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第六章 見えないところで誰かがきっと
最高のマリアージュ(2)
しおりを挟む次のテーブルではまた一つ問題が発生中だ。
「あら?赤尾先輩、貴島さんと同じテーブルだったのね」
「朝霧!ようやく来たな。こちら、お前の高校時代の先輩だってな。まなみのヤツがヤバい事になってるんだ……何とかしてくれ!」
先輩にべったりのまなみが目に入る。
「さっきまで私のドレスに大騒ぎしてたのに?静かになったと思ったらこれ!」
先輩が纏わり付くまなみをものともせず、私に素敵な笑顔を向けてくれる。
「ユイちゃん、そのドレスも、とっても可愛いじゃない」
「ありがとうございます!新堂さんが選んでくれたの」隣りの彼を見上げて言う。
「さすが長年共にいらっしゃる新堂先生だ。彼女の趣味を良く理解しておられますね」
このコメントに驚く彼。「彼女の趣味?こういうのなんですか?」
「ええ!僕はてっきり、ピンクのドレスとかで登場すると思ってましたが」
「センパイ?!何言ってるの?私がピンクって……」絶対誰かと勘違いしている!
「そう言えば、ピンクのユリ、好きだって言ってたよな」新堂さんまでがこんな事を言う始末。「え?ああ、そうだけど……それとこれとはっ!」
「そうかそうか!それならそう言えよ!全く分かりずらいヤツだ」一人納得している。
もういいや。勝手に思わせておこう。
それより問題はこちらだ。「ちょっとまなみ?先輩に、くっつき過ぎ!」引き剥がそうとするも、まなみは案外力が強い。
「ヤ~ダっ。いいオトコ……っ!」
「言っとくけど、赤尾先輩、奥さんいるからね?」先輩に惚れてしまうのは仕方ない。まなみもどうやら相当な面食いのようだから!
気に入った男が既婚者と知り、驚きを隠せないまなみ。
「ウソぉっ!だって……指輪してないのに?」
「ごめんね、僕、貴金属は身に着けない事にしてて」そう言って微笑む先輩。
まなみは一気に落胆の表情となり、今度は貴島さんに抱きついて泣き始めた。
「うわぁ~ん!」
「何て変わり身の早い……」新堂さんも呆れている。
「先が思いやられるわね。ガンバ!ソウ先生っ」
笑いに包まれるこちらのテーブルを後にする。
「ユイ、疲れてないか?」
「うん、平気。あなたは大丈夫?」
「ああ。次のゲストは………ユイ、おまえは少し休んでろ。俺が接待して来るから」
なぜかこんな事を言い出した。
「え?でも別に疲れて……分かった、お願い」有無を言わさぬ感じを察して頷く。
私を空いたテーブルに座らせると、彼は新しいボトルを手に次のテーブルに向かって行った。
「何よ、私を連れて行きたくないって事かしら?」
彼が向かった先を見つめていると、女性が一人座っている。栗色のショートが良く似合う私と同年代くらいの女性だ。どこかで会ったような気もするが、思い出せず。
やがて楽しそうに会話し始めたのを見て、訳もなくムッとする。
目の前の空いたグラスを掴み、ゲスト用に持っていたワインを注いで一気に飲み干す。
そして抜かりなく聞き耳を立てる。
「新堂先生」
「由美さん、来てくれたんだね」
「お久しぶりです、先生。お元気そうで。ユイさんもお変わりなくて何よりです」
なぜか女性は、私を見て丁寧に一礼した。話をする気はないらしい。
私もあえて側には寄らずに小さく頭を下げて見せる。
「ええ。晴れて、こういう事になりました」
「おめでとうございます」女性が彼に向かって深々と頭を下げた。
それに笑顔で答える彼。「ありがとう」
ワインを女性のグラスに注いで、彼が何か言っているが聞こえない。
そして二言三言会話が続いた後で、女性は席を立って帰ってしまった。
彼がこちらに戻る前に、私は急いでテラスに出た。
一気飲みしたワインが回ったのか、顔が火照って収拾がつかない。というのは単なる口実で、さっきの二人のやり取りを見たせいだ。
「きっとどこかの病院で仲良くなったナースとかでしょ!楽しそうにしちゃって」
憤慨しながらそうブツブツ呟いた時、ふと思い当たる光景が浮かんだ。
栗色のショート、私が意識のなかった時に世話をしてもらったというあのナースだ。以前一度だけ近所の病院で会った事がある。
あの時、向こうはきちんと挨拶してくれたのに、自分の態度は酷かった……。
そんな私だったから、きっと気を利かせて遠巻きに挨拶してくれたのだ。
彼女の寛容さに引き替え、相も変わらず自分の大人げない感情といったら?
「ああ!……。いつまでたっても情けないっ」
そんな落ち込む私に、薄暗くなった庭の方から声がかかった。
「ユイ」
姿が良く見えないが、その発音とシルエットからどうやら外国人のようだ。
目を細めて、その人物の輪郭を見極める。
「(あ、もしかして今到着した方?ごめんなさい、お料理、もうあまり残ってな……)」そこまで言って遮られる。「(随分、久しぶりだな)」
そのシルエットがようやく照明の照らす位置に到達して、顔が見えた。
「あっ、え?ウソ……ヘルムート?」
その人物は紛れもなくヘルムート・フォルカーだった!
「(元気だったみたいだね)」それはまるで知っていたような言いぶりで、「(ええ、何とか……)」と曖昧に答えてしまう。
「(あれからずっと……ユイの事が気になっていた。君を撃つべきじゃなかったと何度も後悔した。でも、奇跡みたいな事が起こったんだ)」
「(ヘルムート、ここはまずいわ!彼に見られたら……っ)」
我に返って室内を見回す。新堂さんに見られたら厄介だ。
けれどヘルムートは微笑んで言う。「(ドクター新堂なら心配ない。君の母上と歓談中だ。当分席を立つ事はない)」
「(そうなの?でも……)」そんな事を言われても気になる。
するとヘルムートは打ち明けた。
「(俺がミサコに頼んだんだ。ドクター新堂の足止めをね。だから心配はない)」
「(頼んだ?お母さんに?……っ、やっぱりあなたは、コルレオーネの所にいたのね)」
ヘルムートが頷く。
「(今はレナートと名乗っている。彼の元に辿り着いたのは、本当に偶然だったんだ。初めて会った時彼のワイフが日本人だと聞いて、ユイの事が思い浮かんだ)」
それはただ日本人というだけで、自分が勝手に連想したのだと思ったと、ヘルムートは笑った。私を想うあまりに重なっただけだと。
「(でも、話を聞くにつれて期待を持つようになった。そしてあの日、君の姿をほんの一瞬見かけて確信したんだ。ミサコ・コルレオーネはユイの母上なのだと!)」
「(私も、車に乗ったあなたをチラッと見て、もしかしてと思ったわ。でも……)」
「(本当は……来るつもりはなかった。だがミサコが言ってくれたんだ)」
後悔しない人生を歩めと。こんなふうに出会えたのは、きっと天の導きだから。
母は本当に不思議な人だ。全てを知り得るはずがないのに、なぜかこんな神がかりな事をしてしまう。
ヘルムートが私を抱きしめてくる。私も、自然にそれに答えた。またも涙が止まらない。今日は泣いてばかりだ。
「(ヘルムート、会えて良かった。……今、幸せ?)」一番聞きたかった事だ。
「(ああ、幸せだよ。向こうに家族がいるんだ。君のお陰だ、ユイが俺に第二の人生をくれたから……ありがとう)」
体を離してもう一度顔を見合う。
「(だから言ったじゃない?あなたならできるって)」笑顔で言い放つ。
「(ユイが生き延びたのは、ドクター新堂のお陰、か……。今日から君の夫になるんだな、本物の夫に……)」
「(そう。私もようやく本物の既婚者よ。予行演習は済ませたから大丈夫!)」とおどけて見せると、ヘルムートが笑った。
テラスを抜けて庭のベンチに座り、二人で夜空を見上げる。
「(懐かしいな、あのロンドンでの新婚生活。あれはあれで良かったよ)」
「(そうね。まあ、お互い騙し合いだったって分かった時は驚いたけど?)」
顔を見合わせて笑う。
「(俺は薄々感づいていたが?)」
「(そうよね~。私、あの時、結構ヘマしてたし!)」
「(でも、俺を助けてくれたじゃないか)」
「(それって、ペーパーナイフの事?)」
「(ああ、それだ。あとは最後の……)」
懐かしい話で盛り上がる。まるでついこの間の出来事のように思う。
「(あなたの動き、惚れ惚れするほどキレてた)」
「(ユイのナイフも、ナイスコントロールだった。これはただ者じゃないぞ、ってね)」
「(ふふっ。それにしても、組織って残酷よね。……あの後も追われてたの?)」
「(いや。だが、ユイを犠牲にしてまで逃れた以上、絶対に捕まる訳には行かないからね。それは必死だったよ)」
「(木を隠すなら森の中。どうせなら悪に染まってしまえ!って発想?)」
シチリアでイタリアンマフィアに紛れようとは、天下のCIAも思わないだろう。
「(長らく悪党の巣にいたお陰で、その道に入るのは容易かった)」
この人はプロの潜入捜査官だったから当然だ。
いつしか見つめ合う私達。無意識に手を取り合うも、我に返って手を引っ込める。
「(……ごめん)」ヘルムートが謝ってきた。
「(いいえっ、こっちこそ。私達、お互いにパートナーがいるんだから……!)」
「(もちろんだ。会わせてくれたミサコを裏切るような事はできない)」
「(母に、私達の事どう話したの?まさか……)」
「(余計な事は話していない。ただ仕事上のパートナーだった事があって、事情で歯切れの悪い別れ方をしたから、それが心残りなのだと伝えた)」
「(そう……)」
しばし沈黙が続く。
「(そろそろ時間だ。これ以上はもう……)」
「(そうね。これ以上あなたといると、私……っ)」ヘルムートを愛おしげに見つめる。
それを察してヘルムートは自分から遠ざかった。
「(さあユイ。先に行って。今度は俺を置いて、君が前に進んでくれ)」
「ヘルムート……」
「(君のいるべき場所へ、戻るんだ、ユイ)」
「(また、会える?)」
ヘルムートが小さく首を横に振った。
そして小声で言う。「(ヘルムート・フォルカーではなく、レナートとしてならば、あるいは……ありかも?)」
「(それ!それいいじゃない、賛成!レナート。それじゃ、また)」
この名が、コルレオーネの聞き間違いから生まれた事を教えてくれた。
今度こそは忘れない。レナートの意味は〝生まれ変わる〟最高の名ではないか?
私は最後に微笑み、そのまま背を向けて室内に戻った。
「……ありがとう、ヘルムート、いいえ、レナート」小さな声で呟く。
喜びの涙が次々に溢れては落ちた。
「ユイ?」
「あ……っ、新堂さん」
「どうかしたか……泣いてるのか?何があった」
不意に現れた彼から急いで顔を背けて、涙を拭う。
背後にいたはずのヘルムートは、いつの間にか姿を消していた。
「どうもしないわ!ちょっと、ワイン飲み過ぎちゃって風に当たってたの」
「もしかして……吐いてたのか?」
心配げに近づく彼に、急いで否定する。「違う違う!もう平気よ。それより、お母さんと何話し込んでたのよ?気になるんだけど~!」慌てて話題を逸らす。
彼は意外にすんなりこの話題に乗ってくれた。
「イタリアワインの話をね。どんな料理に合うとか。マリアージュって知ってるか?」
「何それ。結婚?」ケロリとして聞き返す。
すっかり涙は引っ込んでくれたようだ。
「そっちじゃない。料理とワインの相性、互いを最も引き立たせる組み合わせの事だ」
「ああ、なるほど。お母さんと共通の趣味が見つかって良かったわね!」
「そうそう。今度また向こうへ遊びに行こうな。料理を教えてくれるって」
どこか楽しげな彼に、思わず「一人で行けば」と言い放つ。
「俺はイタリア語ができないから、通訳が必要でな」
「何よ、お母さんができるし!それに何?私、通訳としてって事?」
こんなふざけ合いをしながらも、向こうに行けばヘルムートに、レナートに会えると思わずにはいられない。
あんなに感動的な別れ方をしておいて、こんなに早く会いに行ったら呆れられるだろうか?
新堂さんに怪しまれないよう、軽口を叩き続ける。
「マフィアに目つけられても、助けてあげないんだからね!」
「そんな事言うなよ。仲良くしよう、な?ユイ!」
そっぽを向いた私の肩に彼が手を置いた時、誰かが近づいて来るのが分かった。
「おや、もう夫婦ゲンカですか?」
「マキさん!」
「いやいや、これは。お恥かしいところを見られました」
「ケンカなんて、してないしっ!」そう言いつつも彼の手を跳ね退ける。
「ご出席いただいてありがとうございます。ご挨拶が遅れて済みませんでした」
「お気になさらず。適当に楽しんでおりましたので。しかし、お美しいですな、今日のユイさんは格別に……」
「それは素直に嬉しいわ。ありがとうございます」丁重に頭を下げる。
珍しく彼が頷く。そして私を見てしみじみ言う。「ええ。最近思うんです。美しいものは儚い、などという言葉を」
一体どういう意味だろう?
「美しいものには棘がある、とも言いますがね」マキさんが続けた。
二人は私を見下ろして怪しげな笑みを浮かべている。
「なっ、何よ……。その顔、二人で何か企んでるわね?」疑問が警戒に変わった。
「冗談だよ!全くからかい甲斐のあるヤツめ!マキ教授、これからも色々と相談させ
てください」
「ええ、もちろんです。私でよければ」
ここで負けずに口を挟む。「マキさん、いつもウチの人がお世話になってます。これからもどうぞ、よろしくお願いしますね!」
新堂さんが私の事で何かとマキ教授に相談している事は知っていた。だからこその言葉だ。
「おい待て、世話になってるのは俺だけか?」当然彼の指摘が入る。
「あなたの奥様は全てお見通し、みたいですな!」
今度は私とマキさんが、彼を見て意地悪に笑ったのだった。
これでお相子です!
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