26 / 55
26 報告(2)
しおりを挟むこちら側の報告を終えて一段落すると、ミサコが意を決したように口を開いた。
「さあ。それじゃ、お母さんからもユイに報告よ。その前に先生、お茶、召し上がって」
一口も手をつけていない湯飲みに視線が注がれる。
「ええ、ありがとうございます」
横に座るユイにチラリと目を向けると、僅かに笑っている。ようやく表情がほぐれたようだ。それにしても、何を期待している?
「私にお構いなく、お話を続けてください」俺は湯飲みを手に持ちながら言った。
「それで何よ、お母さんの報告って?」
「あのね。お母さん、再婚する事にしたの」まるで少女のように頬を染めながらミサコが言った。
「……はぁ~?!」対するユイは、ヤクザ映画の姉御のような口調だ。
まずいと思ったのか、一度咳払いしてから口を開く。
「再婚って、どこの誰よ。この町の人?仕事関係の人?私の知ってる人?」
「ユイ、落ち着けって」
「……そんな事言ったってムリ!いつから付き合ってるの?ねえってば!」
ユイは自分の湯飲みを手にしたが、飲み切っていた事に気づき落胆している。
俺は人間の飲食物は口にしない。これはチャンスと、自分のたっぷり入ったままの湯飲みをさり気なく差し出す。
誘導にあっさり乗ったユイが、それを手にして飲み干した。
「ユイ。落ち着いてくれないかしら。お母さんはさっき、あなた達の話をちゃんと落ち着いて聞いてあげたわよ?」
「う……。ごめん」
「許してあげてください。それだけ、お母さんの事が心配なんですよ」
潤んだ瞳でユイが俺を見た。このフォローは成功のようだ。
何でもミサコのお相手はイタリア人のようで、ユイはさらに驚いている。俺も知った時は少々驚いたが。
「仕事先の知り合いでね。日本の和装をとても気に入ってくださって。向こうで広めたいって言うのよ。それでね、私も向こうに行く事になりそうで……」
ミサコの仕事はおもに裁縫。和裁もできるようだ。
「ってお母さん、イタリア語、話せないじゃない」
「勉強してるわ。イル・ミオ・ノーメ・エ・ミ、サ、コ!」
ユイは開いた口が塞がらないといった様子で呆然としている。
「本当はユイに教えて貰いたかったけど。再婚の話をしない事には不自然でしょ」
「お母さん、イタリアに行くの?」
「迷っていたわ。あなたを置いて行けないから。でも、こんなステキな展開になっているとはね」ミサコが俺にウインクしてきた。
これはこれは……すでにイタリア人被れしているようだ。
「タイミングとしては申し分ないですね。ちょうど私達もロシアへと思っているんですよ。なあユイ?」俺は話を進めた。
「う、うん」
「あら!それじゃ、先生のご両親に会うのね?」
俺とユイは同タイミングで頷いていた。そういう事にしておいてくれ。
「あなた、絶対に失礼な事しちゃいけませんよ?さっきみたいな言葉遣いとか!」
「やる訳ないでしょ!大体ね、ロシア語でそれ、どうやるワケ?」
その後話はトントン拍子に進んで、ミサコのイタリア行きと俺達のロシア行きの日取りが決まった。引越しに向けて忙しい日々を送る。
「本当に、旅行じゃなくて向こうに住む気か?」
「だってお母さん行っちゃうでしょ?私一人でここにいてもねぇ。どうせ家は賃貸だし。ここ田舎だし!別に未練ないし~!」
「もういい、分かった」
当初海外旅行の予定だったが、そんな理由で移住する事となった。
「俺はどこでも構わないんだ。ユイさえいてくれればね」
ミサコがイタリアへ発った翌日、俺達はロシアへ向かった。今回は荷物が多いので旅客機を使う。旅行程度ならば足で行けるのだが!まあユイには酷か。
長時間機内で過ごす事となるため、ユイが退屈しないか不安だ。
「ミサコさんにイタリア語、教えてやらなくて良かったのか?」
「そんな暇なかったじゃない」
「そうだな」
「ところで先生はできる?イタリア語」
「できないよ」
「英語はできるでしょ!学校で誰かが話してたよ」
以前、学校の医務室で海外からの依頼の電話を受けた事があったのを思い出した。
「……ああ。別にいいだろ、できようができまいが」
「ねえ他には?英語とフランス語は似てるからできるでしょ!あ!あと、ドクターはドイツ語使うんじゃなかった?」
「フランス語もできないよ。ドイツ語は医学用語だけだ。その昔、大学で講義を受けはしたが忘れた」
「何百年前だっけ?」とぼけて聞いてくるので、少々気に障った。
「前に話したろ。百八十年くらいだ、何百年も経ってない」
語学は苦手分野だった。ハーフだったお陰で日本語とロシア語ができたが、そうでなければどうだったのだろう。
ふいにそんな人間だった頃の、不得意なものを思い起こしていた。今や何でもできてしまうのだが。因みに英語は、ヴァンパイアになってから学んだ。
「先生?どうかした?」
知らずに俺はユイを見つめていたらしい。心配そうに聞いてくる。
「いや。ユイは凄いなって思ってね。まだ十八年しか生きてないのに、そんなに多言語を操れる」
「……やめてよ。別に自慢しようと思って言った訳じゃないんだから。それと、通訳の仕事に就け、とか言わないでよね?」心から迷惑そうに付け加える。
「ユイといると、長らく忘れていた人間だった頃の記憶が、感情が、不思議と甦るんだ」
「人間だった頃?」
「ああ。あまり、いい思い出はないけどな」
「だったら、ロシアに行くのも、本当は気が進まないんじゃ……」
「いいや。ユイとならいいんだ。むしろ行ってみたい。新鮮な気がするんだ」
俺は自然と笑顔になって続けた。「今の時期は過ごしやすくてお勧めだ。向こうの夏はとても短くて貴重なんだ」
ユイが嬉しそうに笑顔を見せてくれた。悲しい顔や不安な顔は、すぐに俺がこういう笑顔に変えてやりたい。今、そんな事を思った。
0
あなたにおすすめの小説
ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています
紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、
ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。
「もう君は、僕の管理下だよ」
退院と同時に退職手続きは完了。
住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。
外出制限、健康管理、過保護な独占欲。
甘くて危険な“保護生活”の中で、
私は少しずつ彼に心を奪われていく――。
元社畜OL×執着気味の溺愛社長
囲い込み同棲ラブストーリー。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写と他もすべて架空です。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
イケメン副社長のターゲットは私!?~彼と秘密のルームシェア~
美和優希
恋愛
木下紗和は、務めていた会社を解雇されてから、再就職先が見つからずにいる。
貯蓄も底をつく中、兄の社宅に転がり込んでいたものの、頼りにしていた兄が突然転勤になり住む場所も失ってしまう。
そんな時、大手お菓子メーカーの副社長に救いの手を差しのべられた。
紗和は、副社長の秘書として働けることになったのだ。
そして不安一杯の中、提供された新しい住まいはなんと、副社長の自宅で……!?
突然始まった秘密のルームシェア。
日頃は優しくて紳士的なのに、時々意地悪にからかってくる副社長に気づいたときには惹かれていて──。
初回公開・完結*2017.12.21(他サイト)
アルファポリスでの公開日*2020.02.16
*表紙画像は写真AC(かずなり777様)のフリー素材を使わせていただいてます。
たとえ夜が姿を変えても ―過保護な兄の親友は、私を逃がさない―
佐竹りふれ
恋愛
重なる吐息、耳元を掠める熱、そして——兄の親友の、隠しきれない独占欲。
19歳のジャスミンにとって、過保護な兄の親友・セバスチャンは、自分を子供扱いする「第二の兄」のような存在だった。
しかし、初めてのパーティーの夜、その関係は一変する。
突然降ってきた、深く、すべてを奪うような口づけ。
「焦らず、お前のペースで進もう」
そう余裕たっぷりに微笑んだセバスチャン。
けれど、彼の言う「ゆっくり」は、翌朝には早くも崩れ始めていた。
学内の視線、兄の沈黙、そして二人きりのアパート――。
外堀が埋まっていくスピードに戸惑いながらも、ジャスミンは彼が隠し持つ「男」の顔に、抗えない好奇心を抱き始める。
「……どうする? 俺と一緒に、いけないことするか?」
余裕の仮面を被るセバスチャンに、あどけない顔で、けれど大胆に踏み込んでいくジャスミン。
理性を繋ぎ止めようとする彼を、翻弄し、追い詰めていくのは彼女の方で……。
「ゆっくり」なんて、ただの建前。
一度火がついた熱は、誰にも止められない。
兄の親友という境界線を軽々と飛び越え、加速しすぎる二人の溺愛ラブストーリー。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる