【完結】幾月依玖(いくつきいく)の生き様-彼女の在り方、彼の愛し方-

久遠れん

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40話・私と彼の『出逢い』の物語

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 ピチチチ、小鳥の鳴き声で目を覚ます。

 ふわりと欠伸を一つ。

 ぽりぽりと頭をかいて、ベッドから降りる。少しふらついたのはまだ覚醒しきっていないから、ということにしておきたい。

 冷蔵庫から牛乳を取り出して、コップに注ぐ。ぐいっと一気に飲み干せば、寝起きで冷えた体に冷たい牛乳が染みるようだった。

 歯磨きをして、しばらくぼうっとして。ふと、散歩に行こうと思った。

 バッグにスマートフォンとメモ帳、ペンを入れて、なんで散歩にいくだけなのにこんなに色々いれてるんだろうとふと我に返ったけど、だすのも面倒でそのまま肩にかける。

 のんびりと朝の空気の中を歩くのは気持ちよかった。

 そういえば、ここ一週間ほどの記憶が酷く曖昧なのだけど、元々記憶力はないに等しいし、さして気にすることでもないだろう。

 なにか、とても大切なことを忘れている気がした。けれど、思い出せないものは仕方がない。いつかふとしたきっかけで思い出せる事を祈るしかなかった。

 そういえばゴミ箱に入っていた二人分のファーストフードのゴミはなんだったんだろう。

 二人分も食べた記憶がないのだけど。あと、お財布の中身が不自然に減っていたのも謎だった。

 衝動買いをしたにしても、買った品物が部屋にないしなぁ。なんなんだろう。

 母親の自殺に端を発する記憶障害は一行に治る気配がなく、これはもう一生付き合うしかないのだなぁと諦めモードであった。

 でも、この一週間とても気分がよかったことは覚えている。いまだって気分がいい。いつになく気持ちが前向きで、清々しい。こんな気持ちになるのは、いつ以来だろうか。いまならなんでもできる気がした。

 今まで出来なかったことが、きっとできる。なにか、新しい事を始めてみたいと思った。

 ふと、川の上を通ったとき。呼ばれている気がして、足を止めた。

 きょろきょろと周りを見回す。だれもいないことを確認して、首を傾げる。確かに呼ばれたと、思ったのだけど。

 そういえば、この川にはなぜか鯉がいて、ときどき泳いでいるけど、今日はいるだろうか。興味本位で川を覗き込めば、そこに鯉はいなくてちょっと肩を落とす。

 だけど、代わりにおかしなものが見えた。

『イク!』

 長い銀糸の髪の、大空のような青い瞳をした、男の人。

 こちらをみて、にっこりと笑った、優しげな男性に、白昼夢でも見たのかと目をこする。

 相変わらずそこには水面があるだけ。あ、ゴミがながれてる……。

 なんだったのだろう、とうとう幻覚までみるようになったのだろうか。ちょっと落ち込みつつ、背を向けて歩き出す。

 一歩、踏み出して。

 あの笑顔が脳裏をちらついて。

 二歩、踏み出して。

 優しい声音が脳裏をよぎって。

 三歩、踏み出して。

 抱きしめてくれた、たくましい腕の感触を、思い出した。

 涙が溢れてとまらない。とめどなく溢れる涙を拭いながら、足早に歩く。いや、走る。目的地なんてわからない。がむしゃらにはしって、たどり着いたのは、いつか、出会った公園。

 あの日とは違う、きらきらと輝く朝日に照らされて、その人はそこに立っていた。長い銀糸の髪は高い位置で一つに結わえられていて、朝日を受けてキラキラ輝く大空の瞳は穏やかな感情が乗っていた。

 すっと通った鼻、凛々しい目元、白皙の美貌の主。いつかとおなじコスプレまがいの青いコートを翻して。そこにいた。

「ああ、やっと――会えた」

 そういって、穏やかに微笑んだその人に、私はたまらなくなって抱きついた。


 * * *


 不思議な人に出会ったのです。

 私が笑ったといって、嬉しそうに笑う人。私の幸せが自分の幸せだといわんばかりの、幸福に満ち溢れた人。

 私が人生の迷い道にいたときに現れたその人との想い出は決して多いものではなく、この先の日々に積み重ねていくのがとてもたのしみなのです。

 私はなにももっていない人間だけれど、幸い、私には小説がありました。

 なにももたない私には、たった一つ、小説という武器があったのです。

 幼いころから本が大好きで、それには色々な理由があったけれど、最も大きな理由の一つは、空想の世界に浸っている間は、その世界の住人になれる気がしたから。

 辛いことも、悲しいことも、寂しいことも忘れていられたから。

 だから、これはきっと必然。

 現実を否定して、違う世界を夢想した私の前に、異世界の王子様が現れる、人生で一度きりのサプライズ。

 これは、普通の人には妄想と一笑に付される世界を経験した、私による私のためだけの、彼との物語。 

 誰にも犯せない、神聖な、出会いの物語――。
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