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26 報告(2)
しおりを挟むこちら側の報告を終えて一段落すると、ミサコが意を決したように口を開いた。
「さあ。それじゃ、お母さんからもユイに報告よ。その前に先生、お茶、召し上がって」
一口も手をつけていない湯飲みに視線が注がれる。
「ええ、ありがとうございます」
横に座るユイにチラリと目を向けると、僅かに笑っている。ようやく表情がほぐれたようだ。それにしても、何を期待している?
「私にお構いなく、お話を続けてください」俺は湯飲みを手に持ちながら言った。
「それで何よ、お母さんの報告って?」
「あのね。お母さん、再婚する事にしたの」まるで少女のように頬を染めながらミサコが言った。
「……はぁ~?!」対するユイは、ヤクザ映画の姉御のような口調だ。
まずいと思ったのか、一度咳払いしてから口を開く。
「再婚って、どこの誰よ。この町の人?仕事関係の人?私の知ってる人?」
「ユイ、落ち着けって」
「……そんな事言ったってムリ!いつから付き合ってるの?ねえってば!」
ユイは自分の湯飲みを手にしたが、飲み切っていた事に気づき落胆している。
俺は人間の飲食物は口にしない。これはチャンスと、自分のたっぷり入ったままの湯飲みをさり気なく差し出す。
誘導にあっさり乗ったユイが、それを手にして飲み干した。
「ユイ。落ち着いてくれないかしら。お母さんはさっき、あなた達の話をちゃんと落ち着いて聞いてあげたわよ?」
「う……。ごめん」
「許してあげてください。それだけ、お母さんの事が心配なんですよ」
潤んだ瞳でユイが俺を見た。このフォローは成功のようだ。
何でもミサコのお相手はイタリア人のようで、ユイはさらに驚いている。俺も知った時は少々驚いたが。
「仕事先の知り合いでね。日本の和装をとても気に入ってくださって。向こうで広めたいって言うのよ。それでね、私も向こうに行く事になりそうで……」
ミサコの仕事はおもに裁縫。和裁もできるようだ。
「ってお母さん、イタリア語、話せないじゃない」
「勉強してるわ。イル・ミオ・ノーメ・エ・ミ、サ、コ!」
ユイは開いた口が塞がらないといった様子で呆然としている。
「本当はユイに教えて貰いたかったけど。再婚の話をしない事には不自然でしょ」
「お母さん、イタリアに行くの?」
「迷っていたわ。あなたを置いて行けないから。でも、こんなステキな展開になっているとはね」ミサコが俺にウインクしてきた。
これはこれは……すでにイタリア人被れしているようだ。
「タイミングとしては申し分ないですね。ちょうど私達もロシアへと思っているんですよ。なあユイ?」俺は話を進めた。
「う、うん」
「あら!それじゃ、先生のご両親に会うのね?」
俺とユイは同タイミングで頷いていた。そういう事にしておいてくれ。
「あなた、絶対に失礼な事しちゃいけませんよ?さっきみたいな言葉遣いとか!」
「やる訳ないでしょ!大体ね、ロシア語でそれ、どうやるワケ?」
その後話はトントン拍子に進んで、ミサコのイタリア行きと俺達のロシア行きの日取りが決まった。引越しに向けて忙しい日々を送る。
「本当に、旅行じゃなくて向こうに住む気か?」
「だってお母さん行っちゃうでしょ?私一人でここにいてもねぇ。どうせ家は賃貸だし。ここ田舎だし!別に未練ないし~!」
「もういい、分かった」
当初海外旅行の予定だったが、そんな理由で移住する事となった。
「俺はどこでも構わないんだ。ユイさえいてくれればね」
ミサコがイタリアへ発った翌日、俺達はロシアへ向かった。今回は荷物が多いので旅客機を使う。旅行程度ならば足で行けるのだが!まあユイには酷か。
長時間機内で過ごす事となるため、ユイが退屈しないか不安だ。
「ミサコさんにイタリア語、教えてやらなくて良かったのか?」
「そんな暇なかったじゃない」
「そうだな」
「ところで先生はできる?イタリア語」
「できないよ」
「英語はできるでしょ!学校で誰かが話してたよ」
以前、学校の医務室で海外からの依頼の電話を受けた事があったのを思い出した。
「……ああ。別にいいだろ、できようができまいが」
「ねえ他には?英語とフランス語は似てるからできるでしょ!あ!あと、ドクターはドイツ語使うんじゃなかった?」
「フランス語もできないよ。ドイツ語は医学用語だけだ。その昔、大学で講義を受けはしたが忘れた」
「何百年前だっけ?」とぼけて聞いてくるので、少々気に障った。
「前に話したろ。百八十年くらいだ、何百年も経ってない」
語学は苦手分野だった。ハーフだったお陰で日本語とロシア語ができたが、そうでなければどうだったのだろう。
ふいにそんな人間だった頃の、不得意なものを思い起こしていた。今や何でもできてしまうのだが。因みに英語は、ヴァンパイアになってから学んだ。
「先生?どうかした?」
知らずに俺はユイを見つめていたらしい。心配そうに聞いてくる。
「いや。ユイは凄いなって思ってね。まだ十八年しか生きてないのに、そんなに多言語を操れる」
「……やめてよ。別に自慢しようと思って言った訳じゃないんだから。それと、通訳の仕事に就け、とか言わないでよね?」心から迷惑そうに付け加える。
「ユイといると、長らく忘れていた人間だった頃の記憶が、感情が、不思議と甦るんだ」
「人間だった頃?」
「ああ。あまり、いい思い出はないけどな」
「だったら、ロシアに行くのも、本当は気が進まないんじゃ……」
「いいや。ユイとならいいんだ。むしろ行ってみたい。新鮮な気がするんだ」
俺は自然と笑顔になって続けた。「今の時期は過ごしやすくてお勧めだ。向こうの夏はとても短くて貴重なんだ」
ユイが嬉しそうに笑顔を見せてくれた。悲しい顔や不安な顔は、すぐに俺がこういう笑顔に変えてやりたい。今、そんな事を思った。
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