その悪女は神をも誑かす

柴田

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このときを待ち望んでいた(2)

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「頭を上げよ。皆、今夜は余のために集まってくれて感謝する」

 ケイリクスの掌に指先を乗せ、大階段を下っていく。ホールの中央にスペースが開けられ、ふたりだけの舞台が調えられた。
 距離をとり、ケイリクスが先に優雅に礼をする。それに応えるメリーティアは膝を曲げて腰を深く落とし、会釈するように身体を下げた。
 ふたりがホールドを組むと、合わせるようにオーケストラが音楽を奏でだす。

「とうとう余の夢が叶った。そなたと踊るワルツはなんて楽しいのだろう……想像以上だ。何曲だって踊っていたい」

 ドレスを翻し優雅に踊るメリーティアの姿は、息を呑むほど美しい。そして彼女をしっかりとリードするケイリクスも指先に至るまで洗練されており、まさに完璧であった。
 ふたりのダンスに皆が感嘆のため息をつく。

「皇帝陛下がダンスをするなんて、いつぶりかしら……?」
「もう何年も見ていないわ。あぁ……なんて素晴らしいの」

 ケイリクスは貴婦人たちのうっとりとした声も耳に入っていない様子だ。唇が触れそうな距離まで近づいては離れて、けれどずっと視線は絡め合わせたままのふたりは、どこからどう見ても相思相愛であった。

「みんな陛下を見ているわ」
「余はそなたしか目に入らない」
「まあ、うれしい」
「そなたこそ余所見はしてくれるな。……今も男たちがそなたを獣のような目で見ている」
「……こんな目?」

 メリーティアがケイリクスの目元に触れると、彼は「そうだ」と破顔した。

 踊りながら睦まじそうに話している光景は微笑ましく、物語のワンシーンのようだ。
 しかし一方で、ふたりを守るように距離を保って佇むグウェンダルの姿を目にした人々は、噂話にも花を咲かせた。ケイリクス直々の命令で、元婚約者であるメリーティアの護衛騎士になったグウェンダル――という構図はゴシップ好きな貴族の興味をそそるのだ。

 それから誰もがモナを見上げ、その瞳が業火の如く燃えているのに気づくとサッと目を逸らした。
 ケイリクスが公の場にメリーティアをパートナーに伴って現れた真意は、やはり将来的に彼女を皇后に据えるつもりがあるという意思表示だろう。そうなると、モナの立場はどうなるのか。貴族たちの興味関心を最も集めるのはその部分だ。
 息子のヨハンセンが廃嫡され、すでにモナの足場は揺らいでいる。

 モナはヴェドニア帝国の公爵家出身だが、どちらかと言えば独裁的なケイリクスには、そんなこと微塵も関係ないだろう。今は貴族の意見にも一見穏やかに耳を傾けているが、いつ恐怖で押さえつけるような暴君に変貌するかわからない恐ろしさがケイリクスにはあった。

 だがモナも苛烈な性格で知れ渡っている。
 このまま大人しく見過ごすはずがないことを、誰もが予感していた。

 曲が終わり、互いに礼をする。
 メリーティアがスッと手の甲を差し出すと、ケイリクスはわざわざ片膝をついて指先に口づけた。
 顔を真っ赤にしたモナが退場していくのを横目に見て、メリーティアは口端を緩める。どうやらモナの神経を逆撫ですることには成功したようだ。

「ふっ、そなたも嫉妬のようなものをするのだな」
「あらいけませんか?」
「いいや、かわいらしいよ」

 モナを煽ることが目的だったため、彼女がいなくなってしまってはこれ以上パーティーに参加する理由がない。メリーティアはケイリクスに離宮へ帰ることを促した。

 皇帝の生誕パーティーともなれば、当然ハイゼンベルグ領から両親が来ている。今はタウンハウスに住んでいるというマイルズもユージーンの補佐官として参加していたが、メリーティアはわざと彼らと目を合わせないようにした。
 数々のゴシップの中心となり、そのうえ皇帝の情婦になるなど、合わせる顔がない。メリーティアがモナを蹴落として皇后になることを、手放しで喜ぶような人たちではなかった。
 元気そうにしているのを遠目から見られただけでじゅうぶんだ。

 メリーティアは小さく微笑むと、ケイリクスにエスコートされホールを去るのだった。


   ◇◇◇


 久しぶりにパーティーに参加したため、離宮に戻るとどっと疲れが押し寄せてきた。その後さらにケイリクスの相手をさせられたせいで、ここも決して安心できるような場所ではないというのに、睡眠薬も飲まずに泥のように眠ってしまったようだ。

 目が覚めたのは、翌日の昼をかなり過ぎたあとだった。
 ここのところ美しさを磨くために気を張り詰めていたため、何もやる気が起きない。食欲もわかずしばらくベッドで怠惰な時間を貪ってから寝室を出ると、扉の外にはグウェンダルが立っていた。

「……食事は?」
「いらないわ」
「昨日まではきちんと食べていただろう」
「食欲がないの」
「どこへ行く?」
「お風呂にまで着いてくるつもり?」

 グウェンダルを浴室の扉の外に置き去りにして、侍女たちに世話をされながら入浴する。

 庭園で声をかけてきたときからまた口を利かなくなったかと思えば、今度はお節介だ。グウェンダルだって、昨夜のパーティーでケイリクスと相思相愛な姿を見ていたはずなのに、未だに彼の表情にはメリーティアを心の底から心配している気持ちが表れている。
 今回こそはグウェンダルに幸せな人生を送ってほしいのに、そのために奮闘しているというのに、メリーティアががんばればがんばるほどに彼は悲しげな顔をした。

 どうすればいいのかわからない。
 最初の選択を間違えたのだ。すべてはメリーティアのせいだ。
 もう何も考えたくない。
 何もかも早く終わらせたかった。

 温かい湯に浸かりながら手や頭皮をマッサージされると、先ほど起きたばかりなのに瞼が閉じそうになる。ふーっと長く息を吐き出して、頭まで湯に浸かった。侍女が驚く声を聞きながらしばらくそうしたあと、勢いよくバスタブから上がり髪を掻き上げる。
 うじうじ悩むのはやめだ。
 メリーティアがニルス神のもとに行ったあとには、グウェンダルも吹っ切れてくれるだろう。

 やるべきことはやりきった。
 けれどあれでもモナが手を出してこなければ、また別の手段を講じなければならない。――例えば、一年は避妊薬を飲むという約束を撤廃してケイリクスの子を孕む、とか。いっそのことケイリクスにねだれば、モナを落ちぶれさせるくらいのことはしてくれそうだ。
 だがそれでは積もり積もった憎悪を晴らすことはできないだろう。
 これからはまた忍耐の日々だ。


 ――――そう、思っていたのに。

 意外にもその日の夜に、唐突に終わりは訪れた。

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