幼なじみ公爵の伝わらない溺愛

柴田

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 挨拶が済んだのだから、もう帰ってもいいだろう。
 そう決めつけてヘンリーが去ろうとすると、なんともタイミング悪くオーケストラが音楽を奏で始めてしまった。ダンスタイムの幕開けを飾る主役の登場を、招待客たちは今か今かと待っている。
 そして、ダンスに誘われるのを待っているクレマンティーヌの視線が、ヘンリーに痛いくらい突き刺さっていた。

「今夜の主役であるクレマンティーヌ皇女殿下のダンスのお相手など、僕には務まりません。婚約者がいらっしゃらないので、皇帝陛下か皇太子殿下が相応しいのではないでしょうか」
「この広い帝国のどこを探しても、わたくしに相応しいのはあなた以外にはありえない」
「僕は未熟者でございます」

 クレマンティーヌとなど踊りたくない。これまでも、いかなる誘われ待ちの視線も躱して躱して躱しまくってきたヘンリーは、公式的な場ではダリアとしか踊ったことがなかった。ロド帝国では、女性からダンスに誘うことはマナー違反とされているのだ。意味不明なマナー万歳。今だけヘンリーは鈍感純情ボーイなのだ。シャイなヘンリーは女性をダンスになど誘えない。ということになっている。

「それでは僕は失礼させていただきます」

 礼をして踵を返すヘンリーを引き留めようと声を上げかけて、クレマンティーヌは口を噤んだ。ヘンリーの首筋にくっきりとついたキスマークが目に入ったからだ。「その首筋……」と思わずクレマンティーヌがこぼすと、ヘンリーはそこに指先で触れて口角を上げる。クレマンティーヌに見せつけるようにキスマークを撫でるヘンリーは、優越感が滲んだような表情を浮かべていた。

 何が鈍感純情ボーイだ。何がシャイだ。
 そんなものは見せかけだけで、きっちり遊んでいるヘンリーに怒りがわく。ニーナがいなくなってどうやら羽を伸ばしすぎているようだ。あの表情を歪ませてやりたい。いつかきれいな顔をぐちゃぐちゃにして泣かせて、ヘンリー自らクレマンティーヌに縋らせてやる。
 ぎり、と奥歯を鳴らしたクレマンティーヌは、低い声でヘンリーに呼びかけた。

「遊んでいられるのも今だけよ。悔いが残らないようせいぜい楽しんでおきなさい。近いうちに、お父さまからあなたにいい知らせが届くわ。楽しみに待っていてちょうだいね」

 聞こえていなかったのか、ヘンリーは長い脚であっという間に離れていってしまう。そうやって逃げ回っていられるのも今夜までだ。
 クレマンティーヌは慰めのように差し出された皇帝の手を渋々取り、ダンスタイムのスタートを切ったのだった。

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