久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

文字の大きさ
41 / 88
第参話──九十九ノ段

【廿肆】罪

しおりを挟む
 ――翌日の午後。
 零は再び、高輪の篠山栴檀邸にいた。

 玄関を入ったところで、彼は大袈裟にポンと手を叩く。
「どうされましたか?」
 案内の小間使いの少年が不審な目を向けた。零は申し訳なさそうに頭を掻きながら答えた。
「列車に、手土産にと持参した饅頭を忘れてしまいました。いやはや、迂闊でした……」
 そう言いながら彼は困った顔を作った。
「もしかしたら、忘れ物として駅に届けられてるかもしれませんが、今から取りに行くと、栴檀先生をお待たせする事になってしまいます」
 すると、少年が答えた。
「私が取りに行きましょう。栴檀先生のおられる居間は、先日ご案内した通りですので」
「それは申し訳ない。お願いいたします」

 少年を見送る零の顔は、酷く無表情だった。

 誰もいない、庭に面した廊下を抜けた突き当たり。
 襖を開くと、長火鉢の傍らに篠山栴檀はいた。

 彼は正面の座布団に零を招き、のっぺりとした白い仮面を向けた。
「見てきたのか、鯉若を」
「……はい」
「何か言っていたかね?」
「愛されてみたかったと――あなたに」

 そして、帯に挟んだ簪を、畳の上に差し出した。
 共に死のうと彼に渡した、鼈甲の簪。それを見た栴檀の肩が小刻みに揺れた。笑っているつもりだろうか。

「何を言うか。私ほどあの女を愛した者はいない」
 仮面の眼窩から灰色の目が透ける。
「心の底から愛したさ。無限の欲情を満たすための男を、何人も差し出す程度に」

 零は答えない。その光のない目を覗き込むように、栴檀は続けた。
「だが、仕方がないだろう? ……実の姉だと知ってしまった以上、私はあの女と心中する訳にはいかなかった」

「彼女がお姉さんだと知ったのは、いつですか?」
「あの襖絵を完成させ、心中の約束をした、そのすぐ後だよ。私は師匠――篠山栴檀に呼ばれてね、聞いたのさ、あの女の素性を」
「…………」
「あの鬼畜、初めからそれを知って、私をあの女に紹介したのだ。私の才能を妬み、心を踏み潰そうと画策したのだよ。幸せな心中すらも許さないほど、残酷に。……殺す理由には足りるだろう?」

 零はじっと、白い仮面を見据える。
「そうやって、あなたは師匠殺しの動機を、お姉さんのせいにしようとしているのですね」
「どういう意味だ?」
「お姉さんには、復讐だと伝えておきました。私には彼女を、あれ以上傷付ける事ができなかった。しかし本当の理由は、あなたが一番ご存知のはずです。……その仮面が、何より物語っていますよ」

 栴檀の喉が動く。凍り付いた空気の中で、零の言葉が告げる。
「あなたは欲しかった――篠山栴檀という地位が」
「…………」
「調べました。明治十一年に起こった、篠山栴檀邸の火災の事を。焼け跡から見付かったのは、死因に性別、年齢も不明の遺体が一体。あなたの証言から、それが伊佐吉という名の弟子、という事になりましたね。――あなたは自ら顔を焼き、入れ替わったのです」

 庭で鶯がさえずる。その優美な音色でさえ、この部屋の空気を和らげるには至らない。

「顔を失ったから人に会わないようにしている、というのは方便です。声や動作から、あなたが別人であるとバレないようにするためです。……そして、お姉さんにあなたが生きていると、悟られないように」

 栴檀の呼吸が乱れる。長火鉢に寄りかかるの灰色の目はだが、烈火の色を浮かべて零を睨む。

「あなたは恐れていました。心中の約束を破り、ひとり死なせてしまった彼女が、あなたを恨んでいるだろうと。しかし、彼女が亡くなった竜睡楼、そして珊瑚の間からは、逃れる事ができなかった。襖絵の依頼が、再び篠山栴檀画伯に来たからです。断っては怪しまれる。そのため、あなたは一策を講じます――」

 ――吉原図の屏風。
 遊女である鯉若は、遊廓と外界を繋ぐ吉原大門を、通る事ができなかった。
 彼女の私室からは、この門がよく見えた。彼女は叶わぬ憧れとして、解けぬ足枷として、この門を眺めていた事だろう。
 その思いを知っていた栴檀――伊佐吉は、吉原大門の絵を珊瑚の間の傍に置く事で、彼女の怨念がそれ以上外に出られないようにしたのだ。
 ……そして、もうひとつ。
 二人の禿である。
 鯉若の足抜けが原因で命を落とした双子の少女。その悲劇を最も悔いたのは、鯉若に他ならない。
 伊佐吉はそれを知った上で、二人の禿の姿を屏風に描き込んだ。
 それは心理的にも、鯉若の足枷となった。

 ――本当の屏風絵は、吉原大門と禿二人。
 その絵の中で、鯉若は広告写真のように二人の間に立ち、九十九段を見下ろしていたのだろう。
 二人の禿の絵に宿ったのは、彼女の懺悔の思いか、はたまたそれが呼び寄せた幼い魂か、今となっては知る術はない――。

「あの屏風は、彼女の魂をあの場へ縛り付ける役割を果たしました。――そして、彼女の元へ、生贄を誘い込む入口としての役割も」
 零はひとつ息を吐き、鼈甲の簪に目を落とす。
「あなたは生贄を彼女に差し出したと言った。しかし彼女は、あなたを守るために、若い才能を消していたのです。……それも分かっていたのでしょう? 幼いあなたを絵の道に進めるために、彼女が身を売った時から。彼女は心から、あなたを愛していたのです。その愛を、あなたは利用した。違いますか?」

 栴檀の肩がガクリと揺れた。
 震える呻き声を漏らしながら、白い仮面が零を睨め付ける。

「……だから、どうだと言うのだ?」
「…………」
「私を罪に問えるのか? 篠山栴檀を殺してと入れ替わった? 証拠はあるのかね。画家の卵を怨霊に捧げた? そんな話を、警察が信じると思うかね? 私に何の罪がある? 言ってみたまえ」

 零は静かに口を動かした。
「罪には問えません。この世の罪には。――しかし、『あの方』に、それは通用しないのですよ」
 零の手が懐に入る。そして再び現れた時、その手には、漆黒の鞘が握られていた。

 彼は言った。
「太乙様は、妖の存在を許しません。――と同時に、妖を利用する人間の存在も、許しはしません」
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな

七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」 「そうそう」  茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。  無理だと思うけど。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。