時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

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9 獲物を前に思うこと

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 週明けの月曜日。生徒達が登校を終えた校庭は、閑散としている。そこを抜けて校舎に入り、いつものように一旦職員室に顔を出してから、医務室へと向かう。
 廊下を歩いている時から、甘い濃厚な血の香りが漂っている。その出所は、どうやら医務室のようだ。

「ユイ?教室に行かなくていいのか?もう時間だぞ」
「新堂先生!遅いじゃない。待ってたのよ?とっても大事な用があって……」

 例の男が姿を現したのは知っている。この週末に戻って来たのだろう。朝からあの強烈な思考が俺を攻撃し続けているのだから!
 そして、彼女の要求もすでに把握済みだ。向こうは俺との対話を望んでいる。

 口を閉ざして窓の外に目をやる俺を、不安そうに見つめている。
「先生?まさか……今度こそ本当に!」
「良く聞こえるよ、君のナイトの心の声がね」
「またそんな冗談言って。ねえ先生、キハラの態度が気に障ったなら私が……」

 興奮して行くユイが少々心配だが、この話は中断だ。誰か近くにいる。

「ほら朝霧さん、早く教室に行きなさい。サボる気なら、私を巻き込まないでくれるかな?」口調を改めて、素っ気なく言い放つ。
 そんな俺の変化に、ユイは何かを察知したようにドアの方を振り向いた。
 小窓からは、彼女の担任の男性教師が中を覗き込んでいる。

「ほら。朝霧さん。君の担任がお迎えに来てるよ」
「はぁ~い」
 仕方なくといった様子で、俺から離れてドアの方へ向かうユイに言う。
「……ああ、朝霧さん。保健係の仕事の件だけど、昼休みにもう一度来てくれるかな」
「分かりました!」振り返ったユイは笑顔で答えた。


 そして昼休みがやって来る。今日もここは女子生徒の溜まり場だ。初めのうちは煩わしいだけだったこの光景も、見ていると意外と面白い事が判明した。
 まるで別の生命体のような彼女達の、心とは裏腹の会話の数々が!

「それじゃ、先生?私の作ったお弁当、ちゃんと食べてくださいね!」
「ああ、ありがとう」

 ガヤガヤと賑やかな一同が部屋を出た後も、様々な声が聞こえて来る。

〝きゃ~、ホントに受け取ってくれるなんて!何か最近、先生雰囲気変わったよね〟
〝前は絶対受け取ってくれなかったし。医務室でおしゃべりなんてあり得なかった!〟
〝ホ~ント。どういう心境の変化?〟
〝ああ……それにしても!なんて素敵なの?映画スターになれそうよね、先生なら!〟
〝思~う!新堂先生ってハーフなんでしょ?どこの国だっけ〟

 心境の変化があったとすれば、ただ一つ。朝霧ユイの登場だ。
 噂をすれば何とやらで、彼女の匂いが近づいて来るのが分かった。

「新堂先生!……あら、今日は誰もいないのね」ドアを開けた彼女が意外そうに言う。
「ちょうどいいタイミングだ。今さっき出て行ったんだよ」
「やっぱりいたのね……先生ったら相変わらず大人気ね」
「妬いてくれたのかな?」
 俺のおふざけにユイが乗って来た。

「もしかしてそれが狙い?最近の受け入れっぷりは!友達から聞いたわ、本当に前は断ってたみたいね、お弁当」
「だからそう言ったろ。全ては君のせいなんだって」

 ユイが初登校したあの日、興味本位で教室を覗きに行った時に、例の如く弁当を持った女子生徒が一人現れて……。動揺していたせいで、つい受け取ってしまったのだ。
「一人から受け取っておいて、他を断るなんてできるか?おかしな噂でも立てられたら困るじゃないか」つい憤慨して、途中から口に出していた。
「は?それが何で私のせい?意味が分かりません!」当然彼女には理解できないだろう。

「ああん、もう!そんな事はいいの。先生にお願いがあって!」
「状況は把握しているよ」
 この言葉に、ユイはしばし沈黙する。
「もしかして先生って、本当に心の声が聞こえるとか?……まさかねぇ!」
「ああ。言ってなかったか?ただし、君以外のだがね」
「えっ!?」

 またもしばしの間がある。心が読めるなど、理解するのに時間を要するのは仕方がないと思う。

「私のは聞こえない?ウソよ!何回も先生に心の中言い当てられてるんだから!」
「それは囁き声で言っていたか、表情に出ていたんだ。君の心の中は闇なんだよ。今もなお、ね」こちらとしては非常に不本意だが。
「どうしてなの?」
「知らん。こっちが教えて欲しいくらいだ」少々ムッとしてしまった。大人げないな。

 早々に話題を変えよう。
「ところで、あの男とはどういう関係だ?随分と親しいようだが」
「気になるの?先生!」心から嬉しそうに聞いてくる。気にして欲しいのか。
 ならばこう答えてやろうじゃないか。「ああ、気になるね」

 すると彼女は、満面の笑みを浮かべて説明を始めた。

 キハラ・アツシには身寄りがなく、フランスで傭兵をしていたらしい。日本に来たのは彼が十八くらいの時で、ユイの父親に拾われ共に暮らし始めたとの事。
 彼女の実家はヤクザ。娘にも護衛が欠かせなかった。そこで若く逞しい彼が選ばれた。
 様々な知識を持ちとても屈強だった彼は、ユイの護衛役兼、教育係となる。活発な性格の彼女は、次第に護身術や格闘技までを教わり始める。

 こうして、いつしかキハラはユイの師匠的存在となり、最も尊敬する人物となったという訳だ。

「それで。俺にどうしろと?ユイの願いならば、考えてやらない事もないが」
「キハラがあなたと話をしたいって。会って貰える?今日か明日か……近いうちに」
「もちろん。全然構わないよ」
「ホント?!」

 随分と意外そうな反応だな。断る理由があるか?

「新堂先生、それであの、お願いがあるんだけど……殺し合いだけはやめてね!」
「殺し合い?俺に襲うなっていう願いじゃなくてか?」
「それもあるけど……。キハラがじっとしてる訳ないのよ、きっと先に手を出すわ!それにあの人過激だから、頭でどんな事考えてるか分からない。先生が我慢できないような事とか!そうなったら先生だって……」

 今初めてユイの頭の中を探れた気がした。考えをそのまま口に出している感じだ。
 この必死な様子は見ていて悪くない。そんな事を思いながら、しばらくユイを見つめていた。
 やがて諦めたようにユイが俯いた。

「心配するな。君の大事なものに、俺は一切、手を出したりしない」
 これでも俺は善良な方のヴァンパイアなのでね。

 ユイの髪にそっと触れると、温かな体温が俺の手に伝わる。彼女は気持ち良さそうに身を委ねてきた。
「先生、今日は消毒の匂いじゃないね。何?このムスクみたいないい香り……」
 俺の胸元で深く息を吸い込んで言う。
「さあ。何だろうね」それは、獲物を仕留めるための誘惑の罠だよ。

 今、目の前に格好の獲物がいる。こんなにも魅惑の香りを放った上等の獲物が!それなのに、全く手を出す気が起きないのはなぜだ?
 それどころか今の自分は、この弱々しい存在を守りたいとさえ思っている。

 今はこれ以上考えるのはやめよう。これから面倒な男とのご対面が待っているのだ。

「さて。そうと決まれば、午後は不在にする」
 夢見心地から一転、ユイは現実に引き戻されたように体勢を戻す。
「ちょっと待って!それじゃ私が立ち会えない。放課後にしよう?ね?」
「おまえは来なくてもいい」
「イヤよ、私も行く!」俺の白衣を掴んで懇願してくる。

 俺はユイの目を強く見つめた。
「ユイ。信じて、待っていてくれるね?」
 瞳の魔力が掛かり、意思とは無関係にユイの口が答える。「……はい」
「さあ、授業が始まるよ。教室に戻って」

 ゆっくりと立ち上がり部屋を出て行くユイを、俺はただ見送った。

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