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航悠編
5、痛みと熱
「おう雪華。今年最後の仕事だぜ」
「なんだ? ……要人の護衛か。たまにはいいな」
そろそろ年越しの時期となった。郷里へと帰省する人々の流れを酒楼の窓からぼんやりと眺めていた雪華は、航悠の声に顔を上げた。依頼書を確認し、記憶を探る。
「ああ……前にも頼まれたところか。あそこは仕事は楽な割には金払いが良かったな」
「そうだな。前行ったときは、お妾さんがすごい形相でお前のこと睨んでたけど。また呼ぶとはよっぽど気に入られたのかねぇ」
「さぁな。主人の助平面だけ我慢していれば、あそこほど楽な仕事はあまりないさ」
航悠が持ってきた任務は、年末にふさわしくそう肩肘の張らないものだった。
これならば夜には楽に終わる。雪華は航悠と青竹と三人で、その依頼主の家へと向かった。
「――では、よろしく頼むよ」
日没後、豪商の屋敷の前にて。相変わらずの助平面で雪華を眺めた依頼主が、荷車の御者の肩を軽く叩いた。
今日の護衛相手は、正確には人ではなかった。……物だ。御者が荷を指定された場所に運ぶまで、警固をしてほしいというのだ。
指定場所は、とある貴族の邸宅。ここからそう遠い距離でもない。一応の用心をしながら、雪華たちは御者について馬を走らせ始めた。
「いったい何を積んでるんすかねぇ」
「さあな。そこまでは、私たちには関係ないしな」
「ま、俺らに護衛頼むぐらいっすから、まっとうなモンじゃないでしょーがね」
小声で毒づく青竹に、こちらも小声で返す。青竹の言うこともたしかだが、荷の中身など雪華にとってはどうでもいいことだ。
今日は一段と冷え込んでいる。こんな日は任務など早く終わらせて帰るのに限る。まっさきにそういうことを言い出しそうな男の顔を振り返ると、雪華は小さく目を見開いた。
(航悠……?)
御者を挟んで反対側。黒い愛馬を操る航悠が、険しい顔でたてがみを見下ろしている。珍しい相棒の表情にふと目を奪われたその時。
「――副長! 前、前!」
「え?」
後方から突如として響いた青竹の声に、はっと顔を上げる。通りの角から人影が飛び出し、雪華は慌てて手綱を引いた。
「――止まれ!」
「……お出ましだな。さすがに、楽に終わらせちゃくれなかったか」
同じく馬を止めた航悠が、低い響きを口に乗せた。飛び出した影は三……いや、六人。結構な数だ。御者と荷車を後ろに下がらせ、雪華たちは各々の武器を構える。
襲撃者はみな黒い布で顔を覆っており、容貌は確認できない。どこかで見たような出で立ちだが、とっさには思い出せなかった。
ただの盗賊という感じでもない。統率の取れたその動きは、多少なりとも訓練されたものだ。
「その荷をここへ置いていけ。そうすれば、命までは取らない」
集団の代表者らしい男が、くぐもった声を発した。雪華は航悠と顔を見合わせ、目配せする。
「そいつはできねぇ相談だな。俺らは知ったこっちゃないが、ずいぶんとたいそうな積み荷だったらしい」
「……っ」
にっと笑った航悠が、湾刀の峰で肩を叩く。見慣れぬ異国の武器とふてぶてしい航悠の態度に、襲撃者たちは目に見えて怯んだようだった。
「ならば仕方ないな。……力ずくで奪わせてもらう」
「ご丁寧に忠告ありがとうよ。……じゃ、行くぜ!」
「!!」
小さくつぶやくやいなや、雪華と航悠は先手を打って襲撃者たちに突っ込んだ。急襲に男たちが目を見開く。
先手必勝だ。ただでさえこちらの方が手数が少ないのに、相手の出方をわざわざ待ってやる義理はない。
「ちぃ…ッ!」
半数を引き付け、通りの端へと押しやる。できた隙間を、青竹に護衛された荷車が通り抜けた。
「こっちは陽動だ! 車を追え!」
「そうはさせるかっての!」
それぞれと切り結んだのとは別の男たちが、荷車を追って走り始める。その後ろ頭に石を投げ付けると、男たちは短くうめいて崩れ落ちた。その隙に、剣を合わせた男の胴を蹴り上げる。
「ごふっ……!」
「……悪いな」
殺すつもりはないが、とりあえずここは倒れてもらわないと困る。一人を地に沈めると、後ろで身構えていた男が震えた声を漏らした。
「こ…こんなの聞いてねぇよ……! 皇帝派の警備は薄くなってるって言ってたのに…!」
「…!」
いかにも気の弱そうな叫びを漏らした細身の男が、一目散に後方へと走っていく。耳に残った『皇帝』の一言に、雪華はとっさに駆け出した。
「――ッ、待て…!!」
「馬鹿! 深追いするな!」
航悠の声が耳を打ったが、雪華の足は止まらなかった。男の足はそう早くはない。これなら二つ目の通りあたりで追い付ける。
案の定すぐに手が届く距離にまで追い付き、雪華は男の襟元へと片手を伸ばした。だがそのとき。
「どけ! 巻き込まれるぞ……!」
「!」
どこからか別の男の声が響き、雪華の手が止まる。――伏兵だ。突如として響いた怒鳴り声に、慌てて足を止める。
(しまった…! でも、どこから……!?)
周囲を見回しても、先ほどの男以外に敵の姿は見当たらない。その男がおびえたように一歩後ずさり、雪華は目を見開いた。その身に、ちっぽけな人の体などねじ伏せるような圧倒的な力が降りかかる。
「――ッ!!」
鼓膜を突き破りそうな突然の爆音。……衝撃は、下から襲ってきた。
足元に何か投げ付けられたと思った次の瞬間、体が宙に浮き――雪華は、建物の塀へと叩きつけられた。
「ぐっ!! ……が…っ、は……」
土塀が服を裂いて皮膚を削っていく、嫌な感覚。衝撃で肺が押しつぶされ、肋骨がみしりと鳴った。そんなものをいやにゆっくりと、しかし鮮明に感じとる。
――爆発に巻き込まれた。土煙とそれ以外の何かで霞む視界の中、それだけを理解する。
「……あ……」
遠ざかっていく足音。そして――近付いてくる足音。
「――雪華!!」
珍しく切羽詰まったその声と表情を捉えたのを最後に、雪華の意識は赤い闇に沈んだ。
「―――ああ、俺が……るから……」
(…………。なんだ……)
「終わったら……から………」
暗い淵の向こうから、誰かが話す声が聞こえる。
まぶたが重くて目が開かない。それでも身を包む感触から、柔らかな布の敷かれた寝台に横たわっているのだと分かった。
誰かと誰かが話をしている。……よく聞こえない。それから足音が近付いてきて、背後で扉の閉まる音がした。
「さて、まずは消毒か……。悪いな、少し脱がすぞ」
聞き覚えのある低い声が、すぐそばで響いた。いったい何が悪いのかと、重いまぶたを押し上げようとしたその瞬間――
「……つぅッ!!」
強烈な痛みが突き抜け、雪華はがばりと起き上がった。その途端にさらなる痛みが全身に走り、比喩ではなく心臓が止まる。
「あ…! うああっ…!!」
「馬鹿! いきなり起き上がる奴があるか!」
痛みを感じない…どうやら怪我をしていないらしい肩を掴まれ、雪華は敷布に押し付けられた。焼け付くような痛みが去るまで、固く目を閉じる。
「く……、あ………」
――痛い。全身が炎に焼かれているかのようだ。
涙を流しながら敷布を握りしめ、なんとか痛みをやり過ごす。そしてそろそろと目を開けると――
「…っ!」
――なぜか超至近距離に、航悠の顔があった。
「……こ……ゆう…?」
「ああ。……眠ったままのが痛くなかっただろうに」
見慣れた相棒の顔が、苦い笑みに歪められた。
ここは――自分の部屋だ。寝台の上に寝かされている。……ということは、いつの間にか帰ってきたのだろうか。
「え……?」
航悠の手は、なぜか雪華の上着の留め金へと掛けられていた。衣服を脱がそうとするようなその体勢を眺めても、自分の置かれている状況が今ひとつ理解できない。
(ええと……襲撃者を追っていったら、仲間に待ち伏せされていて……爆発に、巻き込まれた? そしたら航悠が来て――)
「……お前、何してるんだ?」
「何って、お前の手当てに決まってるだろうが。血止めはしたが、まだちゃんとはしてないんだよ。悪いが脱がすぞ」
自分はどうやら、かなりの深手を負っているらしい。動かなくても激痛に苛まれるということは、おそらくそうなのだろう。
だが躊躇なく上着の留め金を外していく航悠の手の動きに、雪華は唐突に我に返った。
「ま……待て、航悠! 自分ででき――、うっ!」
「できんのか? ……できる訳ないだろ。自分の状態よく考えてみろ」
情けなく寝台に崩れ落ちた雪華に、航悠の冷たい声が降りかかる。目を開けると、冷えきった視線がこちらを見下ろしていた。
「この馬鹿が。状況も判断せず深追いして……自業自得もいいところだな。こんな怪我して、俺らが追い付くのが遅れてたらどうなってたと思う」
航悠が低くつぶやく。抑えてはいるが、めったに聞くことのない殺気立った声音に全身が冷や水でも浴びたかのように凍りついた。
「…………。悪い……」
「……いいから、おまえは寝てろ」
「でも――」
航悠は溜息をつくと、眼差しをふっと和らげた。しかし、再び動き出したその手に雪華は困惑せずにはいられなくなる。
一つ一つ、航悠が服の留め金を外していく。仕方ないとはいえ、こんな形で肌を晒すことになるとは思いもしなかった。手当てしてくれる航悠には悪いが、かすかな羞恥が湧いてくる。
「……っ」
そんな場合ではないと分かっていても、頬が紅潮するのが自分でも分かる。それを隠すように横を向くと、雪華は航悠の手から視線を逸らした。
「気にすんな、俺以外は誰もいない。医者を呼びたかったが、夜中だから無理だった」
「いや……いいんだ。そこまで大怪我じゃないし」
雪華の困惑に気付いたのか、航悠が淡々と告げる。それはありがたかったが、余計に羞恥を煽られる結果に終わった。……意識しているのを見透かされた。
そうこうしているうちに航悠は留め金を外し終えたようだ。そこで互いに、次の難関に気付いてしまった。
「体、持ち上げられるか?」
「……たぶん、無理だな……」
これは甘えでも何でもなく事実だった。痛みで体を動かす力がまるで湧いてこない。だが服を脱がせられなければ手当てもできない。
「足の傷も結構ひどいからな……。ちょっと待ってろ」
窓際に置かれた小卓へ、航悠が歩いていく。戻ってきた手に握られていたのは彼愛用の短剣だ。
「……服、切るぞ」
「あ、ああ……」
磨き上げられた刃の峰が、服の内側に差し込まれた。ひやりとする感触に反射的に引けそうになる体を、なんとか押しとどめる。
――大丈夫だ。航悠が自分を傷つけるはずがない。そう言い聞かせ、体の動きを止める。
「う……」
「痛いか?」
「ちが……大丈夫だから……」
傷口は避けているが、冷たい刃がかすかに触れて肌が粟立った。決して苦痛ではないのに、漏れそうになる声を歯を噛みしめてこらえる。
刃で服を切り裂かれるという背徳的な行為に、何を考えているんだと思いつつも頬に血が昇った。
「顔が赤いな。お前、熱が出てきたか?」
「そうか? 自分では分からないな……」
つぶやいた声が掠れていて、初めてそうかもしれないと思った。
……そうか、熱だ。こんなに体が熱くて胸が苦しいのは、きっと熱のせいだ。
上着が裂かれ、布が大きく寛げられる。かすかな血臭が鼻をつき、雪華は顔をしかめた。ボロ布となった上着が体から取り払われる。
航悠は続いて下衣に短剣を潜り込ませた。どうしようもない恥ずかしさは残るが、もうなすがままになるしかない。
「荷車は……どうなったんだ」
「ちゃんと届けたよ。青竹がたまたま松雲に会ったらしくてな。奴らを撒いて、屋敷までたどり着いた」
「そうか。……下手人は分かったのか?」
「前に任務中に爆発に巻き込まれたこと、あったろ。おそらくだがあいつらだ。手口が似通ってる。火が出ない爆薬を使うところもな」
沈黙を紛らわすように話題を振ってみると、航悠が淡々と答える。片足分を開いたところで航悠が体勢を変え、ぎしりと鳴った寝台に雪華は小さく唾を呑み込んだ。
「あの荷な、どうやら皇帝擁護派の屋敷に運ばれるやつだったらしい。大したもんじゃなかったようだが、会合の場に行くっつうんで狙われたみたいだ。おおかた武器かなんかと勘違いしたんだろ。依頼主の野郎は全然危機感持ってなかったようだが」
「皇帝擁護派って……やっぱり狙われてるのか」
「さぁな、どっちもどっちじゃねーの。国民の大半は今の皇帝のままでいいと思ってるけど、不満分子はいつの時代だって出てくるもんだ」
羞恥から気を逸らそうと会話を続けているうちに、下衣もすべて取り払われた。
航悠の目下で、半裸を晒す。簡素な胸当てと下穿きをこれほどありがたいと思ったのは生まれて初めてだ。
「出血はだいたい止まってるな。傷も浅いし。しばらく痛むだろうが、これならすぐ治るだろう」
「そうか。……つっ」
消毒液を染み込ませた布を、航悠が傷口に押し当てた。しみる痛みに顔が歪むが、耐えられないほどではない。血を拭き取り、航悠は傷を丁寧に消毒していく。
「あとは足か……」
上半身の手当てを終え、航悠の視線が下半身に移る。大きな手が両膝にかかり、雪華は目を見開いた。
「足、開くぞ」
「え……。…っ!」
了承も得ないままに、強引に膝が押し広げられた。大腿から内腿にかけての傷があるから、たしかに足を開かなければ手当てができない。だが、この体勢は――!
その姿勢に別の意図を勝手に感じてしまい、雪華は慌てて膝に力を込めた。
「……お前な」
「あ、その……悪い、そっちはもう……」
「いいから開け。傷が見えないだろうが」
「航悠…っ」
制止の声はあっさりと無視され、またも強引に足が開かれた。……内腿に視線を感じる。舐めるようにじっと見られて、再び顔が紅潮してくる。
――嫌だ。航悠に見られるのがではなく、手当てしてくれている航悠に狼狽を感じている自分が嫌だ。何を考えているのか……!
「こっちも深くはないな。……消毒するぞ」
淡々とした声に続き、ひやりとした布が内腿に押し当てられた。その刺激に足がびくりと震え、思わず吐息が漏れた。
「あ…っ」
「…………」
柔らかな内腿を、航悠の手が往復する。それは痛みを伴うものだったが、航悠の手付きはあくまで静かだった。
そうこうされるうちに痛みと触れられる感覚の境界線が曖昧になり、肌が粟立ってきた。
もっと深い感覚が、体の奥から湧いてくるのが分かる。それを、頭を振って散らした。
……この感覚を、知っている。ここ数年馴染みのなかったものだ。昔それに溺れる前に離れてしまったが、芯が溶けていく感覚を体はしっかりと覚えている。
雪華は眉をひそめ、漏れそうになる声をこらえた。だが時折こらえきれず吐息が唇から溢れてしまう。
「く……、あ…っ」
痛みなのか、熱さなのか――分からない。そのどちらもなのかもしれない。
甘く熱い感覚が、思考を容赦なく焼いていく。
――いつ終わる。いつ航悠は、手を離してくれる。
早く離れてほしい。そうしないと――
「ああ…っ!」
そうしないと――きっと、タガが外れてしまう。
雪華は今、航悠を……男として意識している。もっと言ってしまえば、男として求めかけている。
そんなことをしたら、今までの関係がすべて壊れてしまうのに。
(嫌だ……!)
頭を振って、体に湧く熱を散らす。それでも耐えきれず、雪華はとうとう懇願した。
「航悠……も、いいから…っ!」
悲鳴のようにつぶやき、顔を上げた瞬間。視線が結ばれて二人は互いに凍りついた。
「……っ」
「……あ……」
視線が交わったのは一瞬。だが互いの欲望に気付くのには十分すぎる時間だった。
「……あとは包帯を巻くだけだな。最後がきついが、我慢しろ」
「あ……ああ……」
すぐに何事もなかったように視線が逸らされ、作業が再開された。雪華も航悠を見ないように、敷布に目を落とす。
鼓動が早い。頬が熱く染まり、思考がまとまらない。包帯を巻かれる痛みなど、すでにどこか遠くへと行っていた。
(今の、目――)
視線が交わったその瞬間、気付いてしまった。
……航悠は、雄の目をしていた。
「終わりだ。あとは薬飲んでよく寝てろ」
「ああ。……ありがとう、悪かったな」
「お前の馬鹿には慣れてる。ほら、さっさと寝ろ。寝るまでここで見張ってるからな」
「頼むからやめてくれ……」
服の代わりに夜着を着せられ、手当ては手際よく終了した。雪華は薬湯を飲み干し、寝台へと沈む。
いつも通りの会話。いつも通りの視線。それでも雪華は相棒の顔を見つめていられず、掛け布を頭まで引き上げた。椅子に腰かけたらしい航悠の気配を、布団の中から探ってしまう。
体中が熱い。中でも顔が一番熱い。
その熱に酔い、痛みに疲れ、不可解な感情に惑わせられ――気付けば雪華は再び眠りへと落ちていた。
同時刻、蒼月楼二階の廊下にて。雪華の部屋の前で立ち止まっている青竹に松雲が声をかけた。
「どうした? 青竹」
「いや……不謹慎とは分かってるんすけど。頭領って、やっぱただモンじゃないっすよね……」
「そうか?」
松雲がきょとんと目を瞬く。青竹はほんのり赤い顔を扉へ向けると、小声でつぶやいた。
「副長のあんな声聞いて、平然としてられるとは……。あの人、なんなんすか? 悟り開いちゃってる系? 俺には無理っすね」
青竹の声に松雲が肩をすくめる。扉の前から離れるよう促すと、二人をよく知り尽くしている古株の男は静かに苦笑した。
「さて、どうだろうな。お前やあいつ自身が思うほど、平然としてるわけでもないと思うがな……」
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