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復讐のブルー・ペグランタン編
``閃光``の懺悔
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これで、何度目だろう。俺が、選択を間違えたのは。
北支部監督官になってもう数年が経つが、選択の誤ちを、いつからか数えるのをやめてしまった。俗に言う、逃避ってやつである。
数えなければ考えることもない。気にすることもなければ、後ろを振り返ることもない。ただ、前だけを向いて歩んでいける。
何度選択を誤り、どれだけ後悔で己自身を呪い殺したくなっても、明日ってのは否応なくやってくる。責任ある立場になった今、後ろを振り返り失われたものを数えることを、いつからかしないようになっていた。
「だからこそ、何度も間違えるんだろうな……」
同じミスを繰り返すなんて、北支部監督官として失格だ。本来なら反省し対策し、再発防止に努めるべきだろう。後ろを振り返らない理由は沢山思い浮かぶが、そのどれもが見苦しい言い訳にしかならないことに、苛立ちが募った。
「……ブルー……」
ブルー・ペグランタン。彼女との出会いは、御玲にも言った通り波瀾万丈奇想奇天烈だった。
下威区の関門を担っていた中位暴閥が何者かの襲撃によって一夜で消滅し、その何者かが中威区東部都市を猛スピードで突き進み、北部都市まで迫ってきた。
東支部は、突如現れたその何者かがやらかした破壊の後始末、曲がりなりにも下威区の関門を担っていた名のある中位暴閥が消滅したことで慌ただしくなった中威区暴閥自治区の鎮圧などで手一杯となり、その何者の討滅に対応及び協力はできないということで、本部から対処せよと厳命されたのは今でも覚えている。
あのときは面倒な奴を俺のシマに逃がしてくれたもんだと煮湯を飲まされた気分になったが、中威区東部都市には暴閥自治区がある。殺気立ったソイツらから市民の安全を守るのも、東支部の立派な務めだ。押し付けられた分、手柄と報酬はありがたく貰っておこうと前向きに考えを切り替えて北支部を出た。
俺が現場に駆けつけた頃には、既にその何者かは俺のシマ―――中威区北部都市で破壊の渦を巻き起こしていた。初めて相対したときの記憶は、鮮明に覚えている。
暗黒の霧を際限なく撒き散らし、支離滅裂ながらも意図は図れる奇妙な人語を話し、濃密な殺意と敵意でもって、俺を含めた視界に映る``動くもの``全てを無差別に破壊する化け物。その猛攻たるや、苛烈を極めた。
見た目は絶え間なく黒霧を噴き出す少女だが、その強さは人外だった。強いなんてもんじゃあない。人でありながら、人ではない何か。拘束するどころか、久しぶりに死相が見えたほどに、生きている心地がしなかった。スケルトンを相手にしている方がマシだったという感想を抱くのは、過去と未来を紐解いてもあのときが最初で最後だと思う。
最終的には俺のお袋がどこからともなくやってきて、たった一人でコテンパンにしてしまった。あの人は俺が命の危機に瀕すると、どこにいようとどこからともなくやってくる。俺が手も足も出なかったアイツをたった一人でブチのめしたのは、今思い返しても戦慄を禁じ得ないが、それゆえにむーさんとブルーが融合した姿を見るのは、あの時が最後になると思っていた。
本来なら武市を騒がせた存在。本部によって拘置され、隅々まで調べ上げられるはずだった少女。それ以前に俺を殺そうとした時点で、お袋は殺る気満々だった。当時の俺が説得しなきゃ、今みたいな関係には決してなっていないだろう。
「こんなことなら、過去の一つや二つ……聞いておくべきだったな」
仮に思い至っても実行しなかっただろうが。その考えがすぐにたらればを塗り潰す。
任務請負機関は、お互いの過去に触れ合わないって空気が基本的に流れており、誰しもがお互いの過去を探るような真似はしない。これに関しては機関則で定められているわけではなく、任務請負機関にて支配的な慣習のようなものだ。
誰しも触れられたくない過去ってのは少なからずある。それを根掘り葉掘り聞き回ることは結束の瓦解を招き、組織の基盤を揺るがす惨事になりうる。
俺は監督官として必要と判断すれば、北支部に所属する請負人に限り、強権を発動することができた。でも結束を重要視する俺としては、異変をともに乗り越える同志に対して強権を振りかざすことを是としなかった。それは、ブルーだって例外じゃない。
「アイツはきっと……生きたかっただけなんだ。触れない理由は、それだけでいいじゃねえか」
それゆえに今のような事態が起きているし、過去に犯した誤ちを繰り返してしまっているのだが、それでも彼女にだけ強権を振りかざして過去を掘り返すなんて、あまりに不平等なんじゃないかと思う自分が駄々を捏ねる。
ブルーは本来、本部に拘置されるか、最悪お袋に八つ裂きにされるかの二択しか存在しなかった。その絶望的二択ではなく、今みたいな関係を築ける選択肢が選べたのは、俺がお袋を説得したからだった。
彼女は、生きていた。人の身から外れた力を振るってこそいたが、それでも彼女は人だった。
人ならば、助けたい。本部に拘置されるよりお袋に八つ裂きにされる方が早いのなら、一つでも多くを―――。
「そうだよな……俺がアイツを助けたのは……」
エゴだ。監督官としての責務、任務請負人の任侠。それら全て、ただの建前。
目の前で死にかけているガキがいて、今にも強い奴にブチ殺されそうになっていて。可哀想だから、救えるのなら、手を差し伸べてやりたいと。そうすれば、同志を失っちまった今までの罪を全部帳消しにできるんじゃあないかと。
今更ながら浅はかで青臭い考えだ。ブルーを助けたところで、失った奴らの命が帰ってくることはない。死は等しく横たわり、覆ることなんてないからだ。俺は死に損ないだったブルーを、自身の慰めに利用したにすぎない。
「お袋には、偽善だって散々嘲笑れたっけ」
失った者の姿を重ね、気まぐれに目の前の死に損ないに手を差し伸べる行いは、見るに堪えないほどに醜く薄汚い自慰であり、万人を絶望に陥れる巨悪よりも歪み捻じ曲がった偽善だと、口汚く嘲り、しつこく殺せと勧めてきた。だがお袋はこうも言っていた。
『この子のことを本当に思うなら殺しなさい。でも、この子のためにいくらでも馬鹿になってやる覚悟があるのなら……その全てを奪い取ればいい』
我ながら実の息子に何を言ってやがるんだこの人はと思ったが、その言葉の真意は容易に推し量れた。
この世界は、弱肉強食。強い奴が生き残り、弱い奴が死ぬ世界。そして戦いにおいて、勝者が敗者の全てを総取りできる。それは勝者の特権であり、敗者はその特権の前には無力だ。
彼女を倒したのは、お袋だ。しかしその言葉からお袋の意志を汲み取れない俺じゃなかった。
「それからはまあ……色々あったが円満に関係を築いていけてたんだがな……」
最初は棘しかなかったブルー。お袋の根回しもあり無事北支部の一請負人になれはしたが、俺を含め北支部の誰とも馴染もうとはしなかった。
彼女の傍らには常に北支部ロビーの半分を埋め尽くす巨大な黒百足が鎮座し、彼女に近づこうとした全ての輩は、敵意の有無とは無関係に蹴散らされていった。かくいう俺も、その一人だ。
最終的には俺だけが彼女に関わろうとするようになり、その度にむーさんにブチのめされては壁にめり込まされる日々。
それでも、諦めなかった。彼女に手を差し伸べると決めたあの日から、たとえブルーに関わることを諦めた同士から不憫な奴と見做されようと、何度も近づいてはむーさんにボコされる阿呆になった。
日課の任務消化をこなしつつ新人研修もこなしつつむーさんにブチのめされる日々は、いつからか久しく忘れていた``疲労感``を味わうぐらいにはキツかったが、その甲斐がなかったなんて思ったことは、一度もない。
『うっぜ!! まじうっぜ!! オメーいーかげんしつけーんだよ、なんかいブチのめされりゃーきぃすむんだクソヤロー!!』
今でも覚えている、アイツが初めて投げてくれた言葉。一字一句、忘れることはない。
「なのに……どうしてこうなっちまったのかなあ」
俺が他の支部監督官と現状を共有するために、ブルーを誘ったとき。きっとあのときブルーは、自分を止めて欲しかったんじゃないだろうか。
今となっては考えるだけ無駄な思索でしかないが、そうじゃなきゃ、執務室でスタンばるなんて真似はしないだろう。ガタつかれるのが分かっているなら、執務室で俺が来るのを待たず、黙って新人のところに行けばいい。変なところで聡くて案外狡猾な面もあるアイツなら、絶対にそうしたはずだ。
「………なあ、御玲。新人は、ブルーを殺ると思うか?」
俺は何を聞いているのだろう。そんなことを聞いても、その場凌ぎにしかならないのに。
「分かりませんね。全ては澄男さま次第としか」
そうだよな、と分かりきっていた答えを淡々と受け取る。
相手は流川。この世界で、最強の存在。なにもかも、その全てが意のままだ。反旗を翻すことは、有象無象にとって死を意味する。ブルーも俺も、その有象無象の一人にすぎない。
ブルーだって武市に生きる一人の市民として、流川に逆らうことの意味を十全に理解しているはずだ。
「彼女は、元々下威区出身だそうです。請負人になる以前、彼女はとある人物と暮らしていました」
一人でに語り出した御玲に、耳を傾ける。
ブルー・ペグランタン。彼女はかつて下威区の果て、完全退廃地帯にて死の間際を迎えようとしていた。
完全退廃地帯といえば、下威区において最も霊力に汚染された死地。霊力に耐性がない人間が立ち入れば、一分も持たずに死に至ると言われている地獄だ。それ以前に豊潤すぎる霊力はヘルリオン山脈で生きる魔生物にとって楽園であり、仮に霊力をなんとかできたとしても、退廃地帯の支配者たる魔生物に食い殺されてしまう。彼女もまた、例外じゃなかった。
「いや待てよ。百歩譲って下威区から来たと仮定して、どうやって退廃地帯を……」
そこまで言ったところで悟った。何故彼女が生き残れたのか。退廃地帯という死地で、彼女が生きることができたのか。
「……むーさん、か」
そう、彼女はそこでむーさんに出会った。何があって、どんな経緯で、どういうカラクリかはよく分からない。だが彼女が魑魅魍魎蠢く煉獄で生き残り、わずかでも文化的生活にありつけるところまで至ったのは、むーさんの存在をおいて他にない。
「その後、彼女は那由多とツムジという人物と出会い、わずかの間彼らと暮らした」
御玲は虚しげに空を見上げる。今となっては存在しない人物を思い描いているかのように、彼女の眼は遠い景色を眺めていた。
那由多とツムジ。聞かない名だ。下威区で暮らしていたスラム民の一人なら、強かったとしても二つ名も何もない。そもそも存在すらしていないことにされているから、流石の俺でも知りようがない。
``武ノ壁``の向こう側は、向こう側に行き着いた者のみぞ知る。武市じゃ、有名な通説だ。
「それで、何かがあって、その那由多とツムジとやらと仲違いしたのか」
ここからは予想だ。といっても、予想というほど大層なものでもないのだが。
ブルーは現状に満足しているなら、それ以上を求めない。彼女は報酬に貪欲な面があるがゆえに、守銭奴だの報酬厨だの強欲怠惰少女だのと他の請負人からは揶揄されるが、その本質は無欲だ。
彼女が報酬で目の色を変えるのは生活費以外で絶対に払わなければならない支出が常にあり、その支出を差し引いた中で生計を立てなければならないからで、とどのつまり``生きる上で金が必要``だからである。
実際、生活費とその支出以外で使うことは皆無で、寝てばっかのアイツに「稼いでいるんだから遊興費とか使わないのか」と聞いたら、「娯楽なんざ弱え奴を虐げるしか能がねえカスがやる贅沢だ」と、いつになく明確な滑舌で言ってのけたのを今でも覚えている。
そんな無欲なアイツが、共に生活できる人々と出会ったにも関わらず、武ノ壁を超える決断をしたのは、きっとその現状に満足していなかったからだろう。
下威区に不満を持っていたブルーと、なんらかの理由で故郷を離れたがらなかった那由多とツムジ。アイツは変に意固地なところがある。そうすると決めたら頑として譲らない。
那由多とツムジとやらが何故下威区を離れたがらなかったのかは分からない。どんなに酷い場所だろうと、彼らにとっては生まれ育った故郷だったからなのかもしれない。
だからこそブルーは雀の涙を掻き集めてようやく一粒の幸せを得られるはずだった人々との繋がりを断ち切り、長らく境界を分かつために存在していた武ノ壁を越える決意を固めたのだ。
「それで、俺と出会ったわけか」
頭の中で、全てのピースが揃う。
今思えばブルーの出現報告は中威区東部都市が最初であり、中威区東部都市は武ノ壁と隣接していた。出現したブルーが消滅した暴閥は、確か下威区民を奴隷にして売り捌く、どちらかというと任務請負機関に対して敵対的な暴閥だったし、下威区から来たってのは、あながち間違いじゃないだろう。
「で、ブルーが殺したがってるのは……」
「……殺したんです。澄男さまが。那由多という男を」
那由多。さっきの話に出てきた、僅かながら生活を共にしていたけれど、仲違いしたという人物。
あのブルーが殺意マシマシでカチキレるなんざ相当だ。究極的にはむーさんさえいたらいいと思っているアイツが、他者のために己のキャリアすら放り投げ、ただの復讐に身を堕とすなど、俺からしたら到底信じられるものじゃない。
でも実際、ブルーは復讐に身を投げた。那由多って奴は、アイツの中でそれだけ大きな存在だったということだ。
「……なんで新人……いや流川澄男様は、那由多を殺ったんだ?」
那由多は下威区民で、澄男は流川本家の当主で。双方の立場はあまりに違いすぎる。本来なら一生、交わることなんてないはずだ。
「今朝、武ノ壁崩壊の情報が世界的に広まったのはご存じでしょう? 那由多と私たちは、あの現場に居合わせていたのです」
俺は、目を見開いた。見開くしかなかった。
武ノ壁の崩壊、それを意味するところは武ノ壁の主導権を握っていた暴閥が一夜にして滅んだということ。武ノ壁を発動させたのは擬巖だという事実は、武市で知らない奴などいない。そもそも擬巖が自ら臆面もなく公表していたことだ。
それがたった一日で滅んだということは、少なくとも家格で同等以上の存在によって滅ぼされたということ。擬巖は大陸八暴閥に名を連ねる、武市最上位の暴閥。そんな生態系最上位の存在を一日で滅ぼせる存在など、ほんの一握りしかいない。
「じゃあ今日の……空に現れたアレも……」
おそるおそる、聞いてみる。御玲は振り向くこともなく、無言で頷いた。
今日の朝に、突如として現れた超巨大浮遊物体。それらから放たれる大量のエーテルレーザーの雨は、武市に存在する擬巖家傘下の勢力全てを貫き殺し尽くした。
あの瞬間をもって擬巖に関わる全ての生物が、息絶えたのだ。たった一勢力、流川家が持つ圧倒的な力によって。
「……はは。流川が、擬巖を。それだけでも驚きだが、擬巖の勢力だけを殺し尽くせる力ってのも、想像の埒外だな……」
少なくとも北支部で燻っているような、たかが監督官如きの想像力では理解しようもない。
擬巖が支配する勢力の数は、任務請負機関本部ですら、その全てを把握できていなかった。狙撃に特化した大魔導師にして、本部の受付兼迎撃固定砲台たる``雷のアーサーソルド``をもってしても、周囲のもの全てを焼き尽くし溶かし尽くす炎の巨人``火のスルトル``をもってしても、擬巖の全てを武市から葬り去るなんて真似はできないほどに。
だが流川は、それをただの早朝にやってのけた。自分にとって最も身近な最強は、母親を含めた魔女たちだが、流川はその比ではない。武市に散在する敵勢力の残党、ただそれだけを一人残らず全て殺し尽くすなど、一体どれだけの魔法科学技術があれば可能なのだろうか。
流川が力の権化たる魔女たちをさしおいて、武市に生まれ住む全ての存在から最大最強と呼ばれ恐れられるのがよく分かる。奇しくも、支部監督官会議で俺が思いつきで言った予想が、神がかった確率でドンピシャを引きあてたわけだ。流川の力と同時に、自分の直感の冴えにも末恐ろしいものを感じる。
「でも……じゃあなんで澄男様は那由多を? 一緒に壁ぶち壊すのに協力してたんだよな……?」
流川の圧倒的軍事力のせいで話が逸れたが、那由多と澄男が協力していたというのなら、尚更澄男が那由多を殺す理由が分からない。
確かに澄男は過激なところはあるし、人の話は聞かないし、協調性も皆無。子供時代に精神を置いてきたのかってぐらいの幼稚さを感じさせる奴だが、道理のないことをしでかすような奴じゃなかったはずだ。
「レクさんが考えているようなことはありませんよ。あの人は、見ての通り不器用で隠し事ができない人なので」
御玲の言葉が、心地よく聞こえたのは、気のせいじゃないと信じたい。間違いだらけの人生だった俺でも、ほんの少し正しい方を選んでいるのだと、思いたいからだ。
「那由多が先に、澄男さまを裏切ったんです。やはり下威区に生きる者として、その根源たる流川の存在が許せなかったのでしょう」
だから、殺したのか。
俺が思っている通りの人物なら、澄男は敵意を向けた奴に容赦もなければ躊躇もしない。どんな経緯であれ、那由多って奴が敵意を向けた時点で、殺すことに躊躇はしなかっただろう。
流川は昔から、敵には血も涙もない暴閥で有名だ。それは末裔である澄男も変わらない。
「だからブルーは、澄男を……」
ブルーにとって、おそらく家族同然だったのだろう。血の繋がりはないけれど、下威区で苦楽をともにした同胞。それはただの血筋よりも強かで骨太で、たとえどれだけ遠く離れていても切れることのない、確かな繋がり。
それを澄男は、断ち切ってしまった。ブルーが自棄になるのも無理からぬことだ。
「俺もお袋を殺られたら、正気でいられる自信はねえしな……」
その場合を想定してみる。仮にそうなったとしても、監督官を辞める決断はしないだろう。むしろ殺られたからこそ、より一層職務を全うしようと思うし、迷わず昇進だって視野に入れると思う。
それに、一度は監督官になった身だ。その立場には責任が伴う。俺が復讐を考えて同士討ちをしに行ったなら、誰が北支部の音頭を取るのか。後任も決まっていない現状で新人も中堅も全員投げ出して本部からクビ通告されたなら、北支部は混乱を極めるだろう。風評だって下がってしまう。
だが今の俺が背負っている、社会的責任の類を全て差し引いたとして。もしもお袋を殺した奴がのうのうと俺の前に現れたなら―――俺は、一体どうしてしまうのだろう。奥歯を噛み締め、唇を噛み切って耐えるだろうか。それとも。
「俺でもこうなんだ。ブルーに耐えろってのは、流石に酷だよな」
食ったら金がなくなるまで寝る怠惰なブルーが頭に浮かぶ。
アイツは無欲だが、我慢強い方じゃない。澄男のように幼稚ってわけでもないのだが、澄男と同じく敵対者に過敏なところはある。何度もそこは注意してきたのだが、出身が下威区のことを考えれば、是正は難しい。
「澄男様はやっぱ殺っちまうのかな……俺からなんとか……」
「やめた方がいいと思います。流川は戦士の誇りを侮辱されることをなによりも嫌うので」
「流川って意外と任侠くせえところあるんだな」
「いえ、おそらく先代……澄男さまのお母さまの影響だと思いますが……それにしても、いつもの``新人``呼びでも結構ですよ?」
「いや、遠慮しとくよ……立場が違いすぎるからな」
俺の脇を冷たい風が虚しく吹き抜ける。真夏にさしかかろうとしてやがる七月、本来ならぬるま湯のような、これっぽっちも涼しくない風しか吹かないってのに、やけに冷たくて思わず身震いしてしまう。
澄男。今までは``新人``と呼んでいた。何度注意しても俺のことを金髪野郎と言いやがるので、俺も自然に新人と呼ぶようになったが、相手はただの新人でもなければ、ただの澄男でもない。流川の澄男、流川澄男だ。流川本家の当主、大陸八暴閥``四強``の一柱。二つ名は``禍焔``。現代人類における、最強戦闘生物の一人に数えられる。
対して、俺はただの北支部監督官。格が釣り合わない。
「澄男さまはそんなこと気にしませんよ。仮に気にするような方なら、あなたはすでにこの世にいません」
御玲の言葉が痛く刺さると同時に、希望的観測をする自分が湧いて出る。
流川澄男、流川の部分を差し引いてただの澄男として接してくれていた今までを振り返ると、アイツが己を着飾れるほど器用な男じゃないことは、深く悩むまでもない。
嘘をつくのが下手くそで、馬鹿みたいに素直で、素直すぎて愚直で時に過激だけれども道理は通す。俺、レク・ホーランから見た澄男という男は、任侠という二文字がよく似合う、熱い少年だった。
希望的観測も甚だしいし、不敬極まりない考えだが、もしも万が一、今回の件が円満な形で終わるなら、今後も変わらない付き合いをしたい。それが俺の、嘘偽りない本音だ。
「そのためには、やっぱ俺も動かなきゃな……」
今回の件、賢く立ち回るなら俺が下手に動かず全てを流川と水守に成り行きを任せてしまうというのが、格下として適切な行動だ。
相手は天下の流川である。三大魔女ですら及ばない存在に、ただの北支部監督官が割り込むなど許されない。戦場に立つことすら、本来なら許されないのだ。
でも、本当にそれでいいのか。全ての成り行きを流川に任せる。それが本当の意味で解決といえるのか。否、それはいわば任務の放棄。北支部監督官として、任務請負機関に属する者として、許されざる行為だ。
「まあそんな任務、発注されてなんざいねえけどな」
つまるところ、結局はエゴである。ブルーを失いたくないという、俺の勝手な我儘だ。
この決断はきっと武市的には正しくないと思う。いわば暴閥への叛逆だ。本来なら死罪だろう。それでも俺は北支部監督官として、ブルー・ペグランタンを生かして復職させるという、過去最大難度の任務を受注してやる。
難易度はフェーズG、本部からの支援はなし。さて、緊急任務の始まりだ。
俺はぬいぐるみたちと戯れる、象のぬいぐるみに近づいた。
北支部監督官になってもう数年が経つが、選択の誤ちを、いつからか数えるのをやめてしまった。俗に言う、逃避ってやつである。
数えなければ考えることもない。気にすることもなければ、後ろを振り返ることもない。ただ、前だけを向いて歩んでいける。
何度選択を誤り、どれだけ後悔で己自身を呪い殺したくなっても、明日ってのは否応なくやってくる。責任ある立場になった今、後ろを振り返り失われたものを数えることを、いつからかしないようになっていた。
「だからこそ、何度も間違えるんだろうな……」
同じミスを繰り返すなんて、北支部監督官として失格だ。本来なら反省し対策し、再発防止に努めるべきだろう。後ろを振り返らない理由は沢山思い浮かぶが、そのどれもが見苦しい言い訳にしかならないことに、苛立ちが募った。
「……ブルー……」
ブルー・ペグランタン。彼女との出会いは、御玲にも言った通り波瀾万丈奇想奇天烈だった。
下威区の関門を担っていた中位暴閥が何者かの襲撃によって一夜で消滅し、その何者かが中威区東部都市を猛スピードで突き進み、北部都市まで迫ってきた。
東支部は、突如現れたその何者かがやらかした破壊の後始末、曲がりなりにも下威区の関門を担っていた名のある中位暴閥が消滅したことで慌ただしくなった中威区暴閥自治区の鎮圧などで手一杯となり、その何者の討滅に対応及び協力はできないということで、本部から対処せよと厳命されたのは今でも覚えている。
あのときは面倒な奴を俺のシマに逃がしてくれたもんだと煮湯を飲まされた気分になったが、中威区東部都市には暴閥自治区がある。殺気立ったソイツらから市民の安全を守るのも、東支部の立派な務めだ。押し付けられた分、手柄と報酬はありがたく貰っておこうと前向きに考えを切り替えて北支部を出た。
俺が現場に駆けつけた頃には、既にその何者かは俺のシマ―――中威区北部都市で破壊の渦を巻き起こしていた。初めて相対したときの記憶は、鮮明に覚えている。
暗黒の霧を際限なく撒き散らし、支離滅裂ながらも意図は図れる奇妙な人語を話し、濃密な殺意と敵意でもって、俺を含めた視界に映る``動くもの``全てを無差別に破壊する化け物。その猛攻たるや、苛烈を極めた。
見た目は絶え間なく黒霧を噴き出す少女だが、その強さは人外だった。強いなんてもんじゃあない。人でありながら、人ではない何か。拘束するどころか、久しぶりに死相が見えたほどに、生きている心地がしなかった。スケルトンを相手にしている方がマシだったという感想を抱くのは、過去と未来を紐解いてもあのときが最初で最後だと思う。
最終的には俺のお袋がどこからともなくやってきて、たった一人でコテンパンにしてしまった。あの人は俺が命の危機に瀕すると、どこにいようとどこからともなくやってくる。俺が手も足も出なかったアイツをたった一人でブチのめしたのは、今思い返しても戦慄を禁じ得ないが、それゆえにむーさんとブルーが融合した姿を見るのは、あの時が最後になると思っていた。
本来なら武市を騒がせた存在。本部によって拘置され、隅々まで調べ上げられるはずだった少女。それ以前に俺を殺そうとした時点で、お袋は殺る気満々だった。当時の俺が説得しなきゃ、今みたいな関係には決してなっていないだろう。
「こんなことなら、過去の一つや二つ……聞いておくべきだったな」
仮に思い至っても実行しなかっただろうが。その考えがすぐにたらればを塗り潰す。
任務請負機関は、お互いの過去に触れ合わないって空気が基本的に流れており、誰しもがお互いの過去を探るような真似はしない。これに関しては機関則で定められているわけではなく、任務請負機関にて支配的な慣習のようなものだ。
誰しも触れられたくない過去ってのは少なからずある。それを根掘り葉掘り聞き回ることは結束の瓦解を招き、組織の基盤を揺るがす惨事になりうる。
俺は監督官として必要と判断すれば、北支部に所属する請負人に限り、強権を発動することができた。でも結束を重要視する俺としては、異変をともに乗り越える同志に対して強権を振りかざすことを是としなかった。それは、ブルーだって例外じゃない。
「アイツはきっと……生きたかっただけなんだ。触れない理由は、それだけでいいじゃねえか」
それゆえに今のような事態が起きているし、過去に犯した誤ちを繰り返してしまっているのだが、それでも彼女にだけ強権を振りかざして過去を掘り返すなんて、あまりに不平等なんじゃないかと思う自分が駄々を捏ねる。
ブルーは本来、本部に拘置されるか、最悪お袋に八つ裂きにされるかの二択しか存在しなかった。その絶望的二択ではなく、今みたいな関係を築ける選択肢が選べたのは、俺がお袋を説得したからだった。
彼女は、生きていた。人の身から外れた力を振るってこそいたが、それでも彼女は人だった。
人ならば、助けたい。本部に拘置されるよりお袋に八つ裂きにされる方が早いのなら、一つでも多くを―――。
「そうだよな……俺がアイツを助けたのは……」
エゴだ。監督官としての責務、任務請負人の任侠。それら全て、ただの建前。
目の前で死にかけているガキがいて、今にも強い奴にブチ殺されそうになっていて。可哀想だから、救えるのなら、手を差し伸べてやりたいと。そうすれば、同志を失っちまった今までの罪を全部帳消しにできるんじゃあないかと。
今更ながら浅はかで青臭い考えだ。ブルーを助けたところで、失った奴らの命が帰ってくることはない。死は等しく横たわり、覆ることなんてないからだ。俺は死に損ないだったブルーを、自身の慰めに利用したにすぎない。
「お袋には、偽善だって散々嘲笑れたっけ」
失った者の姿を重ね、気まぐれに目の前の死に損ないに手を差し伸べる行いは、見るに堪えないほどに醜く薄汚い自慰であり、万人を絶望に陥れる巨悪よりも歪み捻じ曲がった偽善だと、口汚く嘲り、しつこく殺せと勧めてきた。だがお袋はこうも言っていた。
『この子のことを本当に思うなら殺しなさい。でも、この子のためにいくらでも馬鹿になってやる覚悟があるのなら……その全てを奪い取ればいい』
我ながら実の息子に何を言ってやがるんだこの人はと思ったが、その言葉の真意は容易に推し量れた。
この世界は、弱肉強食。強い奴が生き残り、弱い奴が死ぬ世界。そして戦いにおいて、勝者が敗者の全てを総取りできる。それは勝者の特権であり、敗者はその特権の前には無力だ。
彼女を倒したのは、お袋だ。しかしその言葉からお袋の意志を汲み取れない俺じゃなかった。
「それからはまあ……色々あったが円満に関係を築いていけてたんだがな……」
最初は棘しかなかったブルー。お袋の根回しもあり無事北支部の一請負人になれはしたが、俺を含め北支部の誰とも馴染もうとはしなかった。
彼女の傍らには常に北支部ロビーの半分を埋め尽くす巨大な黒百足が鎮座し、彼女に近づこうとした全ての輩は、敵意の有無とは無関係に蹴散らされていった。かくいう俺も、その一人だ。
最終的には俺だけが彼女に関わろうとするようになり、その度にむーさんにブチのめされては壁にめり込まされる日々。
それでも、諦めなかった。彼女に手を差し伸べると決めたあの日から、たとえブルーに関わることを諦めた同士から不憫な奴と見做されようと、何度も近づいてはむーさんにボコされる阿呆になった。
日課の任務消化をこなしつつ新人研修もこなしつつむーさんにブチのめされる日々は、いつからか久しく忘れていた``疲労感``を味わうぐらいにはキツかったが、その甲斐がなかったなんて思ったことは、一度もない。
『うっぜ!! まじうっぜ!! オメーいーかげんしつけーんだよ、なんかいブチのめされりゃーきぃすむんだクソヤロー!!』
今でも覚えている、アイツが初めて投げてくれた言葉。一字一句、忘れることはない。
「なのに……どうしてこうなっちまったのかなあ」
俺が他の支部監督官と現状を共有するために、ブルーを誘ったとき。きっとあのときブルーは、自分を止めて欲しかったんじゃないだろうか。
今となっては考えるだけ無駄な思索でしかないが、そうじゃなきゃ、執務室でスタンばるなんて真似はしないだろう。ガタつかれるのが分かっているなら、執務室で俺が来るのを待たず、黙って新人のところに行けばいい。変なところで聡くて案外狡猾な面もあるアイツなら、絶対にそうしたはずだ。
「………なあ、御玲。新人は、ブルーを殺ると思うか?」
俺は何を聞いているのだろう。そんなことを聞いても、その場凌ぎにしかならないのに。
「分かりませんね。全ては澄男さま次第としか」
そうだよな、と分かりきっていた答えを淡々と受け取る。
相手は流川。この世界で、最強の存在。なにもかも、その全てが意のままだ。反旗を翻すことは、有象無象にとって死を意味する。ブルーも俺も、その有象無象の一人にすぎない。
ブルーだって武市に生きる一人の市民として、流川に逆らうことの意味を十全に理解しているはずだ。
「彼女は、元々下威区出身だそうです。請負人になる以前、彼女はとある人物と暮らしていました」
一人でに語り出した御玲に、耳を傾ける。
ブルー・ペグランタン。彼女はかつて下威区の果て、完全退廃地帯にて死の間際を迎えようとしていた。
完全退廃地帯といえば、下威区において最も霊力に汚染された死地。霊力に耐性がない人間が立ち入れば、一分も持たずに死に至ると言われている地獄だ。それ以前に豊潤すぎる霊力はヘルリオン山脈で生きる魔生物にとって楽園であり、仮に霊力をなんとかできたとしても、退廃地帯の支配者たる魔生物に食い殺されてしまう。彼女もまた、例外じゃなかった。
「いや待てよ。百歩譲って下威区から来たと仮定して、どうやって退廃地帯を……」
そこまで言ったところで悟った。何故彼女が生き残れたのか。退廃地帯という死地で、彼女が生きることができたのか。
「……むーさん、か」
そう、彼女はそこでむーさんに出会った。何があって、どんな経緯で、どういうカラクリかはよく分からない。だが彼女が魑魅魍魎蠢く煉獄で生き残り、わずかでも文化的生活にありつけるところまで至ったのは、むーさんの存在をおいて他にない。
「その後、彼女は那由多とツムジという人物と出会い、わずかの間彼らと暮らした」
御玲は虚しげに空を見上げる。今となっては存在しない人物を思い描いているかのように、彼女の眼は遠い景色を眺めていた。
那由多とツムジ。聞かない名だ。下威区で暮らしていたスラム民の一人なら、強かったとしても二つ名も何もない。そもそも存在すらしていないことにされているから、流石の俺でも知りようがない。
``武ノ壁``の向こう側は、向こう側に行き着いた者のみぞ知る。武市じゃ、有名な通説だ。
「それで、何かがあって、その那由多とツムジとやらと仲違いしたのか」
ここからは予想だ。といっても、予想というほど大層なものでもないのだが。
ブルーは現状に満足しているなら、それ以上を求めない。彼女は報酬に貪欲な面があるがゆえに、守銭奴だの報酬厨だの強欲怠惰少女だのと他の請負人からは揶揄されるが、その本質は無欲だ。
彼女が報酬で目の色を変えるのは生活費以外で絶対に払わなければならない支出が常にあり、その支出を差し引いた中で生計を立てなければならないからで、とどのつまり``生きる上で金が必要``だからである。
実際、生活費とその支出以外で使うことは皆無で、寝てばっかのアイツに「稼いでいるんだから遊興費とか使わないのか」と聞いたら、「娯楽なんざ弱え奴を虐げるしか能がねえカスがやる贅沢だ」と、いつになく明確な滑舌で言ってのけたのを今でも覚えている。
そんな無欲なアイツが、共に生活できる人々と出会ったにも関わらず、武ノ壁を超える決断をしたのは、きっとその現状に満足していなかったからだろう。
下威区に不満を持っていたブルーと、なんらかの理由で故郷を離れたがらなかった那由多とツムジ。アイツは変に意固地なところがある。そうすると決めたら頑として譲らない。
那由多とツムジとやらが何故下威区を離れたがらなかったのかは分からない。どんなに酷い場所だろうと、彼らにとっては生まれ育った故郷だったからなのかもしれない。
だからこそブルーは雀の涙を掻き集めてようやく一粒の幸せを得られるはずだった人々との繋がりを断ち切り、長らく境界を分かつために存在していた武ノ壁を越える決意を固めたのだ。
「それで、俺と出会ったわけか」
頭の中で、全てのピースが揃う。
今思えばブルーの出現報告は中威区東部都市が最初であり、中威区東部都市は武ノ壁と隣接していた。出現したブルーが消滅した暴閥は、確か下威区民を奴隷にして売り捌く、どちらかというと任務請負機関に対して敵対的な暴閥だったし、下威区から来たってのは、あながち間違いじゃないだろう。
「で、ブルーが殺したがってるのは……」
「……殺したんです。澄男さまが。那由多という男を」
那由多。さっきの話に出てきた、僅かながら生活を共にしていたけれど、仲違いしたという人物。
あのブルーが殺意マシマシでカチキレるなんざ相当だ。究極的にはむーさんさえいたらいいと思っているアイツが、他者のために己のキャリアすら放り投げ、ただの復讐に身を堕とすなど、俺からしたら到底信じられるものじゃない。
でも実際、ブルーは復讐に身を投げた。那由多って奴は、アイツの中でそれだけ大きな存在だったということだ。
「……なんで新人……いや流川澄男様は、那由多を殺ったんだ?」
那由多は下威区民で、澄男は流川本家の当主で。双方の立場はあまりに違いすぎる。本来なら一生、交わることなんてないはずだ。
「今朝、武ノ壁崩壊の情報が世界的に広まったのはご存じでしょう? 那由多と私たちは、あの現場に居合わせていたのです」
俺は、目を見開いた。見開くしかなかった。
武ノ壁の崩壊、それを意味するところは武ノ壁の主導権を握っていた暴閥が一夜にして滅んだということ。武ノ壁を発動させたのは擬巖だという事実は、武市で知らない奴などいない。そもそも擬巖が自ら臆面もなく公表していたことだ。
それがたった一日で滅んだということは、少なくとも家格で同等以上の存在によって滅ぼされたということ。擬巖は大陸八暴閥に名を連ねる、武市最上位の暴閥。そんな生態系最上位の存在を一日で滅ぼせる存在など、ほんの一握りしかいない。
「じゃあ今日の……空に現れたアレも……」
おそるおそる、聞いてみる。御玲は振り向くこともなく、無言で頷いた。
今日の朝に、突如として現れた超巨大浮遊物体。それらから放たれる大量のエーテルレーザーの雨は、武市に存在する擬巖家傘下の勢力全てを貫き殺し尽くした。
あの瞬間をもって擬巖に関わる全ての生物が、息絶えたのだ。たった一勢力、流川家が持つ圧倒的な力によって。
「……はは。流川が、擬巖を。それだけでも驚きだが、擬巖の勢力だけを殺し尽くせる力ってのも、想像の埒外だな……」
少なくとも北支部で燻っているような、たかが監督官如きの想像力では理解しようもない。
擬巖が支配する勢力の数は、任務請負機関本部ですら、その全てを把握できていなかった。狙撃に特化した大魔導師にして、本部の受付兼迎撃固定砲台たる``雷のアーサーソルド``をもってしても、周囲のもの全てを焼き尽くし溶かし尽くす炎の巨人``火のスルトル``をもってしても、擬巖の全てを武市から葬り去るなんて真似はできないほどに。
だが流川は、それをただの早朝にやってのけた。自分にとって最も身近な最強は、母親を含めた魔女たちだが、流川はその比ではない。武市に散在する敵勢力の残党、ただそれだけを一人残らず全て殺し尽くすなど、一体どれだけの魔法科学技術があれば可能なのだろうか。
流川が力の権化たる魔女たちをさしおいて、武市に生まれ住む全ての存在から最大最強と呼ばれ恐れられるのがよく分かる。奇しくも、支部監督官会議で俺が思いつきで言った予想が、神がかった確率でドンピシャを引きあてたわけだ。流川の力と同時に、自分の直感の冴えにも末恐ろしいものを感じる。
「でも……じゃあなんで澄男様は那由多を? 一緒に壁ぶち壊すのに協力してたんだよな……?」
流川の圧倒的軍事力のせいで話が逸れたが、那由多と澄男が協力していたというのなら、尚更澄男が那由多を殺す理由が分からない。
確かに澄男は過激なところはあるし、人の話は聞かないし、協調性も皆無。子供時代に精神を置いてきたのかってぐらいの幼稚さを感じさせる奴だが、道理のないことをしでかすような奴じゃなかったはずだ。
「レクさんが考えているようなことはありませんよ。あの人は、見ての通り不器用で隠し事ができない人なので」
御玲の言葉が、心地よく聞こえたのは、気のせいじゃないと信じたい。間違いだらけの人生だった俺でも、ほんの少し正しい方を選んでいるのだと、思いたいからだ。
「那由多が先に、澄男さまを裏切ったんです。やはり下威区に生きる者として、その根源たる流川の存在が許せなかったのでしょう」
だから、殺したのか。
俺が思っている通りの人物なら、澄男は敵意を向けた奴に容赦もなければ躊躇もしない。どんな経緯であれ、那由多って奴が敵意を向けた時点で、殺すことに躊躇はしなかっただろう。
流川は昔から、敵には血も涙もない暴閥で有名だ。それは末裔である澄男も変わらない。
「だからブルーは、澄男を……」
ブルーにとって、おそらく家族同然だったのだろう。血の繋がりはないけれど、下威区で苦楽をともにした同胞。それはただの血筋よりも強かで骨太で、たとえどれだけ遠く離れていても切れることのない、確かな繋がり。
それを澄男は、断ち切ってしまった。ブルーが自棄になるのも無理からぬことだ。
「俺もお袋を殺られたら、正気でいられる自信はねえしな……」
その場合を想定してみる。仮にそうなったとしても、監督官を辞める決断はしないだろう。むしろ殺られたからこそ、より一層職務を全うしようと思うし、迷わず昇進だって視野に入れると思う。
それに、一度は監督官になった身だ。その立場には責任が伴う。俺が復讐を考えて同士討ちをしに行ったなら、誰が北支部の音頭を取るのか。後任も決まっていない現状で新人も中堅も全員投げ出して本部からクビ通告されたなら、北支部は混乱を極めるだろう。風評だって下がってしまう。
だが今の俺が背負っている、社会的責任の類を全て差し引いたとして。もしもお袋を殺した奴がのうのうと俺の前に現れたなら―――俺は、一体どうしてしまうのだろう。奥歯を噛み締め、唇を噛み切って耐えるだろうか。それとも。
「俺でもこうなんだ。ブルーに耐えろってのは、流石に酷だよな」
食ったら金がなくなるまで寝る怠惰なブルーが頭に浮かぶ。
アイツは無欲だが、我慢強い方じゃない。澄男のように幼稚ってわけでもないのだが、澄男と同じく敵対者に過敏なところはある。何度もそこは注意してきたのだが、出身が下威区のことを考えれば、是正は難しい。
「澄男様はやっぱ殺っちまうのかな……俺からなんとか……」
「やめた方がいいと思います。流川は戦士の誇りを侮辱されることをなによりも嫌うので」
「流川って意外と任侠くせえところあるんだな」
「いえ、おそらく先代……澄男さまのお母さまの影響だと思いますが……それにしても、いつもの``新人``呼びでも結構ですよ?」
「いや、遠慮しとくよ……立場が違いすぎるからな」
俺の脇を冷たい風が虚しく吹き抜ける。真夏にさしかかろうとしてやがる七月、本来ならぬるま湯のような、これっぽっちも涼しくない風しか吹かないってのに、やけに冷たくて思わず身震いしてしまう。
澄男。今までは``新人``と呼んでいた。何度注意しても俺のことを金髪野郎と言いやがるので、俺も自然に新人と呼ぶようになったが、相手はただの新人でもなければ、ただの澄男でもない。流川の澄男、流川澄男だ。流川本家の当主、大陸八暴閥``四強``の一柱。二つ名は``禍焔``。現代人類における、最強戦闘生物の一人に数えられる。
対して、俺はただの北支部監督官。格が釣り合わない。
「澄男さまはそんなこと気にしませんよ。仮に気にするような方なら、あなたはすでにこの世にいません」
御玲の言葉が痛く刺さると同時に、希望的観測をする自分が湧いて出る。
流川澄男、流川の部分を差し引いてただの澄男として接してくれていた今までを振り返ると、アイツが己を着飾れるほど器用な男じゃないことは、深く悩むまでもない。
嘘をつくのが下手くそで、馬鹿みたいに素直で、素直すぎて愚直で時に過激だけれども道理は通す。俺、レク・ホーランから見た澄男という男は、任侠という二文字がよく似合う、熱い少年だった。
希望的観測も甚だしいし、不敬極まりない考えだが、もしも万が一、今回の件が円満な形で終わるなら、今後も変わらない付き合いをしたい。それが俺の、嘘偽りない本音だ。
「そのためには、やっぱ俺も動かなきゃな……」
今回の件、賢く立ち回るなら俺が下手に動かず全てを流川と水守に成り行きを任せてしまうというのが、格下として適切な行動だ。
相手は天下の流川である。三大魔女ですら及ばない存在に、ただの北支部監督官が割り込むなど許されない。戦場に立つことすら、本来なら許されないのだ。
でも、本当にそれでいいのか。全ての成り行きを流川に任せる。それが本当の意味で解決といえるのか。否、それはいわば任務の放棄。北支部監督官として、任務請負機関に属する者として、許されざる行為だ。
「まあそんな任務、発注されてなんざいねえけどな」
つまるところ、結局はエゴである。ブルーを失いたくないという、俺の勝手な我儘だ。
この決断はきっと武市的には正しくないと思う。いわば暴閥への叛逆だ。本来なら死罪だろう。それでも俺は北支部監督官として、ブルー・ペグランタンを生かして復職させるという、過去最大難度の任務を受注してやる。
難易度はフェーズG、本部からの支援はなし。さて、緊急任務の始まりだ。
俺はぬいぐるみたちと戯れる、象のぬいぐるみに近づいた。
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