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1人ぼっちの元アスリート
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十二章
9月になり、律輝は以前聞いていた田岡秀治を警戒していたが、特に何も起こらなかった。学校では相変わらず昼休みは紗里と過ごし、放課後はいつも一緒に帰っている。
2人は1学期と変わらない付き合いをしているつもりだが、周囲から見ると違うようだった。普通科3年生の鈴本玲奈と高木美咲は訝しんでいる。
「リッキ君と九重、なんか前と雰囲気が違うよね」
「うん。あれ、夏休みの間にヤッたんだと思う。体の触り方なんかが自然だもん」
「はぁ‥‥ついに学校で一番強い男は、九重に取られたか‥‥」
「九重、体でかいから、抱き心地がいいのかもね」
そんなことを話していると、同じグループの新山千里が近づいてきた。
「何話してるの?」
玲奈は面倒くさそうな顔になる。千里は同じギャルグループにいるものの、服装も行動も中途半端で友達とは思っていない。頼めばジュースやお菓子を買ってくるので付き合っているだけだ。それらの費用は常に千里が出している。
「あんたには関係ない」
冷たい目で玲奈はそう言うが、千里は食い下がる。
「そんなこと言わないで教えてよ」
美咲は急に悪いことを思いついた。ニヤリと笑う。
「とってもいいこと。でも、あんたには教えられない。もし、あんたがリッキ君とヤッたら教えてやるし、対等な仲間って認めてやるよ。まあ、リッキ君はあんたなんか相手にしないだろうし、万が一、ヤレても九重に殺されるだろうけどね」
千里は言葉に詰まった。1学期、急に話題の人となった律輝と、千里は密かに友達になりたいと思っていた。だが、律輝の横には常に紗里がいて、話しかけることができない。
玲奈や美咲は紗里がいても平然と話しかけているが、自分にはそんなことはできない。しかし、美咲が言った「対等の仲間として認めてやる」という言葉は、何としても実現したい。
がっくりと肩を落とした千里は、トボトボと美咲の前から去って行った。千里の姿が見えなくなると、玲奈は大声で笑い始めた。
「超ウケるんだけど。あんた、強烈なこと言うね」
美咲は鼻で笑った。
「だって新山ってウザいでしょ? 別に仲が良い訳でもないのに、いっつもくっついてきて。これで寄って来なくなったら助かるでしょ?」
千里は普通科の生徒たちが騒いでいる廊下を1人で歩いていた。
彼女が玲奈たちのグループに入ったのは、3年生になってからだった。スポーツ特待生として2年生まではソフトボール部に入っており、将来は実業団に行くつもりだった。しかし、膝に大きなケガをしてソフトボールをあきらめた。
そして、部活を辞めて気がついた。自分は今までソフトボール部の仲間とだけ付き合い、それ以外の友達はいない。
競技のために県外から入学した千里は、2年生まではソフトボール部の寮に住んでいた。だが、今では寮を出て、体の故障で競技を辞めざるを得なくなった生徒のために、救済策として学校が借り上げたワンルームマンションに住んでいる。この部屋を訪れてくれる友達は1人もいなかった。
思い切って千里は前から憧れていたギャルの格好をして、玲奈たちのグループに入れてもらった。しかし、彼女たちと付き合い始めてから気づいた。玲奈たちはかわいい服を着ているだけで、中身は不良なのだ。別に不良になりたい訳じゃない。
他に友達を作ろうとしても、アスリートの道を挫折して、中途半端に不良のような格好をした千里のことなど、誰も相手にしてくれない。ソフトボール部の仲間たちとは、自分が惨めに思えて会いたくない。
学校にもこの街にも、千里の居場所はなかった。1人になるのが怖くて、仕方なく玲奈たちにくっついているだけだった。
放課後。いつものように紗里と一緒に帰っていた律輝は、誰かに尾行されているのに気づいていた。学校最寄り駅まで来ると、申し訳なさそうな顔になる。
「ごめんサリ。今日はここでバスに乗って」
笑顔だった紗里は見る見るうちに不満そうな表情になった。
「えー、何でよ。あんたの家に行こうって言ってたじゃない」
そして、小声で言う。
「今日はかわいい下着、着けてるんだから。見たくない?」
律輝は苦笑いした。
「見たい。すっごく見たい。でも、今日は無理そうなんだ」
そう言って、素早く周囲を見回す。
「誰かに尾行されてる。もしかしたら、田岡の子分かもしれない。だから、今日は帰った方がいい」
紗里の表情が引き締まった。律輝のように周囲を見回す。
「もし、そうだったらどうするの?」
「捕まえて田岡の居場所を聞く。ウチの学校の生徒に何もしないように、釘を刺しておきたい」
「1人で会うのは危ないよ」
「大丈夫だよ。いきなり襲ってきたりはしないでしょ」
そして、律輝は紗里を1人で自宅方面行のバスに乗せて、駅近くのベンチに座った。周囲に気を配り、尾行者が現れるのを待った。
正面から恐る恐る近づいてくる女子生徒の姿を見て驚いた。まさに、尾行者の気配だった。
千里は律輝の前まで来ると、小さな声で言う。
「‥‥横、座ってもいいかな?」
「どうぞ‥‥あの、僕に何か用ですか?」
律輝は紗里や親しい3年生の女子には敬語を使わないが、千里と話すのは初めてだった。3年生に対する礼儀を示す。
「‥‥わたし、普通科の新山千里。知ってる?」
「知ってますよ。レイナちゃんたちと同じグループの人でしょ?」
千里の胸は自分で音が聞こえるぐらいドキドキしていた。今すぐここを逃げ出したい気分だが、どうしても言わなければならないことがある。意を決した。
「‥‥わたしと遊びに行かない?」
まるでナンパのような言葉に律輝は意外そうな顔をする。
「僕と?」
千里はうなずいた。彼女は見ていて気の毒になるくらい、とても思い詰めた顔をしていた。何か理由がありそうだと思った。
―学校の仕切りって、生徒の悩みも聞いてあげないといけないのかな?―
そんなことを考えながら、律輝は千里の誘いに乗った。
千里は駅近くにあるカラオケボックスに律輝を連れてきた。だが、部屋に入っても、千里は一向に歌おうとしない。それどころか、赤い顔になって次第に小さく体を震わせ始めた。
「どうしたんですか?」
律輝の問いに千里は消え入りそうな声で言った。
「‥‥わたしを‥‥抱いて‥‥ください‥‥」
これには律輝は目を丸くする。
「それは冗談ですか? 冗談なら笑えません」
赤い顔をした千里は何度も首を横に振った。
「‥‥ホントに‥‥ホントに‥‥」
困りながらも律輝はきっぱりと言う。
「それはできません。僕、彼女がいますから」
千里はしばらく黙っており、目にどんどん涙が溜まってきた。
「‥‥九重さんには、絶対にバレないようにするから‥‥」
「そういう問題じゃありません。僕、本当にサリが好きなんです」
ついに千里は泣き出してしまった。どうしていいかわからず、律輝は千里の肩を抱いた。
「何があったんですか? 僕で良ければ話を聞きますよ。何でも言ってください」
嗚咽を漏らしながら、千里は何度も「ありがとう」と言っていた。
千里は泣きながらケガでソフトボールをやめたこと、友達が1人もいないこと、今の自分の立場、美咲から言われたことを話した。本当の気持ちを言ってくれた千里に、律輝はもう敬語は使わなかった。
「しかし、ミサキちゃん、ひどいこと言うな」
「ううん、いいの。好かれてないのに、わたしが勝手にくっついてただけだから」
律輝は少し考えて、千里に優しい笑顔を向けた。
「普通科がダメなら、特進科で友達を作ればいいんじゃない?」
「えっ?」
「大丈夫。僕に任せておいて」
少し胸を張って偉そうにしている律輝を千里はかわいいと思った。
次の日の昼休み。律輝は紗里に「今日は大切な用があるから友達と食べて」と言って、千里と学食に来ていた。特進科のクラスメイトの谷川圭介と大沢康彦も一緒だ。
圭介はニコニコしているが、康彦は女性の上級生がいることに緊張しており、ぎこちなく日替わり定食を食べている。律輝は圭介に話を振った。
「谷川君は野球が好きだったよね。プロ野球じゃどこのファンなの?」
「やっぱり地元だからホー○スだよ」
「チサトちゃんは好きな球団はある?」
千里も康彦ほどではないが緊張している。律輝の問いに少し硬い表情で答えた。
「‥‥わたしはこの街が地元じゃないけど、ウチの学校に通い始めてからはホー○スかな‥‥」
「好きな選手とかいるの?」
「‥‥今○選手。あんなに野球が上手い人、初めて見た」
圭介は納得した表情になる。
「新山さん、ショートでしたもんね」
そこに普通科2年生のヤンキーグループにいる水巻航が、血相変えて学食に飛び込んできた。律輝を見つけると駆け寄る。
「リッキ、助けてくれ!」
定食の飯を頬張りながら律輝は航を見上げた。
「コウ君、何かあったの?」
「永井と鶴田がつまんねえことでケンカしそうなんだ。2人とも強えから、俺たちじゃ止められない。リッキ、止めてくれ!」
「わかった」
そう言って、一緒に食事していた3人に頭を下げた。
「ごめんね。行かなきゃ。食堂のおばちゃんに、僕の分は後で食べるから取っといてって言ってて」
そして、航と食堂を出て行こうとする。そこに康彦が立ち上がり、航に頭を下げた。
「僕は以前、君にとても失礼なことをしました。謝りたいと思ってたけど、勇気がなくて今まで謝れませんでした。僕にできることは何でもしますから、手伝わせてください」
航は康彦をにらみつけ、そして、ニヤリと笑う。
「お前の気持ちは受け取った。何の役にも立たねえだろうけど、お前も一緒に来い」
3人は学食から駆け出した。
4人の食事会のはずが、残ったのは千里と圭介だけになってしまった。だが、圭介は構わず食べている。
「僕、1年生のとき、新山さんが出た試合を見たことがあるんです。白山高校との試合でした」
あの試合は千里もはっきり覚えている。試合からしばらく経って、彼女は膝を負傷した。だから、あれは千里にとって最後の試合だった。
「新山さんはショートを守っていた。すごくカッコよかったです。難しいボールをキャッチして、無理な姿勢から正確に送球して、ダブルプレーを取っていた。ピンチになるとピッチャーに大きな声を掛けて励ましていた。グラウンドの中で輝いてました。僕は、この人は本当にソフトボールが好きなんだなって思いました」
圭介の言う通り、千里はソフトボールが大好きだった。試合だけでなく、仲間と一緒のランニングやキャッチボール、監督の厳しいノックさえ好きだった。でも、もうできない。自虐的な声になる。
「もう終わったこと。あの選手は死んじゃったの」
いつの間にか圭介は真剣な目になっていた。食事の手を止める。
「そうですか? 選手としてはもうできないかもしれないけど、新山さんはまだ終わってないと思います。新山さんほどのプレイヤーなら、指導者としてグラウンドに戻る道もあると思います」
圭介は1年生のときに千里の試合を見て以来、キラキラ輝く千里に憧れていた。彼女が競技を断念したと知ったときはショックだったし、ソフトボールをやめて、無理して玲奈たちのグループにいるのは、見るのがつらかった。
律輝から千里との食事会に誘われたとき、何とか彼女を励ましてあげたいと思っていた。
「高校野球でチームを何度も甲子園に連れて行って、名将とか知将って呼ばれる監督がいるでしょ? あんな道もありますよ」
圭介の言葉に千里はハッとした。今までそんな未来を考えたことがなかった。
ケガで選手をあきらめて以来、いつも人生を悲観的に見て、前向きに考えたことなどなかった。千里はようやくわかった。こんな後ろ向きで陰気な女に、友達などできるはずがない。自分が悪かったのだ。
友達ができない理由がわかった千里の目に、薄っすら涙が浮かんだ。圭介はハンカチを差し出す。
「ありがとう」
そう言ってハンカチを受け取り、涙を拭った。次第に目に力がこもって来る。
「指導者って、どうやってなればいいんだろう?」
「まずは、大学のスポーツ科学部に入るのがいいんじゃないですか?」
「わたし、ソフトボールばっかりやってきたから、勉強はあんまり得意じゃないの」
「大丈夫ですよ。もう時間はあまりないけど、入試の傾向と対策をしっかり考えれば、間に合うと思います。とにかく新山さん、プレイヤーとしての実績は抜群なんですから」
千里は圭介に向かって微笑んだ。
「谷川君頭いいから、手伝ってくれると助かるな」
「僕で良ければ何でも言ってください」
2人は楽しそうに笑った。
昼休みがもうすぐ終わるという頃、律輝と康彦は特進科の教室に帰ってきた。康彦は興奮していた。
「谷川君、矢村君ってメチャクチャ強いんだよ。大きな体のヤンキー2人の間に入って、強引にケンカをやめさせたんだ。あんなに強い人、映画の中ぐらいしか見たことがない」
「そう‥‥」
康彦の話など聞いてもいないように、圭介は中空を見つめ、うっとりしていた。
「‥‥新山さん、いいなぁ‥‥」
それから千里と圭介が校内で一緒にいる姿をよく見かけるようになり、圭介の勧めで千里はソフトボール部の仲間たちとも再び話すようになった。
話してみれば避けていたのは千里だけで、みんなは彼女のことを心配していた。もう、無理に玲奈たちのグループにいる必要はなかった。
そして、玲奈と美咲は同じグループの山崎絵里香からショックなことを聞かされた。
「あんたたち、新山になんかひどいこと言ったんだって? リッキ君、怒ってたよ。人をいじめる子は、もう何かあっても助けてあげないって。新山とリッキ君に謝った方がいいよ」
2人はあわてて千里の教室に駆け出した。
9月になり、律輝は以前聞いていた田岡秀治を警戒していたが、特に何も起こらなかった。学校では相変わらず昼休みは紗里と過ごし、放課後はいつも一緒に帰っている。
2人は1学期と変わらない付き合いをしているつもりだが、周囲から見ると違うようだった。普通科3年生の鈴本玲奈と高木美咲は訝しんでいる。
「リッキ君と九重、なんか前と雰囲気が違うよね」
「うん。あれ、夏休みの間にヤッたんだと思う。体の触り方なんかが自然だもん」
「はぁ‥‥ついに学校で一番強い男は、九重に取られたか‥‥」
「九重、体でかいから、抱き心地がいいのかもね」
そんなことを話していると、同じグループの新山千里が近づいてきた。
「何話してるの?」
玲奈は面倒くさそうな顔になる。千里は同じギャルグループにいるものの、服装も行動も中途半端で友達とは思っていない。頼めばジュースやお菓子を買ってくるので付き合っているだけだ。それらの費用は常に千里が出している。
「あんたには関係ない」
冷たい目で玲奈はそう言うが、千里は食い下がる。
「そんなこと言わないで教えてよ」
美咲は急に悪いことを思いついた。ニヤリと笑う。
「とってもいいこと。でも、あんたには教えられない。もし、あんたがリッキ君とヤッたら教えてやるし、対等な仲間って認めてやるよ。まあ、リッキ君はあんたなんか相手にしないだろうし、万が一、ヤレても九重に殺されるだろうけどね」
千里は言葉に詰まった。1学期、急に話題の人となった律輝と、千里は密かに友達になりたいと思っていた。だが、律輝の横には常に紗里がいて、話しかけることができない。
玲奈や美咲は紗里がいても平然と話しかけているが、自分にはそんなことはできない。しかし、美咲が言った「対等の仲間として認めてやる」という言葉は、何としても実現したい。
がっくりと肩を落とした千里は、トボトボと美咲の前から去って行った。千里の姿が見えなくなると、玲奈は大声で笑い始めた。
「超ウケるんだけど。あんた、強烈なこと言うね」
美咲は鼻で笑った。
「だって新山ってウザいでしょ? 別に仲が良い訳でもないのに、いっつもくっついてきて。これで寄って来なくなったら助かるでしょ?」
千里は普通科の生徒たちが騒いでいる廊下を1人で歩いていた。
彼女が玲奈たちのグループに入ったのは、3年生になってからだった。スポーツ特待生として2年生まではソフトボール部に入っており、将来は実業団に行くつもりだった。しかし、膝に大きなケガをしてソフトボールをあきらめた。
そして、部活を辞めて気がついた。自分は今までソフトボール部の仲間とだけ付き合い、それ以外の友達はいない。
競技のために県外から入学した千里は、2年生まではソフトボール部の寮に住んでいた。だが、今では寮を出て、体の故障で競技を辞めざるを得なくなった生徒のために、救済策として学校が借り上げたワンルームマンションに住んでいる。この部屋を訪れてくれる友達は1人もいなかった。
思い切って千里は前から憧れていたギャルの格好をして、玲奈たちのグループに入れてもらった。しかし、彼女たちと付き合い始めてから気づいた。玲奈たちはかわいい服を着ているだけで、中身は不良なのだ。別に不良になりたい訳じゃない。
他に友達を作ろうとしても、アスリートの道を挫折して、中途半端に不良のような格好をした千里のことなど、誰も相手にしてくれない。ソフトボール部の仲間たちとは、自分が惨めに思えて会いたくない。
学校にもこの街にも、千里の居場所はなかった。1人になるのが怖くて、仕方なく玲奈たちにくっついているだけだった。
放課後。いつものように紗里と一緒に帰っていた律輝は、誰かに尾行されているのに気づいていた。学校最寄り駅まで来ると、申し訳なさそうな顔になる。
「ごめんサリ。今日はここでバスに乗って」
笑顔だった紗里は見る見るうちに不満そうな表情になった。
「えー、何でよ。あんたの家に行こうって言ってたじゃない」
そして、小声で言う。
「今日はかわいい下着、着けてるんだから。見たくない?」
律輝は苦笑いした。
「見たい。すっごく見たい。でも、今日は無理そうなんだ」
そう言って、素早く周囲を見回す。
「誰かに尾行されてる。もしかしたら、田岡の子分かもしれない。だから、今日は帰った方がいい」
紗里の表情が引き締まった。律輝のように周囲を見回す。
「もし、そうだったらどうするの?」
「捕まえて田岡の居場所を聞く。ウチの学校の生徒に何もしないように、釘を刺しておきたい」
「1人で会うのは危ないよ」
「大丈夫だよ。いきなり襲ってきたりはしないでしょ」
そして、律輝は紗里を1人で自宅方面行のバスに乗せて、駅近くのベンチに座った。周囲に気を配り、尾行者が現れるのを待った。
正面から恐る恐る近づいてくる女子生徒の姿を見て驚いた。まさに、尾行者の気配だった。
千里は律輝の前まで来ると、小さな声で言う。
「‥‥横、座ってもいいかな?」
「どうぞ‥‥あの、僕に何か用ですか?」
律輝は紗里や親しい3年生の女子には敬語を使わないが、千里と話すのは初めてだった。3年生に対する礼儀を示す。
「‥‥わたし、普通科の新山千里。知ってる?」
「知ってますよ。レイナちゃんたちと同じグループの人でしょ?」
千里の胸は自分で音が聞こえるぐらいドキドキしていた。今すぐここを逃げ出したい気分だが、どうしても言わなければならないことがある。意を決した。
「‥‥わたしと遊びに行かない?」
まるでナンパのような言葉に律輝は意外そうな顔をする。
「僕と?」
千里はうなずいた。彼女は見ていて気の毒になるくらい、とても思い詰めた顔をしていた。何か理由がありそうだと思った。
―学校の仕切りって、生徒の悩みも聞いてあげないといけないのかな?―
そんなことを考えながら、律輝は千里の誘いに乗った。
千里は駅近くにあるカラオケボックスに律輝を連れてきた。だが、部屋に入っても、千里は一向に歌おうとしない。それどころか、赤い顔になって次第に小さく体を震わせ始めた。
「どうしたんですか?」
律輝の問いに千里は消え入りそうな声で言った。
「‥‥わたしを‥‥抱いて‥‥ください‥‥」
これには律輝は目を丸くする。
「それは冗談ですか? 冗談なら笑えません」
赤い顔をした千里は何度も首を横に振った。
「‥‥ホントに‥‥ホントに‥‥」
困りながらも律輝はきっぱりと言う。
「それはできません。僕、彼女がいますから」
千里はしばらく黙っており、目にどんどん涙が溜まってきた。
「‥‥九重さんには、絶対にバレないようにするから‥‥」
「そういう問題じゃありません。僕、本当にサリが好きなんです」
ついに千里は泣き出してしまった。どうしていいかわからず、律輝は千里の肩を抱いた。
「何があったんですか? 僕で良ければ話を聞きますよ。何でも言ってください」
嗚咽を漏らしながら、千里は何度も「ありがとう」と言っていた。
千里は泣きながらケガでソフトボールをやめたこと、友達が1人もいないこと、今の自分の立場、美咲から言われたことを話した。本当の気持ちを言ってくれた千里に、律輝はもう敬語は使わなかった。
「しかし、ミサキちゃん、ひどいこと言うな」
「ううん、いいの。好かれてないのに、わたしが勝手にくっついてただけだから」
律輝は少し考えて、千里に優しい笑顔を向けた。
「普通科がダメなら、特進科で友達を作ればいいんじゃない?」
「えっ?」
「大丈夫。僕に任せておいて」
少し胸を張って偉そうにしている律輝を千里はかわいいと思った。
次の日の昼休み。律輝は紗里に「今日は大切な用があるから友達と食べて」と言って、千里と学食に来ていた。特進科のクラスメイトの谷川圭介と大沢康彦も一緒だ。
圭介はニコニコしているが、康彦は女性の上級生がいることに緊張しており、ぎこちなく日替わり定食を食べている。律輝は圭介に話を振った。
「谷川君は野球が好きだったよね。プロ野球じゃどこのファンなの?」
「やっぱり地元だからホー○スだよ」
「チサトちゃんは好きな球団はある?」
千里も康彦ほどではないが緊張している。律輝の問いに少し硬い表情で答えた。
「‥‥わたしはこの街が地元じゃないけど、ウチの学校に通い始めてからはホー○スかな‥‥」
「好きな選手とかいるの?」
「‥‥今○選手。あんなに野球が上手い人、初めて見た」
圭介は納得した表情になる。
「新山さん、ショートでしたもんね」
そこに普通科2年生のヤンキーグループにいる水巻航が、血相変えて学食に飛び込んできた。律輝を見つけると駆け寄る。
「リッキ、助けてくれ!」
定食の飯を頬張りながら律輝は航を見上げた。
「コウ君、何かあったの?」
「永井と鶴田がつまんねえことでケンカしそうなんだ。2人とも強えから、俺たちじゃ止められない。リッキ、止めてくれ!」
「わかった」
そう言って、一緒に食事していた3人に頭を下げた。
「ごめんね。行かなきゃ。食堂のおばちゃんに、僕の分は後で食べるから取っといてって言ってて」
そして、航と食堂を出て行こうとする。そこに康彦が立ち上がり、航に頭を下げた。
「僕は以前、君にとても失礼なことをしました。謝りたいと思ってたけど、勇気がなくて今まで謝れませんでした。僕にできることは何でもしますから、手伝わせてください」
航は康彦をにらみつけ、そして、ニヤリと笑う。
「お前の気持ちは受け取った。何の役にも立たねえだろうけど、お前も一緒に来い」
3人は学食から駆け出した。
4人の食事会のはずが、残ったのは千里と圭介だけになってしまった。だが、圭介は構わず食べている。
「僕、1年生のとき、新山さんが出た試合を見たことがあるんです。白山高校との試合でした」
あの試合は千里もはっきり覚えている。試合からしばらく経って、彼女は膝を負傷した。だから、あれは千里にとって最後の試合だった。
「新山さんはショートを守っていた。すごくカッコよかったです。難しいボールをキャッチして、無理な姿勢から正確に送球して、ダブルプレーを取っていた。ピンチになるとピッチャーに大きな声を掛けて励ましていた。グラウンドの中で輝いてました。僕は、この人は本当にソフトボールが好きなんだなって思いました」
圭介の言う通り、千里はソフトボールが大好きだった。試合だけでなく、仲間と一緒のランニングやキャッチボール、監督の厳しいノックさえ好きだった。でも、もうできない。自虐的な声になる。
「もう終わったこと。あの選手は死んじゃったの」
いつの間にか圭介は真剣な目になっていた。食事の手を止める。
「そうですか? 選手としてはもうできないかもしれないけど、新山さんはまだ終わってないと思います。新山さんほどのプレイヤーなら、指導者としてグラウンドに戻る道もあると思います」
圭介は1年生のときに千里の試合を見て以来、キラキラ輝く千里に憧れていた。彼女が競技を断念したと知ったときはショックだったし、ソフトボールをやめて、無理して玲奈たちのグループにいるのは、見るのがつらかった。
律輝から千里との食事会に誘われたとき、何とか彼女を励ましてあげたいと思っていた。
「高校野球でチームを何度も甲子園に連れて行って、名将とか知将って呼ばれる監督がいるでしょ? あんな道もありますよ」
圭介の言葉に千里はハッとした。今までそんな未来を考えたことがなかった。
ケガで選手をあきらめて以来、いつも人生を悲観的に見て、前向きに考えたことなどなかった。千里はようやくわかった。こんな後ろ向きで陰気な女に、友達などできるはずがない。自分が悪かったのだ。
友達ができない理由がわかった千里の目に、薄っすら涙が浮かんだ。圭介はハンカチを差し出す。
「ありがとう」
そう言ってハンカチを受け取り、涙を拭った。次第に目に力がこもって来る。
「指導者って、どうやってなればいいんだろう?」
「まずは、大学のスポーツ科学部に入るのがいいんじゃないですか?」
「わたし、ソフトボールばっかりやってきたから、勉強はあんまり得意じゃないの」
「大丈夫ですよ。もう時間はあまりないけど、入試の傾向と対策をしっかり考えれば、間に合うと思います。とにかく新山さん、プレイヤーとしての実績は抜群なんですから」
千里は圭介に向かって微笑んだ。
「谷川君頭いいから、手伝ってくれると助かるな」
「僕で良ければ何でも言ってください」
2人は楽しそうに笑った。
昼休みがもうすぐ終わるという頃、律輝と康彦は特進科の教室に帰ってきた。康彦は興奮していた。
「谷川君、矢村君ってメチャクチャ強いんだよ。大きな体のヤンキー2人の間に入って、強引にケンカをやめさせたんだ。あんなに強い人、映画の中ぐらいしか見たことがない」
「そう‥‥」
康彦の話など聞いてもいないように、圭介は中空を見つめ、うっとりしていた。
「‥‥新山さん、いいなぁ‥‥」
それから千里と圭介が校内で一緒にいる姿をよく見かけるようになり、圭介の勧めで千里はソフトボール部の仲間たちとも再び話すようになった。
話してみれば避けていたのは千里だけで、みんなは彼女のことを心配していた。もう、無理に玲奈たちのグループにいる必要はなかった。
そして、玲奈と美咲は同じグループの山崎絵里香からショックなことを聞かされた。
「あんたたち、新山になんかひどいこと言ったんだって? リッキ君、怒ってたよ。人をいじめる子は、もう何かあっても助けてあげないって。新山とリッキ君に謝った方がいいよ」
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