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第五章 築き上げるカクゴ

39 守るべきもの(1)

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 小学校に上がった双子の弟達を前に、ヴァシル小4が中庭で講義を開いている。
「いいか?ラドゥ、シャーバン。男は女を守るものだ。特に大切な女性の事は、何があっても守ること!」
「ラジャー!」

 弟達が成長するにつれてヴァシルの兄としての自覚は高まり、以前のようなやんちゃ振りも見られなくなった。それは決して押し付けではなく自らの意思だ。
 こうして子は勝手に育つのである。

 兄の言葉に熱心に聞き入っていた赤毛の次男ラドゥと、濃いブロンドの三男シャーバンだが、当然このままでは終わらない。
「ねえヴァシ兄、大切な女性ってユイの事でしょ?」
「もちろん!マムは一番大切な女性だからな。ってラドゥ、いつも言ってるけど、外では絶対ユイって呼ぶなよ?」
「何で?ユイがそう呼んでほしいって言ってるよ」

「言ってたとしてもだ、親を敬うって意味でも!」
「うやまうってナニ?意味分かんな~い」
 ああ言えばこう言う屁理屈攻撃は、ヴァシルだけの特技ではなかった。
「ならさ~、名前で呼んだら敬ってないって事?」
「シャーバンまでっ…。オレだってユイって呼びたいさ!でもダーだって困るん…」

 ダドゥはいつしかダーに変化した。父の事は名前では呼んでいない。
 講義内容のほとんどは父ラウルからの受け売り。そのため突っ込まれると弱い。

 ヴァシルが窮地に立たされた時、救世主が現れた。
「私がどうかしたか?ヴァシル」澄んだ声が辺りに響く。

「ダー!…いつからいたの?」
 声に驚きヴァシルが振り返ると、テラスから父ラウルが顔を出していた。
「今だ」答えながらラウルは訝しがる。
――私の接近に気づかないほど、何を言い争っていたのだ?――

 他人の思考が読める人間を驚かせるのはかなり難しい。

「そう…。お仕事は?」
「今は特にない。ユイの方が忙しそうだな」少し笑ってラウルが答える。
「それは知ってる。手伝わなくていいの?」
「何分、私では力不足なものでね」

 ラウルは子供相手にも口調を変えない。そしてユイは息子達に自分を名前で呼ぶようにと命じている。おかしな両親だ。
 戸惑いながらも、賢い子供達は意見を出し合って自分達で答えを探す。

――よぉし、ここは一発解決だ!――
 父の答えに期待を込めてヴァシルが尋ねる。「ねえダー、ダーは子供の頃、マムの事何て呼んでた?」

 だがラウルは真剣に考え込んでしまう。「さあ…何と呼んでいたか」
「ええっ、覚えてないの?!」考え込む父を見て、ラドゥとシャーバンが声を揃える。
「父と母、だろうか」
「いやだから~、そうじゃなくって!」
 こんな受け答えはユイそっくりの調子だ。

 息子達が何を言いたいのか分からず、ラウルは首を傾げる。思考を読んでも理解できない。
――何を聞きたいのだろうか。そもそも何を言い争っていたのだ?――

 真っ先にこの思考を読み取りヴァシルが訴えた。「だから呼び方だってば!」
「名前で呼んだら敬ってないのかって話!」間髪を入れずシャーバンが続く。

 この三男はユイに似てせっかちな性格で、すぐに結論を出したがる。それもダークな方の結論を導き出すのだ。さすがはマフィア一家の子である。
 ほんの数分後に生まれただけで三男となってしまった彼は、密かに不満を持っている。
 対して次男ラドゥはおっとりした性格で、流れに任せるのが一番と中立的に物事を考える。

 双子と言えど対照的な二人だ。

 エメラルドグリーンとブルーグリーンの二組の瞳がラウルに向いている。父の答えを待ち侘びる小さき戦士達に、ラウルが結論を述べる。
「なぜ悩む?名前で呼ぶ事が最も敬っているだろう」
 それは、付き合いたてのユイに名前で呼んでほしいと常々訴えていた事からも本心である。

「だろ~!だから言ったんだ」とシャーバン。
「いつ言った?何でって質問しただけだろうが、お前は!」ヴァシルが透かさず返す。
「だからぁ~、僕はそう思うけど違うのかって意味だろ!頭ん中読んでる割りに何も分かってないな、ヴァシ兄は!」
「何だと?」

 ヴァシルとケンカになるのは決まってシャーバンの方だ。ラウルがここにいたお陰で、今回のケンカは大ごとにならずに済んだ。
 何せヴァシルはラウルに次ぐエスパー。いずれも短気な性格のためすぐに火が点く。
 怒りの度合いによっては何が起こるか分からない。今では多少の分別は付いたが。

「こら、お前達、ケンカするな。結論は出たのだ。この件はもう終わりだ」
「はぁ~い」
 決して強い口調ではない父の言葉にも、息子達は素直に従う。父を怒らせれば兄よりも怖いと知っているためだ。

 だがしかし。本当にこれで終わらせて良かったのか?そもそもラウルにこの手の一般常識を尋ねてはいけない。

 そんな常識知らずで向かうところ敵なしの父と、お茶目で破天荒な母の元で、息子達は今日も着々と成長して行くのであった。

・・・

「ねえラウル、仕事の事で相談なんだけど」
「今度はどこからの依頼だ?」
「ルーマニア政府」
「…は?」

 ユイの閃きから始まった警備事業Y・Aセキュリティは、今や大々的に運営されている。
 ラウルはこれに関わっていないが、ファミリーとも直結するような依頼先の場合は、こうしてユイが相談を持ちかける。

「今度海外から要人が来るんですって。その警護を依頼されたんだけど」
「それは役人の仕事ではないか。なぜ民間に?」
「今はどこも人手不足なのよ!いろんな所で民間に取って代わられてるわ」
「そうなのか」
 お国の内部事情などどうでもいいラウルはあっさり頷く。

「ねえ、引き受けてもいいでしょ?」
「先方はここがマフィアと知っての依頼なのだろう?」
「そりゃそうでしょ。フォルディシュティ家は代々この国に貢献して来てる。その辺のマフィアとは訳が違うわ」
「まあね」

 いつの代からかは不明だが、常に高額納税ベストスリーに名を連ねるフォルディス家。そういう意味ではマフィアながら善良な国民と言える。
 そんな理由もあり政府も警察も強くは出られず、少々の悪事は揉み消せるのだ。
 フォルディス一家が強くなった要因の一つである。

――他人の警護などなぜやりたがる?暗殺ならば話は別だろうが!…だが、ユイのこの生き生きとした顔は悪くない。好きにさせよう――

「やるからには失敗は許されないぞ」
「分かってるって!このユイ様に失敗なんてあり得ません」
「大した自信だな」
「当然でしょ。だって警護担当するのラウルの部下だもん、ご自慢のね?」
 その通りだ、とラウルは笑った。


 このように依頼先は今や裏社会からだけではなくなった。
 あの敏腕女スナイパー、ユイ・アサギリ監修の警備会社とくれば当然注目が集まる。実績も増え実力が証明された今、表裏問わず顧客は増え続けている状況だ。

「何っ!?あのユイ・アサギリがセキュリティー業界に参入?殺し屋から足を洗ったという事か」
「最近とんと活躍が耳に入って来ないと思ったら」
「何でも、どこぞのワルと結婚したらしいぜ!」
「へぇ~。ヤツも所詮女だったか、つまらん」
「しかし!散々殺して来たヤツが、今度は警護だ?ふざけてるとしか思えんな」
「だが、プロ目線でどこから狙われるかは一目瞭然。つまりガードするのもお手のものって事だ」

 会った事もないユイ・アサギリに対して、こんな噂が立っては独り歩きする。

「なあ!依頼したらユイ・アサギリに会えるんじゃないか?オレ電話してみよっと…」
「あっ、俺が先にしようと思ったのに!」
「何を言う、それは俺のセリフ!」
「こらお前等、抜け駆けするなぁ!」

 こうして今日もY・Aセキュリティには冷やかし紛いの電話がジャンジャン掛かっている。電話に出るのはユイではないし、現場にユイが行く事はない。
 彼等の思惑とは打って変わって、全く女っ気のない会社である。
 あくまでユイは相談役だ。難易度の高い警護の際に綿密な計画を練り、場合によっては現場に出向いた者達に取り付けたカメラ映像で、ライブ視聴しつつ指示を出したりもする。

 そんな訳でユイは今、この家に来た当初の暇すぎる日々とは真逆の、多忙な生活を送っている。
 一方マフィア・フォルディスは、これまでメインだった闇取引からは完全に足を洗ったため、出向く先と言えば定期会合と、懇意にしているファミリーとの交流くらい。ラウルは一転して時間に余裕ができたが、子供達への見栄もあり、暇している姿を見せる事はほとんどない。

 この日の夕食はラウル抜きで4人で摂った。こんな日も週に二、三度ある。

 夕食後の団らんの時間。ヴァシルがユイに尋ねる。
「ねーユイ、作文書かなきゃなんないんだけど。ダーのお仕事ってマフィアって書いていいでしょ?」

「ぶっ!!ダメに決まってるでしょ~がっ」思わず吹き出すユイ。
「何で?学校の皆も知ってるよ?」
「知っててもダメです!」
 奥方ユイは食器の後片付けをする必要もなく、大いに寛いでいたところのこの質問。仰け反って驚いている。

 そんな母の様子に、双子達も加わって騒ぎ出す。

「僕知ってる!マフィアって、サングラスして拳銃持ってる人でしょ。家にいっぱいいるもんね」
 シャーバンが自慢げに語るも、ラドゥが指摘する。
「でもダーの拳銃は見た事ないよ。持ってないのかも。ならマフィアじゃないじゃん」
「バカ言うな!いいか、ダーはマフィアのボスなの!親戚の叔父さん達だって皆そうだろ。ねえユイ?」ヴァシルは勢い良く言って同意を求める。

「え?ええ…」
――う~ん、ここは否定すべき?でも思考読まれたら嘘はバレるし…――
 兄ヴァシルを通せば双子にも筒抜けになる。無言の意思疎通は、頻繁に行われているのだ。

 ユイの迷いを読み取った、3兄弟中唯一のエスパー、ヴァシルは言う。
「やっぱいいや。作文の事はダーに直接聞く」
「待って、聞かなくていい!そうだ、私の方のお仕事書いたら?その方が分かりやすいでしょ!」
「ユイの仕事は知ってる、守る仕事だよね!」
「そうよ」
「でも父親の仕事ってテーマなんだけどなぁ」

「だから、母の仕事は困ってる人を、父は家族を守ってます、でいいじゃない」
「そっか。そうだね!ナイス・アイディア、ユイ!じゃあそうする」
 納得してくれた息子に微笑んで、ユイは安堵のため息を付いた。
「父がここにいなくて良かったわ…」

 ラウルはありのままを書けと言うだろう。最後に高額の税金を払っていると付け加えれば問題ないと!
 それで済むのは大人の世界だけの話である。

 ホッとしたのも束の間、ユイにラドゥの一撃が飛んで来る。
「ねえ、話戻るけどさ、ユイは拳銃持ってるからマフィアって事だよね?」
「んなっ!…何で知ってるのよ、ラドゥっ」
「それってユイのお守りってヤツでしょ。みんな知ってるよ。ダーもダンもヴァシ兄も。ねえ?」

――ちょっとちょっと!一体誰が教えたの?――
 メンテは子供達が確実に寝たのを確認してからするし、地下の射撃場でしか抜かないようにしている。それなのにバレていた事にショックを隠せない。
 ユイは疑惑の目をヴァシルに向ける。

 そこには、悪びれもせず暢気に笑う顔があるだけだ。ユイに視線を向けられたヴァシルは、ハタと考える。
「けど待てよ、ユイは守る仕事してるんだろ。…え、それってどっちなの?マフィアって誰か守ってるっけ?」
「ボスの事は守るよね」とラドゥ。

 次に室内に響いたのは、辛辣なシャーバンのコメントだった。
「マフィアは守らない。殺すのさ。ユイだって拳銃持ってるなら殺す方だろ?」

――何て冷酷な…ラウルに似たって事でいいのかしら?こういう砕けた言い方はしないけど…何かシビレる~っ――
 恐ろしさと愛おしさが入り混じる中、気を締め直してユイが口を開く。
「ヴァシルの言う通りよ。私は日本にいる時から、ずっと守る仕事をしてるの」

 ユイが語り出した時、ラウルが部屋に近づいていた。
 子供達だけがそれに気づいている。

「いい?拳銃を持っているだけで、殺人犯扱いしてはダメ。それじゃお巡りさんはどうなるの?軍隊は?守るために持っている人も大勢いるのよ」
――ここにマフィアは加えられない。どうか突っ込まないで…!――
「ユイもそうなんだね」ラドゥが真っ先に答えた。
「そうよ。分かってくれてありがとう、ラドゥ。シャーバンは?分かってくれた?」

「…」
 だがシャーバンは答えない。拳銃が殺すための武器だとの認識が、間違っているとは思えず納得できないでいるのだ。

 ちょうどこの時、ラウルが部屋の前まで到達した。

 会話は全て聞いていたラウルは、すぐに話に加わる。
「シャーバン。お前の考えも間違っていない。実際拳銃は人を傷つけるための武器だ」
「ラウル!お帰りなさい、食事は?」
「ただいま。済ませた。説明は私が代わろう」

 ユイは隣りに座ったラウルの耳元で小さく礼を言うも、内心不安でいっぱいだ。
――何て答える気?心配だわ…――

「大切なものを守るために、犠牲を伴う事もあるという事だ」
「ええっ?ラウル、そういう事じゃなくてさっ」
――予想的中!傷付けるの前提?私が言いたいのはそうじゃないんだけど!――

 だが不満顔だったシャーバンは、一転して晴れ晴れした顔になっている。
 そして沈黙が流れる。男達だけの会話が行われているのだ。

「ちょっとまた?私にも分かるように、ちゃんと声に出して話してくれる?」
「ユイ。心配ない、シャーバンは分かってくれた。おまえのマフィア疑惑も払拭されたよ」
「ゴメンなさいユイ。でもこれからは、ユイが拳銃を持つ必要はないよ、ダーが守ってくれるんだから」シャーバンは得意げな顔で言った。

――ほら~っ、間違ってる!なんか間違ってる!――

「これからはお前達も母を守るのだぞ。護身用の拳銃は時期が来たら渡す」
「やったぁ!時期っていつ?ねえダー!」
「ラウルったら、そんな約束して!それじゃこの子達がマフィアになるの確定じゃない?」
――やっぱりラウルが話したのね、私のコルトの事――
 あっさり子供達に拳銃所持を約束した事で確信に至る。

「そうではない。私は護身用と言ったのだが?」
「あのね、護身用でも、普通の人は持ってないの!」
「そうなのか?」
 真顔で問い返され、ユイは呆れてものが言えなくなった。もちろん今の頭の中は空っぽだ。

「ユイの考えが何も読めないっ、凄いよユイ!それも超能力?」
「…ヴァシル?今さり気なくバカにしたでしょ」
 瞬間的に放たれたユイの怒りのオーラに、ヴァシルだけが反応する。3人の中で一番ユイに怒鳴られてきた彼は敏感なのだ。
「えっと!それじゃボク作文の課題やりに行こっと」

 そそくさと消えて行った兄の背中を、ポカンとした顔で見送るラウルと双子達。

「そうだわ。いい事考えた!拳銃なんかよりも手頃で有効な自衛手段を、このユイ様が伝授してあげようじゃない」
「何それ!カッコいいヤツ?」男児はカッコいいものが大好きである。
「かなりね~」
「教えて教えて、ユイ!」
「ならば私も…」子供達に便乗し身を乗り出したラウル。
「え?ラウルも護身術?」

 ユイの指摘を受けて、言葉の続きを飲み込んだ。
――以前から仲間に入りたいと思っていたのだ。いい機会だと思ったが…やはり断られるだろうか――

 ユイは戸惑う。何しろラウルの実力は未知だ。射撃の腕さえエスパーの力によるものか判別できていない。
――強いのか弱いのか分からないこの人の実力が、これで分かるかも?――
 面と向かって確認する訳にも行かず、これまで明かされなかった謎。ユイにとっても思わぬ好機が訪れた。

「いいわよ、ビシビシしごいてあげる!覚悟して?」
「それは楽しみだな」ホッとして笑顔になるラウル。
 この二人のやり取りを見ていた子供達。
「ねぇ…、夫婦でイチャイチャするなら寝室でやってね?」
「僕ら、さすがに見てらんないから!」
 こんなマセたコメントに固まったのはユイだけ。

「言われなくてもいつも寝室でやっている」
「ラウルっ!それ言わなくていいからっ」

 恥じらいという感情は、まだラウルにはない。いや、この先も永遠にないままか。


 就寝時刻となり、ユイとラウルはいつものように同じベッドに入る。

「ねえラウル。シャーバンの事…少し心配になっちゃった」
「何がだ?」
「あの子、時々過激な事口走るでしょ。ほら、さっきも…拳銃は殺すもの、とか」
「まあ…子供の口にする言葉とは言い難いな。だが間違ってはいない」
「そうだけど!ラドゥはあんなに穏やかなのに。双子でもこうも違うのね」

 横たわったユイをラウルが後ろから抱きしめる。

「私はそれぞれの個性を尊重したい。ユイは違うのか?」
「私も尊重するわ。度を越えて行かなければ」
「まだその段階ではない。見守って行こう」
「ええ…そうね。じゃ、お休み!」抱きしめてくる腕を解いてしまうユイ。
 寂しさを覚えてラウルが尋ねる。「…ユイ、今夜もなしか?」
「なし!お休み!」

――息子達にあんなふうに言われてるっていうのに、よくやる気になれるわね!――
 寝室でいつもイチャついていると、堂々と答えたラウルが信じられない。ユイはちょっぴりご機嫌斜めだ。

 そんな事とは露知らず、なぜ断られたのかラウルは考える。
――体調でも良くないのだろうか?二晩連続でお預けは少々堪えるな…――

 今も健在の旺盛なあちらの欲を抑えるのに、一人苦戦するラウルであった。

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