時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

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35 叶わぬ願い(2)

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 こうして何事もなく滞在期間は過ぎて行った。

 別れの朝。田舎ならではの広大な庭にて、ベンツを前に別れの挨拶を交わす。
「新堂先生、次は是非、イタリアへも遊びにいらして!今度はゆっくり時間を取って。お医者さんだって、休息は必要よ?無理はしないようにね」
「はい、お気遣いありがとうございます。近いうちに、必ず参ります」
 ゆっくり、の件に関しては恐らく無理だが。

「ユイ。先生を困らせちゃダメよ?いいわね?キハラに言いつけますからね!」
「お母さんたら!こんな時ばっか、キハラを利用しないの!」
 キハラは、親子の話題に頻繁に登場するくらい身近な存在なのだ。ユイの言っていた家族という言葉が頭に浮かんだ。
 叶わぬ願いと分かっているからこそ、キハラが大いに羨ましい。

「さあ、そろそろ出発するか」
「は~い。それじゃあね、お母さん。弟か妹、できたらすぐに知らせてよね?」
 こんなコメントにミサコは顔を赤らめて怒りながら、笑顔で手を振った。


 車内にて。

「新堂先生も、一緒に泊まれたら良かったのになぁ……」
「それは無理だよ。ごめんな、二泊で切り上げる事になって」
「それは別に構わないよ。マナミとお母さんは残念がってたけどね。ああ、タマは喜んでるか」
「だな」軽く笑って答える。

 動物を飼っているとは思わなかった。彼(いや彼女か?)はお気に入りのコタツから飛び出すくらい、危機を感じたという事。驚かせて申し訳なかった。こればっかりは対処のしようがない。
 それに、俺だけ何日も外泊すれば不審がられる。仕事が入ったという言い訳も、二泊が限度だろう。
 それともう一つ。最も大きな問題がある。
 
「気づいたか分からんが、ミサコさんの両親には怪しまれていた」
「もちろん気づいたよ」
 ユイが俺の話題を極力避けて会話していたのは知っている。余計な面倒をかけてしまった。
「怪しんでただけだからね?ダメよ、戻ってって手に掛けたりしちゃ!」
「ユイ。冗談でも言うな、そういう事は。頼むよ」

 この時ばかりは前方から目を反らして、ユイを睨みつけた。
 それに合わせて、スピードメーターの針が徐々に上がる。こんな正月三が日の朝だから人影はない。少しくらいオーバーしても問題ない。

「……ごめんなさい。もう言わない」
「素直だな。これも俺の魔力とやらのせいか!」
「違うよ?本心から悪いと思ったの」負けずに俺の目を見返して、はっきりと言い放つ。
「分かってくれたならいい。それで、久しぶりの親子水入らずは楽しかったか?」
「うん。ありがとう、連れて来てくれて!」

 しばしの間があり、今度はユイが口を開いた。

「私が結婚を先延ばししてる理由は言ったよね。それで、先生はどうしてなのかなって考えてたの」
「考えて答えは出たのか?ユイの望みだからって理由ではないよな」それもあるが。
「うん……。結婚てさ、当人同士だけじゃなくて、家同士が繋がる意味もあるでしょ。気にしてるのかなって。その……人間と親族になる事を」
「俺の考えを読むなんて、やるじゃないか」
「ふふふ!でっしょ~?やるのよ、ユイさんは!」とても自慢げだ。

 まるで先日のマナミのようじゃないか。こんな姿は似ているかもしれない。

「もちろん、良く思わない人達もいるよ。当然の事だ」
 タマが逃げ出すように。逃げるまで行かなくとも、敏感な人間ならば警戒くらいはするはずだ。
「新堂先生は危険な存在じゃない!どうにかしてそれを証明できれば……!」
「不可能だよ」
 ユイは黙り込んだ。とても悔しそうな表情で俯いている。

 やがて顔を上げて元気に言った。「別にいいじゃない?先生と結婚するのは私よ。親戚じゃない。家の繋がりとか、この時代じゃあんまり重視されてないんだから」
「そうだな」
 気を遣って言ってくれた言葉が身に沁みる。

「おかしなものだ。ヴァンパイアになって初めてだよ。人間と繋がりを持ってもいいんじゃないかと思えたのは」
「先生……」
「人間との繋がりをずっと避けてきた。仕事で向き合う以外、プライベートでも関わる人間など作らない。だがユイに出会って変わった。おまえがこんなにも俺を受け入れてくれるせいで、もしかしたら、なんて……考えるようになってしまった」

「そんな事言われたって、謝らないからね?私」
「いいんだよ」そっと微笑んで伝える。

「新堂先生の事、嫌いじゃないと思うんだ。お母さんも、おばあちゃんも」
 祖父の事は言い出さない。あの様子からも分かる。断固拒否の体勢なのだろう。可愛い大切な初孫の将来……いや命が、かかっているのだから当然だ。
「会話は大体聞かせて貰ってたよ」

「皆、私の幸せを願ってくれてるだけ。お母さんは、新堂先生の幸せも願ってるのよ?あの言葉はウソじゃない。先生は心が読めるんだから、分かるでしょ?」
「ああ。そうだな」

 ミサコの思考において、俺への嫌悪感を見つけた事は一度もない。

「あのおばあちゃんの話を思い返すと、もしかしたら私達は、共存できるかもしれないっていう期待も生まれるんだ。皆に先生の善良さがきちんと伝わったなら……」

 あの時の会話も余さず聞いている。

〝ユイが生まれた時に、おばあちゃん思ったの。あなたはとても美しかったから。将来何か、良くないものに好かれて連れて行かれるんじゃないかって〟
 この言い分から、家系的に鬼に狙われる性質なのかもしれないと思った。
〝ユイが選んだ人だもの。きっと、いい人なんでしょう。誰にも口出しする権利はない。私達はみんな、あなたの幸せを願ってるのよ。ただそれだけをね〟

「もしそうなったら、先生にも家族ができるのよ?一度でいいから、そういう幸せを体験して欲しいの。人間の頃に、あんまりできてなかったみたいだから……」

 ユイは見事に俺の思考を読んでいた。家族を羨んでいる俺の心を。やっぱり朝霧ユイは侮れない!
 
 最後にユイがポツリと付け加えた。
「ヴァンパイアになった今も、人間の心を忘れていない新堂先生なら、きっとできるよ」
「だといいんだがね。……ありがとう、ユイ」

 俺は彼女の言葉に心から感謝した。

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