時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

文字の大きさ
25 / 55

25 報告(1)

しおりを挟む

 一時はどうなるかと思ったが、俺達の婚約は立ち消えにならずに済んだ。今、ミサコへ報告するため、二人でアパートに向かっているところだ。

 思考が読める圏内に入ると、早速ミサコの心が見えてきた。

「どうやらミサコさんからも、ユイに話があるようだ」
「え?お母さんから私に?何だろう」
「直接聞いた方がいい」
「ズルい!自分ばっか、お見通しなんて!」
 こんな言い分は無視しても問題ないようだ。ずるい、はユイの口癖のようだから。

「それより、本当に大丈夫かな、俺で」
「どうしたのよ、いつもの自信はどこへ行ったの?新堂大センセイ!」
 いつもの自信とは?しばし考えたが分からず。ユイにはそう見えているのか。
「だって俺達、十も離れてるんだぞ?それにミサコさんにしてみれば、いきなりだ」
 先日言いそびれたのが大いに痛手だ。交際の許可もまだなのに婚約だなどと!

「平気よ。この町で新堂先生って言ったら神様みたいな存在だもん。逆にお母さん、ウチの娘でいいのかって恐縮すると思うよ」
 嬉しい事を言ってくれるものだ。自然と心が軽くなる。
「こんな体験は初めてだ。緊張するよ」ハンドルを握り直して言ってみる。
「全っ然、見えませんけど!」
 こんな事を言い合った後、ユイが声のトーンを落として聞いてきた。

「だけど新堂先生、本当にお相手、いなかったの?あ~んなにモテるのに……」
 何を想像したのか、ユイの顔色が陰った。
「それは、ユイみたいに結婚を申し込んで来る女性の事かな?」
 途端に顔を赤らめるユイ。今笑ったら、笑うところじゃないとまた怒るだろうか。

 彼女が左手中指のリングを見下ろしている。
 前方確認そっち退けでユイの表情を余さず観察する。とはいえ聴覚は研ぎ澄ましているのでご安心を!

「ねえ先生、結婚を約束してた人とか、本当に……いなかったの?」
 ユイはまだ、指に嵌まった輝くリングを見つめたままだ。
 俺はその上にそっと手を重ねた。
「サイズの事か。ごめんな、普通あり得ないよな、サイズの合わない婚約指輪を贈られるとか。ユイが疑う気持ちは分かるよ」

 ユイが顔を上げて俺を見る。

「あまりに急だったし、私のサイズを確認する時間もなかったでしょ?何しろ私だってこんな展開になって驚いてるくらいだもの!」
 今の彼女が無理をしている事くらい分かる。俺のためにこんな言い訳を考えてくれたのだろう。
「……他の誰かのために作ったものだったなんて事、ないよね?」こう最後に、ポツリと呟いた言葉も聞き逃しはしない。

「それは、俺を転生させた男から譲り受けた物なんだ。もともとその大きさだ。ユイ以外、誰にも見せた事もない。初めに言うべきだったな、済まなかった」
「そっかぁ~!ならいいの。ごめんなさい、私こそ疑ったりして」
 ユイはまたもあっさりと受け入れた。

「これで新堂先生は私だけのもの!もう、どこへも行かないでね。ずっとず~っと、側にいてね?」
「ああ。約束するよ」
「またいなくなったりしたら、キハラに告げ口しちゃうんだからね?」
「いなくなる?そう思うのか。ついさっき婚約したっていうのに!」
「だって先生の考えてる事って、イマイチ良く分かんないんだもん」

 俺はユイの目を見て伝えた。今まで心の中で何度も言った言葉を。
「これからきちんと落とし前を付けに行くんだ。そんな事はあり得ない。もうとっくに地獄に落ちる覚悟はできてるよ」
 どこかキハラのような口調になってしまった。別に意識したつもりはないんだが。


 アパートに着いて車から降りたユイが呟く。
「お母さん、いるかな……」
「いるよ」さっきからミサコの頭の中を散々読ませて貰っているのでね。

 玄関のチャイムを鳴らすと、ユイまでが緊張の面持ちでドアが開くのを待つ。

「は~い」ミサコの声がしてドアが開いた。
 娘の姿に驚いている。「……まあユイ。何なの、鍵でも忘れてった?」
「ううん。違うの。ちょっと話があって」チラリと後ろの俺に目を向けて言う。
「まあ!新堂先生いらしてたのね。上がって行ってくださいな」
「ありがとうございます。失礼します」

 決して広いとは言えない二DKの借り住まい。俺達を居間に通すと、ミサコはキッチンに姿を消した。
 二人になったのを見計らい、小声で打ち合わせする。
「ミサコさんより先に、俺達の話をするぞ」その方がミサコも話を切り出し易くなる。
「内容が分かってる人はいいよね!お任せしま~す」
 
 盆に茶を載せて現れたミサコが、渋い顔になる。
「あらユイ。何だかご機嫌斜め?一体何の話なの。まさか先生に何か失礼な事でも!」
 まずい展開だ。早々に話を進めねば。
「違いますよ。ミサコさん、実はどうしても私の方からしたい報告がありまして、会わせて欲しいとユイさんにお願いしたんです。突然お邪魔して、申し訳ありません」
「いいえ!全然。とても嬉しいお客様だわ」

 羨望の眼差しを受けて少々戸惑う。自分が快く思われているのは嬉しいのだが、これも魔力のせいだろうか。

「改めまして。実は私は、ユイさんとお付き合いをさせていただいています」
「まあ……」ミサコがあっさり俺から視線を外して、ユイをジロリと見た。
 対するユイは、上目遣いで母を見ながら小刻みに頷いている。
 そんな光景を横目に続ける。「本来ならば、もっと早くにお伝えすべき事でした……。申し訳ありません」
「やめてください、新堂先生!謝っていただく事ではありませんから!」 
 ミサコが頭を下げる俺を慌てて止める。

「在学時も時々、娘を送ってくださっていましたよね。あの時から?」
「いいえ。仲良くさせてはいただいていました。ですが真剣にお付き合いを始めたのは、ユイさんが卒業してからです」つい数日前とは言えないので濁す。
「でも先生、国のお母様がご病気だったとかで」

 何も言わずに去った事にも、申し訳ないが触れないでおく。
「はい。母は高齢でして。私の将来を心配しているのです。自分としても、そんな事を考えるようになりました。そこでユイさんの存在が、私の中で大きくなり始めたのです」
 これは事実だ。母の件を除いてだが。ミサコがこういった親子愛の話題に弱いのは把握済みだ。

「ユイが、先生の事を深く想っている事には、気づいていました」
 俺がいなくなってからのユイを思い出して、ミサコは悲しげな顔になる。
 それに関しては本当に申し訳なかったと思う。何と返していいか分からず俯く。

 やがてミサコは、驚いた事に眩しいくらいの笑みを浮かべて言った。
「そうですか。何にせよ、良かったわねユイ。想いが通じたって事でしょ?」
「……うん、そうなの」ユイが恥かしそうに応じる。
 予定通りの展開だ。俺は透かさず本題に入った。
「身分的にも中途半端な事はしたくありません。先程、ユイさんと将来について話し合って決めました。ミサコさん、本当に突然で申し訳ありませんが、ユイさんと私の婚約を、認めていただけませんか?」

 ミサコは食い入るように俺を見ている。全てを見透かされそうな瞳で。その視線を一時も離さずに見返す。極力魔力を封じて、といってもそんな事は制御できない。
 だがなぜか、ミサコが魔力に掛かっている様子はない。ひたすら強い視線を浴び続ける事数分。

「お、お母さん、私からもお願いします……」耐え兼ねたのかユイが震える声で訴えた。
 ニコリともせず、ミサコはその視線をユイに移した。
 そして彼女の左手に目を落とす。どうやらリングに気がついたらしい。
「素敵な指輪ね。先生からいただいたの?」
「うん。エンゲージリング……だよ」

 しばらくして、ミサコは祝いの言葉を口にした。
「おめでとう、ユイ。新堂先生、娘の事、どうかよろしくお願いします」ミサコは俺に向かって、三つ指を付いて深々と頭を下げた。
「お任せください。一生、幸せにします。こちらこそどうぞよろしく」

 この時のユイの表情が固かった事には、気づかないふりをした。ユイが引っかかっているのが何なのかは分かっていたから。

 俺達の時間の流れ方は、あまりに異なるのだ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...