「どうしてよ? 」
「じゃあ、たくさん子供を産んでいる母親は悪なの。良い母親ってたくさんいるじゃない」
「そりゃあ、そうだけど、子供を産むとまた違うの」
「訳分んない。こういうのがさ、好きな人が出来るともう前が見えなくなって暴走するのよ」
「そんな事ないもん」
「ふふ、そうかも、だって、美沙、ロボットの事が好きだって言ってたのよ」
「ええ、愛ちゃんの事」と恵は驚く。ロボットは長い髪ではあるがメイクはしていないけれどすっぴんの美人になっている。と言う事は源さんも髪を長くしたらこんな美人なんだ、とみんな思っているけれど、ロボットはひげはまったくないけれど、源さんはひげがとても濃く、ひげをそった顎も緑茶ぐらい濃い。
「いいじゃない。愛ちゃんイケメンなんだから」
「女じゃん」
「今はでしょ。この間まで男だったんだから」
牌を並べてみんな牌をつもって行く。優は身体を左右に動かしている。
「とにかく恋愛しなさいよ。じゃあ」
「恋愛すると変わるよ」と優が言った。
「何よ。自分だって恋人いないくせに」
「私はいいの。良君一途なんだから」と優が少し照れて言った。ロボットはこの間あったあのイケメンの顔を思い出した。
「何言ってるの。上杉と付き合ってたくせに! 」と美沙が言った。ロボットは驚いて優を見た。優はロボットの異常な眼差しに気づいてうっとうしく睨み返した。
「良君っていいながら、他の人を好きになるって信じられないわ」と美沙。
「だって、良君は彼女がいるんだもの」
「だからって、上杉と付き合うなんて」
「いいじゃないねえ、未経験の人に言われたかないわよねえ。優」
「フン! 変な人と経験するよりは未経験の方がいいわよ」
ロボットは牌を持ったままでいた。
「愛ちゃんよ」
「あ、すいません」
パパと洋介が帰って来た。パパがシュークリームを買って来て下から呼んだ。優が取りに行った。
「すいません、さっきの話なんですが、優さんて処女じゃないんですか? 」
「ええ、付き合ってたからねえ。ま私達も現場を見た訳じゃないけど、間違いないでしょ」
「いつですか、それ! 」
「いつって、中二の頃じゃない」
「うん」
「ヤングセックス! 」とロボットが思わず口にした。
「ヤングセックス! 」と恵が驚いて美沙と顔を合わせた。
「それで相手は誰ですか? 」
「上杉っていうま、普通の男よ。高校は私と一緒だけど」と恵。
「今でも付き合っているんですか? 」
「もう別れたわよ。やっぱ良君だって」
「良君て、悟君て言うお兄さんがいるイケメンですよね」
「そうそうそうそう」
ロボットは下唇を噛んだ。
優が戻って来てシュークリームを食べ、麻雀の続きをやって夕方に恵と美沙は帰った。優の部屋には誰もいない。カーテンは閉まっていて夕日が隙間から入って来ている。さっきまでマージャンをやっていた裸の炬燵とその上に緑色のテーブルが置いてある。ママも戻って来て、家族で夕食を食べに車で出掛けた。ロボットは食事はしないけれど外食の時はついて行くけれど今回は断り、近所を歩いた。山の影がこの周辺をより一層暗くしているのかもしれない。ロボットはゆっくりと歩いている。まさか、処女じゃないなんて! とその事ばかり考えていた。風が吹いてロボットの長い髪を流した。昼間はその影が地面にくっきりと写って少し自慢で、なびくたびに誇らしげに見ていたけれど、今はそれほどでもなかった。
夜、洋介が寝ている時、ロボットは図書館で借りて来た昔の小説を読んでいた。
「前からあんたの事が好きだったんだ、なあ」
「いや、来ないで! 」とかすみは今にも襲い掛ってきそうなオオカミみたいな伝助に身構えた。
「分ってくれ、もう我慢出来ないんだ、俺は男だよ」伝助はかすみを後ろから抱きしめた。
「いやいや」とかすみは暴れながらも強くしっかりとした伝助の身体の激しい温かさを感じていた。
「前からさ、前からなんだよ。ずっとかすみとこうなりたかったんだ」
「言わないで、私の身体はのぶきさんだけのものなの。のぶきさんだけに捧げると決めているのよ」とかすみはにげようと伝助の腕の中で暴れる。伝助は我を忘れて力を入れている。
「一回でいいんだ。一回で」二人はお互いの力を振り絞って逃げよう、放さないようにしている。伝助は思わず、かすみの頭を何度もはたいた。かすみは屈辱だった。かすみは伝助と向き合った。
「いい加減にしろよ、この家にはお前と俺しかいねえんだぞ、じゃあなんで二人切になったんだ」
かすみは伝助と口づけを交わした。かすみは伝助と口を合わせながらのぶきの事を思った。伝助は一度唇を放した。
「俺をのぶきと思えばいいだろ」と伝助が一瞬獣から優しい眼で言った。あ、そうか、とかすみは素直に思って伝助に操を捧げる事にした。すると伝助の身体のぬくもりがとても心地よく感じた。
ロボットは本を閉じた。隣のベッドでは幼い顔をした洋介が眠っている。隣の部屋では優がベッドの上で身体をエビのように丸めて眠っている。ロボットは天井をじーと見ている。優さんは良君に操を捧げず、上杉と言う同級生にやられたんだ! ロボットは頭の後ろで腕を組み隣の部屋の方のかべを見ながら、ふふ、と笑った。
ロボットは女性になるのを止めた。ママが自分とパパと優の弁当を作っている時に元の姿になって来たロボットを見て驚いた。
「どうしたの愛ちゃん? 」
「ええ、藤本のおばあちゃんや森本社長などは言わないけれどやっぱり違和感を感じているのがとてもよく分かるんです。私も一度やってもう満足です。それにメイクも服もめんどくさい。外見で女性になるのは止めますけれど心は女性ですから」
外ではキャップをかぶった男の子が柴犬を散歩させていて、そのそばを新聞配達のバイクが通り各家に新聞を入れている。
ロボットは仕事を増々張り切ってやった。みんなとても喜んだ。
体育の日には洋介の通っている小学校で運動会が行われる。二日前には激しい雨が降り、その翌日の午前中も雨が降り続いていたけれど午後から晴れた。当日の朝からは教職員とPTAの連中がグラウンドに来て準備をやっている。グラウンドには白線が何本も敷かれその上空には児童達が作ったいろんな国の国旗が飾られている。
ママは早く起きて朝から太巻きを作っている。かんぴょう、ホウレンソウ、おぼろ、卵焼き、キュウリを巻く。ロボットも弁当作りを手伝っている。おかずは洋介の好きなソーセージ、から揚げ、マカロニサラダだ。さらに梨もカットされている。出来上がった太巻きが何本もあり、呉服屋の反物みたいに重なっている。太巻きは祖父が大好きで小学生だった優の運動会の時には太巻きと足が速くていつもリレーの選手に選ばれていた優の走る姿を見るのが楽しみであった。ママは重ねた太巻きとその中の具を見ながら自分の父親であり優の祖父が他の選手をどんどん抜いて走る優を見て立ち上がって興奮していた姿が想い浮かんだ。そんな想い出もある。橋本のおじいちゃんもママの作る太巻きが大好きで、いつも一本運動会に行く前におじいちゃんの家に寄ってあげる。パパもいつもの休日よりも早く起きてキッチンに来た。洋介はまだ眠っている。隣の部屋では眼を覚ました優がウォークマンで音楽を聴きながらベッドに寝転んでいる。カーテンの向こう側では良く晴れているのが分っている。パパは運動会で走る事になっていてジャージに着替えてこの日のために買ったスニーカーを箱から出して履いた。外に出るとストレッチをやってからジョギングを始めた。優はイヤホンをはずしてそのまま音楽を停めないで立ち上がったので音が漏れている。
柔軟体操をやっているパパに隣の立花のおばさんが声を掛ける。
「晴れて良かったねえ」
「ええ」
「走るの? 」
「そう、僕は足が遅いから。嫌なんだけどね」
パパは笑顔で走り始める。洋介はまだベッドで眠っている。優はずれたスエットのズボンを挙げて洋介の部屋のドアを開けてのぞいた。ベッドの横にはロボットが図書館で借りて読んだ本五冊が積まれている。キッチンではロボットが太巻きを正確に切っている。ママは朝食用のおにぎりをにぎり洋介の好きななすの味噌汁を作っている。優の髪は乱れていてだらしなくスエットのズボンに両手を入れて階段をゆっくりと降りている。このスエットのズボンゴムがもうゆるいなあ、と思っている。でも、それは優がしょっちゅう手を入れているからゴムが伸びるのだ。パパは少し空気が冷たい朝の空気を感じながら優しい陽射しを浴びて走っていて、前から来た若い男性と小さい女の子が走っていてすれ違った。トイレから出て来た優は朝から揚げ物を揚げている音が聞こえているキッチンに入る。
「また手を入れて伸びるでしょ」と優はママに注意された。おかずはもうほとんど出来ていて、ママはから揚げや天ぷらを揚げている。さらにこの間橋本のおじいちゃんからもらったさつまいもをママは素揚げしていて、それを銀のボウルにさっと入れ、そこに水あめとはちみつを入れてさらに黒ゴマを振り掛けた。大学いもだ! と優は甘い香りをかぎながら椅子に座って様子を見ている。洋介はまだ眠っている。川にも優しい陽射しが映っている。小学校ではもう準備が整えられていてグラウンドではキレイな白線が何本も敷かれている。小学校のそばを犬を連れたおじいさんが通りフェンスの外から中を覗いている。ママは出来立ての大学いもを一つつまんだ。ホクホクと熱い。すぐにアイスティーを飲んだ。甘くて美味しい。優もやって来てつまんだ。熱くてアイスティーを冷蔵庫から出してグラスに注いで飲んだ。熱いから余計にこりゃ美味しいとまたつまんだ。
「もうそんなに食べない」と優はママに怒られた。
パパは汗をかいていて走るのを止めて歩き始めた。
高校のグラウンドには誰もいない。その近くの公園ではキャップをかぶりダボダボの服やズボンをつけた男女五人が朝から音楽を流してヒップホップダンスをやっている。
ある家の前にはハイブリット車が停まっている。白いまだ新しい車だ。玄関のドアが開き若い女性が出て来た。すると運転席のドアが開いて若い男性が出て車のそばに立った。若い女性は出掛けるおしゃれな格好をしていて、その後からその母親が出て来た。男性は母親にあいさつをした。女性は笑顔で男性を見るとそのまま助手席のドアを開けて乗り込んだ。
「それでは行って来ます」と男性は女性の母親に言うと運転席に乗り込んだ。母親は車のそばまで来た。女性がシートベルトをつけて窓を開けると母親に行ってくるね、と言い車が動き出すと手を振った。母親も手を振り車を見送った。その家のリビングのカーテンが少し開いていてそこから女性の父親がその様子をじっと見ていた。
パパは公園のベンチに座り休んでいる。近くから音楽が聞こえ男女が踊っている姿が見える。
お重には太巻きがぎっしりと詰められ、他の段には、ソーセージ、マカロニサラダ、天ぷらが並べられ、もう一つの段には大学いもとカットされた梨が並んでいる。それをママが丁寧に重ねて一番上に蓋をして風呂敷で包んだ。その横には太巻きが二本睨んでいて、おかずや梨もあり、おにぎりと大学いもも少しある。洋介はまだ眠っている。
ある家のリビングでは初老の男性がテレビをつけたまま熱心に新聞を読んでいる。洗面所に男性の妻が行くとお風呂場からシャワーを浴びている音が聞こえる。妻がリビングにやって来た。
「ちょっともうそろそろ速人を起こして来てよ」と妻が言った。男性は新聞を閉じて立ち上がると階段を上がり部屋のドアを叩いた。反応がないのでドアを開けるとベッドで掛布団をはいでうつぶせになりロッククライミングをやっているみたに足を開いてTシャツが少し上がり背中が見えている寝相の悪い自分の二十歳になる息子がいる。
「おい、もうそろそろ準備しろよ、なあ、おい、起きろよ」と父親が言うと、うん、と眠い重たい声が帰って来た。男性はドアを閉めて階段を降りているとシャワーを浴びた娘に会った。父親と娘はぎこちなく何も言わなかった。
パパが帰って来た。汗をかいていてシャワーを浴びに行った。ロボットが二階に上がり洋介の部屋に入るとまだ眠っている洋介に声を掛けた。洋介はパッと眼を覚ますとずっと起きていたかのようにそのまま階段を降りて行った。リビングでは優がテレビを観ている。小学校のグラウンドではキャップをかぶった若い男女の先生が立ち話をしていて笑っているとそこへ荷物を持った男性が現れて、もう席を確保していいだろうか? と聞いたので、男女の先生は顔を見合わせ、はあ、いいですよ、と男性が答えると男性は青いビニールのシートが敷かれてグラウンドとの境のためロープがある前の場所を靴を脱いで荷物を置いて確保した。誰もいないので腕時計を見るとそのままその場所に仰向けに寝転がった。
公園では四人の眼の前で一人の女性がダンスのお手本を見せながら説明していて他の四人は熱心に見ている。
台所では母親がキレイにサバ寿司を並べている。このサバ寿司は源さんの店で作ってもらい昨夜届けてもらった。母親はお吸い物を作っている。お吸い物の中には近所の人からお祝いにともらった松茸が入っている。美雪がやって来た。
「うわー、美味しそう、いい香り、これ松茸のにおい? 」
「そうよ、横野さんが山で採って来てお祝いにってくれたのよ」
「へえ、源さんとこのサバ寿司美味しいそう」
「あんまり食べちゃ打掛切れなくなくなるわよ」
「はーい」
父親がやって来て、テーブルの椅子に座った。さらに寝癖がついてひげを伸ばしているまだ寝ぼけた顔をした速人がやって来た。
「あんた、ひげ剃りなさいよ」と母親が言った。
「分ってるよ」と速人は言った。
ママが作ったおにぎりをママ、パパ、洋介、優がリビングでテレビを観ながら食べている。優は味噌汁を飲み、キュウリの浅漬けを食べている。
「美味しい」と美雪はサバ寿司を食べて言った。速人は姉を見ながら松茸のお吸い物を口にした。
「あちぃ」と舌をやけどすると美雪は笑った。
青空。小学校の校門には小学校大運動会と書かれた看板が立てられている。洋介は体操服を着てリュックを背負うと玄関から勢いよく出て行った。外に出ると友達の富士雄と守が待っていた。三人は元気よく学校へ駆けて行った。優はリビングでテレビを観ている。
純とさつきは純の運転する車で楽しそうに会話をしている。洋介が通っている小学校の前を通ると運動会の準備が出来ている。
「運動会なんだね」とさつきが言った。
「そうみたいだね」と純は言った。
ロボットは散歩をしていて顔見知りがいるとあいさつをする。洋介の小学校には続々と児童が集まっている。
食事を終えた美雪が洗面所の大きな鏡の前で自分の顔を見ながら歯を磨いている。速人がやって来て自分の歯ブラシを取りはみがきをつけて隣で洗面所におしりをつけ鏡の方に背を向け歯を磨き始めた。美雪は嫌な顔をして速人に肩を少しぶつけた。
パパはリビングで新聞を読んでいる。そのそばでは優がテレビを観ている。ママは寝室でメイクをしている。ロボットは長谷のおばあさんの家の庭の木の椅子に座り縁側に座った。おばあさんと話をしている。
公園でダンスの練習をやっていた若者達はコンビニに行ってあくびをしながらそれぞれパンやサンドイッチやジュースを買っている。中年の男性が入って来てかごを持ち入荷したばかりのおにぎり、弁当、おかず、お茶、ジュースをかごに入れている。
速人はうがいをした。美幸はまだ歯を磨きながら嫌な顔をする。歯ブラシをしまって立ち去ろうとする速人の顎を姉は指でちょんと突き上げた。速人は何するんだよ、みたいな感じで右の眉を上げた。
ロボットは長谷のおばあさんと大笑いしている。その家の前を近所の家族が荷物を持って運動会に行っていておばあさんにあいさつをした。ロボットは立ち上がり家に帰った。
純が運転する車は高速道路に入った。さつきはその横でゆっくりとカーブを曲がって上がっている重圧を背中で受け止めながら純と楽しそうに話をしている。
コンビニから出て若者達はそれぞれの家に帰る。自転車に乗り音楽を聴きながらパンをかじって行く。
父親はテレビを観ている。美雪がやって来てそのそばに座った。
パパは汗で汚れたジャージを脱いで別のジャージに着替えている。ママが階段から降りて来た。
「優、運動会に行かないの? 」とママが聞いた。
「行かない」と優は答えた。玄関のドアが開いてロボットが帰って来た。
「愛ちゃんもジャージに着替えたら」とママが言い、ロボットは洋介の部屋に行った。ママは台所へ行って橋本のおじいちゃんに持って行く太巻きとおかずを持って出掛けた。
純の運転する車は高速道路を走っている。サービスエリアに入るとその駐車場には車が多く観光バスも停まっている。二人は車から降りると身体を大きく伸ばして空気を吸った。お互い眼が合って笑った。
ママが橋本のおじいちゃんの家の引き戸を開けて声を掛けるとおじいちゃんが出て来た。ママが太巻きが入った袋を渡すと喜んだ。二人で天気と運動会の話をした。小学校のグラウンドの観客席には児童の家族が集まって椅子に座ったり青いビニールシートで場所を確保している。青空である。
母親は電話をしていて受話器を持ったままおじぎをしている。父親は天気予報を観ている。テレビでは大きな街の空模様が映し出され全国的に晴天で絶好の運動会と行楽日和であると告げた。
玄関ではパパが新しいスニーカーを履き、ジャージに着替えたロボットが荷物を持って立っている。リビングでは優がテレビを観ている。ママが戻って来て優に声を掛けた。優はテレビを観ながら返事をした。ママが外に出るとパパとロボットが待っていて三人で小学校で出掛けた。立花のおばさんが庭いじりをやっていたのでママが声を掛けた。
「晴れて良かったねえ」とおばさんは言った。
「ほんと、じゃあ、行って来ます」とママが答えて行った。小学校の上空に飛行機が通り飛行機雲が出来ている。教室から出て来た児童達がそれを見つけ、うれしそうに空をみんなで見ていると、ぱんぱんと花火が上がって煙が空中に残った。
車は梨園に着いた。農園の入り口の看板には梨狩り千五百円と書いてあり、車から降りた純と彼さつきが手をつないでやって来た。
速人は自分の部屋で椅子に座ってインターネットをやりながら電気カミソリでひげを剃っていると母親がドアを開けた。
「もうそろそろお姉ちゃんをホテルに送ってってよ」
「分ったよ」
下のリビングでは父親と美雪がテレビを観ている。母親が降りて来ると、美雪がトイレに行った。トイレから戻って来ると速人がパーカーを頭からかぶりそのポケットに両手を突っ込んでゆっくりと階段を降りていて、美雪が階段の下に立って弟を見上げた。
「ちょっとここで待ってて」
「は? 」
「いいから」と美雪が言うと弟は理解してふっ、と笑った。美雪はリビングに行って、母親と父親にあいさつをした。
「今まで育ててくれてありがとう、じゃあ、行ってくるね」と美雪は照れて言った。父親は照れ臭そうに笑った。速人が階段を降りてリビングを覗いた。美雪が出てくると、ニヤついた。美雪はまた速人の顎、それはキレイにひげを剃った顎をちょんと指で突き上げた。
グラウンドには全校児童が集まり台に上がった校長先生のあいさつを聞いている。
「それでは第一種目のラジオ体操を始めます。児童のみなさんは準備をして下さい。関係者のみなさん、ご家族の皆様をご参加下さい」と放送委員の男の子がアナウンスする。児童達が幅を取ってひろがり、テントや観客席にいる人達も立ち上がっている。ラジオ体操の音楽が流れた。
速人の運転している車の助手席に美雪は乗っている。車内は速人の吸うたばこの煙が漂っている。前の台に置いている速人の携帯が鳴った。
「ちょっと出てよ」と速人は言った。
「どこ? 」
「右側」と速人が答えると美雪は手を伸ばしてパーカーのポケットから携帯を出して出た。
「はい」
「あ、あれ? 速人じゃない」
「美雪だけど悟君? 」
「あ、どうも、」
「今、ホテルに向かっているの。速人の車で」
「あ、そうなんだ、いや、美雪ちゃんが結婚するって言うんで、よろしくって伝えてもらおうかなと思って電話したんだ」
「そう、それはわざわざありがとう」
「いえ、じゃあ、あらためておめでとうございます」
速人は煙草をくわえている。
「ありがとう」
「おシアワセに」
「どうも、速人と話す? 」
「あ、ちょっとだけ」美雪は速人の横顔に携帯をつける。速人は嫌な顔をする。
「にゃに? 」とタバコをくわえているのではっきりと喋れない。
「今日、飲むかなと思って」
「ああ、いいにょ」
「なんだよ、へんな喋り方して」
「てぃやばきょ、吸ってんだにょ」
「じゃあ、夕方電話するから」
「ああ」と速人は答えると美雪が電話を自分の耳につけた。
「ありがとう、じゃあね、悟君」と美雪は言って電話を切った。隣の速人はたばこを加えたまま煙を吐いた。
優はソファに寝転がってテレビを観ている。
「続いての競技は五年生による徒競走です」と放送委員の女の子が言った。入場門には五年生の児童が集まっている。その中に洋介、富士雄がいて違うクラスの守もいる。観客席ではパパがビデオカメラを持っている。音楽とともに五年生が駆け足でグラウンドのスタート地点へやって来た。
「パパ、洋介よ」とママが言った。ロボットが嬉しそうな顔をする。最初の選手の四人がスターとラインに並ぶと先生が火薬の入ったピストルを上に向けパンと打った。青空に煙が残る。洋介は次の組で座って待っている。一位で澤本という児童が圧倒的にゴールをした。
「やっぱ澤本速いな」と洋介の隣に座っている守が洋介につぶやいた。次の組になり守と洋介が並んだ。パパがカメラをセットする。ロボットも体内に内臓されているカメラで洋介を追う。スタートを切ると一位で洋介が走っている。
「ぎゃー、すごい、洋介君がんばって」とロボットが興奮している。そのまま洋介は一位で駆け抜けた。ギャー、ギャーとロボットはうるさい。
「ちょっと愛ちゃん、興奮しすぎよ」とママがたしなめる。周りの家族は笑っている。
「パパ、撮れた? ねえ」とロボットはパパの身体を揺する。
「あの子は速いねえ、どこの子だろう」とロボットの近くにいるおばあさんが嫁に聞いた。
「うちの子ですよ、おばあさん」とロボットが図々しく言った。
「ほう、あんたのお子さんか? 」
「いえ、私の主人の一人です」
「は? 」
「すいません、私の子です」とママがロボットの口を押えながらおばあさんに言った。おばあさんはママの子供で、口を押えている男性と再婚して男性の子ではないのだな、それで血は繋がっていないけれど初めての子供の運動会で興奮しているのだな、と理解した。
梨園ではさつきと純が梨をもいでいる。手に持ったかごにはたくさんの大きな梨が入っている。
「すごい取れたね」とさつき。
「うん、俺、梨ってフルーツの中で一番好きなんだ」と純。
「私もよ。桃とメロンの次に好き。あ、イチゴも好き。イチゴの次かなあ、マンゴーも好きだから、マンゴーの次ね」
「俺はスイカや柿よりも好き」
「そうね。私もスイカや柿も好きだけどスイカや柿よりも好き」と言うと二人は笑った。
優はゆっくりと階段を上がっている。すたすたとスリッパの音。途中で停まった。じーとスリッパを履いた足を見ている。
ホテルの親族の控室には燕尾服を着た父親がいる。そこには親族が集まっていて、その中にはドレスを着た華と中学生の妹の桃が大人達に混じって大人しく座っている。華が席を立って外に出ると桃もついて行った。ロビーの喫煙席ではスーツを着た速人が一人だけいて、タバコを吸いながら大きいソファに座り手すりに両手を置いている。
「あ、こんなところにいた」と華が速人を見つけて言った。速人は煙草をくわえたまま睨んだ。
「お、来たな、バカ姉妹」
「ひどい」と華が言い、桃と速人のそばに立った。
「お兄ちゃん、ネクタイしてない」と桃が言った。
「おめえもしてないじゃないか」
「私ドレスだもん」
「いいんだよ、ドレスなんて、ガキなんだから制服で、おしゃれしやがって」
「いいじゃんねえ」と華が桃に言う。桃頷く。
「貧乏なくせに、今日はあの、いっぱい喰って帰れよ。それが目的なんだろ」
「うるさい。もう」
「ほんと私達二人でピアノ弾くんだから」と桃が言った。
「いいよ。弾かなくて」
華と桃は速人を睨んでいるがその場から行こうとはしない。
「続きまして父兄の皆様によるリレーです。みなさんしっかり応援して下さい」と放送委員の女の子のアナウンスが流れた。入場ゲートにはパパが赤い鉢巻をして他の親達と並んで待っている。先生を先頭に音楽と笛に合わせて大人達が掛けて来る。みんなほとんどおっさんとおばさんなのでその足取りは重く、砂煙がすごい。
「ああ、パパよ、パパ」とロボット。
「分ってる。分ってる」とママがカメラを構えている。リレーが始まる。運動不足のおっさん、太ったおばさん、足が速いおじさんといろいろいてバトンを渡している。
「きゃー、パパよ」とロボットが興奮してママの肩を揺する。
「うるさいな、分ってる」とママはカメラを向けてパパを撮影している。パパが走り出す。遅い。でも周りもこけたり、バトンを落としたりしている。観客席は盛り上がり大いに笑っている。一生懸命走っているパパは廻りの若い父親や母親の選手に抜かれている。
「きゃー、パパ何やってるの! 」とロボットママの肩を揺する。
「ちょっと手振れがひどい、愛ちゃん! 」
パパはやっとバトンを次の選手に渡すとコースから外れ、ぜいぜいと息をして両膝に両手をつけて息をしている。
優はベッドに寝転がって本を読んでいたけれど眼がトロンとしていて本を置くとそのまま眠ってしまった。
ホテルの教会では神父がウエディングドレス姿の美雪と新郎の前で説教をしている。後ろには父親、母親、速人がいてその後ろには華と桃も立っている。
テーブルに座りカットした梨をさつきと純が食べていると小さい男の子がやって来たのでさつきがいる? と細長くカットした梨を渡すと頷いてそれを持って行った。その子の両親が気づいて、お礼のあいさつをすると、さつきと純は笑顔で頷いた。
「おいしいね。この梨」とさつき。
「うん。サイコー」と純。さつきと純、カットした梨を食べている。
「お昼になりました昼食は観客席か体育館、教室でお願いします。それでは午後のプログラムが始まるまでゆっくり休んで下さい」と放送委員の女の子が言うと観客席の家族が立ったり、児童達がそれぞれの家族の元に走ったり友達と喋りながら歩いている。洋介がパパ、ママ、ロボットの所へ来るとみんなで体育館へ行った。中でシートを敷いて座りそこへママとロボットが作ったお重を出して開ける。朝詰めた太巻き、おかず、梨などの豪華な弁当だ。ママはウエットティシュを洋介とパパに渡した。みんな手を拭いた。洋介は早速大好きな太巻きをほうばった。その後ろで父親がコンビニで買って来た弁当やおにぎりを袋から父親と四年生の女の子が出していて、そばにはその妹の一年生が立っている。小さい女の子は立って父親の背中に抱きついた。父親は注意せずコンビニのおにぎりをほうばっている。女の子は洋介達の豪華な弁当を覗いた。父親が開けてやったおにぎりを後ろの女の子に渡すと女の子はそれをほうばった。ロボットは食べないで正座している。小さい女の子と眼が合うと笑った。女の子も大きく口を開いておにぎりを食べながらロボットを見て笑った。
橋本のおじいちゃんは畑から帰って来ると手を洗いテレビをつけて油揚げの味噌汁を温めた。テレビの前のテーブルの上に冷蔵庫から持って来たママが作った太巻きなどの弁当を持って来て開ける。味噌汁とお茶も用意した。太巻きをそのまま手でつまんで食べた。外は青空が続いている。
優は眼を覚ますと、そのまま下に降りてキッチンに行き、冷蔵庫からママが作った太巻きやらおかずを出した。お湯をやかんで沸かしてカップヌードルを出すと蓋を開けてお湯を注いだ。リビングに太巻きなどを運んでテレビをつけて時間を確認してカップヌードルの蓋を開けると箸で麺をほぐしながら食べ始めた。太巻きを口に入れ、梨を食べジュースを飲んだ。
結婚披露宴が始まり、華は末席にいる。同じ席の美雪の父親のまわりには近所や会社関係の人が来て父親にビールを注いでいる。速人は華を見た。
「おい、華、肉食べるか? 」
「え、お兄ちゃんいらないの? 」
「ああ、朝、サバ寿司食べ過ぎた」
「サバ寿司作ったの? 」と華の母親が美雪の母親に聞いた。
「ううん。源さんとこに頼んでおいたの。あの子サバ寿司好きだから」と母親は言いながら壇上で大人しくウエディングドレスを着て座っている美雪を見た。そばでは新郎の会社の同僚達がマイクの前に立って新郎の話をしている。華は桃と速人からもらった肉を食べている。ホテルマンが来たのでオレンジジュースを頼むと桃も頼んだ。
「いいねえ」と華が飲み放題のオレンジジュースをグラスに注ぎながら言った。
「いいねえ」と桃もグラスに注ぎながら言うと二人は笑った。
さつきと純は車に乗っている。後部座席には梨狩りで採った梨がかごに入ってたくさんある。二人は笑いながら話をしていて、カーナビが目的地に着いたと報告する。
「あ、あったあのレストランよ」
「結構停まってるね」と純は駐車場に多く停まっている車を見て言い車を入れる。二人は車から降りてレストランに入って行く。
優は玄関に座って靴を履いている。立ち上がるとドアを開けて鍵を閉めて歩き出した。よく晴れていて静かだ。いつもの休日ならば子供達のはしゃぐ声が聞こえている。そのままぶらぶら歩いて、橋本のおじいちゃんの家の前を通った。大きな庭にある柿の木の柿をおじいちゃんが手を伸ばしてはさみで切って採っている。
「優ちゃん、これ、太巻きのお礼だよ」とおじいちゃんは言った。
「ありがとう」と優は言い庭に入った。
「とても美味しかったよ」
「それは良かった」
「運動会はもう終わったのかい? 」とおじいちゃんは言いながら優に甘くて大きくて濃いオレンジ色した柿を二個渡す。優はその輝いている大きな柿をそれぞれ両手に持った。いつも柿はもらっていて甘くて美味しい。ずっしりと重い。
「まだじゃない、私は行ってないの」
「そう」
優は柿のお礼を言ってまた歩き出した。
ロボットは大人達に混ざってグラウンドの中にある。借り物競争に出るのだ。ロボットはスタート地点に立つとピストルが鳴り他の選手と共にいっせいに走った。封筒を取ると中を開けた。動物と書かれている。
「動物なんていないわ」とロボットはキョロキョロとあたりを見廻した。他の選手は小さい子供や果物を持っている。
「誰か動物! 動物よ」とロボットは叫んだ。
「あっちにうさぎとかにわとり飼ってるよ」とおばさんが言った。ロボットが行こうすると、観客席からミニチュアダックスを連れて来ていて貸してくれた。ロボットはそれを受け取ると犬は吠えた。噛みつこうとしたのでロボットは思わずよけると犬が逃げ出した。その犬をロボットは追いかけると先にゴールしてロボット捕まえようと後から入った。観客は大いに笑った。ロボットは結局最下位になって悔しがった。
テーブルでは父親が美雪を見ている。立ち上がった。
「どこ行くの? 」と母親が聞いた。
「トイレ」
「兄さん大丈夫?強くないんだから」と華の母親が言った。
「大丈夫よ」と母親が言った。
「ええ、続きまして新婦のいとこにあたられます華さん桃さんの姉妹によりますピアノの演奏です、ここで新郎新婦のお二人は最後のお色直しに向かわれますので皆様拍手でお送り下さい! 」と司会が言うと拍手が起こり新郎新婦の二人が立ち上がって行った。華と桃が並んで座りピアノを弾いている。父親が戻って来た。娘を確認しようとするといない。そのまま席に座った。招待客達は食事をしたり酒を飲んだり談笑している。華と桃の弾くピアノの爽やかな音楽が流れている。
レストランの駐車場から純の車が出て来る。さつきも純も食事には大満足だった。
「ああ、食べ過ぎちゃったよ、梨も食べてるから」
「ほんと、純のお腹出てるよ」とさつきは運転している純のお腹をさすった。さらにその手は純の太ももの上に置かれてときどきさすった。
川を優は橋の上から見ている。陽射しは温かい。流れている水は透明で底までずっと見えている。自転車のブレーキの音がして振り向くと良だった。
「やあ、今日は洋介君の運動会じゃないの? 」
「うん」
「観に行って来たの? 」
「ううん」
「なんだ。じゃあ、一緒に観に行こうよ」
「え、良君、運動会観るの? 」
「ああ、面白いじゃないか、優、行かないのか? 」
「ううん。行く」と優は笑みがこぼれるのをこぼれすぎるので抑えた。まさか、良と出会い二人切で歩けるなんてうれしくてたまらない。
「今日は良君、友也君のところへ? 」
「いや、ずっと勉強してたよ。受験生だからね」
「あ、そうか」
「それで小学校で運動会をやってるんで気晴らしに観に行こうと思ってさ、優は何やってたの? 」
「ずっとテレビ観てた」
「いいな、それが一番だよ」
優は苦笑いをした。ゆっくりと自転車を濃いでいる良の隣を歩いて行く。美郷さんとはデートじゃないの? とか浮かんだけれどせっかくの二人なのにと思って止めた。
運動会では綱引きが行われていて、ロボットは当然、洋介のチームを応援していて力が入っている。けれど相手チームに引きずられて負けた。ロボットはハンカチを噛み引っ張って悔しがる。
「もうパパなんで? 」と隣であぐらをかいているパパの肩を揺らした。
「知らないよ」とパパは迷惑そうに答えた。
車はラヴホテルの横を通りすぎようとしている。さつきと純は二人ともホテルをチラッと見ながら通り過ぎた。
結婚式の会場は暗くなっていて金屏風の前にだけスポットライトがあたり、着物姿の美雪と新郎それにお互いの両親が並んでいて、マイクの前に立った美雪が手紙を読み始めた。速人は大きなあくびをした。華と桃が速人を見た。前では父親と母親が鼻をすすり眼の涙をハンカチで抑えている。速人が従業員を呼び、コーヒーと言った。華は速人を見た。コーヒーが速人の前に運ばれて来た。手紙を読み終わると会場は明るくなり、拍手に包まれた。美雪と新郎がお互いの両親に花束を渡している。速人はスプーンでコーヒーをかき混ぜるとそれを飲んだ。華と桃が不満そうに速人を見ている。速人は二人に気づいて顔を近づけた。
「なんだよ。バカとアホ」と速人が言った。華と桃は顔を合わせて憤慨した。
小学校の前まで良と優は来た。フォークダンスの音楽が流れて中では児童がフォークダンスを踊っている。
「今日は兄貴の友達のお姉さんの結婚式でさ、兄貴はその人の事がずっと好きだったんだ。俺もあった事あるけどキレイな人なんだ。だから兄貴は朝からずっとウイスキーを飲んでるよ」
「へー、私の友達も結婚式に出てるの。いとこのお姉さんの結婚式で妹とピアノを弾くって言ってたよ」
二人はフェンス越しから中を見た。輪になった児童達が照れながら踊っている。良は自転車を止めると中に優と入った。ブランコやジャングルジムには児童の弟や妹の小さい子供達が遊んでいる。観客席の外のまわりでは小さい輪が出来ている。
「あれ、優とこのロボットじゃない」優は瞼が重たくなった。ロボットが小さい子供達と輪を作ってフォークダンスを踊っているのだ。
ホテルエレガントの駐車場には純の車があり、その後部座席には二人が狩った梨が置かれてあり、前の席には誰もいない。
披露宴では新郎と父親があいさつをしている。
「つまんねえだろ、どうせ、近くに住むのに、よくやるよな」と速人。
「うるさい」と華。
「俺が面白い話してやろうか」
華は嫌な顔をして桃に同意を求めると桃も頷いた。
「ちょっとアンタ達静かにしなさい」と華の母親が注意した。速人舌を出して華と桃を見る。華と桃嫌な顔をする。
児童達が男女手をつないで退場している。それを見ながら良と優はブランコのそばに立っている。近くではロボットが小さい子にくっつかれて遊んでいる。
「優はどうするの? 進学」
「進学」
「じゃあ、高校卒業したら家を出るんだ、で、その後は帰って来るつもり、それともそのまま就職? 」
「そんなのまだ分らないわ」
ブランコに乗っていた男の子が降りてブランコだけがキーキーと揺れている。
「良君は? 」
「俺は兄貴がいるからね、兄貴がこっちで就職するから、多分、こっちには帰って来ないと思う、でも、美郷は市役所にもう決まってるから、美郷と続いてたらどうなるか分らないけど」
二人ともグラウンドの方を見た。良の口から美郷という彼女の名前が出て優は寂しくなった。グラウンドでは先生がリレーのコースの白線を引きなおしている。優はパパとママの後ろ姿を視ている。そこへ子供達から解放されたロボットがやって来た。優の顔が厳しくなった。入口から橋本のおじいちゃんが入って来た。優が気づいた。おじいちゃんだ! と優は心の中で叫んだ。
「次はチーム対抗リレーです」男子児童の放送委員。
「各チームから選ばれた男女各学年の選手が次々にバトンを渡して行きます。最終種目なのでみなさんしっかりと応援しましょう」と放送委員の女子児童。入場門を通って各色の鉢巻をした男女の児童が駆け足で入って来た。
暗い駐車場では純とさつきが車に乗ってシートベルトをつけている。エンジンが掛り車がゆっくりと動いて外に出て来る。純とさつきはそこでぶちゅとキスをした。
ホテルの喫茶室では親族が集まっている。大人同士は話をしていて華と桃はそれをジュースを飲みながら聞いている。向かいには速人がいる。
「あー、腹減った」と速人が言う。
「だってさっきほとんど食べなかったじゃない、サバ寿司食べたからって」と華。
「それもあるけど、姉ちゃんとダンナがせこいから安いコースにしたんだよ。お前らも物足りないだろ、あれ、俺が言ってやったんだよ、もっと高いコースにして美味しい物食わせろよって、そしたら、姉ちゃん激怒しやがって、案の定これだよ」
「美味しかったよ。ねえ」と華は桃に同意を求めると桃は頷く。
「うん。デザートのメロンも美味しかったよ」と桃。
「メロンぐらいで満足しやがって貧乏な子供は単純でいいなあ」と速人はコーヒーを取っ手ではなくダイレクトにカップを持ちそのままゴクリと飲んだ。
「失礼ね」と桃怒る。
「この上のコースだとメロンにメロンケーキにメロンパンにメロンジュースまでついてるんだぞ」
「そんなに食べきれないよ」
「速人君の結婚式期待してるから、すごく高いヘウエディングケーキや美味しい料理食べさせてよ」
「もちろんさ、ま、でもお前らは呼ばないけど」
華と桃が怒っているのを速人は笑いながらコーヒーを飲んだ。
「お、洋介君、青チームの選手じゃないか、もっと前に行こう」と良に言われ、優はついて行った。観客席の後ろに並んで立っている。近くには橋本のおじいちゃんが少し曲がった腰に両手を添えて立って見ている。ロボットはそわそわしていて後ろを振り向いたら優がいてなんとその隣に良がいるのを見て、カーとなった。なんで、良君と一緒なの! とロボットは思いつつグラウンドの方を向いた。パン! とピストルが鳴り赤、青、黄、緑の鉢巻を巻きその色のバトンを持った一年生の女の子がスタートするとロボットはグラウンドの方を見た。
純が運転する車の横ではさつきが眠っている。純はガムを噛んでいてさらにまた新しいガムを口の中に入れた。
着替えた速人は階段を降りてキッチンに行き冷蔵庫からコーヒー牛乳をパックごと出してポテトチップスののりしおを持ってリビングに行きテレビを観ながら一人で食べている。母親と父親が帰って来た。
「今日の晩御飯なんだよ」と速人。
「お茶漬けでいいんじゃない」と母親。
「お茶漬け、冗談じゃねえぜ」
「私もパパも疲れてて、いいわ」
「じゃあ、俺は勝手に喰うからいいよ」と速人は言いテレビの方を向いてポテトチップスののりしおを食べ汚れた手でパックを持ちコーヒー牛乳をごくごくと飲んだ。父親は着替えて二階から降りて来るとキッチンに行ってコーヒーを作った。テーブルの椅子に座りまだ熱いコーヒーをゆっくりと飲んだ。どっと疲れているように椅子の肘掛に両肘を置いている。
ロボットは興奮している。洋介の青チームは最下位だ。
「何やってるの! 」とロボットは観客席とグラウンドを仕切っているロープをつかんで揺らすのでママが止める。四年生の男子から五年生の女子にバトンが渡る。四年生までは一人五十メートルであるが五年生からは一人百メートルになる。洋介は自分のチームの女子がバトンを受け取ると立ち上がった。背中に手を当てて閉じた唇をゆがめて見ている。ドキドキしている。隣には同じような藤本がいる。藤本の赤チームは三位だ。順位はかわりそうもない。一位の緑と二位の黄色が近づいて来た。五年生の緑と黄色の選手がバトンゾーンに入った。二人は先にバトンを受け取って走りだした。藤本と洋介も入った。
「洋ちゃんよ、洋介君よ、立派になって」とロボットは興奮してパパに言う。パパはカメラを洋介の方に向けている。
「お、エース登場だな」と良が隣の優に言った。
赤の女子が藤本にバトンを渡した。すぐに青の女子が洋介にバトンを渡そうとする。
「はい」と女子は大きな声を出してバトンを洋介に渡す。洋介は走り出した。半回転しているジェットコースターに乗っているみたいに何も考えず周りの景色が眼に入って来て身体が勝手に動いている。ただ、手を思い切り振ろう、と走る前に考えていてその通りになっていると自覚している。藤本や周りの観客や児童が見えた。藤本と洋介は速かった。すぐに緑と黄色を追い抜いて差をつけた。
「キャー! 」とロボットは興奮する。ママはロボットがうるさいので耳をふさいでさらにロボットのおしりをたたいた。青と赤の児童達は洋介と藤本をそれぞれ応援している。藤本の背中を見ている。洋介は抜ける! と確信した。もうバトンを受け取る六年生の女子が待っているのが見える。カーブを曲がる時、藤本がこけた。その瞬間抜いた洋介は思わず立ち止まり藤本を起そうとしてハッとして先に進んだ。早く! 何やってんだ! と青チームからの声が聞こえた。後ろから黄色と白が来ていた。洋介はすぐに走り出してバトンを渡した。
洋介は待っている六年生の男子に文句を言われた。ドキドキしていた。三角座りをしながら藤本の血が出ている砂混じりの膝を見ていた。結局、六年生の女子抜かれ青は二位になり、赤は三位だった。
「あーあ、なんで! 」とロボットはすねた。
優は橋元のおじいちゃんを見ていた。農作業用のキャップをかぶり少し曲がった背中に手を合わせて置いてずっとリレーを見ているおじいちゃん。
「おしかったなあ」と良が言った。優は良を見た。良は笑っている。リレーの選手達が駆け足で退場している。グラウンドには白線が消えて誰もいない。
「優しさが出ちゃったな」と良が言った。優は誰もいないグランドを見ながら、バカねえ! と心の中で言った。
さつきが眼を覚ましたので純は音楽を掛けた。
「晩御飯何がいい? 」と純。
「純の好きな物でいいよ」とさつきが言ったので純はヤキニク屋に行こうと思った。
全校児童が入場門に集まっている。成績がもう出ていて、一位は黄色、二位は青、三位が赤、四位が緑だった。洋介はぼうとその成績を見ていて先生に注意された。全校児童が再びグラウンドに集まった。
部屋のベッドで眠って起きた。ポテトチップスを食べてお腹は少し油で持たれているけれど空腹だった。部屋を出ると姉の部屋を覗いた。ダンナと住むマンションに荷物を持って行っていて持って行った場所に空間が出来ているけれどあまり変わっていない。下に降りるとキッチンでは両親がお茶漬けを食べていた。速人はコーヒー牛乳を冷蔵庫から出してリビングに行きながら飲んだ。携帯が鳴ったので出た。悟からだった。
「どうだった? 」
「別に、普通だよ」
「そうか、なあ、晩御飯は? 」
「おお、まだだ、ヤキニク行こうぜ」
「いいけど、俺、ちょっと酔ってるから運転頼むよ」
「ああ、じゃあ、迎えに行ってやるよ」
「悪いな、じゃあ、俺がおごるから」
「結構喰うぜ。俺は飲まないから」
「ああ、いいさ、これからも頼むぜ」
「何が? 」
「いいんだよ、じゃあ、迎えに来てくれよ」
「もう行くか」
「まだいい、もうちょっと」
「そうだろ」
「うん。まだだ」
「じゃあ、一時間後に行くから」速人は携帯を切ってリビングに座った。
優は良と帰った。川の橋の上に来た。
「じゃあ、ここで」と良が言った。
「うん。さようなら」と優が言うと良は手を振って自転車で帰って行った。優は一人残り橋の上から川を見た。足音が聞こえて見ると橋本のおじいちゃんだった。
「洋介君、速かったなあ」とおじいちゃんが笑顔で言った。優は笑った。おじいちゃんと帰って別れた。家にはまだ誰も帰っていない。リビングのソファに座りリモコンでテレビをつけた。
夕暮れは短くすぐに夜になった。家々の台所には電気がついている。いったいどんなご馳走を食べているのだろう?
純とさつきは少し早めの夕食を大きなヤキニク屋ですませると大きな駐車場に置いている車に乗り込んだ。駐車場にはこれから夕食をここで食べようと家族連れやカップルの車があり、また新たに入ろうとしている。ライトをつけた純の運転する車がその車と入れ替わるように出て行った。
悟は車で速人を迎えに行った。両親は外出していて良もいたので一緒に行く事にした。大きなヤキニク屋に行こうと悟は行ったけれど速人は小さくて美味しいヤキニク屋があるのでそこに行こうと大通りにある大きなヤキニク屋の前を通りすぎて小さいヤキニク屋に行った。
リビングには洋介、ママ、パパ、優、ロボットが集まっている。
「洋介君、あそこで止まらなければよかったのに! 」とロボットが笑顔で言った。
「バカ! 」と優がロボットに言った。ロボットは自分の言葉が洋介を傷付けたと分ってすぐに両手で自分の口をふさいだ。洋介は落ち込んでソファに座っている。
「じゃあ、洋介の大好きなヤキニク屋にでも行こう」とパパが言い立ち上がった。
「私は残ってますから」とロボットが言った。家族は立ち上がり玄関へ行く。優がロボットを睨みながら玄関へ行った。ロボットは優の厳しい眼を避けながらも気にしている。優は靴を履くとさっとリビングの方を見るとロボットはさっと隠れた。みんな出て玄関のドアが閉まった。リビングからはテレビの音が聞こえている。
速人と良は肉をたくさん食べている。悟は畳の席で壁にもたれてビールを飲み、酔っぱらっている。
大きなヤキニク屋は混んでいた。店員に案内されて席についた。藤本が家族で来ていた。両親と祖父母と妹だ。
「藤本君じゃない」とママが洋介に言った。
「うん」と洋介は恥ずかしそうに藤本の家族の方を見ないように反対の席に座った。優はパパに言って好きな肉を注文した。
ロボットは橋本のおじいちゃんの家にいた。おじいちゃんはママからもらった残りのおかずと魚を焼いて食べている。ロボットはそばに座りテレビを一緒に観ている。
藤本の家族が乗った車が駐車場から出て行った。優は肉をバンバン食べている。洋介も藤本の家族が行ったとママから聞いてからいつものように大好きな肉をたくさん食べ始めた。
さつきを家まで送った。さつきは車から出てドアをバタンと閉めて純に手を振った。純がクラクションを鳴らして帰って行った。さつきはドアを開けて家に入った。
速人は悟と良を家まで送った。悟は赤い顔をして眠っていて良に起こされ担がれて車を出た。良はお礼を言い中に入った。速人は手をにやりと笑って車を動かした。暗い車内で一人タバコを吸いながら音楽を聴いた。大きなあくびが出た。
鉄板の上にはまだ肉が数枚焼かれている。それを食べるのは洋介だ。優達はお腹いっぱい食べて休んでいる。優は窓の外を見ている。大通りをこれからまだ出掛けるのかそれとももう家に帰るのかたくさんの車が通っている。優は片肘ついて顎を乗せている。ガラス窓には自分の姿も見えているけれど見ているのはライトをつけた車の流れである。店の外には大きな看板があり店はライトアップされている。駐車場にはもうほとんど出来上がった七並べみたいに車が並んでいる。そこにはまた車が入って来た。
よく熟された柿が木に残っている。渋柿も熟されると甘くて美味しい。渋柿のほとんどは皮をむいて干されて干し柿になる。ススキを揺らす微風でさえ肌に触れると冷たく感じるようになった。女の子達はスカートに生足なのにマフラーを巻いている。もうそんな季節だ。土曜日の午後家の前にタクシーが停まって白髪でスエードのジャケットを着た男性が降りて来た。タクシーは行った。表札を確認するとインターホンを押した。
「どうも東です」
「ああ、先生お久ぶりです、さ、どうぞ」とママが言うとすぐに玄関のドアが開いてママが顔をのぞかせた。
優の部屋では優が椅子に座りそばのベッドには美沙が寝転がって雑誌を読んでいる。ドアをノックする音が聞こえる。トントン。
「はい? 」と優が答えるとドアが開いた。
「優、ちょっと愛ちゃん呼んで来てよ」
「何で? 」と優は嫌な顔をする。
「東先生がいらっしゃったの、速く」洋介は野球の練習でパパはゴルフだ。
「どこにいるのよ」と優は不服そうに回転しながら立ち上がり半回転したその椅子を美沙が見ていた。
「島本さんの畑の手伝いをやっているわ」
「もう」と優はぷりぷりしながらドアまで行く。
「これで饅頭でも買って来てよ」
「余ったお金で私達のお菓子も買うからね」
「うん、いいから早く、それと愛ちゃんは先に帰らせてね」
ドアが閉まり優とママが階段を降りて行った。美沙はベッドから起きて音楽を聴き始める。窓のそばに行って下を見ると優が自転車に乗って出掛けている姿が見えた。机の引出を開けるとミニアルバムがある。それを開けると自分や恵、華と撮った写真や、空手の胴着を来た優の写真があり、後半はほとんど良の写真ばかりで美沙はふと笑った。
周りの田んぼはもう新米が刈り入れされている。住宅が並んでいる所に島本さんの畑があり、サツマイモの葉が並んでいる。それを島本の両親と祖母、それに島本と妹が収穫していてロボットも手伝っている。自転車が停まる音に気付いたのは島本だけれど気づいてすぐに顔を下げた。島本と優は同じ小学校、中学校の同級生で高校は違う。
「あら、優ちゃんこんにちは」と母親が言った。
「こんにちは」
「愛ちゃんに手伝ってもらってるのよ」
「ええ、ちょっとそのロボットに用が出来まして」
「あら、そう、ちょっとミキちゃん愛ちゃん呼んで来て」と言うとロボットと母親の中間にいた小学四年生のミキは走ってロボットの所に行った。島本はずっと下を向いてさつまいもをいじっている。ロボットとミキが走ってやって来た。
「あら、優さん何か? 」
「いいから、速く家に帰ってママが呼んでるから」
「え、ママが何かしら、分りました、すいませんけど、みなさん帰ります」
「ありがとう、助かったわ。お礼は後で届けるから」
「いいです。いいです」とロボット。
「ええ、いいです」と優。
「お姉ちゃん」とミキは人懐っこく言った。島本は背中を優の方に向けている。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんだよ」とミキが言った。妹に言われ島本は振る向かざる得なかった。
「島本君元気? 」
「ああ」と島本は顔を赤らめて答えた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんの事好きなんだよ。机の引出に卒業式で撮ったお姉ちゃんの写真入れてんだよ」と妹が言ったので島本は顔を真っ赤にした。
「違うよ、みんなで写した写真だろ、バカ! 」
ロボットは道路に上がった。
「じゃあ、途中ですがすいません。帰ります」とロボットは言って走って帰った。
「じゃあ、すいません」と優は挨拶をしてロボットと反対の方向に行った。その後ろで島本の妹の大きな泣き声が聞こえた。
ロボットは玄関に革靴があるのを見てすぐに来客だと分った。リビングを覗くとママが東と話をしていた。
「やあ、久し振りだね」と東はにこやかに言った。東は祖父の教え子で国立大学のロボット工学の有名な教授であり、祖父がロボットを作っている時、何回が来ていてロボットとは顔見知りで、祖父からロボットのメンテナンスを任されてもいる。優しい人であるがロボットは嫌な気がした。
夕飯はゴルフから帰って来たパパがママとコロッケを作った。東はロボットを少し診察しただけで帰って行った。パパはコロッケが得意でひき肉と玉ねぎをたっぷり入れて、小さい俵型にして何十個も揚げる。優も洋介もそのコロッケが大好きで翌日の朝もたくさん食べる。洋介は翌日の朝はそれをトーストに挟んで食べようと夜食べながら考えた。優は夕飯のコロッケをお腹いっぱい食べてお風呂に入った。東のために買って来たシュークリームの他にチーズケーキも買って美沙と食べた。それでもまだチーズケーキとシュークリームは残っているからシュークリームを食べようと思うのだ。お風呂から上がって牛乳パックとシュークリームを持って二階の自分の部屋に行った。椅子に座り美沙が置いて行ったファッション雑誌を置いて音楽を掛けてシュークリームを食べ牛乳を飲みながらページをめくる。牛乳が冷たかった。引出の中を開けてアルバムを出した。そこから良の写真を一枚取り出してジーと見てからチュッとキスした。それをティシュで拭いてしまうとアルバムをめくった。中学の卒業写真だ。自分と華と太って人気のあった男子の森野と島本と四人で写した写真があった。島本はフツーの生徒だった。容姿も成績も運動もフツーである。文化祭の実行委員に選ばれみんなが勝手にお喋りしてまとまらない時、赤い顔して大声を出していたのを想い出した。昼間畑でずっと丸い背中をこっちに向けていた。写真をしまうとシュークリームを全部食べて牛乳を一気に飲み干した。口の中が牛乳臭かった。
ロボットは一人ずっと湯船につかっていた。いつもより長かった。
秋祭りになった。神社の境内には出店が並んでいる。お小遣いをもらった洋介はロボットと神社に行ってタコ焼きを買ったりアメリカンドッグを買って食べた。ロボットはスパーボール救いに夢中になった。ママはスーパーでサバ寿司をたくさん買って来て、茶碗蒸しやお吸い物など他のおかずは自分で作る。パパは町内会で集まり昼間からお酒を飲むのだ。優の部屋には恵、美沙、華が集まってテレビゲームをやっている。ロボットにりんごあめを買ってもらいそれをなめながら洋介はロボットと帰った。優の友達が来ているのが分ったのでそのままバスケットボールを持って公園に行った。橋本のおじいちゃんの家の前を通ると車がやって来て庭に入った。車かの後ろの席から若い女性が二人降りて一人は赤ちゃんを抱いていた。さらに運転席から初老の男性と助手席から初老の女性が降りて来た。
「あら、洋介君よ。岡部さんとこのあなた達会うの久し振りじゃない? 」と初老の女性が言った。
「ほんとだ、随分と大きくなったのねえ」と赤ちゃんを抱いた女性がいた。洋介はリンゴ飴を持っている自分が恥ずかしくなった。
「今、何年生? 」ともう一人の若い女性が聞いた。
「五年生」
「五年生か前会った時、まだ三歳ぐらいじゃかったかしら、美人のお姉さんは元気? 」
「はい」と洋介は美人の姉と言われて確かにそうだけれど弟ながら中身はひどいと思っているので戸惑った。洋介は初老の女性はたまに夫婦でやって来るおじいちゃんの娘で二人の若い女性はその娘で確かに小さい頃遊んでもらった事を覚えている。女性が抱いているのはその子供でおじいちゃんのひ孫になるのだろう、と分った。あの二人とは優と庭でバトミントンをやり手作りのドーナツを食べさせてもらったのを覚えている。女性二人はまだ大学生と高校生ぐらいでその時はよくやって来ていたけれど最近はまったく来てなくて会っていなかった。
「そばにいる方は? 」と赤ちゃんを抱いている女性が母親に聞いた。
「お寿司屋の源さんよ」
「ああ、あそこのお寿司美味しいのよね、おじいちゃんに食べに連れてってもらったわ」
「どうも」と二人の女性はロボットにあいさつをして玄関に行った。洋介は歩きながら赤い飴を歯でかじった。甘くて口のまわりに飴がつきねちょねちょして気色悪かった。やっとリンゴを食べるとすっぱかった。
家に帰ると美沙、恵、華が優と先に昼食を食べていた。恵は洋介がかわいいから、からかった。
洋介は橋本のおじいちゃんの家に来客があった事を告げた。
「ああ、美代さんの娘の真由ちゃんと桜ちゃんよ。真由ちゃんが結婚したって言ってたからその赤ちゃんじゃない」とママが言った。洋介はタコ焼き、アメリカンドッグさらにリンゴ飴まで食べているのでお腹が充分であまり食べれなかった。
「そんなに食べたの? 」とママが驚いた。
「やっぱまだ子供だねえ」と恵が笑った。
「子供、子供」と優は冷たく言いサバ寿司を箸でつまんでいるのを見て、さっき赤ちゃんを抱いた女性が美人のお姉さんと優の事を褒めた事を想い出して嫌な気分になった。
夕飯はカレーだ。サバ寿司がまだ残っていて洋介はそれも食べた。パパはまだ木原さんの家で飲んでいて、電話があった。酔いつぶれているから迎えに来て欲しいそうだ。優がロボットを連れて迎えに行った。木原さんは橋本のおじいちゃんの家の隣である。橋本のおじいちゃんの家の前を通ると庭にたまに来る夫婦の車があり、いつもは暗い家に電気がついている。玄関の引き戸が開きそこから赤ちゃんを抱いた女性ともう一人の若い女性が出て来て、さらに夫婦とおじいちゃんも出て来た。赤ちゃんを抱いていない女性が車のドアを開けて赤ちゃんを抱いた女性が先に後ろの席に乗り込んだ。
「じゃあね、おじいちゃん」と赤ちゃんを抱いていない女性がおじいちゃんに言って車に乗り込むと車は動き出した。おじいちゃんは曲がった腰に両手を重ねておいて車を眼で追っている。ライトのまぶしい光が優のそばを通った。おじいちゃんはその場から動かずにいる。優とロボットはおじいちゃんを気にしながら隣の家に行った。
「もう、パパ酒臭い」と優。パパはロボットにおんぶされている。さっきまで多くついていたおじいちゃんの家の電気はいつもみたいにおじいちゃんがテレビを観て生活している居間だけになっていた。
街の商店街にもクリスマスの雰囲気が漂い始めている。パン屋やケーキ屋、靴屋、洋服屋などの各店の窓にはサンタクロースの絵やクリスマスのデコレーションがなされ音楽も聞こえる。歩いている人、自転車に乗っている人の多くがマフラー、手袋、ニット帽をかぶっている。ロボットは夏でも冬でも関係ないけれどファッションにはうるさい性質なので七色のボーダーのマフラーを巻き、ニット帽をかぶっている。洋介のクリスマスプレゼントは何にしようか? と考えながら本屋に寄った。まだ五時を過ぎたばかりなのにあたりは暗い。図書館では相変わらず本をほぼ毎日五冊借りているけれど、雑誌は本屋やコンビニで立ち読みしたり買う事もある。買った雑誌はママや優が読み、さらに美沙達にあげたりしている。人気女性雑誌の最新号が出た。
特集! セックスよりもキスの時代! ロボットは驚愕した。特集インタビュー人気俳優浜田誠也また一つキスが増えた。人気女優、有本理沙ファーストキスの想い出。キス! キス! キス! ロボットはドキドキした。自分はロボットである。キスはまだやった事がない。セックスも! ただ自分はロボットであるからセックスは出来ない。やれたとしてもペッティングまでだ。ペッティングは身体を触り続ける事、相手は終わりがあるけれどこちらには終わりがない。もしどスケベな女性とそういう関係になったら、自分は心は女性であるから男性に抱かれたい、けれどそれは無理だろう。だから女性とやったらなんか自分がバター犬になったみたいで精神的にとてもまいるのではないかと恐れるのだ。だから、キスはいいと考えていた。だから、サイコーのキスをしたいと憧れていたからセックスよりもキスの時代と書かれたこの雑誌はぜったいに買うと決めた。その手を伸ばした瞬間だった。
「愛ちゃん! 」ロボットは手を素早く引っ込めた。振り向くとマフラーと手袋をした学校帰りの華だった。
「そんなに驚かなくても! 」と華は困惑した。
「学校の帰り? 」
「そうよ、クラブのね」華はワープロ部にいる。当然、ブラインドタッチが出来よそ見しながら異常な速さで打つ事が出来るけれど、癖でそこにパソコンがなくてキーボードを打つマネをすることがあり、自分が頭の中で思いついた言葉さえも指を動かしている事がある。
「何読もうとしてたの? 」
「ABAB」とロボットは恥ずかしかったけれど華には正直に言った。華はABABを見た。
「やだ、キス大特集だって」ロボットは恥らった。でも、華のそういった話は今まで聞いた事がないから恐らく経験はない筈、それに優とは違ってとても心優しい女性なので、一番、性の悩みとかを相談する事が出来る相手なのだ。
「そっかあ、愛ちゃんもキスした事ないんだもんね」
ロボットは廻りに誰かいて聞かれていないかキョロキョロする。
「やだ、華ちゃんだってそういう経験まだでしょ」とロボットは華に顔を近づけて言った。
「ううん」と華は首を横に振った。
「うそ! 処女じゃないの! 」とロボットは声を荒げた。分らないものだなあ、女性って、派手な女性が一途だったり、大人しい子が遊んでたり、とやはり見た眼とは違うのだ。華はロボットの頭をこつんと叩いた。
「声が大きいい! 」
「ごめん、だって」
「私処女だけどキスはあるのよ」とロボットに耳打ちして顔をはなして少し自慢するようにロボットを見た。
「え、誰と? 」
まさか、ロボットが聞き返してくるとは思っていないので華は動揺する。というのは、ファーストキスの相手は角田孝太という同級生だけれどそれは実は小学一年生の時でお互いふざけていてぶつかり唇と唇が重なっただけで、性に目覚めてから意識的にやったキスではないのだ。フダンから美沙、恵、優の仲良しから自分だけはあまりそういった話には触れない。処女である美沙は逆に恵と優に突っ込まれ美沙自身もそれに反抗するように言い返したりしているけれど、自分に対しては触れちゃいけないみたいに気を使われているのが少し気にかかっていたからロボットに対しては見栄を張ろうと思ったのだ。
「倉田孝太」
「え? 」
「倉田元気」と華はとっさについたウソをさらに訂正した。倉田孝太はいない。倉田元気はいたけれど中学二年の時に転向して行った。でもやばいと思った。イケメンで女子から人気がありとても仲が良かったけれど実は恵の初めての彼であった。この事がロボットからばれて恵に伝わるとかなりやばい、それに美沙と優にもバカにされる。
「まあ、知らないけれど、同級生? で、いつ? 」
「それはあの中学二年生でもう彼は転校したの、ねえ、愛ちゃんことのとは絶対にみんなに言っちゃダメよ」と華はロボットのコートの腕の部分を引っ張って言った。
「え、どうして? みんな知ってるんでしょ」
「知らない。知らない。彼は実は恵と付き合っていた初恋の人だから、ばれると殺されちゃうの」と華は半眼になってロボットに言った。耳元から離れた華とロボットはそれこそ唇と唇が重なるぐらいの距離である。ロボットは驚いた。分らないもんだなあ~、キスももうやっていてしかもそれが恵の元彼だったとは見た眼とは違うのだと思う。
「お願いよ、絶対」と華はこんなうそをつくんじゃなかったと後悔しながらとてもきつい眼でロボットを威嚇するように見る。
「それは大丈夫よ、じゃあさ、これ買って来てよ」とロボットはABABをパッと取って華に渡した。
「え、私が? 」
「うん、もちろんお金は私が払うよ。だって、おっさんが恥ずかしいじゃない、なんだったら華ちゃん。他に買いたい本があれば買ってあげるから」ロボットと華はお互い細めで牽制しながら相手から離れた。華はABABをパッと持つと、さらに歩いてて漫画を持って来た。
「これいい? 」と華はロボットに見せた。ロボットは頷いた。財布からお金を出して華に渡した。華はペロンと舌を出してそのままレジに行った。袋を分けてもらいABABをロボットに渡した。ロボットはドキドキしてそれを重たく思った。外に出ると寒かった。前を華と同じ制服で同じようにマフラーをして手袋をした女子高生がライトをつけた自転車で通った。通りを挟んである弁当屋に仕事を終えた作業服を着た男性が軽自動車を前に停めてポケットに手を入れながら注文している。華は自転車に買ってもらった本を入れた。
「ねえ、やっぱりキスっていい? 」とロボットは聞いてみた。
「そりゃ、いいわよ」と華は絶対確実な想像で答えた。
ロボットは華と別れると猛スピードで走って帰る。その姿は人間みたく上半身を動かす訳ではなく下半身だけが異常に動き走っている表現の漫画みたく視えるから初めて見た人はびっくりするのだ。
優は学校から帰るといつものように少し昼寝をしてから空手に行く。玄関で靴を履いているとドアが開いた。ロボットだった。ロボットは、あ、と声に出した。
「何があ! よ」と優は少しあわてているロボットに突っ込みを入れた。
「いや、別に。空手ですか、行ってらっしゃい」とロボットは冷静に答えた。優はロボットが抱えている雑誌に気づいた。たまに買ってくるファッション雑誌だろう、あとで読もうと思いつつ出掛けた。
洋介は自分の部屋で宿題をやっている。ママは仕事から帰って来て夕食の準備中だ。ロボットは優の部屋で雑誌を読もうとしている。いつもなら宿題の邪魔にならないように雑誌はあとで読み、テレビをリビングで読むのだけれどもう我慢出来ないのだ。袋から雑誌を出した。キス! キス! キス! 大特集! ウイーン! とロボットの機械的な音が鳴った。ページを開いた。いきなり浜田誠也が上半身裸で金髪女性とキスをしている写真だった。ウイーン! ウイーン! マイフェイバレットキス! ロボットは記事を読んだ。
この男ほどキスに似合う男もいないのではないか! 十七歳のデビュー作でいきなり人気女優林泉と爽やかなキス! それからも人気女優達と爽やかなキスから濃厚なさまざまなキスをやって来た。とにかく観ている観客をキスだけで納得させ、うっとりさせる俳優もいないだろう。映画、さわやかフルーツジュースで魅せた長くて細いエロティックな指で女優滝沢久美の唇をなぞってからのキスは未だに忘れがたい。キスの名手と言ってもいいだろう。
誠也さんはデビュー作からずっとキスシーンがありますね。
「ハハハ、僕が頼んでキスシーンを撮ってもらってる訳じゃないですよ。恋愛物が多いんで自然にそうなっちゃうんです」
キスシーンはずばり好きですか?
「嫌いじゃないですよ。だってキレイな女優さんとキス出来る訳ですからね。でも歯を磨いたりガムを噛んだりと気はとても遣いますね」
今までいろんな女優さんとキスをやってますけれど一番良かった人、印象に残っているキスは誰ですか?
「そんな優劣なんてないけれど、やっぱりデビュー作の泉ちゃんとのキスは印象に残ってますよ、。僕も彼女も震えちゃって、テストから本番まで何回もやったなあ。撮影が終って試写会で会った時、隣に座っている彼女が僕にぼそっと告白したんだ。誠也君が本当に初めてのキスだからねって、あ、これ言っていいのかな」
へー、そうなんですか、それはすごいですね。
みなさんご存知の通り、ずっと純情なイメージで人気女優になったけれど、その後、俳優の空田カツオとの不倫で清純なイメージが崩れ、医者と結婚して引退したけれど離婚して復帰するも人気が戻らず、いろんな俳優や男性とのうわさが絶えず、ボロボロであったけれど、それが逆に自由な生き方として同年代の女性から支持を受けて人気を取り戻しつつある。その彼女もインタビューで想い出の映画としてさわやかフルーツジュースを上げており、プライベートも含めてのファーストキスだと彼女は言っていないけれど、浜田誠也とのキスシーンが一番印象にあると語っている。
やはりプライベートと映画やドラマのキスとは違いますか?
「そりゃ、違いますよ」
具体的には?
「ま、スタッフの前で自分の意思とは関係なくやりますから、プライベートだといろんなバリエーションがあるでしょ、チュッとしたり、チュ、チュ、チュと何度も小刻みにしたりそれこそ激しいのだったり」
キスの延長線上にセックスがあると思いますか?
「イヤ、僕はやっぱりキスはキスだと思うね。キスだけで相手を満足させる事もある訳だから」
やはりプレイボーイは違う。
ロボットは何度も興奮してそのあとうっとりとした。左眼が勝手に重くなり閉じたり開いたりする。そして何度も浜田誠也とキスをしている妄想をした。それが良に変わって行く。
「洋介ご飯よ」とママの声。洋介がドアを開けて階段を降りている音が聞こえた。
次のマイファーストキス! と言う読者の投稿欄を読む。
彼と初デート! 中二の夏、二人で映画に行って周りが席を立って帰っている時二人だけ残ってキスしちゃった。掃除の人が入って来てドキドキ! 二十四歳、OL。中三の冬休み、友達の家でみんな集まって勉強してて好きでも嫌いでもないちょっと不良の男の子に二人切に偶然なった時に奪われました。気持良かったけれど、未だに腹が立って許せない。私のファーストキスを返せ! 三十歳、主婦。高一の時、金持のおじさんと知り合って食事奢ってもらって料理の個室でその時食べた豚肉のにんにく味がして臭くって最悪! でもご飯が美味しくて良かった。三十八歳、フリーター。
まだキス! 未経験のあなたへ極上のキスを経験していないあなたへ! キス大研究! と特集ページをロボットはめくる。これよ、これ、これ! とロボットは興奮する。
具体的にはみかんがいいでしょう。この場合、白い繊維はキレイに取るとより本物の唇に近づきます。柔らかくてフレーバーもいいです。夏ミカンやはっさくでもかまいませんが、房が大きすぎて唇とあまり感じが出ないのでやはりみかんがお勧め、その房を二つ重ねて取り薄皮と薄皮の間にベロを忍びこませる。この時、房が離れてしまわないように優しくするのがポイントです。文字通りたらこ唇が好きな人はたらこがお勧めです。あまり大きいのはいびつですから形の良い小さい物を選びましょう。辛子明太子は辛いのでお勧め出来ません。やはりたらこがいいです。みかんと違ってしょっぱいですがみかんよりもやわらかく形状が変化しやすいので便利です。もちろん、たらこもみかんも使用した後は食べる事が出来るので家族に怪しまれる事はありません。ただ、もちろん、自分で全部食べましょう。さんざん使って冷蔵庫に戻すのはいくら家族でもルール違反です。
ロボットはきれいなモデルの女性がみかんやたらこを唇にあてている写真を見る。みかんとたらこか! たらこは誰も家で食べているのは見た事がないぞ、みかんはこの間みんな食べてたな、とロボットは思い出す。
続けて、有本理沙のファーストキス! という記事をロボットは続けて読んだ。
若い男女に圧倒的な支持を受け今もっとも輝いている女優の一人有本理沙さん。彼女にキスの想い出を聞いてみる事にする。
ファーストキスはいつですか?
「高二の時ですね。うふ、同級生で一年生の時に同じクラスだった男子です」
どうして笑われたんですか? 想い出して?
「いえ、男子って言っちゃたから当然男子ですよね」
なるほど。じゃ、その男子はボーイフレンドだったんですか?
「それが違うんです。私は好意を彼に対して持っていた事は持っていたけれど他に好きな人はいました。A君は普通の生徒でしたから」
では、どういう状況でする事に?
「私、バスケットボール部の選手で新人で期待されてたんですけれど大事な新人戦の前に足をひねって試合に出れなくて松葉杖をついていたんです。とても悔しくて寂しくて中学の頃からずっと続けて来ましたから。それで少し離れた校舎があるんですがその校舎の階段の踊り場に一人で行って佇んでいたんです。悲しくて悲しくて涙さえ出ました。それで帰ろうと松葉杖をついて階段を降りていると電気がついてないもんですからとても暗くてあと少しってところで人が横から入って来たのに驚いて足を踏み外したらその人が受け止めてその時唇と唇が重なっちゃったんです。すぐはなれればいいんだけれどなんだか二人ともそのままで唇と唇を重ね合わせてたんです。私の沈んでいた心も温かく心地良くなって唇もプルプルしてとても心地良かったから」
その時、相手はA君だと分ったんですか?
「後で分りました。離れているけれど周りの声や車の音が聞こえていて、随分と長い間唇を重ねていましたよ」
で、どうなったんですか?
「誰かがこっちに近づいてくる足音が聞こえて離れました。その時、A君だったんだと思いました。A君には次の日私初めてりょ、と方言で言うと僕も初めてりょ、と言いました。私は誰にも言ってないりょわ、と方言で言いました。僕もた、とA君は方言で言いました」
それから二人は付き合ったんですか?
「いいえ、それきりです。卒業式の日、廊下ですれ違った時にお互い笑いましたけれど」
いい想い出ですね。キスだけの関係って。
「そうでしょう。あの時のA君の学生服のざらっとした感じ、胸の厚み、何より柔らかかった唇の感触とかすべて忘れられないです」
今まで印象に残っているキスってありますか?
「彼が生チョコを食べている時にしたキスかな、彼は甘い物が大好きで生チョコを一人で食べてたんです。私も食べたいって手を伸ばすと彼は食べ物に関しては意地汚い所があって、それに意地悪もあって私の手をパチンと叩いたんです。袋に一粒ずつ入っていてその袋ごと遠避けるんです。私も食べたくて意地になって私も食べたいの! って怒ると、いきなりキスされたんです。その時のココアパウダーの粉っぽい感じとチョコの甘さとビターな感じが舌をベロベロと絡ませていたからすごく感じて。さらに彼はチョコを一粒自分の舌に乗せて差し出してそれを渡しは唇で食べました。何粒もそうやって食べました」
ロボットは両眼の瞼が完全に異常になりずっと半開きになっていた。雑誌を読み終わるとリビングに行ってみかんを一つ持ってまた二階の優の部屋に行った。それを丁寧に向きさらに白い繊維も取って何度も何度もキスをした。
空手から優が帰って来るとお風呂に入ってからご飯を一人で食べて二階に上がり洋介の部屋をノックした。洋介はベッドの上で寝転がって漫画を読んでいてベッドの隣にロボットは座ってラジオをイヤホンで聞いている。
「ねえ、さっき買って来た雑誌貸してよ。もう読んだんでしょ」
「え、そんなの、ないわよ」
「うそ、本屋の袋持ってたじゃない」
「それはその」とロボットは困ってベッドの下から雑誌を出した。
「何、これ、こないだ読んだやつでしょ」とロボットがワザとらしい事をするのでエロ本でも買ったのかしらと思う。優に問い詰められて仕方なくABABを出した。
「なんだABABじゃない」と優は受け取った。優は表紙を見てキス! キス! キス! 大特集となっているが表情を変えないで自分の部屋に行って読んだ。なるほど、ロボットめ、これでもじもじしていたんだ、と優は分った。
美沙に学校の帰りに会った。
「愛ちゃん、食事するようになったの? 」と美沙が聞いた。
「ううん、お菓子とか食べないの知っているでしょ」
「そう、じゃあ、買い物頼まれたのね。スーパーで買い物してたから」
「そうなんじゃない、家じゃないわよ。お年寄りとかに頼まれたのかも」
「そうね、みかんとかたらこをたくさん買ってたから」
優は眼が半眼になった。
つづく。
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