虐げられた王女は、人魚の執愛に溺れる

柴田

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2.第一王女の事情

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 結局一日でひれは治らず、ハクをリント王国に連れていくことにした。

 宝物入れにたっぷりの水を入れて蓋を閉じ、アナスタシアが両手に持って馬車に乗り込む。大事そうに抱えた箱を見て、ソイルは「そんなに気に入るシーグラスが見つかってよかったね」と微笑んで見送ってくれた。

 リント王国とは隣り合っており、エルマーレ王国の国土が狭いこともあって馬車で四時間ほどあれば王都につく。
 途中まではハクの存在もありいつもよりおしゃべりだったアナスタシアだが、リント王国の城が近づくにつれ口数が減っていった。

 城の前に馬車が停まる。
 予定していたとおりの日時に到着したにもかかわらず、親兄弟はおろか、使用人すら出迎えない。
 しかしながら冷遇に慣れてしまったアナスタシアは、出迎えがないくらいで今さら落胆することはなかった。いつものことだ。

 馬車から降りると、アナスタシアの顔からはすっかり笑顔が抜け落ちていた。
 ハクが入っている箱だけは、変わらず大事そうに抱えている。
 気遣うような視線を向けるフロレンティーナに対し、アナスタシアはかすかに微笑んだ。表情が変わったのはその一瞬だけだった。

 城には入らず、庭園を抜けていく。アナスタシアの部屋は離宮にあるのだ。

「――あらお姉様。おかえりなさい。一年ぶりのエルマーレ王国は楽しかった?」

 庭園の途中で声をかけてきたのは、ミレイユ・リント。
 アナスタシアとは年が四つ離れている異母妹だ。
 夕日のように鮮やかな赤い髪が目を引く彼女は、幼いながらにすでに完璧な美しい顔立ちをしている。アナスタシアとは目の色以外少しも似ていない。

 その隣に立っているのはモーリス・リント。アナスタシアの三つ年下の異母弟だ。
 彼も真っ赤な髪をしていて、ミレイユとよく似ている。

 兄弟の中でアナスタシアだけ母親が違うのだ。
 アナスタシアが二歳のときに、母は流行り病で亡くなっている。
 それについては悲しいと感じたことがない。二歳という年齢を抜きにしても、母とのあたたかい思い出がひとつも記憶に残っていないせいだろう。
 けれど母に愛されていなかったとはっきり断言できる。

 母は政略結婚で嫁いできた。そのため、夫との間に愛も情も一切なかった。
 子作りを億劫に思っていた母は、一刻も早く後継ぎとなる王子が生まれることを望んでいたのだ。
 なのに女児が生まれ、それはそれはがっかりしていたとアナスタシアは乳母から何度も聞かされた。赤ん坊の頃から世話をすべて乳母に任せ、一日中顔を合わせない日も多かったという。

 そして母が亡くなると、すぐに王妃の座はほかの女性のものとなった。
 ユージェニーというその女性と父は、母と結婚する前から恋人だったそうだ。政略結婚により母と結婚することを余儀なくされたが、その後もふたりの関係は終わっていなかった。
 父は妻の死を悼むこともなく、これ幸いとばかりに再婚したのだ。

 冷え切った仲だった妻との間に生まれたアナスタシアには情がわかないのか、元より父との関係は薄かった。だから父とも思い出と呼べる記憶はない。
 ずっと父は冷たい人間なのだと思っていた。
 違う、と気づいたのは、弟のモーリスが生まれたときだ。

 ユージェニーとの間に生まれた子どもを、父は大層かわいがった。目に入れても痛くないほどの様子に、アナスタシアは父が別人になってしまったのかと恐怖を覚えたくらいだ。
 このときは、待望の王子なのだから多少の贔屓は仕方ないと無理やり自分を納得させた。
 しかし妹のミレイユをも溺愛しているのを目の当たりにしたとき、アナスタシアの心はたしかに傷ついた。あからさまに差別しているという事実から、とうとう目を背けられなくなったからだ。

 自分はいらない子だった。
 だから早くから政略結婚が調えられたのだろう。

 ソイルは美しく優しいため、それだけ見ると好条件のように感じるかもしれない。
 だがエルマーレ王国はリント王国に比べると遥かに国力が劣る。国土も小さく、名を聞いても誰も知らないような国だった。
 最近になって『人魚の涙』と『人魚の鱗』により名が知られるようになったが、逆に言うとそれしかないとも捉えられる。
 それまでは王族の暴政や貴族の搾取がひどいという話しか聞かず、アナスタシアの中でよい印象がなかった。
 そのせいもあって、ソイルのことを好ましく思えないのだろう。

 リント王国も世界で見ればそれほど大きな国ではない。それでも、贅沢は言えないがもっと条件のいい結婚相手はいくらでもいた。
 しかし、その条件のいい相手はミレイユのためにとっておいてあるのだ。

 なぜ数多くある国の中から、アナスタシアの結婚相手にエルマーレ王国を選んだのか。
 ずっと引っ掛かっていたが、あるとき耳にしてしまった。
 縁故になることを条件に、エルマーレ王国が保有する商団がリント王国を通過する際の通行料を緩和する代わりに、『人魚の涙』を格安で提供する契約が結ばれたということを。

 エルマーレ王国は国土の大半が海に面している。陸地で接しているのはリント王国のみだ。そのため、人や荷物の移動はリント王国を経由する必要がある。
 にもかかわらず『人魚の涙』と『人魚の鱗』が有名になり商団の往来が盛んになると、リント王国は通行料を吊り上げた。

 国家間の摩擦を避けるためにも、エルマーレ王国はその不当な吊り上げに抗議できずにいた。
 しかし高い通行料は相当な痛手だ。
 そこでエルマーレ王国側は、『人魚の涙』を安く融通するのを引き換えに、自国の商団が輸出入をする場合だけ通行料を緩和してほしいと提案したのだ。

 リント王国はこれを承諾した。
 通行料での儲けだけでも多大な利益をあげていたが、願ってもない話だ。もしくは、端からそうなることを狙っていたのかもしれない。

 継母のユージェニーは、流行物や贅沢に身を飾るのが殊更に好きだった。
 つまり彼女が『人魚の涙』を安く手に入れたいがために、義娘を売ったのだ。

「お姉様、お土産はないの? あっ、その箱の中ね?」
「やめなよミレイユ……」

 ミレイユは止めようとするモーリスを振り払う。ずんずんと近づいてきて、アナスタシアが持っている箱を取り上げようとした。
 ハクが入っている宝物入れだ。
 アナスタシアは咄嗟に手を高く上げて、ミレイユをひょいと躱した。

「きゃあっ」

 いつもされるがままだから、避けるとは微塵も思わなかったらしい。
 ミレイユがそのままの勢いで倒れ込む。
 反射的に手をついたものの、掌と膝を擦りむいたらしい。状況が理解できずに数秒固まっていたが、すぐに「うわあああん」と大きな声で泣き叫ぶ。
 見かねたフロレンティーナが抱き起こそうとするが、ミレイユはその手を振り払った。

「アナスタシアお姉様もういいよ。早く行きなよ。僕が宥めておくから、母上がきちゃう……」

「――ミレイユを泣かせているのはまたアナスタシアね!」

 モーリスが言い終わるより先に、金切り声が響いた。――現王妃、ユージェニーだ。
 二児の母とは思えない派手な容姿だ。豊かな赤髪と真っ赤に塗られたふっくらとした厚い唇、それから盛り上がった胸元が人目を引く。
 父が夢中になるのもわからないでもない。

 ユージェニーは侍女に指示をしてミレイユを抱き起こさせる。
 こちらを睨み下ろす視線は蛇のように鋭い。アナスタシアは息の仕方を忘れてしまいそうだった。思わず宝物入れを胸に抱きしめてうつむく。

「なんてことしてくれたのよ! ミレイユが怪我をしてしまったじゃない! どう責任をとるの!」
「……ごめんなさい……」
「謝って済む問題じゃないわ! どうしてこんなことをしたの!」
「……ミレイユが、勝手に転んだんです……」
「違うわお母様! お姉様が大事そうに何かを持っていたから、あたしへのお土産だと思ったんだもん! ちょうだいって言っただけなのに、お姉様が意地悪をしたのよっ」

 ミレイユの言葉にアナスタシアは肩を揺らした。この展開はまずい。

「まあ意地悪だなんてひどい……姉なのだから妹に譲るのは当然でしょう? 早く渡しなさいな」
「ただのシーグラスです。わたしがエルマーレ王国でいつも集めてるのはお継母様もご存じでしょう? ミレイユはあんなのゴミだって言ってたから、今度もいらないと思ったんです……」
「見せてくれたっていいじゃない!」
「だそうよ。箱を開けて見せてあげなさい。今、ここで」
「……!」

 ユージェニーの後ろで、ミレイユが薄ら笑いを浮かべている。震えるアナスタシアの姿を見るのが楽しくてたまらないようだ。
 アナスタシアはこれまでミレイユに対し異母妹だからと冷たくしたり、姉だからと威張ったことなど一度もない。嫌われるような言動をした覚えはなかった。
 それなのにミレイユはユージェニーを倣い、アナスタシアを軽視した。

 モーリスだけが居た堪れなさそうにしている。しかし母親に逆らうことはできないようで、いつも申し訳なさそうに目を伏せるだけだった。

 それもこれもいつものことだ。
 さっさと謝ってさっさと言うことを聞けば早めに解放してもらえる。そう学んでしまったため、アナスタシアの感情はだんだんと死んでいった。
 だから今日もいつものように言うとおりにすればいい。――しかし。

 ハクの存在を知ったら、ミレイユは絶対に欲しがるはずだ。そうなったら取り上げられてしまう。
 それだけは嫌だった。
 ミレイユがきちんと人魚の面倒を見られるはずがない。

「……お断りします」
「なんですって!? 母親に逆らうの!?」
「都合のいいときだけ母親ぶるのはやめてくださいっ」

 逆上するユージェニーに対し、毅然とした態度で言い返す。

 その瞬間、アナスタシアを強い衝撃が襲った。

 頬が燃えるように熱い。勢いよく地面に倒れ込むと、遅れて痛みがやってくる。フロレンティーナの悲鳴が遠くに聞こえた。
 頬をぶたれたのだ。

 しかし手を上げられた衝撃よりも、アナスタシアは目の前の光景に動揺していた。
 倒れたときに手を離してしまい、宝物入れが無残に転がっていた。蓋が開き、中身がこぼれている。水が染み込んだ土の真ん中に青い鱗の尾が見えた。

「――――なにこれ」

 ミレイユの冷めた声が降ってくる。
 アナスタシアは慌てて身体を起こし、ハクをすくい上げた。しかしそれは――、

「あなた死んだ魚なんか大事に持ってたの? あぁやだやだ、魚臭いわ」
「汚い。こんなの欲しくないわ」

 青い鱗の小さな魚だ。
 人間の上半身もなければ、美しいひれもない。そして、掌の上でぴくりとも動かなかった。

 アナスタシアは絶句する。


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