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玄界灘の潮風

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 中型クルーザーは、玄界灘を突き進む。

「いい風~」

 潮風に飛ばされないよう、麦わら帽子を片手で抑えて言う華は(いとこバカかもしれないけれど)とても可愛い。白いワンピースも相まって、ひと昔前の映画女優みたいだ。

「あ、見てきれいー」

 日和が言って、僕らは振り返った。さっき出航した福岡の港が背後に見える。ドームとタワー。

「明後日さあ、帰り、野球見て帰ろうよ」

 翔がスマホをいじりながら言った。

「ほら、デイゲームだから、帰りの新幹線ずらしたら観れるよ」

 スマホで試合日程を見せてくる。

「えー、そんなに興味ない」

 日和は口を尖らせた。

「それより観光したいな、ねぇ圭くん」
「そうだね、元寇土塁とか観たいね」
「……ごめんそれも興味ないや。華ちゃんは?」
「んー? なんでもいいよう」

 華はこれから観れる「葛飾北斎の幽霊」に興味津々で気もそぞろだ。

「あとどれくらいで着くんだ?」

 健が言ったタイミングで、デッキに大橋さんが上がってきた。

「もう着きますよ」

 大橋さんは、雑餉隈さんの屋敷の管理人を任されているらしい、白髪の男の人だ。博多駅まで、僕らを迎えに来てくれた。

「住所も実のところ福岡市内ですしね、離れ小島っていうわけでもないんです。あ、ほら、あれですよ」

 少し先に見える、小さな島。
 それを見つめて華が言った。

「わぁ、ほんとに圭くんが言ったみたいになりそうだねぇ」
「僕?」
「そう」

 華はにこりと笑う。

「殺人事件とか、起きちゃいそう、なんちゃって」
「縁起の悪い会話してんなぁお前ら」

 呆れたように健が言った。

「あれでしょ、台風で閉じ込められて」

 日和が話に入ってくる。

「そういえば、台風来てるって」
「アレは紀伊半島の方に北上するっつってたぞ」

 健が答えた。

「あ、ほんと? 良かったぁ」

 日和が安心すると、大橋さんが「いやはや、そんな推理小説のようなことが起きては困りますな」と笑った。

「セオリー通りに行くならば、最初に殺されるのは、わたくしではないでしょうか」
「え、そうですか?」
「管理の必要性上、わたくしはマスターキーを保持しておりますので」

 大橋さんは苦笑する。

「まず犯人はその鍵を奪うのではないか、と」
「あ、それじゃあ大橋さん最初ですね、えい」

 日和が刺すようなジェスチャーをして、大橋さんは少し嬉しそうに笑った。
 なんとなく、その笑い方に少し嫌な感覚を覚えて、こっそりその表情を凝視してしまうーーちょっと要注意かも、このじーさん……と言うには少し若いかな。60代後半くらいか。
 じきに船は、小さな港についた。

「ほんとに小さい島だね」

 僕の言葉に、大橋さんが頷く。

「大人の足なら、数時間で一周できますよ。明日にでも散策されてみては?」

 山にさえ入らなければ危ない島ではないですよ、と大橋さんが言う。

「あれ、船、帰っちゃうの?」

 日和が桟橋から離岸しつつあるクルーザーを見て言った。

「はい、あの船はチャーターしてあるものでして、次に参りますのは明後日の午前中です」
「え、他の人は?」

 華がきょとんと言う。

「もう到着されてますよ」

 大橋さんは、なだらかな坂の上に建つ洋風の建物を指差して言った。

「俺らが最終か」

 健の言葉に、大橋さんは頷いた。

「ええ、今頃ご歓談中のはずです。あ、お荷物」
「大丈夫ですよ」

 女性陣の荷物だけでも、と大橋さんが言ってくれたみたいだけど、華も日和も微笑んで辞退していた。

「持ってもらったら? 大橋さんもその方がいいだろうし」

 お客さんに荷物持たせて手ぶらで、ってちょっと気まずいだろう。

「えーと」

 僕の言葉に、華と日和は顔を見合わせて、それからボストンバッグを1つずつ差し出していた。
 なだらかな坂を登る。なだらかだけれど、ちょっとダラダラした坂ですこしきつい。

「圭くん大丈夫?」

 日和が手を差し出してくれた。日和の顔を見上げながら眉を下げる。情けないなぁ、僕。

「んー」

 カッコワルイので引っ張ってもらうのはジェスチャーで断って、それから僕はなんとか返事した。

「日光がそもそもキツイ」
「外でないもんね、圭くん」
「うん」
「……あ、健、うまいことやってる」

 日和の一言にバッと振り向く。

「あはは! らくちーん」
「ヒールなんかで来るなよな」
「こんな坂あるなんて思わないもん」

 華は健に背を押してもらっている。かなり楽しそうだし。
 じとりとした目で健を見ると、「お前も押してやろうか?」と普通に言われた。

「いーよ」

 ふい、と顔をそらして前を向く。せめて先に坂の上に着く!
 日和の少し呆れを含んだような笑顔とともに、僕は坂の上についた。

「へぇ」

 近くで見るとかなり大きい。
 大橋さんが大きなオーク材の扉を開けると、真紅の絨毯が敷き詰められていた。

「ああ、いらっしゃいましたか!」

 やたらと大きな声で出迎えてくれたのはこの館の主人、雑餉隈さんだ。

「常盤圭くん」
「? ご存知でしたか」
「西洋画はよく知らないのですが、あなたの作品は見たことがありますよ」

 僕が入賞したコンクールの名前を出して、雑餉隈さんは右手を差し出してきた。

「……ありがとうございます」

 素直にお礼を言って、その手を握り返す。

「ふうやっとついたぁ」

 そう言って入ってきた華は、雑餉隈さんを見て「えーと?」と首を傾げた。

「常盤様のお孫様?」
「あ、はいそうです!」

 華はやたらと元気に返事をして、「その子は弟です、あ、弟と言ってもほんとはイトコなんですけど」と僕を紹介してくれた。
 雑餉隈さんは「いまご挨拶させてもらったんですよ」と微笑む。

「それからその子は友達の大友日和ちゃんです。こっちが黒田健くん、秋月翔くん」

 それぞれが雑餉隈さんに頭をさげた。

「わざわざこんな島まで来てくださって、ありがとうございます」

 雑餉隈さんは手を奥へ向けた。

「どうぞ、まずはお茶でも。簡単なガーデンパーティを用意しております」

 その一言に、華は「ケーキ?」と小さく呟いて、嬉しそうに笑った。
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