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厄介ごとの火種
利己に咲くヒガンバナ②
しおりを挟む「なんだ、この匂い」
朝から歩き続け、垣間見えていた太陽が再び姿を隠した頃。突然賊の男が顔を顰めた。
「? どうかしたの? 」
プロミが数歩先を歩いていた男に近づく。
だが、男はプロミには目もくれず、見えない何かを見ようとする様に目を細めて前を見つめた。
「おい、ナチャさん。あんた鳥だろ? 今なんか匂わなかったか? なんつーかこう……なんかが腐ったみてぇな臭いだ」
鼻をつまみながら男が私に尋ねてくる。
鳥ならどんな種でも鼻が効くとでも思っているのか、コイツは。
「生憎だが、鴉《からす》は非常に嗅覚の弱い動物でな。プロミがわからないのならお前の気のせいだろう」
「わ、わたしも……しないと思う……ます」
カナタが私に賛同する。
「確かにもうしねぇが……気のせいだったのか? 」
男はいまいち納得がいかなかったのか、1人でぶつぶつとしばらく何か言っていたが、諦めて再び歩き出した。
若干の斜面を全員が無言で下りていく。
しばらく前から、私たちは大きなすり鉢上の盆地の下り坂を底に向かって進んでいた。
直径1キロちかくはありそうな巨大な盆地だ。
地形など、風で舞った灰がその日その日に偶然で生み出すものだが、こんな面白い地形が見られるのも運が良い。
下に吹き込むように風が吹いているのだろうか?
「ゲホッ、ケホ。ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ」
突然背後から咳き込む音が響き渡り全員が後ろを振り返る。カナタがプロミの背中で咳をしながら、苦しそうに顔を歪めていた。
「どうしたのカナタちゃん⁈ 」
「ゲホッ、ゲホッ、ゴホッゲホッゲホッ」
プロミが慌てて背負っていたカナタを抱き抱える。
だが、呼びかけてもカナタは激しく咳を繰り返すだけだった。病気にしては突然過ぎる。なんだ。何が起きている。
「お、おい。大丈夫なのかよ、その子」
賊の男も子供の様子がおかしいのは流石に不安なのか、心配そうに近づいてくる。
「よく分からねぇけど、ひとまずどっかで休ませた方が良いんじゃねぇか? 」
「……そうかもね」
少し考えた後プロミがバックから寝袋を取り出し、地面に置いた。抱えていたカナタをゆっくりとその上へと下ろ——
「待てっ!! 」
我ながら驚く程大きな声が出る。
驚いたプロミが、ビクッと体を震わせカナタを抱えたまま固まった。
「ど、どうしたのナチャ? 」
混乱した顔のプロミの顔に、私自身も混乱する。なぜ私は今叫んだんだ? カナタを地面に置こうとしたから……だからなんだと言うんだ?
「少し、待ってくれ」
何かが引っ掛かる。状況を整理しろ。普段と違う事はなんだ?
腐敗臭に、カナタの咳。
今日は無風で、空はぶ厚い灰の天蓋が覆っている。場所は奇妙な盆地————
「硫化水素か!! 」
「りゅーかすいそ? 」
状況を分かっていない男が怪訝そうな顔を浮かべる。
だが、その物質の正体を知るプロミは、直ぐに周囲を見回すと顔を真っ青にし、カナタの口をハンカチで押さえ頭上に掲《かか》げた。
「こんなタイミングで……! ガスマスクって余りあったっけ」
「プロミの分しか無い。私はガスの上を飛べるが…… 」
このままでは数分後、間違いなく賊とカナタは死ぬ。
私の言外の意図を察したプロミの額を、冷たい汗が流れた。
「なぁ、なんの話してるんだ⁈ 教えてくれ! 」
何か自体が急激に悪化していることを察したのか、焦ったように男が喚く。
「硫化水素は火山から噴出する自然界の毒ガスだ。空気より重く、条件が揃うとこういう低地に滞留することがある。恐らくカナタの症状はそれが原因だ」
細く息をするカナタを見上げる。
今まで実物に遭遇したことはなかったが、まさかこんな大所帯の時に出くわすとは。
「かざんって……火山⁈ そんなもん、全部、灰炎の日に灰になっちまったってじいちゃんが—— 」
「奇跡的に不燃地層に覆われて燃えなかったと思う他ない。私たちも初めて見る。だが……くそっ。硫化水素の特徴である腐臭。あの時点で気づくべきだった」
自分の鈍感さを悔やむ。
この妙な盆地は火山湖跡だったのか。
もっと早くここが火山地帯だった事に気づければ、この盆地を引き返すだけでどうにかなった。
だが、プロミの背中におぶられていたカナタに症状が出ていると言うことは、最早事態はそう簡単ではない。
既に私たちの口の高さまで硫化水素が充満しかけている。私たちに症状が出ていないのすら単なる気流の気まぐれ。
ここから走って戻ったところで、動きで攪拌されたガスを吸って終わるのが関の山だろう。
選択肢は無いに等しい。賊の男の報告を蔑ろにした、私の責任だ。
「……仕方ない、か」
突然、ポツリとプロミが誰に言うでもなく独りごちる。
その顔の強い諦念の色から、私にはプロミが何を考えているのか言葉を交わさずとも分かってしまった。
「プロミ。本当にそれで良いのか……? もしかしたら他に手段が……それに、私たちだけなら今すぐにでも—— 」
「大丈夫」
私の嫌いな……どんな時よりも美しく、儚い顔でプロミが笑った。
「だからさ。ナチャもそんな事言わないで。みんなで生きて旅を続けるんだよ」
「……すまない」
「いいってば。センジュさん! 」
プロミがカナタを男に渡す。
「少しの間、カナタちゃんをこうやって持ち上げておいて。低いところにはガスが溜まってるから」
「お、おう」
今までにない淡々とした物言いに、驚いたような表情を浮かべて男がカナタを抱え上げる。
両手が空くと、プロミは両手のグローブを外した。
プロミが浅く息を吸い、両掌を地面に向ける。
刹那、プロミの手の周辺の大気が、歪んだ。
「——戯火——」
ドバッという、おおよそ炎には似つかわしくない音と共に、プロミの両手から、落ちてしまいそうなほど、深くドス黒い蒼黒の炎が噴き出した。
コールタールのようにギチギチと粘ついた、液体のような炎は、プロミの手元から空気に、引火していく。
「……」
無意識に体が震えていた。
通常の炎では決してあり得ない、その光景が、言いようのない恐怖で私の心を掻き回す。
プロミの手元から蒼炎は、爆発的な勢いで空中を伝い、その体積を増やしていった。
白紙に黒いシミが広がっていくように、盆地全体がプロミの炎で覆われていく。
だが『灯』同様、まるで熱くはない。
地面どころか、空気そのものに引火しているはずだというのに、呼吸にすら苦労しない。
好都合なことこの上ないのだが、その不気味さがかえって私の呼吸を苦しくした。
「うぁぁぁ…… 」
耳元で小さな嗚咽が聞こえる。
横を向くと、一帯を包む蒼炎の中で、プロミは歯を食いしばりながら、大粒の涙を溢し、静かに泣いていた。
「喰炎」
ポツリと、カナタを抱え上げていた賊の男が呟く。
男の腕の中のカナタは炎に包まれていたが、呼吸は安定していた。
だが、穏やかな表情を浮かべたカナタとは対照的に、男の顔は、ぐちゃぐちゃに歪んでいた。
その表情が表すのは、悲哀か、怨恨か、畏怖か、憤怒か。
或いはその全てなのかもしれない。
プロミの力を見せてしまった今、何を男が感じていてもおかしく無かった。
男がカナタを抱えたまま、尚も広がり続ける炎渦の中心で涙を拭うプロミに近づく。
そして俯くと、絞り出すように、一言、
「あんた、火葬人だったのか」
とだけ言った。
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