【完結】斎国華譚 ~亡朝の皇女は帝都の闇に舞う~

多摩ゆら

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龍昇編

25、二度目の初恋

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 遠い遠い――もう自分でも忘れかけているような、記憶の中の出来事だ。


『……あーあ。つまんないの』

 その日龍昇は、たまたま父親にくっついて城へと遊びにやって来ていた。
 城に入るのはまだ二回だか三回目で、幼い彼はその豪奢な光景にはじめは圧倒されていた。だが子供らしい好奇心ではしゃぎ回っていると、いつの間にか父親とはぐれてしまった。

 ようやく見つけた父は「えっけんのま」とかいう広間で他の大人たちと話しこんでいて、内容の分からない龍昇は退屈になってしまった。
 そこで、こっそり抜け出したのだ。

『今日はあの子もいなかったな……』

 この前来たときは、この国のお姫様という子が皇帝陛下の奥に座っていた。ちらっと見ただけだが、目がぱっちりしていて可愛い子だった。

 宮廷の中には何度か入ったことがあるけれど、庭を見たことはないから、とりあえず歩き回ってみることにした。衛士の目を盗んでいくのも楽しそうだ。
 けれど調子に乗って歩いてたら、だいぶ奥に来てしまったようだ。そろそろ引き返そうかなと角を曲がったところで、龍昇を衝撃が襲った。

『うわっ!』

『きゃあ!』

 向こうから走ってきた子供――少女と思いきりぶつかって、相手が尻餅をついてしまった。桃色の衣をまとったその子に龍昇は慌てて声をかける。

『ごっ、ごめん! 大丈夫?』

『――こっち!』

『え? ……うわっ!?』

 とりあえず手を貸して引っ張り上げると、少女は力強く龍昇の手を掴み返し、逆に彼を近くの植木の影まで引きずりこんだ。
 しゃがみ込んで声をかけようとすると、「しーっ」と口を押さえられる。すると、少し離れた通路を女官が通っていった。

『姫様! 香紗姫様…!? いたずらも大概になさいませ……!』

 誰かを大声で探しながら、女官が通り過ぎる。
 彼女が行ってしまうと、龍昇の口を塞いだ少女が幼い容姿に見合わぬ深々とした溜息をついた。

『ふ~。レンレンはしつっこいのよね』

 ぱんぱんと草を払い、少女が立ち上がる。龍昇もまた立ち上がると、改めて少女を眺めた。

(この子って――)

 目を見開いた龍昇を、少女がじっと見上げてくる。
 ……印象的な大きな瞳。小作りの愛らしい顔。そしてぜいを尽くされた衣装と凝った髪型。
 そんな装いができる少女は、宮廷内にただ一人だけ――

『……あなた、だあれ?』

『あ……!』

 ――斎国第一皇女・朱香紗姫。
 先日遠くから垣間見た少女が、今、龍昇の目の前に立っていた。


 ……しまった。皇族の人に初めて会ったときは、ひざまずいて挨拶しないと「ふけい」に当たるんだと、父親に言われていたのに……!
 龍昇はその場に勢いよくしゃがみ込むと慌てながら礼を執った。

『おれ――、わ、わたしは胡黒耀こ こくようが嫡男、胡龍昇と申します。香紗姫さまにおかれましては、ご機嫌うるわしく……』

 初めての挨拶を、つっかえながらなんとか述べる。
 だが香紗姫は唇を尖らせると、いやいやをするようにかぶりを振った。

『そんなのつまんなーい。とうさまたちのまねなんて、しなくていいのに』

『え……』

 返された言葉に驚いて、思わず顔を上げてしまう。
 香紗姫はむすっと、本当につまらなさそうな顔をしていた。だが次の瞬間、ぱっと表情を切り替えると龍昇の両手を取る。

『ね、りゅうしょうはわたしの二つか三つ上でしょ? いっしょにあそびましょう!』

『えっ。でも――』

『ほら、いいからいいから。わたしがあんないしてあげる!』

 袖を引っ張られ、庭の奥へと連れていかれる。
 なんだかよく分からないが――姫は、自分と遊んでくれるつもりらしい。龍昇の胸に好奇心と喜びが沸き上がる。

(だったら……いいよな? おれ、悪くないよな?)

 ――いいや。叱られても構うもんか。
 しっかりと繋がれた小さな手に、龍昇は抵抗を諦めた。

『あの……ありがとうございます。姫』

『それもつまんなーい。……どうしてお礼なんて言うの? わたしたち、もうおともだちでしょ?』

『え――』

『わたし、おともだちがほしかったの……! りゅうしょうは、わたしの一番さいしょのおともだちね!』

 桃色の衣を揺らして、香紗姫が満面の笑みを向けてくる。裏も表もないその笑顔に龍昇は数秒見とれ、そしてゆっくりと頷いた。

『はい。おれは……姫の、一番の友達です』





「…………」

 浅い夢から、覚醒する。見慣れた自室の光景が、龍昇のぼやける頭を覚ましてくれた。

(また、古い夢を――)

 外は暗く、夜明けにはまだ時間があるようだ。朝が来ていないことに安堵する。
 寝台に横たわる人影にちらりと目を落とすと、その人は起きる様子もなく静かに寝息を立てていた。

「あなたの、せいかな……」

 苦笑して、わずかに寝乱れた髪をかき上げてやる。彼女は軽く眉をしかめたが、やはり起きる気配はない。

 先ほどまで散々情事を繰り返していた部屋は、まだ熱がこもっているようだ。
 ……いや、いまだに熱が残っているのは自分の体の方かもしれない。

(あんなにがっつくなんて、十代の子供でもあるまいし……)

 先ほどの行為を思い出して、赤面しながら軽く自己嫌悪する。
 自分の劣情だけで突っ走ってしまった気がする。さぞかし彼女に負担をかけたことだろう。

 深く眠りに沈む雪華を見下ろす。
 長くつややかな髪が丸みを帯びた肩にかかり、なだらかな胸元へとこぼれ落ちていた。淡い月の光が、柔らかな肌に陰影を落とす。

 突然姿を現した、懐かしい人。二度と手が届かないと思っていた愛しい人。

 何度も吸ったせいで赤く色づき、最後は掠れるまでに喘ぎをこぼした唇は今はゆるく閉じられている。意思の強い気高い瞳も、白いまぶたの下だ。
 掛け布をめくれば、美しい曲線を描く脇腹と深く刻まれた火傷の痕が見えることだろう。

 嫌だという彼女を押し切って、様々なところに唇を付け、痕を残し、舌を這わせた。羞恥と快感に染まる顔を腕で隠そうとするたび、その手を取って口付けた。
 しなやかな獣のような体が自分の下でしなり、遺恨を越えて自分を受け入れてくれた瞬間、泣きたいような気持ちになった。

 ……本当は気が付いていた。傷痕に口付けるたび、ふっと寂しげな、複雑な影が瞳をよぎることを。

 雪華は無意識かもしれない。自分に組み敷かれるのは、屈辱ではないとまで言い切ってくれた。雪華の中では、過去は整理が付いたのかもしれない。

(でも――)

 本当は、傷痕はまだ癒えきっていないのだろう。いや、自分といる限り一生癒えることはないのかもしれない。

(それでも……失いたくない。俺をもう一度信じると言ってくれたこの人を、俺は全力で受け止めたい。俺の生涯を、かけて――)

 自分と彼女で、もう一度光差す場所に立つ。雪華が身じろぐ気配を感じながら、龍昇は一つの決心を抱いた。





「ん……」

「……起きたのか?」

「ああ……。……だいぶ、深く寝てたな……。あんたも無茶をする……」

「……すまない」

 荒々しい情事が終わり、深く沈んだあとのまどろみの時間。背後から抱かれながら、耳を撫でた声に雪華はぼんやりと目を開いた。
 しばらく待ってみても、続く言葉がない。穏やかな呼吸が聞こえ、寝言かと目を閉じかけると体の前に回された腕に緩く力が込められた。低い声が耳朶じだをくすぐる。

「夢を……見たんだ」

「夢…?」

「そのままでいいから……聞いてくれ。忘れてしまっても、いいから」

 龍昇の腕の中で雪華は首を傾げた。背後で一息つき、彼はゆっくりと囁く。

「……昔、な……好きな女の子が、いたんだ。年下の可愛い子で、俺の後をついて…高貴な身分だったのに、『龍昇』と呼んで慕ってくれた」

「……っ」

 ふいにもたらされた言葉に、思わず振り返りかける。それをそっと制し、龍昇は静かな昔語りを続けた。

「俺は、その子に信頼されているのが誇らしくて、いつか……幸せにしてやることが、夢だった。けれどその夢は、俺の周りの大人たちと……俺自身の不甲斐なさで、叶わなくなった」

「…………」

「絶望して、無力感に襲われて……でも、思った。もしもその子が生きていたなら、なんとかして探し出して……今度こそ、共に在りたいと。そのためには、力が必要だった。だから俺は、至上の座につくことを……受け入れた」

 龍昇が小さく溜息をつく。自嘲するように小さく笑い、彼は苦く続ける。

「俺が皇帝位を継いだ理由なんて、本当はひどく子供じみた、利己的な考えでしかなかったんだ。……俺はそんな、小さな男だ。あなたは……そんな男は、嫌だろうか」

 耳元に触れる吐息が、くすぐったい。どこか不安げな問いかけに、雪華は首を回すと正面から男の顔を見やった。

「あんたはどうなんだ? 再会した娘が、可愛げもない女になっていてがっかりしたか?」

「いや、まさか。想像よりもずっと綺麗になっていて……想像よりも、ずっと強い人になっていた。その人に俺は、もう一度……恋をしたよ」

「……っ……」

 至近距離からそんなことを告げられて、目を見開くとともに頬が紅潮する。雪華は龍昇から視線を逸らすとぼそりと呟いた。

「堂々と、恥ずかしいことを言ってくれる。……分からないか?」

「……? 何がだ」

「だから、私の気持――、……いや、いい」

 きょとんと返されてはっきり答えようかと思ったが、恥ずかしくなって途中でやめた。すると龍昇は怪訝に眉をひそめる。

「なんだ。言いかけてやめるのは気になるだろう」

「……っ。察しろ!」

 人の機微に敏いくせに、案外鈍いところがある。顔を背けても視線が外れる気配はなく、雪華は溜息をついた。

「私は身持ちがそういい方ではないが……それでもな。なんとも思っていない男に抱かれるほど、酔狂ではない」

「え……」

 今度は龍昇が目を見開く番だった。だが彼は小さく息をつくと申し訳なさそうに眉を下げる。

「あ……、すまない。聞こえなかった。もう一度言ってくれ」

「知らん。……というか――」

 視線をやった先の、龍昇の表情。それは明らかにほころんでいて――

「聞こえていただろうが!」

「いや、その……。はは」

「……っ!」

 緩みきった口元を引き締め、龍昇が視線を逸らす。
 今さらながらに恥ずかしくなってきて猛然と後ろを向くと、再度、男の手が背後から絡み付いてきた。

「すまない。からかうつもりはなかったんだ」

「うるさい、とっとと寝ろ」

「すまない。……参ったな、また怒らせてしまった」

 唇を尖らせてはいるが、別に本気で怒っているわけではない。この男とこんな雰囲気になるのが慣れなくて、恥ずかしいだけだ。
 溜息をついた雪華は、その雰囲気さえも噛み締めているような龍昇に低く問いかける。

「あんたは……昔のことを、よく覚えているな。私でさえ知らないようなことまで。いつごろから記憶があるんだ?」

「え? そうだな……あなたとのことは、出会った日のこともおぼろげに覚えているよ」

「……それはすごいな。あんただって、十にもなってなかっただろ」

「多少は歳の差があるからな。それに――」

 雪華を抱く腕にぐっと力が込められ、引き寄せられる。耳朶に唇を寄せられ、吐息が産毛をくすぐった。

「俺は最初から、あなたのことが好きだったから」

「……っ」

 声に味や匂いがあるとしたら、これ以上甘いものはないだろう。耳を赤く染め、唇を震わせた雪華は深い溜息をつく。

「……もう、いい。頼むから寝てくれ……いや、寝かせてくれ」

「……すまない」

 吐息だけで笑った龍昇が、うなじに顔を寄せる。
 そのままゆったりとした寝息が聞こえてきて、どこか落ち着かないものを感じながら雪華も目を閉じた。


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