72 / 131
第四章 不屈の精神を養え
忍び寄る影(3)
しおりを挟む追突事故から数日後の事だ。掃除中に書斎である物を見つけた。これまでの彼の不調を決定付ける物を。
「これって、点滴の?何でこんなとこに……」
それは使用済みの栄養剤の点滴バッグだ。それもソファに無造作に置かれている。
「おかしいな。私、最近点滴されてないけど?」空の容器を拾い上げて眺める。
そして何気なく屑入れを覗くと、何とそこには同じ物がいくつも入っていた。
「……まさか、新堂さんが自分に?」
ここのところずっと食欲のなさそうな彼。その様子が思い浮かび納得する。
「本当に、大丈夫なのかしら……」
こんな発見は、私の心を酷く不安にさせた。
掃除を終えて一息ついていた時、修理に出していた車を取りに行っていた彼が帰って来た。
「ただいま。俺達の愛車がようやく戻ったよ」
玄関からの声を受けて、すぐさま書斎に呼び出す。
「新堂さん!ちょっと来て」
「おお、掃除してくれてるのか。ありがとう」
いつもと変わらぬ様子で顔を出した彼に、例の物を突き付ける。「何、これ」
「ん?……あっ」
「た~っくさん、あるみたいだけど?どういう事?」
困った顔で黙り込む彼に、無言で回答を促す。
「そうだ、ゴミに出すのを忘れていたよ。ごめん、いっぱいだったな」
「そういう事じゃないでしょ。これはあなたのお食事なのね?」
「まあ、何だ……」
「この状況でシラを切るつもり?」
手にしていたドクターズバッグを所定の位置に置き、彼がソファに座った。
「ああ、そうだよ。俺の栄養源だ」ようやく観念したか。
ここで彼の置いたカバンを見つめてしばし考える。「ん?何で仕事用のカバン持ってったの。車取りに行っただけでしょ」
「いつも持って行ってるだろ。いつ何が起こるか分からない」
それはそうだが、と思うも腑に落ちず。
「だからって、通りすがりのボランティアみたいな事はしないんじゃなかった?」
「そういうんじゃない。……もういいだろ、何でも」口論が面倒になった様子。
私だって今はそれどころじゃない!
彼の横に腰を下ろして、改めて聞く。
「新堂さん、本当に体、大丈夫なの?」心配で堪らずに顔を覗き込む。
「心配するなって。こんなの、そんなに騒ぐ事じゃない。医者は誰でもやってる。おまえだって散々使ってたぞ?まあ、大半は気づいてないか」
「知ってるわよ。でも、それとこれとは状況が別でしょ」
「そうだよな……。俺が自分に甘いだけだ。自力で栄養補給しないとな。気をつけるよ」
私の頭に手を乗せて答える彼が、どこか弱々しく見える。いつもならここでその手を振り払って拒絶するところだが……どうしても不安が消えず、そんな余裕はなかった。
「さあ、そうとなれば食事だな!」
「新堂さん……」
立ち上がって先に部屋を出て行く彼を目で追う。私の膝の上には、まだ空の点滴バッグが置かれたままだ。
不意に彼が戻ってきた。「おっと、ゴミ回収しとかないとな!」そう言うと私からそれを奪う。次いで屑入れの中身も全て回収して行った。
「ちょっと新堂さんったら!」
食卓にて。食事を進めながら会話する。
「前にも、似たような事あったよね」ふと思い出した事がある。
「ん?あったか?こんな事」新堂さんは首を傾げている。
「ほら、あなたのボロアパートで、カップ麺の空容器が大量に出てきたじゃない?」
出会った頃、自分の住居をなかなか明かさなかった彼は、傾きかけた激古アパートに住んでいた。そこのキッチン(と呼べるか不安だが!)にそれはあった。
「っ!ゴホ、ゴホ……っ」
むせてしまった彼を見て、慌てて立ち上がって背中を擦る。
「だっ、大丈夫!?ごめんなさいっ、私が変な事言い出したからよね……」
「ゴホっ……いや、こっちこそ済まん、上手く飲み込めなかっただけだ……」
少しして落ち着いたらしく、彼が答えた。「あれも失敗だったな。ゴミはまめに処分しておくべきだと、あの時学んだはずなんだが」
「今のセリフ、口に出していいワケ?」
おどけて笑うだけの彼。
「あの頃とちっとも変わってないじゃない!」別の意味でため息を付く私なのだった。
食事が済み、新堂さんが食器を洗っている。腕まくりした彼の腕を何気なく見ていたのだが……。
「あら?そこ、どうしたの!酷いアザね……」私の指した彼の右肘には、大きな青アザができていた。
「ん?どこだ」水を出したまま手を止めて、指摘された箇所を覗き込む。「おお、本当だ。どこかにぶつけたんだな」あっさりとこう判断した。
「派手にぶつけたわね。もしかして、あの事故の時じゃないの?」
「そうかもしれない。全然覚えてないよ」
「え~?そんなに大きいのできてるのに?……案外鈍いな」最後の一言は心の声のつもりだったが、声に出ていたらしい。
「何か言ったか?」と彼が睨む。
「いいえっ!何でもありませ~ん」
新堂さんはいつまでも私を見ている。今はもうその目に力は感じない。ただ見ている感じだ。
「新堂さん?ほらほらっ、水出しっぱなしよ!」
私の指摘に我に返ったように、食器洗いを再開したのだった。
片づけが終わり、しばしそれぞれの時間を過ごしてから、寝巻きとタオルを持って書斎に顔を出した。
「新~堂さんっ!たまには一緒にお風呂入ろうよ」
デスクでタブレット端末を操作していた彼が顔を上げた。
「いいのか?」
ドアに寄りかかって首を傾げる。「え?どういう意味」
「風呂に入るだけでは済まなくなるぞって意味」
「それって、どっちの意味かしら……」ちょっぴり嫌な予感がする。
「いや……今日はやめておくよ」
意味深な事を言っておきながら、何やら考え込んだ挙句に出した答えはノーだった。
「え、何で?……遠慮してたりする?」
「そんな訳ないだろ。俺はまだいい。一人でゆっくり入って来い」
期待外れの答えに、無意識に膨れっ面になる。
「そんなにヘソを曲げるなよ。また今度誘ってくれ」
「えー、そうね!そうします!」
完全にヘソを曲げた私は、わざと足音を響かせて廊下を歩いて行った。
「何よ。私には拒否権ないのに、向こうはあっさり断るんだから!もう知らないっ」
一人向かった浴室にて、脱衣所の鏡に映る自分相手にぶつくさ言う。
慌ただしく服を脱ぎ捨て、乱暴に体を洗って湯舟に浸かる。
少しして脱衣所のドアが開いた音が聞こえた。
「何しに来たのよ」浴室の扉越しに声を張り上げる。
「気が変わって、今入りたくなった」無機質な声が返ってきた。
負けずに毅然と言い返す。「そんな事言って、私が承諾すると思う?」
答えもせずに、裸になった彼が浴室の扉を開けて中に入ってくる。
そして湯舟に浸かる私を見下ろして言った。「おまえの承諾はいらない」
「何それ。何様のつもり?」さすがにムッとする。やはり私には拒否権がないようだ。
「主治医様、かな」こう言った彼のポーカーフェイスは崩れていた。
こちらはまだまだ笑う訳には行かない!「職権乱用よ?」
「問答無用だ。体、ちゃんと洗ったのか?洗ってやるから出ろ」
私のボディタオルを手に取ると、視線だけで促される。
「何よ、ちゃんと洗ったもんっ」
「どうせ適当に泡立てただけだろ。もう一回洗ってやるよ。さあおいで」
何しに来たのよ?自分を洗えばいいのに!そう思いながらも、指示通り湯から出て彼の前に座る。
彼はとても優しい手つきで、泡立てたタオルを私の体に当てた。
「こういうの、懐かしいな……色々思い出すわ。いい気持ち」
「これでもまだ俺の事、拒絶するか?」
「いいえ」ここでやっと力が抜けて笑顔になる事ができた。
「問答無用、で合ってるだろ?」
「負けたわ……。一緒に入るの、かなり久しぶりじゃない?」
「そうだな」
こうして二人で入浴タイムを満喫した。至極健全な、ただの入浴だ。
そして湯舟から上がり、ひたすら脱衣所の鏡を見つめる。今私が見ているのは自分ではない。後ろにいる新堂さんだ。
未だ素っ裸の私を差し置き、すでにバスタオルを纏っている。
「ユイ、体重測ってみろ」
「あなたの前で?」男性の前でそれをするのは気が引けるのですが?
「当然だ」女心など露知らず彼が答える。「参ったなぁ」確実に増えているはず!
「なぜだ?」不穏な空気が流れ出し、慌てて首を振る。「いえ、別に!」
体重計に乗る。デジタル表示は四十六.五と出ている。
「いや~ん、この間は四十五キロだったのよ?あなたのせいで、やっぱり太っちゃったじゃない!」
ここ最近新堂さんの残したトーストやらおかずを平らげていた私。だから言ったじゃない?
「心配ない、まだまだ許容範囲内だよ」体重計を横から覗いて彼が言った。
「あ~あ。新堂さんは?測ってみて!痩せたでしょ、あなたは」
「俺はいいよ」
「もぉ~!あなたがダイエットしてどうするの?」
憤慨する私をよそに、彼はいつの間にか着替えてしまっていた。
「早く着ろ、風邪引くぞ」
「新堂さんったら、早~い!待ってよ……」
「早く髪、乾かせよ」
「あぁ~ん、私だけ忙しい!」
いつものパターンだ。こんないつもと変わりない様子に、少しほっとした。
「良かった……」
下着姿で髪を乾かしつつ、鏡に映った自分に向かって微笑む。
「何一人で笑ってるんだ?」突然の声に焦った。「しっ、新堂さん!いたの!」
おかしい、さっき出て行ったではないか?
「早く着ろって言ったろ」そう言って私の肩に寝巻きを掛けてくれる。
そしてドライヤーを私から奪う。「貸してみろ、乾かしてやるから」
「やった!」ちょうど腕が疲れて来ていたところだ。スーパーロングはまだまだ乾く気配がないのに!
「先にちゃんと着ろ」
この言葉に従って寝巻きに腕を通して前を留めた。
隅に畳んであった椅子に私を座らせ、彼はドライヤーをかけ始めた。
「ねえ」
「ん?」
ドライヤーの音で聞こえずらいのか、彼が顔を近づけてくる。
「……ううん!何でもない。ありがとね」
「どういたしまして」
何であれ、彼との時間は常に愛おしく感じる私なのだった。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
天使と狼
トウリン
恋愛
女癖の悪さに定評のある小児科医岩崎一美《いわさき かずよし》が勤める病棟に、ある日新人看護師、小宮山萌《こみやま もえ》がやってきた。肉食系医師と小動物系新米看護師。年齢も、生き方も、経験も、何もかもが違う。
そんな、交わるどころか永久に近寄ることすらないと思われた二人の距離は、次第に変化していき……。
傲慢な男は牙を抜かれ、孤独な娘は温かな住処を見つける。
そんな、物語。
三部作になっています。
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
結婚する事に決めたから
KONAN
恋愛
私は既婚者です。
新たな職場で出会った彼女と結婚する為に、私がその時どう考え、どう行動したのかを書き記していきます。
まずは、離婚してから行動を起こします。
主な登場人物
東條なお
似ている芸能人
○原隼人さん
32歳既婚。
中学、高校はテニス部
電気工事の資格と実務経験あり。
車、バイク、船の免許を持っている。
現在、新聞販売店所長代理。
趣味はイカ釣り。
竹田みさき
似ている芸能人
○野芽衣さん
32歳未婚、シングルマザー
医療事務
息子1人
親分(大島)
似ている芸能人
○田新太さん
70代
施設の送迎運転手
板金屋(大倉)
似ている芸能人
○藤大樹さん
23歳
介護助手
理学療法士になる為、勉強中
よっしー課長
似ている芸能人
○倉涼子さん
施設医療事務課長
登山が趣味
o谷事務長
○重豊さん
施設医療事務事務長
腰痛持ち
池さん
似ている芸能人
○田あき子さん
居宅部門管理者
看護師
下山さん(ともさん)
似ている芸能人
○地真央さん
医療事務
息子と娘はテニス選手
t助
似ている芸能人
○ツオくん(アニメ)
施設医療事務事務長
o谷事務長異動後の事務長
ゆういちろう
似ている芸能人
○鹿央士さん
弟の同級生
中学テニス部
高校陸上部
大学帰宅部
髪の赤い看護師
似ている芸能人
○田來未さん
准看護師
ヤンキー
怖い
一億円の花嫁
藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。
父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。
もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。
「きっと、素晴らしい旅になる」
ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが……
幸か不幸か!?
思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。
※エブリスタさまにも掲載
愛想笑いの課長は甘い俺様
吉生伊織
恋愛
社畜と罵られる
坂井 菜緒
×
愛想笑いが得意の俺様課長
堤 将暉
**********
「社畜の坂井さんはこんな仕事もできないのかなぁ~?」
「へぇ、社畜でも反抗心あるんだ」
あることがきっかけで社畜と罵られる日々。
私以外には愛想笑いをするのに、私には厳しい。
そんな課長を避けたいのに甘やかしてくるのはどうして?
自業自得じゃないですか?~前世の記憶持ち少女、キレる~
浅海 景
恋愛
前世の記憶があるジーナ。特に目立つこともなく平民として普通の生活を送るものの、本がない生活に不満を抱く。本を買うため前世知識を利用したことから、とある貴族の目に留まり貴族学園に通うことに。
本に釣られて入学したものの王子や侯爵令息に興味を持たれ、婚約者の座を狙う令嬢たちを敵に回す。本以外に興味のないジーナは、平穏な読書タイムを確保するために距離を取るが、とある事件をきっかけに最も大切なものを奪われることになり、キレたジーナは報復することを決めた。
※2024.8.5 番外編を2話追加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる