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【高校編】分岐・黒田健

イントネーション(side健)

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 設楽は、「母親の記憶がほとんどない」と言った。「悲しくない」とも。

(じゃあ)

 俺はほんの少しだけ疑問に思う。

("おまじない"は誰との記憶だ?)

 新聞に載っていた、設楽の母親のはずの女性を見て設楽は「この人」と言った。
 昔、設楽が「自分の母親」について話したことがある。"おまじない"もその流れで教えてもらったものだ。
 あの時の表情は、確かに愛情を抱いている相手を思い出してる時のものだった。
 だから、作り話なんかじゃない。
 そして、その相手に対して「この人」なんて形容も相応しくない。
 俺の家に来た時の、「前こんな家に住んでた」っていう発言も。

(……ま、いいか)

 そのうち話してくれんだろ、と俺は切り替えた。そんなことは大きな問題じゃねーんだ、少なくとも、俺と設楽の間では。
 隣を歩く設楽を見下ろす。少し緊張してるみてーだけど、いつも通りの表情だ。
 指定された、東京駅近くの商業ビル。エスカレーターに乗って約束のカフェに向かった。

「ここかな」

 設楽がそう言って、店内を見回す。少し奥まった席で、手を挙げた男性がひとり。

「設楽さん?」
「あ、はいそうです、すみませんお忙しいところ」

 設楽に続いて、俺は軽く頭を下げた。その人、アキラの父親がいるテーブルへ向かう。
 店内はなんつうのか、明治だか大正だかの雰囲気。
 店に入った時、設楽がぽそっと「大正ロマンってかんじ」と言っていたので、多分そんな感じなんだろう。

「日曜日もお仕事なんですか」
「まぁ少し立て込んでいてね」

 座りながら設楽が聞くと、山ノ内さんはそう肩をすくめた。

「ええと、そっちは黒田くんだね」
「うす。よろしくお願いします」
「話は聞いてるよ。えーと、脳筋」
「……おたくの息子さん次会ったらシメるっす」
「あはは、勘弁してあげて」

 山ノ内さんは軽く笑った後に、「で、どこから話せばいいのかな」と小さく言った。
 
「単刀直入に聞きます。私の母親の事件を担当したのは、山ノ内さんですか?」

 山ノ内さんは少し目を細めて「そうですね」と答えた。

「教えて頂けませんか。事件について」
「それは難しいかな」

 山ノ内さんは小さくいった。

「なぜです」
「ちょっと、事情があって」
「事情?」
「そう」

 どうあっても言わないぞという表情の山ノ内さんに、設楽は「それなら」と言った。

「それなら、私が覚えていることを話すので、それが事実かどうか、それだけを教えてください」

 山ノ内さんは少し考える表情になって、それから「わかった」と頷いた。

「季節は、多分冬だったと思います」
「冬?」
「違いましたか」

 設楽が問い返す。

「雪が降っていたので」
「あってるよ」

 山ノ内さんは静かに答えた。

「時間は早朝、まだ夜だったかも。4時前とか、それくらい」

 今度は山ノ内さんは聞き返さなかった。静かに紅茶を口に運ぶ。

「アパートに住んでたと思うんです」

(やっぱり)

 俺の家に来たときの「前住んでいた」は少なくともこの母親と、じゃない。

「寝室で寝てて、リビングから物音がして」

 設楽は思い返すように言う。

「なんやろうと思って、」

 唐突にでたその設楽の言葉に、俺は驚いて彼女の顔をそっと窺った。

(関西弁)

 設楽の表情は変わらない。

(気づいていないのか?)

 山ノ内さんはじっと設楽を見ていた。

「音がして、私、襖開けたんです」

 関西のイントネーション。

「そしたら、お母さんが変な男の人に馬乗りになられよって、そんで、その男の人、包丁持っとって。びっくりして、私、思わず叫んでしまって」

 設楽は必死で言葉を紡ぐ。

「その人、私の方見て。そしたらお母さん、その人に掴みかかって、華、逃げなさい言うから、でも私、お母さん置いて逃げられんって思って、その人引っ掻いたんです」

 山ノ内さんはぴくりと反応した。

「引っ掻いた、んだね」
「はい、引っ掻きました」

 設楽ははっきり頷く。

「そしたらその人、なんか叫んで、立ち上がって私の方に。包丁振り上げてきたから、あかん思って、ベランダの方に逃げて、お母さんがその人の足にしがみついて。そこでもみ合いになって、私、ベランダから落ちたんです」

 山ノ内さんは小さくうなずく。合っているよ、というように。

「多分2階とかやなかったかなと思います。落ちた時、なんか麻痺してたんか、あんま痛くなくて、でも空から落ちてくる粉雪の様子ははっきり見えてて。綺麗やな、って思ったんです」

 そこで、設楽ははあと息を吐いた。

「これで全部です」

 そう言って「あってましたか?」という口調はいつも通り。どこにも関西のイントネーションはなかった。

(そうだ)

 設楽は転校してきたとき「神戸から来ました」と言った。
 そのあと聞かれた「関西弁しゃべれる?」に「話せない」とも答えていた。

(だけどさっきのは、関西の言葉だった)

 設楽本人は全く気が付いていないけど。

「ねえ設楽さん」

 山ノ内さんは真剣な目をして言う。

「その犯人の顔、覚えてる?」
「あ、はい、あ」

 設楽は急に口を手で押さえた。そして真っ青な表情で俺を見る。

「黒田君」
「どうした」
「さっきすれ違った男の人」
「おう」

 地下鉄の駅から上がってきてすぐにすれ違った、あの変な奴。

「あの人、同じ顔してた。お母さんを殺した人と」
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