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25 報告(1)
しおりを挟む一時はどうなるかと思ったが、俺達の婚約は立ち消えにならずに済んだ。今、ミサコへ報告するため、二人でアパートに向かっているところだ。
思考が読める圏内に入ると、早速ミサコの心が見えてきた。
「どうやらミサコさんからも、ユイに話があるようだ」
「え?お母さんから私に?何だろう」
「直接聞いた方がいい」
「ズルい!自分ばっか、お見通しなんて!」
こんな言い分は無視しても問題ないようだ。ずるい、はユイの口癖のようだから。
「それより、本当に大丈夫かな、俺で」
「どうしたのよ、いつもの自信はどこへ行ったの?新堂大センセイ!」
いつもの自信とは?しばし考えたが分からず。ユイにはそう見えているのか。
「だって俺達、十も離れてるんだぞ?それにミサコさんにしてみれば、いきなりだ」
先日言いそびれたのが大いに痛手だ。交際の許可もまだなのに婚約だなどと!
「平気よ。この町で新堂先生って言ったら神様みたいな存在だもん。逆にお母さん、ウチの娘でいいのかって恐縮すると思うよ」
嬉しい事を言ってくれるものだ。自然と心が軽くなる。
「こんな体験は初めてだ。緊張するよ」ハンドルを握り直して言ってみる。
「全っ然、見えませんけど!」
こんな事を言い合った後、ユイが声のトーンを落として聞いてきた。
「だけど新堂先生、本当にお相手、いなかったの?あ~んなにモテるのに……」
何を想像したのか、ユイの顔色が陰った。
「それは、ユイみたいに結婚を申し込んで来る女性の事かな?」
途端に顔を赤らめるユイ。今笑ったら、笑うところじゃないとまた怒るだろうか。
彼女が左手中指のリングを見下ろしている。
前方確認そっち退けでユイの表情を余さず観察する。とはいえ聴覚は研ぎ澄ましているのでご安心を!
「ねえ先生、結婚を約束してた人とか、本当に……いなかったの?」
ユイはまだ、指に嵌まった輝くリングを見つめたままだ。
俺はその上にそっと手を重ねた。
「サイズの事か。ごめんな、普通あり得ないよな、サイズの合わない婚約指輪を贈られるとか。ユイが疑う気持ちは分かるよ」
ユイが顔を上げて俺を見る。
「あまりに急だったし、私のサイズを確認する時間もなかったでしょ?何しろ私だってこんな展開になって驚いてるくらいだもの!」
今の彼女が無理をしている事くらい分かる。俺のためにこんな言い訳を考えてくれたのだろう。
「……他の誰かのために作ったものだったなんて事、ないよね?」こう最後に、ポツリと呟いた言葉も聞き逃しはしない。
「それは、俺を転生させた男から譲り受けた物なんだ。もともとその大きさだ。ユイ以外、誰にも見せた事もない。初めに言うべきだったな、済まなかった」
「そっかぁ~!ならいいの。ごめんなさい、私こそ疑ったりして」
ユイはまたもあっさりと受け入れた。
「これで新堂先生は私だけのもの!もう、どこへも行かないでね。ずっとず~っと、側にいてね?」
「ああ。約束するよ」
「またいなくなったりしたら、キハラに告げ口しちゃうんだからね?」
「いなくなる?そう思うのか。ついさっき婚約したっていうのに!」
「だって先生の考えてる事って、イマイチ良く分かんないんだもん」
俺はユイの目を見て伝えた。今まで心の中で何度も言った言葉を。
「これからきちんと落とし前を付けに行くんだ。そんな事はあり得ない。もうとっくに地獄に落ちる覚悟はできてるよ」
どこかキハラのような口調になってしまった。別に意識したつもりはないんだが。
アパートに着いて車から降りたユイが呟く。
「お母さん、いるかな……」
「いるよ」さっきからミサコの頭の中を散々読ませて貰っているのでね。
玄関のチャイムを鳴らすと、ユイまでが緊張の面持ちでドアが開くのを待つ。
「は~い」ミサコの声がしてドアが開いた。
娘の姿に驚いている。「……まあユイ。何なの、鍵でも忘れてった?」
「ううん。違うの。ちょっと話があって」チラリと後ろの俺に目を向けて言う。
「まあ!新堂先生いらしてたのね。上がって行ってくださいな」
「ありがとうございます。失礼します」
決して広いとは言えない二DKの借り住まい。俺達を居間に通すと、ミサコはキッチンに姿を消した。
二人になったのを見計らい、小声で打ち合わせする。
「ミサコさんより先に、俺達の話をするぞ」その方がミサコも話を切り出し易くなる。
「内容が分かってる人はいいよね!お任せしま~す」
盆に茶を載せて現れたミサコが、渋い顔になる。
「あらユイ。何だかご機嫌斜め?一体何の話なの。まさか先生に何か失礼な事でも!」
まずい展開だ。早々に話を進めねば。
「違いますよ。ミサコさん、実はどうしても私の方からしたい報告がありまして、会わせて欲しいとユイさんにお願いしたんです。突然お邪魔して、申し訳ありません」
「いいえ!全然。とても嬉しいお客様だわ」
羨望の眼差しを受けて少々戸惑う。自分が快く思われているのは嬉しいのだが、これも魔力のせいだろうか。
「改めまして。実は私は、ユイさんとお付き合いをさせていただいています」
「まあ……」ミサコがあっさり俺から視線を外して、ユイをジロリと見た。
対するユイは、上目遣いで母を見ながら小刻みに頷いている。
そんな光景を横目に続ける。「本来ならば、もっと早くにお伝えすべき事でした……。申し訳ありません」
「やめてください、新堂先生!謝っていただく事ではありませんから!」
ミサコが頭を下げる俺を慌てて止める。
「在学時も時々、娘を送ってくださっていましたよね。あの時から?」
「いいえ。仲良くさせてはいただいていました。ですが真剣にお付き合いを始めたのは、ユイさんが卒業してからです」つい数日前とは言えないので濁す。
「でも先生、国のお母様がご病気だったとかで」
何も言わずに去った事にも、申し訳ないが触れないでおく。
「はい。母は高齢でして。私の将来を心配しているのです。自分としても、そんな事を考えるようになりました。そこでユイさんの存在が、私の中で大きくなり始めたのです」
これは事実だ。母の件を除いてだが。ミサコがこういった親子愛の話題に弱いのは把握済みだ。
「ユイが、先生の事を深く想っている事には、気づいていました」
俺がいなくなってからのユイを思い出して、ミサコは悲しげな顔になる。
それに関しては本当に申し訳なかったと思う。何と返していいか分からず俯く。
やがてミサコは、驚いた事に眩しいくらいの笑みを浮かべて言った。
「そうですか。何にせよ、良かったわねユイ。想いが通じたって事でしょ?」
「……うん、そうなの」ユイが恥かしそうに応じる。
予定通りの展開だ。俺は透かさず本題に入った。
「身分的にも中途半端な事はしたくありません。先程、ユイさんと将来について話し合って決めました。ミサコさん、本当に突然で申し訳ありませんが、ユイさんと私の婚約を、認めていただけませんか?」
ミサコは食い入るように俺を見ている。全てを見透かされそうな瞳で。その視線を一時も離さずに見返す。極力魔力を封じて、といってもそんな事は制御できない。
だがなぜか、ミサコが魔力に掛かっている様子はない。ひたすら強い視線を浴び続ける事数分。
「お、お母さん、私からもお願いします……」耐え兼ねたのかユイが震える声で訴えた。
ニコリともせず、ミサコはその視線をユイに移した。
そして彼女の左手に目を落とす。どうやらリングに気がついたらしい。
「素敵な指輪ね。先生からいただいたの?」
「うん。エンゲージリング……だよ」
しばらくして、ミサコは祝いの言葉を口にした。
「おめでとう、ユイ。新堂先生、娘の事、どうかよろしくお願いします」ミサコは俺に向かって、三つ指を付いて深々と頭を下げた。
「お任せください。一生、幸せにします。こちらこそどうぞよろしく」
この時のユイの表情が固かった事には、気づかないふりをした。ユイが引っかかっているのが何なのかは分かっていたから。
俺達の時間の流れ方は、あまりに異なるのだ。
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