久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

文字の大きさ
90 / 92
第伍話──箪笥

【拾捌】其々ノ夕餉

しおりを挟む
「……これで最後、っと」
 泣き叫ぶ赤ん坊の頭を、熟れた柿のように握り潰し、赤髪の女は手の汚れを振り払った。
 和装の女が拭く濡れ縁にその飛沫が飛ぶ。彼女は手を止め、中庭の赤髪に顔を向けた。
「もう少し、綺麗にできないのですか? 天秤の人」
「仕方ないだろ、いちいち手を洗ってたら日が暮れちゃうよ」

 ――蛎殻町、水天宮近くの屋敷。
 突然降ってきた大量の赤ん坊をした頃には、屋敷は夕焼けに染まっていた。

 辺りは、腐った泥のような飛沫で悲惨なことになっていたが、和装の女が手際よく掃除をしたため、何とか眠れそうではある。

 和装の女は桶を手に立ち上がる。そして、拭い切れない泥に染まった枯山水を眺めて溜息を吐いた。
「私が苦心して集めた赤子の魂が、こんなことになるなんて」
「獅童さまの思召なんだ――何か文句あるのかな、小羊おようちゃん?」
 背丈ほどの庭石にピョンと座った赤毛の女は、細い目で和装の女を見下ろした。
「文句があるのは、獅童さまにでなくあなたにです。せっかく静かに暮らしていたのに、あなたが来てから滅茶苦茶です」
「これも獅童さまの思召だよ……お腹空いたな。夕飯はまだ?」
 和装の女は諦めたように溜息を吐き、
御御御付けおみおつけとお新香ですよ」
 と、奥へ入って行った。

 その後ろ姿を見送りながら、赤毛の女はチッと舌打ちした。
 ――白羊宮の河魁かかい
 特に能力はないが、真面目そうな顔をしてるから、心の弱った人間を操るのがうまい。水天宮近くのこの屋敷で、流産や死産をした人を言いくるめて、魂の中で最も上等な水子の魂を集めているのだが、地道に成果を出しており、獅童の評価は高い。
 けれど、それに驕ったりせず、自分はホムンクルスではなく人間だとばかりに、黙々と人形を作っている。
 根暗な奴だ……赤毛の女は、和装の人形師が気に入らなかった。

 彼女――天秤宮の天罡てんごうは、派手な赤毛にソバカス顔の、見るからに西洋人の見た目をしている。真紅のドレスをまとう彼女は女王様気質で、自分が一番強いと思っていた。
 けれど、 性格が粗野なため、女王様の枠には収まりきらない。慎ましさを体現したような河魁とは対照的だ。
 だから、獅童の評価が高い河魁をライバル視している。

 ......いや、「対」であるホムンクルスは運命共同体であり、ライバルでもある。そういう宿命なのだ。

 今回、獅童から直々に任務を受けた時、天罡は舞い上がった。そして、河魁の成果を奪いながら、自らの成功が約束された作戦を立てたのだが……。

 まさか、赤ん坊をまるごと送り返すという反撃を受けるとは、考えてもみなかった。これでは、獅童に顔向けができない。

 ――彼女が命じられたのは、犬神零の。河魁と力を合わせ、あの厄介な探偵を封じろ……そう言われた。
 というのも、偶然、河魁が関わる件に犬神零が首を突っ込んできたからだ。ターゲットの行動が読める状況で攻撃を仕掛けるのは戦術のセオリー。圧倒的にこちらが有利だったのだ。
 しかし……と、天罡は歯噛みした。
 土御門サナヱ――磨羯宮まかつきゅう大吉だいきちの件から、その存在は知っていた。だが、無名の陰陽師であるから、警戒をしていなかった。
 それにしてやられるとは……!

「悔しい……悔しい……」
 天罡はガリガリと爪を噛んだ。
「何でよ……何でなのよ……まるでこの私が失敗したみたいじゃない」
 彼女は自分の非を認められなかった。計画は完璧だったはずだ。現に、犬神零を封じ込めるまでは成功したのだ。安倍晴明は泣く泣くあの井戸を封印するしかない……そうなるはずだったのだ。
「あのチビ女――絶対に殺してやる」
 燃えるように赤い瞳で、彼女は夕焼けに染まる庭を睨んだ。

 すると、河魁が戻ってきた。
 天罡は笑顔を浮かべて余裕を繕う。
「夕飯できたの?」
「この時間でできる訳がないでしょう……電報が届きました」
「誰から?」
「獅童さまから」

 天罡は庭石から飛び降りた。敗北がもう知られたのかと、内心青ざめながら、河魁の手にある紙片をひったくる。
「ケンショウ ハ デキタ イシ ト イシ ヲ ブツケロ……」
 不可解な文言に、天罡は眉を寄せた。
「どういう意味?」
「知らされていなかったのですか? 天秤の人」
 河魁の言い草に、天罡は眉を吊り上げる。
「は?」
 だが、河魁は動じない。憎々しいほど冷静な声で、彼女は説明した。
「柴又の一件は、犬神零の不死の能力、それに、賢者の石を内包した安倍晴明の能力がいかほどのものかを測るための検証です。まさか獅童さまが、あの程度であの者を封じられるとは思っていませんよ」
「…………」
「獅童さまの目的は、あの二人を引き剥がすこと。それには、二人の間に決定的な亀裂が必要です。そこまで言えば、分かるでしょう?」

 河魁の赤い目が天罡を見据える。天罡は目を細め――ニヤリと口角を上げた。
「それはあたいの専門分野だね」

 ――石と石をぶつける――
 それは、賢者の石を賢者の石で壊すように、不死と不死とを戦わせる、という事だ。

 天罡は、洋髪に挿したかんざしを抜き取った。
 その両端を軽く捻ると、赤い宝玉が両側にぶら下がる。その中央に突き出た突起を指に乗せれば、両端の宝玉が均衡を取りゆらゆらと自立する。

 ――天秤である。

 彼女はククク……とほくそ笑みながら、軽く宝玉を弾いた。
「均衡なんてモノは、この指先でどうにでもなる――さあ来い、バケモノたち」


 ◇


 夕刻。
 山茶花御殿の裏庭では、香ばしい煙が漂っていた。
「こんな上等な鯵の開き、なかなか手に入らないわ」
 メイド姉妹の妹・キヨが、七輪の干物をひっくり返す。ジューという音が、否が応にも食欲を刺激してくる。

 桜子はうちわで炭を扇ぎつつ、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「七輪で焼いた干物なんて何時いつぶりかしら」
「私も久しぶりに七輪を出したわ。だって、これでお魚を焼くと……」

 キヨは細い目を外塀に向ける。
 そこでは飼い猫のクロを中心に、クロの知り合いであろう野良猫軍団が集まり、今か今かと待ち構えている。

「いいじゃないの、たくさんいただいたんだし。うちのクロがお世話になってますと、ご挨拶にお裾分けしましょ」
 勝手口の脇に置かれた籐椅子で、楢崎多ゑはおおらかに微笑んだ。

「テーブルはこちらでいいですか?」
 そう声を掛けたのは犬神零だ。メイド姉妹の姉のカヨと、休憩室のテーブルを運んできたのだ。
「もうすぐご飯が炊けるよ」
 勝手口からサナヱが顔を覗かせた。田舎では、飯炊きは子供の仕事なのよと桜子が手ほどきしたら、すぐさま火吹竹の使い方を覚えた。

「鯵もいい感じじゃないかしら」
 キヨの合図で、テーブルに皿が並べられる。サナヱとカヨがご飯と御御御付けを運び、焼きたての鯵が皿に納まれば、特別な晩餐の始まりである。

「いただきます」

 ……大家のシゲ乃は泊まりの用な上、下宿の住人に自炊しそうな人もいない。
 そのため、鯵の干物を楢崎家に渡そうとしたところ、サナヱと共に夕食に招待された、という訳だ。

 使用人のため、普段は主人と同じテーブルには着かないカヨとキヨも、今日は肩を並べて食卓に向かう。そして鯵に箸を付け、
「美味しい!」
 と目を丸くした。
「これから帝釈天のお土産は干物がいいわね」

 それから、鯵の干物を得るに至った、桜子の活躍が話題となった。
 ……その相手が久世慶司だったのは、勿論皆知っているが、この和やかな場に直視し難い現実を持ち出すのを憚ったのだろう。敢えてその名は出さなかった。

 桜子はことさら明るく語った。
「活躍ってほどじゃないわ。他に対応できる人がいなかっただけで……薙刀の師匠から、免許皆伝を受けた時に言われたんです。強い者には弱い者を助ける義務があるって」
「お姉ちゃん、すごく格好良かったよ」
 サナヱもご満悦だ。
「しかし、桜子さん」
 そこに零が口を挟んだ。
「無茶だけはしないでください。桜子さんに何かあれば、私は立つ瀬がありません」

 ……それはお互い様でしょ。

 桜子はそう言いかけ、言葉を切った。
「はいはい、分かってるわよ――もしかして、私のことをか弱い乙女と思ってるの?」
「そうは言いません」
 期待などしていなくても、あっさりと否定されるとカチンとくる。桜子は横目で零を睨んだ。
「お世辞でも、そこは肯定するところでしょ? そんなんだから、いい歳して独り者なのよ」
 苦笑しながら、多ゑが仲介に入る。
「まあまあ……ところで、あの坊やは?」

 ハルアキのことだ。
 桜子はそこでようやく、あの生意気なガキンチョの姿がないのに気付いた。

 すると零は肩を竦めた。
「声は掛けたんですが、生臭いのは苦手だと言って、納戸から出てこないんです」
「仕方ないわ、子供なんてそんなものよ。後でおむすびを握っておくから、持っていってあげてくださいな」
 キヨに言われ、零は「すいません」と頭を下げた。

 桜子は気付いていた――久世慶司の屋敷の前で零と偶然会った時から、何かおかしいと。

 桜子がサナヱを柴又に誘ったのは、事件の経過から、そろそろ零とハルアキが行動を起こすのではないかと思ったから。
 案の定、零は柴又にいて、事件は解決した。
 ――それなのに、ハルアキがいないというのは不自然だ。

 女の直感としか言いようのない違和感だが、桜子は二人の間に不協和音のようなものがあるのではないかと疑っていた。

 しかし、人と人との関わりは、部外者が一言で解決できるようなものではないとも、彼女は知っている。
 ……また、甘いものでも買っておいて、ご機嫌を取ろうかしら。
 桜子は何食わぬ顔の零に横目を向けてから箸を置いた。
「本当に美味しかったわ。ご馳走さまでした」
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。