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魔軍上陸編
メルヘンチックな悪夢 3
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全ては二日前に遡る。
ここ、中威区より遥か北方に``永久氷山エヴェラスタ``は、ある時から常に氷雪と猛吹雪に閉ざされた山岳地帯である。
今もその地の氷雪は、融ける事なく存在している。
エヴェラスタの支配者ヴァザーク・リ・ゼロ・エスパーダ、ここの者どもがアザラシと呼ぶその男と、些細な事で口論になった。
内容は外界、つまりは人里に降りるか否かという瑣末な事だったらしい。
エヴェラスタから出てしまうと、彼女は殆どの性能を封じられてしまう体質を、彼は強く憂慮していた。
彼女は外出を願ったが受け入れられず、振り切る形で飛び出してきてしまったそうな。
元々数年以上前から、エスパーダの過保護には少々厚かましさを感じており、その過保護さは、彼女の生活を強く窮屈にするものだった。
彼に黙って外出するつもりだったが、バレてしまってやむ終えず、とのこと。
そのまま飛び出してきてしまった手前、やはり口論になってしまった事が心配で、ほんの少し自由を満喫してからすぐに戻るつもりだったようだ。
一連の経緯が話し終えられ、嵌っていないパズルのピースを嵌めていく。弥平は、まだ足りないピースの存在を憂慮する。
目玉商品といわれていたのは彼女の美貌と、服を含めたその美しい容姿、そして見た目から未だ年端も行かない少女。
凪上家当主とその取り巻きは競売会を開催すれば高く売れると思案した。
そしてここにいる者共は、彼女がクライアントに買収され、肴にされる前に連れ戻そうと凪上邸を襲撃。
つまり、その救出作戦に偶然出くわしてしまった、といったところか。
話を聞く限りでは、まだエスパーダなる人物との拗れは解消できていないようだ。陰鬱な表情を浮かべているのは、彼の身を案じての事だろう。
しかし気になる点がある。何故未だに残留しているのか、だ。
エントロピーを救出したのならば、もうここに残る必要はない。むしろ早急に彼女をエスパーダなる人物の下へ返してやるのが先決だろう。
エスパーダのこれからの行動を大雑把に予想するなら、単独でエントロピーの救出。それも関係の無い沢山の者を巻き込んだ荒々しいやり方。
彼女の話から想像できる彼の人物像は、彼女を大変大事に思っている男性。
大変大事に思っている存在が二日間も音沙汰の無い状態が続けば、どのような行動に出るかなど、想像に難くない。
いや待て。あくのだいまおうは何と言ったか。
エントロピーとエスパーダの関係に拗れが生じている。彼女がいたのは中威区。エスパーダに罰則を与える者が流川澄男。つまり―――。
「エスパーダと澄男様を、戦わせるおつもりで……?」
彼の問いかけに場は騒然とした。金冠を乗せたパオングと、場の中心人物であるあくのだいまおうを除いて。
「ほう。して、その根拠は」
あくのだいまおうに問われ、改めて説明していく。
第一に出身国は武市である事。
第二に罰則を与える役目と重責を負わせる役目、同時に担えるのが澄男しかいない事。
第三に愛する者の焦がれは澪華を失った今の澄男と共通している事。
第四に罰則とは即ち共通の心理状態に陥っている澄男とエスパーダを戦わせ、エスパーダが何らかの要因で敗北すると解釈できる事。
澄男も大事な友人と母親を、つい一週間前に失って精神的に消沈している。
エスパーダと心理状態が似通っている今、彼らが出会えばどういう末路を辿るか。想像するまでもない。
だからこそ第四の根拠が、あくのだいまおうが計画している真の目的と結論付けるのが妥当なのだ。
弥平の表情が歪んだ。
身内のみで対処するのならいざ知らず、澄男を巻き込むつもりか。
第一、彼は人間。対してエスパーダは異形。普通に戦えば勝ち目はない。勝算がないというのに、どうやって罰とやらを与えるというのだろう。
話の流れから、澄男がエスパーダに勝たなければ罰を与えた事にはならない上、エントロピーに責任を負わせる役目を果たせない。
どうやって、人間の澄男が人外のエスパーダに勝てるのだろうか。
まだだ。まだあくのだいまおうの真意が見えない。
まるで灰色のフィルターで透かしているような見えにくさが、ぴりぴりとした苛々を湧き立たせる。
「澄男さんに勝算が無い。そんな顔をしてますね」
「澄男様は人間ですよ?」
「エスパーダも、元は人間のようなものです」
「でも今は人外なのでは」
「ええ。でもね弥平さん。この状況で私が明らかに勝算の無い人間を指名すると思いますか」
「……それは」
「その証拠というのも語弊がありますけれども、ここまでの話を聞いて、精査して、澄男様が本当に人間だと何故言えるのです?」
目を丸くした。
この紳士、何を言っている。問いかけの意味が分からない。問いかけ自体に何の意味も無いではないのか。
見る限り、彼は人間だ。
出身は武市。流川本家の血が流れているという規格外こそあれど、つい一週間前まで一介の学生に扮して生活していた一人の少年。
逆に人間ではない要素が見当たらない。姿形が異形というわけでもなし、常識が分からないわけでもなし、公衆の面前で下半身裸になるわけでもなし。
ただ他の人と違う生活を送ってきた、それだけの違いしかないではないか。
「ではもう一つ付け足しましょう。貴方は最初に私を見た時、私が``人間``だと思いになられましたか」
あくのだいまおうの補足に、思わず口を噤んだ。
そういえば、思わなかった。人の形、人と同じ姿こそしているが、中身は得体の知れない魑魅魍魎だと判断した。
心を読まれているのではないかと思ってしまう洞察力。
どうやって知ったのか皆目分からないような事まで全て知っている情報収集力。
風貌の不気味さ。
全てを手の内で転がし、意のままに操っているような絶対支配者の如き貫禄。
人間にしては似つかわしくないその行きすぎた暗黒に、人間ではない、人の形をしているだけの何かだと勝手に、本能的に判断したが、まさか。
「そう。澄男さんもまた純粋な人間ではないのです。だからエスパーダとも張り合える」
あくのだいまおうによって思索に否応無くピリオドが打たれる。何故。彼の話を聞けば聞くほど、何故だと問い質したい事が湧き出てくる。
純粋な人間ではないとは一体。エスパーダが異形ということは、澄男もまた異形。でもどこが異形なのだろうか。
確かに流川家は代々化物レベルの強者を輩出してきた名門の武闘派。それでも異形を創り出した事などない。
ただ人間として強く―――待て。思い返してみよう。
化物レベルに強い人間、見方を変えれば異形ではないのか。人間離れしている、という点では異形と共通している。
ただ基準としてあるのは、人として意思疎通はできる事。
ただ強大な暴力を振りかざすだけではなく、きちんとしたコミュニケーションが成立している。
流川家でコミュニケーションが成立しない強者はいない。だがコミュニケーションが成立している強者が人間であるなら、今、視界に広がる彼らは人間だという事になる。
容姿は人間ではない。しかし人間として会話が成立している。
では、彼らの何を以って人間ではないと自分は判別したのだろう。
あくのだいまおうの言葉を吟味すると、そう単純な定義に思えなくなってきた。
「どうやら貴方の人間に関する定義が瓦解なされたようで。いや、虐めるつもりはないのですがね。そんなものなのですよ、言葉とはね」
「澄男様が、人間ではない……」
「正確には純粋な、ですがね。肉体組成的な問題で。とはいえ少し曖昧過ぎました。申し訳ありません」
謝罪するあくのだいまおうだったが、それでも腑に落ちなかった。
肉体組成的にせよ、精神的にせよ、なんにせよ純粋な人間ではないという事実は衝撃以外の何物でもない。
人間と人間から生まれたはずなのに、どこでそんな異なるものが彼にあるのか。
今の自分では、知る由もない。ただ分かっているのはエスパーダという異形と戦えるほどの何かを、彼が持っているという事だけだ。
その何かとは、一体。
「それはエスパーダと彼が戦えば分かる事です。ふむ。もうそろそろ、時間ですかね」
心理を的確に読み抜いた上での台詞の後、突如暗雲が青空を覆った。鳥肌が立つ程の冷風が吹き通り、太陽光が遮られ、辺りは一瞬で薄暗くなる。
風が寒い。まるで冬に吹く寒空の風のように寒い。更に周りを見渡せば、濃霧によって真っ白な景色へと変わっている。
どういう事だ。何が起きた。雨はここ数日降っていない、ずっと晴天日和が続いている。濃霧になる要素は成立しないはず。
「やべぇ、地面が!!」
「うお、凍ってやがる。チッ……睡眠の魔法が解けたか」
「みんな見て! 空から雪が!!」
シャルの一声で、全員が空を見た。
もう既に太陽も青空も見えない。あるのは濃い灰色の曇天。そして季節が春だというのに降り出した雪。吹き荒れる寒い風。
まるで冬に逆戻りしたかのようだ。これは間違いなく、霊力による極めて大規模な気候操作だ。
気候を操作する。それは想像絶する大量の霊力が無ければ、成しえない人外の身技。
「この霊力……間違いない……! エスパーダ……!」
エントロピーは鬼気迫った顔色で立ち上がり、濃霧で右も左も分からないはずの方向をじっと見つめながら、胸に握り拳を強く添える。
「ふむ。弱体化はきちんと働いているようですね。まあ当然ですが」
「弱体……化? これで、ですか」
「弱体化していなければ、この時点で武市のみならず、隣国も道連れにして滅ぶかと。一生融ける事のない真の永久凍土と化したでしょう」
「パァオング。弱体化した彼奴ならば精々中威区全域を凍土にして封じる程度。貴様らが滅びる程ではない」
「いやそれでも都市機能、普通に壊滅だよね。てか最悪ここの奴ら凍死してそう」
「まあそれはそれでしゃーねぇってことで。さぁて長話も済んだし、野グソすっか」
「種族が滅ばないなら、また立て直せば良いんだよ! 粘り強さが肝心だぜ。このオレの粘液みてえにな!」
「ち○こが大きくなったり小さくなったりするのと同じ同じ。それより見てよボクのち○こ、寒くてこんなんなっちゃった」
「オレなんて寒くて死にそう」
中威区全域が凍土に。
唖然とした弥平だったが、彼以外の者どもは、全く動じてはいなかった。
確かに彼らにとっては武市がどうなろうと痛くも痒くもないだろう。
だがあっさり中威区が凍土と化した現実を、すんなりと受け入れる事ができない。
あんまりにあんまりにも現実離れし過ぎていて、夢でも見ているようである。
彼らと出会ったそのときから、罠にかかって眠らされていました。とかならば、理解の範疇を超える事は無かっただろう。
頬を引っ張る。腕の皮膚を抓る。痛い。残念ながら、現実のようである。
「さて。エスパーダも来た事ですし、いよいよクライマックスですね。後は澄男さんとエスパーダの戦いを観戦しに行くとしましょうか」
「だな!! でも防寒装備欲しい」
「え、ちょっとタンマ。俺まだウンコしてねぇ、後五分待って」
「あくのだいまおうさんや。ところで俺のパンツ、返してくれませんかね」
「やべぇ、ボクのち○こが……めっちゃ小さく……嘘だミキティウス以下じゃん……」
「パァオング。エントロピィよ。行くぞ」
「はい……」
景色は段々と白く、そして地面の草木はかちかちに凍りつく。降雪量も増し、冷風は舞い散る雪をも巻き込んで、もはや曇天すらも純白に没した。
たった数分間の間に、中威区は雪国へ。
想像絶する膨大な霊力。これが永久凍土の支配者の力。そのエスパーダという存在は一体、どんな輩なのだろう。
「弥平さん」
「何ですか」
あくのだいまおうはおもむろに弥平へ距離を詰め、とぐろを巻いた常闇の瞳が、吸い込まんと欲する。心臓の拍動が、一瞬増すのを感じ取った。
やはり慣れない、この人の暗澹な雰囲気には。
「貴方は守る立場の者。余所者たる私が、主人様を危険に晒している現況ですが、私から情報を引き出し雇う、という条件で示談にしては頂けませんか」
「情報?」
「貴方方が追っている``敵組織``についての情報です。しかしそれだけでは不服でしょう。もし一定の信用が得られたなら、雇って頂けるかな、と」
「ちょ、旦那!? 何言ってんすか!」
「長期バイトなんざ割に合わねえぜ」
「ボクたちは自由なんだ!」
あくのだいまおうの言葉に、三匹の異形が猛抗議する。
確かに、自分は主人を守る立場。そしてあくのだいまおうは主人を危険な状態に晒している。
酷く言えば澄男を利用しているわけで、かなりの重罪と言えるだろう。
澄男が勝利すると結論として真っ先に言及されたので、否定こそしなかったが、当然ただで元の鞘に戻すつもりはない。
そもそも澄男や自分の素性を知っている。守秘義務上、彼らを拘束する他ないのだが、彼らの能力が非常に高いのは確かだ。
魔法罠の配置。
任務遂行の手際の良さ。
あくのだいまおうの緻密な作戦立案。
異形であることと、非常識な性格を除けば、彼等は優秀どころの話ではない。ただ単に新館地下二階の牢屋に拘留しておくには勿体無い力である。
またあくのだいまおうは言っていた。知らない事は無い、と。つまり、今追っている敵組織の情報も、きっと有している。
ただ拘束しておくには、惜しい者達だ。
「……そうですね。ただし条件があります」
弥平は、しばらく顔を少し俯かせて考え込んでいたが、すぐに顔を上げ、あくのだいまおうと視線を合わせる。
「この戦いにおける澄男様の勝利を確約して頂けるのでしたら、その叡智、この弥平みつひらが信用致しましょう」
いつも通りの作り笑い地味た笑みを戻し、あくのだいまおうは悪辣に唇を歪めて微笑み、深々と一礼した。雇い主を敬うかのように。
「よろしい。不肖あくのだいまおう、自身の智を以って、彼の勝利を確約致しましょう」
暗黒の紳士は、執事服を着た少年に吹雪吹き荒れる寒空の中、高らかに宣言した。
彼らがエスパーダの下へ向かったのは``顕現``の準備ができ、ナージの排泄が終わった頃である。
ここ、中威区より遥か北方に``永久氷山エヴェラスタ``は、ある時から常に氷雪と猛吹雪に閉ざされた山岳地帯である。
今もその地の氷雪は、融ける事なく存在している。
エヴェラスタの支配者ヴァザーク・リ・ゼロ・エスパーダ、ここの者どもがアザラシと呼ぶその男と、些細な事で口論になった。
内容は外界、つまりは人里に降りるか否かという瑣末な事だったらしい。
エヴェラスタから出てしまうと、彼女は殆どの性能を封じられてしまう体質を、彼は強く憂慮していた。
彼女は外出を願ったが受け入れられず、振り切る形で飛び出してきてしまったそうな。
元々数年以上前から、エスパーダの過保護には少々厚かましさを感じており、その過保護さは、彼女の生活を強く窮屈にするものだった。
彼に黙って外出するつもりだったが、バレてしまってやむ終えず、とのこと。
そのまま飛び出してきてしまった手前、やはり口論になってしまった事が心配で、ほんの少し自由を満喫してからすぐに戻るつもりだったようだ。
一連の経緯が話し終えられ、嵌っていないパズルのピースを嵌めていく。弥平は、まだ足りないピースの存在を憂慮する。
目玉商品といわれていたのは彼女の美貌と、服を含めたその美しい容姿、そして見た目から未だ年端も行かない少女。
凪上家当主とその取り巻きは競売会を開催すれば高く売れると思案した。
そしてここにいる者共は、彼女がクライアントに買収され、肴にされる前に連れ戻そうと凪上邸を襲撃。
つまり、その救出作戦に偶然出くわしてしまった、といったところか。
話を聞く限りでは、まだエスパーダなる人物との拗れは解消できていないようだ。陰鬱な表情を浮かべているのは、彼の身を案じての事だろう。
しかし気になる点がある。何故未だに残留しているのか、だ。
エントロピーを救出したのならば、もうここに残る必要はない。むしろ早急に彼女をエスパーダなる人物の下へ返してやるのが先決だろう。
エスパーダのこれからの行動を大雑把に予想するなら、単独でエントロピーの救出。それも関係の無い沢山の者を巻き込んだ荒々しいやり方。
彼女の話から想像できる彼の人物像は、彼女を大変大事に思っている男性。
大変大事に思っている存在が二日間も音沙汰の無い状態が続けば、どのような行動に出るかなど、想像に難くない。
いや待て。あくのだいまおうは何と言ったか。
エントロピーとエスパーダの関係に拗れが生じている。彼女がいたのは中威区。エスパーダに罰則を与える者が流川澄男。つまり―――。
「エスパーダと澄男様を、戦わせるおつもりで……?」
彼の問いかけに場は騒然とした。金冠を乗せたパオングと、場の中心人物であるあくのだいまおうを除いて。
「ほう。して、その根拠は」
あくのだいまおうに問われ、改めて説明していく。
第一に出身国は武市である事。
第二に罰則を与える役目と重責を負わせる役目、同時に担えるのが澄男しかいない事。
第三に愛する者の焦がれは澪華を失った今の澄男と共通している事。
第四に罰則とは即ち共通の心理状態に陥っている澄男とエスパーダを戦わせ、エスパーダが何らかの要因で敗北すると解釈できる事。
澄男も大事な友人と母親を、つい一週間前に失って精神的に消沈している。
エスパーダと心理状態が似通っている今、彼らが出会えばどういう末路を辿るか。想像するまでもない。
だからこそ第四の根拠が、あくのだいまおうが計画している真の目的と結論付けるのが妥当なのだ。
弥平の表情が歪んだ。
身内のみで対処するのならいざ知らず、澄男を巻き込むつもりか。
第一、彼は人間。対してエスパーダは異形。普通に戦えば勝ち目はない。勝算がないというのに、どうやって罰とやらを与えるというのだろう。
話の流れから、澄男がエスパーダに勝たなければ罰を与えた事にはならない上、エントロピーに責任を負わせる役目を果たせない。
どうやって、人間の澄男が人外のエスパーダに勝てるのだろうか。
まだだ。まだあくのだいまおうの真意が見えない。
まるで灰色のフィルターで透かしているような見えにくさが、ぴりぴりとした苛々を湧き立たせる。
「澄男さんに勝算が無い。そんな顔をしてますね」
「澄男様は人間ですよ?」
「エスパーダも、元は人間のようなものです」
「でも今は人外なのでは」
「ええ。でもね弥平さん。この状況で私が明らかに勝算の無い人間を指名すると思いますか」
「……それは」
「その証拠というのも語弊がありますけれども、ここまでの話を聞いて、精査して、澄男様が本当に人間だと何故言えるのです?」
目を丸くした。
この紳士、何を言っている。問いかけの意味が分からない。問いかけ自体に何の意味も無いではないのか。
見る限り、彼は人間だ。
出身は武市。流川本家の血が流れているという規格外こそあれど、つい一週間前まで一介の学生に扮して生活していた一人の少年。
逆に人間ではない要素が見当たらない。姿形が異形というわけでもなし、常識が分からないわけでもなし、公衆の面前で下半身裸になるわけでもなし。
ただ他の人と違う生活を送ってきた、それだけの違いしかないではないか。
「ではもう一つ付け足しましょう。貴方は最初に私を見た時、私が``人間``だと思いになられましたか」
あくのだいまおうの補足に、思わず口を噤んだ。
そういえば、思わなかった。人の形、人と同じ姿こそしているが、中身は得体の知れない魑魅魍魎だと判断した。
心を読まれているのではないかと思ってしまう洞察力。
どうやって知ったのか皆目分からないような事まで全て知っている情報収集力。
風貌の不気味さ。
全てを手の内で転がし、意のままに操っているような絶対支配者の如き貫禄。
人間にしては似つかわしくないその行きすぎた暗黒に、人間ではない、人の形をしているだけの何かだと勝手に、本能的に判断したが、まさか。
「そう。澄男さんもまた純粋な人間ではないのです。だからエスパーダとも張り合える」
あくのだいまおうによって思索に否応無くピリオドが打たれる。何故。彼の話を聞けば聞くほど、何故だと問い質したい事が湧き出てくる。
純粋な人間ではないとは一体。エスパーダが異形ということは、澄男もまた異形。でもどこが異形なのだろうか。
確かに流川家は代々化物レベルの強者を輩出してきた名門の武闘派。それでも異形を創り出した事などない。
ただ人間として強く―――待て。思い返してみよう。
化物レベルに強い人間、見方を変えれば異形ではないのか。人間離れしている、という点では異形と共通している。
ただ基準としてあるのは、人として意思疎通はできる事。
ただ強大な暴力を振りかざすだけではなく、きちんとしたコミュニケーションが成立している。
流川家でコミュニケーションが成立しない強者はいない。だがコミュニケーションが成立している強者が人間であるなら、今、視界に広がる彼らは人間だという事になる。
容姿は人間ではない。しかし人間として会話が成立している。
では、彼らの何を以って人間ではないと自分は判別したのだろう。
あくのだいまおうの言葉を吟味すると、そう単純な定義に思えなくなってきた。
「どうやら貴方の人間に関する定義が瓦解なされたようで。いや、虐めるつもりはないのですがね。そんなものなのですよ、言葉とはね」
「澄男様が、人間ではない……」
「正確には純粋な、ですがね。肉体組成的な問題で。とはいえ少し曖昧過ぎました。申し訳ありません」
謝罪するあくのだいまおうだったが、それでも腑に落ちなかった。
肉体組成的にせよ、精神的にせよ、なんにせよ純粋な人間ではないという事実は衝撃以外の何物でもない。
人間と人間から生まれたはずなのに、どこでそんな異なるものが彼にあるのか。
今の自分では、知る由もない。ただ分かっているのはエスパーダという異形と戦えるほどの何かを、彼が持っているという事だけだ。
その何かとは、一体。
「それはエスパーダと彼が戦えば分かる事です。ふむ。もうそろそろ、時間ですかね」
心理を的確に読み抜いた上での台詞の後、突如暗雲が青空を覆った。鳥肌が立つ程の冷風が吹き通り、太陽光が遮られ、辺りは一瞬で薄暗くなる。
風が寒い。まるで冬に吹く寒空の風のように寒い。更に周りを見渡せば、濃霧によって真っ白な景色へと変わっている。
どういう事だ。何が起きた。雨はここ数日降っていない、ずっと晴天日和が続いている。濃霧になる要素は成立しないはず。
「やべぇ、地面が!!」
「うお、凍ってやがる。チッ……睡眠の魔法が解けたか」
「みんな見て! 空から雪が!!」
シャルの一声で、全員が空を見た。
もう既に太陽も青空も見えない。あるのは濃い灰色の曇天。そして季節が春だというのに降り出した雪。吹き荒れる寒い風。
まるで冬に逆戻りしたかのようだ。これは間違いなく、霊力による極めて大規模な気候操作だ。
気候を操作する。それは想像絶する大量の霊力が無ければ、成しえない人外の身技。
「この霊力……間違いない……! エスパーダ……!」
エントロピーは鬼気迫った顔色で立ち上がり、濃霧で右も左も分からないはずの方向をじっと見つめながら、胸に握り拳を強く添える。
「ふむ。弱体化はきちんと働いているようですね。まあ当然ですが」
「弱体……化? これで、ですか」
「弱体化していなければ、この時点で武市のみならず、隣国も道連れにして滅ぶかと。一生融ける事のない真の永久凍土と化したでしょう」
「パァオング。弱体化した彼奴ならば精々中威区全域を凍土にして封じる程度。貴様らが滅びる程ではない」
「いやそれでも都市機能、普通に壊滅だよね。てか最悪ここの奴ら凍死してそう」
「まあそれはそれでしゃーねぇってことで。さぁて長話も済んだし、野グソすっか」
「種族が滅ばないなら、また立て直せば良いんだよ! 粘り強さが肝心だぜ。このオレの粘液みてえにな!」
「ち○こが大きくなったり小さくなったりするのと同じ同じ。それより見てよボクのち○こ、寒くてこんなんなっちゃった」
「オレなんて寒くて死にそう」
中威区全域が凍土に。
唖然とした弥平だったが、彼以外の者どもは、全く動じてはいなかった。
確かに彼らにとっては武市がどうなろうと痛くも痒くもないだろう。
だがあっさり中威区が凍土と化した現実を、すんなりと受け入れる事ができない。
あんまりにあんまりにも現実離れし過ぎていて、夢でも見ているようである。
彼らと出会ったそのときから、罠にかかって眠らされていました。とかならば、理解の範疇を超える事は無かっただろう。
頬を引っ張る。腕の皮膚を抓る。痛い。残念ながら、現実のようである。
「さて。エスパーダも来た事ですし、いよいよクライマックスですね。後は澄男さんとエスパーダの戦いを観戦しに行くとしましょうか」
「だな!! でも防寒装備欲しい」
「え、ちょっとタンマ。俺まだウンコしてねぇ、後五分待って」
「あくのだいまおうさんや。ところで俺のパンツ、返してくれませんかね」
「やべぇ、ボクのち○こが……めっちゃ小さく……嘘だミキティウス以下じゃん……」
「パァオング。エントロピィよ。行くぞ」
「はい……」
景色は段々と白く、そして地面の草木はかちかちに凍りつく。降雪量も増し、冷風は舞い散る雪をも巻き込んで、もはや曇天すらも純白に没した。
たった数分間の間に、中威区は雪国へ。
想像絶する膨大な霊力。これが永久凍土の支配者の力。そのエスパーダという存在は一体、どんな輩なのだろう。
「弥平さん」
「何ですか」
あくのだいまおうはおもむろに弥平へ距離を詰め、とぐろを巻いた常闇の瞳が、吸い込まんと欲する。心臓の拍動が、一瞬増すのを感じ取った。
やはり慣れない、この人の暗澹な雰囲気には。
「貴方は守る立場の者。余所者たる私が、主人様を危険に晒している現況ですが、私から情報を引き出し雇う、という条件で示談にしては頂けませんか」
「情報?」
「貴方方が追っている``敵組織``についての情報です。しかしそれだけでは不服でしょう。もし一定の信用が得られたなら、雇って頂けるかな、と」
「ちょ、旦那!? 何言ってんすか!」
「長期バイトなんざ割に合わねえぜ」
「ボクたちは自由なんだ!」
あくのだいまおうの言葉に、三匹の異形が猛抗議する。
確かに、自分は主人を守る立場。そしてあくのだいまおうは主人を危険な状態に晒している。
酷く言えば澄男を利用しているわけで、かなりの重罪と言えるだろう。
澄男が勝利すると結論として真っ先に言及されたので、否定こそしなかったが、当然ただで元の鞘に戻すつもりはない。
そもそも澄男や自分の素性を知っている。守秘義務上、彼らを拘束する他ないのだが、彼らの能力が非常に高いのは確かだ。
魔法罠の配置。
任務遂行の手際の良さ。
あくのだいまおうの緻密な作戦立案。
異形であることと、非常識な性格を除けば、彼等は優秀どころの話ではない。ただ単に新館地下二階の牢屋に拘留しておくには勿体無い力である。
またあくのだいまおうは言っていた。知らない事は無い、と。つまり、今追っている敵組織の情報も、きっと有している。
ただ拘束しておくには、惜しい者達だ。
「……そうですね。ただし条件があります」
弥平は、しばらく顔を少し俯かせて考え込んでいたが、すぐに顔を上げ、あくのだいまおうと視線を合わせる。
「この戦いにおける澄男様の勝利を確約して頂けるのでしたら、その叡智、この弥平みつひらが信用致しましょう」
いつも通りの作り笑い地味た笑みを戻し、あくのだいまおうは悪辣に唇を歪めて微笑み、深々と一礼した。雇い主を敬うかのように。
「よろしい。不肖あくのだいまおう、自身の智を以って、彼の勝利を確約致しましょう」
暗黒の紳士は、執事服を着た少年に吹雪吹き荒れる寒空の中、高らかに宣言した。
彼らがエスパーダの下へ向かったのは``顕現``の準備ができ、ナージの排泄が終わった頃である。
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若い時には「冒険者になって、有名になるんだ!」などと大きな夢を持っていたものだが、自分の道場に来る若者たちが全員〝天才〟で、自分との才能の差を感じて、もう諦めてしまった。
弟子たちとの、のんびりとした穏やかな日々。
独身の彼は、そんな彼ら彼女らのことを〝家族〟のように感じており、「こんな毎日も悪くない」と思っていた。
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