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第六章 揺るがぬココロ
44 宣告
しおりを挟む病室のベッドに横たわり、点滴と共に過ごす毎日というのはあまりに退屈だ。
取り分けじっとしていられないタチのこの女は、この主張を繰り返す。
「ねえ!もう帰りたいんだけど!」
そしてダンが即答するのだ。「いけません」
「何でよ。新堂先生が着いてからまた来ればいいじゃない。緊急じゃないって分かったら、どんだけ待たされるか分かったモンじゃないんだから」
「ユイ様はお食事が摂れない状況なのですから、仕方がないではありませんか」
ユイは付き添いで傍らに居続けるダンと今日も言い合う。
一時深刻な体調不良に見舞われたユイだったが、適切な栄養補給と酸素の投与によって劇的回復を遂げ、こうして元気な言い合いができるまでになった。
強制的に入院措置を取ったラウルの判断は正しかった。
だがしかし。恩恵にあずかりながらも当の本人は不服だ。
「だって先生は3日って言ったんでしょ?もう5日目よ?」
「今抱えている患者に何か問題が起きたのでしょう。今晩にでもラウル様が確認を取られるそうですので」
「確認なんていいから家に帰して!」
この騒がしい病室の前で、上質な革靴の床を進む音が止まる。
扉が開き、高級スーツを着こなした男が顔を出した。
「思ったよりも元気そうだな」
現れたのは新堂だった。
言い合いに夢中で気配を感じ取れなかったユイは大いに驚く。
「新堂先生!来てたの?いつ?」
「今着いた。遅れて悪かったな。向こうで少々問題が起きてね」
「だから言ったでしょう。良いタイミングでご登場いただきありがとうございます、ドクター新堂」
このコメントに、ユイがダンに向けて舌を出す。
「ははっ、10年経っても変わってないな!おまえ」ユイを見て新堂が笑う。
「先生だって全然変わってないよ?あ、髪の色が少し褪せた?」
新堂の髪色は元々黒ではなく微妙なブラウンだったため、白いものが混じっても目立っていない。
「褪せたって…嫌な言い方だな!」
「ねえ、ラウルは?」廊下の方を見ながらユイが問う。
「ああ、フォルディスさんは誰かを迎えに行くとかで、俺を降ろしてからまたどこかへ向かったよ」
「誰かって?」
「良く聞き取れなかった。仕事関係の人じゃないのか」
「ふう~ん。で、ダンは行かなくていいの?」
「さては私を追い出して二人きりになりたいと?」
「そっ。分かってるなら出てって!」
鬼のような形相を二人に向けたダンだが、大きなため息の後、あっさりと病室を出た。
さすがに結婚10年ともなれば、ユイのラウルへの愛を疑う余地はない。
――単に俺が鬱陶しいだけだろう?悪かったな、こっちだって仕事だ!――
二人だけになった病室で、ユイが両手を掲げて自由をアピールする。
「や~っと解放された!あの人、私にずっとべったり張り付いてるのよ?ウザいったらないわ」
「ははっ、お前等も相変わらずだな。で?妊娠してるって聞いたが。今何週目だ」
「10週目。つわりが全然ないの。これって変じゃない?」
「別に変じゃない。感じないほど軽微な人や、全くない人もいる」
「そうなんだ。こんなの初めてだからさ~、心配してたの。病気のせいかも、とか…」
ユイが初めてと言ったのは3度目にして初という意味だが、新堂は妊娠が初めてと受け取る。
「早速だが、心音を聞かせてくれ」
「うん」
「加えて言うと、心疾患のせいでつわりがなくなるというのは考えられない。逆はあるだろうがね」
「そっか。逆って酷くなるって事?うわ~サイアクっ。なら、そうじゃなくてラッキーだったのか」
「そう思っとけ」
静かになった空間で、新堂が聴覚に意識を集中させる。頭の中で心臓の部位を想像して、微細な音の違いを聞き分けて行く。
「先生、何か分かる?」
「しっ、静かに…」
ごめんなさい、と声を出さずに言ってから息を潜めるユイ。
「呼吸を止めるな、普通にしてろ」
「あ…はい!」
――何だか緊張するっ…ムダにドキドキしちゃうじゃない?――
長い時間をかけて聴診していた新堂がようやく体勢を起こした。
堪らず前のめりになって問いただすユイ。「どうだった?」
新堂はユイの顔を観察し続ける。それはどこまでも医者の目であり、甘さはどこにもない。
無言を貫く新堂に、ユイの緊張はさらに高まる。
それが引き金となったのか、左胸に鈍い痛みが走った。
「んっ…」
「痛むのか」
「少し。…先生が怖い顔で睨むからよ」
「おいおい!俺のせいか?」
「なら黙ってないで何か言ってよ!こっちは不安で不安で…っ」ユイの目から涙が零れ落ちた。
「悪かったって。泣くなよ」
ユイの鼻を啜る音が病室に響く。新堂はそっと肩を抱き寄せて背中を擦ってやる。
こんな最中、今度はこの病室の前で複数の足音が止まった。
そして勢い良く扉が開く。
不意を突かれた二人は、半ば抱き合った体勢のまま扉の方へ目を向けた。
「ユイ!その人誰?何で知らない男と抱き合ってるの」
「ユイ、泣いてるの?どこか痛いの!」
「その人に泣かされたの!ユイ!」
入って来たのは3人の息子だ。
新堂は慌てもせずユイから離れると、3人の男児をまじまじと眺める。
「親戚の子か?ユイは人気者だな!しかしどの子も相当なイケメンじゃないか、さすがはフォルディス家の…」
新堂の言葉を遮ってヴァシルが言い放つ。
「親戚じゃないよ、ユイの子だよ、オジサン!」
「そうだよ。オジサンこそ誰?」
「ユイに馴れ馴れしくするな!ダーに言いつけるぞ」
ラドゥとシャーバンも続く。
立て続けにオジサン呼ばわりされた新堂は、その呼び名に慣れておらず軽いショックを受けている。
――お、おじ、さん…。ああ、年を感じる…――
40半ばが子供にお兄さんとは呼ばれまい。
「あなた達、失礼よ?この人は私の主治医の新堂先生。ちゃんとご挨拶して」
ユイの言葉に、子供達が怪訝な目を向けながらも挨拶を始める。
「長男、ヴァシル・フォルディスです」
「次男ラドゥ・フォルディスです」
「三男シャーバン・フォルディスです」
「おお…すでに3人もいたのか。俺はてっきり今回が初産だとばかり…」
「まさか!結婚して何年経つと思ってるの?そんな訳ないでしょ~」
ユイの言い分にすんなりと納得する新堂。
――言われてみればそうだ。あの性欲の塊のフォルディスだぞ、そんな訳ないよな!ははは…――
「きちんと挨拶できて偉いな。オジサンは、新堂だ。ユイの学生時代から主治医をしてる、で、いいよな?」
ユイに確認を取りながら語る新堂に、ヴァシルがさらなる疑惑の目を向ける。
――怪しい…何でユイに確認するのさ。嘘なんじゃないのか?絶対に何かある!オレに隠し事はできないからな?――
そして新堂の心を読みにかかった。
今新堂の中にあるのは、出会った当時の複雑な関係性についてだ。そして膨大な医学用語の羅列。どちらもヴァシルには理解不能である。
――うゲッ、何だこの人…本当に人間か?――
いずれにしても、やましい感情は一切ないと分かった。やましい感情とは、濃厚なキスやらベッドでもつれ合う類のものである。
ラウルとユイの頭の中を散々覗いているヴァシルは、当然そんなシーンも見ている。
10歳にして勝手に性教育を受けているようなものである。
「ねえ?ラウルは?」ユイがヴァシルに問う。
「すぐ来ると思うよ。誰かと電話してたけど…あ、今終わったみたいだから」
「そう」
「ん?なぜ今終わったと分かるんだ?ええと君は…長男のヴァシル君だったか」
「そ~んなの、決まってるじゃ…むぐっ」
ヴァシルの口を塞いだのはダンだ。それは後ろから現れて、失礼いたします、と断ってからなされた。
続いてユイがもっともらしい説明を並べる。
「やあね、ヴァシルったら!今、じゃなくて、終わりそうだったって事でしょ?電話越しの口調でそう思ったのよね?そうよね?」
「う…、うんそう」
不自然なやり取りに首を傾げつつも、新堂は特に気にする事もなく聞き流した。
だが、また別の疑惑が子供達から投げかけられる。
「それで~?さっきユイ泣いてたよね、何で?」
「そんでもって抱き合ってたよね?」
「そうなのですか?ユイ様!ラウル様というお方がありながら、何という事を…っ」
「ダンっ、話をややこしくしないで!」
便乗してダンが騒ぎ出し、ユイが声を荒げる。
息を切らしたユイを見た新堂が遮る。「ユイ、安静にしろ。今しがた痛みを感じてただろ」
指摘されてユイが思い出す。「あ、そうよ先生!それで何か分かった?」
「フォルディスさんが来てから話すよ」
「…」
この答えに、またもユイの不安が膨らむ。
――もしかして、物凄く悪い、とか…?――
「俺の依頼人は、フォルディスさんだからな」
「何だ、そういう理由?…脅かさないでよ!」
ニヤリと笑って見せた新堂だが、状況はそう楽観視はできない。
――ユイに面と向かって言うのは気が引けるが、フォルディスになら言える――
例え拳銃を出されようとも、ユイに宣告するよりはいいと新堂は思う。
その後まもなくラウルが姿を見せた。
「待たせたな」
「ラウル!何してたの?」
「急ぎの電話が入ったのだ。それで、どうかしたか、お前達?」
子供達の訝し気な表情に気づいてラウルが問うも、返事をする隙を与えず新堂が口を開く。
「あー、っと、フォルディスさん。今よろしいですか?」
「…ああ、もちろんだ」
「先程簡単に診察をさせていただきました。それで私の見解をお話したいのですが…」
突き刺す視線を向けて来る3人の子供を見て新堂が言う。
察したラウルは息子達に告げた。「お前達は外で待て。ここからは大人の話だ」
「何だよ!オレ達だってユイの事が心配なんだ」
「そうだよ、聞きたい!」
「後で話す」
「イヤだ!」
さすがユイの息子達、頑固だ!と新堂が思った矢先、ラウルの声が変化した。
「くどいぞ、お前達。聞き分けろ」
このたった一言で、子供達は静かになったではないか。
――おお…これが父親の威厳ってヤツか!マフィアなだけに恐ろしく貫禄がある――
不満顔ながら、子供達はユイから離れて扉に向かう。そんな息子達に向けて最後にユイが声をかけた。
「ごめんね、皆。後でちゃんと話すから、待っててね」
笑顔で振り返る3人。「ユイ、また来るね」と口々に言って手を振る。
「ええ。ありがとう」
ユイの笑顔に、ようやく3人が笑顔を見せた。
――父の威厳と母の愛、か。なかなかバランスの取れた両親じゃないか――
この光景に、新堂が一人頷いた。
大人4人だけとなり、ラウルがユイの側にある椅子に腰を下ろして口を開く。
「では新堂、聞かせてくれ」
「はい。ユイさんの心機能低下の原因は妊娠によるものではなく、心臓に欠陥があるためですね」
「なぜそれが分かった?」
「私くらいになると、心音を聞けばある程度は分かります」
「やはりお前を呼んで正解だったな」
ラウルと新堂が意味深に笑い合うのを見て、ユイの眉間にシワが寄る。
――先生の自慢話に嫌味を返した?ってだけじゃなさそうね…何なの?――
こう思うも、こんな疑問は後だ。
「今すぐに治して、先生!」ユイは訴える。
「簡単に言うな。妊婦でなくとも心臓のオペは大変なんだぞ?」
「でもお母さんと同じ病気なんでしょ?」
「恐らく」
「お母さん、私より体力ないわ。でもできたじゃない?私、体力には自信がある!」
「俺が言ってるのは、生命を維持するための体力の方だ」
「それだって私の方が…っ」
新堂はユイの言葉を遮って続ける。「妊娠中の体は、胎児中心に切り替わるんだ。ユイ自身に栄養や血液が回っていない状態で、さらに追い打ちをかける事になる」
「でも先生ならできるでしょ?」
「簡単なオペならできるさ。俺でなくてもな。だが心臓となれば状況が違う」
「では、できないという事か」沈黙していたラウルが割って入る。
「今は、と言うべきでしたね」
「ならどうするの?」不安顔のユイ。
「まあ落ち着け。これ以上悪化させないようにするのも大切な事だぞ?」
「つまり、出産を終えてから手術をするという事か」
「さすがフォルディスさん、話が早くて助かります」チラリとユイを見て言う新堂。
「悪かったわ、物分かり悪くて!」
「ユイ」ラウルがそっとユイの肩に手を乗せる。
「…はい、落ち着きます」
「やれやれ!苦労しますね、フォルディスさん」
「いや。大した事ではない」
「そこで真面目に返さないでよ、ラウル!」
軽く首を傾げるラウルを横目に、新堂は説明を続けた。
「言うのは簡単だが、今の状態での出産はかなりリスクが高い。最悪の事態も覚悟してもらわなければなりません」
「私の依頼はどちらも助ける事だ」
「正直に言って、絶対にできるとは私にも言えません。最善は尽くしますが、仮に心疾患が悪化した場合は、最悪どちらも助からないかもしれない」
このセリフを受けて、ユイはラウルに抱きついた。
「いやっ…そんなの!私はいいからこの子だけは助けて!それならできるでしょ、先生?」
「何とも言えませんが、難しいでしょうね。母体の心機能低下は胎児にも致命的。未発達だったり、別の疾患があったりする場合は、生んだとしてもまともに育つか分かりませんよ」
あまりに他人事の言い様に、ユイがとうとう泣き出した。
「酷いよ先生…っ、そんな言い方!そんな…っ」
「ユイ、落ち着くのだ。新堂は可能性の話をしているだけだ、そうだな?」
「はい。知っておいていただくべきかと」
――それにしても冷酷だ…ドクター新堂、恐るべし!――
ダンは無表情の裏で思う。
ユイはまだラウルの胸で泣いている。
――こうなるからユイだけの時には言いたくなかったんだ。側で支えてくれる人がいて良かった――
優しくユイの背を擦るラウルを眺めて、新堂は思った。自分はそちら側の人間にはなれない。宣告する側の人間なのだから。
「新堂」
「はい」
「その最悪の事態になる確率は?」
「何とも言えません。今の軽度の状態が続いてくれる事を願うばかりです」
「そうか…」
「今の段階で呼んでいただいて正解でした。悪化してからでは、お子さんは間違いなく諦めていただく事になりますからね」
――私はそれでも構わない。ユイの命よりも大切なものなどない。もう子供は3人もいるのだから…――
ラウルがこう思う一方で、ユイはこう考える。
――愛するラウルとの子を死なせるなんて、絶対にできない。私だけが助かっても意味がない!――
ユイは涙を振り払って新堂の方を向く。
「新堂先生、私、何でもする。頑張る、だから…お願いします、この子を助けて!」
「分かってるよ。だからもう泣くんじゃない。ストレスは大敵だ」
――そういう貴様が一番にストレスを与えているのだろうが?――
ダンのこめかみに薄っすらと青筋が立った事に気づいた者はいない。
――しかしラウル様は恐ろしく冷静でいらっしゃる。以前ならば間違いなく…――
胸元から拳銃を抜き取り銃口を向けていただろう。
ダンは気づいていないが、これはラウルが変わった訳ではない。
新堂を信頼しているからこその態度なのだ。
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