久遠の呪祓師―― 怪異探偵犬神零の大正帝都アヤカシ奇譚

山岸マロニィ

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第肆話──壺

【漆】悪魔

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 零は細く整ったあごを撫でる。
「どうしてそう考えたので?」
「確かに、文字は読めぬ。しかし、挿絵が所々理解できるのじゃ」
「…………」
「常人には理解できぬじゃろう。じゃが、『錬金術』のいろはを心得ておれば、挿絵の解読は難しいものではなかった」
「錬金術、ですか」
 零は目を細める。
「確かに、魔術と錬金術は近しいものですからね。行商人がそれまでに持ち込んだ本で、あなたは錬金術の知識を得ていたと」
「左様」
「で、あなたはそれを読んで、不老不死の方法を得る事はできたのですか?」
「問題はそれじゃ」
 ハルアキは竹串を竹の皮の包みに置き、長椅子の上に胡座をかく。
「挿絵の内容が、『悪魔との契約』じゃった」


 ある日、その本にある内容を、ハルアキ少年は人目につかぬように試した。
 不老不死となる方法であるとの確信はなかったが、興味がまさったのである。
 挿絵にあるものを用意し、挿絵にある手順で地面に図を描いてそれらを並べる。

 ――すると、何かが召喚されて出てきたのだ。

 ハルアキはそれを見て、『悪魔』だと思った。
 山羊の頭が豊満な胸をした女の体に載っており、背には黒い翼がある。
 その姿は、魔術の本で何度も見たものだ。

 悪魔は魔法陣に立ち、彼に問い掛けた。
「何を望んでわらわを呼び出したのじゃ?」

 ……一か八かと思った。
 ハルアキ少年は答えた。
「余を、不老不死に致せ」

 すると、悪魔はニヤリと笑った。
斯様かような事か、造作もない」
 そして彼に歩み寄ると、長い爪で額に触れた。

「――――!!」
 その途端、体が痺れ意識が遠のいた。
 そして、意識を取り戻した時には、悪魔の姿はなかった。


「……じゃが、倒れる前に、奴は余に囁いた」

 ――願いは叶えた。その代償として、三十日の後、貴様の魂を頂戴する――。

 それを聞いて、零は腕組みをした。
「せっかく不老不死にしたのに、ひと月後に魂を奪うんですか」
「そうじゃ」
「なぜそのような事をするのでしょう?」
「初めからそれが目的だったのじゃ。奴の目的は、召喚者の魂……」
「いえ。それならば、召喚された瞬間、あなたの魂を奪ってしまえばいいではありませんか。現にあなたは、いとも簡単に意識を奪われている。命を奪うくらい朝飯前だったでしょう。にも関わらず、なぜひと月という猶予を与えたのか、という意味です」

 零がそこまで言うと、ハルアキは愕然とした表情で彼を見上げた。
「人生、焦りは禁物です。かの安倍晴明でさえ、このように見え透いた罠に引っかかるのですから」
うるさい……」
 ハルアキは口を尖らせた。
「要するに、あなたが悪魔を召喚するように、時間を掛けて綿密に仕込まれていたのでしょう。西洋の魔術に興味を持たせ、錬金術の知識を与え、そして謎の書物の解読をさせる」
「…………」
「そこまでするの目的とは、一体何なのでしょう……」

 零が細い目を向けると、ハルアキは非常に厳しい顔をしていた。
 そして大きく溜息を吐くと、癖のある髪をくしゃくしゃと掻き乱して顔を伏せた。
「あの行商人、一年も前から通っておったゆえ、全く怪しまなんだ。しかも、あくまで本は商品であり、内容には興味がないという格好じゃった。それが全て偽りだったとは……」
「もしくは、その行商人の背後に黒幕がいる可能性も否定はできません。……それに、興味がありますね。あなたは本当に不老不死になったのですか?」

 ニヤニヤする零を忌々しげに睨みつつ、ハルアキはボソッと答えた。
「知らぬ。流石に恐ろしゅうて試しておらぬ」
「ですよね……」

 零は背もたれに身を預け、顎を撫でつつ天井を眺めた。
「――でも、あなたは私が『不死』ではないかと言った」
「…………」
「何を根拠にそんな言葉が出てきたのか、気になりますね。……もしかして、不死の知り合いでもいたのですか?」
 ハルアキは固まったように、しばらく答えなかった。やがてそろそろと膝を立て抱きかかえるとこう言った。

「おぬしが、その者によく似ておる」

 なるほど……と、零は目を細める。
 留置場で彼が零を見た時の奇妙な様子は、それを確かめようとしたものなのだろう。 

 ――吉兆星。
 ハルアキはその人物を求めて、はるばる東京へやって来た。その結果、求めていたものに似た人物が目の前に現れたのだ。
 だが……と零は首を傾げる。
「その人物が不死であると、なぜあなたは知っていたのですか?」


 ◇


 その人物を辿るには、安倍晴明が生きていた、平安時代にまで時を遡る必要がある。

 陰陽師として頭角を現していた彼は、遣唐使として唐に赴き、伯道上人に師事する。そして、陰陽道の秘伝書である『金烏玉兎集きんうぎょくとしゅう』を授かった。
 ……ところが。
 彼の弟子である蘆屋あしや道満どうまんが彼の妻と通じ、その内容を盗んだのである。
 怒った晴明はそれを取り返すべく蘆屋道満と争うも、罠にはまり殺されてしまう。

 金烏玉兎集の由来を示す、「天文司郎安部博士吉備后胤清明朝臣入唐伝」の一節である。
 そしてその後、彼の死を察した伯道上人が来日し、彼を生き返らせたと書かれている。

 ……ところが、それは後年創作されたもので、実際には別の物語があったというのだ。

 安倍晴明には蘆屋道満の他にも、数多くの弟子がいた。
 そのうちのひとりである青年には、名がなかった。
 それというのも、親に捨てられ山犬に育てられた野生児であったため、名すら与えられていなかったのだ。
 その青年を、晴明は「名無し」と呼んでいた。
 彼はその生い立ちからは想像できないほど、美しい容姿をしていた――そして、左右の目の色が違っていた。
 左目は、多くの人がそうであるように濃い褐色なのだが、右目が透き通るような銀眼だったのだ。
 その異形いぎょうを、人々は「鬼の子」だの「化け物」だのと忌避した。産み落とした親にも、それが不吉なものであると捨てられたのだろう。
 しかし、晴明は彼を寵愛した。その異形を含め、彼の持つ美貌の虜となったのだ。

 ……蘆屋道満に殺され、生き返った後。その名無しが姿を消していたものだから、晴明は必死で行方を探した。
 そして、ある事に気付く。

 彼の屋敷の奥深く。
 秘密の小部屋に納められていたはずの秘伝書が一冊、無くなっていた。

 それは禁断の書であった。
 陰陽道に於いて決して扱ってはならない秘術が書き記されているからだ――死んだ人間を生き返らせるための秘術が。

 以前、晴明はそれを読んだ事があるため、知識だけはあった。
 それによると、人を生き返らせるためには、代償としての「魂」、そして「死」が必要である。
 ……魂は他の何かで代用できても、「死」はそういう訳にはいかない。
 「死」を失う事は即ち、永遠に死ねない体となる事。
 決して「不老不死」ではない。老いさらばえ肉体が朽ちようとも、「死」を迎えられない苦痛……。
 余りに残酷な内容であるために、いやそれ以前に、この世の摂理に反する行為であるために、それは禁忌の術と封印されてきたのだ。

 ――死んだ晴明が生き返り、代わりに名無しと禁断の書が消えた。

 その意味に、晴明は戦慄した。
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