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第一章【リビング・デッドは水死体】
過去、そして現在
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駐車場へと歩きながら神崎は、麻宮から事件の内容を聞いていた。自宅のリビングで発見された遺体。その遺体は近隣の川の水を多量に飲み込んだ水死体であったということを。
「なるほど。自宅にいながら川で溺れ死んだような遺体が発見されたと」
神崎は顎に手を当て、何か考える仕草を見せた。どうにも何か引っかかる、というのが素直な感想だった。
「えぇ。そうです。近隣住民からの目撃証言によって妻は逮捕されました」
「目撃証言?」
麻宮の言葉に、神崎の眉がピクリと動く。
「はい。近くの川から遺体を運ぶ様子が目撃されています」
「なるほど。それならその奥さんは犯人ではないね」
「何故そう思うんです?」
そう聞かれた神崎は、顎に手を当て、空を仰ぐ。言い例えを探しているのだろう。やがて何かを閃いたかのように頷き、口を開いた。
「例えば君と俺が夫婦だったとするだろう?」
麻宮は、神崎の夫婦という例えが余程気に入らなかったのか、苦虫を噛み潰したような表情を見せる。麻宮は、二十六歳にして独身であり、およそ結婚とは縁遠い生活を送っていた。麻宮自身も結婚願望がある訳でもなく、神崎と共に職務に励むことに生きがいを感じているほどであった。
「そんな惨めな結婚生活は御免ですが、今ここは目を瞑りましょう。それで、なんですか?」
「君が僕を殺そうとした時、わざわざ野外で犯行に及ぶかい? ましてや、遺体を家まで運ぶなんて事まで」
「あ、確かに。圧倒的にリスクも高いですし、家で事故や自殺に見せかけた方が利口ですね」
納得したように何度か頷く麻宮。誰しもが犯罪行為は人目につかない場所で、と考えるものだが、それは麻宮も例外ではなかった。
「そういうこと。目撃情報や、恐らくアリバイもなかったから逮捕されたんだろうけど、あまりにずさんな捜査だな」
「仕方が無いですよ。状況証拠が揃っていれば逮捕する。それが日本の警察ですし」
「まぁいいや。これだけで冤罪だと決めつけるのは早計だ。とりあえずその奥さんとやらに話を聞きに行ってみようじゃないか」
「分かりました。車を出しますよ」
「悪いね。助かるよ」
丁度車へと到着した神崎は助手席へと乗り込む。その車は、神崎がどこから稼いできたのかを疑いたくなるような高級車だった。黒く輝く高級セダンの運転席に麻宮が座り、エンジンをかける。傍から見ても身の丈に合っていないことは、誰よりも麻宮が理解していた。しかし、まだ若い麻宮は貯蓄も少なく、こうして自由に乗り回すことが出来る車がありながら車を買おうとまでは思わなかった。
「それで、神崎先生はいつ免許を取るんですか?」
呆れた様な顔で言う。
「それはまぁ、気が向いたらね」
そう言って苦笑いを浮かべる神崎。この車は神崎の趣味だった。運転免許不保持な身でありながら、車には一層のこだわりを見せる神崎。専ら麻宮の所有物となり果てているが、表向きは社用車。ガソリン代も車検も自動車税も、全て神崎が負担している。
「全く。なんで司法試験には一発合格したくせに自動車免許は合格できないんですか」
「人には向き不向きがあるんだ。万が一車を運転しようものなら、俺は月一で自己弁護に励むことになってしまうだろ」
「司法試験と免許の試験の難易度なんて雲泥の差ですよ」
「それは僕にとっては免許が雲で司法試験が泥だね。ほら、麻宮君にとっては司法試験が雲なんだろう?」
「そ、それは……」
麻宮は決してお金を稼ぐためだけに神崎の事務所にいるわけではない。彼女自身が弁護士を志望していたのである。法学部から法科大学院に進み、司法試験を受けるも結果は不合格。法曹界で生きていくことを諦めようとしていたその時に、神崎法律事務所の事務員募集を見つけたのだった。
弁護士バッジを身に着ける事が諦められなかった麻宮は、ここでこれまでよりも知識をつけ、司法試験を受けようとしていた。実際、一年前にも司法試験に挑戦したが、そこでも不合格。麻宮は司法試験の厳しさをこれでもかと痛感させられた。
「そう言えば、麻宮さんは今年司法試験を受けるのかい?」
「まぁ、それも考えてはいますが、前回もダメでしたし、もう潮時なのかなって」
麻宮は笑った。その笑みは、楽しいから出た笑顔ではなく、悔しさを誤魔化すための笑みだった。
「俺がどうこう言える話じゃあないけどさ。もしまだやる気があるなら言ってよ。俺も出来る限り協力するよ」
「それは、ありがとうございます」
運転する麻宮は、どこか嬉しそうな顔をしていた。そんな表情のまま、話を本題に戻そうと、麻宮は神崎に聞く。
「それで、神崎先生はこの事件を担当するつもりなんですか?」
「それは俺が決める事じゃない。その女性次第ってヤツさ」
「しかし先生、相変わらず刑事裁判ではお金を取りませんね。主な収入源が民事だけだからうちの事務所の経営が厳しいんじゃないですか?」
麻宮の言う通り、神崎は刑事裁判で担当した被告人からは一切の金銭を受け取らなかった。警察側の誤認逮捕の被害者である人が、なぜ弁護士にお金を払わなければならないのか、と考えての事だ。
その為神崎が金銭を手にするのは民事裁判の成功報酬が大半であった。それ故に事務所の経営は芳しくなく、新しい事務員を雇おうにも、その給与を支払えるだけの経済力が無く、断念していた。
「ま、何も悪い事をしていないという事を証明するのにお金は取れないよ」
「それは……かつての幼馴染の女性の父親が冤罪によって懲役を受け、獄中死したことに何か関係が?」
「ま、そんなところかな。今の俺ならあの人を救う事は出来た。けど失われたものは二度と戻ってこないんだ。だから俺はこの先、潔白の身でありながら有罪判決を受けてしまう人を一人でも多く救いたいんだよ」
「そうですか」と零す麻宮。神崎は神崎で、辛い過去を抱えているのだと思った。同時にそれをほじくり返すには、まだ早いとも思った。
「それにしても、彼女は今頃何やっているんだろう。父親が逮捕されたショックで母親が自殺。そのまま施設に引き取られていって以来一度も会ってないけど」
神崎は、窓から遠くの景色を眺めながらそう零す。その瞳には、かつての幼馴染の姿が浮かんでいるのだろう。そんな神崎を見た麻宮は、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。
「きっと元気に暮らしていますよ」
酷く月並みな表現だが、神崎はその一言で十分だった。誰かが自分に同意してくれるだけで良かったのだ。
「それならいいけどさ」
「さて、もうすぐ着きますよ。今回の被疑者、藤堂実里さんが拘留されている東京拘置所に」
「拘置所? もう送検されちゃってるんだ。検察側、中々やり口が汚いじゃないか」
「そんな事言ってると、またメディアに非難されますよ」
「あぁ、それは嫌だね」
神崎は、別段気にしている様子も無くあっけらかんと言い放った。
「なるほど。自宅にいながら川で溺れ死んだような遺体が発見されたと」
神崎は顎に手を当て、何か考える仕草を見せた。どうにも何か引っかかる、というのが素直な感想だった。
「えぇ。そうです。近隣住民からの目撃証言によって妻は逮捕されました」
「目撃証言?」
麻宮の言葉に、神崎の眉がピクリと動く。
「はい。近くの川から遺体を運ぶ様子が目撃されています」
「なるほど。それならその奥さんは犯人ではないね」
「何故そう思うんです?」
そう聞かれた神崎は、顎に手を当て、空を仰ぐ。言い例えを探しているのだろう。やがて何かを閃いたかのように頷き、口を開いた。
「例えば君と俺が夫婦だったとするだろう?」
麻宮は、神崎の夫婦という例えが余程気に入らなかったのか、苦虫を噛み潰したような表情を見せる。麻宮は、二十六歳にして独身であり、およそ結婚とは縁遠い生活を送っていた。麻宮自身も結婚願望がある訳でもなく、神崎と共に職務に励むことに生きがいを感じているほどであった。
「そんな惨めな結婚生活は御免ですが、今ここは目を瞑りましょう。それで、なんですか?」
「君が僕を殺そうとした時、わざわざ野外で犯行に及ぶかい? ましてや、遺体を家まで運ぶなんて事まで」
「あ、確かに。圧倒的にリスクも高いですし、家で事故や自殺に見せかけた方が利口ですね」
納得したように何度か頷く麻宮。誰しもが犯罪行為は人目につかない場所で、と考えるものだが、それは麻宮も例外ではなかった。
「そういうこと。目撃情報や、恐らくアリバイもなかったから逮捕されたんだろうけど、あまりにずさんな捜査だな」
「仕方が無いですよ。状況証拠が揃っていれば逮捕する。それが日本の警察ですし」
「まぁいいや。これだけで冤罪だと決めつけるのは早計だ。とりあえずその奥さんとやらに話を聞きに行ってみようじゃないか」
「分かりました。車を出しますよ」
「悪いね。助かるよ」
丁度車へと到着した神崎は助手席へと乗り込む。その車は、神崎がどこから稼いできたのかを疑いたくなるような高級車だった。黒く輝く高級セダンの運転席に麻宮が座り、エンジンをかける。傍から見ても身の丈に合っていないことは、誰よりも麻宮が理解していた。しかし、まだ若い麻宮は貯蓄も少なく、こうして自由に乗り回すことが出来る車がありながら車を買おうとまでは思わなかった。
「それで、神崎先生はいつ免許を取るんですか?」
呆れた様な顔で言う。
「それはまぁ、気が向いたらね」
そう言って苦笑いを浮かべる神崎。この車は神崎の趣味だった。運転免許不保持な身でありながら、車には一層のこだわりを見せる神崎。専ら麻宮の所有物となり果てているが、表向きは社用車。ガソリン代も車検も自動車税も、全て神崎が負担している。
「全く。なんで司法試験には一発合格したくせに自動車免許は合格できないんですか」
「人には向き不向きがあるんだ。万が一車を運転しようものなら、俺は月一で自己弁護に励むことになってしまうだろ」
「司法試験と免許の試験の難易度なんて雲泥の差ですよ」
「それは僕にとっては免許が雲で司法試験が泥だね。ほら、麻宮君にとっては司法試験が雲なんだろう?」
「そ、それは……」
麻宮は決してお金を稼ぐためだけに神崎の事務所にいるわけではない。彼女自身が弁護士を志望していたのである。法学部から法科大学院に進み、司法試験を受けるも結果は不合格。法曹界で生きていくことを諦めようとしていたその時に、神崎法律事務所の事務員募集を見つけたのだった。
弁護士バッジを身に着ける事が諦められなかった麻宮は、ここでこれまでよりも知識をつけ、司法試験を受けようとしていた。実際、一年前にも司法試験に挑戦したが、そこでも不合格。麻宮は司法試験の厳しさをこれでもかと痛感させられた。
「そう言えば、麻宮さんは今年司法試験を受けるのかい?」
「まぁ、それも考えてはいますが、前回もダメでしたし、もう潮時なのかなって」
麻宮は笑った。その笑みは、楽しいから出た笑顔ではなく、悔しさを誤魔化すための笑みだった。
「俺がどうこう言える話じゃあないけどさ。もしまだやる気があるなら言ってよ。俺も出来る限り協力するよ」
「それは、ありがとうございます」
運転する麻宮は、どこか嬉しそうな顔をしていた。そんな表情のまま、話を本題に戻そうと、麻宮は神崎に聞く。
「それで、神崎先生はこの事件を担当するつもりなんですか?」
「それは俺が決める事じゃない。その女性次第ってヤツさ」
「しかし先生、相変わらず刑事裁判ではお金を取りませんね。主な収入源が民事だけだからうちの事務所の経営が厳しいんじゃないですか?」
麻宮の言う通り、神崎は刑事裁判で担当した被告人からは一切の金銭を受け取らなかった。警察側の誤認逮捕の被害者である人が、なぜ弁護士にお金を払わなければならないのか、と考えての事だ。
その為神崎が金銭を手にするのは民事裁判の成功報酬が大半であった。それ故に事務所の経営は芳しくなく、新しい事務員を雇おうにも、その給与を支払えるだけの経済力が無く、断念していた。
「ま、何も悪い事をしていないという事を証明するのにお金は取れないよ」
「それは……かつての幼馴染の女性の父親が冤罪によって懲役を受け、獄中死したことに何か関係が?」
「ま、そんなところかな。今の俺ならあの人を救う事は出来た。けど失われたものは二度と戻ってこないんだ。だから俺はこの先、潔白の身でありながら有罪判決を受けてしまう人を一人でも多く救いたいんだよ」
「そうですか」と零す麻宮。神崎は神崎で、辛い過去を抱えているのだと思った。同時にそれをほじくり返すには、まだ早いとも思った。
「それにしても、彼女は今頃何やっているんだろう。父親が逮捕されたショックで母親が自殺。そのまま施設に引き取られていって以来一度も会ってないけど」
神崎は、窓から遠くの景色を眺めながらそう零す。その瞳には、かつての幼馴染の姿が浮かんでいるのだろう。そんな神崎を見た麻宮は、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。
「きっと元気に暮らしていますよ」
酷く月並みな表現だが、神崎はその一言で十分だった。誰かが自分に同意してくれるだけで良かったのだ。
「それならいいけどさ」
「さて、もうすぐ着きますよ。今回の被疑者、藤堂実里さんが拘留されている東京拘置所に」
「拘置所? もう送検されちゃってるんだ。検察側、中々やり口が汚いじゃないか」
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