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第一章 枯れた剣士と新人冒険者
第一話
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「…………」
日も昇りきらぬ早朝。
この世界には目覚まし時計などないというのに、いつも同じ時間に目を覚ます。
それは最早、身体に染みついた習慣だった。
目覚めたての身体は若干の気怠さを訴えていたが、彼がそれを気にすることはない。
手早く寝間着からの着替えを済ませ、腰に湾刀を佩く。
伸びた髪から覗く顔は青年のものだったが、纏う雰囲気は陰鬱な枯れ果てた老人そのものだ。
見た目と内面の不整合さこそ彼──ヴィレンという青年の特徴だった。
寝室から居間、屋外へとほとんど物音を立てぬまま移動したヴィレン。
暖まりきっていない外気に晒した上体はこれ以上はないという程に絞り込まれている。
晒されていない下半身も恐らくは同様であることは想像に難くない。
「────」
腰の湾刀を鞘から抜き、構える。
完成された佇まいは、やはり見た目の若年さとの違和感を感じさせている。
正眼の構えから続くのは、幾つかの型。
舞うように振るわれる湾刀。
一体どれほどの時間をかければ辿り着けるのか。
無駄の一切が削ぎ落とされた動きは、鍛え終えられている。
それはつまり、これ以上はないということ。
現状が限界値である以上、その先はない。
ヴィレン自身も己に成長の余地がないことは気付いている。
では何故、鍛錬を続けるのか。
限界値を維持する為? まあ、間違ってはいないだろう。
では正解は何か。
答えは至極単純、己が非才であることを理解しているから。
そもそも武術とは弱者のために作り上げられたもの。
術理を修めるとは、身体運用の効率を高め、無駄を削ぎ、強者との差を少しでも埋めることだ。
しかし悲しいかな、真に才能ある者たちは、弱者の積み上げたものを軽く超えていってしまう。
努力は才能を超えるなどという言葉があるが、それは所詮努力で超えられる程度の才能だったというだけ。
どうしようもなく超えられない才能というものは存在する。
ヴィレンが辿り着いた限界値など、時間と努力さえあればで誰でも辿り着ける程度のものなのだ。
故にこれ以上はないと知りながらも鍛錬を休むことはない。
そもそも非才の身なのだ、一日休むことで生まれる差を態々広げてやる必要もない。
「おはようございます、ヴィレン様」
いつも通りの鍛錬を終えたヴィレンは刀身を鞘に収め、軽く息を吐き出す。
そこに掛けられたのは、幼い少女の声。
「……ああ」
視線すら向けない無愛想な返事に、少女は微笑みを浮かべている。
少女の名はクオン。
名もない愛玩用奴隷の狐獣人の少女として売られていたのを数年前にヴィレンが買い取り、名を与えた。
愛玩用奴隷として売られていたクオンだが、買ったヴィレン自身その手の欲が皆無であり、専ら家事手伝いと仕事の助手として暮らしている。
まともな衣服を着て、血色良く、頭に生えた狐耳と尻尾を覆う毛もよく手入れされている。
それはクオンの生活状況が劣悪ではないことの証明だ。
「今日は朝ご飯はどうされますか?」
「……頼む」
優しい声に対して、少しの間を置いた返答はやはり無愛想なもの。
その返事にクオンが気を悪くすることはやはりない。
クオンにとってヴィレンという人物は、無愛想で偏屈で変わってはいても大恩ある人物であることに変わりはないのだから。
「では、用意は私がしておくのでヴィレン様は汗を流してきてください」
そう微笑んだクオンは家の中へと入っていく。
──変わるものだな。
ヴィレンが胸中で呟いた言葉は買った当初のクオンと現在と変わり様についてだった。
数年前何の気まぐれか、目に止まった奴隷の少女。
少女趣味などという唾棄すべき趣味を自身が持っていないことはヴィレン自身がよくわかっている。
では、何故買ったかと言われれば本当に只の気まぐれでしかない。
たまたま目に止まった、妙に気なった。
その程度のものであったが、気が付けばクオンとの暮らしも数年が経っている。
挙げ句の果てには何かと世話を焼いている始末。
──未だにそんな人間性が残っているとはな。
自身への皮肉に苦笑を浮べる。
やがて汗を流し終え、着替えを済ませ、クオンが待つ食卓に座る頃にはその苦笑も消えていた。
「いただきます」
「頂きます」
食卓に並ぶ料理は簡素なもの。
薄く切られたパン、野菜を煮込んだトマトスープ、スクランブルエッグに燻製肉が二枚。
口に運び、舌から伝わる味は素朴なもの。
飛び抜けて美味いというわけではないが、優しい家庭の味だ。
最初の頃は焦がす、味が濃い薄いなど酷い有様だったが今ではこうして成長している。
その成長をこそヴィレンは尊いと思う。
この少女は己とは違い価値ある道を歩んでいるのだ、と。
「どうかしました?」
ヴィレンの視線に気付いたクオンが首を傾げる。
「いや、何でもない」
「?」
それっきりヴィレンは一言も話すことなく黙々と食事を進めていく。
食事を終えると、手早く装備を身につけていく。
胸当ての鉄鎧に肩当ての段平、腰には湾刀。
最後にギルド所属の冒険者であることを証明する認識票を首から下げる。
「そろそろ行くぞ」
「はーい!」
いつも通りに、ヴィレンとクオンは自宅を後にした。
日も昇りきらぬ早朝。
この世界には目覚まし時計などないというのに、いつも同じ時間に目を覚ます。
それは最早、身体に染みついた習慣だった。
目覚めたての身体は若干の気怠さを訴えていたが、彼がそれを気にすることはない。
手早く寝間着からの着替えを済ませ、腰に湾刀を佩く。
伸びた髪から覗く顔は青年のものだったが、纏う雰囲気は陰鬱な枯れ果てた老人そのものだ。
見た目と内面の不整合さこそ彼──ヴィレンという青年の特徴だった。
寝室から居間、屋外へとほとんど物音を立てぬまま移動したヴィレン。
暖まりきっていない外気に晒した上体はこれ以上はないという程に絞り込まれている。
晒されていない下半身も恐らくは同様であることは想像に難くない。
「────」
腰の湾刀を鞘から抜き、構える。
完成された佇まいは、やはり見た目の若年さとの違和感を感じさせている。
正眼の構えから続くのは、幾つかの型。
舞うように振るわれる湾刀。
一体どれほどの時間をかければ辿り着けるのか。
無駄の一切が削ぎ落とされた動きは、鍛え終えられている。
それはつまり、これ以上はないということ。
現状が限界値である以上、その先はない。
ヴィレン自身も己に成長の余地がないことは気付いている。
では何故、鍛錬を続けるのか。
限界値を維持する為? まあ、間違ってはいないだろう。
では正解は何か。
答えは至極単純、己が非才であることを理解しているから。
そもそも武術とは弱者のために作り上げられたもの。
術理を修めるとは、身体運用の効率を高め、無駄を削ぎ、強者との差を少しでも埋めることだ。
しかし悲しいかな、真に才能ある者たちは、弱者の積み上げたものを軽く超えていってしまう。
努力は才能を超えるなどという言葉があるが、それは所詮努力で超えられる程度の才能だったというだけ。
どうしようもなく超えられない才能というものは存在する。
ヴィレンが辿り着いた限界値など、時間と努力さえあればで誰でも辿り着ける程度のものなのだ。
故にこれ以上はないと知りながらも鍛錬を休むことはない。
そもそも非才の身なのだ、一日休むことで生まれる差を態々広げてやる必要もない。
「おはようございます、ヴィレン様」
いつも通りの鍛錬を終えたヴィレンは刀身を鞘に収め、軽く息を吐き出す。
そこに掛けられたのは、幼い少女の声。
「……ああ」
視線すら向けない無愛想な返事に、少女は微笑みを浮かべている。
少女の名はクオン。
名もない愛玩用奴隷の狐獣人の少女として売られていたのを数年前にヴィレンが買い取り、名を与えた。
愛玩用奴隷として売られていたクオンだが、買ったヴィレン自身その手の欲が皆無であり、専ら家事手伝いと仕事の助手として暮らしている。
まともな衣服を着て、血色良く、頭に生えた狐耳と尻尾を覆う毛もよく手入れされている。
それはクオンの生活状況が劣悪ではないことの証明だ。
「今日は朝ご飯はどうされますか?」
「……頼む」
優しい声に対して、少しの間を置いた返答はやはり無愛想なもの。
その返事にクオンが気を悪くすることはやはりない。
クオンにとってヴィレンという人物は、無愛想で偏屈で変わってはいても大恩ある人物であることに変わりはないのだから。
「では、用意は私がしておくのでヴィレン様は汗を流してきてください」
そう微笑んだクオンは家の中へと入っていく。
──変わるものだな。
ヴィレンが胸中で呟いた言葉は買った当初のクオンと現在と変わり様についてだった。
数年前何の気まぐれか、目に止まった奴隷の少女。
少女趣味などという唾棄すべき趣味を自身が持っていないことはヴィレン自身がよくわかっている。
では、何故買ったかと言われれば本当に只の気まぐれでしかない。
たまたま目に止まった、妙に気なった。
その程度のものであったが、気が付けばクオンとの暮らしも数年が経っている。
挙げ句の果てには何かと世話を焼いている始末。
──未だにそんな人間性が残っているとはな。
自身への皮肉に苦笑を浮べる。
やがて汗を流し終え、着替えを済ませ、クオンが待つ食卓に座る頃にはその苦笑も消えていた。
「いただきます」
「頂きます」
食卓に並ぶ料理は簡素なもの。
薄く切られたパン、野菜を煮込んだトマトスープ、スクランブルエッグに燻製肉が二枚。
口に運び、舌から伝わる味は素朴なもの。
飛び抜けて美味いというわけではないが、優しい家庭の味だ。
最初の頃は焦がす、味が濃い薄いなど酷い有様だったが今ではこうして成長している。
その成長をこそヴィレンは尊いと思う。
この少女は己とは違い価値ある道を歩んでいるのだ、と。
「どうかしました?」
ヴィレンの視線に気付いたクオンが首を傾げる。
「いや、何でもない」
「?」
それっきりヴィレンは一言も話すことなく黙々と食事を進めていく。
食事を終えると、手早く装備を身につけていく。
胸当ての鉄鎧に肩当ての段平、腰には湾刀。
最後にギルド所属の冒険者であることを証明する認識票を首から下げる。
「そろそろ行くぞ」
「はーい!」
いつも通りに、ヴィレンとクオンは自宅を後にした。
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