半分とすべて

カワウソ

文字の大きさ
1 / 1

半分とすべて

しおりを挟む
彼女と出会ったのは、大学の友達に誘われた飲み会だった。
目立つタイプではなかったけど、笑うとき前歯がちょっと出るのが可愛くて、つい目で追ってしまった。
「宮崎陽菜です」って、酒のグラスを持ちながら自己紹介する声が、少しかすれてて、それがまた魅力的だった。

そのあと連絡を取り合って、自然に付き合うようになった。
ファミレスでダベったり、近所の公園でコーヒー飲んだり、肩肘張らない関係が心地よかった。

バイトを増やして、陽菜との時間を確保した。
引っ越しの仕事を昼に、深夜のコンビニを週に数回。
デート代を浮かせるために、自分の昼飯は冷凍うどんばっかりだった。
でも、それでも会いたかったし、彼女の「ありがとね」が、何よりの報酬だった。

俺は、陽菜という一人の女の子を愛していた。
それは間違いなかった。



でも、ある日、彼女が打ち明けた。

「……キャバクラで働いてるんだ。藤原レナって名前で」

酔った帰り道、駅の階段の手前でぽつんと。

頭が真っ白になった。
そんな雰囲気はまったくなかったから、現実味がなかった。

「仕事なんだよね?」
そう言うのが精一杯だった。

彼女は「うん」と頷いたけど、目を見なかった。
俺はそれ以上、深く聞けなかった。
その瞬間から、彼女の中に「宮崎陽菜」と「藤原レナ」という二人が棲みついた。

俺は“陽菜”だけを見ようと決めた。
“レナ”を見れば、たぶん壊れてしまうと思った。



それから俺は、彼女の家に居着くようになった。

「一人の夜が寂しいから」と自分に言い訳して。
本当は、彼女が他の男と親しくなる時間を減らしたかった。
同伴やアフターに行ってほしくなかった。

掃除も洗濯も皿洗いも俺がやった。
夜帰ってきた彼女が笑ってくれると、それだけで報われる気がした。

だけどそれは、彼女を信用していない証だった。
信じてますって顔して、実際は疑い続けてた。
その矛盾が、じわじわ自分を苦しめていった。



「今日さ、酔っ払いのおじさんにめっちゃ絡まれてさ~」

ある晩、彼女が帰ってくるなり、笑いながらそう言った。

「……ちゃんと断れた?」

「まぁ……うまく流したよ」

笑いながら話してたけど、俺は笑えなかった。
仕事と割り切ってるってわかってても、胸の奥がざらざらした。

彼女が他の男に触れられている事実を、
「仕方ない」と言い切るほど大人にはなれなかった。

彼女がシャワーを浴びている間に、俺はスマホを見てしまった。

「今日はありがとう、また会いたい」
「レナちゃん、今度個室でゆっくりしようよ」

彼女はそのメッセージに軽く
「やった!個室とか好きなんだよね!ドキドキする」
文末にはハートの絵文字が添えられていた。

それだけで、何かがガラガラと崩れた。


それから数週間後、彼女が言った。

「……ちょっと距離置きたいんだけど」

声は静かで、冷たくはなかった。
むしろ、俺を気遣うような優しさが滲んでいた。
でも、その優しさが一番苦しかった。

「他に……誰かいるの?」

そう聞いたとき、彼女は少しだけ、目を伏せた。
そして、ゆっくり首を横に振った。

でも俺は、もう気づいてた。
彼女のなかに、俺じゃない誰かが入り込んでることを。




その人は、店に何度か指名をくれてた常連だった。

何度目かの指名の日、彼氏との喧嘩のせいで私は営業スマイルも作れず、疲れた顔でテーブルについた。

「……レナちゃん、今日、ちょっと無理してる?」

そう言われて驚いた。
たいていの客は、こっちの表情なんて気にしない。
でも彼は、私の目をちゃんと見て、気遣ってくれた。

それから、彼は私の話をよく聞いてくれるようになった。
派手なリアクションはしないけど、
私が話したことを、いつも覚えていてくれた。

「陽菜って名前も、レナって名前もどっちも好きだな。」
そう言われた夜、なんだか涙が出そうになった。

“レナ”の私を、ちゃんと認めてくれる人がいる。
それだけで、胸がふわっと軽くなった。



ある日、同伴の帰りに彼が言った。

「この仕事を無理に辞めてほしいとは思わないよ。
でも、誰かに消耗されてる君を見てると……少しつらくなる」

その言葉に、私は救われた。
否定じゃなく、受け入れてくれる人。
“陽菜”も“レナ”も、分けずに丸ごと見てくれる人。
そんな人に出会ったのは、初めてだった。




彼女のSNSに、その男との写真が上がった。
高そうなワインのグラス、ホテルのレストラン、
穏やかな笑顔の彼女。
そして、その隣に、落ち着いたスーツの男。

もう、全部終わったんだと思った。

これまで何度も、彼女を奪われる想像をしてきた。
自分にはない“大人の余裕”や“金”や“理解力”を持った男に、
いつか彼女は惹かれていくだろうって、覚悟してたつもりだった。

でも現実が突きつけられた瞬間、
頭じゃ割り切っていたはずのものが、全部、感情になって溢れ出した。

悔しかった。
悲しかった。
でも一番辛かったのは――

俺は、彼女の“全部”を愛せなかったんだってこと。

陽菜だけを、都合よく愛していた。
“レナ”という名前の彼女を、俺はずっと見ないふりをしてきた。
そして彼女も、それに気づいていた。

俺は、彼女の全部を受け止められる器じゃなかった。
ただそれだけだった。



ある日繁華街を歩いていると、知らない男2人組とすれ違った。
「ジュエルってキャバクラ行こうぜ。めっちゃかわいい子いるんだよ!」
「なんて名前の子なん?」
「なんて言ったっけなあ。たしか藤原レナ?だった気がする。」

久しぶりに聞く名前に少し立ち止まる。

今、彼女の名前を聞いても、もう動揺することはない。
SNSを見ても、心は静かなままだ。

だって、僕がみているのは僕が大嫌いだった「藤原レナ」だから。

けど、もしまた誰かを好きになることがあったら、きっと、あの時の自分を思い出すんだと思う。

彼女のことを、本当に好きだった。
だけど、僕が好きなのはあくまでも「宮崎陽菜」だった。あの飲み会の日の彼女の笑顔。あの笑顔をずっとみていたかった。でもそれは彼女の素性を知ってしまった以上、不可能だった。

彼女の半分しか愛せてなかった。
「どうりで、あんなおっさんに負けるわけだ。」
小さい声でつぶやいて、一瞬、目を瞑る。

深く息を吐いて、目を開けて、歩き出す。
俺はもう、俺1人で全部だ。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...