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第肆話──壺
【参】少年ノ正体
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余りの不意打ちに、零の笑顔は凍り付いた。
伏せた顔と腕の隙間から、子供のものとは思えない鋭い視線に射抜かれ、しばらく呼吸も忘れてじっとそれを見返すしかなかった。
やがて、ゆっくりと息を吐き、無表情に零は答えた。
「なぜ、それを?」
すると少年は、つまらなそうに再度顔を伏せる。
「カマじゃ。探偵の真似事をしてみただけじゃ」
「…………」
しかし、初対面の男の正体を明かすのに、「不死」などという言葉が出てくる筈がない。
――この少年、一体……!
だが少年は、退屈そうに欠伸をしてから、やおら立ち上がった。そして、
「そなたのつまらぬ話にも飽いた。そろそろ出るとしよう」
と、事もなげに言った。
その意味を理解するのに、零には数瞬必要だった。
ようやく、
「……え?」
と間の抜けた声を出すと、少年は忌々しそうに零を見下ろした。
「この牢獄の外に出ると申しておる」
零は慌てた。
「いや、何を言っているんですか」
「そなた、言葉が分からぬのか」
「分かってます! ……コンクリート造りのこの留置場から、どうやって出るのかと」
「あそこからじゃ」
と、少年が指したのは、正面の鉄扉である。
「……いやいやいや、入る時に見たでしょう? 頑丈な鍵をされてますので、そんな事は……」
すると、少年は着物の襟の隙間から何かを取り出した。
折り畳まれた紙状のそれを開いたのを見て、零は眉を顰める。
――人形。
神社でお祓いをする時に使うアレだ。
その役割は、その内に邪念――つまりは、良からぬ魂を封じるもの。
こんなものを一体何に使うのか?
そんな零の様子を歯牙にもかけず、少年はスタスタと部屋の中央に出る。
そして、ならず者たちの視線を集めたところで、右手の中指と薬指に人形を挟むと、よく通る声を上げる。
「――六合」
同時に腕を振り上げる。指を離れた人形は、はらはらと宙を舞い、黄金色の焔と化した。
一瞬で燃え尽きたその後に残されていたのは……。
「…………」
零は息を呑んだ。
宙に、顔が浮いていたのだ。
翁の能面に似た、穏やかな老爺の顔。
その色艶は枯れておらず、生きているかのように生々しいから不気味な事この上ない。
だが、零には分かった。
――この存在は、『式神』であると。
式神。
かつて「陰陽師」が従えたとされる鬼神の一種。
しかし、陰陽師ならば誰しもが扱えた訳ではない。
少年の呼んだ「六合」とは、式神の中でも最強とされる「十二天将」のうちの一柱。そんな鬼神を自在に操れたのは、零の知る限り、ただ一人――。
「見るでない」
少年の声に、零は咄嗟に顔を背けた。
……この式神が何を為す存在かを、知っていたから。
途端に、ならず者たちの戸惑う声がした。次いで、ドサッと床に倒れる音。
「…………」
恐る恐る顔を戻せば、そこには既に六合の姿はなかった。
あるのは、冷たい床で眠りこける三人の男たち。
少年のただならぬ様子に目を向けていた彼らが、式神の術に捉えられたのだ。
――式神・六合。
平和と調和を重んじ、忘却と眠りにより、無用な争いを避ける役割を持つ。
このように強大な能力の式神を操るには、術者にも相応の能力が必要となる。
十二天将ともなれば、陰陽寮の筆頭となるほどの能力は不可欠だろう。
明治維新により、陰陽寮は廃止され、陰陽師と名乗る事すら禁じられて久しい。
そのような状況の中で、十二天将を従えるこの少年は一体、何者なのだ?
座り込んだまま、呆然とその様子を眺める零の前で、少年が再び動いた。
再び人形――式札を指に挟んで、今度は
「天一」
と腕を振る。
途端。
黄金の袍を纏った天将が、鉄扉に向かって剣を薙ぐ。
……そして、扉の向こうでガチャンと、重いものが落ちる音がしたのだ。
――式神・天一貴人。
十二天将の長たる存在。
宝剣を携えた武神であり、その美しい容貌を獅子の仮面で隠しているとされる。
その性質は苛烈で、自らの能力に見合わぬ者が従えようとすれば、その首を刎ねると言われるほど。
……それを自由自在に扱うとは。
だが少年は事もなげに式神を消し去り、鉄扉に歩み寄る。そして手で軽く引くと、扉はスッと開いた。
「…………」
扉を破壊せずに、扉の外側の鍵のみを切断したのだ。一体どうやって……!
愕然と眺める零に背を向けたまま、少年は廊下に出る。そして、
「来ぬのか?」
と、零にチラリと目を向けた。
「あ……いや……、行きます」
◇
――そして、三十分後。
零は昌平橋近くのミルクホールの片隅で、無心に食事をする少年を苦々しく眺めていた。
零としては、脱獄というのは避けたかった……厄介になっている楢崎夫人に、迷惑を掛けられないからだ。
それに、所持品を回収する必要があった。
そのため、少年に頼み込んで呪術で警官を操り、正式に手続きをさせたのだ。
……留置場の同室人たちは、眠らせたままそっと扉を閉じ残してきた。あくまで、自らが潔白であると知っているから出てきただけであって、犯罪者の脱獄を手助けする意思はない。
とはいえ、派手な着物姿の若い男と、ボサボサ頭の子供の組み合わせは、妙な勘違いをされかねない。とりあえずどうしたものかと、手近な飲食店に身を隠したのだ。
少年はよほど腹を空かせていたらしく、支那そばにライスカレー、牛乳を二杯平らげたところで、ようやく顔を上げた。
「あと、隣の席の女子が食しておる、あの三角のやつで勘弁してやる。あれは何だ?」
「シベリアです。カステイラに羊羹を挟んだお菓子ですよ」
……若干財布の中身が心許ないが、合法的な脱獄の手を借りた礼である。文句は言えない。
苦笑しながら店員に注文し、零はテーブルに肘をつく。そして、三杯目の牛乳を飲みはじめた少年をまじまじと眺めた。
「あなたは一体、何者なんですか?」
すると少年は、鼻の下を白くして口を尖らせた。
「人に名を訊ねる時は、己が先に名乗るが礼儀であろう」
「はいはい。――そうですね、私は犬神零と名乗っています、今は」
「今は、と……?」
少年は黒曜石の目を細めた。
「――本当の名は?」
「知りません。それに、あなたに言う必要はないです」
「…………」
少年は訝しい目を零に向ける。
零はそれをニコリと受け流した。
「……さて、次はあなたの番ですよ」
少年は、配膳されたシベリアをパクリと一口食べて、牛乳で喉に流し込んだ。
そして、上目遣いにこう言った。
「――ならば余は、安倍晴明と名乗っておこう」
伏せた顔と腕の隙間から、子供のものとは思えない鋭い視線に射抜かれ、しばらく呼吸も忘れてじっとそれを見返すしかなかった。
やがて、ゆっくりと息を吐き、無表情に零は答えた。
「なぜ、それを?」
すると少年は、つまらなそうに再度顔を伏せる。
「カマじゃ。探偵の真似事をしてみただけじゃ」
「…………」
しかし、初対面の男の正体を明かすのに、「不死」などという言葉が出てくる筈がない。
――この少年、一体……!
だが少年は、退屈そうに欠伸をしてから、やおら立ち上がった。そして、
「そなたのつまらぬ話にも飽いた。そろそろ出るとしよう」
と、事もなげに言った。
その意味を理解するのに、零には数瞬必要だった。
ようやく、
「……え?」
と間の抜けた声を出すと、少年は忌々しそうに零を見下ろした。
「この牢獄の外に出ると申しておる」
零は慌てた。
「いや、何を言っているんですか」
「そなた、言葉が分からぬのか」
「分かってます! ……コンクリート造りのこの留置場から、どうやって出るのかと」
「あそこからじゃ」
と、少年が指したのは、正面の鉄扉である。
「……いやいやいや、入る時に見たでしょう? 頑丈な鍵をされてますので、そんな事は……」
すると、少年は着物の襟の隙間から何かを取り出した。
折り畳まれた紙状のそれを開いたのを見て、零は眉を顰める。
――人形。
神社でお祓いをする時に使うアレだ。
その役割は、その内に邪念――つまりは、良からぬ魂を封じるもの。
こんなものを一体何に使うのか?
そんな零の様子を歯牙にもかけず、少年はスタスタと部屋の中央に出る。
そして、ならず者たちの視線を集めたところで、右手の中指と薬指に人形を挟むと、よく通る声を上げる。
「――六合」
同時に腕を振り上げる。指を離れた人形は、はらはらと宙を舞い、黄金色の焔と化した。
一瞬で燃え尽きたその後に残されていたのは……。
「…………」
零は息を呑んだ。
宙に、顔が浮いていたのだ。
翁の能面に似た、穏やかな老爺の顔。
その色艶は枯れておらず、生きているかのように生々しいから不気味な事この上ない。
だが、零には分かった。
――この存在は、『式神』であると。
式神。
かつて「陰陽師」が従えたとされる鬼神の一種。
しかし、陰陽師ならば誰しもが扱えた訳ではない。
少年の呼んだ「六合」とは、式神の中でも最強とされる「十二天将」のうちの一柱。そんな鬼神を自在に操れたのは、零の知る限り、ただ一人――。
「見るでない」
少年の声に、零は咄嗟に顔を背けた。
……この式神が何を為す存在かを、知っていたから。
途端に、ならず者たちの戸惑う声がした。次いで、ドサッと床に倒れる音。
「…………」
恐る恐る顔を戻せば、そこには既に六合の姿はなかった。
あるのは、冷たい床で眠りこける三人の男たち。
少年のただならぬ様子に目を向けていた彼らが、式神の術に捉えられたのだ。
――式神・六合。
平和と調和を重んじ、忘却と眠りにより、無用な争いを避ける役割を持つ。
このように強大な能力の式神を操るには、術者にも相応の能力が必要となる。
十二天将ともなれば、陰陽寮の筆頭となるほどの能力は不可欠だろう。
明治維新により、陰陽寮は廃止され、陰陽師と名乗る事すら禁じられて久しい。
そのような状況の中で、十二天将を従えるこの少年は一体、何者なのだ?
座り込んだまま、呆然とその様子を眺める零の前で、少年が再び動いた。
再び人形――式札を指に挟んで、今度は
「天一」
と腕を振る。
途端。
黄金の袍を纏った天将が、鉄扉に向かって剣を薙ぐ。
……そして、扉の向こうでガチャンと、重いものが落ちる音がしたのだ。
――式神・天一貴人。
十二天将の長たる存在。
宝剣を携えた武神であり、その美しい容貌を獅子の仮面で隠しているとされる。
その性質は苛烈で、自らの能力に見合わぬ者が従えようとすれば、その首を刎ねると言われるほど。
……それを自由自在に扱うとは。
だが少年は事もなげに式神を消し去り、鉄扉に歩み寄る。そして手で軽く引くと、扉はスッと開いた。
「…………」
扉を破壊せずに、扉の外側の鍵のみを切断したのだ。一体どうやって……!
愕然と眺める零に背を向けたまま、少年は廊下に出る。そして、
「来ぬのか?」
と、零にチラリと目を向けた。
「あ……いや……、行きます」
◇
――そして、三十分後。
零は昌平橋近くのミルクホールの片隅で、無心に食事をする少年を苦々しく眺めていた。
零としては、脱獄というのは避けたかった……厄介になっている楢崎夫人に、迷惑を掛けられないからだ。
それに、所持品を回収する必要があった。
そのため、少年に頼み込んで呪術で警官を操り、正式に手続きをさせたのだ。
……留置場の同室人たちは、眠らせたままそっと扉を閉じ残してきた。あくまで、自らが潔白であると知っているから出てきただけであって、犯罪者の脱獄を手助けする意思はない。
とはいえ、派手な着物姿の若い男と、ボサボサ頭の子供の組み合わせは、妙な勘違いをされかねない。とりあえずどうしたものかと、手近な飲食店に身を隠したのだ。
少年はよほど腹を空かせていたらしく、支那そばにライスカレー、牛乳を二杯平らげたところで、ようやく顔を上げた。
「あと、隣の席の女子が食しておる、あの三角のやつで勘弁してやる。あれは何だ?」
「シベリアです。カステイラに羊羹を挟んだお菓子ですよ」
……若干財布の中身が心許ないが、合法的な脱獄の手を借りた礼である。文句は言えない。
苦笑しながら店員に注文し、零はテーブルに肘をつく。そして、三杯目の牛乳を飲みはじめた少年をまじまじと眺めた。
「あなたは一体、何者なんですか?」
すると少年は、鼻の下を白くして口を尖らせた。
「人に名を訊ねる時は、己が先に名乗るが礼儀であろう」
「はいはい。――そうですね、私は犬神零と名乗っています、今は」
「今は、と……?」
少年は黒曜石の目を細めた。
「――本当の名は?」
「知りません。それに、あなたに言う必要はないです」
「…………」
少年は訝しい目を零に向ける。
零はそれをニコリと受け流した。
「……さて、次はあなたの番ですよ」
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