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41 油断
しおりを挟む寒い季節が終わり、徐々に春の気配が感じられるようになった。
週に一度、一緒に食材を買いに行く事にしている。食べるのはユイだけなので、大した量にはならない。
たまには違う店舗に行きたいとねだられ、今日は少々遠出して、最近できた大型スーパーにやって来た。
広々とした店内を巡り、ワインコーナーに差しかかる。そこには輸入ワインが所狭しと並んでいた。
「新堂先生も飲めたらいいのに。ほら、こ~んなに種類豊富よ?どれにしよ~!」
「世界中のワインが手に入るなんて、今の人間達は何て贅沢なんだ?」
カートを押しながらユイの後に続き、目前に並ぶ品の多さに圧倒される。
ざっと見渡して、手近の一本を手に取ってラベルに目を通していると、ユイがそれを横から奪って胸に抱えた。「私、これにしよっと!」
「おい、それは辛口だぞ?おまえには無理だ。こっちにしろ」別の一本を差し出すも受け入れず。
「いいの、これで!だって先生、これ真っ先に取ったもの。きっとこれが飲みたいって、内心思ってるのよ」
ユイの頑固さは分かっているので、それ以上は言い合うのを控えた。
こうして買い物を終えて食材を袋に収納し、通路を歩いて行く。
「あ~楽しかった!やっぱ別のお店来ると楽しいね。ちょっと買いすぎたかなぁ」
「俺はユイを見てて楽しかったよ」表情がクルクルと目まぐるしく変わるユイがね。
俺の感想にムッとしながらも、腕に絡みついて来る。
「おい、離せ」
両手が荷物で塞がっているため、口で訴えるしかない。
「いいでしょ、駐車場までよ」
こんなたった一時でもダメなの……?ユイの顔はこう言っていた。
俺の冷たい視線にしばらく見下ろされて、ユイが絡ませた腕を離した。
「……私、ちょっとトイレ行って来るね」
俺の拒絶にユイが落ち込んだのは分かったが、全ておまえのためなのだ。今も極力接触は控えている。またユイを免疫疾患に罹らせる訳には行かない。
「ここで待ってるよ」店舗を出た所で言う。駐車場までは少し距離がある。
「いいよ。車停めた場所覚えてるし。荷物重いでしょ?先行ってて。すぐに行くから」
「別に重くはないが。それなら行ってるよ」
あまり人目につきたくはない。ここは買い物客でごった返している。それにこの距離ならば、ユイに何かあってもすぐに駆けつけられる。
だが、荷物を積み終えてもユイは戻って来ない。匂いで彼女が近くにいる事は分かるのだが、その匂いは別れた時とは別の場所から漂って来る。
「ユイのヤツ、一人でどこまで行ったんだ?」
戻らない彼女に少しの不安を覚えたが、周囲に邪悪な気配は感じられない。
ここはロシア。日本の鬼はいない。まさかこんな異国まで追っては来ないだろう。
「そんなに怒らせたか……」
一人になりたい時もあるだろうと、探しに行く事を思い止まったその時、今度はユイの血の香りが混じり始めた。どこかで怪我をしたようだ。
「さては、また余計なトラブルに首を突っ込んだな?」
この時は、こんな安易な考えだった。
匂いの先を辿り現場に向かうと、そこは寂れた別の店舗の駐車場だった。何年も前に潰れて放置されているらしく、建物は荒れ放題だ。当然辺りに人影はない。人だけではなく、生物の気配も……感じられない。
ユイ以外は。いや待て、男が、そこにいるじゃないか!
「どういう事だ!」
しかもユイが対峙しているのはヴァンパイアだ。だがその気配は全くない。姿を前にしている今もなお。気を消しているというのか?
「新堂せんせぇ……、助けてぇっ!」ユイが泣き叫ぶ。その体の左側面、首、腕、足の三箇所から血が流れている。
瞬時に男を突き飛ばしてユイの元に駆け寄り、そっと体を横たえる。
「もう大丈夫だ。少しだけ待っていてくれ、始末してくる」
男は駐車場の隅で倒れている。今は普通にヴァンパイアの気配を感じる。男の思考が見え始めて、気を消せる能力を持っている事が判明した。
油断した…………こんな事が起こるとは!
「おい。お前、どういうつもりだ?この俺のものに手を出すなど!」許さん。この俺の命よりも大事なユイを傷つけたお前を!
男の手には銀色に光る液体に混じり、ユイの血が付着している。「リングに引っかかれたか!バカめ」その腕を掴み上げて力任せに捻った。
「ギャアァァ!!」声にならない声を上げる男。
腕は骨が折れてあり得ない方向に曲がっている。
ヴァンパイアだってそれなりに痛みを感じる。その回復力は半端ないが。
「まさか……飲んで、ないよな?」どちらにしても許す気はないが。
「あ!味見、しただけだ!……そんな事より!何で人間があのリングをしてる?唯一ヴァンパイアの皮膚を傷つける事ができる鉱物だぞ?凶器を渡したようなモンだろ!」
人間には自由にならないシロモノ。人間が自らの意思で武器にする事はできない。
だが、ヴァンパイアが人間に与えれば別だ。
「お、お前!気でも狂ってるのか!?」
「ベラベラと良く動く舌だな。耳障りだから、それも動かないようにしてやろう」
今度は男の舌を摘まんで引っ張った。閻魔大王は舌を抜くと言うが、簡単に抜ける物ではない。抜くのを諦めて手を離す。
「厄介な能力を持ちやがって!即刻、闇に消えろ」
懐から取り出したライターで火を放つ。次の瞬間、緑色の不気味な炎が天に届きそうな程高く燃え上がった。
甘ったるい蝋のような香りに混じって、ユイの血の香りが濃厚になって行く。
早急に処置をしなければ。
「ユイ!傷を良く見せてくれ、どこをやられた?」一瞬でユイの元に駆けつけ屈み込む。「先生!腕が、とっても痛くて……熱いの。私も燃えてしまうの?足も痛いよ!」
「燃えてしまうって……おいユイ、あの炎が見えるのか?」
それは変だ。人間にはあの緑の炎は見えないはず。ユイを見下ろして不思議に思う。
「見えるに決まってるでしょ!変なニオイもするし!うううっ、痛いよぉ、先生……」
「ああ済まん、今診てやる」
考え事を中断して、ユイの訴えた箇所を順に診て行く。
「毒が入ったんだ。すぐに吸い出さねば手遅れになる……」
「毒……?毒ってあの銀色の液体の事?」それも見てしまったか。
「さあユイ、気をしっかり持て。これからおまえに入った毒を吸い出す」ユイの目を強く覗き込んで伝えた。
少しの間があり、ユイが叫ぶ。
「ああっ!何でもいいから早くして!熱くて痛くて、……もうムリ」
ユイ、どうか耐えてくれ……。
俺は痛みの酷そうな左腕に唇を押し付けた。極限まで冷やし痛みを麻痺させるためだ。
「済まない、我慢してくれ……。すぐに終わらせる」その合間に囁く。
「冷たすぎて、痛みがどこかへ飛んじゃったみたい。っ……ああ!!い、イヤぁ!!」
ユイが叫んだ。突如、猛烈な痛みに襲われて意識が遠退きかけている。
そこへ容赦なく、今度は左足に唇を付けて毒を吸い出した。同じ衝撃が走ったらしくまたも悲鳴を上げるユイ。そして最後に首元に同じ処置を施した。
必死に俺の腕にしがみ付いて苦しむユイの様子は、見るに耐えないものだった。
「ああユイ、どうか……頑張ってくれ!」
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