初恋を眺めていた

根本美佐子

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【体育祭】

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【体育祭】

 予想通り。朝練が始まる前から五十嵐はキャッチャーの北村に「キモ子と付き合っているのか?」と訊かれ、二年生の部員が全員その話が事実なのか興味津々で次から次へと質問をしていった。

 それに対して、五十嵐は照れくさそうに「うん」と答え、キュっと目をつぶって笑顔を作った。

 部員全員が「マジかよ」とか「キモくないの?」とか「恥ずかしいとかないの?」と口にしたけど、五十嵐は反論するでもなく「えへへ」と笑ってそれ以上のリアクションをとらなかった。それどころか誰も訊いていないのに「体育際の次の日、振替休日だから映画に一緒に行くことになった」とデートの予定を僕等に言って、一人浮かれていた。

 今朝は野球部しか知らなかった五十嵐と奈々子の関係だったけど、体育祭の全校朝練が終わった頃には、学年の全員、二人が付き合い始めた話題でもちきりだった。

 特に女子は男子とは違う観点で、この事実を受け止めていた。

 男子は興味のない女子が誰と付き合おうと、面白おかしくその話題で盛り上がることが出来るけど、女子中学生って生き物は男子よりもよほど嫉妬深くプライドが高い生き物だ。からかうとか、二人への嫌がらせじゃ気が済まないらしく、その日から僕等の学年は進路や勉強の悩みから完全に恋愛モードに切り替わってしまった。

 帰り道。五十嵐と奈々子は部活帰り一緒に帰ると言って昨日と同じ様に、二人で放課後を過ごしに行った。

 今までは五十嵐とファーストと三人で帰っていた通学路だったけど、ファーストが別れ際に「実はさ……」と僕に言いにくそうにしつつもどこか嬉しそうに話し始めた。

「俺今日、隣のクラスの女子に告白されたんだよ」

 僕は、無条件でドキッとした。

「だ、誰に?ってか付き合うの?」

「一応オッケーした。誰かってのはまだ言いたくない」

 僕は一応って言葉と誰と付き合うことになったのか言わないファーストに違和感を覚えた。でも、なんでかはわからなかった。

「じゃあ、お前もカノジョとこれから放課後帰るわけ?」

「いや、カノジョの家反対方向だからさ、放課後デート的なことは無理なんだけど、帰ったら電話しようって約束した」

「そうか」

 釈然としなかった。五十嵐よりもファーストとの方が仲が良いと思っていただけに、なんで、カノジョが出来たこと以外に情報を開示してくれないんだろうと、考えてしまった。

 五十嵐と奈々子が付き合い始めてから一週間。ついに体育祭の日が来た。

 誰もがヒーローになりたがっているわけじゃない。赤軍と青軍といっても所詮は一組二組対三組四組。それでも、一カ月間練習してきたこととか、守ってきたルールとかが、負ければ否定されてしまうような気分を味わうような気がして、誰も手を抜いているわけじゃなかった。

 一位じゃなくてもいいのに、ビリにはなりたくない。そんな気分で僕の100メートル走の番が来た。うちのクラスからは僕と五十嵐が野球部で足が速そうというだけの理由で体育祭実行委員も兼ねている応援団が提案してきた。これは個人競技の中でもかなりシンプルな競技だし、リレーと違って練習もいらないし、借りもの競争みたいに運で敗因が決まるものでもない。長距離の1000メートル走は陸上部が出てくれることになったし、僕は異論なかった。五十嵐も特に拒むことはなかった。

 だけど、練習では僕の次に五十嵐が走者の予定だったが、僕と一緒に走るはずだった三組の男子が熱中症気味だということで急遽五十嵐が僕の隣で走ることになり、五十嵐の代わりはギリギリ間に合った応援団の男子が代わりに入った。

 部活じゃ五十嵐に体力的なことで負けたことはなかった。盗塁のタイム測定だって負けたことなかった。だけど、空の銃声でスタートした瞬間から、ゴールまでの100メートルの間、手を抜いたわけじゃないのに僕は五十嵐に負けた。

 五十嵐が一位で僕が二位だった。

 僕と五十嵐の差は接戦のような距離だったけど、僕は何故か抜けなかった。どうしたら勝てたんだろう。何を頑張れば負けなかったんだろう。

 だけど、応援席に戻って、タオルで顔を拭いている五十嵐の視線がまた奈々子の方向を向いていたのに気が付いて、なんとなく、本当に僕の想像で絶対じゃないけど、五十嵐は一位になると奈々子と約束していたんじゃないかなって思った。あれは誰かに誓いをたてていたような走りだった。

 ずりい。そう思ったら、初めて五十嵐と奈々子の関係をキモイと思ってしまった。僕にとっては、どうでもいいことだったはずで、関係ないと思っていたのに、この苛々した原因が五十嵐と奈々子のせいだと思いたくなってしまった。

 あんな男子のどこがいいんだ。あんな女子のどこがいいんだ。

 決して嫉妬ではない。でも、あの二人を表面上は認めてやるしか僕には選択肢がなかった。だって二人の関係を冷やかしている奴らと同じレベルにならないと、僕はいつまでたっても奈々子に何か未練を残しているみたいでムカつくんだ。

 体育祭が終わる。最後の全校整列で表彰式と閉会式があった。

 今年は三組四組の青軍が勝った。でも、僕は釈然としない気持ちが残った。

 頭の中で、今日は部活がなくてよかったと体力的にも安心していたけど、もしも誰かに100メートル走で五十嵐に負けたことを追及されたらどうしようかなぁと、言い訳を考えていた。

 表彰式も閉会式も終わって、もうダンスの練習もしなくていいし、勝たなきゃいけないプレッシャーからも解放されて、全部終わったことなのに、始まってしまったこともあった。

「小野寺くん。ちょっといい?」

 前髪の上でカチューシャみたいに赤いハチマキをつけたままの女子が、一つに結んだ髪をほどきながら僕に近づいてきた。

「これあたしの電話番号。ラインつながろ?」

「いいけど」

 断る理由もなかった。

 だって目の前にいるのは、男子にかわいいと定評のある梶原茜さんだ。彼女は吹奏楽部だし、小学校も違ったから話したことなんてなかったけど、彼女の方から僕に興味を持ってくれていたというのは、この疲れ切った体には案外嬉しいサプライズだった。

 放課後、一人で家に帰って、風呂に入った。今年の夏も日焼けしたな―と腕を腹につけその色の差を確かめた。

 吹奏楽部とかバレーとか美術とか室内部活の人は、この体育祭練習で随分日焼けをして、今日も一日中暑い中外にずっといたから、みんな茶色じゃなくて体が酔っ払いみたいに赤くなっていたなと呑気に思い出していた。

 エアコンのきいたリビングで母特製のメンチカツ丼を食べ、それから部屋で電話番号をスマホに打ち込んだ。

 緊張していたけど、相手からつながろうと言ったのだから何も恐れることはないのに、スマホに梶原さんがサックスを持って笑っていて、誰かがいつの間にか撮っていたような写真がアイコンになっていた。

 僕は『今日はお疲れ!』と一言送り、既読がすぐについた。

『お疲れ様です!青軍勝利おめでとう!』と返事もすぐに来た。

『ありがとう!でも100メートル走で二位だったのが心残り』

『見てたよ!すごく早かったね。あたしは運動苦手だから凄いと思った!』

 僕と梶原さんはひたすら体育祭の話をし続けた。

 明日は日曜日。五十嵐と奈々子が映画に行くと言っていた。確かSF映画で十時からってサードとファーストが話していたような気がする。

『明日映画行かない?』

 ちょっとラインで体育祭の話で盛り上がっていただけなのに、僕は梶原さんにそう提案していた。

『いいよ!何時に会う?』

『十時からのSF映画だから、九時四五分に映画館前でいい?』

『わかった!よろしく!』

 だらだらと体育祭の話をしていたけど、梶原さんはこの話を僕が切り出すのを待っていたようで、集合場所と時間が決まると、すぐに『今日はありがとう!明日はよろしくです!おやすみなさい!』と送って、寝ている猫のスタンプが送られてきた。僕もクマが寝ているスタンプを送って既読が付いたので、目覚ましをセットし眠った。

 別に五十嵐と奈々子が気になるわけじゃない。

 きっと梶原さんの私服は可愛いに決まっている。僕だって五十嵐より身長が高いし、服も兄貴のものを借りれば格好がつく。

 五十嵐と奈々子が見るSF映画を特別見たかったわけじゃないけど、そう、この場合はあれだ、他の映画の時間帯を調べるのが面倒だっただけだ。

 歯を磨きに行ったあと、トイレをすませて、兄貴の部屋に行った。

「兄貴、明日さ、服貸してくれない?」

「デート?」

「まぁ女子と二人で、映画館、みたいな感じ」

「奈々子とか?」

「ううん。違う女子」

「奈々子じゃないのか。まぁいいか貸してやる」

 兄貴はクローゼットを開けた。バイト代をほとんど服や靴に変えてるだけあって、圧巻の品ぞろえだった。

「奈々子じゃないのかぁ」

 兄貴は服屋の店員みたいに、服をとっては戻すを繰り返した。

「奈々子だったらどんなコーデなわけ?」

「ああ?奈々子だったら、ジーパンに、白シャツ一択だな」

「なんで?」

「奈々子はまだ垢ぬけてないけど、スタイルはいいからな。まぁまだ胸小さいけど、それがまたいいっていうか、隣を歩くなら同じレベルの服装で、健康的な感じのコーデがいいな」

「へぇ……」

 そういうもんなのか。

「兄貴ってさ、将来はアパレル系に就職したいの?」

「昔はそう思ってたな」

「昔っていつだよ」

「お前と同じ歳くらいの時だから、二年前くらいかな。けど、高校生になってからは、なんとなく美容師とかもいいんじゃないかなって思ってる」

「ふーん」

 進路か。今はどこの高校に行くかしか考えてなかったけど、その先も考えないといけないんだよな。学生はいつだって未来の答えを迫られている。

 僕だけじゃないんだ。きっと奈々子も五十嵐も未来を選択していくんだ。
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