時世時節~ときよじせつ~

氷室ユリ

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42 後悔の先に見えたもの

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 出会って初めてユイの血を吸った。毒に侵されていたとはいえ、思った通り、とてつもなく極上の味だった。そして、彼女の苦しむ顔と絶叫が脳裏に甦る。
 超快楽と絶望の淵。対極の二つを同時に味わったにしても、ヴァンパイアの分際でこの悲壮感はなんだ?そんなものをこの身で感じるとは……。

 俺はやはり、人間に近づいているのかもしれない。

 ユイを寝室のベッドに横たえて、そのままその場に座り込んだ。
 応急処置を施した傷口に変化はない。もしヴァンパイアに変化しているなら、傷は急速に塞がって行くはずだ。つまりユイは転生していない。心音もきちんと聞こえている。

 どれくらい経ったのか定かではない。
 薄闇の中で、ユイが苦しげに呻いた。
「んん、新堂、先生……」固く目を閉じたまま、俺の名を呼んでいる。
「ユイ?どこが一番辛いか教えてくれ」すぐさまベッドサイドに体を寄せて問いかける。

 しばらくして、ユイはぼんやりと目を開けた。何度か瞬きを繰り返してから、大きく息を吸い込む。その表情は苦しげだ。
「私、……生きてるんだね」
「当たり前だ。この俺がついてて、死なせる訳ないだろ?」手を握って伝える。
「先生、やっと私に触ってくれた。……嬉しいな」
 何とも幸せそうな笑顔だ。つい今しがた死にそうな目に遭った人間とは思えない。

「そっか。ケガしたら触って貰えるんだね。あんなに熱烈に……!」さらに微笑む。
 何を言っているんだ……?俺の気も知らずに!
「バカ野郎……!二度と、二度とこんな事はない。させない!済まなかった、ユイ。おまえを一人にするべきではなかった」悔やんでも悔やみ切れない。

 そう自分を呪う俺に対し、ユイはサラリと言った。
「違うの。私が一人になりたかったの」
「それは知っていたよ。だから……いや、そんなのは言い訳に過ぎない!ユイ。今回の事は全て俺の落ち度だ。どんな事をしても……償えないくらいの罪だ」
 傷つけないと誓ったのにこのザマだ。いっそキハラに八つ裂きにされるべきだろう。

「どんな事をしても、なんて……してみなきゃ、分かんないわ」弱々しいが強い意思を感じる声で言う。
「それくらい深い罪だって事だ!そのくらい分かってくれよ!」
 大人げなく声を荒げてしまう俺に、負けずにその弱々しい声で返してくる。
「試しにしてみてよ。……償う気が、あるなら。ねえ……新堂先生?」

 耳を疑う言葉だが、ユイが望むものが何か、分かるかもしれないと考える。
「おまえは、何を望むんだ?」
 永遠の命以外にだぞ?何度も言い合った事。暗黙の了承だから口には出さない。

 ユイは痛みに顔を歪めながらも、体を起こそうとする。
「手を貸そう」すぐにその体を支えてやると、ユイが言った。「そういう事よ」
 彼女が何を言っているのか分からない。

 それが伝わったらしく、ユイが説明を始めた。
「私は、前みたいにあなたに触れて欲しいの。触れられるくらい側にいて欲しい。キスして欲しい。できるなら……エッチもね」最後の部分は恥かしそうに口にする。

 それとなく俺が距離を置いている事を、当然ユイも知っている。時折不満げな顔を向けられるが、それ以上何も反論しないのは、その理由を理解しているからだ。
 なのに、なぜ今こんな事を?

「ユイ。おまえだって気づいてるんだろ?俺と出会ったせいでこうなった事を。ヴァンパイアとの接触による汚染を、ユイの体が自ら防衛しているんだ。生命維持に必要なホルモンを大量に分泌する事によって」
「だから?」ユイはショックを受けた様子もなく答える。「新堂先生に会わなければ良かったって、私が思ってるとでも?」声がやや強くなった。
「そうだろ。少なくとも、もっと元気に生きられたはずだ」

「分かってないのはどっちよ!」ユイは声のトーンを上げて叫んだ。
「言っときますけどね、人間の一生は短いの。それなのに、我慢ばっか続けてどうなるの?どうせなら、やりたい事やって過ごしたいって思わない?」

 ユイの剣幕に圧倒されて、返す言葉がない。その上、言い分はもっともなのだから。

「それと。ホンットに分かってないんだから、女心が!何度言ったら分かるの?先生がいない人生なんていらない。私は、新堂和矢に出会うために生まれたの!」
「俺に会うために生まれただって?」冗談だろ!俺達は運命の二人だとでも?
 そうであって欲しいと思う反面、あり得ないと否定する自分がいる。

 思い出せ、新堂和矢。もう何年も前に、自分に正直になろうと決めたんじゃなかったか?今ユイが訴えている言葉が真実なら、俺の想いは独りよがりなものではない。

「だったらなぜ、もっと早く生まれて来ない?俺は二世紀も待ったんだぞ?」とんだ言いがかりだ!俺らしくもなくユイに当たってみる。
 すると、彼女らしからぬ言葉が飛び出した。
「……それは、待たせてゴメンとしか言えない」

 こんな妙にしおらしい返答に、力が抜けて笑いが込み上げてきた。
「そうか。俺は、ずっとユイを待っていたのか。ふふ!いい加減待ちくたびれてたんだ」
「私達、やっと巡り合えたのよ」
 潤んだ瞳でこう返すユイを、堪らずにそっと抱きしめた。
 彼女の体がやや熱い。発熱しているようだ。抱きしめる腕に少しだけ力を込める。

「ねえ先生、あの時に言った言葉、忘れた?私に近づかないようにするなんて無理って自分で言ったじゃない。なのに、触れてもくれないなんて酷いわ」
 痛みを感じたらしく、ユイの体が硬直した。
「ごめん、……大丈夫か?」
「やめないで!抱きしめてて……気持ちいいの」
「少し熱が出てるな。毒のせいだと思うが」
「きっとその毒をやっつけようとしてるのよ、私の体が。ね?私って、強いのよ!」

 勝気な目で俺を見上げるユイが、どうしようもなく愛おしかった。

「傷の方だが、腕が一番深い。五針ほど縫ったよ。内部組織までの損傷は見られないから、すぐに良くなる」包帯を巻いてある傷口を見つめながら説明する。
「その割には、異様に痛かった。死ぬかと思ったわ」
 痛みを思い出して肩を震わせる彼女を、今度は後ろから優しく抱き寄せる。
「もう大丈夫だ。良く耐えたな、偉いぞ」頭を撫でながら耳元で囁くも、反応は……。

「子供扱いしないで!」
 こんなユイらしいコメントに、思わず笑ってしまった。
「ねえ?そんな事より、もっと褒めるとこあるでしょ?」振り返って俺を見上げるユイは不満顔だ。
「そうだ、良く俺が到着するまで持ち応えた。この程度のケガで済んだのは、ユイの対処が良かったからに他ならない」

 普通の人間ならば、とっくに餌食になっていたはず。だがユイはそうならなかった。
 一つには、このリングの効力と言えるかもしれない。例の男を燃やした緑の炎が見えた事もある。結果、余計なものを見せて怖がらせてしまったが。
 ユイの左手中指を見下ろす。

 これをやったのは、あいつの言うように狂気の沙汰、なのだろうか。

「でっしょ~!だけど気配が読めないのはイタイなぁ。ヴァンパイアって気配ないんだよね。先生も、突然現れて何度ビックリした事か」
 彼女の声で我に返る。と言っても、考え事に浸っていた時間は人間ではあり得ないような一瞬なのだが。
「それは申し訳ないね」こればっかりはどうしようもない。
 さらにあの男の気配は、この俺でも感じ取れなかった訳で、確かに厄介だった。

「キハラさんに感謝だよ。ユイを鍛えておいてくれたお陰で、俺は大事なものを失くさずに済んだんだから」
「だけどアイツ、何だったの?私の名前知ってた。今までは日本の鬼だったのに、今度はロシアのヴァンパイアが狙って来てるの?」背を向けたまま質問してくる。

「ユイの香りは尋常じゃないって事だ。たまたま嗅ぎ付けて狙われたんだろう」
 こんな説明しかしてやれないが……。「心配するな。あんな雑魚は俺が一瞬で消せる。さっきのように」言葉の後にウインクを追加してみた。

 ユイがぼんやりしている。いつも思う。ユイがこうなる時、自分の言葉はちゃんと伝わっているのだろうかと。

「それは頼もしい限りね」ユイがようやく反応した。どうやら伝わっていたようだ。
 自分を見つめ続ける俺を前に、彼女が困った顔になる。
「また……そうやって魔力使う気ね」ユイは顔を赤らめている。
「は?」何もしていないが?ぼんやりとしたままのユイに、素で聞き返す。

「……でもいい。ステキ、最高。大好きよ、新堂先生」
 俺はユイを抱き直して答えた。「俺も愛してるよ」

 俺が守ってやる。どんなものからも、守り抜く。あの時、そう誓ったじゃないか。

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