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しおりを挟む今夜のパーティー会場は、眩いほど華やかに飾られていた。宮廷舞踏会とは雰囲気ががらりと変わって、厳かさよりも美しさが強調されている。花がたくさん飾られた会場内は、薔薇の香りでむせ返りそうになるほどだ。招待客にも入口で一輪の薔薇が配られ、女性は髪に、男性はフラワーホールに挿すのが今夜のドレスコードであった。
薔薇といえば、帝都で暮らす貴族たちが連想するのはヘンリー・イングリッドだ。
――飾りつけのコンセプトが、ヘンリーに対するクレマンティーヌ皇女の恋慕の証だというのは、会場を訪れた大半の貴族たちが気づいただろう。
皇宮に到着したヘンリーは、フラワーホールに薔薇を挿されたことも、会場の飾りつけにも目をくれない。大勢の中から皇女を探し出すと、一目散に歩み寄っていった。
「クレマンティーヌ皇女殿下。ヘンリー・イングリッドがご挨拶申し上げます。今夜はすてきなパーティーにご招待いただきありがとうございます。そしてお誕生日を迎えられたこと、まことにおめでとうございます」
ほかの招待客と話していたクレマンティーヌは、ヘンリーを見てぱちぱちと瞬きをした。ヘンリーがこんなに早い段階でクレマンティーヌのところへ来るのは初めてのことだ。いつもはニーナ・ハイデルにべったりとくっつかれているせいか、クレマンティーヌから呼ばなければろくに挨拶にも来ないというのに。
ちら、とヘンリーの周囲を窺ってみるが、あの邪魔な女の姿はない。そういえば、ニーナ・ハイデルはもうコリン侯爵夫人となり、帝都からは遠い領地で暮らしているのだった。ついほくそ笑みそうになってしまったが、クレマンティーヌは淑女の笑みを仮面のように貼りつけておくことには慣れている。
「ええ。お祝いの言葉をありがとう。イングリッド公爵」
ヘンリーのトレードマークとも言えるにっこり笑顔を向けられて、クレマンティーヌは頬をぽうっと朱色に染め上げた。
クレマンティーヌは小さく咳ばらいをして、ヘンリーに片手を差し出した。そのまま無言で見つめると、ヘンリーはクレマンティーヌの手をすくい上げて指先に顔を近づけていく。ちゅ、とリップ音が鳴った。だがヘンリーは紳士的な男性だ。唇が直接肌に触れることはなかった。
「今日もとてもすてきな装いね。やっぱりあなたには青い薔薇がよく似合うわ。特注してよかった」
「僕にはもったいないほど希少な品種ですね。この薔薇のような深い青は、皇女殿下のほうがよくお似合いでございます」
ヘンリーはフラワーホールから薔薇を抜き取ると、クレマンティーヌの髪に挿した。ヘンリーの瞳の色も青だが、より淡い色合いをしている。しかしクレマンティーヌの瞳の色は、この薔薇とよく似た深い青色だった。まるでヘンリーがクレマンティーヌのものだと示すような薔薇を、いつまでも挿していたくない。
体よく押しつけ返したにすぎない薔薇だが、クレマンティーヌは喜んでいるようだから、両者とも得をしたようなものだ。
「パーティーに参加するのはかなり久しぶりではなくって? 以前はよく、ニーナ嬢のパートナーとして連れ回されていたようだけれど」
「そうですね。久しぶりなのでこの賑やかさにあてられてしまって、早めに帰ろうと思っております」
「まあ。せっかくのわたくしの生誕パーティーなのよ。もっと楽しんでいってちょうだい。休憩室もあるのだから、ね?」
笑顔の圧を向けてくるクレマンティーヌに対して、ヘンリーも笑顔で壁を築く。
「ニーナ嬢がコリン侯爵のもとへ嫁いでいって、せいせいしたでしょう? パーティーの間べったりとくっついていた彼女ももういないのだから、遠慮せず自由にお過ごしなさいな」
かつてパーティーの間、パートナーを追いかけ回してべったりくっついていたのは、どちらかというとヘンリーのほうである。
勘違いしているクレマンティーヌに対してわざわざ訂正を促す必要も、本物のニーナがコリン侯爵に嫁いだことなど至極どうでもいいことも、伝える必要はない。笑顔で誤魔化せば、相手が勝手に「ヘンリーは優しいね」と解釈してくれるのでそれでよかった。
クレマンティーヌとの会話はいつも疲れる。
ヘンリーがニーナに対してうんざりしている、と決めつけたものの言い方が嫌いだった。ニーナを下げて自分を売り込んでくる手口も癪に障る。ヘンリーを所有したい欲が透けて見えるのだ。障害であったニーナがいなくなったことで、もはや手に入ったも同然だと思っているに違いない。
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