時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

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24 新たな試み

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 ある場所から戻って庭に舞い降りると、ピアノの前で、首を傾げながら鍵盤に手を置くユイの姿が見えた。
 その愛らしい姿をしばし見学させて貰おう。どうやら弾いているのは〝エリーゼのために〟のようだ。

「あれ?こうじゃなかったっけ?え~っとぉ。……ダメだ!」
 ユイが手を止めたところで、拍手を送りながら部屋に入った。
「上手いじゃないか、ユイも」
「新堂先生!お帰りなさい。それ世間じゃ、お世辞じゃなくてウソっていうのよ?」
「そんなはずは!」
 わざと驚いた顔を作って笑ってみる。こんな事はあまりしないのだが。

 今の自分は相当テンションが上がっているらしい。

「どこ行ってたの?」
「ユイに大事な物を渡さないとと思って」手にした小箱をユイの前に差し出し、蓋を開ける。

 これは生みの親のヴァンパイアから譲り受けた、ただ一つの遺品、とでも言うのだろうか。別の場所に仕舞い込んでいたのを思い出して、取りに行ったのだ。
 箱には、中心に青緑の透き通った小さな石の付いたリングが納めてある。二重螺旋構造のダイヤモンドバンドが、部屋に差し込む日差しを受けて眩い光を発している。

「……指輪!一体どこから?」まさかこの短時間で買って来た?と呟く。
 それだったら凄いな!俺にはできないが。なぜって、いろいろ考えたら選ぶのに三年はかかるだろ?

「ユイに是非受け取って欲しい。きっとおまえを守ってくれるはずだ」
 これには、以前彼女に持たせた石のような効果があり、邪悪な存在を多少牽制できる。
 リングを厳かに箱から取り出すと、彼女の左手を取って中指にめた。
「……え、先生、そこ?」不思議そうに中指を見つめるユイ。

 このタイミングで指輪が登場すれば、それはエンゲージリングを意味するだろう。
 自分としてもそのつもりだ。だが俺にはこだわりがあった。ユイにはどうしても左の中指に着けて欲しい。もちろんその指を選んだのには理由がある。
 過去の骨折の影響で第一関節が曲がってしまったその指を、ユイが嫌っている事は知っていた。だからあえてその指に。

 さてその心は?それについては追々話す事としよう。

 俺は再び彼女の左手を取り、中指と薬指をそっと自分の手の平に置いて言った。
「正式に婚約指輪を着ける指というのは、決まっていないそうだよ。一般的にはここだけど、ユイが嫌じゃなければ……俺としてはこの指にして欲しい」
「先生がそこまで言うなら、私はどこでもいいわ」

 不満げながら承諾を得られた。だがユイにとっては、もう一つ不満があるはずだ。
「少々大き目だな。申し訳ないが、サイズ直しができないんだ。特殊な金属なのでね」
 加工はできない。なぜなら本来は、サイズを合わせる必要がないからだ。細かな説明は省くが、通常これを人間が持つ事はあり得ないのだから。

 そんな物を渡していいのか?構うものか。俺の相手は朝霧ユイしかいないのだ。

「石も変わった色してるけど、金属も特殊なの?」
「若干緩いようだが、抜ける事はないから安心して」これは人間には自由にならない代物なのだ。詳細な説明をせずこれだけ言う。
「こんなにグルグル回るけど?」
「信じられないなら、試しに抜いてみるといい」

 ユイはリングに右手の親指と人差し指を掛けて引き抜こうとした。

「え!何で?抜けない、こんなに動くのに!関節に当たってる訳でもないよ?」
「これで安心したな。まあ、お守り代わりだし、外す事もないだろう?」
 ユイは指に収まったリングをしばらく無言で眺めていたが、やがて軽く肩をすくめると、俺に笑顔を向けて来た。
 彼女は何でもあっさりと受け入れてくれる。説明が省けて大助かりだ。

「とっても綺麗ね!これ、何て石?」
「グランディディエライト」
「グラン、何て?」
「とても珍しい宝石だから、知らなくて当然だよ」
 人間界ではかなり希少な物だ。それはまさしく、ユイの存在のようではないか?

「それの石言葉は、新たな挑戦。不安や恐怖、悲しみといった不の感情を浄化してくれるそうだ」そして、幸福がより多く訪れる場所へ導いてくれる、と付け加える。
 俺にとっても新たな試みだ。人間と愛を誓い合うなど!問題ない、地獄に落ちる覚悟はとうにできている。そして、ユイは俺が守る。

「最高じゃない!それってつまり……」
 ユイが何を言おうとしているのかはすぐに分かった。その上で俺は沈黙した。

「先生?私の幸福は、あなたと一緒にいないと訪れないんだからね」
「ユイの人生はこれからだ。死ぬまで一緒にいられる。まだまだ先だ」
「死ぬまで。死ぬのは私だけで、先生はずっと生きてる。それも若いままで!」
「この話は前にしただろ。選択肢が残されているのに、ユイをこちらの世界に引き入れる事はできない」
「何でよ!私がいいって言ってるじゃない。選択するのは私でしょ?」

 やはりこの件では決裂するのか。

「どうやら、話が折り合わないようだ。それ、返せ」
「イヤよ。それとこれとは話が別!さ、先生、お母さんの所に行くんでしょ」
 ユイは俺の目を見ないよう顔を反らし、手を掴んで引っ張った。予防線を張られた。
 これでは瞳の魔力が掛けられないじゃないか?というのは冗談だが。

「待てよユイ、もっときちんと話し合った方が良さそうだ」
 ここは躊躇わず威厳を持って対応しよう。


 振り返ったユイを、テラスのベンチに誘導して座らせる。

「話し合うって何をよ」
 不機嫌になった彼女を見てため息が漏れた。「きっと、簡単に考えてるんだろうな」
「何を?」

「人間がヴァンパイアに転生するのは、そう簡単な事じゃないんだ」
「だって、噛まれたらなるんでしょ?映画とかではそうよ」
「考えてみろ。もしそうなら、この世界はヴァンパイアだらけだ」
「でも、先生みたいな善良なヴァンパイアなら、手当たり次第咬んだりしないでしょ?さっきだって、大抵仲間にするのは親密な相手って……」

「善良な奴ばかりならな」
 正攻法で分かって貰えないならば、脅しで行こうじゃないか。この朝霧ユイに通用するかは分からないが……。

「する側だけじゃない、される側だってかなりの試練が待ち受けているんだ」
「そうなの?」
「する側に必要なのは自制心だ。俺を転生させた男は、病的なほどストイックな人物だった。自分に厳しい彼だからこそ成し遂げられたんだろうな」慎重に言葉を選んで語る。
「そしてされる側にも、強固な忍耐力と精神力が必要だ。何せヴァンパイアは存在自体が猛毒のようなもの。その毒を与えられたらどうなるか、想像はつくだろう?」

 ようやくユイが眉根を寄せた。それでも負けずに言い返してくる。
「きっと、私にはその毒、効かないよ!だって、初めから先生の事怖くなかったし」
「恐怖を覚えるかどうかは感情の問題。俺が言っているのは感覚の問題。つまり痛みだ」
 さらにユイが顔をしかめた。あと一息だな。
「注射の何倍も何倍も痛いんだぞ?この牙が、首筋に突き刺さると……」

「ち、注射って!先生ズルい、私が嫌いなの知ってて!」
「分かりやすい例えだろ?毒が体内に入れば苦痛は広がる。血流に乗って全身隈なくね。転生するには、その激痛にそうだな……三日間は耐えなければならない」
 脅しではなく、これは本当の事だ。ここまで教える必要はなかったのだが、分かって貰えないならば仕方がない。

 ユイはすっかり黙り込んでしまった。

「さあ。これで分かっただろ。そう易々と口にする話じゃないって事が」
「取りあえず、分かった」

 取りあえずという言葉が気になるが、まあ良しとしよう。

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