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第五章 築き上げるカクゴ

40 誘拐事件(4)

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 ライジング・スターのアジトでは、引き続き会合のライブ映像が流されている。

「フォルディスのヤツ、なかなか発言しないな」
「態度も全く変わらない。ああぁ!本当に忌々しい。アイツ、状況分かってるのか?」
 交渉前と何ら変わらない様子で足を組み、寛いだ姿を見せているラウル。

 当然そんな父の姿をシャーバンも見ている。

――ダー…。全然気にしてないみたいだ。オレの事が心配じゃないの?跡継ぎはヴァシ兄だから関係ないって事?――
 先程まで保っていた強い心が途端に萎んで行く。
 涙が溢れそうになり、すぐに鼻を啜って誤魔化す。

「おいガキ!お前、オヤジに見捨てられたかもなぁ」
「長男狙えば良かったんだよ。何でよりによって次男なんだ」
「いや待て、そいつは次男じゃない。…三男だ」こんなセリフはどこまでも落胆した様子で語られる。
「何だよ三男かよ!ったく何人ガキがいるんだ?ダメだ、計画を練り直さないと…」

「なら目障りなコイツはもう用済みか?」
 一気に話が悪い方に転がる。

 数々の心ない言葉に、シャーバンは悲しみと悔しさで張り裂けそうだ。
――オレだって…、オレだって好きで三男なんかやってないさ!…ダーはヴァシ兄の方が大事なんだっ――
 こう心で叫んで小さな拳を強く握る。

 その後も会合は滞りなく進み、最後のテーマが掲げられた。それに冷やかしを入れるメンバー達。
「今後の展望、だとよ。古株同士で話し合っても何も変わらんだろうが!」
「我々を迎え入れていれば、その展望は間違いなく開けたのにな」

 やがて閉幕となり、その場の空気は凍り付く。

「…おい。フォルディスのヤツ、本当に何の発言もしなかったぞ。どういう事だ!…野郎、ふざけやがって」
「俺達が行動に出ないと思ってるんだろう。どうせそいつは三男だ、殺してもヤツにダメージは与えられないだろうが、腹いせに殺っちまえ!」

――…もうここで終わるんだ。最後にユイに謝りたかったな…。ラドゥは無事に帰れたよね?ヴァシ兄、ダーとユイを頼むよ…――

 シャーバンが覚悟を決めたその時、上空に轟音が響き渡った。

「何の音だ?ヘリか?この上で止まってるような…」
「おい、誰か見て来い!」
 一人が部屋を飛び出した直後、地響きがして建物が大きく揺れた。一角に攻撃が加わったのだ。
「なっ、何だ?!まさか上から攻撃されてる?」
「バカな!こんな夜更けに空爆って…どっかの国の軍隊かよっ」

 音はどんどん近づいて来る。天井に割れ目が入り、ポロポロとコンクリート片が落ちて来る。
 そして重い扉が轟音を立てて飛び散った。
 その先に立っていたのはスキンヘッドの大男だ。

 舞い上がる埃の中、その見覚えのあるシルエットに向けてシャーバンが叫ぶ。
「…ダンなの?ダン!」

「シャーバン様、お迎えに上がりました」
 ダンの目に頬を腫らした小さな少年の姿が映り、すぐさま縛られたロープから解放する。
――何というお姿…、クソ、こいつら皆殺しだぁ!!――
 ユイを見習って冷静さを心がけていたダンだが、痛々しすぎるシャーバンの姿を前に全て吹き飛んだ。

「おのれ、半グレ共!よくもフォルディス家の大事なご子息をこんな目に…!」
「何だお前!バズーカ砲なんて家ん中でぶっ放すなよっ」
 シャーバンを背にしてバズーカ砲を構えたダン。
 だがヘリからの攻撃はほぼ真上に達し、部屋の天井が崩れ始める。
「クソっ。ユイ様、破壊のペースが早すぎでは!もう少し待ってくれても…時間がありません、シャーバン様立てますか?脱出しましょう」

「う、うん…、ユイも来てるの?」
「はい。ユイ様がいなければ、私はここに辿り着いておりません」
 おぼつかない足取りのシャーバンを見て、ダンは失礼します、と一言断ってから抱き上げる。

 そしてバズーカ砲で壁をぶち抜いて外へと進む。
「シャーバン様、耳を塞いでおいてくださいっ!」
「言うの遅いよ!」
「これは失礼しました」

 二人が脱出した事は、ヘリに同乗するヴァシルによってユイに伝えられ、その後まもなくこの建物は完全に崩壊した。

 崩れ去った建物のすぐ横に着陸したヘリから、真っ先にヴァシルが降り立つ。
 ダンに支えられて辛うじて立っているシャーバンを見つけて駆け寄る。
「シャーバン!無事か?」
「ヴァシ兄…オレっ、もうダメかと思ったよ…っ」
「泣け泣け、思う存分。良く頑張った、ラドゥの事庇ってくれたんだってな。偉いじゃないか、さすがオレの弟だ!」

――ヴァシル様…っ、何とご立派なお声掛け、まるでラウル様のお言葉を聞いているようです!――
 ダンは感激のあまり涙を流す。土埃に塗れた頬に、黒ずんだ涙が一筋流れ落ちた。

「ダン、良くやったわ。救出大成功ね」
「ユイ様、攻撃が早すぎます!お陰で敵を仕留められたか確証が…」
 ダンがここまで行った時、ヴァシルが叫んだ。
「ユイ!あっち!気をつけて!」
 示された方角には、がれきの山と化した建物がある。

 辛うじて一人生き延びた組織の男は、息子ではなくラウルの妻に標的を移していた。

「油断してたぜ、まさかこんな過激な女がフォルディスのバックにいたとはな。それでこそ、あのガキの生意気さにも納得ってもんだが…」
 殺気と共に銃口をユイに向ける。
 ボス・ラウルが不在ならば、手を出される事はないと踏んでいたのにこの様だ。

 計画は全て失敗に終わって、男の怒りが込み上げる。
「予定変更だ、あの女を殺す。フォルディスに関わった事を悔やむんだな。どんなに冷酷な人間でも、愛する者の死はさぞや痛手だろうよ!」
 妻を亡くしたショックで自滅してくれればとの願いもあった。

 あまりにも浅はかな考えである。ユイ・アサギリはそんな生半可な狙撃では倒せない。

 男の視線の先にいるユイは、不敵な笑みを浮かべる。
「ふふっ、案の定、死に損ねてたみたいよ」
 ユイはダンに世間話でもするように言うと、定位置の腰元からコルトを抜き左手に構える。
 そして一発の銃声が響き渡った。

「ヴァシル、忠告ありがとう」
「どういたしまして!見事命中だね。ユイ、めちゃカッコいいよ!」
 軽く肩を竦めて笑うユイ。その視線をシャーバンに送る。まだ抱き寄せられる位置までは近づいていない。
 視線を向けられて、シャーバンが声を出す。
「…ユイ、あの、」

「シャーバン。ケガは大丈夫?帰ったらすぐに手当てをしましょう。ダン、ホームドクターを呼んでおいて」
「かしこまりました」
「色々と言いたい事はあるけど…もう遅いから、取りあえず帰りましょ。皆、早く乗って。夜が明ける前に帰らなきゃ」
「何で?」
「堂々とは飛ばせないのよ」

「え~何で?ねえねえ!」
 ラドゥは来る途中の機内での豪勢な軽食を含む手厚い介抱によって、すっかりいつもの元気を取り戻している。
「さっきまであんなにゲッソリしてたのに!タフね~」
「ユイ様のお子様なのですから当然でしょう」

 さすがにシャーバンは静かだ。それが気になるユイだが、帰宅が先だ。
 上空に舞い上がった機体は、方向を定めてスピードを上げる。

「ねえヴァシル、シャーバンの事見ててね。早くドクターに診せたいわ。どこをケガしたか分かればいいんだけど…」
――ここに新堂先生がいたら…――

 こうユイが思った時、ヴァシルが言った。
「分かるよ」
「え?それホント?ヴァシル」
「うん。命にベツジョウはない」
「なら良かった、って…そんな言葉、どこで覚えたのよ!」
 前方から目を離して、ユイがヴァシルを振り返る。

 ヴァシルは自慢げな顔でユイを見た。そして声のボリュームを上げて訴える。
「ね~それより、オレも何か食べたい!ダン、用意しろ」
「はっ、承知しました。しばしお待ちください」
「ちょっとヴァシル!しろ、じゃなくて、してくださいでしょ。それとダンも疲れてるんだから、休ませてあげて」
「ユイ様、お気遣いは無用です。これが自分の役目ですので。命令口調で結構です」

「だってさ!分かったか?ユイ」
 そんなヴァシルの言い草はラウルに良く似ていて、ユイは返す言葉がない。

「はぁ…」
 思わずため息が漏れた。
――とにかく良かった。皆無事に家に帰れる――

「ユイ様こそお疲れのご様子。操縦、代わって差し上げられたら良かったのですが…」
「ふふっ、さすがのダンもヘリの操縦はお手上げか」
「…はい。ですが今からでも免許を!」
「そんな時間取れないでしょ。パパさん?」
 ダンが小さくなって頷いた姿は、機内が薄暗かった事と操縦に集中していた事により、ユイには見えていなかった。

 安定したスピードで飛行を続ける中、ユイが左胸に手を当てて顔をしかめた。
 後方では照明の元で子供達が暢気に騒いでおり、誰もユイを気にかけていない。これに気づいたのは、暗がりに目が慣れていたダンだけだ。

「ユイ様、どうかされましたか?」
「え?何が?何もないけど」
「…それでしたら結構ですが」
――今心臓の辺りを気にされたように見えたが…。気のせいか――
 日頃ラウルが気にしているだけに慎重になったダンだが、ユイの明るい声を受けてすぐに考えを改めた。


 そうして屋敷に帰り着いたのは深夜だった。
 ラウルへの一連の報告はすでにダンが終えている。

「ヴァシル、ラドゥ、疲れたでしょ。機内でもずっとはしゃぎまくりだったし?今日はもう寝なさい」
「ボクお腹空いた~」
「ラドゥったら。さっきヴァシルと二回目食べてたでしょ?こんな時間だからもうダメ。明日起きたらいくらでもあげるから」
「はぁ~い」ラドゥは半分寝ているような目でユイを見ながら答える。

――寝ぼけてるじゃない…。夢の中で食べてね!――
 ラドゥの専属メイドが寝室へと誘導するのを見守りながら、心の中で告げた。

「さあ、シャーバンはドクターに診てもらおうね」
「ユイ…側にいてくれる?」
「もちろん。一緒に行きましょう」

 シャーバンを連れてユイが出て行くと、ヴァシルはダンに言う。
「ねえ。シャーバン、本当はダーの後を継ぎたいみたいだよ」
「ああそうですか。っ、…今何と?!」
「そう思ってるみたい。聞こえちゃったんだけど、言わない方が良かった?」
「いえ…、この件はダンに預けていただけますか?」
「うん。いいよ!じゃ、お休み!」
「お休みなさいませ」

――何だと?シャーバン様がボスの座に?考えもしなかった!これはラウル様に急ぎ報告を…いや、まだよそう、真実かも分からん――
 散々誤認しているダンは思い直す。
――しかしヴァシル様はどうなのだ?それを知ってもあの素っ気なさ…。興味はないという事か?――

 後継第一候補にその気がないとなれば、シャーバンにも機会はやって来る。
 だがここで三男という壁が立ちはだかる。これはまさに次男ルーカスと同じ状況ではないか。歴史は繰り返す、とは良く言ったものである。
 そのシャーバンは早くも壁にぶち当たっている。三男の自分は、この家に必要ない人間なのかもしれないと。

 診察を受け、頬と腹部の打撲、手足の擦り傷の手当てを受け終えたシャーバンは、張り詰めた表情で俯いたままだ。

 そんなシャーバンに、ユイは優しく声を掛ける。
「大したケガじゃなくて安心したわ。さあ、あなたも休みなさい」
「…ユイ、今日だけ、一緒に寝たい」
 子供達は3歳まで夫婦の寝室で共に寝ていたが、4歳からはそれぞれの部屋で一人で寝ている。

 子供達がこんな事を言い出す事も時にはある。
 だがシャーバンに限っては別だ。大人びたところのある強がりの彼は、ユイが誘っても断るくらいなのだ。

 驚きのあまり返事ができなかったユイだが、シャーバンは拒絶と取った。
「っ!オレ、何言ってるんだろう?今の忘れて!じゃ、お休み…」
「待って。いいわよ。一緒に寝ましょ、私もラウルがいなくて寂しかったから、嬉しいわ」
「ホント?」
「ええ。来て」
 ユイは笑顔で寝室にシャーバンを迎え入れた。

――ユイは、ユイだけはオレを認めてくれてる。そんな気がする――
 シャーバンはユイと共に大きなベッドに収まる。
 温かな母の腕に抱かれ、その胸に顔を埋めて大きく匂いを吸い込む。知らずのうちに、涙が溢れていた。

 泣いている事に気づいたユイは、勇敢な幼い息子に優しく語りかける。濃いブロンドの髪を撫でながら。
「今日は本当に頑張ったわね。シャーバンは強いわ。私、凄く嬉しかった」
「ねえユイ…?正直に、答えてね」
「何かしら?」

「ダーが一番大事なのは、ヴァシ兄でしょ。…だからオレは、オレはっ…」
 鼻を啜りながら途切れ途切れに口にするシャーバン。あの男達の声が今も頭から離れない。
「オレは、何?思ってる事、全部話して。私もちゃんと答えるから」
「オレがいなくなっても、ダーは困らないよね…。ヴァシ兄もラドゥもいるし」
「どうしてそう思うの?」

 シャーバンは今日目にした巨大スクリーンの中の父の事を話した。

「そっか。それを見て、シャーバンは悲しくなったんだ」
「だって!オレの事なんて心配してなかった。全然、気にしてなかった…どうでもいいからだろっ?」小さな拳でユイの胸を叩いて訴える。
――ユイは嘘は言わない。もしそうだって言われたら、オレはどうすればいい…?――

 何かを懇願するブルーグリーンの瞳が、月明かりに反射して光る。
 ユイは当てられた拳を両手で包み込んだ。

「そう見えるよね~。あの人、そういうとこあるのよ!」
 憤りを隠しもしない意外な物言いに、シャーバンが一瞬呆ける。「…え?」
「私も付き合いたての頃、ずっと不満に思ってた」ユイは苦笑しながら語る。
「ユイも?」
「ええ。何せその事で大ゲンカしたんだから?ラウルは…あなたの父はね、感情表現がズバ抜けて下手なのよ!」思わず語りに力が入るユイ。

 シャーバンは真剣に聞き入る。

「心の中では叫んでたはずよ。怒りに打ち震えていたに決まってる。でもあの場でそれをすればどうなると思う?」
「…部屋が壊れる?」
「そう。もしかしたら、建物ごと吹き飛ぶかもね」
「そんなに?」
「そんなに!それだけあなたの事が大切だから。愛しているからよ」

 そう言われてもまだ信じがたい。シャーバンは考え込む。

「それに、あの場でダーが取り乱した姿を、あなたは本当に見たかった?想像してみて。その大画面に、いつも冷静でカッコいいダーが泣きわめいてる姿!」
「…それ、ちょっとヤダ」
「でしょ?世界中の人が見てるんだもの、カッコいい姿を映してもらわなきゃ!」
 若干話が違う方向に行きそうだが、シャーバンにはその方が納得できた。さすがはユイの息子である。
――そうだ、オレのダーは世界一強くてカッコいいんだ!――

「まあ、あくまでこれは私の見解だから。本当のところは本人にしか分からない。だから、ダーが帰って来たら自分で聞きなさい」
「でも…」
――怖い。怖いよ…――

 シャーバンの心を察してユイが言う。
「いい?ラウル・フォルディスという男はね、必要のないものをいつまでも側に置いておくような人間じゃない。いらないものはすぐに捨てる」
「え…」
「これだけ大事に育てられてるあなたが、必要ないっていうの?本当にいらなかったら、生まれた瞬間に捨ててるわ」
 さすがに殺しているとは言わないが、これでも十分容赦のない言葉だ。

 シャーバンは息をのむ。「瞬間に、捨ててる…」

「中には子供を大事にしない親もいるんだろうけど。少なくとも私達は違う。愛する人との愛の結晶のあなた達は、3人とも同じように大切で、比べる事なんてできない」
「でもヴァシ兄は超能力もあるし、一番上だし…同じじゃないよ!」
「そう。それぞれにいい所と悪い所がある。でもそれでいいのよ。ヴァシルになくてシャーバンにあるものだってあるはずよ?3人で補い合って、この家を守って行くの。一人でも欠けてはダメなのよ」

 こう言われたが、自分にある兄に勝てる何かは全く想像がつかない。

「シャーバンは、お兄ちゃん達の事キライ?」
「え?全然!大好きだよ。ラドゥは兄貴って感じじゃないけど。ヴァシ兄は頼りになるし面白いし。何でそんな事聞くの?」
「ううん。…なら良かった」
 こういう所から兄弟の亀裂が生まれるのだ。それを心配したユイだが、シャーバンの答えを聞いて安堵する。

「さあ、思ってる事はこれで全部?そろそろ寝ない?ふぁ~あ…私、眠くなってきちゃった」
「うん…オレも…」

 その直後、二人は同時に寝息を立て始めたのだった。

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