この恋、腐れ縁でした。

氷室ユリ

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第六章 見えないところで誰かがきっと

58.惹かれ合う者たち(1)

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 待ちに待った四月がやって来た。振り返れば、長いようで短かったこの五年間。
 血液検査は最後まで異常なしに終わった。新堂さんは生き延びたのだ!

「今日で丸五年が過ぎたが、再発はない。朝霧の骨髄は見事に病を撃退したようだ。おめでとう、新堂」
「ありがとう。二人とも、今日まで色々と心配かけたな」新堂さんが私と貴島さんを交互に見て言った。
 首を振って否定する私に、ふと貴島さんが視線を向ける。
「そうなると朝霧、これで晴れて花嫁だな!二重にめでたい、おめでとう!」

「……えっ、どうして知ってるの!」

 驚いた私に貴島さんが気まずそうな顔をした。「……もしかして、言わない方が良かったか?」斜向かいの彼を見て聞く。
「いいや、構わんよ」貴島さんにそう告げてから、新堂さんが私に向かって続ける。
「俺が話したんだ、こいつは唯一の親友だからな。もし無事にこの日を迎えられたら、ユイと結婚するつもりだと」

 親友か。彼がそれをようやく認めた事が素直に嬉しかった。

「何だか、第三者に改まって言われると恥かしいなぁ」
「お前って意外と照れ屋だよな~。真っ赤なオープンカーとかヘリの方が、目立ってよっぽど恥ずかしいと思うんだが?」突っ込みを入れる貴島さん。
「もう!うるさいからっ」

 室内は笑いに包まれる。

「まなみがいなくて良かったわよ。大騒ぎされちゃうじゃない?」
 彼女はこの春から大学生だ。今ではすっかり家にいる時間が減ったとの事。
「一人暮らししたいって、すでに騒がれてるよ」
「させてやればいいじゃないか」サラリと言う新堂さんに、「できるか!」と間髪を入れずに返している。まだ子離れできないらしい。
「何でできないのよ?」と私も加わる。

 ムッとした顔のまま、別の話題に持って行くつもりのようだ。
「お前達がそろそろ式を挙げるようだって事は、それとなく話してある」
 何でも、あの二人は謎だとずっと言っていたらしい。どう見ても夫婦なのに、なぜ結婚しないのかと。
「なら、これで謎も解決だな」新堂さんが私を見て言った。

 新堂さんからのプロポーズを受けて、もう五年も経つのか。確かにいつまでも結婚しない私達を不思議に思うのは当然だ。
 自分としては、彼の婚約者と名乗るのが結構気に入ってしまって、全然苦ではなかったのだが。


 家に帰り、一息つく。

「なあ。式の前に、ミサコさんにきちんと挨拶した方がいいと思うんだが。どうかな」
 新堂さんがこんな事を言い出した。
「そういえば、そういう報告ってちゃんとしてないかも」

 母と定期的にやり取りはしていたが、サファイアリングを貰った時、嬉しさのあまりその事を伝えた時点では、全面的に結婚を否定した。
 プロポーズされた時も言おうか迷ったが、そうすると式を挙げるのが五年後という事の説明が難しい。新堂さんの病の事は伏せていたので。

「あなたに任せるわ。どこまで伝えていいか……難しいし」
「ごめんな、気を遣わせて。自分でちゃんと話すよ」
「全部?」母はあれでかなりの心配性だ。余計な心配をかけたくない。
 彼もそう思ってくれたのか、「……まあ、その場の流れ次第か」と曖昧に答えた。
 どうやら、まだ決め兼ねているようだ。

 私はただ、うん、と答えた。


 善は急げという事で、すぐに母へ連絡を入れ、早速イタリアへ飛び立った。今回ばかりは、忘れずに左手薬指にエンゲージリングを装着して!
 長時間のフライトを経て、ようやくシチリア島へ到着する。

「耳、大丈夫か?」新堂さんが私の内耳の状態を心配してくれる。
「……うん、まだ少し痛い。耳栓があんまり効果なかったみたいな?」
 嫌味に言ってみるも、「してなかったら、もっと痛かっただろうさ!」と返される。
「フンだ!」
 相変わらずの私達だ。

 そこへ母の姿がチラリと見えて、ガラリと気分が変わる。「あっ、お母さんだ!」

「ユイ~!新堂先生~!」
 空港まで母が出迎えに来てくれた。
「お母さ~ん!久しぶりっ、会いたかったぁ……」
「私もよ……」母の目が少しだけ涙目になっている気がしたが、すぐに抱きつかれて確認できず。

 しばらく抱擁を堪能して母が体を起こす。
「ユイ、あなた何だか、また痩せたんじゃない?」
「そっ、そう?お母さんこそ……!」会わないうちに大分年を取ったね、とは言いにくくて言葉が途切れた。
 彼に視線で助けを求めると、「髪型のせいでは?」と新堂さんが言った。

 う~ん、先生、それはどうでしょう?髪型、あまり変わってませんから!
 切ろう切ろうと豪語しつつ、結局スーパーロングヘアのままの私。前回会った時よりも伸びたかも?

「それにしても長い髪ねぇ。洗うの大変!」少し離れて改めて娘を見上げる母。
 彼が洗ってくれるので!と惚気ても良かったかも?
 ところが私への興味を失くしたのか、今度は彼を振り返る。
「あら?新堂先生もお痩せになった?」
「え?あ、そうですか……?」
 今度は彼が私に助けを求める番だった。新堂さんこそ大病を患ってから、元よりも体重は減ったかもしれない。

「イヤだ、お母さん。新堂さんは変わってないわ。昔よりはスリムになったけどね」
「太る体質ではありませんので」
 私が彼に腕を絡ませると、斜め上から笑みが向けられた。
 そんな私達を見て軽く首を振る母。「はいはい!ごちそうさま!」それ以上触れてはこなかった。

「ゆっくりして行ってちょうだいね」
「ありがとうございます。突然押しかけてしまって済みません。ミサコさんに折り入ってご報告したい事がありまして」道中、新堂さんが切り出した。
「まあ。何かしら!新堂先生は相変わらずお忙しいんでしょ?」
 前回来た時は仕事のついでに寄った。母にしてみれば、そういう印象は拭えないだろう。

「そうでもないですよ。最近は、程々にさせていただいてますから」
 彼の言葉を受けて「一緒にいる時間、たっくさん作ってくれるわ!」と付け加える。
「それは良かった事!」私を振り返って母が微笑んだ。


 そして丘の上の豪邸に到着する。ここへ来るのは二度目だが、何だか懐かしささえ覚えてしまうのはなぜだろう。

 室内にコルレオーネの姿が見当たらない。
「ところで、お義父さん、は?」と新堂さんが母に聞く。
「ええ、近所の会合に出かけてるわ。夕方には戻るはずよ。あなた達が来る事は言ってあるから」窓越しに外の方を眺めながら母が答えた。
「会合、ですか……」
 こう呟いた新堂さんは、果たしてどんな会合を思い浮かべたのだろうか。

 そんな事を考えた時、「嫌だわ!先生ったら。本当にただの会合よ?」と母が言った。
 親子で同じ事を考えていたようだ。
「主人は、村の相談役になっているから」母がそう付け加える。
「それはかなり強力な相談役ね!」引退したと言っていたが、大ボスには違いない。

 母が席を立ったところで、新堂さんがこっそり私に耳打ちしてきた。
「……なあユイ、先に、伝えても構わないか?その、お義父さんが来る前に」
「もちろん。あなたに任せたんだし?思いのままに」
 彼にしてみれば、コルレオーネはまだまだ他人なのだから。

 戻って来た母が、私達の前にティーカップを置いて微笑んだ。
「なぁに?二人で打ち合せかしら。早くお話、聞きたいわ」
「急かさないでよ、お母さん!新堂さんが緊張しちゃうでしょ?」
 彼にムッとした顔を向けられ、肩を竦める。

「では改めまして」彼が居住まいを正した。横で私もそれとなく座り直す。
 それを見て母もカップを運んだトレイを下に置き、正面の私達に目を向けた。

「随分先延ばしにしてしまった事、まず最初にお詫びさせてください。ユイさんとお付き合いを始めてから、こんなに長い時間が過ぎてしまいました」
「まあ先生、そんなお詫びだなんて?やめてください」母が申し訳なさそうに言う。
「いいえ。本来こんなにユイさんを待たせるべきではなかった」

 私は別に構わないが、母にはもっと早くに花嫁姿を見せてあげたかったと思う。
 チラリとこちらを見た彼の顔は、どこか愁いを帯びて見える。心からそう思っているのだろう。

「少し前に、ユイさんに結婚を申し込み、受けてもらいました。色々と片が付いたので、今自信を持って挨拶に伺った次第です」
 何というスマートなコメントだろう。私が口を出す隙はどこにもない。
 こんな言葉に母の反応が気になる。
 そっと様子を見ていると、なぜか母の顔は笑っていない。どういう事だ?もしや反対?やはり待たせすぎた事が気に入らないのか。

「おっ、お母さ……」居ても立ってもいられず、左手をテーブルに乗せて身を乗り出した私を、母がジロリと見た。
「ユイ」母が静かに名を呼ぶ。「はいっ!!」勢い良く返事する。

 張り詰めた空気が室内に充満している。

 手放しで喜んでくれるものとばかり思っていたのに……。動揺のあまり動悸を感じて、テーブルに乗せた左手を左胸に持って行く。
 それに気づいた彼が不安そうに私を見た。大丈夫、と口の動きだけで伝える。

「それ、もしかしてピンクダイヤモンド?」母が私の左手を見て聞いてくる。
「……え?ああ、そうだけど。それ聞きたかった訳じゃないでしょ、今何て言おうとしたの?」あんなふうに名前を呼んだりして。
 叱られる前にはいつもそんな呼び方をされたものだ。

「ええ、そう。ユイに聞きたかったの。この方はお医者様よ。あなたにその妻が務まるのかって心配なの」
「って、何だぁ、そんな事?もうビックリさせないでよ……」緊張の糸が切れた。
「ユイ、大丈夫か?動悸がするのか」堪り兼ねた様子の新堂さん。こんな時でも私の心配をしてくれる。
「大丈夫。こんな状況なら誰でもドキドキするでしょ。あなただって?」

 すると彼がポツリと打ち明けてくる。「……俺のは止まりそうだよ」

「ダメよ、先生!さっき自信があるって言ったんじゃなかった?どういう事?」こう唐突に叫んだのは母だ。ハッとした様子で新堂さんが顔を向け直した。
「それは……そうでした」そして降参した。
 母は強し!あの口達者の新堂和矢がぐうの音も出ず。

 自分を棚に上げてこんな事を思うが、そんな事は当然母に見抜かれる。
「ユイ?何他人ごとみたいな顔してるの?まだ私の質問に答えてないわよね?」
「ひっ……!そう、そうでした!えっとだから……」考えが纏まらない。

 その時、玄関ドアが開く音が聞こえた。どうやらコルレオーネが戻ったようだ。
 これはいいタイミングだ。母の興奮を静めてもらわねば!

「あら。もう帰って来たのね。ちょっと待っててね」ころっと表情を変えて、いそいそと部屋を出て行った。

 廊下にパタパタと足音が響く中、二人きりになった私達は声をかけ合う。
「はぁ~、何なの?この展開は。新堂さん……大丈夫?」
「それはこっちのセリフ、と言いたいところだが……あんな人だったか?ミサコさんて」驚きを隠せない様子で、母が出て行った方を見つめたまま言う。
「ええ、まあ」

 すぐに、あの美しいテノール歌手のような低音が近づいて来た。
 現れるなり義父は私に向かって両手を広げる。ここぞとばかりにその胸に飛び込んだ。

【以下カッコ内イタリア語】
「(パパ!久しぶりっ、会いたかったわ!)」
「(おおユイ、我が娘!元気そうじゃないか。待たせたね、ドクター新堂)」抱き合いながら彼の方を見て言う。
「ご無沙汰しています」立ち上がった彼がそう言って頭を下げた。

「(あなたも一緒に聞いてちょうだい。今ね、二人から大事な報告を受けていたところなの)」
「(大事な報告?)」母を見て笑顔のまま聞き返している。
 そしてそれぞれ席に着くと、再び私達に緊張の時間が訪れた。
 けれど先ほどと違うのは、笑顔を崩さないコルレオーネを前に、母も表情を和らげている事だ。

 一通りを聞き終えて義父は一言。「(何とめでたい!心から祝わせてくれ!)」

 この言葉に背中を押され、私は母の方を見て宣言した。「お母さん。私は、新堂先生をきちんと支えて行けるわ。先生は私が守る。これでも成長したつもりよ?」
 そして彼も言ってくれた。「ユイさんは、私にはもったいない女性です。実際彼女のお陰で、これまで何度も苦難を乗り越える事ができました」

「新堂さん……」感極まって涙が込み上げる。
 そんな私に、彼は優しく微笑んでくれた。

「ユイ。幸せそうなあなたを見て、安心したわ。新堂先生、娘の事、どうぞよろしくお願いします」母は私に微笑みかけると、彼に深く頭を下げた。
「お任せください。必ず二人で幸せになります」彼は私の手を握って答えた。
 隣りのコルレオーネが何度も頷き、母の肩を抱き寄せる。二人は顔を近づけて微笑み、そして熱烈キスを交わした。

「っ!さすがイタリア人!」思わず呟く。

 その後私達の笑い声が、室内に響き渡った。


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