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私は一人旅

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「ああ、よかった。日本の方…」といかにも安心したように云ったあと「あのちょっとすいませんが、このリュックを見ていていただけません?わたし、そこで切符買って来ますから」「え?…ちょ、ちょっと」と止める間もなく彼女はすぐ戻るからの言葉を残して切符売り場の窓口へと行ってしまう。いくら同じ日本人だからといっても初対面の人間にいきなり荷を預けて行ってしまうとは些か驚きである。異性体験のない俺であるならばただそれだけで胸が躍ってしまう。発車までまだ20分ほどあるがスイス行きDTB(ドイツ国鉄)列車の動向も気になるところだ。いったいどういう人なのだろう?バックパッカーの出立からすれば団体旅行ではなく俺と同じ一人旅の身とも思うが定かではない。さらには、まさかいくらなんでも俺と同じ片道切符でヨーロッパまで来て、帰りの旅費は現地でバイトを…の類ではあるまいな、などと要らぬ憶測までするがしかし想像のし過ぎというものだろう。いくばくもなくその疑問に答えるべき、ヤッケ同様に赤いフレームザックの主が帰って来た。
「すみません、いきなり厚かましいことをお願いしちゃって」小走りで帰って来た為か些か息がはずんでいる。荷が無事であったこともそうだろうが俺という‘男’がまだいてくれたことへの安堵なのだろうか、さきほどのような凍りついた笑みではなく、俺からすればなんとも魅力的な笑みが、そのうりざね型の形のいい顔を飾っていた。こちらも呼応の笑みをうかべながら「いいえ、どういたしまして。あの、まさか、お一人旅…じゃないですよね?」などと内外を問わずに‘初デート’における初めのひとことを発する。それへ「うふ、どうしてです?一人じゃいけません?」などと思わせぶりに答えたので些かでも俺は身体を震わせた。寒いのではなくウブであったがゆえだがしかしそれを気取られてはなるまい。へーっとばかり無理にでも心中で感嘆をして見せ、さらに異国を女一人で旅するとは日本女性も強くなったものだ、などとも思ってみる。そういったことに拘泥してないと、顔に浮かんだだらしのない笑みを消せそうになかったからだ。
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