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ジェダイト編
19、虜囚
しおりを挟む翌日、ジェダイトを捕らえている小屋に向かうと梅林が見張りに立っていた。雪華に気付くとぺこっと頭を下げる。
「あ……、姐御。お疲れ様です」
「お疲れ。悪いな、見張りなんてやらせて。人質の様子は?」
「まぁまぁ元気っすけど、食事には手を付けてないっすね。雪華の姐御が尋問するんすか?」
「ああ。……悪いが、人払いをしてもらっていいか。内密な話があるかもしれない」
「え……でも」
雪華の発言に梅林が難色を示す。……その反応は、正しい。だがこちらにもそうせざるを得ない事情があり、雪華は梅林にぐっと近付いた。
「頼む、梅林。な?」
「っ……。は、はい」
至近距離で、自分なりに極上の笑みを浮かべて『お願い』すると、単純な梅林はあっさりと引き下がってくれた。組織的には叱責ものだが、今はむしろそののんきさがありがたい。
梅林が去り、粗末な作りの暗い小屋に入ると、奥の支柱に男が繋がれているのが見えた。両手を手枷で拘束され、地面に座り込んでいる。
男――ジェダイトは外の光がまぶしいのか、一瞬目を細める。そしてゆっくりとそれを開くと、驚愕のあと、疲れた笑みを顔に浮かべた。
「……やはり、あなたでしたか……」
鎖で繋がれたジェダイトと、自由の身の雪華。
過去と呼ぶには、まだ生々しい記憶――その記憶とはまるで逆の立場で、二人は相対した。
「……いいざまだな。高官がボロボロになって……。己の死期を悟り、禁軍から逃げ出そうとしたのか」
「ふ……。あなたに、こんなみっともない姿をお見せするとは。情けない限りです」
手枷をジャラリと鳴らし、ジェダイトが自嘲する。その顔は薄汚れて少しやつれていたが、人の目を惹きつける美貌は変わらずで雪華はみっともないとは思わなかった。むしろ、影が生まれて凄みが出たとすら感じた。
「兵士を何人か殺ったようだな。捕まれば、今度こそ処刑は免れまい」
「そうでしょうね。けれどこちらとしても、みすみす殺されるわけにはいきませんので。まぁ、その前にだいぶ痛めつけられはしましたが……」
ジェダイトの顔や体には、あちこち切り傷や殴打の痕があった。おそらく陣中でも、最後とばかりに拷問されたのだろう。
「……何か吐いたのか」
「兵士の方たちも必死なようでしたが、何も。ここ半年、斎にいて軟禁されていた私が有効な情報を持っているはずもありませんのに」
「ふん……なんだかんだで、斎の兵士は甘いからな。残念ながら、私たちは甘くない。ここで尋問されれば、嫌でも吐きたくなるかもな」
「それは怖い。けれど、もう完全に捕らえられてしまいましたし……さすがにここから逃げるのは難しいようだ」
「……そうだな」
……不思議な気分だ。
あれほど恐れていたのに、いざ対峙してみると恐怖心はまったく浮かんでこなかった。
それはジェダイトが捕らえられているという、絶対的に雪華に有利なこの状況によるものかもしれないが、それよりも――
「何の価値もない人質を生かしておいても、邪魔になるだけでしょう。始末は、早い方がよろしいのでは?」
「命乞いしないのか? ずいぶんと諦めのいいことだ。何を企んでいる」
「残念ながら、何も。……あなたに会って、諦めがつきました。あなたに殺されるなら本望だ」
ジェダイトはそう言って、碧の目を小さく笑ませた。そこに浮かぶ色に、雪華は自分が彼を恐れぬ『理由』を悟った。
(この目――)
ジェダイトは、すべてを受け入れたような静かな目をしていた。それはもはや、冷酷に雪華を見下ろしていたあの目ではなかった。
雪華は平静な気分でジェダイトを見下ろす。
「……国に戻りたいとは思わないのか」
「思っていましたよ。だから逃げ出したし、足掻いてもみた。……けれどこれが、天命のようです」
ジェダイトが己の手を見下ろし、苦く笑った。その手を握ると、力なくまぶたを閉ざす。
「生き汚く足掻いてみても、結局すぐに捕らわれる。私の人生は、そう運命づけられているようだ。もう……いい加減、疲れました」
「…………」
「あなたは元気になられたようですね。見たところ、私の懸念も気鬱だったようだ。……良かった」
ジェダイトがちらりと雪華の腹部を見て微笑む。その視線の意図するところを悟り、小さく体が強張った。
あの逃亡からふた月が過ぎ、月のものが二度やってきた。幸いなことに、雪華は妊娠を免れていた。
だからといって、あの記憶が消えるわけではない。雪華は低く、憎しみを込めて問いかける。
「……私を孕ませることが、望みではなかったのか」
「以前は、ね。でも今は……余計なものがあなたに宿っていなくて、心底良かったと思っています。残すものなど、ない方がいい」
きっぱりと言い切り、ジェダイトが顔を上げる。彼は迷いない視線で穏やかに告げた。
「殺すなら、ひと思いにやって下さい。……そう言いたいところですが、あなたにお願いできるような立場ではないですね。好きなようにするといい。あなたには、その権利がある」
そう言って、静かに目を閉じ首を仰のける。
急所をさらし、抵抗の素振りも見せないジェダイトにゆっくりと近付くと、雪華は手にした匕首を握りしめた。
……この首を掻き切る日を、夢見ていた。雪華を捕らえ、虐げたこの男に逆襲する日を夢見ていた。
けれど――!
「……ッ!」
振り上げた匕首の刃は、褐色の首ではなくジェダイトの足元へと突き立てられた。
断ち切ったのは、何としても復讐を遂げるという強靭な意志か――それとも心の迷いか。
「貴様は……殺さない」
「……なぜ」
「私に聞くな…! 会ったら、殺してやろうと思っていたさ。けど、もう……いい。気が削がれた」
ジェダイトは目を丸くしたが、すぐに冷静な声で問うてきた。雪華の返答に、無言で目を細める。
「……私を放置すれば、また同じことを繰り返すかもしれませんよ?」
「一度失敗したのに、同じ手段を繰り返すほど貴様は馬鹿なのか。……二度目があると思うか?」
「……いいえ。もう、しないでしょうね」
至近距離で見下ろすと、困ったようにジェダイトが笑う。匕首を引き抜くと、雪華は少し距離を置いて床に座り込んだ。
「あなたは……おかしな人ですね。私が憎くはないのですか?」
「憎いさ。でも貴様を殺しても、あの時のことが消えるわけじゃない。……それ以上に、貴様の腑抜けた様子を見ていたら殺る気が削がれた」
「腑抜けた……ですか」
「ああ。まったく……予想外だ。ここで殺らないなんて、自虐癖があるとしか思えない」
雪華の溜息にジェダイトも困惑したように眉をひそめる。手枷を鳴らし、包帯が巻かれた腕を見下ろす。
「殺さないなら、尋問でもするつもりですか? 無駄に終わると思いますが……」
「どこぞの誰かと違って、人を痛めつける趣味もない。無駄なことはしない主義だ。……それより、あんた。その喋り方……やめろ」
「……『あんた』? 喋り方……?」
突然の呼称の変更に、ジェダイトが目を丸くする。それに構わず、雪華は胸の淀みを吐き出すように続けた。
「敬語だ。本当は、そんな話し方じゃないんだろう? 本性を知ったら、逆に気味が悪い。普通に話せ」
「そう言われましても……」
「あんたは捕虜だぞ。従わないつもりか」
ジェダイトがますます困惑する。やがて彼は長い息を吐き出すと、雪華を見据えた。
「……分かった。これでいいか」
「……ああ」
たかが口調一つ。されど口調一つ。ジェダイトという人間を覆っている、薄い紗が一枚取り除かれたような気がした。
温厚で眉目秀麗な大臣補佐官ではなく、奴隷上がりの鬼畜な簒奪者でもなく、彼自身の姿が少しはっきりと見えるようになった気がした。
うなずいた雪華にジェダイトは苦笑を向ける。
「……あなたはやはり、自虐的だな」
「そうかもな。……明日、また来る。拷問する気はないが、話は聞かせてもらうからな」
短く言い置いて小屋を出ると、今さら汗が噴き出した。恐怖心はなかったが、緊張はしていたらしい。
「何をしてるんだ、私は――」
何も切らずに終わった匕首を見下ろし、つぶやく。明日の予定まで告げて、どうするつもりなのか。
その答えが出るはずもなく、雪華は匕首をしまうとたった今出てきた小屋から無理やり視線を逸らした。
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