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第二章 降りかかるシレン

14 思わぬ再会(2)

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 手術からたった数日で退院したユイは、過保護なラウルとダンの冷やかしを受けている。

「本当に大丈夫なのか?まだ入院していた方がいい」
「平気平気!新堂先生も来てくれるし。あそこにいると気が滅入っちゃって…」
「ユイ様の病院嫌いは大したものですな!」
「もう、二人がかりでイジメないでよ…」

 そこへ新堂が割って入る。「ご心配には及びませんよ、フォルディスさん。何かあればすぐに私が対応できます」
「さ~っすが、自信過剰の新堂先生っ、頼りにしてますわ!」
「過剰じゃない。事実だ」
「はいはい!」ユイは新堂を見て嬉しそうに微笑んだ。

 どこか仲の良い二人に、ダンのじっとりとした視線が注がれる。

 対するラウルはどうとも思っていない。
「妙な顔をしてどうかしたか。ダン」
「え?あっ、いえ!まさかこんなに早く戻られるとは、さぞ皆も喜ぶだろうと」
「ああ。ユイの人気はなかなかだ。私も敵わない」
「何をおっしゃるのです、ボスが一番に決まっておりますっ!」
 ムキになるダンだが、すでにラウルの視線はユイに向けられていた。

「ダン。ドクター新堂に屋敷で一番いい部屋を用意しろ。最上級のもてなしで迎えるのだ。メイド達にもそう伝えるように」
「はっ。かしこまりました、直ちに」

――この場合のもてなしとは、念入りな拷問などではない…がしかし、ここは先回りしても良いのでは?――
 ダンの頭の中では、すでに新堂に迫る自分がいる。ユイ様をどう思っているのか!と。
――例えドクターと言えど、恋心の片鱗でも見つけようものなら容赦はしない!――

 一人頷き一旦私念を追いやると、すぐに諸々の手配に取り掛かった。


 その後まもなく、新堂はこの屋敷で一番豪華な客室に案内される。

「容態は安定していますし、私は近くのホテルで良かったんですがね」
「そうは行きません。ラウル様から丁重におもてなしするよう仰せつかっております」
「しかし、客人でもない私がお借りするには、どうにも身に余るお部屋で」
「この屋敷にはこういった部屋しかございません」
 やけに広い客室に通されて恐縮する新堂だったが、こう断言されて負けずに笑顔で返す。
「それは失礼!」
「むしろここをホテルの客室と思って、ご自由にお使いいただければ幸いです」

――案外この男も庶民の口か…。見た目はなかなかにゴージャスだと思ったが――
 高級ブランドのスーツを着こなし、革靴も相当な品。育ちの良さを匂わせる仕草も、財力を感じさせる。
 だが、どうやらそうではないらしいとダンは気づいてしまう。

 この時、ある事を思い出した。最初の頃にユイが広すぎるダイニングを食堂と呼んだ事を。そして考える。釣り合うかどうかはこういう感覚の違いも含まれるのでは?
――っ!待て待て、何を考えているダン?それではこの男とユイ様が釣り合うと言っているようなものではないか!――

「どうかされましたか?ダンさん」
「何でもありませんっ!」
 思いのほか考え事に耽っていた事に気づき、気を締め直して説明を始める。
「ご入用なものは何なりとお申し付けを。それではどうぞお寛ぎくださいませ」
「ああ、どうも」
 できた執事のようなダンに呆気に取られながら、新堂は答える。

 静かに閉じられたドアをしばし眺めてから、近くのソファに深々と身を沈めた。
「まさかこんな事になるとは。しかし不思議なマフィア一家だ!物好きなあの娘が気に入るのも分からんでもないか」独り言ちて鼻で笑う新堂。

 それはもちろん、ラウルの男前のルックスも含まれる。母娘揃って面食いである事は把握済みだ。
 医者の仕事には不要なプライベートにまで踏み込む理由はもちろん興味ゆえである。新堂が恋心を抱いていたのは、ユイではなくミサコなのだが。
 子供には全く興味がない33歳独身の新堂和矢。

 それはラウルも同じだ。そんな男達をも惑わせてしまう魅力がユイにはある。そこにはダンも含まれている。今やダンはユイの一番の味方かもしれない。


 同じ頃、ユイとラウルは寝室にいた。
 そこではとある交渉が始まっていた。

「ねえラウル。ここだと、新堂先生が困るんじゃない?別の部屋にしてほしいわ」
「なぜだ」
――どうして分かんないかなぁ。普通に考えてイヤに決まってるでしょ?――
 何度もめくるめく夜を過ごして来た部屋なのだ。しかもキングベッドである。
――こんな事言ったら、ただの我がままか…――

 そう思い直したユイは本音を伏せて別の理由を考える。
「…だから、ほら!この状態だと片側からしかアプローチできないし。何かあった時、先生がベッドに乗らなきゃならなくなって、そう、手間を掛けるわ!」

 ユイの言い分を真に受け、黙考するラウル。
 こちら恥じらい的感覚は皆無である。何せこれまで、このベッドで何人もの女性と戯れて来たのだから!
――言われてみれば一理ある。だがユイだけを別の部屋に寝かせるのはどうか…――
 全くユイの気持ちには気づいていなかった。

「ねえラウル」
「ああ…ドクターを困らせる訳には行かないな。すぐに別の部屋を用意させよう。いくらでも部屋は余っている」
「ありがと!」


 直ちに別室が用意されて、ユイはそこのシングルベッドに寝かされる。

「こんなに広い部屋じゃなくてもいいのに!何だか落ち着かないわ…」
「夜は私もここで眠る。一人にはさせない」
「ヤダ、ラウルったら…。私、そこまで子供じゃなくてよ?」
「そうではない。私が寂しいのだ」
 思わぬセリフに目を瞬くユイ。だがラウルは照れる様子もなく至って真面目な顔をしている。

――この人は、嘘なんて言わない…か――

「あの、今さらだけど、…私、本当にここにいていいの?」
「それはどういう意味だ?」
「だって、私の最後の仕事は、終わったでしょ…」
 ベッド横にいたラウルは、体を屈めてユイの額にそっとキスを落とした。
「ああ、終わった。今は仕事ではない。完全なプライベートだ。これからもずっと私の側にいてほしい、ユイ・アサギリ。愛している。こんな事がなくても、そう言おうと思っていたのだ」

――予想外の事が起きてしまったが、私の気持ちは変わらない――

 こんな展開になるとは思ってもいなかったユイは、感激で涙を流す。
「そうなの?…ラウル!ありがとう、私も愛してるわ…っ」
 ユイの瞳から大粒の涙が零れ落ちる度に、ラウルの長い指がそれを拭って行く。
「ずっとこうして、おまえの涙を拭ってやりたいと思っていた。…願いが叶った」
 感無量のユイは言葉にならず、ただ何度も頷いて見せる。

 その時、ふと左手に違和感を覚えた。
「…ん?今なんか手に触れた?」
 ラウルから手元に視線を移すと、左手の中指にあのリングが嵌っているではないか!
 しかもなぜかデザインが一新されている。

「…きゃぁあ~~っ!!」
 突然屋敷内にユイの絶叫が驚き渡った。

 驚いたラウルはやや仰け反る。
「ユイ、…どうした?!」
「こ、これ…。そうか、ラウルがやったのね。もう、びっくりさせないでよ!免疫ないって言ってるじゃない」
「…リングか。いや、私ではない」
「リングの意思ってヤツ?だけど何かこれ、前と雰囲気違わない?」

 そこへ複数の足音が響き、勢い良くドアが開かれた。
「ラウル様、ユイ様!ご無事ですか!」
 ダンは手に拳銃を握り締めて必死の形相だ。後に続いた部下達にも緊迫した空気が漂っている。

「入室を許可した覚えはないが?」
「っ!失礼しました…」

 慌ててドアを閉めかけたダンにユイが言う。「ごめんなさい、私がいけないの!変な声出しちゃったから…ラウル、ダンさんを叱らないで。心配しないで、敵襲とかじゃないから」
「はあ…。一体何があったのです?その、差し支えなければですが…」
 情熱的なラウルの事、退院直後ながら情事が繰り広げられていた可能性も否定しきれない。ダンはどこまでも控えめに尋ねる。

 これに答えたのはラウルだ。
「たった今、リングが再びユイの元に戻ったのだ」
「おおっ!それは大変良かったですね!なあお前達?ああ良かった良かった、では失礼しますっ」
――この手の説明は面倒すぎる!――
 背後で佇む事情を知らない部下達を巻き込んでまくし立てると、ダンは踵を返した。

 一転、静かになった室内にてユイが俯く。
「…スミマセン。お騒がせして」

「おまえは悪くない。驚くのも当然だ。まさかこんな形で渡す事になるとは…」
 ユイが入院中にリフォームを終えて引き取ってあり、正式に結婚を申し込みつつ渡すつもりだったのだ。
「あのままではユイに似合わないと思って、リフォームしていたのだ。今度は良く似合っている。サイズはどうだ?」
「似合ってる?さらにゴージャスになってるんだけど…っ!」

 プラチナが放つ高貴な輝きが加わり、石はさらにパワーアップしたように思える。
 そのエメラルドの両脇には5石ずつダイヤが埋め込まれ、さらにゴージャスなダイヤモンドバンドを成している。

 またも中指に嵌ったリングをラウルが薬指に嵌め直した。だが反発するようにすぐに中指に戻ってしまう。

 そんな意思の固いリングを二人で見下ろす。
「どうやら…ユイのその指が気に入ったようだ」
「でも…私的にはこっちがいいっ」
 ユイは再びリングに指をかけて右に嵌め直そうと試みるも、ビクともしない。
「まあいいではないか。これで証明できたな。私の相手はおまえしかいないと」
「ふふっ、そうみたいね」

 なぜか懐かしくさえ思える劇的変化を遂げたリングを見つめて、ユイが微笑んだ。

「改めて、これからの誓いを立てたい。おまえの望むものを与えられるか分からないが、そうできるよう努力する」
「その必要はないわ。ラウルはもう十分与えてくれてる。だからもういいの」
 撃たれたあの日に投げかけられた言葉は、ラウルの剥き出しの感情だった。ユイは初めて本気のラウルを見た気がした。

「もう一つあったろう?私が部下を射殺した件は?」
「きっと私は、まだ何も分かってない。組織のトップに立つというのがどういう事か。その責任、みたいなものを…」
 一人を犠牲にしてでも、この家を守らなければならない。その強い覚悟がユイにはまだ理解できないのだ。
「努力するのは私の方よ。もっと色々見て、経験して、学ばなきゃね」

「…ユイ。そう言ってくれて嬉しいよ。お互いに無理のない範囲で学んで行こう」
「ええ。無理は禁物ね?」

 微笑み合った後、自然な流れで唇が重なる。ラウルとしてはその先を期待してしまう。
――…これ以上は、止まれなくなりそうだ…――

「早速無理をさせてはいけないな。ゆっくり休みなさい」
 ラウルは必死の思いで紳士的な振る舞いを貫いた。

・・・

 新堂のフォルディス家での生活はとても優雅だ。日々多忙を極める男には、ある意味休息の機会を得たようなものである。
 事情を知らぬ依頼人達からは、引っ切り無しにメールやら電話が入っている。
「申し訳ないが、今別件で立て込んでる。他を当たってくれ。またの機会に!」
 こんな会話はロシア語だ。そして先程は自らパリへ電話を掛けていた。

 少ししてドアがノックされる。

「はい、どうぞ」
「失礼します」
「ダンさん。何かありましたか?」
「ユイ様が気になさっているのですが…ここへ来る前のパリでのお仕事は、済んだ後だったのですか?」
「パリの仕事?」

 あまりに方々から依頼を受けているため、すぐに思い出せない。
「…ああ、あれか。問題ありません、今しがた経過を確認したところです」
「連れ去るようにして来ていただいたので、と」腑に落ちない顔でダンが付け加える。

――こちらとしては何ら不手際はない!やはりユイ様は甘いのだ。…もしや、この男に特別な感情でも?――
 またもこの疑惑が募り出す。

「ここへ来たのは自分の意思です。そうユイさんにお伝え…いや、診察の時にでも自分で言いますよ」
「そうして下さると助かります。それにしてもお忙しそうですね。くれぐれもここにいる間は、別のお仕事はされませんように」

 こんな言い草は仕事のやり方にケチを付けられたようで、新堂としては気分が悪い。
――そこまで指図される筋合いはない!――

「心配しなくても手は抜きませんよ」
「これはあくまでご忠告です。ラウル様は二重契約は好まれません。仮に明るみに出た場合に、先生の処遇が気になりましたので」
「それは…脅しか?」
「いえ。ご忠告、と申し上げたはずですが」

 新堂に対するダンの態度は相変わらずトゲトゲしかった。
「マフィアってヤツは、脅すのが商売だからな!」


 ダンが出て行ってすぐに、新堂はユイの休む部屋へ向かう。

「入るよ」
「ああ先生、ちょうど良かった。傷が痛痒くって…。何とかして!」
「治って来た証拠だ。診てみよう」

 室内に足を踏み入れた途端、様々な花の香りが鼻腔を突く。見渡せば部屋中に花が飾られている。
「これは凄いな…。お前、そんなに花が好きだったのか」
「違うの。まあ、嫌いじゃないけど。勝手に集まっちゃって!」
 部下達が入れ替わり立ち替わり見舞いに訪れては置いて行くのだと説明した。

「人気者だな!朝霧ユイは?」
「あら。妬いちゃった?先生」
「どうかな。さあ、傷を見せて」軽くあしらってから、緩やかに上体を起こしたユイに近づく。
 新堂がベッドの端に腰を落とすと、ユイが自ら着衣を捲った。

 細いウエストが露わになる。新堂の両手で一回りしそうに細い。包帯を解いて行くと、痛々しい傷口が現れた。
 それを見て、新堂の口から無意識にため息が漏れた。

「えっ、もしかして傷、悪化してる?おかしいな、ちゃんと大人しくしてるのに!」
「…ああ済まん、違うんだ。順調だよ。傷口に肉芽細胞が出現している。この後表皮細胞が増殖して、この肉芽組織が縮小すると傷が治る」
「難しくて分かんない!」
 しばし固まった後、新堂は素っ気なく返した。「とにかく順調に治ってる」
「あ~っ、投げたでしょ今、サジ!」

「うるさいな…痒み止めの軟膏でも塗ってやるよ」
「ねえ先生?それならさっきのため息は何?」
 二人の目が合う。新堂は何も言おうとしない。

「新堂先生ってば!」
「ああそうだ。俺の仕事を心配してくれたって?ダンさんから聞いた。パリでのオペはすでに済んでいた。経過も順調のようだから問題ない」
「そっかぁ、良かった。ここの人達の事だからさ、きっと無理やり連れて来られたんだろうなって思って。ほら、先生って忙しい人だし」

――あの頃だって…――
 ユイは母の手術を依頼した高校3年の頃を思い返す。なかなか掴まらない新堂にヤキモキしたあの日々を。

「ああ。忙しいさ。だから安静にして、早く治ってくれよ?」
「はぁ~い」
 気の抜けたようなユイの返事を聞き流し、新堂は先程のため息の源に目を向ける。
 視線の先はユイの中指の真新しいリングだ。エメラルドは今日も神々しい輝きを放っている。
「なあ。お前、フォルディスさんと結婚するのか?」

 二人の視線がリングに注がれている。

 ユイはその宝石にそっと触れながら答えた。「…それは私だけでは決められない。そうしたいと思ってるけど。何で?」
「ここがどんな家か知ってるだろ。危険じゃないかって意味だよ」
「先生にはもう迷惑はかけないわ」
「そうしたいなら、あの男はやめる事だな。その指輪も全然似合ってない」
「何よ、そんな事ないもん!先生のイジワル!」

 膨れっ面になったユイを見て、軟膏を塗りつける新堂の指に力が入った。

「いった~い…、もっと優しくやってよ。ホント意地悪ね」
「こんな傷作って…。ミサコさんが知ったら悲しむぞ?親不孝め」
「分かってる!でもさ、そこは大目に見てもらえると思う。お母さんだってマフィア選んだんだし?」
「…何だって?ヤクザの朝霧とは離婚したんだろ」
「うん。でも再婚相手もイタリアン・マフィアでしょ」

 絶句する新堂を見て、ユイはハッとする。「もしかして、知らなかった…?」
――別にいいよね?先生に秘密にしてるなんて言ってなかったし?――

「血筋って訳か!それなら何を言ってもムダだな」
「それにラウルは、その辺のただのマフィアじゃないから」
 銃弾から守るためにシールドを張れるし、念力で弾の軌道もずらせる。触れずに物も壊せる。
 そしてこの輝くエメラルドにも魔力が宿っているのだ。

 そんな事とは露知らずの新堂。
「ああ、ヴァンパイアだったか?まあ何でもいいさ。俺には関係ないしな」
「まだ言ってる…ラウルは人間です!先生こそ怪しいわ。血がなかったらオペだって無理よね?私の特殊なのに…どこで手に入れたの?それこそ魔法でパッと出したとか?」
「俺は魔法使いか!それはいい。そう思っててくれ」
「誤魔化さないでっ」

「ユイ」新堂が突然真面目な顔になる。
「…何よ」

「一つ忠告しておく。確かにお前の血液は希少だ。健康なうちに自己血のストックを作っておけ」
「血を溜めておくの?じゃ、今から!」
「聞いてたのか?健康な時って言ったんだが。ケガ人はまだ大人しくしてろ」
 面倒くさそうに言い放たれて、再び頬を膨らませるユイ。

「こんな可愛くない顔も、フォルディスさんは当然知ってるんだろうな?結婚するなら包み隠さず見せておけよ?」膨らんだ頬を指で突きながら言う。
「フンだ!先生のイジワル!大っ嫌い!」
「結構結構。では邪魔したね。何かあったらいつでも呼んでくれ」

 ユイは返事もせずに新堂から顔を背ける。

 そして一人になった部屋でわざと声を張り上げた。
「何よ、相変わらずヤなヤツ!」

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