その悪女は神をも誑かす

柴田

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バシリー伯爵邸の仮面舞踏会(2) ※

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 あたりには嗅いだことのないいい香りが漂っており、メリーティアはつい深く息を吸い込んだ。

「……何の香りなのかしら?」

 会場中を巡るように歩いていると、メリーティアを見た男性たちがざわめく。
 メリーティアもドレスコードである仮面をつけているため、顔はわからないはずだ。精緻な意匠の黒い仮面は、顔の半分を隠している。男性たちがこぞって興味を示すのは、メリーティアの着ているドレスのせいだろう。
 胸を強調したデザインは、ただでさえ豊満な双丘をさらに大きく見せていた。以前ヨハンセンの生誕パーティーに着ていたのと似たマーメイドラインのドレスだが、裾には腿の半ばまで深くスリットが入っている。メリーティアのスタイルの良さを最大限に際立てていた。

 贔屓にしている衣装室で仮面舞踏会用のドレスを注文したらこれが届いたのだ。
 少し派手すぎでは、と心配したのも杞憂だと思えるほど、ほかの女性たちのドレスのほうがなかなかに際どいデザインだった。

 声をかけてくる男性たちをあしらいながら、給仕からシャンパンを受け取る。

「ん……甘くて飲みやすいけれど、すごく度数が強いみたいだわ……」

 喉が渇いていたから一度で半分も飲んでしまった。酒に弱いほうではないと自分では思っていたが、心なしかもう顔が熱くなっている気がする。頭もくらくらした。
 早くケイリクスを捜さなければならないのに、足がふらついてしまう。目を瞑ると世界がぐるぐると回っているような感覚だった。

 壁にもたれて休んでいると、突然影がかかったことに気づいて億劫ながらも瞼を開ける。

「先約がいるの。ほかを当たって――――」
「メリーティア」

 聞き馴染みのある声が聞こえて、メリーティアは仮面の下で目を見開いた。
 仮面をつけていてもすぐにわかる。グウェンダルだ。まさかこんな場所で彼と遭遇するとは思ってもいなかった。

 派手な色柄のジャケットを着ている男性が多いなかで、シャツまで黒でまとめたグウェンダルは暗がりに溶け込むシンプルな装いだ。しかしながらそのたくましい体躯と上背の高さは隠しきれず、今も彼の背後では女性たちが舐めるような目つきで狙っている。

「……どうしてあなたがここに?」

 グウェンダルは社交の場がそれほど得意ではないため、必要最低限のパーティーにしか行かなかった。どれだけ考えても仮面舞踏会に参加した理由がわからない。

「それは私のほうが聞きたいな。ここがどんな場所がわかっているのか?」
「どんな場所って、ただの仮面舞踏会でしょう?」

 メリーティアの答えを聞くと、グウェンダルはため息をこぼした。

「君はまだ帝都に来て日が浅いから、そんなことだろうと思った。……君が参加するという噂を聞いて来てみてよかったよ。そういうつもりでここに来たわけではないのなら早く帰れ」

 強引に腕を引かれて二、三歩進むと、メリーティアの膝がガクンと落ちかけた。
 グウェンダルに抱き留められると彼の香りにふわりと包まれて、思わずうっとりと胸板にすり寄ってしまう。
 我に返ったメリーティアは慌ててグウェンダルから離れた。

 おかしい。強い酒を飲んだにしても、酔い方がふつうではない。脈が速くなったり身体が熱くなったりといった症状は酔っている状態にも似ているが、グウェンダルの手が素肌に触れるたびにぴりぴりと痺れるような感覚があった。

「ここで提供されているものに口をつけたのか?」
「お酒を少し……度数が強くて酔ってしまったみたい」

 呆れた様子のグウェンダルが耳元に顔を寄せてくる。吐息がかかるくすぐったさにメリーティアは小さく声をこぼし、肩を竦めた。

「飲み物にはおそらく媚薬が入っている。会場中に漂っているこの香りも、人を興奮させるような作用のある香が焚きしめてあるんだ。ここは爛れた大人の社交場だぞ、メリーティア」
「まさか……」

 それを知らないケイリクスではないだろう。素性が隠せるため皇帝と密会するにはぴったりの場所かもしれないが、先にどういう場所なのか教えておいてほしかった。
 そのような舞踏会とは縁遠いのに、グウェンダルは来るかどうかも定かではないメリーティアのために参加したというのだろうか。

「帰るぞ。ほら、掴まれ」

 グウェンダルに腰を支えられると抗えない。頭がぼーっとして、彼の胸板に寄りかかって甘えてしまいたかった。
 けれどまだケイリクスを見つけられていないのだ。目的も果たせず帰るわけにはいかない。

 メリーティアがグウェンダルから離れようとしたところで、別の男性に少々強引に抱き寄せられた。柔らかなプラチナブロンドが頬をすべり、メリーティアは顔を強張らせる。

「――――陛下」

 シー、とジェスチャーされて口を噤む。仮面舞踏会で相手の身分や正体を探るのはご法度だ。とはいえ仮面をしていること以外普段のケイリクスの装いとほとんど同じなのだから、誰が見ても彼が皇帝だというのはバレバレであった。

 ケイリクスはメリーティアを抱き締めたままグウェンダルに視線を向ける。
 グウェンダルは感情の窺えない表情をしていた。

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