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第四章 不屈の精神を養え
37.大きな隠しゴト(1)
しおりを挟む寝室で寝ていたはずの彼がいない。室内をあちこち探し回り最後に書斎を覗くと、デスクでパソコン作業をする彼を発見した。
「ちょっと新堂さん!ダメじゃない、寝てなきゃ」
「大した事ない。今日中にこの資料を纏めて、依頼人に渡さないといけないんだ」
「ダメダメ!熱があるのよ?仕事は禁止!ほらほらっ」
「おっ、おい……!」
微熱気味の彼を無理やり書斎から押し出して、寝室へと歩かせる。
「いつも散々言われてきたんだから。ビシビシ行くわよ、覚悟してね?」
寝室に辿り着きベッドに腰掛けた彼が、上目遣いに私を見上げている。
正面に仁王立ちして、腕を組んで見せる。
「やれやれ。参ったね」
「は~い、寝てくださいっ!」言い放って体を横たえさせ毛布を掛ける。「何かあったら呼んで。ちゃんと寝てるのよ?」と付け加えた。
「はいはい」
仕舞いにはまるで母親になったような気さえして、意気揚々と部屋を出た。
ドアを閉めると、途端に勢いは消えて扉に体を預けため息をつく。
「……新堂さん」
本当は、堪らなく不安でいっぱいなのだ。
ここ二ヶ月というもの、新堂さんの体調が優れない。本人は疲労だと言うが、最近は微熱が頻繁に続いたり、顔色が酷く悪かったりと気が気でない。
「やっぱりあの時も、熱、あったんじゃない?」
一週間前の一泊旅行だ。抱きついた時、彼の体はどこか熱かった。ありきたりの言い訳をされて丸め込まれてしまったが。
「ふう……」何度もついている私のため息が、廊下中に充満している気がした。
そして数日後、ついに決定的な事が起こる。
それは仕事でたまたま私の会社近くに来たという新堂さんと、車で帰宅する途中の事だ。もちろん彼が運転している。
「大丈夫?疲れてるみたいよ……?」今日も彼の顔色は優れない。
「ああ。最近寝てないから、睡眠不足かな」軽くこんな事を言って笑う。
引き下がるものか!「眠れないの?悩み事でも?」
「いや。ちょっと面倒な依頼が立て続けにあってね。そのせいだ」
こんなに疲れているのに依頼を受けているのか。私が止めてもムダな事は分かっているため、極力口出しはしないようにしているが……。
「ねえ。危ないから運転代わるわ」これは彼の仕事ではない。だから口を出す!
「ユイは体調どうなんだ?」
「ご覧の通り、元気いっぱいよ。居眠りされたら困るし。代わってくれる?」
「……そうだな。じゃ、頼むよ」
車を路肩に停車させポジションを代わる。
助手席のドアを開けようとした彼に言う。「後ろに乗って。その方がゆっくり休める」
「しかし……」迷っている彼に、「後ろに乗って!」と強い口調で言い放った。
力なく微笑んでから、彼が後部席に乗り込んだ。
「どう?かなり快適でしょ」
「確かに。寝入ってしまいそうだよ」声がどこか弱々しく聞こえる。
「いいから寝てて。着いたら起こすわ」
「ありがとう」
彼は本当に具合が悪そうだ。なるべく車体を揺らさないよう走行する。
そうして十五分ほどが経ち、信号待ちついでに後ろを覗くと、彼は体を横たえて眠っていた。
「……新堂さん」腕を伸ばして彼の額に手を当てる。心持ち熱い気がした。
「病院、寄って行こうかな……」
彼を見下ろしながらそう呟いた時、目の端に映った後続車両のドライバーが不敵に笑みを漏らした。
「何?ヤな感じ!」
商店街を抜けて開けた通りに出ても、例の車両はまだ後ろにピタリと付けて来る。
さらに悪い事には、助手席の男の右手に黒い塊が握られているのに気づいた。
「冗談でしょ!?こんな時に……っ」
辺りには刻々と夜の闇が迫っている。この時間帯は最も視界が悪い。
「狙われてるのは、どっちかしら?」
急ハンドルを切り、行き先を変更する。このまま家に向かう訳には行かない。
当然後ろの車もついて来る。ここは定番の人気のない漁港に向かう事にする。こういう連中を始末するのに都合が良く、よく使わせてもらっている。
二台の黒い車両が猛スピードで漁港に入る。幸い辺りに人影はない。
「もうっ!彼が起きちゃうじゃない。睡眠不足の解消中だっていうのに」
バックミラーで新堂さんの様子を確認する。まだ眠っているようだ。
「面倒クサい。一気に片をつけようじゃない」
腰元からコルトを抜く。窓を全開すると、サイドミラーをやや下に向けた。
その時、痺れを切らしたのか、先に後ろから銃弾が飛んで来た。
「きゃっ……!」慌てて手を引っ込める。
後ろの車両は右ハンドル。助手席の男が左側から撃ってきたため、窓から出していた腕が餌食になるところだった。
「あっぶな~い……やるじゃない?素人でないと分かったら、容赦しないんだから!」
スピードを緩める事なくアクセルを踏み続け、再び左腕を窓から伸ばす。その手には我が相棒コルトが握られている。
一瞬だけ視線をサイドミラーに移し、助手席の拳銃を所持した男の急所に照準を合わせて、一気に撃ち放つ。
「手応えあり!これで一人片付けた」
喜んだのも束の間、一難去ってまた一難。今度はドライバーが銃口を向けている。
一気に減速して、敵の車とわざと追突させた。
「うわっ……っ!」予想以上の音と衝撃が体に伝わる。
熟睡中の彼に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。もっとスマートなやり方があっただろうに?反省しきりだ。
幸い新堂さんはまだ眠ったままだ。ほっとしつつも不安は大きくなる。これほどの衝撃で目を覚まさないという事は、よほど体調が悪いという事だから。
後ろのドライバーは停車して車から降りていた。私も少し先で停めて外に出る。
外は思わぬ寒さでゾクリとした。いつの間にかもうすぐ冬か。
早く新堂さんを温かい部屋で休ませてあげたいのに、私は一体こんな薄暗い漁港で何をしている?
「なぜプロの殺し屋が容易く姿をさらすの?」
男は無言を貫き、ただ私を見ている。
「逃げないところからすると、私に何かご用かしら」
「お前は誰だ」
「はあ?派手に撃ちまくっといて、そのセリフは何?私、かなり怒ってるのよ」
おもむろに男に銃口を向ける。
「撃つなら撃て。だがその前に教えてくれ。お前が一体誰なのか」
「人にものを尋ねる前に、先に名乗るのがマナーよ!」
「我々はあるクライアントに依頼されただけだ。マセラティに乗った偽ドクターの暗殺をな」
「偽ドクターね!で?それが私だとでも?」
「一筋縄では行かない男、だと聞いていたんだが……」
私は両手を広げ、肩を竦めて見せた。
「ああ!もちろんあんたの事じゃない。乗ってるんだろ?ドクターが」
「それなら検討違いって訳じゃないようね」
「しかし。そのドクターを、俺が仕留める事はできなそうだ」
「それも間違いじゃないわね。何しろこの朝霧ユイがガードしてるんですもの!」
「ユイ・アサギリ!やっぱりお前はあの朝霧ユイなのか」
私達の間を冷たい海風が吹き抜けて行く。
「やっぱりって、どういう事?」聞くまでもないかもしれないが。
「この夏にロンドンで、お前らしき人物を見たというヤツがいたのさ。朝霧ユイは爆弾テロで死んだはずなのにな!」
予想通りの展開だ。「確かにロンドンには行ったけど。そんな事はどうでもいいわ。彼を狙うなんて命知らずね。クライアントは誰?」
「言うと思うのか?」片側の口角を上げて男が返す。
「いいえ、聞いてみただけ。生憎今急いでるのよ、続きはまた今度ね!あっちの世界ででも待っててよ」こちらが求める情報が手に入らないなら、もう用はない。
こう言ってから躊躇なくトリガーを引く。もちろん急所を狙った。死は免れない。
男は音もなく崩れ落ちて、暗い海に吸い込まれて行った。
「私は怒ってるって言ったでしょ?さよなら」海に向かって言う。
理由などいらない。新堂和矢を狙ってきた連中は片っ端から消すだけだ。誰一人生きては帰さない。依頼主はさぞや焦る事だろう。もちろんそれが狙いだ。これがプロの世界のやり方。
この人の命が懸かっているなら容赦しない。例のリングを奪いに来た連中の時とは訳が違う。
急いで車に向かい、後部席のドアを開けて彼の様子を確認する。
「新堂さん、大丈夫……?」
「う……、んん……」返事はなく、ただ呻き声を漏らすばかり。
やっぱり様子がおかしい。額に触れるとかなり熱い。熱が上がっているようだ。
私の冷えた手をしばらく額に乗せていると、彼がぼんやりと目を開けた。
「新堂さん」
「ユイ……。ここは?」
「ごめんね、まだ家に着いてないの。その前に病院、寄って行こうと思って」
考える余地もなく拒絶される。「その必要はない。俺は大丈夫だ」
「でも!とても辛そうよ?熱もあるみたいだし。私、何もできないから……っ」
「頼む、家に、連れて行ってくれ……」
頑なにそう要求する彼に、私は折れるしかなかった。
「分かった。帰ろう」
こうして家に到着し、彼に肩を貸しながら二人で部屋へと入る。
「ありがとう、ユイ」
「本当に大丈夫?熱、酷いよ。最近寒くなったし、やっぱり風邪かな……。何か薬飲む?」
「ああ。あとは自分でやるよ。水、持って来てくれるか」
「うん、今すぐ!」
キッチンで水を汲み、彼の元へ運ぶ。しばらく様子を見守っていたのだが、そのうちそれとなく部屋から追い出されてしまった。
「本当に大丈夫なのかな、新堂さん」もっと世話を焼きたかった。大いに不満だ。
一人リビングへ行き、ソファに深く腰を下ろして一息つく。
「あ~あ。それにしても、彼に気づかれなくて良かった……。何しろ久々に……」
殺した。しかも一度に二人。例え独り言でも口にするのは憚られる。これを彼が知ったらどう思うだろう。
コルトを取り出しテーブルに置くも、思い直して再び腰の定位置に収納した。
「新堂さんは狙われている……。しばらくは、肌身離さず持っていよう」コルトに触れて呟く。「私が絶対に守る」
問題は彼の体調だ。具合が悪くなっても、あの人が医者である事に変わりはない。そして私は医者ではない。口出しは無用……彼の態度は間違いなくそう言っている。
ならば医者から言ってもらえばいいではないか?
「あっ、もしもし。まなみ?ユイだけど」
早速貴島邸に電話すると、まなみが出た。『もしもしユイ?今、晩ご飯作ってて忙しいんだけど!なぁに~?』
「ゴメン、忙しい時に。貴島先生はご在宅?」
『ちょっと待って。ソウ先生~!ユイから電話!』電話越しに声を張り上げている。
少しして貴島さんの声が聞こえた。
『おお朝霧。半年ぶりくらいか、元気か?どうした』
「お久しぶり。私は元気なんだけど、あのね、実は新堂さんの事で相談があって」
ここ最近の彼の様子を簡単に説明した。
『……で、本人は何て言ってるんだ』
「何も。大丈夫の一点張り!病院にも行こうとしなくて。自分である程度は調べてるみたいだけど、私には何も話してくれないの。どうにも心配で」
『まあ本人が大丈夫って言ってるならそうなんだろ。一応俺からも連絡入れてみるよ』
「そうしてくれると助かる。何か分かったら教えて」
『なあ。時に、ヤツの血縁者はどうなってる?』
「どうって?」唐突な質問に驚きながら聞き返す。
『だから、親兄弟とは連絡取ってるのかなと。……ほら、遺伝の関係で何か分かるかもしれんだろ?』
「ああ、そういう事。残念ながら彼には……」天涯孤独、という言葉は使いたくない。
察してくれたのか、貴島さんが別に気にするなと返してきた。
「少し調べてみるわ。誰かしら、一人くらい親族がいるでしょうし」
その後、お互いの近況などを話して電話を切った。
医者同士ならば彼も何か打ち明けるかもしれない。ここは貴島さんに期待しよう。
こうして翌朝。しっかり睡眠も取れたようで、今日の彼は大分顔色が良いようだ。
「おはよう、ユイ」
「新堂さん!具合、どう?」
「もうすっかりいいよ。昨日は悪かったな」声の感じも、いつもよりもハリがある。
「全然。最近急に寒くなったから、体調崩す人が多いみたいよね」
こんな時期に風邪を引くのは、むしろ私の方だった。
「そうだな」
「会社にも風邪引いてる人、結構いてさ~」
「なら、おまえも気をつけろよ」
「は~い、了解!」
ダイニングで二人で朝食を摂りながら会話する。
彼が正面の私を見ながら口を開く。「なあ。昨夜の事、あまり覚えてないんだが……帰りに何かあったか?」
「何かって?」ありました、と正直に言うとでも思うのか。
「いや……。夢を見ていたのかもしれない」そうそう、そう思ってくれ!「どんな夢だったの?」と話を合わせる。
彼が、庭に停められたクワトロポルテの方に目をやった。
「おまえが銃を撃つ夢」
「っ!そ、それはまた過激な夢ね……」わざと目を反らしてトーストに噛りつく。
そんな私を疑わし気に見つめてくる。
「運転を代わってもらった後、真っ直ぐ帰ったんだよな?」
「もちろん。病院寄ろうか迷っててしばらく止まってたけど。ほら、聞いたら断られたから?」
この言葉には何も反論できないようで、それ以上は追求されなかった。
「ごちそうさま」
「え?まだ全然食べてないじゃない」まだトーストは半分以上残っている。
「済まないが、もう食べられない」
「食欲、やっぱりないのね……。食べないと抵抗力付かないよ?」
席を立つ彼を目で追いながら言う。答えは当然返って来ない。
彼の残したトーストを見つめる。「私が食べちゃうんだからね!」
「ああ、どうぞ」
ため息をついて口を尖らせる。彼のトーストを掴んで勢い良く頬張った。
「もう。こうやって、また太っちゃうのよ?あなたのせいだからね!」モグモグと口を動かしながら愚痴る。
そんな私に目をやり、新聞をめくりながら彼が笑った。
「いい?先生、体調良くないんだったら、仕事はしない事!」
「分かってるよ」
「じゃ、私今日、車で行くから。あなたは一日留守番お願いね」
「車で?あの会社までなら電車の方が早いだろ。何で急に……」
不審がられるのも頷ける。今まで車で会社に行った事はない。
狙われているのはマセラティに乗ったドクター。つまりこれがここにあると危険なのだ。逆に私が乗り回して、敵を炙り出す作戦という訳。
それと、昨夜壊したテールランプとリアバンパーが、彼に見つかると困るので?
「ちょっと寄りたいとこあるし~、帰りに重たいお買い物したいのよね~」適当に誤魔化す。「あっと!もうこんな時間、じゃ、大人しく留守番しててね?センセっ」
返事も待たずに家を飛び出した。
今日私が向かうのは会社ではない。彼の命が狙われているというのに、パート労働などしていられるか。本当ならば一日中彼のガードに励みたいところだが……。
恐らく住居はまだ知られてはいないだろう。
昨日の貴島さんとの会話から、私はある調べ物をしようと思い立った。その事は彼には話していない。新堂和矢の両親を探す事。もっと早くに手を付けるべきだった。
それも体調の事が加わった今となっては早急に!何しろ、彼の今後の生き方にも関わってくるのだから……。
本人が望まない事は分かっている。だから内密に進める。
私は彼にどうしても知ってほしい愛がある。親と子の愛だ。それは私では決して与えられないもの。必要とされて生まれてきた訳じゃないなどと思ってほしくない。それは間違いだと証明したい!
これをしてあげられるのは私だけ。私の使命だ。どうしてもやり遂げなければならない事なのだ。
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