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第三章 適材適所が成功のカギ
ウィークポイント(3)
しおりを挟む私の指の傷もすっかり良くなったこの日。仕事の合間にオフィスから空を見上げる。何だか雲行きが怪しい。今にも降り出しそうな天気だ。
今日私の勤務は遅番。ここの勤務形態には遅番というのがあり、その日は昼から始まり夜に終わる。
これは間違いなく降られるだろう。
「ねえ、今晩って大雨らしいよ。イヤだね~」
「え~、ウソでしょ?この風で雨降ったら嵐じゃん!」
同僚達がこんな会話を繰り広げている。
「なるほど……だから新堂さん、今日は絶対に迎えに来るって言い張ってたのね」
出がけの新堂さんの剣幕を思い返しては納得する。
嘘か本当か知らないが、また例のごとく、仕事が入ったからついでに迎えに行くと言ってきたのだ。この人の言う偶然だとか、たまたまだとかという言い訳は昔から信用ならない。
こんな考え事を口に出していた事に気づいたのは、盛り上がっていた彼女達がこちらを振り返ったからだ。
「ちょっと!朝霧さんの旦那さん迎えに来るって!今日の遅番誰だっけ?」
「私よ!ラッキー!乗せてもらっちゃおうかしら?」
「別に構いませんよ」
私があっさりオーケーした事に驚く面々。
むしろ第三者に同席してもらいたいのだ。そうすれば帰宅途中に関しては、あれこれ体調について問いただされずに、そして叱られずに(!)済む。
何しろ最近始めた本格的なトレーニングに、新堂先生は大いにご立腹だったから。
「それじゃ、彼に連絡しておきますね!」
私の上機嫌な様子に呆気に取られる同僚達なのだった。
そして帰宅時間となる。
「お疲れ様でした~」
「じゃ、行きましょうか」
乗せて帰る予定の同僚が、周囲に帰りの挨拶をしている最中を引っ張る。
「ちっ、ちょっと待ってよっ」
「早く早く!彼、せっかちなので」
「はいはい!仰せの通りに!電車まんまと止まってるって。私だけ乗せてもらうなんて、皆に悪いわぁ」
「ここの全員は乗せられませんからね!だからって……今さらやめるなんて、言わないでくださいよ?」若干凄みを利かせて言い放つ。
「やめる訳ないじゃん、私だって早く帰りたいし。濡れるのヤダし!」
「なら良かった」笑顔に戻って答える。
急いでエレベーターに乗る。
「ああ~、だけど何だか緊張するっ!」
「何がですか?」
「朝霧さんの旦那さん、何回か見てるけどさ。何かね」
何か、の後も気になるが、この言葉の方が引っかかる。「旦那さん、か……」ポツリと呟いた。
「あっ、そういえば、結婚してないんだっけ?」どうやら気づいたらしい。
「そうなんです」
こんな会話をしつつエントランスに到着する。案の定、玄関前の車道にはすでに黒の大型セダンが停車していた。
「ほら、お待ち兼ねだわ」
先に外に出て車に走る。後部席のドアを開けて同僚女性を手招きした。
頷いた彼女が、雨の中そそくさと乗り込む。続いて自分も後部席に乗った。
「来てくれて良かったわ。彼女の家にも回ってね、新堂さん」
「スミマセン、乗せてもらっちゃって。家の最寄り駅までで結構ですので!」
「お気になさらず。私達の近所だそうですね。お宅まで送りますよ。なあユイ」
「そうよ。この雨だし。そうして」
「そうですかぁ?助かります~、本当に!」
「では、出しますよ」
豪雨の中、車は走り出した。
「ねえねえ!朝霧さん、この車って外車でしょ?」忙しなく車内を眺め回しながら聞いてくる。
運転席が左側にあるため、聞かなくても明白なのだが。「そうです。イタリアの」
「ひぇ~、高そっ!ゴメンね、私ったら濡らしちゃったわよ」
「そんなの気にしないで。私なんてしょっちゅう汚してるし!」
「そうそう。おまえはよく物をこぼすからな」唐突に会話に交じった彼が笑う。
「ちょっとぉ、そんな事暴露しないでよ!」
快適な車内で未だ緊張気味の彼女もつられて笑っている。
「それでどうです?会社で朝霧ユイは、粗相していませんか」
バックミラー越しにチラリと彼女に目を向け、話しかける新堂さん。
それに気づいて、さらに緊張した面持ちで答える。「粗相だなんて!むしろ朝霧さんは超頭がキレるから頼りにされてますよ!」
もっと言ってくれ!と思いつつ何度も頷いて後ろから彼を見つめる。
「そうですか」
再びミラー越しから笑みを投げかけられ、その笑顔に舞い上がる彼女。
「ああ……男性の笑顔にときめいたの、久々っ!」
こんな感想にちょっぴりムッとして言う。「あ~あ~そんな事言って、旦那さんに言いつけますよ?」
「残念でした、私の旦那はインドだよ!」
「そうだった……」
彼女の夫は仕事でインドへ行っていると誰かに聞いていたのを思い出す。
「ほお、インドですか。単身赴任ですか?」彼がさりげなく会話に加わる。
「ええ。もう三年になります。でも、もうすぐ帰る予定なんです」
「良かったですね~」
「良かったのか悪かったのか……」
「だって娘さん達、喜んでるでしょ?」
「まあね~」
こんな会話の最中、新堂さんが何度もミラーを確認しているのに気づく。今度は私達を見ているのではなく、後続車両を見ている様子。
さり気なく後ろを振り返ってみると、後ろからピタリとつけてくる車がいる。
私の客か彼の客か……。
「何?どうしたの」彼女までも気にして後ろを振り向いた。
「いいえ。凄い雨だな~と思って」適当に誤魔化す。
「そうだね~」彼女は不審がる様子もなくあっさりと賛同した。
「新堂さん、気にせず運転慎重にね」さり気なく注意を促す。
「俺はいつも慎重だ。少し乱暴ぐらいがいいかもな」こんな回答は彼にしては挑戦的だ。
この何気ない会話の裏に隠された真実に気づくはずもない彼女が会話に交じる。
「朝霧さんは運転するんだっけ?」
「ええ、たまに」
「朝霧ユイの運転は凄いですよ!」
「ちょっと、新堂さん!」
またも笑いに包まれる。その裏には緊迫した空気が隠れている。
会話しているうちに、車は彼女の自宅マンション前に到着した。
「もし何かあったら、すぐに警察に連絡をしてくださいね」
ついこんな忠告をしてしまうが、当然答えは「はい?何の事よ、いきなり」
「いいから!ここから警察署、近いから大丈夫よね」
「変なの」
私達のチグハグなやり取りに、彼が助け舟を出してくれた。
「最近物騒ですから。旦那さん不在の今、警戒は怠らない方がいいですよ」
「ああ、そういう事ね。了解ですっ!」
こうして何度も礼を言いながら、彼女は帰って行った。
「このまま出すぞ」
「うん」
私を後部席に乗せたまま、再び車は走り出す。後ろの車も動き出した。
「さてと。どうする?」彼が聞いてくる。
「全く、こんな嵐の日に面倒な!どっちのお客かしらね」
「ここは俺であってほしいね」
「あらどうして?」
「裏家業を引退したも同然の、今や一般女性となったおまえが、あんな連中に狙われてほしくないって意味だ」
引退などした覚えはないが?との反論の言葉を飲み込んで、敵の割り出しにかかる。
「それでドクター新堂。最近の依頼で、何か心当たりはある?」
「最近か……あまり大口の依頼はなかったがなぁ」
「とにかく、外はこの雨。地下駐車場にでも入って」
「おいおい!地下でドンパチはやめてくれよ?」
「あら。濡れるのとどっちが良くて?」
「……地下に、向かうよ」
もちろん地下には監視カメラが隙なく設置されているだろう。容易に銃は使えない。どう対処したものか思案する。
近辺の地下駐車場に入るまで沈黙は続いた。
「向こうの隅に停めてくれる?」
「オーケー」
カメラの死角に停車を促す。数十メートル離れて問題の車も停車した。
「あなたは降りないで」
「俺も行くよ」
「新堂さん!危険かもしれないから!」何かあっても守れないかもしれないから。
最近の自分には自信がなさすぎた。
「心配するな。自分の事くらい自分で守れる」
「新堂さん……」
「大丈夫だ、二人で行こう」
二人同時に車から降りる。向こうも二人、男が降りて来た。夜なのにサングラスをしている。
「こんな嵐に、私達に何の用かしら?」
地下のためか周囲のコンクリート壁面に反響して、自分の声がやけに響いた。
男の一人が負けじと声を張る。「何で家に帰らずにここに来た?」
「どこへ行こうと私達の勝手でしょ」イラ立ち気味に答える。
「俺達は金が欲しいんだ!」
「何だ、ただの強盗か……」彼が呟いた。
殺し屋の類でない事が分かりホッとしたのだろうが、敵はそれが気に入らない様子。
「何だとは何だ!この野郎!」
「聞こえてしまったか。ユイ、手を出すなよ。下がってろ」私をチラリと見て言う。
「野郎、カッコつけやがって!」
そして新堂さんは、飛びかかって来た男を鮮やかに投げ飛ばして見せた。
「体落とし一本!ってところ?やるじゃない、ふふっ」
さらに背後から迫ったもう一人の腕を捻り上げて、肩関節を固めている。
「お見事ね。あれじゃ下手に動けないわ……」
「お前達にくれてやる金など持ち合わせていない。これ以上痛い目に遭いたくなければ、とっとと帰れ」
「あり余ってんだろ?そんな高級車に乗りやがって!」
口答えする男をさらにきつく締め上げる。男は悲鳴を上げてもがく。
「あ、ねえ、監視カメラ気をつけて」
カメラが設置されている方向に目を向けて指摘する。
「おっと。お前が動くからだ」彼が頷いて位置を戻した。
そしてなおも男を締め続ける。
「さあどうだ?まだ俺達から金を取るつもりか」
「もしかしてこの人は、私よりタチ悪いかも……!」目の前の状況に思わず呟く。
自分なら一瞬で殺すかもしれない。けれど彼は絶対に殺さない。
それはつまり、どこまでも蛇の生殺し状態が続くという事だ。苦痛の連続ほど耐えがたいものはない。
医者として人間の限界を知り尽くしている彼は、気を失わない程度に長時間いたぶる事ができる。私にはできない芸当かもしれない。
「ねえ?もうその辺にして、早く帰ろう?」そんな連中はさっさと倒して、と言いたいところを我慢して促す。
「今度こんな事をしたら、もっと地獄を見せてやる」
こんな脅し文句が堂に入って来た彼は、自分でどう感じているのだろう。
ようやく彼が男を離した。
「じゃ、帰るか」
「一一〇番通報しとくね」携帯電話をバッグから取り出して言うも、「放っておけ」との声が降って来た。
「ダメよ、ポイ捨ては条例違反よ?ゴミは自分で処理しないと」
「なるほど」
私の腰に手を添えて微笑みかけると、車へと誘導する。
新堂さんが助手席ドアを開けて乗車をエスコートしてくれた。
「さあ、こちらにお乗りください」
「ありがとっ!」
「やっぱりユイには助手席にいてもらわないと落ち着かん」
そう言って運転席に乗り込むと、隣りの私に目を向ける。とても満足そうだ。
「何か嬉しそうね」理由を探ろうと言ってみるも、「別に」と素っ気ない。
「しかし変わってるよな、おまえ!」
「どこが?」
車はすでに走り出している。
ハンドルを操作しながら彼が続ける。「警察から逃げないところが?」
「何で逃げるのよ。むしろ応援してるわよ?」
「そうだったな。おまえは警官志望だったか。ははっ!」やっぱり楽しげな新堂さん。
私は正義の味方などと言うつもりはないが、悪はこの手で排除したいと思う。
「ちょっと?なんで笑う訳?」
「笑ってないよ」
「ウソっ、笑った!」
「笑ってない」
「なら、ハハッ!って何だったのよ、笑ってるでしょ~がっ」
ひと暴れした(新堂さんが!)土砂降りの夜。車内では、こんな平和な言い合いが繰り広げられるのだった。
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