56 / 80
感情
しおりを挟む
「? 辛い?」
不思議そうな憂炎様に、私はうまく色々、説明できそうにない。
(背負ってるものが、大きすぎる)
優しい人なのに、人の命を奪うことに躊躇してはいけない。そんな立場でーー。
「憂炎様は、お優しいのに、と思って……」
「俺が? 優しい?」
心底不思議そうに、憂炎様は言う。
「俺は優しくなんかないよ、嫦娥。そんな感情は、皇帝になるときに捨てた」
「え、でも」
凌遅刑を避けられたではないですか、と言わずとも表情で分かったらしい。
憂炎様は少し苦笑いした。
「あれは単にその方が早かったから。……こんなことを言うのはさ、どうかなと思うんだけれど」
憂炎様は、一拍おいてから続けた。
「今、正直やる事山積みで。彼女たちに構ってる余裕、なかったんだ。あんなちょこまかした刑罰与える余裕なんか」
「……余裕」
「ない。全くない。他国との接渉は毎回綱渡りだし、先帝の時から国内では反乱の動きがあるし、宗元以外にもヤヤコシイのが宮廷内で跋扈してる」
憂炎様はふ、と笑った。
初めて見る、なんだか皮肉げな笑い方だった。
「印象悪くなった?」
「……いえ」
「人間らしい感情は、全部捨てようと決めた。そうしなきゃ民を巻き込むから」
「?」
憂炎様はもう一度、椅子に座り直して微笑んだ。
「俺の感情で、誰かを赦したり赦さなかったり、甘かったり厳しかったり。……先帝がそういう人だった」
憂炎様は続ける。
「情に厚いひと、だったよ。けれどそれは軋轢を生んだ。中途半端に反乱を誅したせいで、胡北ではまだ反乱の兆しがある。ある者を赦しある者を厳しく罰したせいでーーさっきの凌遅刑の話もそうだけれどーー臣の間に不和を呼んだ」
そっ、と私の手を取って、指を撫でる、優しい指先。
「それはいつか、戦になる。戦は民を殺すから、だから、……まだきちんとできてるわけじゃないけれど。俺は徹底して私を殺そうと思って」
私の手を撫でるその人と、ばちりと目線が合った。
「殺さなきゃーーいけなくて」
私を、殺す。
「皇太后も、自分の感情なんか抜きで。国のためになってくれる人を、ただ、探して……でも」
手を握られた。強く。
「君とまた会った」
幼さを残す、大きな瞳が私を映す。
「恋なんか、皇帝になるときに捨てたはずだったのに。初恋なんか捨てたはずだったのに。君が」
真剣な瞳に、身体が動かない。
「君だけが、俺に残された唯一の感情」
私の頬に、指先が触れた。
筋張った、男の人になりかけの、まだ少年の手。
少し、冷たい。
「……なんで」
私はそれだけを、なんとか口にする。
「なんで、私なんかのことを」
「なんでだろう? 多分、君が嫦娥だからだ」
「意味が」
わかりませんーー。
そのあとの言葉は、慌てたような声にかき消された。
扉を強く叩く音。
「申し訳ございません! 皇上! 慶麗様、ご乱心あそばして承武宮より抜け出されてございます」
「見張りはどうした!?」
憂炎様はさっと立ち上がり、扉を開ける。
扉の先では、礼を取っている女官さん。
「それが」
「憂炎!」
磊の大きな声。私も扉に駆け寄った。
憂炎様の横に並ぶと、ほんの少しだけ顔を強張らせて、それから安心したように笑った。
「2人とも無事で良かった」
「……磊?」
私の質問には答えず、磊は憂炎様に向かって説明を始める。
「俺もさっき報告を受けたとこなんだがーーどうやらあの女、自分の身体に妖を取り付かせたらしい」
「妖を?」
「おおかた、一か八かってとこだろ」
会話の節々から、ようやく事情が飲み込めてきた。
(……先帝のお妃様、って言ってたっけ)
宗元たちに呪をかけて、操ったのは。そなひとは、いま別の宮に幽閉されていたはずーーそれが、慶麗様、なんだろう。
(自分に妖を、って言った?)
そんなこと、可能なの?
「やぶれかぶれじゃのう」
足元から、鈴のような声。
「玉藻さん」
「やれ小童、若造。妾をその女のところへ具せ」
玉藻さんが笑う。
「その妖とやら、妾、とおっても見てみたいぞ」
不思議そうな憂炎様に、私はうまく色々、説明できそうにない。
(背負ってるものが、大きすぎる)
優しい人なのに、人の命を奪うことに躊躇してはいけない。そんな立場でーー。
「憂炎様は、お優しいのに、と思って……」
「俺が? 優しい?」
心底不思議そうに、憂炎様は言う。
「俺は優しくなんかないよ、嫦娥。そんな感情は、皇帝になるときに捨てた」
「え、でも」
凌遅刑を避けられたではないですか、と言わずとも表情で分かったらしい。
憂炎様は少し苦笑いした。
「あれは単にその方が早かったから。……こんなことを言うのはさ、どうかなと思うんだけれど」
憂炎様は、一拍おいてから続けた。
「今、正直やる事山積みで。彼女たちに構ってる余裕、なかったんだ。あんなちょこまかした刑罰与える余裕なんか」
「……余裕」
「ない。全くない。他国との接渉は毎回綱渡りだし、先帝の時から国内では反乱の動きがあるし、宗元以外にもヤヤコシイのが宮廷内で跋扈してる」
憂炎様はふ、と笑った。
初めて見る、なんだか皮肉げな笑い方だった。
「印象悪くなった?」
「……いえ」
「人間らしい感情は、全部捨てようと決めた。そうしなきゃ民を巻き込むから」
「?」
憂炎様はもう一度、椅子に座り直して微笑んだ。
「俺の感情で、誰かを赦したり赦さなかったり、甘かったり厳しかったり。……先帝がそういう人だった」
憂炎様は続ける。
「情に厚いひと、だったよ。けれどそれは軋轢を生んだ。中途半端に反乱を誅したせいで、胡北ではまだ反乱の兆しがある。ある者を赦しある者を厳しく罰したせいでーーさっきの凌遅刑の話もそうだけれどーー臣の間に不和を呼んだ」
そっ、と私の手を取って、指を撫でる、優しい指先。
「それはいつか、戦になる。戦は民を殺すから、だから、……まだきちんとできてるわけじゃないけれど。俺は徹底して私を殺そうと思って」
私の手を撫でるその人と、ばちりと目線が合った。
「殺さなきゃーーいけなくて」
私を、殺す。
「皇太后も、自分の感情なんか抜きで。国のためになってくれる人を、ただ、探して……でも」
手を握られた。強く。
「君とまた会った」
幼さを残す、大きな瞳が私を映す。
「恋なんか、皇帝になるときに捨てたはずだったのに。初恋なんか捨てたはずだったのに。君が」
真剣な瞳に、身体が動かない。
「君だけが、俺に残された唯一の感情」
私の頬に、指先が触れた。
筋張った、男の人になりかけの、まだ少年の手。
少し、冷たい。
「……なんで」
私はそれだけを、なんとか口にする。
「なんで、私なんかのことを」
「なんでだろう? 多分、君が嫦娥だからだ」
「意味が」
わかりませんーー。
そのあとの言葉は、慌てたような声にかき消された。
扉を強く叩く音。
「申し訳ございません! 皇上! 慶麗様、ご乱心あそばして承武宮より抜け出されてございます」
「見張りはどうした!?」
憂炎様はさっと立ち上がり、扉を開ける。
扉の先では、礼を取っている女官さん。
「それが」
「憂炎!」
磊の大きな声。私も扉に駆け寄った。
憂炎様の横に並ぶと、ほんの少しだけ顔を強張らせて、それから安心したように笑った。
「2人とも無事で良かった」
「……磊?」
私の質問には答えず、磊は憂炎様に向かって説明を始める。
「俺もさっき報告を受けたとこなんだがーーどうやらあの女、自分の身体に妖を取り付かせたらしい」
「妖を?」
「おおかた、一か八かってとこだろ」
会話の節々から、ようやく事情が飲み込めてきた。
(……先帝のお妃様、って言ってたっけ)
宗元たちに呪をかけて、操ったのは。そなひとは、いま別の宮に幽閉されていたはずーーそれが、慶麗様、なんだろう。
(自分に妖を、って言った?)
そんなこと、可能なの?
「やぶれかぶれじゃのう」
足元から、鈴のような声。
「玉藻さん」
「やれ小童、若造。妾をその女のところへ具せ」
玉藻さんが笑う。
「その妖とやら、妾、とおっても見てみたいぞ」
1
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない
朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
【本編,番外編完結】私、殺されちゃったの? 婚約者に懸想した王女に殺された侯爵令嬢は巻き戻った世界で殺されないように策を練る
金峯蓮華
恋愛
侯爵令嬢のベルティーユは婚約者に懸想した王女に嫌がらせをされたあげく殺された。
ちょっと待ってよ。なんで私が殺されなきゃならないの?
お父様、ジェフリー様、私は死にたくないから婚約を解消してって言ったよね。
ジェフリー様、必ず守るから少し待ってほしいって言ったよね。
少し待っている間に殺されちゃったじゃないの。
どうしてくれるのよ。
ちょっと神様! やり直させなさいよ! 何で私が殺されなきゃならないのよ!
腹立つわ〜。
舞台は独自の世界です。
ご都合主義です。
緩いお話なので気楽にお読みいただけると嬉しいです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる