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2.女商人の執着
しおりを挟む「コロネ様!コロネ様!ついに!ついに来ましたよ!」
アイオニオン・ニュクスの街一番の大商人、コロネ・カペレイアは、侍女の慌てふためいた呼び声を扉越しに聞いた。
コロネは1日中、商会の帳簿処理をして、今後の商会の経営戦略を考えていたところだった。
商会の長である彼女にとっては、極めて大切な時間であり、よほど重要な要件でなければ、侍女が声をかけてくることを禁止するほどだ。
ところが、今夜はその『コロネにとって最重要な要件』が来たのだ。
コロネは、侍女の声色で全てを察した。
商会の帳簿に没頭していたはずのコロネの頭が、ずっと求めていた返事への期待で一杯になった。
本音では、今にも飛び上がりそうなほどに嬉しい。
それでも、大商人にふさわしい振る舞いを若くして身につけた彼女は、慌てず冷静を装った。
コロネは一言、
「あの方から?」
とだけ扉の向こうの侍女に返した。
「はい!
リベル様からのお返事です!」
「入りなさい」
コロネは侍女を部屋に招き入れ、興奮気味の侍女から手紙を受け取った。
無骨さの中に知的さも垣間見えるような筆跡で、コロネ宛の旨が記載されていた。
この文字の書き方を、コロネが見間違えるはずもない。
差出人の名は、リベル・フォルティス。
コロネにとって、一生をかけても返しきれないほどの───それこそ命を救われることさえあった───大恩人。
そして、数多の男から求婚されていて、その誘いをことごとく断っている彼女が、唯一自分から求婚している相手。
コロネの、想い人である。
「本当に……やっと……」
コロネはリベルからの手紙をぎゅっと胸に抱いた。
何通も手紙を送った。
何度も会いに行った。
それでも、彼は返事をくれなかった。
会って顔を合わせてくれなかった。
コロネは分かっていた。
彼がコロネのことを想って、あえて会わないようにしていることを。
彼には使命があり、コロネと添い遂げるのは難しいと考えていることを。
彼が進む先には、非常に高い確率で死が待っていて、それでも彼は進み続けるのを選んだことを。
だが、コロネは諦められなかった。
コロネは、リベルを愛している。
コロネの人生でもっとも辛い時期に寄り添ってくれたのは、リベルだ。
コロネにとって、リベルの存在はあまりに大きくなった。
商会の長の立場、そしてコロネの美貌に惹かれて寄ってくる男は数多くいる。
だが、コロネはその誘いの全てを断っている。
コロネは、リベル以外の男と結ばれることを、微塵も考えていない。
もちろん商会の長という立場を考えれば、コロネは権力を持った商売人や政治家などといった、自分よりも社会的地位の高い男と結婚するのが妥当ではある。
だが、コロネはそれを望んではいない。
コロネにとって望ましい相手。
それは、時にコロネの弱いところを受け入れつつ、コロネが道を誤りそうになったときに道を正してくれる人物。
そして、行く先が厳しく恐ろしい地獄であろうとも、共に肩を並べて立ち向かってくれる男だ。
リベル・フォルティスという男は、コロネにとってそのような存在であった。
そんなリベルからの手紙。
コロネの胸の鼓動は早くなるばかりである。
「手紙をどうもありがとう。
あなたは下がりなさい。
今日はもう、仕事を終えて良いから」
胸がこの上なく高鳴っているのを抑えつけれないのを侍女に悟られないように、コロネは侍女を下がらせた。
これ先も侍女がいると、コロネは感情が乱れるがあまり、女主人としての風格を維持できる自信がなかった。
「は、はい!失礼します!」
侍女はコロネに一礼すると、慌てて部屋を出て行った。
慌てていたものの、侍女の顔は、明らかにニヤけていた。
おそらくコロネの興奮が、侍女にはお見通しだったのだろう。
侍女たちの間で、コロネとリベルの恋仲は、数年前から興味関心の中心だったのだから。
もちろん、侍女たちも二人の仲を応援する者ばかりである。
あの侍女は、大喜びで他の侍女たちに噂を広めるのだろう。
そんな侍女を見送りつつ、コロネは改めて手紙に目をやる。
そして、何度もその手紙に記された差出人の名前を確認した。
リベル・フォルティス。
間違いなく、コロネの最愛の人からの手紙だった。
さて、待望の手紙ではあるが、その内容について、コロネは予想できていた。
その内容自体は、コロネにとって好ましいものでないことも。
おそらくリベルは、コロネに別れを告げるつもりだ。
今まで沈黙を守ってきたリベルが、このタイミングになって手紙を返して来た意味。
リベルは気付いたのだろう。
コロネがあらゆる手を尽くして、リベルの出発を妨害してきたということを。
困り果てたリベルは、コロネが完全に諦めるように、はっきりと別れを告げようとしていると考えられる。
コロネにとっては、リベルに拒絶されているという事実を受け入れるだけで、めまいを起こしそうなものだ。
その事実が、手紙を開く手をためらわせる。
それでも、この手紙がコロネにとって、彼との関係を進める手がかりになることを確信している。
少なくとも、彼は何も言わず、強硬手段を取ってコロネの元から立ち去るような男ではなかった。
それだけで、コロネには勝算があった。
コロネは心臓の鼓動を抑えるため、何度も深呼吸した。
そして、大きく息を吸って一気に手紙を開封した。
「……………。
……!」
手紙を開封したコロネは、リベルからの文章を一息で読み終わった。
なるべく、心の痛みを減らすために。
それでも、胸の奥から悲しみが湧いてくる。
内容はやはり、別れの言葉だった。
コロネとは結婚できないと、はっきりと書かれていた。
「…あ…ああ…!」
コロネは、商会の女主人となってから、自身の感情を制する術を学んでいた。
両親が亡くなった時と比べて、公の場で涙を流すことも、取り乱して神経質な声をあげることもしなくなった。
それでも、リベルのことになると、かつて小娘だったときのように、感情を抑えるのが難しくなる。
リベルから拒絶されたという事実は、コロネの心に深い悲しみを打ち込んだ。
「うっ……ううっ……」
コロネは居室のベッドに倒れ込み、あふれる涙でシーツを濡らした。
事前に予想していたことではあるが、コロネは自分でも驚くほどに、リベルのことを愛していた。
それ故に、コロネは独りで泣き腫らした。
その美しい顔を、涙に染めながら。
───しかし。
「……ふ、ふふ……ふふふ」
しばらくして、コロネは小さな笑い声を漏らした。
そして、少しばかり狂気的とも言える声色で、独り言を放つ。
「リベル様。
あなたは甘いのです。
本当に私の手から逃れたいのであれば、私に何も告げず、力ずくで街から脱出すれば良かったのですから。
あなたにはそれを出来るだけの能力がある。
もちろん、そうしたとしても私は全力であなたを連れ戻しますが。
しかし実力を行使せず、私にノコノコ会おうとするのは、私への情けでしょうか?
嬉しいことに、私への情をあなたは捨てきれなかったのですね。
それこそが命取りになると、分かっていたのに。
…うふふ。
これは、戦いです。
あなたと私の、愛と未来を懸けた戦いなのです。
あなたはわたしの身を案じて別れたがっているようですが…その心配は無用ですよ。
私は必ず、あなたの側で死にます。
私が生きる場所も、死ぬ場所も、あなたの横を置いて他に有りはしないのですから。
私は残りの生涯を、あなたに捧げるつもりです。
だからこそ、あなたと共に過ごして危険な目に合うことなんて、なんの障害にもなりません。
あなたが私より先に逝くことも許しません。
別れの挨拶のためとはいえ、あなたが私の屋敷に来る以上、絶対にあなたを逃すこともありません。
必ず、あなたを私の夫にしてみせます」
コロネはリベルの手紙を胸に抱き、狂気と愛情が入り混じった笑みを浮かべた。
「愛しています…リベル様」
コロネはそう言って、リベルへの返事の手紙を書き出した。
それと同時に、リベルを自分に縛り付けるための策謀を、いくつも頭の中で考えていた。
コロネ・カペレイアという女は、とっくの昔に壊れていたのだ。
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