前世記憶有少女中華(風)後宮奮闘記〜悪逆女帝にはなりたくない!〜

にしのムラサキ

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火鉢

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(この寒い中ずぶ濡れだからかな?)

 だけど構っていられない。
 私はすうと息を吸い込み、ばっと平伏す。

参見お目にかかります皇帝陛下、わたくしは士大夫したいふ、秦馬高が娘、嫦娥でございます!」
「先の大府卿の、だよね」
「はい」

 士大夫とは、いわゆる官僚のこと。
 大府卿とは行政の役職名だ。

「不敬なのは重々に承知しております。けれど、どうしても皇上おかみにお願いしたきことがあり」

 皇上の声色が、少し低くなる。

「話を聞くのは全く構わない。でもね、嫦娥」

 ふわり、と肩に温かいものがかかる。

(……! 皇上の上衣うわぎ!?)

 思わず見上げると、心配そうな目線とぶつかる。

「無茶をしすぎだよ」
「コラ憂炎ゆうえん、てめーなに近づいてんだって」
「磊は黙って。嫦娥」

 そっと皇上は私の手をとる。

「冷たい」
「あ。申し訳ありませ、」
「違うよ」

 すっ、と皇上は私を横向きに抱え上げた。

「!?」
「おい、憂炎っ!」

 磊様が声を上げる。

「てめえ、何考えて」
「こんな冷え切ってる女の子、ほっとけないでしょうに」
「馬鹿か」

 めちゃくちゃ怒鳴られてるのに、皇上はさくさく歩いて、ひとつの建物に入る。
 蝋燭で明るいその部屋は、磨き上げられた黒檀こくたんの大きなつくえと椅子が一つずつ、そして所狭しと散乱した書類たちで雑然としていた。

「ここは俺の私室。誰も来ないから安心して」

 そっと椅子に下ろされる。それから、肩から大きくて分厚い綿布をかけられた。火鉢を側に寄せてくれる。

「すぐに医師を。それに、着替えを持って来させよう。磊、宮女女官を呼んで」

 火鉢で炭がぱちりと小さく爆ぜた。

(あっ……たかい)

 ぐう、と涙が出そうになる。

「つうか、オイコラ! そもそもこんな部屋に得体が知れない奴を連れ込むんじゃねぇ」

 宮女さんを呼びに行っていた司馬様が、我に帰ったようにどすどすと足音を立てて、居室へ飛び込んできた。

「いいじゃないか、馬高の娘だよ?」
「証拠がねぇ」

 そう言われて、はたと思い出す。
 慌てて腰紐から下げていた玉佩ぎょくはいを差し出した。水流に流されていなくて、ホッとする。

「これは」
「父の遺したものです」

 なんとかお義母様から守り抜いた、お父様の宝物。
 円状で掌にのる大きさ。龍が彫られたそれは、翡翠で作られた綺麗なもの。

「皇上から賜ったと」

 玉佩をまじまじと皇上は見つめ、それから笑った。

「確かに、そうだ。ほら磊、みてごらん」
「わかんねーだろ」
「きみなぁ、ほんとに疑り深い。というか、俺たちさ、会ったことあるんだよ? この子に」
「へ!?」

 司馬様と私は同時に叫んだ。

(お、皇上にお会いしたこと!?)

 いつだろう、そんな記憶はないのだけれど。

「まだ7歳かそこらの時だけど」

 ほんの少し嬉しげに、皇上は私を見る。

「覚えて、ないかな。時々遊んでたんだよ」

 あ、遊んで!?
 皇上と!?

「……申し訳ございません」
「そっか」

 少し残念そうに、皇上は笑う。
 皇上が7つ、ということは、私は5つかそこらだろうか。……どうにも、覚えはない。

「俺も覚えてねーよ」
「まったく、磊は鳥頭だなぁ。嫦娥は幼かっただろうからともかく」
「うるせぇ!」
「と、いうか」

 皇上は目を細める。

「薄情者、かな」
「は?」

 ぽかんとする司馬様を放って、皇上は私を見つめた。

「それで、嫦娥」

 皇上が落ち着いた声で私を呼ぶ。

「お願い、って?」
「は」

 私は頭を下げる。

「……わたくしの馬を救って頂きたいのです」
「馬?」

 私は何度もつっかえながら、それでも何とか事情を説明した。お父様が死んでからのこと、春祈祭で赤麒が生贄になりそうなこと。

「この赤麒は良い馬です。いくら走っても疲れませんし、とても丈夫で病も怪我もしたことがありません。救ってくださったならば、皇上に差し上げますので、どうか」
「お前なぁ」

 私の前に、司馬様が中腰でしゃがみ込む。そして頭をガッと掴んだ。

「よくもまぁ、そんなことをヌケヌケと言えたもんだ。ンなこと、一国の皇帝がやる仕事か? ん?」
「磊」

 低い声だった。怒りを押し殺したような。

「やめろ」
「憂炎?」
「やめろと言ってる」

 ふ、と皇上は息を吐く。落ち着こうというように。

「……嫦娥は、俺と話してるんだって」

 さすがに皇上にそう言われると、司馬様も黙って立ち上がった。

免礼楽にして

 そう言われて、私はゆっくりと顔を上げる。

「わかったよ」
「は!? 憂炎!」
「だって馬高には世話になったし、それに」

 ふ、と皇上は黙り込む。

「それになんだよ」
「……いいじゃないか」

 ふ、と黙り込む皇上を、司馬様はふん、とため息をついてから眺める。

「……よし、わーった、わかった。お前を信じて、コイツが本物だとしよう」

 司馬様はびしりと私を指差した。

「けどな、本当にコイツが家でンな目に遭ってるなんてことも分からねーじゃねえか」

 ワガママ放題のクソお嬢様の可能性だってあんだろ、と司馬様は言い放つ。

「信用できんのかよ」
「でもそうじゃなきゃ、こんな日にあの水路は通らないだろう」
「わかんねーぞ?」

 私は唇を噛んで、ゆっくりと立ち上がった。

(赤麒を救ってもらえるなら)

 私は、なんだってする。
 綿布を置き、すっかり濡れそぼった皇上の上衣うわぎを椅子にかけた。それから腰紐を緩め、背中を向ける。

「おい」

 司馬様が少し慌てた声を出した。構わず、着物をはだけた。
 背中が空気に触れる。今日もまた、打たれたそれ。ふたりが無言になる。
 私はぐっと唇をかみ、胸元を合わせて再び前を向き、平伏した。

「これで信じていただけるでしょうか……! お願い、いたします」

 ぼたぼたと涙がこぼれた。

「ここに侵入いたしました無礼は、この命をもって贖います。いまこの首、切っていただいて構いません」

 ですから赤麒を、私に残された家族の命をお救いください。
 私は冷たい床に額をつけながら、そう嘆願した。

「ごめんね」

 ふわりとまた綿布をかけられる。
 慌ててみあげると、やはり優しく微笑まれた。そして手を取られ、まじまじと見つめられる。

「君は大事な存在のためなら死ねるひとなんだね」
「はい」

 躊躇なく答えた。

「そうか」

 うん、と皇上は頷く。

「変わらないね」
「? どういう」

 ふ、と優しく微笑まれる。

「いまはお休み、嫦娥。あまりにも君は今弱っているから」

 そう言われて、再び抱き上げられる。

「え、あの、皇上?」
「君の馬のことは確約しよう」

 ふ、と微笑み私を見つめる。

「俺に任せて」

 その一言に、どっと力が抜けた。

「あ、ありがとうございます……!」

 お礼を言いながら、重くなる目蓋に抵抗できない。緊張しているはずなのに、なぜかひどく穏やかだった。
 赤麒が助けられると、分かったからだろうか。
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