無頼少年記 ~最強の戦闘民族の末裔、父親に植えつけられた神話のドラゴンをなんとかしたいので、冒険者ギルドに就職する~

ANGELUS

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乱世下威区編 上

大蛆の蛮行

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 気がつけば、掃き溜めにいた。

 血生臭さが鼻腔を撫でる折、泥なのかカビなのか分からないヘドロのようなものが地面を覆い尽くすその場所で、体にまとわりついた汚物を手で振り払いながら立ち上がる。

 目が暗闇に慣れてくるとようやく空間の全貌が分かるようになってきた。どうやらコンクリに覆われた地下倉庫にブチこまれたらしい。

 地下倉庫の隅にはもう男だったのか女だったのかすら分からない腐乱死体が山のように積まれている。なんともいえない血生臭さは腐乱臭だったようだが、こと下威区しものいくだとままあることで、さして珍しいことでもない。

 死体は物だ。時間が経つにつれて屍肉となり、蛆の巣窟に成り果てる。死臭がおどろおどろしい狂騒曲を演奏し、肉だけでなく周囲の空気さえも腐らせる。

 嗚呼、クソだ。世界はクソだ、現実はクソだ。

 部屋の隅に山積みにされ、蛆に貪り食われているそれは、まさに世界の縮図である。この世界は蛆に食われている。自分らは所詮蛆の養分にすぎないのだと、自分らを痛罵してくれる。嗚呼、クソだ。クソッタレだ。

「よぅ、起きたかガキィ」

 地下倉庫の扉が開かれ、自分より体格が二倍近くあるオッサンが入ってきた。

 毛根は死に絶え、片目が朽ちて穴が空き、頬は痩けていて肌は赤黒い。唇も赤黒く染まり、歯はほとんど抜け落ちていた。声も嗄れていてギリギリ聞き取れるかどうかの瀬戸際。

 本能で理解する。蛆だ。

「あー、腹減った」

 山積みになっている死体を手に取ると、蛆が湧いていることなど一切気にせず貪り食い始める。

 ばりばり、ぼりぼり。ほとんど歯が抜け落ちているくせにどうやって咀嚼しているのか分からないが、蛆ごと骨すらも貪り食う様は、まさしく巨大な蛆。

 蛆が蛆を食っている。弱肉強食の絵面が、そこにあった。

「おい。アイツらは……アイツらはどこにやった」

 少しずつ思い出してきた。何故自分がここにいるのか。

 ツムジとともに生活していた自分と他に数人の子供たち。生活は決して楽じゃなかったし、辛いことばかりだったが、それでも皆で笑い合える生活を手に入れるため、ツムジとともに腐らず今を生きてきたのだ。

 今日、その子供達が攫われたと聞いてツムジの制止を振り切り、壊れかけの廃屋まで足取りを追えたところで、記憶が途絶えていた。

「……食った」

「……え……?」

「だから食った。美味かったぞォ……久しぶりに生きた肉が食えた、やっぱり腐肉とはぜぇんぜんちげーんだもんなァ……」

 今、コイツなんて言った。だめだ、理解が追いつかない。いや、したくない。食べた。何を。誰を。蛆だ。きっと。きっとそうだ。

「……嘘をつくな」

「ウソじゃねーよ、生きたまま捌いたんだ、ギャーギャー喚いてうるせーからよ、腹掻っ捌いて口にぶち込んでやったわ」

 けらけらけら。笑い声が遠く感じる。さっきまで気にならなかったのに部屋に満ちた死臭がやけに臭く感じ、胃袋が流転する。

「お。ガキのくせにイイもん食ってんじゃねーか」

 男が吐瀉物を撒き散らしたヘドロまみれの床に這いつくばる様に、思わず目を丸くする。まるで麺類でも啜るような感覚で吐瀉物を飲み始めたのだ。

 不快感が込み上げる。目の前の生物が、人間に見えなくなる。吐瀉物を啜るなんてよくある光景だというのに、なんで今は視界に入れるだけで、内臓が掻き回される感覚に苛まれるのか。

「お前、もっと出せよ」

 腹を鷲掴まれ、宙吊りにされる。

 今日に限って腹一杯にツムジの飯を食っちまったのが悔やまれて仕方ない。珍しく美味しかったんだ、なけなしの食材で作ってくれたカレーライス。肥溜めみてぇな下威区しものいくでの生活で、ツムジと食う飯が唯一の幸福だった。まさかその幸福が、巨大な蛆に貪り食われることになるなんて。

「チッ……吐かねーか……」

 まるでチューブの中身を絞り出すように、腹を押される。感じたことのない圧迫感に内臓が悲鳴をあげる。猛烈な吐き気を催しているのに、中身を吐き出せないもどかしさが、更に不快感を助長させた。

「しゃーねぇ、味は薄くなるが……」

 男はどこからかジョーロを取り出した。ジョーロはボロボロで、泥だらけ。もう既にその息を絶えようとしているほどに脆くなっているそれに、大量の水を入れ出した。

 水といっても、当然蛆が大量に入ったヘドロ塗れの泥水だ。ツムジの聞いた話じゃあ中威区なかのいくとかには上水道なるものが各家庭に張られていて、蛇口を捻るだけで新鮮な水が無限に湧いて出てくる夢のような機構があるらしい。

 まあ下威区しものいくに、そんな贅沢品なんざありはしないのだが。

 水は濾過して飲む物。そうじゃなきゃ腹を壊すか体そのものを壊して死ぬか、その二択だ。

「う。や、めろ……!!」

 蛆混じりのヘドロ入り泥水、そんな物を飲めばどうなるか。考える必要もない。

 必死で抵抗する。爪を肉に食い込ませ、小さい足で男の足を蹴飛ばし、体をこれでもかと捩る。

「うぶっ」

 だが、男の方が膂力において何倍も、何十倍も優っていた。ジョーロの先を口に押し込まれ、この世の怨念が全て詰まったかのような汚水が、容赦なく身体の中を侵していく。

 泥水なんて物心ついた頃に飲んでいたことがあったが、腹は壊すし飲んだそばからブチ撒けてしまうしで腹の足しになった覚えがなく、嫌いだった。悪食な自覚こそあるが、腹の足しにならないものは身体に入れても仕方ない。ただ辛いだけだ。

 腹部が膨れていく感覚が徐々に吐き気へと変わる。身体の中にある肉袋が目一杯膨らみ、他の臓器を圧迫しているせいだろう。臓腑が狂ったように乱舞する。体の中に、大きな石がのしかかっているようですこぶる気持ち悪い。

「ごぶ」

 ジョーロの水流に抗うように口から漏れ出す。男はジョーロを投げ捨てると急いで口を手で覆ってきた。

「吐くんじゃねーよ、今から飲むんだからよ」

 逃げ場を失った泥水が腹の中で暴れ回る。狭いところに封じ込められたそれは、脱出したいと叫ぶたび、腹が今にも張り裂けそうになる。

 よく見ると腹がありえないぐらい膨らんでいた。犯されて孕んでしまったものの、路地裏で打ち捨てられそのまま死んだだろう女の死体を見かけたとき、腹の中にそれなりにデカい石ころを腹に詰めているような姿をしていたが、今の俺の腹は、そのときの女と同じような膨らみ方をしていた。

「さて、と!!」

「う……!? ぶぉ!!」

 男に後頭部を掴まれ、口と口が接触する。何をされたのかと考える暇もなく、水袋と化した腹に拳が入れられた。我慢なんざできるはずもない。臓腑の悲鳴とともに行き場を失った泥水が、口から噴き出す。

 なくなりかけの歯磨き粉チューブみたいな扱いをされたのは、さすがに生まれて初めてだ。これでもかと腹を絞られ、脈動に似た痙攣すらも起こし始めた折、ついに出すものがなくなった俺は、男に放り投げられた。

「チィ……!! クソが!!」

 何故キレられているのか。キレたいのはこっちだ。余力があればその汚ぇ腕に噛み跡を残すぐれぇのことはしたいぐらいなのに、どうして虐げられなきゃならない。ふざけるなクソが。クソがクソがクソがクソが。

「うぐ……うー……うぉ……」

 何度腹を蹴られただろうか。もう数えるのも億劫になり、後半あたりからは無抵抗を貫いた。

 抵抗しないからといって理不尽な暴力が止むことなんてないのに、黙っていれば楽になるんじゃないかと考えてしまう自分がいる。

 無抵抗なんて、ただの甘えだっていうのに。

「あー満たされねー、満たされねーよクソが。やっぱ泥水で胃袋ン中かき混ぜてもマズイだけだ畜生」

 そんなの考えなくても分かるだろ、鳥頭かよ。じゃあ俺は何のためにこんな目に遭わされたんだ。お前の私欲を満たすためだろ。クソが。畜生はお前だ。畜生以下だ。

「ンだぁその目はァ!! ガキの癖に生意気な目ェしやがってェ!!」

「げぁ!?」

 横腹に野郎の足が食い込む。腹が凹み中で臓腑が四方へ移動する感覚が走った瞬間、グチュ、という聞いたことのない音が腹の中から聞こえた。痛すぎて声が出ない。流石に堪えきれず、体を踞らせて咽び泣く。

「あーめんどくせー。なんかまた腹減ったわ。テキトーにガキでも攫って食うか……」 

 これだけ痛ぶっておいて飽きたらポイかよ。逃げられるからそれでいいが、釈然としない。納得いかない。これが、これが弱者への仕打ちだってのか。

「んぁ、忘れてたぜ。テメーにこれ、やるよ」

 痛みで未だ声も出せない状態にある俺に、何かが投げられる。音からしてそれなりの重さがある物だと感覚で悟るが、小さい虫みたいなものが視界を飛び交い、さらに涙で滲んでいるせいでよく見えない。だが投げられたそれが何なのか、すぐに理解できた。

「な……んで……なんで」

 涙が更にこぼれ落ちる。今この瞬間、ここに来た意味、コイツに虐げられた意味、その全てが無意味で無価値だったのだと、理解してしまった。

 感情の濁流が苦痛を押し流す。今日起こったことなんざそれなりに不幸な巡り合わせではあった。流石に水袋にされたのは初めてではあったが、虐げられることくらい、ツムジに出会うまでならいくらでも、嫌だと泣き叫ぼうが怒りに燃え滾らせようがクソほど経験させられてきた。

 だからこそ、目の前に投げ捨てられたそれを見るのが、一番辛い。

「あー?」

 どうせ分からない。理解なんてできやしない。理解のりの字も感じられない顔色と声音に、もはや失望なんて言葉は生ぬるい。

 ぐっ、と思わず呻いてしまう。髪の毛を鷲掴まれ、そのまま持ち上げられて、頭皮が引きちぎれそうだ。あまりに痛すぎて、足掻くことすらできず身体を萎めてしまう。

「いいか、クソガキ。よく覚えておけ。この世界はな―――」

 痛すぎて言葉がよく聞き取れない。痛い。クソが、物扱いしやがって。

 俺が物ならテメーは蛆だ。世界を貪り食らい、生きるべき人たちの笑いを奪う、巨大な蛆だ。

 もしも世界を作った奴がいて、ソイツが蛆の存在を肯定しているってんなら、こんな世界は―――。

「``強い奴``がルールなんだよ!」

 次の瞬間、腹に拳がぶち込まれ、腑が口から飛び出そうになる感覚に襲われながら、意識は闇へと溶けていった。
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