百合御殿ノ三姉妹

山岸マロニィ

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【拾壱】悪鬼

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 未だ、不知火清弥のあの記者会見の余波は続いているらしい。水川信一郎は、深夜に戻り、仮眠をしてすぐに出かける日々を、今も送っているようだ。
「全く、何て事をしてくれたのかしら。主人が過労で倒れでもしたら、私はあなたを訴えなければなりませんわね」
 水川夢子は微笑みを浮かべ、――だが全く笑みのない目で零を眺めた。
 メイドが紅茶のカップを零の前に置く。礼を言って受け取ると、零はそれに口を付けた。
「しかし、私だって、あなたに生き埋めにされかけたのです。お相子じゃありませんか?」
 夢子は大きく息を吐くと、自分の紅茶を一気に飲み干した。
「そんなあなたが、朝っぱらから、何の御用かしら?」
「――水川杏子さんの事について、お話をお伺いしたいのです」
「……杏子の事……?」
 テーブルにカップを置こうとしていた夢子は、手を滑らせてそれを取り落とした。慌ててメイドが片付けに来る。
「……何が言いたいのかしら。杏子はもう十年も前に亡くなっておりますのよ」
 必死で平静を装おうとしているが、夢子の声は震えている。零は意地の悪い目を彼女に向けた。
「先に言っておきますがね。あなたのご返答次第では、私は他の手段を考えねばならなくなります。……例えば、警察にご助力を願う、とか」
「あの件は終わったはずでは?」
「まだ時効ではありませんからね。被害者が名乗り出れば、事件として扱われるんじゃないでしょうか」
 夢子の目が烈火のような怒りを帯びた。そして、憤りを「アーッ!」という叫びと共に吐き出すと、だが夢子はすぐに落ち着いた口調を取り戻した。
「私も言っておきますけど、私は全てを知っている訳ではございませんの。そこを勘違いして頂くと困りますわね」
「分かっていますよ。……ではまず、杏子さんと、――松子さんのご関係を、お教えくださいませんか?」
 夢子は事もなげに答えた。
「同級生ですわ。学校も一緒で、親戚でもあるでしょ? 同い年でしたし、幼馴染みの従姉妹のような関係でしたわ」
「仲が良かったのですか?」
「ええ。小さい頃はよく、二人で遊んだりもしていましたわね」
「すると、杏子さんは、来住野家の内情もご存知だったのでは?」
「そうかもしれませんわね。女の子同士にありがちな秘密主義なところがあって、詳しくは聞いた事がありませんけど」
「――松子さんとの関係の中で、時に杏子さんが落ち込まれたり、そんな事はありませんでしたか?」
「そりゃあ子供ですもの、喧嘩のひとつやふたつ、あったでしょうね」
「……私が言っているのは、松子さんが、精神的な発作を起こされるようになってからの話です」
「…………」
 じっと見据える零の目の先で、夢子の視線は揺れ始めた。
「――お心当たりが、あるんですね?」
 夢子の頬がブルブルと震える。
「あの子は、何も言わなかったわ。何も。――死の直前まで」

 ――臨終の床にある杏子は、その時、まだ十八歳だった。
 彼女が横たわる自室の壁には、帝東歌劇のポスターが張ってあった。その隅に小さく来住野松子の姿がある事は、その時、彼女以外の誰も知らなかった。
 病に倒れてからは早かった。瞬く間に病状が悪化し、間もなく意識が昏睡状態に陥った。
「今晩が山でしょう」
 菊岡医師が帰った後、夢子は彼女の傍にずっと付き添っていた。彼女の父である信一郎には電報で連絡したが、遠い出張だったために、今晩は間に合いそうにない。
 夢現ゆめうつつの中、時折、杏子は声を上げた。
「……天狗……大天狗……」
「どうしたの? 杏子ちゃん。天狗がどうしたの?」
 力ない手を握り締め、夢子は焦点の合わない娘の目を見つめた。
「大天狗は……鬼……恐ろしい……悪鬼……」
「杏子ちゃん! 悪い夢を見ているのね。可哀想に、可哀想に……!」
 夢子は無我夢中で杏子の言葉を聞き取ろうとした。
「……あぁ……忌まわしい人形……あの人形を……、壊して……!」

「――それが、唯一の告白だったわ。おぞましい悪夢を、何年も、必死で胸に納めてたの。……可哀想な子」
 夢子はぼんやりとした目をあらぬ方に向けた。
「その言葉の意味を、その時はお気付きでなかったのですね?」
「えぇ。私はその意味を必死で探ろうとしたわ。……それで時々、あの隠し通路を使って、来住野家へ忍び込んだりもしたの」
「あなたが善浄寺へ頻繁に通っておられた理由は、そこだったんですか。『天狗』といえば、来住野家で育ったあなたなら、天狗堂を想起されても不思議はありませんからね」
「そうよ。でも、いつだったか、見付かってしまって。それから、あの人……十四郎とは、犬猿の仲になってしまったわ」
「……そこで、何かをご覧になったのですか?」
「いいえ、あの屋敷では。……ただ、気になった事はあったの。――あの隠し通路にあった枝道が、いつからか、塞がれてしまったのよ」
 ドクン、と心臓が跳ねた。その跡は、零も見ているのだ。
「あの枝道、村に通じてるのよ。ちょうど、まるいやさんのお宅の裏手の山の中に。……枝道が隠された時期を考えてみるとね……」
 泳いでいた夢子の視線が、零の前で止まる。
「――一致するのよ。村に、子供を襲う天狗が時期に」
「…………」
「信じられなかったわ。でも私は、あの男のならやりかねないとも思ったの。……あの人、ああいう趣味でしょ?」
「ご存知だったんですか……」
「ええ。ハンちゃんってを囲ってたのも。……松子ちゃんが家出して、ハンちゃんがいなくなって、その後からよ、天狗が出だしたの。……それで、あの枝道が塞がれたら、出なくなった」
 零はゴクリと息を飲んだ。
「――あいつよ、大天狗は」
「しかし、証拠がない」
「そう。あの隠し通路の存在を明かす訳にもいかないし、警察に突き付けるだけのものはなかった。……それに、これでも身内だもの。事を荒立てたくはなかったのよ」
 これは、想定外の情報だ。零はモシャモシャと頭を搔いた。
「あなた、下品ね」
 夢子は汚いものを見る目を零に向けた。
「これは失礼。……大天狗の意味は分かりました。……あとは、人形、ですが、それをどうお考えで?」
 すると、夢子は零をじっと見据えた。
「それを私に言わせる気? 探偵なら、証拠は自分で見付けなさい」
 零は首を竦めた。
「……なら、これだけ。――あなたが、善浄寺のご夫妻と仕組んだあの計画は、天狗の祟りを恐れた訳ではなく、娘さん……杏子さんの言葉に従ったものですよね。――人形を壊してという、あの遺言に」
 夢子は満面の笑みを浮かべた。



「おはよう……って、またあんた? 今日はひとりなの?」
 スミちゃんがそう言いながらも、ニコニコと応対に出て来た。
「先生はおいでですか?」
「いるわよ。午前の診察中だからね。患者はいないけど。……菊岡先生、お客さんですよー」
 ……奥から出て来た菊岡医師は、犬神零の姿を認めると、覚悟を決めたように低い声で言った。
「スミちゃん。悪いが、午前の診療は休診にする。君も出掛けてきなさい」

「……昨日、双子の出産の事を聞かれた時から、君はいつかは気付くだろうと思っていた。……まぁ、そこに掛けたまえ」
 診療所の診察室である。薬品が並んだ棚と、びっしりと専門書が詰まった本棚、ピンセットや消毒瓶の置かれた台。奥には診療台がある。薬品の混ざった独特の匂いが鼻を突く。
 丸椅子に腰を下ろし、零は菊岡医師の三角眉を見据えた。
「……では、全てお話し頂けるのですね?」
「勘違いしては困る。医師には守秘義務というのがあってな。探偵の君なら知っているだろう」
「なるほど。……では、私の話を聞いて頂くだけで結構です。あくまで私の想像です。違っている部分があれば、その都度訂正して貰って構いません。……ただ、ひとつだけ確認しておきます」
 零の重々しい視線に、さすがの菊岡医師も若干怯んだ様子を見せた。
「――昨日、大婆、寒田ヨネさんを私に紹介した時点で、菊岡先生、あなたには、お覚悟があったのではありませんか? ……ご自分の罪を懺悔する、お覚悟が」
 菊岡医師は目を逸らした。零はひとつ息を吐いてから口を開いた。
「……ではまず。――松子さんが生まれた時、取り上げられたのは、あなたです」
「…………」
「曾孫の寒田ハンさんが奉公に出て、すぐに妾とされた事に対し、大婆さまは来住野十四郎さんを恨んでいた。そんな方を、産婆に呼ぶとは考えにくい。その当時、村に産婆はおひとりでしたから、他に頼めるのは、医師である、あなたくらいしかいません」
 菊岡医師は無言で、棚に並んだ診療記録簿のうちのひとつを、零の前に広げた。
 ――そこには、「産婦・寒田ハン」と記載されていた。
 菊岡医師は隠し切れぬと悟ったのだろう、諦めたような目を零に向けた。
「他には?」
「松子さんの成長を、あなたは医師として見守って来られた。……ところが、いつからか、松子さんには持病が出てきました。精神的な発作の持病です。しかしあなたには、その原因がどうしても分からなかった。――それに気付かれたのは、彼女が十四歳の時です」
 菊岡医師の顔が、白髪に負けない程度に色を失った。
「それは、極秘出産でした。あなたも、ましてや大婆さまも呼ばれなかった。では、だれが取り上げたのか。――産婆見習いの経験のある、寒田ハンさんしかいません。しかし、産婦はたかが十四歳の子供、しかも胎児は双子です。見習い程度の経験しかないハンさんでは、荷が重かったでしょう。ですが、彼女は必死にやり遂げました。――可愛い我が子の出産ですから」
 零の口調は鉛のように重い。その先の言葉を何瞬か躊躇ためらった後、やがて彼は口を動かした。
「――なぜ、その出産を極秘にする必要があったのか。その理由は、母親は鶴代さんであるという事にしなければならなかったから。しかし、その理由だけならば、松子さんが生まれた時の前例がありますから、そう難しい事ではなかったのかと思います。
 ……どうしても、松子さんの出産を隠さなければならなかった、真の理由。それは、その双子の父親は、来住野十四郎氏だったからです」
 菊田医師が両手で顔を覆う。一息ついた後、零は続けた。
「松子さんは、実の父親に性的な関係を強要されていたのです。物心つく前の、幼い頃から。……しかしやがて、思春期を迎えた頃に、気付いてしまいます。その関係は、忌まわしいものであると。幼馴染みの水川杏子さんとの、思春期にありがちな何気ない会話の中で違和感を持ったのが、きっかけだったのではないかと考えます。それから、松子さんは心を乱します。父親との関係を拒否できず、だからといって、今の状況を受け入れる事もできない。――彼女が心を病んだ原因がそこにあると、産後の肥立ちが悪く、体調を崩した彼女を診察したあなたは気付きました。……しかしあなたは、それをこれまで黙っていた。――それが、あなたのひとつ目の罪です」
 菊岡医師は、診療記録簿をめくる。そして、「来住野松子」という名の頁を示した。
「見てくれて構わない」
「守秘義務違反になるのでは?」
「私の医師人生は、今日で終わる。好きにしてくれたまえ」
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