【完結】幾月依玖(いくつきいく)の生き様-彼女の在り方、彼の愛し方-

久遠れん

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32話・私と彼の『約束』の話

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 意識を失っていたのだと、気づいたのはゆるやかな意識の浮上があったからだった。

 目を開けたくなかった。現実と向き合いたくなかった。いつまでも心地いいまどろみに身を任せていたかった。

 だけど、そういうわけにもいかない。意識してゆっくりと目を開く。ぱち、ぱちり、瞬きを繰り返す。浅い呼吸を繰り返す。生きている、と実感して。死んでない、と絶望する。

 何度も繰り返した、目覚めをまた繰り返して。

 意識を完全に覚醒させた私の目に飛び込んできたのは、だけど、いつもと違う光景だった。

 柔らかな木漏れ日。少し冷たい草の感触。耳朶に届く柔らかな異国の音色。どれも、部屋で寝ていればありえないもの。

「……?」

 ことさらゆっくりと体を起こすと、耳に心地いい音色は途切れてしまった。少し残念に思いながら首をめぐらせると、ぱっと顔を輝かせた人がいて。

 彼女を見て、記憶が鮮明に戻る。ああ、私は。情けない。少し、過去のことを、はっきり思い出したからといって。

「ごめんなさい」

「なにを謝るの。謝るのはむしろ私だわ。でも、結果オーライね。貴方が眠ってくれたから、あの子の成長もはやくなったわ」

「?」

 意味が分からない言葉に首を傾げる。と、そこにレイスの姿が見当たらないことに気づいた。

「あ、れ。レイス、は?」

「ええ、ええ。もうすぐくると思うわ。覚えていないかしら。貴方は眠ってしまって、人の時間で五年くらいかしら。寝ていたのよ」

「ご、ねん……っ?!」

 ぎょっとして思わず飛び起きる。前にもあったけれど、またか、またなのか。それにしたって五年って私寝すぎだろ。

 あと、もうすぐくるって、まるで違うところにいるみたいな言い方だけど、え? もしかして違うところにいるの? 私が五年寝ていたから? お城にもどるよね、そりゃあ!

 ちょっとやけくそ気味になりつつ、混乱した頭でなんとか思考をめぐらせようとしていると、元気のいい声が届いた。

「母上ー!」

「あら、きたわ。きっと驚くわよ」

 そういって悪戯気に笑った湖の乙女の視線をおって、言葉通り私は驚くことになった。

 そこにいたのは、私の記憶に残るより幼かったけれど、十歳ほどの子供だったけれど。長い銀糸の髪を翻す、確かにレイス、の面影をもった子供だったからだ。

 白い馬にのって表れた姿はまさに白馬の王子様。近くの木に馬を繋いでこちらにかけてくる。

 きらきらと輝く瞳をとても懐かしく感じる。

 上気した赤い頬。愛らしい、と素直に思った。

「レイス……」

 どうして外見がかわっているのか、ルウラン以外から外見を写し取ったということなのだろうけれど、相手がだれなのかわからなかったけれど。

 そんなことはどうでもよかった。

 ぱたぱたとかけてきたレイスは湖の乙女の手をぐいぐいと引いて、湖に近づいていく。

「ははうえ、はやく、はやく」

「ふふ、せっかちねぇ。ほんとうに、あの子が好きなのね」

 あの子が好き。その言葉は私の胸をえぐったけれど。

 レイスに好きな人がいるという事実は予想以上にきつかったけど。

 でもその感情も、続いたレイスの言葉にすぐに霧散した。

「だって……見ていないと、いなくなってしまいそうで。儚くて」

「そうね。あの子は満たされない子だものね」

 心底悔しそうに言うレイスは人間味に溢れていて。私の見ていたがらんどうの子供ではなかった。そんな風に、レイスを変えた存在に、純粋に興味を引かれた。

 レイスに見えない角度で湖の乙女から手招きされたのもあって、とことこ近づいて湖を覗き込んで、驚く。

 そこにいたのは、まぎれもない、私、だった。

 言葉を失った私の前で、湖の中の私が笑っている。屈託のない笑み、とは到底いえないけれど、それでも、楽しそうに笑っていた。

 なんで、と思って、隣にいる相手で納得した。

 殊井真琴。私の数少ない友人のうちの一人で、私のたった一人の親友。

 彼女が隣にいるなら、私が笑っているのも道理だった。彼女と一緒にいるときだけは、辛いことを忘れられた。笑顔になれた。たくさん色んな話をした。大好きな本の話、お勧めの小説、たわいない話をたくさん、たくさん。

 そっと隣のレイスを伺えば、レイスは食い入るように水面を見つめていた。

「ねぇ、ははうえ」

「なにかしら」

「俺が笑いかけても、この子は笑ってくれるかな」

「ええ、きっと」

「ずっと笑顔でいてもらうには、どうしたらいいかな」

「ずっと笑顔でいる人はいないんじゃないかしら」

「……泣かないでほしいときは、どうしたらいいのかな」

「抱きしめてあげたらどうかしら」

「そうしたら、泣き止んでくれるかな」

「どうかしら。涙を拭ってあげることは大切だと思うけれど」

 禅問答のようなやりとりに苦笑する。

 それと同時に、レイスが気にかけてくれている事実がこの上なくうれしかった。私の知らないところで、こんなにもレイスは私を気にかけてくれていた。

 ……私、は。ずっと、自分が独りきりだと思っていたけれど。こんな風に見守ってくれる人がいたのなら。私は。独り、ではなかった。

 その事実が、どうしようもなく嬉しかった。

 でも、どうして、レイスはこんな風に私を気にかけてくれるのだろう。

 広い世界だ。私のような境遇の人間はいくらでもいただろうし、私以上に不幸な人はそれこそたくさんいただろう。単純に、疑問だった。

「ねぇ、目を、覚ました?」

「……え?」

 湖の中の私を見つめながらの言葉に、思わず反応する。

「覚えてるよ、俺がまだ蕾だったころからずっと傍にいてくれた。俺が生まれる前から傍にいてくれた。優しい声で、物語をたくさん聞かせてくれた」

 それ、は。私の、ことだろうか。

 いま、ここにいる、私のこと、なのだろうか。

 言葉が見つからない私の前で、どうしようもないほど優しい表情で、レイスはそっと湖に手を伸ばした。私も手を伸ばす。触れることはない。それでも伸ばされた手を掴みたかった。

「いつか、絶対に会いにいくから。お願い、それまで、待ってて」

 うん、待ってる。待ってるよ。

 その心に、たまらなくなって、涙が溢れた。
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